[M(9S3)Br2]

 

9S3錯体第二弾.[Cu(9S3)2]2+とCuBr2を拡散法により 低温で混合,しばらく放置しておくと配位子交換が起こり[Cu(9S3)Br2]が生じ, 下図のような構造の板状結晶が数週間のうちに沈澱してきます.[1]


(左) c軸投影図.(右) b軸投影図.ただし奥側に位置する錯体は省略してある.

どうもCuサイズが微妙に結晶構造と合わないようで,低濃度でかなりゆっくり析出させないと 良い結晶は得られません.外見上は多少早く成長させてもほとんど変化はないのですが,磁性に 関しては大きな差を生じます.
まず錯体の構造としては,[Cu(9S3)Br2]のユニットで5配位の銅イオンとなっており, ここにa軸方向の隣の錯体の硫黄原子が(遠いながらも)配位することで6配位に近い状態と なっています.錯体内でのCu-S距離は,Br-Cu-Sがなす平面内のCu-Sで2.33 Å,面から 突き出たCu-Sで2.61 Å,a軸方向の隣接する錯体との弱い配位的結合が3.29 Åです.
一方,b軸方向に隣接する錯体間での近いS-S接触は4.05 Åと,硫黄のファンデルワールス 半径の和3.7 Åよりも1割程度長くなっています. このため磁気的にはa軸方向に連なった1次元鎖が基本となり,これに弱い鎖間相互作用の入った 2次元磁性体とみなすのが妥当でしょう.

そこで磁性を測定してみるわけですが,前述の通り,この物質はサンプルの結晶性によって 磁気相互作用の大きさが大きく異なります.以下に三つのサンプルの磁化率の測定結果(磁場は c軸に平行)を示します.


サンプル2ではほとんど反強磁性相互作用が効いておらず,反対にサンプル3ではかなり反強磁性 的で磁化率が低温で大きく減少していることがわかるかと思います. この最も出来のよかったサンプル3は見てわかる通り磁化率が低温で幅広い山を示します. このようななだらかな変化は低次元反強磁性体でよくみられるもので,低次元化により秩序状態が 不安定化し転移温度が低下,これに伴い転移温度よりも高温側で転移しきれない,短距離でのみ 相関があるようないわゆる短距離秩序(short range order,SRO)の発達によるものです. 実際,高温側での磁化率は1次元のS=1/2反強磁性体モデルであるBonner-Fisherモデル[2-3]で よく表せ,これは錯体が1次元状に連なった結晶構造とも整合します. ちなみに,フィッティングより求まった相互作用の強さはおよそ-5.4 Kです.

[Cu(9S3)2]2+とCuBr2を使う代わりに,いずれか一方を ニッケル錯体とした場合,一部がNiで置換された [Cu0.95Ni0.05(9S3)Br2]が得られます.こちらは純Cuの結晶 とは異なり,高い結晶性を持ち磁性のサンプル依存もほぼありません. 結晶構造,磁性はほぼ同じ(ただしフィッティングから求まる相互作用の強さは-4.7 K)ことから, 一部のCuがNiに置き換わることでその部分の結合長や結合角が変化,Cuだけではおさまりが悪い ために生じていた歪みを要所要所で解消することで結晶性を上げているのだと考えています.

[1] J. Nishijo et al., Bull. Chem. Soc. Jpn., 77 (2004) 715-727
[2] J. C. Bonner and M. E. Fisher, Phys. Rev., 135 (1964) A640-A658
[3] D. B. Brown et al., Inorg. Chem., 18 (1979) 2635-2641