原子番号105,ドブニウムの名前の由来となったソ連のドゥブナ合同原子核研究所があるドゥブナの市章です.ドブニウムはソ連のドゥブナのグループが1968年に報告し,それとは別にアメリカのローレンス・バークレー国立研究所のグループも1970年に報告を行っています.この元素の命名に関しては長い論争がありましたが,最終的に1997年に承認されたIUPACの勧告でドゥブナにちなんでドブニウムと呼ぶことが決まりました.
原子番号105,ドブニウムの名前の由来となったソ連のドゥブナ合同原子核研究所があるドゥブナの市章です.ドブニウムはソ連のドゥブナのグループが1968年に報告し,それとは別にアメリカのローレンス・バークレー国立研究所のグループも1970年に報告を行っています.この元素の命名に関しては長い論争がありましたが,最終的に1997年に承認されたIUPACの勧告でドゥブナにちなんでドブニウムと呼ぶことが決まりました.
ドブニウムの命名は,この時代の米ソの超重元素合成競争を反映して紆余曲折がありました.当時のアメリカを中心とした西側諸国とソ連を中心とした東側諸国の研究者間の交流は非常に限られており,両陣営のグループが独立かつほぼ同じ時期に同じ元素の合成を成功させているため,命名においてはなかなか合意に至ることができませんでした.最終的には,104〜109番元素の命名をまとめて行う勧告の中で,ドブニウムの命名によりソ連側の貢献を認めつつ,アメリカやドイツの提案していた命名をほぼ認める形で(なんとか)合意にこぎつけています.
この元素の合成において,ソ連グループは243Amに加速した22Neを衝突させるという方法をとり,アメリカのグループは249Cfに加速した15Nをぶつけるという方法をとりました.