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237. ゲート長が1 nmを切るトランジスタの実現

"Vertical MoS2 transistors with sub-1-nm gate lengths"
F. Wu et al., Nature, 603, 259-264 (2022).

CPUに代表される集積回路はますます微細化を進めており,トランジスタのゲート長も縮小の一途をたどっている.ゲート長を短くできればより多くの素子を集積できるだけではなく,電子が移動するのに必要な距離が短くなることからスイッチング速度的にも有利となる.
そんなゲート長であるが,そろそろ通常の微細化の限界が見えてきており,これ以上ゲート長を短くしていくとトンネル効果によるソース-ドレイン間でのリークの発生や,ドレイン側の電圧に引っ張られて障壁が下がってしまいリークが発生する可能性が指摘されている.要するに現代は,「原理的にどこまで微細化できるのか?」が現実的な問題として持ち上がりつつある状況である.なお,通常の構造では5 nmあたりが限界ではないか,という話もある(※).

※ここで言う5 nmは,ゲートの実際のサイズとしての長さであり,いわゆるCPUのプロセスルール名としての5 nmとは異なる.プロセスルール名とゲート長などの最小加工精度は一致しなくなっているので,一般的に言う「○ nmプロセス」の加工幅は〇 nmではない(たいていもっと大きい).このあたり,面倒なのでもっとちゃんと統一してほしいもんである.

5 nmの限界を超える方法のひとつが,MoS2のナノシートを用いたトランジスタだ.MoS2は単層を容易に作成できる化合物で,誘電率が低く易動度も低いことから局所的にゲートによる電場をかけることに向いた素材である.素材が薄いということは電流が流れる部分に対し均一に電場をかけられるということを意味している.厚みのある素材だと上下方向(厚み方向)で実際にかかっている電位が変わってしまうので,言ってみれば異なるゲート電圧が印加されているトランジスタが積層されているようなものになってしまう.これに対し単相のMoS2はMoを硫黄が上下から挟んだような薄層であり,厚み方向のサイズがほとんどないため素材に対し均一にゲート電圧がかかっているとみなせる.さらに誘電率も低いので,ソース-ドレイン間の電位差によるトンネル電流なども減らすことができる.
2016年に報告された素子では,極細のゲート電極として直径1 nmほどのカーボンナノチューブを用い,その上に絶縁体(ゲート電場を伝える誘電体)であるZrO2を蒸着し,その後MoS2を載せることでゲート長1 nmのトランジスタの動作に成功している.

さて,そんなMoS2だが,もっと極限までゲート長を短くしてやろう,というのが今回の論文になる.今回著者らが実現した(物理的な)ゲート長は0.34 nm.この数字を見ると気づく人もそれなりにいるのだが,何を使ったのかと言えば単層グラフェンの側面になる.グラフェンは言わずと知れた安定かつ導電性の高い単原子厚の薄層であり,その側面の幅(というか,層の厚み)は当然ながら単原子サイズで最も薄い.
多くの場合,グラフェンはその「面」を使うのだが,今回著者らは構造を工夫することでグラフェンの側面をゲート電極として使用することに成功した.どんな構造でどのように作るのかは,Fig. 2を見ていただければ一目瞭然だろう.
まずは基板となる高ドープ(=高導電性)のSiを空気中で表面酸化しSiO2の層を作り,その上にウェハースケール(と言っても3 cm四方ぐらい)のグラフェンを載せる.グラフェンの上にはさらにAlを蒸着するが,このAlの表面(グラフェンとの界面も含む)は酸化により絶縁層を形成する.このAlは,ゲート電極であるグラフェンに電圧を印加した際に,その影響が上までいかないようにするシールドの役割である(多分,グラウンドか何かに電位を落とす).その後,素子の一部を電子線で適度に削って薄くする(図中の右側の部分).削った上から誘電体であるHfO2を薄めに載せ,これまたウェハースケールのMoS2を貼り付けて,最後にソースとドレインの電極を蒸着すれば完成である.
ポイントは,ゲート電極であるグラフェンに対してMoS2が接近するのが切り立った崖の部分であるため,グラフェンの側面(=原子1層分の厚みの部分)がゲート電極として働くというところである.

実際のトランジスタとしての動作についてはFig. 3の(c)を見ていただくとわかりやすいのではないかと思うが,ゲートであるグラフェンの電位(VGr)を負に振っていくと,電子との反発によりMoS2のグラフェンに近い部分に電子が侵入できなくなり,電流値が数桁以上激減するなど,トランジスタとしての動作が確認できる.On/Off比は作成したデバイスごとに結構ばらつくが,もっともよいもので1×105に達している(Fig. 3f).

著者らはさらにシミュレーションも行っており(Fig. 4),単層グラフェンのゲート電位により実効的には4.5 nm程度のゲート長として働いていると推測している(物理的なゲート長は0.34 nmだが,電位の影響が多少周囲にまで広がるので,実効ゲート長はこのぐらいに伸びる).計算上は,もっと薄いHfO2,例えば14 nmぐらいのものを作成すれば,実効ゲート長も3 nm程度にまで縮むと予想されている.
また,MoS2の厚みに関しては,総数を上げていくと次第にスイッチング特性が悪くなるが,数層ぐらいならまあ許容範囲か,という感じである(Fig. 4g).

そんなわけで,ほぼ究極だろうという物理ゲート長0.34 nmのトランジスタの発表であった.
作成法は典型的な基板,誘電体,作成手法が確立しているグラフェンとMoS2ということで,比較的多素子化して集積回路っぽいものもそこそこすぐ作れそうな雰囲気もある.
(多素子を同時に作りこんだ場合,すべての素子の場所でMoS2がきれいに崖の壁面部分に張り付いてくれるか,というところはわからないが……)
ただ,0.34 nmのゲート長と言っても実効ゲート長は4 nm程なわけで,トランジスタの微細化はなかなか難しいものだ.(2022.3.14)

 

236. 突然変異はランダムか?

"Mutation bias reflects natural selection in Arabidopsis thaliana"
J. G. Monroe et al., Nature, 602, 101-105 (2022).

現代の進化論の中心に突然変異と自然選択があることは広く知られている.DNAは化学物質,光,放射線等の影響により常に損傷しており,(その損傷で運悪く細胞が死なないならば)各所でランダムな変異が発生することになる.生じた変異は,ある時は同義語への変異であり何の影響も与えず,別な場合にはアミノ酸は変化するもののたんぱく質の機能にはほとんど影響がなく,またある場合にはタンパク質の機能を大きく変えてしまったり,全く別の分子を生み出したりする.その結果が生存に大きく有利であればその変異は時とともに広がっていくであろうし,不利であれば広がる可能性は低い.
この進化論を支える基盤の一つである「突然変異」に関しては,長年,ありとあらゆる部位でランダムに起こる,ということが仮定されてきた.何せDNAを壊すような高エネルギーの過程はたいていは非選択的であるので,この過程は相応にもっともらしいと考えられる.

ところが近年,DNAやその周辺で起こっていることへの理解が深まるにつれ,DNA(より正確に言うならば,DNAとさまざまなタンパク質の複合体)というものがもっと動的に自身をコントロールしている,という事実が明らかとなってきている.
細胞は周囲の状況に応じてDNAから特定のタンパク質の情報を引き出し合成,それにより環境に対処する.いわゆる生命科学のセントラルドグマとして知られる考え方では情報の流れは一方向であり,DNAは恒久的な情報記録に用いられ,転写されたRNAである程度の情報処理が行われ,それをもとにタンパク質が製造される,とする.
しかし近年明らかとなったDNAとタンパク質の関係はもっと複雑であった.生み出されたタンパク質が必要に応じてDNA分子に修飾を加え,それにより各遺伝子の発現率などが大きくコントロールされていたのだ(エピジェネティクスと呼ばれる).つまり,DNAは自ら生み出したタンパク質により自分自身をある程度制御しており,情報の流れは一方向というよりは適宜フィードバックループが入っているようなものなわけだ.

さて,そこで突然変異である.突然変異を引き起こす過程は確かにランダムなのだが,そもそも遺伝子が変異するかどうかはその後の修復がうまくいくかに大きく依存している.DNAが損傷する頻度というのは一般に思われているよりもはるかに高く,健康な細胞が1日活動する間に数十万箇所以上の損傷が発生する.この損傷の大部分はDNA修復酵素の働きにより元通り(もしくは相同組み換えにより,機能的にはほぼ元通り)に修復されている.逆に言えば,「どのぐらいちゃんとDNAが修復されるか」が,突然変異の発生率を決める重要な要因となっている(修復が不完全で変わってしまった部分が突然変異になる).そしてDNAの修復頻度は,エピジェネティックな修飾に依存している.タンパク質によりDNAにはさまざまな「タグ付け」のようなことが行われており,各種のタンパク質はこの「タグ」を認識してDNAとの相互作用を調節している.つまり,エピジェネティックな修飾により「DNAの修復をどの程度行うか」ということも,原理的にはコントロール可能なのだ.とすると,突然変異の発生率も実はDNAの部位ごとに異なってきてもよい,ということになる.
今回の論文は,そんな観点からDNAの変異率を調べ,突然変異発生率がDNAの場所ごとに異なるらしい,ということを明らかにしたものとなる.

では論文に移っていこう.著者らが対象としたのはシロイヌナズナである.この植物はゲノムサイズが小さいこともあり非常に研究が進んでおり,遺伝子に関しては恐らく最も詳しく調べられている代表的なモデル植物だ.
さて,突然変異の発生率を調べる,と言っても,実は大きな難関が存在する.それは,「そもそも,重要な遺伝子(*)に対する変異は致命的なものになりがちなので,見た目の突然変異の発生頻度が低い」という点である.例えば,現存する生物の塩基配列を調べたとして,ある遺伝子の変異が少なかったとしよう.「その遺伝子部分の突然変異の確率が低い」という可能性もあるが,「その遺伝子に突然変異が生じるとたいてい死ぬので,生き残った生物を調べる限り見た目の変異率が低く出る」という別の可能性も否定できない.
そのあたりの区別をつけるため,著者らはTajima's Dと呼ばれる検定統計量などを用いて検証している.これはかつて東大(確か)の田嶋先生が開発した検定統計量であり,選択が働かずランダムな変異が起こっているだけ(=中立的)な場合と,変異に対し選択が働いている(=非中立的)な場合とを区別できるような検定統計量として開発された.
これ以外にも,どの系統が使えるのか,とか,どの変異部分を対象にするのか,などフィルタリングや検証がいろいろあるようだが,正直なところ専門外の人間にはもはやついていけない部分なので,興味がある方は元論文やその参考文献に当たっていただきたい.
とりあえず言っておきたいのは,突然変異自体の致死性等により見た目の相関が現れている可能性に関しては,(その妥当性などに関しては議論の余地があるかもしれないが)著者らは十分認識したうえでそれを回避すべくいろいろな手法を取ってはいる,という点だ.

*遺伝子=タンパク質を作るための情報が書かれた部分.DNAは,無数の遺伝子,発現を制御する部分,何かの残骸など無意味な配列,構造を保つための部分など数多くの配列を含む巨大分子である.コンピュータで言うならば遺伝子がサブルーチン,DNAはソフトウェア全体,というようなものだろうか.

前置きが長くなってしまったが,著者らはそうした処理により有意と思われる変異をフィルタリングし,その結果を多変数線形モデル化しさまざまなファクターの影響を抽出した.その結果からいろいろなことが分かったのだが,いくつか挙げていこう.

既知の知見と,データ解析の結果の一致をみる(本手法の妥当性を検証)
・GC含量(配列中のグアニン-シトシンペアの割合)が高いと,変異率が下がる.
・H3K4me(DNAと結合しコンパクトにたたむためのヒストンタンパクのH3K4の位置のメチル化)はDNAの安定性を上げ変異率を下げる.
・シトシンのメチル化は,その部位の変異率を上げる.

新たに見えてきた知見
・遺伝子本体の変異率は低い.つまり,タンパク質の設計図そのものの位置の変異率は低く抑えられている.
遺伝子と遺伝子の間の部分に比べると,遺伝子本体部分の変異率は58%低い.
これはエピジェネティックな修飾が遺伝子部分によく行われていること,そのような修飾がされた部分ほどDNA損傷に対する修復が促進されていることと矛盾しない.
・イントロン(mRNAに転写されるが,そこで不要な部分として削除されるためタンパク質には影響しない部分)を多く持つ遺伝子は,変異率が低い.(一見無駄に見えるので)イントロンの役割には謎な部分が多いが,もしかしたら変異率の調節に役立っている?
・線形解析から得られたモデルから「変異率を下げる」と予想されるエピジェネティックな修飾が多数なされているものには,必須遺伝子が多い.

ということで,今回の解析から予想されていることとしては,「突然変異はランダムではなくて,生存に必要不可欠な場所では起こりにくいように,細胞自身がDNAを修飾してその起こる確率を制御してるのかもよ?」ということになろうか.
(正確に言うならば,DNAの損傷自体はそこそこランダムに起こるが,修復の起こりやすさをエピジェネティクスで制御することで結果として「変異しやすい部分」と「変異しにくい大事な部分」とを分けている)
最後に著者らは,エピジェネティクスがDNA(とそれが作るタンパク質)自体によって柔軟にコントロール可能であることから,突然変異の発生率・発生個所自体が,環境変化に応じて動的にコントロールされている可能性だってもしかしたらあるんじゃないの?という感じのこともほのめかしている.
例えばの話ではあるが,厳しい環境変化が起きたときにはあえて突然変異率を上げて対応可能な種が生まれる可能性に賭けている,という可能性だってあるかもしれないわけだ.
このあたりの,まさに今伸びている研究分野はいろいろ面白いことが出てきてよいですね.(2022.2.10)

 

235. 1000 ℃以上でもライデンフロスト効果を抑制できる表面構造の開発

"Inhibiting the Leidenfrost effect above 1000 ℃ for sustained thermal cooling"
M. Jiang et al., Nature, 601, 568-572 (2022).

非常に高温なものをできるだけ急いで冷やしたい,というのは産業界では非常によくある状況である.そんな時に安価かつ手軽に急冷できる手段の代表例は「水をかける」というものになるだろう.とはいうものの水もタダではないし大量の水を使うのも効率が悪いわけで,少量の水を表面に勢いよく吹き付け冷却する,というような手段がしばしば用いられている.そんな冷却において問題になるのが,ライデンフロスト効果である.
ライデンフロスト効果は日常生活でも目にすることがあるのでご存じの方も多いことだろう.熱したフライパンなど十分高温な物体に液滴が触れたとき,急激な蒸発により発生した気体が液滴を包み込んでしまい,液滴への熱伝導が激減するという現象である.前述のフライパンで言えば,十分熱したフライパンに少量の水を注ぐと丸っこい水滴がフライパンの上を転がり続け,なかなか蒸発しない現象として目撃される.このとき水滴は底部から蒸発する水蒸気によって浮かんでおり,(当然少しずつは蒸発するものの)熱したフライパンに水が接触している場合と比べるとその気化する速度は非常に遅くなる.水冷されている物体の表面でライデンフロスト効果が発生してしまえば,冷却効率は(文字通り)桁違いに悪くなるため,高温の物体でどのようにライデンフロスト効果を抑制するか,というのは重要なポイントとなる.なお,このライデンフロスト効果が起こり始める温度をライデンフロスト点と呼ぶ(※場合によっては,ライデンフロスト効果が一番強くなる温度をライデンフロスト点と呼ぶ場合もあり,定義・用語の使用にやや混乱が見られる).

ライデンフロスト効果を抑制するには,液体の方に手を加える(粘性や表面張力,固体表面への濡れ性の調節)や,熱せられている物体の表面に手を加えるかの2つの方法がある.冷却液に何かを加える,という前者の手法は手軽ではあるのだが非常に高温の物体では添加物が分解したり,また大量に冷却水を使う用途ではコストもかかるし環境負荷も高い.決まった対象(例えば何度も加熱・冷却を繰り返す炉や型など)でのライデンフロスト効果の防止としては,表面加工によりライデンフロスト効果を防止する手法が望ましい.
そういった表面加工はこれまでもいくつか考案されていて,例えばサブミクロン〜ミクロンレベルの細かい溝などの微細構造を作成しておくと,液滴から発生した蒸気がその溝に沿って逃げることでライデンフロスト効果を抑制できると報告されており,もともと200 ℃程度だったライデンフロスト点を570 ℃にまで上昇させることに成功している(=これだけ高い温度の表面でもライデンフロスト効果を発生させずに水冷できる).
今回の論文が報告しているのは,こう言った微細な表面構造にさらにプラスして,断熱性の高い不織布的な構造を溝部分に押し込むとさらに高温までライデンフロスト効果を発生させないことが可能で,ライデンフロスト点を1000 ℃以上にまで高めることができた,というものである.

まずは著者らの作成した構造を見ていただこう.論文のExtended Data Fig. 1にその作成法と構造の模式図が載っているのでご覧いただきたい.
まずは高温になる物体の表面に縦横に0.3 mm程度の溝を彫る(Fig. 1a).この表面部分は熱伝導性の高い物質であるので,彫った結果残った無数の柱状構造は,熱伝導性の高い高温になる柱,として振る舞う.
続いて熱伝導性の低いガラス繊維でできた不織布(Fig 1b)を用意し,これを溝を彫った表面に乗せたら物体表面の凹凸にぴったり合うように成型した樹脂を押し付け,800 ℃で焼結する(Fig 1cの左から2つ目).すると不織布が物体表面の溝部分に押し込まれた状態で固定される(Fig. 1cの左から3つめ).このとき,不織布を溝の底まで押し込みすぎない(溝の底部分に少しスペースが残っている)ことが重要である(構造はExtended Data Fig. 5がわかりやすい).これで表面加工は完成となる.
加熱された物体のこの表面に水滴が降り注ぐと,まずはガラスの不織布に水滴がしみ込む.そもそもガラスと水は親和性が高いうえに,不織布部分は熱伝導性が悪いため水によりすぐ冷却されるので,水滴は液体のまま不織布にしみ込むことができる.しみ込んだ水は不織布内を拡散し,突き出た高温の柱に接触する.高温の表面に触れた水は瞬時に気化するが,不織布の下側(溝の底の方)には空間が残っているため,水蒸気はこの溝を通って迅速に逃げることでライデンフロスト効果を防止する.濡れぞうきんを押し付けつつ蒸気を迅速に逃がす,というような構造である.

ではこの構造の威力を見ていこう.
縦横に溝を掘っただけの基板,そこに不織布を埋め込むが溝の底まで押し込んでしまった基板,今回作成した基板の3種を用意し1000 ℃に加熱,そこに水滴(見やすいように赤く着色,体積は17 μl)を落とした際の挙動が動画で紹介されている
単に溝を彫っただけの基板(左)ではライデンフロスト効果により水滴がはじかれてしまい,そのまま水滴はころころと転がっており基板の熱が水滴にあまり伝わっていないことがわかる.この場合,水滴が蒸発しきるまでにかかった時間は17秒だそうだ.不織布を底まで押し込んだもの(中央)では一部はしみ込んで沸騰することにより基板の熱を奪うが,やはり大部分はライデンフロスト効果により基板から浮いてしまっている.こちらの蒸発にかかった時間は13秒と,わずかに改善したもののやはり熱伝導は遅い.一方,今回作成された基板(右)では,水滴が不織布部分に迅速にしみ込みながら沸騰しており,熱を効率的に奪っていることがわかる.こちらでは水滴が揮発するまでの時間はわずか0.33秒と,ただの溝に比べ50倍以上の速度で熱を奪っている.
続いては同様の実験を液体窒素で行った動画だ.こちらは室温(30 ℃)の単なる溝(左),室温(中央)および1000 ℃(右)の今回の構造での比較となる.ただの溝では液体窒素がライデンフロスト効果により浮いてしまっておりなかなか揮発しないのに対し,今回作成した構造では基板から急激に熱を奪い一気に気化していく様子がわかる(1000 ℃ではさすがに沸騰が激しすぎて飛び跳ねてはいるが).

ではこの構造でどのぐらいの温度までライデンフロスト効果を抑制できるのか,だが,著者らは温度を変えながら水滴が揮発するのにかかる時間を測定しており,その結果不織布部分が融解してしまう直前の温度である1150 ℃まで効果を発揮することを報告している(Extended Data Figure 3).グラフの縦軸は液滴の寿命であり,値が大きいほど液滴に熱が十分伝わっていない=うまく冷却でいないことを意味している.既知の構造では温度が上がるとあるところで液滴寿命が一気に増加するところが見受けられる(例えば黒い■のデータは,300 ℃前後から値が増加していく).これはある温度以上でライデンフロスト効果により水滴が浮いてしまい,基板の冷却がうまくいかなくなっていることを示す.
それに対し今回の構造(赤●)では,温度が増加しても液滴寿命は延びず,1150 ℃まで低い値(=十分に熱を奪っている状態)を保っている.

実際に十分に熱した物体の冷却を行ってみた様子がSupplementary Video 3になる.左は単に縦横に溝を彫っただけの鉄の基板(40×40×10 mm3),右は同じサイズの鉄の基板の表面に今回の構造を作りこんだものになる.左の試料は水を滴下しても水滴がはじかれてしまいなかなか冷えないのに対し,右の試料ではみるみる温度が低下していく様子がわかる.

今回の構造は,比較的安価に作成することも可能である.著者らがExtended Data Fig. 9で示しているように,放電加工機を用いることである程度の面積に一気に溝を彫ることが可能であるし,曲面に溝を作成することもできる(型彫り放電加工でも行ける気はする).
高温物体の冷却で実際にどのぐらいライデンフロスト効果が問題になっているのかはちょっと専門外なのでわからないが,興味深い研究である.(2022.1.31)

 

234. 階層的複合材料を用いた放射冷却布地

"Hierarchical-morphology metafabric for scalable passive daytime radiative cooling"
S. Zeng et al., Science, 373, 692-696 (2021).

昨今何かと話題の武漢にある華中科学技術大学などのグループによる研究.この大学は光関連でいろいろな研究を行っており,今回の論文もそのような研究の一つとなる.

近年,温暖化の加速やら計算機の消費電力の増大やら省エネやらの流れやらを受け,パッシブな冷却技術が注目を集めている.パッシブな冷却技術というのは要するに外部から強制的に冷却するのではなく,熱源自体からの放射を促進したりして放熱を増やす技術であるが,その中でも特にここ最近研究が進んでいるのが紫外〜可視領域の光を反射しつつ,赤外線を効率よく輻射するような素材である.
よく知られたように,太陽から降り注ぐ光のエネルギーはおよそ6000 Kの物体からの黒体輻射(が,大気などにより吸収・減衰されたもの)に近く,波長で言うと500 nm付近(緑色付近)にピークを持つ.これに対し地上にある「熱い」物体(と言っても炎だとかそういうものではなく,稼働している機械や電子機器などの表面温度)は数十℃程度であり,そこからの熱放射のピーク波長は数 μm程度の赤外領域になる.さらに大気は波長0.2〜5.5 μmあたりと8〜14 μmあたりの赤外線をよく通すので(5.5〜8 μmは水蒸気がかなり吸収する),「紫外〜可視領域の光をよく反射し,赤外領域の光をよく放射するような材料」で物体の表面を覆ってやると,外部からの(輻射による)熱流入を防ぎつつ,物体の熱を輻射により冷たい宇宙へと捨てる=冷却することが可能になる.要するに,冬場に話題に出る放射冷却を使って物体を冷やすことが可能になるわけだ.

このような冷却法は何も現代科学の専売特許でも何でもなく,昔紹介したシルバーアントのように生物も利用していることが知られている.これら生物は可視光の波長と同程度の構造を表面に作り,波長の短い可視・紫外光にとっては乱雑な表面に見えるため大きく散乱される(=外界からの光を反射する)が,もっと波長の長い赤外光にとっては凹凸が細か過ぎて連続体に近似されるため(※)散乱されず,内部からの熱輻射が効率的に外部に透過していく,という現象を引き起こしている.このため,表面に可視光の波長程度の微細構造を作りこめば放射冷却により外気温よりもさらに低温に冷却できることが知られている(ただしもちろん,熱の捨て先である宇宙空間よりは高温であるので,熱力学の基本法則は破らない).

※対象物が光の波長よりも細かくなってくると,光の波動性により対象物の裏側に波が回り込む効果により波が透過していってしまう.単純に言ってしまうと,光にとってみれば波長より細かい構造は「ぼやけてよく見えない」ため,ピンボケ画像のように「周囲と平均化した物体」の中を進んでいるのと同じように振る舞う.

さてそんなパッシブ冷却技術であるが,ナノ構造を作る,という点を考えると量産性や耐久性,コスト面に難があった.今回報告されたのはそんなパッシブ冷却技術を利用できる「布」である.この布は既存の技術により十分低コストで量産可能で,加工性や強度も通常の布と同等,さらに数十回以上の洗濯にも耐える耐久性が報告されている.

著者らが作成したのは,紫外線を反射するPTFEフィルムと,可視光を反射する酸化チタンの微粒子,それに赤外線を効率よく放射できる熱可塑性樹脂であるポリ乳酸(PLA.最近では3Dプリンタでもよく用いられている)からなる複合材料である.まずPLAを加熱溶融し,そこに直径200〜1000 nm程度の酸化チタンの微粒子をよく混ぜ込む.この混合物を細い穴から射出・冷却することで,PLA中に酸化チタン微粒子が分散した糸を得ることができる(いわゆる一般的な溶融紡糸).この糸で通常通り布を織り,布の片面の表面をPTFE(いわゆるテフロンと同じ)のフィルムでコーティングする.PTFEフィルムのコーティングも繊維業界でよく行われている加工手段であり,衣類等に防水性を持たせる,などの用途でよく用いられている.このPTFEフィルム,製造段階で引き延ばして薄くすることで作成されているのだが,この時引き延ばされることで微視的には細い糸状のPTFEがつながったようなポーラスな構造となっており(Supplementary MaterialsのFig. S1,こういった構造は,浄水器に用いられている中空糸膜でもよく見られる),短めの波長の光をよく散乱する.糸本体を形成しているPLAはC=O二重結合やC-O単結合を多数含んでおり,これらの結合の振動に由来して赤外領域で強い吸収を示す.光の吸収と放出は逆過程であるため,ある波長の光を吸収しやすい=(高温時に)その波長の光を放出しやすい,である.赤外域に強い吸収を持つPLAは,熱による赤外線を放出しやすい,ということでもある.

そんなわけで,作成された布は以下のように階層的な構造をもつ.
・表層:PTFEのシート.数百 nm程度の細いPTFE繊維でできており,紫外〜可視をよく散乱
・糸本体:PLA.赤外をよく吸収・放出するが,可視光は透過
・糸内部:酸化チタンの微粒子.可視付近の光をよく散乱
この布に太陽光が当たると,紫外はPTFEコーティングで散乱され,可視領域はPLA製の糸本体に埋め込まれている酸化チタンで散乱され,布の裏側にはほとんど光が入ってこない(=太陽光で加熱されない).一方,この布で覆われた物体から伝わってきた熱はPLAによって赤外線に変換され放出,PTFEや酸化チタン微粒子のサイズは赤外輻射の波長に比べると十分小さいため(赤外線にとっては)連続体に見えるためほぼ散乱されず,そのまま効率的に外部に出ていき輻射による冷却が機能する,という設計だ.

では実際にそううまくいくのかを実験結果を見ていこう.最初は糸や布としての物理特性である.
作成された糸であるが,十分な柔軟性と強度を備えているため,通常の加工を行うことができる.例えばSupplementary Materialsの動画1ではミシン糸として使用して通常の布地が縫えることや,動画2ではこの複合糸を織ることで長い布地を容易に作成できることが示されている.
続いては,この糸を使って作られた布地の性質である.いくら冷却に優れていても,強度が落ちるとか使いにくいのでは利用できない.著者らが作成した布は,硬さ(力を加えたときにどのぐらい伸びにくいか)に関しては綿やリネンの倍程度,Spandex(よく伸びるポリウレタン樹脂.水着などに使われているらしい)やシフォン生地や市販のUVカット生地(実験で使われているのは,例えばNorth Faceのナイロン製の商品など)と同等の強度であった.伸びに関しては,さすがに水着にも使われるSpandexに比べると伸びないが,綿よりは良く伸びる,といったぐらいが.まあ総じて,酸化チタンの微粒子を練りこんでも市販されている布地と同程度の強度と伸びは維持されている.
なお,衣類として使用する場合には通気性も重要となるが,PTFEコーティングしてあるもののある程度の通気性は維持されており,布地を通して空気が十分に抜ける様子なども実験として掲載されている.耐久性に関しては,50回洗濯しても酸化チタンの含有量や光の反射率がほとんど変化しない様子が示されており,まあ実用的な耐久性はありそうだ.

ではいよいよ,放熱性能を見ていこう.
反射率と放射率(理想的な黒体と比べ,どの程度その波長の光を放射できるか,という比)の測定結果である.この布地の測定結果では,300 nm〜1.5 μmの可視〜近赤外領域で反射率が90%以上程度となっており,可視光をよく反射することがわかる.一方,波長が2 μmを超えたあたりから反射率は急減(そして放射率は急上昇)し,5 μm以上当たりでは反射率はほぼ5〜10 %以下,放射率は90%付近となっている.設計通り,「紫外から可視領域はよく反射し,赤外線をよく放出する素材」となっているわけだ.
実際の放熱効果はどうだろうか?
温度モニタ用に熱電対を埋め込んだ銅板の表面にこの布地を載せ,快晴の屋外で温度を測定した.日が沈んでいる夜間では,外気温が10〜16 ℃なのに対し,上にこの布地を載せた銅板の温度はそれよりもコンスタントに8 ℃ほど低い2〜8 ℃で推移した.放射冷却の効果である.一方日中になり直射日光を受けるようになるとこの差は徐々に縮むが,最も日照の厳しい12時過ぎあたりでも,外気温より2 ℃以上低い温度となっていた.
続いて,人間が着用した時を模して,体温がわりのヒーターを仕込んだ模造皮膚を用意し,その上に今回作成した放熱用布地や既存の布地を載せたものを直射日光の当たる屋外に設置,温度変化をモニターした.何も布地を載せていない状況だと,温度は徐々に上昇し13時ごろに41〜42 ℃ぐらいにまで達した.これはかなり暑い.では現在市販されている通常の布地(色はどれもほぼ白色)を載せるとどうかというと,直射日光を受けるよりはましなものの,どの布地の場合でも正午ごろには38〜40 ℃程度とかなり高温になってしまっている.一方,今回開発された複合素材の布地だが,最高で33 ℃程度と既存の布地よりも(模擬)体表温度を5〜7 ℃ほど低く保つことができている.

最後の実験として著者らは,実際にこの布地でできた服を被験者に着せ,その体表温度の測定も行っている.向かって右半分(被験者の左半身側)がこの布地で,左半分が通常の綿でできたシャツを着せ,30分直射日光を浴びてもらい,その際の温度変化をモニタした,というものだ.実験結果は動画を見てもらうのが良いが,直射日光化で明らかに右側(今回作成した布地側)の温度が低くなっている.これだけだと「単に布の断熱性が高く,熱が中にこもって外に出てきてないだけ」という可能性もあるが,動画の最後できちんとシャツを脱がせて内部の温度を比較している.シャツを脱いだ時の体表温度も明らかに今回の布地側の方が低く,輻射による冷却が効果的に効いていることがわかる.綿のシャツと比較して,3 ℃以上冷えているそうだ.
同様の実験を,自動車用のミニチュア(長さ15 cmぐらい)とそこにかけるカバーでも行っている.黒い模型を炎天下で90分放置したところ,カバー無しだと温度が60 ℃以上にまで上昇している.銀色のカバーをかけても90分後の温度は3 ℃ほど低いぐらいで,その温度にはあまり差がない(熱くなるまでの時間は伸びるが,銀色のカバーは赤外線の放射も少ないため,熱伝導などにより徐々に温度が上がると放熱が進まず,結局最終的には熱くなる).それに対し今回の布地でカバーした模型は30 ℃程度と,カバー無しに比べ30 ℃も低い結果となっていた.

そんなわけで,お手軽に作れるわりに丈夫で使い勝手の良い放熱性繊維の研究であった.
人が着て3〜5 ℃程度低い,というのがどのぐらいありがたいのかいまいちよくわからないが,コスト次第ではありかもしれない.(2021.8.16)

 

233. 電子をドープされた水は金色の金属になる

"Spectroscopic evidence for a gold-coloured metallic water solution"
P. E. Mason et al., Nature, 595, 673-676 (2021).

この研究グループ,およそ6年前に紹介した「水にアルカリ金属入れた時の爆発を超高速カメラで見てみようぜ!」って研究をやったところらしい.どれだけアルカリ金属好きなんだ…….
ともあれ著者らは以前に「アルカリ金属の液滴を水に突っ込むと爆発するが,それはなぜか?」というのを超高速度カメラで研究したのだが,結論として「アルカリ金属から水に一気に電子がドープされアルカリ金属の塊が一気に高価数化,イオンの反発力によりウニ状にとげが飛び出し,表面積が増えて反応速度が爆発的に上昇して吹っ飛ぶ」ということを明らかにしている.この時ついでに発見したのが,一気に水にドープされた電子が,溶媒和電子として存在し,「青い水」が(一瞬だけ)できる,というものである.
溶媒和電子というのは,電子がまるで陰イオンであるかのように溶液に溶け込んだものであり,最もよく知られた例は金属ナトリウムなどのアルカリ金属を液体アンモニア中に入れたものであろう.
食塩を水に溶かすとNa+とCl-に解離し,それぞれが溶媒和されて溶け込む.液体アンモニア中にアルカリ金属,例えば金属Naを入れると,Na+とむき出しの電子であるe-に乖離し,それぞれをアンモニア分子が包み込むことで均一な溶液となる.この溶液中では電子が独立した「陰イオン」として動き回っており(周囲に溶媒和したアンモニアがまとわりついているが,それはまあイオンの水溶液でも同じことだ),溶媒和電子に由来するきれいな青い色合いを示す.溶媒和電子が元のアルカリ金属から完全に解離していることの一つの証明がこの色であり,どんなアルカリ金属を使っても全く同じ色合いの溶液が得られることが知られている(つまり,色を示している「電子」がアルカリ金属から完全に乖離していることを示唆する).

さてそんな溶媒和電子であるが,(私も寡聞にして知らなかったが)実は溶液中での濃度を上げていくと金属化することが知られているらしい.どういうことかというと,低濃度のうちは溶媒和電子は溶液中の隙間をホッピングしながら移動するような感じなのだが,液体中での電子の濃度が上がってくると互いの波動関数が重なり合い,ついには非局在化して金属伝導を示すようになる,ということらしい.
考え方としては水銀などと同じような液体金属の仲間,と思えばよいのだろうが,溶液中の電子が金属化する,というのは何とも面白い.
※なお,液体金属の伝導を理論化するのは非常に難しく,現在でもさまざまな試みが行われている.これは液体中では結晶と異なり構造の周期性がなくなるため,一般的な固体電子論で使われる「周期性を前提とした各種の近似や取り扱い」ができなくなるためである.

さてそんな「溶媒和電子の金属化」だが,理論的には水でも起こると言われていたらしい.ただ残念ながら水分子は分解しやすいため,水にアルカリ金属を入れると水素を発しながら分解し,単なる水酸化物に変化してしまう.
今回の報告はそんな「水中の溶媒和電子による金属化」にチャレンジし,見事成し遂げた,というものである.

著者らが用いた手法は以下のようになる.まず,NaとKの1:1の合金を用意する.これは融点が室温以下の液体金属であり,ノズルなどを用いて容易に移動させることができる.ここにいきなり水を付けると単に吹っ飛んでしまうので,著者らは真空チャンバーを用意し,そこに10-4 mbar(およそ1000万分の1気圧)という微妙な圧力で水蒸気を導入した.この圧力,もちろん日常的な感覚からは非常に低圧なのだが,真空を扱っている人間から見ると結構高めな圧力である.実は今回の実験,この圧力が肝となっている.
そんな「そこそこの圧力の水蒸気」が詰まった真空チャンバーの中の天井部分にセットしたノズルの先端から,NaK合金をゆっくりと押し出す.するとNaKの液滴が生成し,その表面に水分子が薄く堆積する.この水の薄層に対しNaKの液滴から電子が急激に移動し,溶媒和電子を作り出すわけだ.
さて,先ほど「水とアルカリ金属は反応して水酸化物になってしまう」という話をした.実はこの実験でも,徐々に水の分解が起こり「溶媒和電子のいる水」→「水が分解した水酸化物の溶液」に変化していくのだが,実はこの反応がそこまで早くないのだ.このため,NaK液滴の表面に水の薄層が生成する時間が十分早ければ,分解して水酸化物になってしまう前に十分な量の溶媒和電子を生成するチャンスがある.
実験の説明のところで「意外に高い圧力の水蒸気」だということを書いたが,それがここで効いてくる.実は類似の実験は過去にも行われているのだが,そこでは水蒸気圧が低すぎ,十分な水の層ができるまでの時間がかかりすぎていて,そのため溶媒和電子が十分生成するよりも前に,水の分解反応が起こってしまっていた(ということが,今回の実験結果から推測できる).

というわけで実験の流れをまとめると,
・真空チャンバー内に程よい水蒸気を入れておく
・NaK合金をノズルから押し出し,液滴を作る
・表面に水が吸着し,溶媒和電子をふんだんに含んだ水の薄層が生成
・素早くカメラ&分光学的手段で観察
・徐々に分解して水酸化物の層が出てくるので,新しいNaKを押し出して古い液滴は落下させる
・新しいNaK液滴で同じことを繰り返せる
という感じになる.液体金属の良いところは,次から次へと新しい液滴を押し出せるので,何度も継続して実験が行え,再現性も確認できるという点であろう.

では実験結果を見てみよう.Supplementary Informationとして公開されている動画の8分20秒あたりからが実際の実験の様子で,10分18秒あたりからの様子が,水蒸気の存在下でNaKの液滴を発生させたときの様子である.10分38秒あたりからの拡大画像だとよくわかるだろうか.
NaK自体は銀白色の金属なのだが,水蒸気に触れるとその表面に金色の薄い膜が生じることが見て取れる.この「金色」こそが,水に溶媒和した電子による金属伝導により生じたものになる.この溶媒和電子,意外に長い寿命を持っており,5秒程度は安定に存在できている(水中での溶媒和電子がここまで長いこともつとは思わなかった).その後徐々に水が分解していき,最後には水酸化物(を多量に含んだ水)の層に変化してしまう.

さてそんな感じで十分長い時間溶媒和電子が存在しているので,著者らはチャンバーの窓から内部の分光を行っている. 反射率の測定からはまず,2.74 eV(452 nmに相当)のところに,半値幅0.59 eVのプラズモンによると思われる吸収が確認された.これが金色の由来である.
著者らはさらに研究を進めるため,放射光を用いた光電子分光も行っている.その結果,フェルミエネルギー付近にNaKより幅の狭いバンドが確認され,これが水中で金属伝導を示す溶媒和電子に由来するものだと考えられる.水の薄膜が非常に薄いため,その下にあるNaK由来の光電子も観測され,さらに深いエネルギー側では水の分子軌道由来の電子も見えてくる.測定結果を複数のピークに分解してやると,ほぼ自由電子であるNaKのバンド + ほぼ自由電子である溶媒和電子のやや幅の狭いバンド + 溶媒和電子のプラズモン + NaKのプラズモン + 水分子/水酸化物由来の電子,という少数のピークで測定結果を完全に再現できることが判明した.さらに溶媒和電子のバンド由来のピークの強度からドープされている自由電子量を見積もることが可能で,その量はおよそ5×1021 cm-3となった.このドープ量は,18 mol%程度に当たり,ほぼ限界に近いドープ量ではないかと著者らは述べている(大雑把な理論予測では,20 mol%あたりが限界とみられている).また液体アンモニア中の溶媒和電子が1〜5 mol%の溶媒和電子で金属化することを踏まえると,水中の溶媒和電子が金属化していても全く不思議ではないキャリア濃度と言える.

そんなわけで,意外に単純な方法で再現性良く作製できる,水中での金属化した溶媒和電子の実験法であった.著者らも述べているようにこれは速報であり,実験の容易さなども踏まえれば今後これを用いた各種の分析が進められる可能性も高い.水中での溶媒和電子の挙動についての知見が深まる日も近いかもしれない.(2021.8.6)

 

232. トリニティ実験の遺物:(現時点で)現存する最古の人造準結晶

"Accidental synthesis of a previously unknown quasicrystal in the first atomic bomb test"
L. Bindi et al., Proc. Natl Acad. Sci., 118, e2101350118 (2021).

NatureのNews経由.
世の中には,数多くの結晶が存在する.結晶中は単位格子と呼ばれる基本構造をもち,同じ構造がa,b,cの3軸方向に繰り返し周期的に並べられたもの(=並進対称性を持つもの)である.3次元空間を同じ形状・同じ向きの立体(=単位格子)で埋め尽くすことを求めると,単位格子として許される構造はわずか7つ(三斜晶系,単斜晶系,斜方晶系,正方晶系,六方晶系,菱面体晶系,立方晶系)しか存在しない.

※さらに「単位格子内にどのような対称性が可能か」というところまで考慮すると,3次元空間内では230種類の対称性が許される.この230種類の対称性は空間群と呼ばれる.

さてそんな「周期的に原子が並んだ構造」に電子線やX線をあてると,周期構造により散乱された波が特定の方向でのみ強め合い,鋭いピークを示す方向が現れる.これを回折と呼び,X線構造解析の基礎ともなっている現象である.回折パターンは結晶格子の対称性を反映しており,結晶(=特定の構造が並進対称性で空間を埋め尽くしたもの)に許される対称性から,回折パターンは2回対称(1/2回転=180度回転で同じ図形になる),3回対称(同1/3回転で同じ図形になる),4回対称,6回対称しかありえないことが数学的に示される.
では結晶のように周期性を持たない,例えばランダムな構造ならどうなるかというと,結晶で見られるような鋭い回折ピークはなく,幅広いボヤっとした散乱が見られるだけである.このような場合をアモルファスであるという.
準結晶が発見されるまでは,物質は結晶であるのかランダム(アモルファス)であるのかどちらかであり(※もちろん,部分的にランダムな質の悪い結晶といった中間的なものもあるが),熱的な安定相は結晶である(=ガラスのようなアモルファスの構造は,単に十分安定状態に緩和できていない準安定相であり,無限の時間のうちには最安定な結晶構造へと遷移していく),と信じられていた.
長距離での周期性がどの程度きれいに成り立っているか(=どのぐらいズレやゆがみが少ない結晶であるか)は回折スポットの鋭さから評価することができる.理想的には無限の周期性がある場合の回折スポットはデルタ関数的な幅のほとんどないピークとして得られ(※実際には,装置の限界やあてる光の回折限界により有限のスポット幅を持つ),結晶中の乱れが大きくなるほどピーク幅は広がっていく.

さてそんな常識があった固体科学の分野に,衝撃的な報告がなされたのが1984年である.Shechtman(この発見と関連する研究により2011年のノーベル化学賞を受賞)が,溶融状態から急冷した準安定相のAl-Mnを電子顕微鏡で観察したところ,明瞭な「5回対称」の回折像を示す粒子が発見されたのだ.前述の通り,数学的には5回対称を持つ結晶(=同一の格子の繰り返し構造)はあり得ない.つまり,この粒子は結晶ではない.にもかかわらず,結晶と見まごうばかりのシャープな回折ピーク(=長距離での規則性)を示したのだ.
この発見は非常に大きな議論を呼び(何せ普通に考えればあり得ない回折パターンなのだから,複数の違う方向を向いた結晶がくっついていてたまたま5回対称をもつ可能ように見えた,と考えるほうが普通だ),幅広い研究が行われるようになる.

※実際,もっと以前から5回対称や10回対称などの「奇妙な」回折パターンを示す実験結果は見られていたが,複数の結晶が融合していたり(双晶)のせいだとか,よくわからんがどうにも説明できないからお蔵入り,といった結果をたどっていた(と,あとからわかった).

その結果,こういった「奇妙な」回折パターンを示す物質は一種類の単位格子が並んだものではなく,複数種類の格子を組み合わせることで,「(3次元空間内では)並進的な周期性は成り立っていないけれど,ある種の規則性はあるとみなせる構造」を持つ物質であることが明らかとなってきた.

※例えば
http://math.tsukuba.ac.jp/~akiyama/papers/proc/shechtmanfin.pdf
https://www.phys.chuo-u.ac.jp/labs/ishii/class/modernphys.pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/seisankenkyu/66/5/66_481/_pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/materia1962/29/10/29_10_778/_pdf
ペンローズタイルなどは代表的な非周期的だが鋭い回折ピークを示す空間充填法である.
なお,多くの準結晶の原子配列は「(4次元以上の)n次元の結晶(=n個の直交する軸方向に,周期的に単位格子が並ぶ)を変な角度で薄く切り出し,それを3次元に射影した」構造とみなすこともできる.変な角度ではなくキリの良い角度で切り出せば,通常の結晶となる.

さてそんな準結晶であるが,固体物性の面からはいくつか興味深い可能性が指摘されている.準結晶は周期構造をもたないので,古典的なバンド理論や,同じく格子振動(フォノン)に関する理論が適用できない.実験的にも,Al系の準結晶などで異様に低い伝導度と熱伝導度や,半導体化のように温度上昇により低下する抵抗など奇妙な現象が報告されている.電子状態が奇妙ということは,例えば変わった触媒特性などが出る可能性もある.
また機械的な強度に関しても,通常の金属とは違い周期性が無いことから,塑性変形につきものの格子のズレによる欠陥の移動が不可能となるため,母体となった金属よりも硬くてもろいという違いが知られている.

そんなわけで面白い物性や現象が隠れている(可能性がある)準結晶なのだが,これまでに作成されているほとんどの準結晶は合金ベースのものであり,特に半導体や絶縁体の準結晶は(記憶が確かならば)得られていない.合金に限らず,もっとさまざまな元素を含むような準結晶は作れないのだろうか?
そんな可能性を秘めた一つの方法が,超高温・高圧をサンプルに与え瞬間的に冷却,通常では生じないような「奇妙な」構造を固定してしまうという手法である.今回の筆頭著者であるBindiはかつて,隕石の衝突により生じた岩石(これは当然,超高温・高圧の状態から冷却されてできている)の中に準結晶を発見した.同様に,加速した試料を衝突させるなどの瞬間的な高温・高圧のインパクトから,通常の合金とは違った組成の準結晶を作れることが明らかとなっている.

そんな背景のなか,今回著者らが注目したのがトリニタイトである.
トリニタイトは非常に有名な岩石であり,歴史的にも大きな意味を持つ人造岩石だ.これが何かというと,トリニティ実験,つまり1945年に行われた世界初の核実験で生じた岩石となる.当時アメリカが開発していた核兵器はウランを用いたガンバレル型(いわゆるリトルボーイとして完成)と,プルトニウムを用いた爆縮型(いわゆるファットマンとして完成)の2つであった.ウラン235は高純度のものが得られるため単純な構造で核兵器となるが,ウラン235の量産が難しい.一方のプルトニウムは原子炉で量産可能なもののプルトニウム240の混入が避けられず,ガンバレル型では不完全な爆発となるため構造の難しい爆縮型とせざるを得ない.
当時の開発陣はガンバレル型の核兵器は実験不要だと判断したものの,爆縮型の核兵器は実際に起爆できるか実験が不可欠であると判断,ニューメキシコ州において世界初の核実験であるトリニティ実験が実施された.
地上約30 mの位置で起爆された"The gadget"は瞬時に周囲を高温に包み,不可さ1.4 m,幅80 mのクレーターを生成した.高温により蒸発した砂漠の砂(主成分は二酸化ケイ素などである)や鉄塔,起爆信号を伝える銅ケーブルなどは混然一体となって蒸発し,大気中で急冷されガラス質の人工鉱物であるトリニタイトとなった.
雑多な原料の蒸気からの急冷……まさに著者らの求める「極端条件下での試料生成」に他ならない.

今回著者らは,トリニタイトの中でも異質な赤いトリニタイトを分析した.通常のトリニタイトはほぼ二酸化ケイ素からなる薄緑色のガラスなのだが,この赤いトリニタイトはまさに爆心地にあった銅ケーブル由来の銅を多く含むトリニタイトであり,その赤い色は酸化銅に由来している.著者らは試料を薄くスライスし,電顕を用いて分析を行った.試料中にはさまざまな組成の物質が含まれていたが,その中に10 μmほどのSi-Cu-Caを主成分とした未知の組成の粒子を発見した.
この粒子の電子線回折像は明確に正二十面体の対称性を示し,準結晶であることがわかる.試料の組成を分析したところ,おおよそ100分率でSi61Cu30Ca7Fe2と,Siを主成分としおもにSi-Cu-Caからなる準結晶であることが判明した.
Siを主成分とした準結晶は初めて見つかったものであり,新たな物質群への扉を開くものだといえる.

※試料に電子線を当て,励起原子から出てくる特性X線の波長と強度を調べることで,どの元素がどの程度いるかがわかる.ただし,元素分析としての精度はそこまで高くはないので「大まかに組成がわかる」程度に思っておいたほうが無難.

さてこの準結晶,どの程度の温度・圧力の下で合成されたものなのだろうか?
トリニティ実験での周辺温度は8000℃程度だそうだが,過去のトリニタイトの研究からこれらの岩石が生成された温度はおよそ1500℃,5〜8 GPa程度だと考えられているらしい.この値は,隕石衝突時に生成される岩石と同等程度の温度・圧力であり,一般的な合金系での準結晶生成温度とはかけ離れている(それだけ面白い組成のものができる可能性がある).
隕石の衝突に関しては高速衝突実験などで模擬されているため,もしかしたら今回見つかったのと類似の(もしくはそれをベースに,もっといろいろな)準結晶を生成することも可能かもしれない.

著者らは「こういった特殊な条件でしかできない特異な鉱物が,各実験などをあとから突き止めるための,核鑑識とでもいうようなものの証拠にもなるかもね」とか書いているが,正直準結晶をそういった目的に使うのはまあ無理だろう(ゴロゴロできるもんでもないだろうし……).また応用面など考えても,なかなか微妙なところもある.
とは言えまあ,歴史的な遺物から,(現在残っていて,確認された中では最古の)人造準結晶が見つかった,というのはなんとなくキャッチ―ではある.(2021.5.31)

 

231. DNAにおける5番目の塩基Zの合成経路

A widespread pathway for substitution of adenine by diaminopurine in phage genomes
Y Zhou et al., Science, 372, 512-516 (2021).

および

A third purine biosynthetic pathway encoded by aminoadenine-based viral DNA genomes D. Sleiman et al., Science, 372, 516-520 (2021).

地球上の生物のDNAは4種類の核酸塩基A(アデニン),G(グアニン),C(シトシン),T(チミン)が結合したヌクレオチドの連なりとして構成されており,AはTと2本の水素結合で結び付き,CはGと3本の水素結合で結び付くことで塩基対を作る.これによりDNAは安定な二本鎖構造を形成,遺伝情報を保持することができる.

※なお,RNAではTの代わりにU(ウラシル)が使用される.

さてこの核酸塩基,RNAへと転写され発現する際などに酵素により化学修飾を受けることも多く,核酸塩基(修飾塩基)の種類は実際には4種類どころか100を超えることが知られている.また,DNAの特定部分の発現を抑えるためなど発現を制御するメカニズムとして,一部の塩基をメチル化するなどの化学修飾が行われることも知られている.
とまあ,4種類に限られない核酸塩基ではあるが,それら修飾塩基は基本的にはRNAとして情報を伝達する途中での修飾であるとか,一時的な発現の制御であるといった例外的なもので,生物のDNAは基本的には上記の4種の塩基でできていると言える.

……と今まで思っていたのだが,今回の2本の論文によると,そうではないことが昔から知られていたらしい.
1977年にKirnosらが報告したところによると,シアノファージ(シアノバクテリアに感染するファージ)の一種であるS-2Lにおいては,ほぼすべてのAが,もう一つアミノ基が導入された別種の塩基(Z)に置き換わっているのだそうな.つまり,通常の生物がAGCTの4文字を使ってDNAを作っているのに対し,S-2LはZGCTという4文字でDNAが構築されていることになる.
このZ塩基,Aのピリミジン環(窒素原子を2つ含む環)の一つ残っているC-Hを,C-NH2で置換したものとなっており,分子構造的にはAとGの合いの子のような分子となっている.
今回報告された2本の論文は,このZを合成する酵素とその構造を決定し,どのようにZが合成されているのか,そしてシアノファージ等にどの程度このZを合成する遺伝子が広まっているのかを調べたものとなる.なお,2本の論文は別のグループによるものなのだが,投稿日も1週間以内程度とほぼ同時と,熾烈なデッドヒートが感じられる.

ということで詳細なのだが,正直なところZの存在を(いまさらながらに)知った衝撃のほうが大きく,論文の内容自体に関しては「まあそんなもんですよね」という感じであまり書く気にならないというか.
Zの合成に重要な遺伝子としては,もともとAを合成する遺伝子のちょっと遠い親戚(由来は同じだが,変異が入ったもの)であるPurZが重要な働きをしており,こいつがグアニル酸のC=Oのケトンの部分をアスパラギン酸に置き換え,PurB(※こいつは通常のAの合成でも同様の働きを行う)が付加されたアスパラギン酸のアミノ基以外の部分をフマル酸として切り出し,あとは通常の流れでZを含むDNAが合成される.
論文では,PurZの構造と,Mg2+との協働による合成メカニズムなどにも触れられているので,興味のある方は是非.
ちなみにZに関しては,通常のAがTとの間に2本の水素結合を作るのに対し,Z-Tでは3本の水素結合が形成されより強く(=安定に)結び付いた塩基対を作ることができる.このことが制限酵素(特定の配列を見つけ,二本鎖DNAを切断することでファージの増殖を制限する)による破壊への耐性を上げ,より増殖しやすくなっているのではないか,という報告が過去にあるらしいのだが,今回の1つ目の論文では実際にA → Zへの置換(PCRでの増幅の際に,Aの代わりにZが入るようにすると,最終的にほぼすべてのAがZに置き換わったものが作れる)を行い,制限酵素でほとんどやられないことも確認している.

今回の結果は,DNAの文字の拡張や,DNAを使ったナノ構造体を作る際に今までよりもさらに安定度の高いZ置換体を利用できることを示唆しているなど,もしかすると実用上も意味があるかもしれない.また個人的には,Zなんて言う変わった塩基をベースにした生命(ファージなんで,生命と呼ぶには微妙ではあるが……)がいることが衝撃であった.(2021.5.6)

 

230. 金属ナノ粒子の堆積を使った3次元ナノ構造作成法

"Three-dimensional nanoprinting via charged aerosol jets"
Wooik Jung et al., Nature, 592 54-59 (2021).

金属のナノ構造体は,その特異な電磁的な応答を利用してプラズモニックデバイス(*1)や光学的メタマテリアル(*2)への利用が期待されている.ただ,工業的に利用しようとなると「どうやってナノ構造を安価に量産するか?」というのは大きな問題である.特にメタマテリアルのように広い領域を覆う必要があるとなると,大面積に一気にナノ構造を作りこめるような製造手段が必要となる.
今回の論文で報告されているのは,真空チャンバー中に基板とそこから少し浮かせたマスクパターンを用意し,そこに向かって放電により発生させた金属ナノ粒子を吹き付けるだけでさまざまな立体的なナノ構造が作成できる,という論文である.

*1 金属の表面プラズモンと光との相互作用を利用した素子.非常に強い発光や吸光,局所的な強烈な電場を利用した分光など,用途が多い.

*2 光の波長よりも小さいサイズの構造を作りこむことで,連続的なバルクの物質ではありえないような負の屈折率を持つ(のと同じ応答を示す)物質を作ることができる.これは微視的には無数のインダクタやキャパシタが並んだ構造なのだが,それが波長よりも小さいサイズで並んでいるため,長い波長をもつ光にとっては負の屈折率を持つ連続媒体であるかのように振る舞う.このようなメタマテリアルを使うと,物体の周囲を(特定の波長域では)光が迂回して裏側まで進むため外部からは光学的にまったく存在が見えなくなるような「クローク」や,回折限界を超えた微視構造の結像が可能な「スーパーレンズ」,メタマテリアルによる波形制御を利用したアンテナの小型化・指向性制御・広帯域化など,さまざまな用途が提案されている.

この論文,起こっていることは非常に単純だ.
まずナノ粒子の発生源としては,各種金属を電極とした真空放電が用いられている.放電により電極表面がバラバラに飛び散り,金属ナノ粒子が生成する.この時ナノ粒子の表面には電子を失って生じた金属(とか残存ガス)のイオンも付着しているため,金属ナノ粒子自体は正に帯電している.また当然,ナノ粒子に付着しなかった正イオンも周囲には飛散している.なお,ナノ粒子のサイズは金属の種類にも依存するが,おおむね10 nmかそれ以下ぐらいのようだ(Extended Data Fig. 3).
この噴出した正に帯電した金属ナノ粒子と正イオンは,印加された電圧に引っ張られ,基板に向けて加速していく.基板の少し上には,さまざまな形状の穴をあけたマスクパターンが置かれており,このマスクを通り抜けた金属ナノ粒子が基板上に堆積する.装置全体の構造は,Extended Data Fig. 1を見ていただくとわかるだろうか.
積みあがった柱状構造は例えばExtended Data Fig. 4を見ていただくとよい.3種類の異なる金属で柱状構造を作っている.なお,論文のほうでは途中で金属の種類を変え,根元から順にPd,Au,Cu,Agと異種金属を順番に積み上げた構造なども作成している.

ここで面白いのは,実はマスクパターンには軽くて動きやすい正イオンが先に到着し降り積もっている,という点だ.このため,マスクパターンは正に帯電しており,同じく正に帯電した金属ナノ粒子との間に反発が働く.このため,マスクパターンに開いている穴の真ん中あたりに向かって金属ナノ粒子のジェットは収束され,非常に細い流れとして基板に降り注ぐ.これは言ってしまえば,半導体素子の作成の際にマスクパターンを抜けてきた光をレンズで集光するのと同じで,マスクパターンよりも細かい構造を作ることができる.

マスクパターンを抜けてきたナノ粒子のジェットは徐々に基板上に積み重なって細長い柱状に繋がっていく.柱の直径は条件を整えてやると85 nm程度までは細くなるようである(この時,マスクパターンの穴の直径は500 nm).柱状に積み上げられる高さはかなり大きく,例えば直径が300 nm程度で長さが11 μmといった細長い構造などが紹介されている.また,マスクの穴の形を変えることにより,さまざまな形状に金属を堆積させることができる(Extended Data Fig. 2).
さらに面白いのは,このナノ粒子の堆積の途中で基板を前後左右に動かすと,より複雑な3次元構造が作れる,という点だ.基板上に金属ナノ粒子が積み上がりはじめると,導電性で尖った構造,ということになる.基板の電位が負に印加されていることを考えると,この「尖った部分」は非常に電場勾配が大きくなる(避雷針の先端と同じである).その結果何が起きるかというと,ジェットとして降り注ぐ正に帯電した金属ナノ粒子を,すでに積み上がりはじめている先端部が吸い寄せることになるわけだ.
これを利用すると,単なる柱状ではなく,途中から違う角度に伸びるような1次元構造が可能となる.例えば1次元状に積みあがっていく途中で基板(逆にマスクパターンをスライドさせてもよいが)を少しずつ横に動かしていくと,金属ナノ粒子が横向きに吸い寄せられながら斜めに伸びる,ということになる.
言葉で書くとわかりにくいが,ナノ粒子の運動のシミュレーション動画を見ていただければ一目瞭然だろう.
著者らはこれを利用して,途中から斜めに伸びる構造(Extended Data Fig. 6)やらせん状の構造(Extended Data Fig. 5)などを報告している.
なお,うまく基板の位置を調節しながら堆積させると,途中から斜めになるどころか,斜め下方に伸びていくような形状も作成できるようである(一度落ちていきかけたナノ粒子が,斜め上方に吸い寄せられることで「η」っぽい構造が作れる).

著者らが報告している中で重要なのは,Extended Data Fig. 8にある構造だろう.このような「リングの一部を切り取った構造」はスプリットリング共振器と呼ばれ,このリングがコイルと同等に,切れている部分がキャパシタとして働くことでLC共振器となる.このような微小なスプリットリング共振器を並べるとメタマテリアルを構築できることが知られており,メタマテリアルを作る際の代表的な素子である.
基板上に基板平面と平行にこうしたスプリットリングを作るのは簡単なのだが,その場合基板に垂直な磁場成分にしか応答できない.それに対し今回の手法では基板から直立したスプリットリング共振器が作成可能であり,これを直交する2方向 + 基板に平行な方向に作りこめば,あらゆる方向の偏光方向に対応できることになるだろう.

というわけで,「立体的な金属ナノ構造を,比較的高スループットに作成する手法」の紹介であった.(2021.4.7)

 

229. ウィルスの変異は言語モデルで取り扱えるか?

"Learning the language of viral evolution and escape"
B. Hie, E. D. Zhong, B. Berger and B. Bryson, Science, 371, 284-288 (2021).

ウィルスは非常に変異を起こしやすい存在である.その理由は(RNAウィルスの場合)RNAポリメラーゼのエラー訂正機構が貧弱であることや,(1本鎖ウィルスの場合)単鎖ゆえのエラー訂正の効かなさであったりといろいろあるのだが,とにかくウィルスは変異が速く,それゆえ免疫系が一度覚えてもその網をすり抜ける変異種が現れがちなことはよく知られた事実であろう.
今回紹介するのは,そんな「ウィルスの変異による免疫系からの逃れやすさ」が,機械学習による自然言語モデルを用いて推測できる,という報告である.

さて,21世紀に入ってから進歩の著しいものの一つとして機械学習が挙げられることに異論はないだろう.膨大なデータが収集・利用できるようになるとともに,層数を非常に増やした深層学習の導入などが組み合わさり,(すべての分野ではないにせよ)機械学習は格段の進歩を遂げている.特に応用や研究が数多く行われているのが,自然言語処理の分野だ.膨大な文例をもとに,教師なし学習(正解の判定ルールも含めすべてをデータの山から自律的に構築する学習)により言語をモデル化し,以前とは比べ物にならないほど自然な文章を作成したり,高精度な翻訳が可能となってきている(もちろん,まだ完璧とは言えないが).
そんな背景のもと,今回の著者たちは以下のような突飛なアイディアを思いついた.そもそもウィルスの「本体」は,4つの塩基(RNAなのかDNAなのかで1文字違うが)の組み合わせで書かれたアミノ酸配列の長大な羅列である.そしてその「変異」とは,あるアミノ酸が別のアミノ酸に置換されることに等しい(時には削除などもあるが).これは別の観点からみれば,「ウィルス=未知の言語で書かれた長大な文章」で,「変異(アミノ酸の置換)=ある単語の,別な単語への置換」とみなすこともできるのではないだろうか?もしそうだとすれば,自然言語を機械学習するモデルは,数多くのウィルスのゲノム=文例をもとに,変異の影響=単語の置換による文章の変化,を定量的に分析するツールとして利用できるのではないだろうか?
これだけ聞くと非常に突飛でどうかしてるんじゃないかとも思えるが,著者らの考察は続く.ウィルスの変異は,どんな時でもウィルスにとって望ましい,わけではない.多くの場合,ランダムな変異はその「ウィルスらしさ」を壊してしまう.別の言い方をすると,ウィルスがその機能を保って生存していくためには,何らかのルールの範囲内で変異している必要がある.これは言語でいえば「文法」に相当するだろう.生化学的に言えば,ウィルスの各遺伝子が生み出すタンパク質がその機能を失わないような変異,ということになる.既に存在している(特定の病原となる)ウィルスの多数の変異株を学習データとして使用すれば,それらすべて「ウィルスをそのウィルスたらしめている」構造は満たしている.つまり,「文法としてはそんなに間違っていない」データとなるだろう.一方で,アミノ酸には,免疫系がウィルスを認識するために重要となっている部分もある.ウィルスの構造(=文法)を保ちつつ,こういった部分が異なってくると,免疫系から逃れる可能性が高くなる.もちろんただ異なるだけではなく,ウィルスの外郭構造がガラッと変わるような変異ほど免疫系をすり抜ける可能性は高くなる.

著者らのこの観点をまとめると,以下のようになるだろう.
・ウィルスをそのウィルスたらしめているものは,「文法」として見えてくるはずである.
・ウィルスの変異は,単語の置換に相当するだろう.
・単語の置換により「文法」的におかしな文になるほど,ウィルスとしては存在しにくいはずである.
・単語の置換により「意味」が大きく外れるほど,免疫系から別物とみなされるはずである.

最後の「単語の置換により,意味が大きく変わる場合」の例を,著者らは英文で示している.

例1:Austratian Dead in Bali(オーストラリア人,バリで死去)
(1)意味の近い置換:Aussie Dead in Bali(オーストラリア人,バリで死去)
(2)意味が全く変わる置換:Australian Ballet in Bali(バリのオーストラリアのバレエ団)
原文や1では最初の語が名詞なのだが,2では原文と同じ「Australian」が今度は形容詞として作用している.

例2:Blast off of Apollo 8(アポロ8号の打ち上げ)
(1):Blast off of Apollo 13(アポロ13号の打ち上げ)
(2):Blast victims of Apollo 8(アポロ8号の爆発の犠牲者たち)
熟語であるBlast offのうちの一語を変えてしまうと,意味は激変する.

タンパク質の構造はアミノ酸の並びに依存するが,多少変えても形の変わらないものもあれば,キーとなる部分を少し置き換えるだけで形が激変したりもする.著者らは,それを言語モデルにおける単語の影響力の差として表現できるのではないか,と考えたわけだ.

といってもここまでであれば単なる妄想と変わりはない.実際にそんなことができるのかどうか,著者らは実在のウィルスのゲノム配列をもとに評価を行っている.
対象としては,インフルエンザウィルス(の,感染に関与する主要部位であるヘマグルチニン),エイズウィルスのエンベロープ,コロナウィルスのスパイクの3つを選択した.これらはメジャーな感染病でありデータも多い.これらそれぞれの多様な配列を言語モデル化のプログラムに放り込んで分析させ(※当然,3つの病気それぞれ別のデータセットとして扱う),それぞれ勝手に学習させ言語構造を推測させる.その結果,プログラムは与えられたデータセットから「インフルエンザウィルス(のヘマグルチニン)の文法」とか「コロナウィルス(のスパイク構造)の文法」とか,「インフルエンザウィルスのどの単語(=アミノ酸)を何に置換すると,意味(=構造?)がどのぐらい変わるのか」を評価するモデルが得られる.

では,得られたモデルはどの程度正当性があるのだろうか?
まずは,得られた評価基準に基づきウィルスのそれぞれの株を位置付けたときに,(遺伝的に)類似するウィルスがある程度クラスター化しているのかどうかを評価している.これは,得られたモデルが正しいことの必要条件である(※十分条件ではない).言語とみなして処理した結果得られたモデルが,実際の正しくウィルスの構造の類似性を再現できなければ,著者らの発想は単なる思い付きに過ぎなかった,となるわけだ.
論文では,各種のウィルスの変異株を言語モデルで位置づけ,その結果をUMAPにより2次元化して表示している.機械学習により作成された評価関数は非常に様々な点を組み合わせて評価しているため,各データは「非常に次元の大きい空間中での位置」で表示される.しかしそのままでは人間が見にくいので,適当な射影を選び出すことにより2次元上の分布に直して図示するのだが,UMAPは最近よく用いられる方法である(詳しくは知らないが).
ということで得られた結果を見てみると,インフルエンザでは人インフルエンザ,鳥インフルエンザ,豚インフルエンザが互いにそこそこすみ分けたような図が得られている.さらにはっきり差が出たのがHIVで,いくつかの株ごとに比較的わかれたクラスターを作っていることが一目で見て取れる.劇的に分かれているのはコロナウィルスだ.コロナウィルスはさまざまな動物種にそれぞれのコロナウィルスが存在するのだが,かなりきれいに分離した図が得られている.また,いわゆる新型コロナ(を文章として見たとき)の位置は蝙蝠やセンザンコウのコロナウィルス株(の一部)と非常に接近しており,その起源(といわれている)これら両種と近いことが再現できている.またMERSはラクダのコロナウィルスと非常に接近した位置にあることも再現されている.その一方で,SARS-CoV1と新型コロナウィルスは意外に離れているなど(現時点では両者はかなり近縁と言われている),ちょっと変わったところもある.

そんなわけで,ウィルスの塩基配列を言語として無理やり読ませて生み出された言語モデルは,まずは必要条件である「近いウィルスを,ちゃんと近いと判断できる」という点はクリアできている.とはいうものの「近いウィルスは,近い配列を持っている」わけだから,それが再現できるのはある意味当たり前である.
そこで著者らはさらに研究を進めた.ウィルスの感染にかかわるパーツ,つまりインフルエンザだとヘマグルチニン,HIVであればエンベロープ,コロナウィルスであればスパイク,のパーツの塩基配列の様々な場所にさまざまな1塩基変異を導入した遺伝子を膨大な数作成し,それらの変異パーツを酵母(だかなんだか)に生産させ,宿主細胞の受容体にどの程度親和性があるのか,などを調べたのだ.
※こういった「網羅的に1塩基変異などを作り,全部調べる」というような手法はDeep Mutational Scanというらしい.

これにより,言語モデルが「文法である」と判断した基礎構造に変異が入った場合と,「単語の違いである」と判断した部分とが,宿主細胞への適合性にどの程度影響があるのかが調べられた.その結果,予想通りではあるものの
・「文法的正しさが高い」ほど,感染性は高い
・「意味がかなり変わってくる」という置換ほど,感染性は落ちる
ということが判明した.
面白いのはここからだ.インフルエンザやHIV,コロナウィルスに対し抗体として働く分子を加え,これら無数の変異体(と言ってもウィルスそのものではなく,その表面に生じるパーツ=抗原)が抗体に捕まるかどうかを調べたところ,いくつかの変異株は抗体をすり抜けることが判明した.そしてそれら「抗体をすり抜ける(≒免疫系の既存の学習が効かない)」変異株は,ほぼすべてが「文法的にはかなり正しくて,しかしその一方で意味的には大きく異なる」という領域に位置していた.
単純化して言うと,ウィルスには,そいつをそのウィルスたらしめている重要な構造があり,そこが維持されていないと感染性が低い.言語モデルとしての機械学習は,その「ウィルスらしさ」というものを「文法的な正しさ」として認識することができる.その一方で,ある程度の表面構造の変異が無ければ,一度感染すれば既存の免疫系が学習し,抗原により対応されてしまう.そのため,(抗体に認識されないほど)ガラッと表面が変わらないと次回の感染がおこらない.そのような変化は,言語モデル化の上では「文章としての意味がガラッと変わっている」として認識される.

これが何を意味しているのかというと,ウィルスの塩基配列を文章として機械学習させ作成された言語モデルは,あるウィルスが「既存の抗体をすり抜けるかどうか」に対しかなりよい評価をしうる,ということになる.これまでは,実際にウィルスと抗体を用いなければ予測できなかったことが,ある程度とはいえゲノム配列だけから予測できるというのはかなり画期的(*)である.

*ウィルス表面のタンパク質の立体構造と,細胞側の受容体の構造がわかっていればある程度推測はできるのだが,立体構造を決めること自体が非常に困難である.
そちらはそちらで,「深層学習を使ってアミノ酸配列からタンパク質の立体構造を効率的に決めることができるプログラムの開発」なんてのもあったりする.

もちろん,「文法的に正しく,意味が大きく異なる配列」すべてがウィルスとして有効なわけではない.前述したように「意味が大きく異なる」ものはたいていの場合感染性が落ちるためだ.そのため今回の研究は,「今獲得している免疫を確実にすり抜けられる変異種を見分けられる」というわけではなく,「潜在的に,今の免疫をすり抜ける可能性のある変異種をピックアップする」というスクリーニング的なものとなる.

ただまあ,深層学習全般に感じることではあるが,何がどうなっているのかがブラックボックス化しているような感じもあってやや気持ち悪い.その一方で,「ウィルスを言語とみなして解析しました」というのは非常に面白く,これがブレイクスルーになったりなんかすると結構面白いこともありそうだ.(2021.1.18)

 

228. タイヤがギンザケを殺す

"A ubiquitous tire rubber-derived chemical induces acute mortality in coho salmon"
Z. Tian et al., Science, in press.

ギンザケはアメリカ北西部で遡上し産卵する代表的な水産資源である.しかしそのギンザケ,都市部において降雨の後に原因不明の大量死を起こすことが知られていた.今回の論文は,その原因究明を続けているワシントン州(DCではなく,西海岸最北の州の方)のタコマにあるCenter for Urban Researchやワシントン大学などを中心としたグループが,ついに原因を突き止めたという論文になる.

この研究グループはギンザケの雨水流入後の大量死を研究しており,過去の研究においてタイヤから出てくる何かの化学物質が原因らしいというところまでは突き止めていた.実際,タイヤを漬け込んでおいた水をギンザケに与えると1〜3日以内という比較的早い期間で死亡することから,何らかの化学物質の急性毒性によるものだと考えられていた. 今回その正体を解明すべく,多段階にわたる分離と分析を駆使しその正体に迫った.

実験であるが,まず毒性のあることがわかっているタイヤの浸出液がスタートである.こいつをエレクトロスプレーイオン化(*1)によりイオン化し,それを高分解能質量分析計(*2)にかけ正体を知ろうとしたのだが,この段階では正イオンの側だけでも2216種もの物質が存在し,とても正体を突き止めるどころの話ではなかった.

*1:単純化して言うと,微量の試料を溶かした液滴を真空中に入れ,高電圧をかけながら蒸発させる.電圧により液滴内の水分子(等)がイオン化しつつ蒸発により小さくなると,電気的な反発力が表面張力を大きく超え,液滴が微細な粒に分裂しながら真空中に飛び出す.その後も溶液は蒸発し続け,残ったH+(等)が試料分子に吸着したイオン種を生じる.これが質量分析計に飛び込み,その質量が分析される.

*2:例えば1Hの質量はおよそ1,12Cは12,14Nは14なので,12C1H214Nはほとんど同じ重さになる.しかし質量を精密に測定すると,12C1H2の質量は14.01565,14Nの質量は14.00307であり,区別することができる.このような高い分解能をもつ質量分析計を用いると,その質量から分子式を推定することが可能である.

そこで今回,タイヤの浸出液を各種分離手法により分離,どのフラクションにギンザケを殺す能力があるのかを調べ,毒性のあった部分をまた違う分析手法で分け……を繰り返し,成分を絞り込んでいった.
まず細かなフィルターとイオン交換樹脂を通したが,それでもギンザケへの毒性は変わらなかった.このことから,毒物はイオン性ではないし,何らかの微粒子でもないことがわかる.続いてその流出液を,逆相カラムにより分離した.水 → エタノール → 酢酸エチルと徐々に極性を落としていくと,流出する成分が極性の高いものからより炭化水素に近いものへとシフトしていく.3種の流出液を調べたところ,水,および酢酸エチルにより出てきた成分にはほぼ毒性はなく,エタノールの時点で動いた成分に毒性があることが判明した.この段階で,質量分析計で検出される成分は1355種とまだかなりの種類が存在している.
続いて,逆相カラムでエタノールにより流出してきた成分を,ヘキサン:ジクロロメタンを展開溶媒に用いたシリカゲルカラムでさらに分離した.ヘキサン:ジクロロメタンの比率を3:0 → 2:1 → 1:2 → 0:3と徐々に変え極性を上げていき,4種類の流出液を得た.調べると,これらの流出液のうち.2:1での流出液が毒性を持つことが判明した.この段階で,化学種は659種存在している.
さらに細かく分離するため,逆相のHPLCを用いて15分画に細かく分割したところ,そのうちの10-11番目のフラクションが毒性を持っていた.この段階で化学種は225種にまで絞られた.
さらに同様のことをフッ素樹脂を固定相に用いたHPLCでも行い,これまた偶然にも10-11番目のフラクションに毒性があることが分かった.この段階で化学種は26種にまで絞られている.
この溶液をさらにフェニル系の樹脂を使用したHPLCで分離したところ,8-9番目のフラクションに毒性があった.この段階で,化学種は4種にまで絞ることができた.

この4種の質量分析結果を見ると,量としてはある一種の化学物質が大部分を占めていることが判明した.その化学種の質量分析での検出質量はm/z=299.1752,ここから組成はC18H22N2O2と求まる(※検出されている質量は,この組成にH+が付着したものである).また,他の3つの物質の組成はタイヤに含まれている既知の分子と一致し,それらは顕著な毒性をもたないことが知られていたことからも,このC18H22N2O2が毒性を持つ化学種であることはほぼ確実である.

では,この分子は何なのだろうか?タンデム質量分析計(*3)による分析から,この物質がC4H10というフラグメントと,C6H12という部分構造をもつことは分かったが,それ以上の情報は得られなかった.文献検索によりC18H22N2O2という組成の毒物を探したが,それも見つからなかった.したがって,この分子は未知の毒物であると考えられる.

*3:MS/MSなどとも書かれる.質量分析計で特定の質量の目的分子を分離した後,そのまま不活性ガスなどと衝突させることで分子に衝撃を与え,さらに断片化したパーツの質量分析を行う(二段の質量分析計がついているので,タンデムと言う).分子の比較的切れやすい部分で解離するので,部分構造の情報が得られる.

ブレークスルーは,検索範囲をC18H0-xN2-4O0-yへと広げた時に訪れた.自然環境中においては,水との反応によりHやOが増えたり,酸化によりOが増えたり,ある程度反応性のあるNがOなどを含む置換基に変換されたりということがある.そこから著者らは,検出された毒物は,もともとタイヤに含まれていた何かが環境中で酸化・加水分解等を受けて生じたのではないかと考え,そのもととなる化学物質を探り出そうとしたわけだ.
するとC18H24N2という分子(6PPDと呼ばれる)が,タイヤの抗酸化剤として添加されていることを発見した.この分子はタイヤがオゾン(これは,排ガスが光化学反応を起こすことで生じる.光化学スモッグの原因でもある)により劣化するのを防ぐためにタイヤに加えられている成分であり,ゴムタイヤの重量のおよそ0.4〜2%程度とそこそこの量が加えられている.なお,6PPDおよびその酸化により生じる毒物(6-PPD-quinone)の分子構造に関しては,Supplementary MaterialsのFig. S13を参照してほしい.

著者らはこの物質が本当に毒物の起源なのかを調べるために,6PPDをオゾン酸化し,生じた物質の性質を調べた.その結果,生じた物質のカラムによる分離結果はタイヤ浸出液から生成された毒物と完全に一致し,また質量分析も完全に同一の結果を与えた.また,6PPDのオゾン酸化により生じた物質の毒性を調べたところ,20 μg/Lの低濃度で,タイヤ浸出液と同様に素早く(90分程度で症状が現れ始め,5時間以内に死)かつギンザケの死をもたらすことが確認された(3回で計15匹のギンザケで実験を行い,再現性も確認された).これらの実験から,6PPDの酸化生成物の毒性は,ギンザケの半数致死量で0.79±0.16 μg/L程度ということが分かった.なお,タイヤ浸出液(に含まれる毒物成分)の毒性は0.82±0.27 μg/Lであってので,タイヤ由来の毒性はほぼ100%この6PPD酸化物である,といえる.ちなみに,酸化されていない6PPDの毒性は半数致死量で250±60 μg/Lになるそうだが,そもそも6PPD自体がほとんど水に溶けないため,その毒性が問題になることはない(そのため,「安全な物質」として多量に使用されているわけだが).
6PPDはタイヤ表面で起こるオゾン酸化を抑制するために加えられている材料であり,その目的から消費された分だけ内部から迅速に表面まで拡散することが求められる.そのことが逆にタイヤ表面が削られる際に常に6PPDが一緒に環境中に排出されることに繋がり,それが都市部での微量のオゾン等により酸化,6PPD酸化物となって毒性を示しているわけだ.
さらに著者らは,6PPDとオゾンとの反応が,これまで想像されていたものとは異なることも指摘している.これまでの定説では,オゾンと6PPDが反応すると,6PPDのアミンの部分(N)が酸化され,N+-O-というnitrone構造を2つもつ分子になると考えられていた.ところが実際に観測された6PPD酸化物はキノン構造をもつ分子であり,全く別のものである.

著者らは最後に,実際の雨の日の流出物に6PPD酸化物がギンザケを殺すほどの濃度で含まれているのか,も確認している.まず,雨の日の路面の液体中の6PPD酸化物を測定すると,1-19 μg/L程度のかなり濃い状態であった.これが川に流れ込んだ段階でも,その濃度は0.2-3.5 μg/Lと,調査を行ったシアトルやサンフランシスコなどで半数致死量を超える場合が散見された.
6PPDに関しては,全世界で用いられているタイヤに非常に多く使用されており,アメリカのみならず世界各国での水系への毒物として働いている可能性がある.著者らが指摘しているのだが,ギンザケが6PPDに特異的に弱いと(少なくとも現時点では)考えるべきではない.著者らはニジマスでも試験を行い,その半数致死量はギンザケの1/4とさらに毒性が強いことも判明している.

化学物質の毒性に関しては,そのものだけではなく環境中での代謝物,分解物等も考えなくてはいけないために非常に難しい話である.特に今回の場合,現時点で使用されている量が膨大であることから,場合によってはかなりの問題になる可能性もある.
とまあそういう話を置いておいても,さまざまな手法や証拠から原因物質を突き止めていく部分が非常に面白い論文であった.(2020.12.11)

 

227. 緑藻類において広範囲に見出された,巨大ウィルスの内在化

"Widespread endogenization of giant viruses shapes genomes of green algae"
M. Moniruzzaman, A. R. Weinheimer, C. A. Martinez-Gutierrez and F. O. Aylward, Nature, 588, 141-145 (2020).

関連する部分を調べていたら,本論より長くなるというある意味本末転倒.いや,やっぱりウィルス周りは面白いですね.

ウィルスと生物のゲノム(※遺伝情報の全体を指す)との関係は非常に複雑かつ興味深いものである.例えば,多くの生物のゲノム中にはRNAウィルス由来の遺伝子(※狭義には,ある一つのタンパク質のもととなる情報を指す)などが存在することが判明しているし(*1),そのウィルス由来の遺伝子の中には生存に不可欠なものも数多い.また生物のゲノムの中にはゲノム上を移動する配列であるトランスポゾン(*2)やレトロトランスポゾン(*3)などが存在し,これらがウィルスの起源である可能性も指摘されている.また逆にウィルスが(誤って)宿主のゲノムの一部を自身のゲノムに取り込んでしまう例もあり,さらにそれが別の生物に感染し,さらに時にはそのまま発現に失敗して感染先のゲノムにその配列が取り込まれる,などと言うことも起こっているとみられる(*4).

*1:例えばRNAウィルスは自分の情報を感染した細胞の持つDNAに逆転写・挿入し,それを細胞自身に読み込ませることで自分のパーツを合成させている.この組み込まれたDNAが何らかの弾みに一部不活化したり破損したりすると,ウィルスそのものではなく,その一部のパーツ(=タンパク質)を合成するための配列(=遺伝子)として宿主のDNAに残り続ける場合がある(と考えられている).こういった断片が,時には宿主細胞自体が読み出せる形に修正され,有用なタンパク質を作るための情報として再利用されていると考えられている.こういったウィルス由来の遺伝子は,内在性ウィルス様配列などと呼ばれる.

*2:ゲノム上には,特定の酵素によってDNAから切り出され,別な場所に挿入されることで場所を移動する遺伝子が存在する.このような配列を(狭義の)トランスポゾンと呼ぶ(※広義のトランスポゾンは,次に述べるレトロトランスポゾンも含む).トランスポゾンが移動する際には時として周囲の配列を壊したり,挿入先の配列に割り込むことによりさまざまな変異を引き起こしており,進化の原動力の一つではないかと考えることもできる.

*3:生物のゲノムの中には,読みだされRNAに翻訳されたあと,逆転写酵素により再びDNA(の別な場所)に書き込まれるような配列が存在する.このような配列をレトロトランスポゾンと呼ぶ.通常のトランスポゾンと異なり,元の配列はそのままにコピーが新たに挿入されるため,レトロトランスポゾンの配列は増加することになる.動作としてはレトロウィルス(ウィルスのRNAが逆転写酵素によりDNAに挿入され,それが読みだされると再びRNAが作成される)とほぼ変わらないため,レトロウィルス(の断片)が遺伝子に取り込まれたものの可能性がある(もしくは逆に,レトロトランスポゾンからレトロウィルスが生まれる可能性もあるのか?).

*4:この結果,ある生物の持つ遺伝子が,その生物の別の個体や,種の壁を越えて別の生物種に広まることもある.これを遺伝子の水平伝播と呼ぶが,研究が進むにしたがって非常に多くの水平伝播が起こっていることが明らかとなっている.

さて,そんな興味深いウィルスであるが,近年,非常に物理的なサイズが大きく,ゲノムサイズも大きい(=数多くの遺伝子を含んでいる)ウィルス(巨大ウィルス.*5)が海洋中などからいくつも見つかり,注目を集めている.

*5:これら巨大ウィルスは,単体での増殖こそできないものの,非常に多くの働きをするタンパク質がコードされており,ゲノムサイズ的にも一般的な細菌などと遜色がない.ゲノムの中には代謝に関わるタンパク質の遺伝子やアミノ酸合成にかかわる遺伝子などもコードされており,部分的とはいえ「生命」の定義としてよく用いられる「代謝」に自身がかかわるなど,一般的なウィルスとは異なる面が有る(これらの遺伝子が独自に発達したものなのか,宿主からたまたま拝借して取り込まれているものなのかはよくわかっていない).このため「生物とは何か?」という境界がさらにあやふやになってきている.また面白い仮説として,エンベロープ(ウィルスを覆う脂質二重膜.細胞膜や核膜と類似)をもつ巨大ウィルスが原核生物に感染したことが真核生物の始まりなのではないか,というものも提唱されている.つまり原核生物に巨大ウィルスが感染し,主要なDNAとして細胞全体の代謝を制御,原核生物側がもともと持っていたDNAもその代謝を維持するために必要な情報として一緒に組み込んでしまい,「もともとウィルスだったもの + 吸収した細胞のDNA」が一体化して細胞核になったのではないか,という仮説だ.細胞核の起源自体はよくわかっていないので,これはこれで面白い仮説である.異論も多く,広く認められた説ではないが,関連する論文が今年も出ていたりする

前置きがやたらと長くなってしまったが,今回著者らが調べたのは,海洋においてかなりの存在数だとみられているこれら巨大ウィルス,もう少し正確に言うと,核に似た構造をもちDNA二重鎖をゲノムとする「巨大核質DNAウィルス」(Nucleocytoplasmic Large DNA Viruses,NCLDVs)は,他の生物のゲノムにどの程度影響を与えているのか,というものになる. といっても著者らは実験をしたわけではなく,公開されている緑藻類のDNAの配列を調べ,その中からNCLDVs由来と考えられる配列(NCLDVsに見られる配列と同一性の高い配列)がどの程度あるのか,ということを調べている.

というわけで結果を見ていこう.
著者らが調べたのは,公開されており入手が可能な65種のゲノムであるが,そのうち24種からNCLDVs由来と考えられる配列が見つかった.これら24種には,計18種の巨大な内在性ウィルス様配列があり,その大きさは7万8千塩基対〜192万5千塩基対という非常に大きなものであった.何せもともとのNCLDVs自体が非常に大きなゲノムをもっているため,その残骸として残っている配列も非常に大きい.
これだけ大きな配列があるということは,数多くの遺伝子を一度に手に入れることができた,という言い方もできる.そう考えると,NCLDVsは緑藻類などNCLDVsが感染する海洋生物の進化において,非常に大きな役割を果たしている可能性がある.
(一気に数多くの遺伝子を別の種間などで移動させることが可能なので,影響も大きい)
さらに緑藻類のうち12種に関しては,2種以上のNCLDVsの遺伝子を引き継いでいることが見いだされた.つまり,少なくとも2回以上は「NCLDVsに感染 → うまいこと不活化して,その遺伝子ゲット」という過程を経たことになる.
獲得された遺伝子の中には,緑藻類自身のスプライセオソームによりスプライシング(*6)が起こるようイントロン(※もともとのNCLDVsには存在しない)が追加されたものも多く,緑藻類が取り込んだ遺伝子配列を活用しているさまが伺える.

*6:DNAから転写されたRNAは,イントロンと呼ばれる部分が除去(=スプライシング)されたあと,最終的なタンパク質へと翻訳される.

ある緑藻類では,持っている遺伝子(=タンパク質として発現する部分)のうちおよそ10%がNCLDVs由来であると推測され,海洋生物のゲノムの進化においてNCLDVsがかなり重要な役割を果たしているとみられる.また,NCLDVs由来の配列も複製されていたり,不要な部分(多分)が削られていたりと,もともとのNCLDVsの遺伝子そのままではなく,さまざまな変異・進化を受けていることが分かった(このため,これらの種にNCLDVsが感染・その遺伝子が定着したのはかなり以前のものも多いことがわかる).ウィルス由来のDNAも,安定にそのまま存在し続けるわけではなく,かなりダイナミックに変化してきているわけだ.

そんなわけで,緑藻類におけるNCLDVs由来の遺伝子を調べた,という研究であった.
発見から(というか,ウィルスと認識されて以来,というか)20年ほどになるNCLDVsであるが,実際の生物種のゲノム中にかなりの痕跡を残していることが明らかとなり,今後緑藻類に限らず,さまざまな生物の進化とのかかわりが研究されていくことが期待される.(2020.12.9)

 

226. CNOサイクルをニュートリノで初観測

"Experimental evidence of neutrinos produced in the CNO fusion cycle in the Sun"
Borexino共同研究グループ, Nature, 587, 577-582 (2020).

恒星の内部ではさまざまな核融合が起こっており,膨大なエネルギーを生み出している.核反応断面積などに関しては地上での実験でかなりのことがわかっており,恒星内部の推定される環境などを加味し各種の研究が行われた結果,陽子(プロトン,p)同士が融合しながら主にヘリウムを生み出すppチェイン(陽子-陽子連鎖反応)と,炭素(C),窒素(N),酸素(O)が触媒的にかかわりながら陽子からヘリウムを生み出すCNOサイクル(※途中で生じる15Oはすぐ崩壊し15Nになりこれが反応を進めるので,CNサイクルと呼ばれることもある)が中心となってエネルギーが発生していることがわかっている.
CNOサイクルは反応速度的に非常に早く多くのエネルギーを発生させることができるのだが,重い核(=正電荷の大きい核)にさらに陽子を打ち込む必要があり,これを起こすためにはより高い温度が必要とされる.このため太陽質量程度以下の軽い恒星ではppチェインがエネルギーの主原因であり(とはいえ多少はCNOサイクルも回る),太陽の1.3倍以上程度の重くて熱い恒星ではCNOサイクルが主要なエネルギー源(当然ppチェインも起こっている)であると推定されている.

※なお,宇宙創成後の第一世代の恒星内部においては,CやNなどの重元素(この手の分野では,水素とヘリウム以外の原子は全て重元素,または金属元素と呼ばれる)が存在しなかったため,大きな恒星であってもppチェインがメインだったと考えられている.

さて,うちらのご近所にある太陽の話である.
太陽の内部でどんなことが起こっているのかは遥か古代からの興味の対象であり,現在でもさまざまな検討が行われている.内部の精密な組成や構造は,今後の太陽の活動のみならず,宇宙の過去の歴史を解明するうえでも非常に重要な情報となり得る.ところが,太陽核部分を直接観測することは非常に難しい.光学的な観測では,コアの外側にある放射層がすべてのエネルギーを一度引き受けたあとで光として発しているため,内部の情報は失われてしまう.また,太陽表層部分の化学組成は分光的な手法で解明できるものの,これまた放射層のあたりを境にその上下で混合が起こりにくく,その結果コアの化学組成と表層(対流層)とで化学組成が異なることが予想されている.
またここ10〜20年の間に,理論計算の発展やそれをもとにした研究から,太陽内部での重元素の比率は従来考えられていたよりも低いのではないか?と言った説が出てきており,現在でも論争が続いている(例えば参考として,https://www2.nao.ac.jp/~takedayi/ss_phys/databank/SolarComposition_Takeda.pdf
実はこの重元素比率,結構いろんなところに影響を与えるパラメータである.上記の参考資料を見ていただくといくつか書いてあるのだが,重元素の推定量が変わってしまうと,これまでの理論ではよい一致を示していたいくつものモデルがズレてきて見直しが必要になるなど,意外に影響が大きい.

そんなわけで,太陽において重元素(と言っても,CNOFあたりまでの原子がほとんど)がどの程度含まれているのかは非常に興味を持たれている対象なのだが,上で述べた通りそれを光学的に直接観測することは不可能である.そんな中,近年急速に注目を集めているのがニュートリノによる観測だ.
ニュートリノは各種の核反応に伴って放出され,物体との相互作用確率が非常に低いことからほとんどどんなものも透過して広がっていく.核反応が大量に起こっている太陽核はまさにこのニュートリノの強烈な発生源であることから,ニュートリノを用いれば太陽核からの情報を得られる,というのは古くは1940年代には提唱されているアイディアである.しかしながらニュートリノはその反応しにくさから検出が難しく,実際に太陽からのニュートリノを検出したのはそれから20年以上経過したDavisらによるHomestake実験(1969年頃から観測開始)を待つこととなる.その後もカミオカンデ/スーパーカミオカンデを含むいくつもの大型観測装置がニュートリノの検出に用いられているのはご存じの通りだろう.

今回論文として報告されたのは,伊・米・独・仏・波・露による共同観測実験Borexinoにより,太陽内部でわずかに起こっているCNOサイクル由来のニュートリノの観測に成功した,というものである.
Borexinoはイタリアの山中に半径4.25 mの球形の検出器を建造し,それを用いて太陽ニュートリノ(等)を検出しよう,という実験である.なお,オフィシャルページでは各種の写真が公開されており,模型や建造中の様子なども見て取れる.球体内面にはカミオカンデなどと同じように光電子増倍管が埋め込まれている(2212本存在するが,経年劣化などで徐々に減っていく).この球体の内部を有機溶媒で満たし,内部でニュートリノが偶然物質と衝突した際に発せられる光のエネルギーや方向などを検出,それによりどんなエネルギーの粒子線がどの方向からどの程度の頻度でやってくるのかを測定する.

さてこの手の装置,作ればすぐ測れる,というものではないのが難しいところだ.今回の論文も,そのほとんどは「どんなノイズ源があって,その影響をどう排除したか」が書かれている.CNOサイクルで発生するニュートリノは,おもに1500 keV以下のエネルギー領域に分布している.その分布は,低エネルギー側からなだらかかつ単調に発生頻度が減る,という分布のようだ.
ではこの分布にかぶってくるものは主に何かというと,宇宙から降り注ぐミューオンが炭素に衝突して11Cを生み,その崩壊がバックグラウンドになるというもの(これは,1500keVあたりを中心としたピーク構造を作る)と,恒星内部で起こるpep反応(ppチェインの亜種としてその1/400程度,ごくまれに起こる反応で,電子1つと陽子2つが融合し重水素となる.こちらは1200 keVぐらいまでは平坦で,それ以上のエネルギーで減少し1400 keVあたりでほぼゼロになる),そして地上の不安定核から生じる210Biの崩壊によるもの(低エネルギーから単調に減少するという,CNOサイクル由来のニュートリノと似たエネルギー依存を示す)である.
まず11に関しては,通常の炭素にミューオンが当たって11Cが生じる際に,同時に中性子線や陽電子が生じる.このため,これら3事象が同時に発生しているようなデータを除くことで影響を低減できる.pep反応に関しては,反応頻度がppチェインに比例するため,太陽からの通常のニュートリノをもとにその影響を見積もることが可能である.210Biに関しては,210Biが崩壊した結果の210Poがより長い半減期でα線を出して崩壊するので,その量を調べることで210Biの影響を見積もることができる.
他にも,外部からの影響を減らすためにBorexinoの球体全体がもう一重の球体に収まり,その間が水で満たされているとか,壁付近で起きた事象は外部からの影響の可能性があるから除外するとか,細かなノイズ対策が幾重にも積み重ねられた結果,ごくわずかなCNOサイクル由来のニュートリノを自信をもって「検出した」と言えるようになったようである.
ちなみに検出できたCNOサイクル由来のイベントの数は一日あたりおよそ7.2カウント(+3.0,-1.7)/溶液100トン(なお,Borexinoの全容量はおよそ280トンである).今回の論文に用いたデータの観測期間は4年弱,観測日数で1072にも及ぶ(※途中で各種の作業が行われた期間などもあるため,4年弱でこの日数になっている).ここから見積もられるCNOサイクル由来のニュートリノは,地球において1平方cmあたりで毎秒およそ7.0(+3.0 -2.0)×108個になるらしい.

現状だと測定精度もあるためまだ太陽内部の重原子の量について制限を付けられるほどにはなっていないが,これまで見えなかった太陽の中心を見るための手段の進歩,ということで面白い報告であった.(2020.11.28)

 

225. ようやく実現した室温超伝導

"Room temperature superconductivity in a carbonaceous sulfur hydride"
E. Snider et al., Nature, 586, 373-377 (2020).

超伝導が発見されて以来,常温での超伝導を探し求める研究が続いてきた.転移温度の上昇において一つ目の大きな発見は1985年(論文は1986年)の高温超伝導体の発見である.これにより超伝導転移温度は液体窒素温度を超えるまでに至った.しかしながら高温超電導に関してはその発現機構に謎も多く,どうすれば転移温度を現状以上に引き上げられるのかという設計指針も未完成である.
二つ目の大きな進展があったのは2015年だ.この年に発表されたのは「H2Sと水素に超高圧をかけると,200 Kを超える高温で超電導を示す」という実験結果である.驚くべきことに,この超伝導は古典的なBCS理論で説明できる昔ながらの超伝導であると考えられており,その発現機構はとてもよく理解されているものであった.BCS超伝導では,電子が格子振動を介して結びつくことによりボソン化,Bose-Einstein凝縮を起こすことで超伝導が実現する.このとき転移温度に大きな影響を与えるのが格子振動と電子の運動との結合であり,軽い原子ほど結合が強い,つまり転移温度が高いことがわかっている.2015年に報告された実験では,この「軽い原子ほど,格子振動と電子との結びつきが強い」というものを最大限に活かすためか上の水素を含む物質を超高圧下で発生させ,それが(理論の予想通りに)高い転移温度を示すことを知らしめたわけだ.
行き詰っていた超伝導界隈はこの発見に色めき立ち,高圧下で過剰の水素を含む物質の合成とそこでの超伝導の探索が広く行われることとなる.2019年にはLaH10で250〜260 Kと,冷凍庫程度の温度で超伝導を示す物質が報告されている.

さて,今回の研究である.今回の研究もこの「水素を過剰に含む物質を高圧下で作り,そこでの超伝導を狙う」という方向での研究であるが,炭素原子(系中では,後述するように水素と結合しメタンになっていると考えられる)を入れた点がこれまでの研究と異なっている.一応著者らは,「メタンはH2Sと同じぐらいのサイズだから置換したような形で入るのでは」というようなことを書いてもいるが,個人的には後付けの理由のような気もしないではない.なんとなくもっと単純に「硫黄より軽い炭素も混ぜてみようぜ!」ぐらいのノリでいろいろ試した結果のような……(個人の感想です)
何はともあれその結果,ついに最高で288 K=約15 ℃という常温での超伝導転移を確認できた,というのが今回の論文である.

サンプルの調整としては,まず,固体の硫黄と炭素をゴリゴリとボールミリングにより微細化&混合し,それを圧力セルに入れる.そこに圧力媒体兼水素化物合成のための反応物として水素ガスを高圧で導入し超高圧を印可.そこに532 nmのグリーンレーザーを照射すると硫黄が開裂しラジカルを生じ,水素と反応することで水素化物を生じる.さらに炭素にも水素が付加し,結果としてメタンと硫化水素と水素を寄せ集めて圧縮したような水素リッチな固体が生成する.
生成した物質に関してはラマン分光によりその結合に関する情報をとっており,4 GPaの低圧状態での測定ではH-S-HやH-C-Hの変角振動,C-Hの伸縮振動,H2の振動などを観測している.ここから著者らは,この低圧下では硫化水素分子とメタン分子と水素分子が分子のまま集まった,ファンデルワールス結晶的なものができているのではないかと推測している.圧力が15 GPaあたりにまで上がると,H2S分子が作るケージ中に水素が捕らえられたような,既知のホスト-ゲスト的な結晶の生成が確認された.分光の結果から,この圧力での転移はH2S分子の向きが整列する転移なのではないかと推測している.このとき同時にメタン分子の振動モードも分裂が確認されており,H2Sと協調的にケージを構築していることが示唆される(つまり,H2HとCH4が配列して籠状構造を作り,その中に多くの水素分子が取り込まれたような構造).37 GPaで再び何らかの転移が起こっているが,化学的には分子は分解していないことが示唆されている.さらに60 GPaを超えたあたりで系が金属化し,これ以上の分光測定が困難となった.

この物質の電気的な特性であるが,150 GPa以上あたりで超伝導(転移温度=150 Kぐらい)を示し,圧力の増加とともに超伝導転移温度は単調に増加する.圧力が220 GPa(このときの転移温度は194 Kぐらい)を超えたあたりから転移温度の増加が著しくなり,今回の測定で用いた最高圧力267 GPaで転移温度は287.7 K程度となった.電気抵抗の温度依存は非常にきれいな,急峻な抵抗減少を示しており,温度を少し下げただけでほぼ垂直に抵抗がゼロに向かっている.
この抵抗の減少が超伝導転移であることの証明として,磁場依存も測定している.磁場を印可すると転移温度は顕著に低温側にズレていき,例えばゼロ磁場時におよそ288 Kであった転移温度が,磁場を9 Tまで上げていくと265 K付近にまで低下している.磁場による転移温度の低下は超伝導でよく見られる現象であり,低下幅も既知の理論と矛盾はしない.
また,磁化率も測定されており,抵抗の急減に伴い磁化率が非常に大きな負の値を示すことが確認されている.これはいわゆるマイスナー効果であり,この転移が超伝導転移であることの証拠の一つとなる.

まあそんなわけで,物性科学の夢の一つが(超高圧下とは言え)ようやく実現した,というところか.今回の試料に関してはその具体的な構造や組成などもまだ明らかになっておらず,組成の最適化もされてはいない.今後,共存させる炭素(メタン)の量を最適化するなどすれば,さらなる転移温度の向上や,必要な圧力などが低減される可能性もある.
※とはいえ,常圧下にはならないだろうが……(2020.10.15)

 

224. 空気の上に浮かせた重い液体中での下向きの浮力

Floating under a levitating liquid
B. Apffel, F. Novkoski, A. Eddi and E. Fort, Nature, 585, 48-52 (2020).

流体の運動は,それを表す基礎方程式から原理的には(極端な条件下を除いて)解くことが可能ではある.ただその式は(一部の単純な条件下を除いて)解析的な解をもたず,しかも場合によっては計算量も非常に大きくなることからさまざまな計算法・近似方が研究されている.特に粘性が大きかったり圧縮が可能な流体がさまざまな境界条件のもとでどのような運動をするのかに関してはまだまだ未発見の現象が隠れており,現在でもいろいろと面白い現象が見つかっている.今回はそんな,流体での面白い現象の紹介である.

さて,水などの重い流体と,油(であるとか,空気であるとか)のような軽い流体が同じ容器の中にある場合を考えよう.この場合,もちろん最安定となるのは重い流体が下に来て,軽い流体が上にある場合である.当然ながら大きな容器に水と空気を入れると,最終的には水が下に来て上が空気で満たされる.例外としては例えば細管であれば毛管力によって水が上に来ることもあるが,まあ普通のサイズでは水が下に来る.
ところが,(私自身は寡聞にして知らなかったのだが)容器中で重い流体が上に来ている場合でも,縦方向の振動を与えることでその状態を維持できる,ということが1970年やそれ以前の段階で発見されているらしい(例えば1970年のPRLの論文).
通常,軽い流体(例えば空気)の上に重い流体(例えば水や油)が乗っていると,摂動(=小さな揺れや傾き)によりその界面の一部が下に落ち始める.そのような変形は,エネルギー的にはさらに拡大した方が(=重いものがより下に落ちていった方が)安定であり,そのため小さな摂動が大きな変形へと拡大,最終的には上に乗っていた液体が下に落下する.ところがこのような二相系が入った容器全体を上下にある振動数で軽くゆする,例えばサンプル瓶に油と空気を入れ,全体を縦方向に軽くゆすると,この振動により界面に発生した「波」の運動が摂動により生じた「液体の落ち始めの動き」を破壊することになる.要するに,上に乗った液体の一部が垂れ下がり始めたところで,液体-気体の界面に生じた波が上向きの運動を引き起こせば,そのような垂れ下がりは引っ込んでしまうわけだ.これにより,「軽いものの上に,重い液体をのせた」状態が安定化され,例えば「空気の上に油が浮いている」という面白い状況を作り出すことが可能となる.
もちろんこの際に振動はどんな振動数でも良いわけではないし(うまいこと表面波を共鳴的に励起できる振動数の必要がある),容器の広さが広くなりすぎるとこの効果よりもどこかで液体が落下する方が強くなってしまうので崩落する.大きな液面を安定化するには,それなりに大きな粘性をもった流体を使う必要がある.

今回の論文で報告されているのは,かなり大きなサイズでの液体の空中浮上と,その下部界面における「逆向きの浮力」(としてふるまう力)である.
著者らが用いた装置は,ガラス製の液体を入れられる容器全体を縦に振動させられるものである.容量的には液体を500 mlほど入れて実験を行っている.てっきりもっと小さいサイズでしか浮かせられないのかと思いきや,なかなかの大容量である.
この容器に,粘性の高い液体としてシリコンオイル(またはグリセロール.どちらでも同じ結果になる)を入れ,振動させる.そして容器の底に向け針を突っ込み,容器の底=液体の下に空気を注入していく.すると液体が見事に空気の上に浮く,というわけだ.もちろん実際には,あらかじめどのような振動数で共鳴するのかをちゃんと求めてやり,その振動数で容器を揺らしておく必要がある(今回の場合,およそ100 Hz程度).そのような条件で浮いている液体の下部界面(下の空気と接している部分)をよく見ると,レイリー・テイラー不安定性により重い流体である水が垂れ下がって落ちようとしても,界面に生じている振動により押し戻され結局浮いた状態が維持されていることが見て取れる.とまあ,グダグダ書くよりも,動画を見てもらった方が早いだろう.

下に空気を注入されても浮いているシリコンオイル
界面の拡大動画
二段の液相を浮かせることもできる

動画で上にあるのが空気,その下がシリコンオイルで,シリコンオイルのさらに下に空気を注入すると,液体のシリコンオイルが宙に浮いた状態を維持する.下部界面をよく見ると,振動により励起された表面波が界面を激しく揺さぶっており,小さな沈降が大きな落下に成長するのを阻害している.

さて,この浮遊した液体で報告された面白い現象が,逆向きの浮力である.例えばこの浮いている液体の上側(ピッタリ半分,というわけではないが)に気泡が入ると,当然ながら気泡は上向きに進む(次の動画の前半部分).ところが液体の下側の方に気泡が生じると,まるで浮力が逆向きに働くかのように,気泡は下側に向けて移動する(動画の中盤).そして容器をゆすっている振動数をうまくコントロールすると,気泡を自在に上に進めたり(=通常の浮力),逆向きに進めたり,ちょうど制止させたりできるのだ.

気泡にはたらく浮力の動画

一応計算としては,単純な気泡にはたらく浮力の式であるF=ρVg(ρは流体の密度,Vは気泡の体積,gは重力)のVとgとして,容器を振動させることでの実効的な重力(とみなせる成分)として単振動する値(g-Aω2cos(ωt))を,そして気泡の体積として圧力により圧縮される効果(ただし,その圧力を生む実効的な重力が前項のように振動する)を入れ計算すると,このような位置(および振動数や振幅)に依存した浮力が導かれ,下方では下向きの浮力,上方では通常通り上向きの浮力が働くことが算出できる(詳しくはSupporting online materialの最初のあたりを参照のこと). この結果,浮遊している液体の状面では普通に浮き,下面ではまるで重力が反転したかのように逆向きに「浮いた」状態が実現できる(次の動画の後半部分).

界面に浮くフロート

とまあ,何に使えるかは考えないとして,流体の示す面白い現象であった.(2020.9.7)

 

223. 硫黄で見つかった液-液相転移と液-液臨界点

"Liquid-liquid transition and critical point in sulfur"
L. Henry, M. Mezouar, G. Garbarino, D. Sifré, G. Weck and F. Datchi, Nature, 584, 382-386 (2020).

素朴な描像では,液体は無秩序に動き回る粒子の集合体であり,その構造は完全なランダムだと考えられる.しかしながら実際の液体,特に分子性物質の液体に関しては,分子間での相互作用が特定の方向で強い,などの特徴をもつため,液体状態においても微視的にはある程度の構造を形作っていることがある.例えば水分子は分子間に非常に強い水素結合が働くため,液体中においてもいわゆるクラスター構造などと言われるような構造をとっていることが知られている(といっても,怪しい水商売の方々の解説にあるようなかっちりした構造ではなく,動的に分離-会合を繰り返す一時的な構造である).
この「液体の構造」に関し,近年注目されている仮説が「水の二相共存モデル」である(このコーナーでも何度か取り上げている).水は通常の液体とは異なる非常に特異な性質をいくつも示しており,それがいったい何によって生じているのか,は長い歴史を持つ研究課題である.その中から浮かび上がってきた一つの仮説が「液体の水には実は2種類の構造があり,常温・常圧ではそれらが微視的には相分離した混合溶液となっている」という二相共存モデルだ.この仮説では,水には「1分子あたり4つの水素結合をもつ,氷に近い隙間の多い構造」をとっている「低密度水」と,「水素結合が一部崩れ1分子あたり平均3つ程度の水素結合しかなく,もっとぎゅっと詰まっている構造」の「高密度水」とが存在し,温度によってそれらの比率が違う,としている.
この「二相共存モデル」に関しては,低温で急冷することで作られるアモルファス氷(アモルファスなので結晶性の氷とは異なり,いわば液体の構造をそのまま凍結した,と考えられる)と,それに圧力をかけることで得られるもう一つの「高密度なアモルファス氷」が存在すること(=微視的な構造の異なる「ランダムな」構造が2種類あること)が根拠となり,さまざまな実験が世界各地で行われている.
※その一方で,近年ではその「高密度アモルファス氷」の存在を否定するような研究も出ており,混迷を深めている.

そんな水の二相モデルであるが,なぜ研究が難しいのかといえば
(1)室温では温度が高すぎて,液体の二相の臨界点(液-液臨界点)を超えている
(2)かといって液-液臨界点は凍結温度以下のため,臨界点以下に下げようとすると結晶化してしまう(=液体ではなくなる)
という2つがあるからだ.
(1)を説明するために,まずは気液臨界点を考えてみよう.気体に圧力をかけていくと,どんどん圧縮され密度が高くなる.一方,(沸騰しないように十分圧力を上げながら)液体の温度をどんどん上げていくと,その密度はどんどん小さくなる.その結果,ある温度&圧力で,気体の密度と液体の密度が一致してしまう,ということが起こる.この点を「臨界点」と呼び,これ以上の温度や圧力ではもはや気体と液体は区別できず,連続的に変化する一つの相となってしまう.
これと同様の現象が液-液相転移でも起こると推測される.低密度液体相に圧力をかけていくと密度が増える.一方高密度液体相の温度を上げると,密度が下がる.この結果,ある温度&圧力で低密度液体相と高密度液体相とが区別できない点(液-液臨界点)が現れ,これを上回る温度&圧力では,二つの相を分けることはできなくなってしまうのだ.そして水の場合,この液-液臨界点の温度が非常に低温であり(200 Kを超えたあたりと考えられている),液体のまま到達できないことが問題を難しくしている.

水は液-液相転移を起こすんじゃないか,と予想されているものの実験が非常に難しい.そこで,水以外の物質においてこの「液-液相転移を探す」という研究がおこなわれており,液状Si,二酸化炭素,液状炭素などで異なる液体構造間での相転移を示唆する結果が得られている.特にリンに関してはSpring-8で詳細な実験が行われ,低圧側での分子状リン(分子状の白リンP4)の液体から,もっとネットワーク構造の発達した黒リンに近い構造の液体への転移が観察されている.ただ,これらの物質では液-液相転移は見られたものの,存在が予測されている液-液臨界点は観測できていない.それはこれらの系での液-液臨界点が,非常に高温であったり負圧であったり,準安定の過冷却状態以下の温度であったりと,実験が困難な条件となるためだ.
そんななか今回報告されたのは,硫黄での液-液相転移の発見と,測定しやすい温度-圧力域での液-液臨界点の初の観測である.

硫黄は,すでに液-液相転移が知られているリンと同様に,分子状とポリマー状の二つの構造をとることができる物質である.低温では通常硫黄原子が8個リング状に結合したS8分子が安定で,温度を上げていくとリング状の分子を保ったまま388 Kで溶融,その後432 Kでが開裂し単鎖のポリマーへと成長するλ転移を起こす.
今回著者らは硫黄を圧力セルに入れ密閉,さまざまな温度で圧力を印可していき(等温変化),その際に密度と構造にどのような変化が起こるのかを観測した.なお,一部の圧力においては,圧力を固定したまま温度を上げる等圧変化での測定も行っている.密度に関しては,当時慶応大だった片山芳則氏(そこから原研/Spring-8へ)が開発した,X線吸収量から密度を求める手法を用いている(X線の吸収は原子種とその量で決まるので,吸収量から通過した領域に存在した原子の量=密度がわかる).また同時にX線回折もモニタし,結晶化していないかどうかや,2体相関分布関数(二つの原子が,どのぐらいの間隔で存在しているか,の分布)を求めている.

さて実験結果であるが,まずはさまざまな温度で圧力を上げていった様子を見てみよう.550 Kで圧力を上げていくと,0.4 GPa前後の圧力で急に密度が増加する点が現れる.これは明らかに転移の表れであり,しかも転移の前後でX線に明確なピークが現れないことから,液-液転移であることが示唆され,硫黄における液-液相転移の初の実験結果となる.なおこのときの密度の増加はおよそ3%程度であった.
もう少し高い650 Kではさらに顕著な密度増加が0.7 GPaを超えたあたりで起こり,密度が5%近く上昇する.加圧による転移で密度の変化が最も大きかったのは750 Kでの測定で,そこでは0.8 GPaを少し超えたあたりで密度が一気に8%近くも上昇している.さらに温度を上げていくと,加圧による転移での密度の増加は単調に減少していき,1030 Kぐらいまではギリギリ確認できた相転移が,1035 Kを超えたあたりで確認できなくなっている(=加圧しても,密度が単調に増えるだけで急激な飛びが見られない).これは,理論的に予測されていた液-液臨界点(低密度液体相と高密度液体相の密度が等しくなり,両者の間で明確な転移が無くなってしまう臨界点)が1035 K,2.15 GPaあたりに存在することを示唆している.
さらに確認された液-液相転移の観察においては,加圧により低圧相(低密度相)中に高圧相(高密度相)が生じ,2相が共存しつつ,加圧とともに次第に高圧相が成長していく様子が確認されている.この「2相共存」は1次相転移に特有の現象であり,この相転移が2次相転移ではない事の何よりの証拠となっている.
※二つの安定相がある液-液相転移は,1次相転移だと考えられている.

この液液相転移では,どのようなことが起こっているのだろうか?著者らは,2体相関分布関数から「低圧相(低密度相)ではS8的なリング状の構造が主体であり,高圧相(高密度相)ではリングが切れ,よりポリマー的になっている」と述べている.ただ著者らが重ねて強調しているのが,このような構造変化を伴うものの,この転移は以前から知られているλ転移(リング状構造から鎖状構造への転移)とは熱力学的には別のものである,という点だ.例えばλ転移は加圧とともに転移温度が単調かつわずかに減少するが,今回見つかった転移は加圧とともに転移温度が上昇していくなど違いがある.
また,今回見つかった転移の様子は,気液臨界点と大きく異なる点も興味深い点である.気液平衡では,圧力の印可とともに密度の差は単調に減少するため,転移に伴う密度の変化は圧力の増加とともに単調に減少する.これに対し今回見つかった転移は,圧力を上げると最初はむしろ密度の変化幅が大きくなり,その後減少する,というものであった.このような挙動は分子動力学シミュレーションでも予測されていたらしいが,低温側で分子鎖の運動範囲の変化によるエントロピー項の寄与の大きさが効くらしい.

ともあれ,液液相転移にまた一つ,比較的実験しやすい対称が加わったのは喜ばしい.(2020.8.24)

 

222. 自由に動くアームをもつロボットとベイズ探索を用いた物質探索

"A mobile robotic chemist"
B. Burger et al., Nature, 583, 237-241 (2020).

触媒化学などでは,さまざまな助触媒等の添加物を加えることでその活性が大きく変化することが知られている.しかも複数の物質を加える場合,それらの添加物間にも相関が生じることもあり,Aを入れると活性が上がる,Bを入れても活性が上がる,しかしAとBを同時に加えると活性が下がる,など非常に複雑な応答を示すことも多い.このため高活性の反応条件を見つけ出すためには片っ端から組み合わせを試す,というのが有効なのではあるが,何せ人間の手数には限りがあり,短時間で大量の組み合わせを試すのは至難の業である.
液体同士の反応などの場合は,マイクロ流路チップなどに複数の薬剤をポンプで繋ぎ,プログラムしたポンプでそれらを適宜駆動することでさまざまな比率での混合・反応を短時間で試すことが可能となっている.しかし固体の粉末などを用いる実験ではそういった装置が組みにくく,学生やらバイトやらを総動員してしらみつぶしに物質探索を行う,などがボトルネックとなっていることも多い. (この辺は昔に高温超伝導体の物質探索が通った道でもある)

さて,ただひたすらに似たような作業を繰り返す場合,工業的にはロボットが多用されている.しかも近年の技術の進歩により,ロボットには非常に柔軟で高機能な腕を備えたものもあり,これを化学の分野に応用できれば無人で黙々と物質探索を行うことが可能なのではないだろうか?
今回紹介する論文は,そんな目論見で実験のオートメーション化を図り,さらに制御プログラムがベイズ探索を行うことで短時間で高効率な反応条件を見つけ出せることを実証した,という論文になる.ターゲットとしたのは光触媒による水の分解で,加える物質などを条件を変えながら,光照射により発生する水素の量をガスクロで定量している.

まずは使われた働き者のロボットはこいつである.休日なしでも文句も言わず,バッテリーにより1日に21.6時間ほど稼働する(それ以外の時間は充電ステーションで休憩)ナイスガイだ.上部に備えられた腕は7自由度でさまざまな動きが可能,14 kgまでのものを持て,80 cm強の距離まで伸ばすことが可能.さらに本体には最大で200 kgのものまで載せて移動することができる.細かいことを言うと上に載っている腕と下のベースは別々に販売されている2台のロボットなのだが,まあこの実験の範囲では一体となって稼働するので合わせて1台と思ってよい.
本体には作業場所のマップを入力してあり,レーザー測量と組み合わせて理想的には1 mm以内(実際に実験室で試しても10 mm以内),角度も2.5度以内という高い精度で位置をコントロールできる(ついでに言うと何なら暗闇の中でも稼働できるので,光に弱い化合物の合成にもうってつけだ).
この精度はたいていのことには問題ないのだが,小さなサンプル瓶の取り扱いにはやや問題がある.そこで各実験場所で補正用のキューブを使用している.ロボットが所定の場所(例えばサンプル管を取り出す,などの場所)に来ると,その場所には補正用の100x100x50 mmの黒い箱が固定してある.ロボットはアームでこの箱の周囲6点に触れアームの位置を再確認(補正)することで,位置精度±0.12 mm,角度精度±0.005度という非常に高精度な動きを可能としている.

このロボットもいろいろできるのだが,それだけで実験を行うことは難しい.著者らはこのロボットに加え,メトラーが販売している粉体ディスペンサーQuantos QS30(設定された量の粉末を吐出する)や,少量の液体を正確に送り込める蠕動ポンプ&出てきた液量を重さで測るための電子天秤も用いる.これらは例えばArduinoなどで制御され,メインのAIが設定した量の原料を適切に提供する.ロボットはサンプル瓶(が16個ぐらい入るケース)をもって移動,各種の物質をさまざまな比率で混合し,それを窒素ガス下で封入(さすがにこの装置だけは市販ではなく,特注で作ったらしい),振盪機に入れよく振り交ぜながら光照射,その後ガスクロのところへ持っていきセットすると制御されたガスクロが水素の発生量を定量する.得られたデータは全体を統括するAIに送られ,どのような比率で何を混ぜるのが効果的なのかをベイズ探索により推測し,より高効率な組み合わせができると思われる分量を設定する.そしてロボは(充電時間以外は)サボりもせず黙々と実験を続けるわけだ.なお,実際の全体像各種装置のところを見てもらうとわかる通り,ロボの移動を考えかなりスペースをとった実験室を作っている.

それではまずは,ロボが黙々と働く様子を見ていただこう.

文句も言わず黙々と働くロボ
夜も暗闇の中で働く
キャリブレート後,粉を入れてもらったり液体を入れてもらったり振盪したりガスクロを使いこなすロボ(ボタンも押すよ!)
不活性ガス雰囲気で蓋をかしめる特注装置

なんというブラック職場.それでも文句も言わず黙々と働くロボ,実に良いですね!

この実験で著者らは,光による水の分解触媒としてP10(ポリマーの一種),正孔捕捉剤として事前の実験で良さそうだったシステインを用いた.触媒特性に影響を与える(可能性がある)ものとしては,過去の光分解の報告例で効果があったとされるものを中心に,(1)色素(これが強く光を吸収し,触媒にエネルギーを渡すことで効率が上がる.今回の実験では3種の色素分子を検討),(2)pH(NaOHを加える量によりpHをコントロール),(3)イオン強度(NaClを加えることでイオン強度をコントロール),(4)界面活性剤(触媒と溶液の接触が良くなり効率が良くなる可能性.イオン性と非イオン性の2種を検討),(5)水素結合しやすい分子(正孔捕捉剤や色素を触媒ポリマーに結び付ける可能性.Na2Si2O5を使用),という5つのパラメータを振っている.
これらのパラメータは全体の液量が5mlに制限されている点,および加える際の刻み幅(ポンプや粉体ディスペンサーの最小幅)を考えると,組み合わせとしては約1憶パターンがあり得るため,全体を探索するのは不可能である.そこで前述の通り,ベイズ探索を組み合わせることでできるだけ少ない試行回数で最適(に近い)条件を探させた.サロゲートモデルの構築とかの話も出ているが,さすがにそこまでは追えず.

では,どんな流れでロボ(と,裏で配合を考えているAI)がより良い比率にたどり着いたのかを追ってみよう.
まずスタートはランダムな配合比率からスタートである.つまり,光触媒の量や正孔補足剤の量自体もランダムだ(当然,活性は非常に低い).最初の22実験(1実験で,多分16サンプルぐらい作って測っている)で,AIはようやく「P10(光触媒)とシステイン(正孔捕捉剤)が一番のキーファクターらしい」と気づく.続いてAIはNaClを加えてイオン強度を上げるとやや活性が上がることを見出す.さらに100実験め(実時間で2日ごろ)までには,3種の色素や2種の界面活性剤がいずれも効果が無いことを発見.以降はこれらをほとんど加えない組み合わせ中心に探索が進む.これと並行し,30実験めあたりでAIはNa2Si2O5の使用が活性を上げることを見出す.一方でNaClはそこまで大きな効果を表さないことに気づく.こうして最後の688実験が終了した8日後には,P10とシステインにNa2Si2O5とNaOHを加えることで,単にP10とシステインだけの場合に比べ6倍も水素を発生できる組み合わせに行きついた(そしてこの触媒に対しては,色素と界面活性剤とNaClは要らないことも判明した).
なお著者らの見積もりによれば,同じぐらいの実験を人間が全部手動でやろうとすると数百日ぐらいはかかる,とのことである. (実際には人間もある程度自動化した装置を使うので,ここまではかからないとは思うが)

というわけで,ロボ(と適切な探索アルゴリズム)を組み合わせると,今以上にいろいろなもので大量探索が行えるよ,という論文であった.充電以外は休まず黙々と働いてくれて実にうらやましい限りである.(2020.7.10)

 

221. 壊れにくい超撥水表面の作成法

"Design of robust superhydrophobic surfaces"
D. Wang et al., Nature, 582, 55-59 (2020).

非常に水をよくはじく超撥水の表面は,ほんの少しの傾きがあれば濡れても水分が全て玉状となって流れ落ちるため,例えば汚れにくい表面や曇らない鏡,ドロッとした食品系のペーストがくっつかない蓋などとして実用化がされている.こういった(水系の)液体がくっつかない表面加工はこのほかにも,粘性の高い水溶液や懸濁液を低抵抗で流せるパイプ用の内面加工など,まだまだ数多くの応用が提案されている材料である.
このような超撥水の表面を作るには,どうすればよいだろうか?撥水性/親水性は,基本的には表面と水分子との相互作用によって決まる.もし表面が水分子とほとんど相互作用しない物質だった場合,水分子はそれらの表面にくっつくよりも,他の水分子に囲まれて自由に水素結合を作っていた方がエネルギー(正しく言えば,エネルギー,またはエンタルピーから,エントロピーと温度の積を引いた自由エネルギー)が低くなる.逆に言うと,水は撥水性の物質と接している接触面積に比例しただけエネルギーが上がる(界面エネルギー).
このため水はできるだけそれらの物質と接触しないように変形し,接触面積が小さくなるようになる.つまり撥水表面での水玉のような構造となる.通常取り扱える物質の中で,水との相互作用が非常に小さいのはフッ素樹脂である.これは通常のポリマー同様の炭素鎖の表面を,数多くのフッ素原子で修飾したものであるが,フッ素原子はその小ささと大きな核電荷ゆえに原子表面の電荷が動きにくく,分極率が極めて小さい.このため他の原子との相互作用が非常に弱い(テフロンが低摩擦な理由の一つでもある).
しかしながら,フッ素樹脂で表面をコートしただけでは,高い撥水性は持つものの「超撥水」(接触角が150度以上)までは行きつかない.超撥水を実現するには,物体の表面にナノレベルの凹凸を作る必要がある.物体の表面に非常に細かい凹凸があると,水と接した際の接触面積が増える(何せ表面に猛烈に細かい凹凸があるので,見た目以上に実際に接している面積が大きい).このため撥水性の物質の表面にナノレベルの凹凸を作ると,さらに格段に撥水性が上がり,超撥水の表面を作り出すことができる.

さて,この「超撥水には不可欠な,ナノレベルの凹凸」が問題である.物体の表面というのは,しばしば他の何かにぶつかったりこすれたりする部分にあたる.そこにナノレベルといういかにも壊れやすいサイズの凹凸が露出しているわけだから,超撥水の表面というのは何かとこすれるだけで容易に構造が破壊され,超撥水を示さなくなってしまうのだ.
もちろんこれまでにも様々な改善法は提案されており,例えばナノ構造を作るポリマーの化学結合をもっと強いものに置き換えるだとか,高強度の柱を立てておきそれで外部から近づいた物体を支え,本当の表面にある凹凸を守る,などが報告されている.しかしこれらは抜本的な解決になるほど強度が上がらなかったり,多少ましになっても生産性に難がある(量産しにくい,高価,等)など問題を抱えている.
今回著者らが報告しているのは,逆ピラミッド型の窪みを基板上に安価に作成し,そこにナノサイズの凹凸を作りこむことでナノ構造を保護しつつ高い量産性を確保する,というものである.

どういうものを作ったのかはこれはもう図を見たほうが早いので,Supplementary InformationのSupplementary Figure 4,5,7aと7b,10aを見ていただきたい.といってもまあ上で説明したまんまで,「ピラミッド状の型を作る → それをもとに『ピラミッド状に凹んだ表面』を作り,表面を撥水加工する」というだけの代物だ.なお,別にピラミッド型に限らなくてもよく,三角錐型やハニカム状の窪みを作っても同じようなことになる(Supplementary Figure 18).大まかなサイズとしては,ピラミッド状構造の一辺が100 μm程度となっていて,そこそこ大きいので作りやすそうである.
このようなピラミッド型の窪みをもった表面の作り方は何通りかあるが,例えばSiO2/Si基板にリソグラフィーで格子状にSiO2を残し化学的にエッチングするとピラミッド状の窪みができる.その上にポリマー原液をキャストして固め,ピラミッド状の突起のあるポリマーを作成.そいつを剥がして取り出し,今度はこのポリマーを鋳型としてセラミックの原料をキャスト,剥がしてセラミック部分を焼結すればピラミッド状の窪みがある薄膜が作れる.ポリマーを何度も再利用すれば同じ構造が何枚も作れるという寸法だ(Supplementary Figure 4と9).また別な手段として,円筒状のローラー表面にピラミッド状の突起を作りこんでおけば,こいつを基盤に押し付けながらゴロゴロ転がしていくだけでも同様なピラミッド状の窪みのある表面も作れる(Supplementary Figure 10).しかも転がして作るだけなので大面積化も余裕だし,緩やかな曲面にも転写できる.同様に,ピラミッド状の突起をもつSiやリン化ニッケルなどの硬い基板をハンコのように使い,金属表面やガラスにスタンプするだけでピラミッド状の窪みが量産可能である(Supplementary Figure 11,12).
ピラミッド状の窪みが出来たら,続いてナノ構造の作り込みだ.こちらも単純な手法で,基板表面に対しろうそくの煤を堆積させることでナノサイズの炭素粒子が積み重なる.それをテンプレートとしてシリカを堆積させ炭素を焼きだすとナノ構造のシリカで覆われた表面(ただしシリカなので親水性)となり,さらにその表面にフッ素修飾した炭素鎖を結合すると超撥水の表面の完成となる(Supplementary Figure 14).
このようにして作成した表面は,まずそのままの状態で接触角150度以上の超撥水性を示した.

続いて最も大事な耐久試験である.こちらも動画を見ていただくのが手っ取り早いだろう.
まず通常の(一般的な)超撥水表面を剃刀の刃でゴリゴリとこすると,表面構造が破壊されあっという間に超撥水性はなくなってしまう(41586_2020_2331_MOESM2_ESM.mov).
ところがこれに対し,今回著者らが作成した表面は,剃刀の刃で縦横にゴリゴリと削り,さらにドライバーでこすり,金だわしでこすり,サンドペーパーで削り,柔軟なプラスチックのへらでこすっても撥水性が維持されている.これは平面状のSi基板でも,曲面上のセラミック基板でも同様である(41586_2020_2331_MOESM3_ESM.mov).
※そこまでやらんでも,という気もするが,まあ,説得力はある.

ゴリゴリやる前と後とで,接触角的には数度程度しか劣化が見られない.これは,ゴリゴリとこすっても,少しずつ削れているのは鎧として保護に役立つ「壁面」部分であり,液体との接触の大部分を担う「窪み」の部分にはほとんどダメージが行かないことに由来する.
こする前後での落下した水滴の跳ね具合などを見ても(41586_2020_2331_MOESM5_ESM.mov),ダメージが少なそうなことは見て取れる.
さらに長時間のスクラッチにも耐えるかの試験として,プラスチック片をゴリゴリとこすり続けてみたところ,1000回ほどこすってもまだ接触角は150度程度を維持していた.
さらに,強烈な水流(10気圧ぐらいの圧力で,128 mlの水を0.8秒で放出.およそ32.6 m/sの速度らしい)を表面にぶち当てる,という実験でも(41586_2020_2331_MOESM7_ESM.mov),既存のコーティング法で作った表面は撥水性が落ちているのに対し,今回の手法で作成した表面は十分な撥水性を維持している.
前述の通り,この手法はガラスの表面にも適用できる.ガラス板にこの手法を適用し,うっすらと曇ったぐらいの透明度のガラスを作り,剃刀やプラスチック片でこすっても十分な撥水性が維持される様子が動画として公開されている(41586_2020_2331_MOESM8_ESM.mov).

超撥水表面は結構弱いのが常識だったのだが,思った以上に強いものが作れるものである.(2020.6.9)