原子番号104,ラザホージウムの名前の由来となったラザフォードの写真です.この元素は1964年にソ連のドゥブナ合同原子核研究所で最初の合成が成功し,その後独立にカリフォルニア大学バークレー校が1969年に合成に成功しました.ただし当時はこの元素の崩壊を最後まで追うことができず,元素としては未確定となります.最終的に合成が確定したのは1973年,ソ連とアメリカのグループが独立して結果を得てIUPACに提出し,命名権が争われることとなりました.最終的にはこの元素に関してはアメリカチームの命名が認められ,原子核の発見や人工核変換の成功などから原子物理学の父と呼ばれるイギリスのラザフォードにちなみ,ラザホージウムと名付けられました.
ラザホージウムはその発見と命名権をめぐりかなりの論争が起こった元素です.そもそもの合成自体はソ連のグループが先だったとみられますが,104番元素であることを確定させることができず,結局確定的なデータを提出できたのはアメリカと同時となりました.IUPACはこの発見を両グループ同時に行われたものとみなし,104番元素はソ連グループの提案していたドブニウムとするなど104〜109番元素までの命名案を提案しましたが,アメリカグループが提案していた命名と大きな齟齬があった(ある元素に対し提案していた名前が,別な元素に流用される,など)ことから紛糾,その後の議論を経て,104番元素の名はアメリカチームの主張するラザホージウムへと変更されました(同時に,ドブニウムの名は105番元素に割り当てられることとなります).
この元素の合成において,ソ連グループは242Puに加速した22Neを衝突させるという方法をとり,アメリカのグループは249Cfに加速した12Cをぶつけるという方法をとりました.いずれの手法においても生成する同位体は数秒程度の短い半減期の原子であり,迅速に崩壊してより軽い核へと変化していきます.
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