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60. ウィルスの殻を利用した機能性ナノ粒子
"Use of the interior cavoty of the P22 capside for site-specific initiation of atom-transfer radical polymerization with high-density cargo loading"
ナノサイズのカプセルは今後様々な用途に利用されると考えられている.こういった素材は,例えばカプセルの表面を特定の抗体で修飾しておけば,体内をぐるぐる回りながら患部に集結,カプセルが割れて中の薬剤を局所的に放出する事で副作用を減らす,といったドラッグデリバリーであるとか,MRIで見えやすい希土類元素を含むカプセル表面を修飾して初期病巣を発見するだとかそういう用途があるわけだ.
ウィルスは,基本的には非常に形の整ったカプセルの内部に遺伝情報である核酸を入れただけの構造を持っている.その外殻はきっちりと配列の決まったタンパク質で出来ており,サイズと形状が一意に決まったナノカプセルだ.しかも壁面の構成要素はタンパク質なのだから,各所に化学修飾出来る置換基を持っている.こいつを機能性ナノ粒子(の殻)として利用してやろうというのだ.
今回の論文では,著者らは天然のファージP22の遺伝子配列に手を加え,その殻の一部(といっても,周期構造であるので420個の同種の箇所全部)を反応性の高いチオール(-SH)を持つアミノ酸に変更,70nm弱の正20面体の殻で,内側に反応性の点420個を持つナノカプセルを作り上げた.ウィルスの殻自体をナノカプセルに利用した例はこれまでにもあるのだが,この論文の肝はこの遺伝子改変により組み込んだ反応点である. 本手法の優れている点は,ナノカプセル内部をびっちりとポリマーで埋め,しかもそこに多数の機能性分子をぶら下げられる,という点にある.例えば類似のカプセルにGd3+を詰め込んだ系では,これまでは100-1000個程度のGd3+しか詰め込むことが出来ていなかったのに対し,この論文では約10000個ものGd3+を詰め込むことに成功している.これはつまりMRIで検出されるシグナルが10倍以上になるわけで,非常に高感度な検出が可能になる事を意味している. まだ化学の及ばない部分を生物に頼り,そこにさらに手を加えることで機能性を出す,という手法はもうしばらくは面白い結果を出し続けてくるだろう.本音を言えば,化学をさらに一段引き上げて生物の特性をぶっちぎる,ってところまで行きたいものなのだが,それはなかなかまだ難しい.(2012.8.28) |
59. 超原子価は実在か?:硫酸カリウムにおける理論と実験
"Testing the Concept of Hypervalency: Charge Density Analysis of K2SO4"
今回の論文が対象とするSO42-,結合様式は(少なくともちょっと以前までの)多くの教科書では単結合で結ばれたO-が2つと,二重結合で結ばれたOが2つという構造でかかれ,二重結合と単結合の組み合わせがいろいろ入れ替わった様々な構造の共鳴構造として書かれている.このような単結合と二重結合の共鳴があるからS-Oの結合は2重結合と単結合の間の強さなんですよ,というわけだ.
なるほど確かに,S-O間の結合距離は通常の単結合のS-Oより短く強いため,説得力を持つ.そしてこういった結合本数の多いS原子は,d軌道も結合に用いることでこれらの4本以上の結合を持つ構造を実現している,という説明がされる. そこで今回の論文である.本論文では,理論計算による電子分布の予測と,放射光を用いた超高精度の単結晶X線回折による価電子密度分布の実測を組み合わせ,この問題に決着を付けている.X線回折では,X線は電子によって散乱される.通常の単結晶X線回折では,電子が沢山集まっている原子核周辺で散乱が大きく,結合に関与している電子(=広い範囲に広がっており,電荷密度が低い)による散乱波非常に小さく検出しにくい.しかし放射光のやたら強烈で平行性の高いX線を利用すると,原子間の空間中にどのように電子が広がっているのか(=結合軌道がどう分布しているのか)を測定することが可能になってくる.これを利用したわけだ.
さてその結果である. このあたりの話,理論的にはかなりのところまで既にわかっていたことなのであるが,実験的裏付けも加わったという意義は大きい.といっても,当分の間は「SO42-は1.5重結合で云々」という教え方も無くならないだろう.何せSF6でd軌道の寄与が低いなんて事は3-40年前にほぼ理論的には大枠で決着がついていることなのに,未だにdを含めた混成が教えられていたりするのだから.(2012.8.10) |
58. 北極圏における謎の大規模気温上昇
"2.8 Million Years of Arctic Climate Change from Lake El'gygytgyn, NE Russia"
現在の気候モデルによる計算では,温暖化の影響は北極圏で顕著に表れると予想されている.過去の気候変動の影響を知る事は,今後起こる事を予想する上で非常に有益であるため,北極周辺では堆積物の掘削などによる過去の気象状況の調査が進められている.これにより,過去にどのような変動があったのか?という点が解明されつつあるのが現状である. 過去の堆積物中の元素比からは,その当時の気候が推定出来る.今回用いられているのはMn/Fe比やSi/Ti比などである.MnとFeは比較的似通った化学特性を示し,両者が混じった堆積物を生成するのだが,どの程度の酸化条件下か,pHはどのぐらいか,により微妙に堆積速度が変化する.そのため,堆積物中のMn/Fe比から当時の酸素濃度などが推定できることが知られている.水中の酸素濃度は温度や生物活動により変動するが,他のデータとつきあわせる事でそれぞれの影響を分離出来るわけだ.SiとTiは土壌の主成分であり,周辺からの土壌の流入などにより元素量そのものは増大する.その一方で,Siはケイ酸化合物の形で珪藻やイネ科植物などが骨格を作るために利用しており,これらの植物が繁茂している場合はSiを多量に含んだ堆積物が生成され,Si/Ti比が上昇する.これにより,Si-Tiとも上昇している場合は周囲からの土壌流入が激しかった事を示し,特にSi量が増えている場合は植物が生成しやすい環境であった事を示す.
こういった化学分析を元に,過去の気候が再構築された.さて,過去の氷期や間氷期を示すのに,MIS(Marine Isotope Stage)という区分が用いられる.これは元々海洋堆積物中の酸素同位体比から当時の気温を推定して作られた区分で(そのためMarineの語を含む),現在の間氷期をMIS 1,直前の氷期がMIS 2,その前の間氷期がMIS 3,と順次番号付けされたものである.
ではこの現在より8-14 ℃もの気温上昇,何が原因だったのだろうか?様々な先行研究から判明している大気組成(各種温室効果ガス濃度),太陽輻射量の増大を考慮に入れても,これほど大規模な気温上昇を説明するにはまだまだ不足しているらしい.従って,気候システムの何らかのポジティブフィードバックが関わっており,それが極地の気温上昇を増幅していたと考えられる.例えば気温上昇による氷塊の融解 → 海流の変化 → 温度分布の変化であるとか,気流の変動などが関わっている可能性だ.しかし何らかのポジティブフィードバックが必要だろうと言うところまではわかったものの,それが具体的にどんなメカニズムなのかは不明で,今後の研究課題のようだ. 気候システム全体は非常にカオス性が強くなかなか解析が進まない対象ではあるのだが,この手の大規模変動に関するモデル計算は何とか実現してもらいたいものだ.といっても,どの程度計算コストが必要なのかを含めまだまだ未開拓な部分が大きいのではあるが.(2012.7.20) |
57. 銀河を繋ぐ架け橋
"A filament of dark matter between two clusters of galaxies"
恒星,銀河,銀河団といった高密度な構造の形成には暗黒物質が重要な役割を果たしたと考えられている.そもそもこういった構造が生じるためには,何らかの原因で物質がどんどん集まってこなくてはいけない.この原動力としてすぐに思い浮かぶのは重力であって,例えば均一なガスであっても偶然に揺らぎとしてある程度物質が集まった領域が生じれば,重力の効果により質量が質量を呼ぶ連鎖が起こり恒星や銀河を作ると考えられる.
これを解決する鍵が暗黒物質である.暗黒物質の正体はともかく,それは質量を持ち,さらに重力以外では粒子間でほとんど(もしくは全く)相互作用しないと考えられている.粒子間で相互作用がないという事は,圧力による膨張を考えずにどんどん集合していける事を意味する(もちろん,運動エネルギーによる拡散はあるが).このため,通常物質がその圧力によりなかなか凝集出来ない間にも暗黒物質は重力による凝集が進み網状の構造を構築.その後ようやく温度が下がり凝集出来るようになった通常物質は,先に凝集している暗黒物質の大規模構造の重力に引きつけられ,同じような位置に集まって恒星や銀河,銀河団といった構造を作ったと考えられている. しかしこういった銀河団などの通常物質とともに動いている暗黒物質ではなく,前述の網目状構造を取っている背景としての暗黒物質というのはこれまで観測されていなかった.というのも,暗黒物質が多量に集まっている点というのは当然通常物質も引きずり込まれて集まっている(=銀河となっている)わけで,通常物質を伴わない暗黒物質の網(=密度の低い暗黒物質の構造)を重力レンズで見つけるのは非常に困難だからだ.幸いな事に,今回著者らが解析を行った銀河団の間の暗黒物質フィラメントは非常に観測しやすい方向になっており,それが本論文の発見に繋がっている.
解析の対称としたのは,Abell 222および223という近接した銀河団である(後者は実際にはかなり近接した二つの銀河団からなる超銀河団であるが).この両銀河団の引き起こす重力レンズ効果による背景の歪みに対し,様々な質量分布を仮定してその時起こる歪みと比較・フィッティングを行う事で実際の質量分布を求めている.初期値としては見えている銀河団と一致する大きな質量+単純に両者を結ぶ線状の質量分布を用い,そこからマルコフ連鎖モンテカルロ法でランダムに変化させながら最適(に近い)解に落とし込んでいる. 今後はさらに高感度・高分解能な衛星の打ち上げなども計画されており,この手の発見は数を増やしていくものと思われる.(2012.7.12) |
56. 細菌を網で捕らえる
"Human α-Defensin 6 Promotes Mucosal Innate Immunity Through"
腸というのは免疫において非常に重要な地位を占めており,例えば人間の免疫細胞の約7割が腸に存在する.これは考えてみれば当然の話で,腸というのは膨大な数の常在菌が存在していたり,外部から取り入れたものが直接体内の細胞に触れるなど,感染の危険が非常に高い器官であるからだ.その腸における免疫の主役の一つがパネート細胞と呼ばれる細胞であり,ディフェンシン(defensin)と呼ばれるタンパクなどを分泌して細菌と戦っている.
研究にあたっては,マウスにHD6を作る遺伝子を組み込んだものを用いている.まず,HD6が免疫に関係しているのかどうかを確かめるために,HD6を組み込んだものと野生型のの双方の集団に対しサルモネラ菌を投与した.野生型は6日後に半数が死亡したものの,HD6を作れるマウスは全数が生き延びていた.
続いて,非常に感度の高い分光法を用いて細菌とHD6,および比較用にHD5との反応を調べている.HD5は通常の抗原抗体反応と同じように,細菌に対して迅速に吸着し,そして洗うとそこからすぐに外れていく. さすがはナノマシンの宝庫である生体.実に様々なものが発見される.(2012.6.22) |
55. 捕食者の存在は,回り回って腐葉土の分解速度に影響する
"Fear of Predation Slows Plant-Litter Decomposition"
自然界では食物連鎖によりそれぞれの種が他の種の生息数に影響を与えている.さて,捕食者が他種の生息数に与える影響は,通常は食った食われたの関係による数の増減だけと思われている.しかし今回,著者らは思いもよらない関係が成り立っている事を発見し報告している.
まず,物事の流れを順に見ていこう.
さて,問題はこのC:N比の土壌生態系に対する影響だ.土壌におけるC:N比は,そこに住む微生物の増殖や植物の生長に深く関わっている事が知られている.というのも自然界では有機窒素は比較的希少な栄養素であり,生物の増殖の律速要因の一つだからだ.となると,ストレスフリーな環境でのびのびと育った相対的に窒素を多く含むバッタの死骸と,捕食者におびえながら育った窒素少なめなバッタの死骸では,どちらが(微生物にとって)栄養的に優れているかは言うまでもない.
著者らは続いて,「ストレスフリーなバッタを埋めて分解された後の土」と,「ストレスありのバッタを埋めて分解された後の土」に対し藁(に類するもの)500mgを加え,その分解速度を観察した.なお藁というのは微生物にとっては栄養価の低い餌である.するとなんと,ストレスフリーなバッタ(=窒素をちょっとだけ多めに含むバッタ)の側は,2倍の速度で藁が分解されたのだ. また捕食者の存在しない地域と,クモなどがそれなりに存在する地域の両方で,バッタが死んだ後の季節に土壌を採取,それぞれに藁を加えたフィールド実験でも同様の結果が得られており,実際の自然界の中でもこの効果は現れていると考えられる.
以上をまとめると,
この研究結果は,捕食者という食物連鎖の頂点にいる存在が,間接的に食物連鎖の最底辺である土中の微生物に対し影響を与えている事を示唆している.このような相互作用はこれまで検討されておらず,生態系というものが想像以上に複雑なネットワークである事を改めて印象づけている. |
54. メラニン色素が誘引するメラノーマ
"Melanoma induction by ultraviolet A but not ultraviolet B radiation requires melanin pigment"
メラノーマ(悪性黒色腫)は皮膚の色素細胞であるメラノサイト(メラニン細胞)が癌化したものである.皮膚癌の発症数に占める割合はそんなに高いわけではないのだが,急速に進行するため皮膚癌関連の死亡率で見ると相当高い比率を占める,つまり発生率は高くないが,一度発症するとかなりまずい,と言うものだ.
1. 人種による発生率の差が大きい.白色人種における発生率は他の有色人種での値の10倍程度になり,しかも日光に曝露される部位での発症が顕著に高い.一方他の有色人種では,日光に曝される部位かどうかと発症率にはあまり相関がないことが知られている.
多くの癌誘因因子は量が増えれば増えただけ危険になるのだが,メラノーマに関してはむしろ途切れ途切れに浴びるとまずいと言う際だった特徴を持つ.特に白色人種においては太陽光に含まれる紫外線の影響が大きいことはわかっているのだが,その波長依存性や,どのようなメカニズムで癌化しているのか,と言った部分は未だ解明されていない.
実験としては,HGFトランスジェニックマウスを利用している.元々マウスではメラノサイトが毛根部分以外にはほとんど無くメラノーマのモデルとして使えなかったのだが,HGF(肝細胞増殖因子)の部分をいじってやったもので皮膚にメラノサイトを多数持つ遺伝子改変マウスが出来るらしい.そうやって作成したマウスによって人間のメラノーマ研究のモデルとすることが可能となり,紫外線を照射してどのような比率でメラノーマが発生するかの実験に成功した.なお実験においては,皮膚にメラノサイトを多数持つようになったマウス(黒色種)と,メラノサイトは多数あるが色素を作れないアルビノ種の2系統を作成,比較している.
さて実験結果であるが,UV-B,つまり短波長の紫外線に関しては,アルビノ種であれ黒色種であれ同じような比率でメラノーマを発症し死んでいった.これに対し,UV-A,つまり長波長の紫外線を照射した場合には,この二つの種でメラノーマ発症率に顕著な差が観測された.黒色種の方が明らかに発症率が高かったのである.
以上をまとめると,
・UV-A,UV-Bともにメラノーマを生成する. ただし,マウスと人では以下のような違いもあるため,この結果が即座に人間にも当てはまるかどうかは何とも言えない.まず,人間の方が表皮の厚みがかなりあるため,紫外線の浸透度と影響がかなり異なる可能性がある点.もう一つは,人間は2種類のメラニン色素を持つが,マウスはその一方しか作らないという点である. とはいえなかなか面白い研究である.(2012.6.12) |
53. X線自由電子レーザーを使った超短パルス・微小結晶構造解析
"High-Resolution Protein Structure Determination by Serial Femtosecond Crystallography"
単結晶X線構造解析は非常に強力な手段で,十分大きな単結晶さえ作る事が出来れば分子形状・原子の位置などを1 Åを超える分解能で決めてやることが出来る.これにより化学や物質科学などの分野は劇的に進歩したわけではあるが,残念ながら「十分大きな結晶」を作ることが難しい相手には適用出来ない,と言う弱点がある.
結晶が小さいとなぜ困るのか?それはX線を当てたときに出てくる回折パターンが弱くなり,S/N比が悪くなるためである.であるならば,当てるX線を極端に強くし,出てくる回折パターンを強くすればよいという事になる.
さて,いよいよ今回の論文である.
実際に得られた回折パターンの例が,Supporting InformationのFigure S1(生データ)とS2(バックグラウンド補正処理後)に示されている.いや,こんな小さい結晶からここまできれいな回折像が得られるの!?ってぐらいきれいなデータだ.
単結晶構造解析をやらない方には,結晶サイズが1桁小さくて良いというのがどれだけありがたいことかはなかなか実感出来ないとは思うが,解析する方から言えばこれはなかなか大変なことである.こういう手法がどんどん広まると構造解析が楽になってありがたいのだが. |
52. ウィルスで発電
"Virus-based piezoelectric energy generation" 今まで無駄に捨てられていた微小なエネルギーを何とか回収して有効に活用しよう,というエネルギーハーベスティングの研究が盛んである.例えばわずかな温度差から発電する熱電素子,振動をエネルギーに変える圧電素子,流体の流れを電力に変える素子(手法は機械的な物,化学的な物など何通りかある)といった物が挙げられる.これらから得られる電力は当然微弱な物であるが,近年の半導体技術の進歩により非常に低消費電力のプロセッサ(例えばピコワットレベルの消費電力を実現したPhoenixなど)が開発されており,これらと組み合わせることで常時環境中や体内でモニタリングを行うセンサーチップなどが実現出来るわけだ.
今回の研究はこうしたエネルギーハーベスティングの中でも,圧電素子を扱った物だ.圧電素子とは力学的な変形を与えると電位差を生じる(逆に,電圧をかけると力学的な変形が生じる)物質であり,例えば水晶振動子であるとか,STMの駆動部分のピエゾ(かけた電圧に比例して伸び縮みし針先を動かす)が該当する.こういった圧電素子に電極を付け何らかの力,例えば音であるとか外部からの衝撃を加えると,その一部が電流として取り出せることとなる.
彼らが用いたのは,M13と呼ばれるファージの一種だ.ファージは細菌に感染するウィルスであるが,このM13は幅6.6nm,長さ880nmという非常に細長い筒状をしている.筒の内部にはRNAが入っているわけだが,今回利用するのはこの殻の部分の特性だ(RNAも入ったまま使うが,特に意味はない).この筒,さらに細かく見ると棒状のタンパク質が螺旋状に積み重なったものである.棒状のタンパク質が,傘の骨のように中心から外へと斜めに突き出し,この棒が生える位置を少しずつずらしながらぐるぐると螺旋状に積み重なっている.
この材料の第一のポイントは,なんと言ってもその量産性の高さである.何せウィルスであるから,大腸菌なりなんなりに感染させて増殖させればいくらでも材料が取り出せる.それらを集めて膜状に固めれば圧電素子のできあがりだ. 微妙な特性(圧電特性や,成膜などのやりやすさ)やらなんやらを遺伝子操作で調整しつつ,望む特性が決まったら培養でどんどん量産する事によって低コストなマイクロ発電素子を量産出来るようになるわけで,面白い研究だ.(2012.5.15) |
51. 3Dプリンタで楽々実験器具作り
"Integrated 3D-printed reactionware for chemical synthesis and analysis"
こういった論文が掲載されたことにちょっと驚く.
そもそもこのFab@Home,コーネル大の研究者が始めたもので,2000ドル程度の材料費で3Dプリンタが作れるというものである.基本的な構造としてはX,Y,Z方向に駆動出来るヘッドの先端に注射器が付いており,ヘッド位置および注射器のピストンがプログラムにより制御され,所定の位置に内容物をはき出す.大気中の酸素や水分と反応して硬化する樹脂を充填しておけば,立体物が制作出来る,というものになる.
最初のデモンストレーションはコバルト-タングステン系のポリ酸クラスター(ある種の大きめの錯体の仲間)の合成である.しかもわざわざ新規物質である.
次に著者らが実演して見せたのは,電気化学実験用セルである.通常は溶液中に電極を突っ込み,電気分解をしながら流れる電流やら光の吸収を見てやったりする.さて,著者らは今回,電極自体も3Dプリンタで作り込んで見せた.透明なガラス板を底面として,原料となるアセトキシシリコーン(繰り返しておくと,風呂用パテだ)に導電性カーボンを混ぜ込んで3Dプリンタでひょいっと線を引くと,これが立派な導電性のある電極となる.あとは周囲の壁面を通常の樹脂で作って器にすれば電気化学セルのできあがりである.カラス製の下面から光を照射しながら,上面で分光を行えば電解を行いながらの吸光度測定が可能となる. さて,手軽に反応容器が作成出来る利点はなんだろうか?著者らはその疑問への回答の一つとして,反応容器により起きる反応が大きく変化する有機化学反応を実演している.前述の2液を混合する反応容器と似ているが,反応室のサイズの違う2種類の容器を作り(Supplementary InformationのPDFファイル,Figure S6),そこで起こるある有機反応(詳細は省く)の生成物がこの反応室の大きさにより大きく異なる事を示している.こういった反応容器のサイズの差などは,実は溶液の混合具合などに影響を与えるため,有機反応においてはかなり影響を与えることがある.実際,化学プラントにおける反応などでは,反応容器のサイズや攪拌などの最適化を行い,目的物の収量&純度をいかに上げるか?という部分がじっくりと検討される.ところが実験室レベルでは通常,実験器具は出来合いのものを使いあまりサイズ面などの最適化は行われない(いちいち微妙にサイズの異なる反応容器をオーダーメイドでいろいろ用意すると大変).ところが3Dプリンタを利用すればそういった比較検討が実験室レベルでもやりやすくなるよ,という事だろう. 最後に著者らは,前述のカーボンペースト混合樹脂と似たような手法で,Pd触媒担持カーボンを樹脂に練り込み,反応触媒も一緒に3Dプリンタで作り込んだ反応容器を作成,ちゃんと触媒活性があることを示している.これにより,各種反応を行う場として,触媒もろとも一緒に作り込んだ反応容器が容易に作成出来ることもわかる(Supplementary InformationのPDFファイル,Figure S3). 化学の基本である加熱とかが難しいなどまあ現状ではまだ課題もあるものの,「ある反応に最適な反応容器の印刷データ」なんぞも論文と一緒に配布されるような時代になると面白いかも知れない(多分そんなことにはならないけど). 「○○反応に最適な××研に代々伝わる秘伝の反応容器」とかも面白そうだ.(2012.4.16) |
50. 剥がせるGaN半導体"Layered boron nitride as a release layer for mechanical transfer of GaN-based devices" Y. Kobayashi, K. Kumakura, T. Akasaka and T. Makimoto, Nature, 484, 223-227 (2012).
窒化物半導体は高い化学的安定性(劣化しにくい),組成制御により連続的に変化させられるバンドギャップ(発光波長を制御しやすい),高い熱安定性(非常に高温でも動作可能),高い絶縁破壊電圧(高電圧での駆動が可能)といった特徴を持つため,発光素子やパワー半導体といった用途への広い応用が期待されている.しかしその一方で,サファイア基板を代表とするごく限られた基板以外の上には広い面積の単結晶を成長させることが難しいことが知られており,通常はサファイア基板上にCVDによって成膜し,窒化物半導体薄膜を作成している.
そのため,サファイア基板から何とか窒化物半導体を剥がす,もしくは最初からサファイア以外の基板上で窒化物半導体を成膜する,という研究が積極的に行われている.いくつかの手法が開発されているのだが,剥がす方の研究は大きく3つに分けられる.一つ目はレーザーリフトオフ法であり,基板となるサファイア側から強烈なパルスレーザーを当てることでサファイアと窒化物半導体の界面を気化させ半導体本体を剥離させる,という手法である.すぐに想像できるとおりこの手法は窒化物半導体側へのダメージが大きいとか,あまり大面積のチップはうまく剥離出来ない,かなり大規模な設備が必要となる,という問題を抱えている.2つめの手法は化学的エッチング法であり,サファイア基板と窒化物半導体との間に化学的に分解しやすい別の物質を薄く積層する,という手法である.こちらの問題点は,窒化物半導体側に化学的な汚染が生じる可能性,ケミカルな反応を伴うためこちらもそれなりの規模の設備が必要となる,中間に余計な化合物の層を挟むため上にのせた窒化物半導体の結晶性を上げるには窒化物の層を十分厚くする必要がある,などが挙げられる.そして最後の3つめの手法が,比較的容易に劈開する物質をサファイアと窒化物との間に成膜しておき,物理的に剥ぎ取る,というものである.これまた間に余計な層を挟むことによる結晶性の問題が存在する.
実際の構造としては,サファイア基板の上にまず六方晶窒化ホウ素(h-BN)の薄膜(3nm)を成膜する.h-BNはグラファイトとよく似た構造を持っており,隣接する炭素をBとNに置換したような層状構造となる.当然ながらグラファイトと同じように非常に劈開性が高く,少しの力できれいに(それこそうまくやれば原子レベルでフラットに)剥がすことが出来る(身近なもので言えば,雲母が剥がれるのと似ている). |サファイア基板 | h-BN | AlGaN | GaN | 量子井戸層 | GaN |
となる. |転写先基板 | 接着層 | GaN | 量子井戸層 | GaN | AlGaN | h-BN | サファイア基板 | そしてペリッと剥がせば,劈開しやすいh-BN層が二つに割れて |転写先基板 | 接着層 | GaN | 量子井戸層 | GaN | AlGaN | h-BN | + | h-BN | サファイア基板 |
と,任意の基板にGaN系半導体素子を貼り付けることが可能となる.後は切り出すなり,研磨するなり,積層するなり思いのままだ. 本手法は,ミクロンやサブミクロンオーダーの薄いGaN半導体素子を任意の基板上に配置することを可能とする.これまでは基板が邪魔だったりでなかなか使えなかった用途へもGaN系半導体の使用範囲を広げる可能性がある.元々NTT基礎研は窒化物半導体の研究をかなりいろいろやっているのだが,これまでの蓄積がうまいことまとまった,という感じだろうか.(2012.4.12) |
49. 遠隔的ジュール加熱
"Remote Joule heating by a carbon nanotube"
著者らが以前に開発したナノスケールでの熱分布を見るための手法を,CNTから基板への熱の逃げ方の測定に使用した研究である.CNTは次世代の配線素材としても期待されているが,Siや金属電極との接合部での熱伝導が悪く,どの程度熱が逃がせるのか?という事は重要な研究課題である.単一のCNT-金属接合での熱抵抗などは測定されているのだが,長いCNTが基板に乗っているときの熱の逃げ方の分布を実際に測定した例はなかった.そこで著者らは自分たちの開発した手法でそれを測定したわけだ.
サンプルとしては,窒化ケイ素の薄板の上にCNTを置き,その両端にPdを蒸着して電極とする.この2端子間に直流電流を流し,その時の発熱を薄板の裏に蒸着したインジウムの溶け具合からモニタする.
これは現象の見た目的には誘導加熱に近い.IHヒーターなどのように,電磁場を介して離れた基板に熱が逃げているように見えるからだ.しかし誘電加熱は交流に対する応答であるが,今回の実験で用いているのは直流電流であり,違うメカニズムが必要となる. このモデルが正しいのかどうかはまだ今後の研究を待たねばならないが,微小領域における熱拡散やエネルギーの散逸は一筋縄ではいかないのかも知れない.これは新しい放熱手段に繋がる可能性もあるとともに,逆に妙な場所での発熱や,エネルギーが散逸して無駄に浪費されることにも繋がりかねないため,原理や定量面での研究が重要となってくるだろう.(2012.4.10) |
48. 超高感度質量検出器
"A nanomechanical mass sensor with yoctogram resolution" ヨクトグラム(yg)レベルの分解能を持つ重量測定器である.そもそもヨクトなんて単位は日頃使うものではないので調べると10-24になるらしい.そして水素原子1つの重量(これはほぼプロトンの重量に等しい)がおおよそ1.67ygであり,今回の論文での実験結果での分解能がおよそ1.7ygなので,この手法だと水素原子一個が付いた離れたというレベルで重さの変化が測定出来る.
実際の実験であるが,構造としては「溝の上に架橋されたカーボンナノチューブ」というものになる.基板(Si表面にSiO2と窒化シリコンを乗せたもの)に幅150nmの長い溝を掘る.溝の底にはゲート電極(Au)を配置し,溝を横断するように直径1.6nmのカーボンナノチューブ1本を乗せる.川(今の場合は溝)の上に橋(ナノチューブ)がのっている状態だ.両岸の位置ではナノチューブの上から金(電極を兼ねる)を蒸着する.基板とナノチューブが接している部分では両者に引力が働きぴったりとくっつくので,ナノチューブが自由に振動出来るのは宙に浮いている150nmの部分だけである.
これまでにも似たような事をやった研究はあり,そこでの分解能は最高で200ygであった.今回2桁良くなっているのは何が違うのかというと,まず溝の幅を非常に狭くしたこと,ナノチューブを十分細いものを使用すること,極低温(6 K)・超高真空(3*10-14気圧)にして揺らぎやナノチューブへの余計な吸着を減らしたこと,さらに使用前にナノチューブに高電流(8μA,直径を考えるとなんと3*108/cm2以上の電流密度)を流し通電加熱することで吸着分子を飛ばしきったこと,などが挙げられる. まあある種「限界を極めるための研究」であり,すぐに利用法が出てくるわけではないが,著者らは例えばナノチューブと各種物質との相互作用の解明や,ナノチューブ表面に磁性分子や粒子をくっつける事での磁気プローブの作成(磁場の効果で共振周波数が変わるため,局所磁場が超高感度に測定出来る),質量検出器としての利用などを可能性として挙げている.(2012.4.2) |
47. 不完全でも十分な擬態
"A comparative analysis of the evolution of imperfect mimicry"
昆虫の中には,自らの姿を他の危険な昆虫に擬態することで生存性を上げている(と思われる)種が多数存在する.それらの中には驚嘆するほど姿(そして時として行動まで)がそっくりなものがおり,自然の妙を感じさせる.
論文で用いられているのは45種のハナアブと,それらの擬態のモデルと考えられる10種の蜂である.これらの体の各部のパーツを数値化(例えば羽や足の大きさの比率とか,縞模様とか)し,多数の評価軸を持つ空間内にそれぞれの種を配置する.そしてその中でどの程度近い位置にいるか,という事で擬態の度合いを判定している.
その一方で明確に現れてきた相関関係は,「体格が大きなハナアブの種ほど,蜂に似ている」という関係である.特に,蜂の行動までまねるような擬態が進んでいる種は,体格が大きく見た目も蜂によく似ている.このことは,体格の大きなハナアブほど擬態に関し大きな選択圧がかかっていると示唆している. |
46. 力学的エネルギーで作る化学的エネルギー
"Mechanoradicals Created in "Polymer Sponges" Drive Reactions in Aqueous Media" 力学的な運動により引き起こされる化学反応を扱うメカノケミストリーは100年近い歴史を持ち,メカニカルアロイングやソノケミストリーなど様々な分野へと広がっている.今回報告されているのは,水と接触しているポリマー製のチューブを圧縮するだけで過酸化水素を発生させる事が出来る,という現象だ. 著者らは,結合が切断される際にはラジカルが生じると思われる点に注目した.こういったラジカルは非常に反応性が高く,様々な化学種との間で電子のやり取り&結合の生成を行う高活性な部位となる.ポリマー内部ではそのまま生じたラジカル同士が再結合してポリマーが再生する事もあるのだが,特に表面では外気などに触れているため,酸素や水と迅速に反応する事が予想される.
実験はこうである.まず,外径1.5cm,内径0.7cm,長さ7.5cmのポリマー性の筒,つまりホースを持ってくる.なお材質はPDMS,Tygon,ポリ塩化ビニルなどが用いられているが,結論から言えば基本的には外部(今回は水)と接している表面積だけで結果が決まり,材質にはほぼ依存しない. 生じるラジカルの量は,「1回の変形あたり」で決まってくるが,変形に要するエネルギーは硬いポリマーほど大きい.逆に言えば,柔らかくて,しかもスポンジ状のポリマーを使えば,ちょっとの外力でたくさんの結合が切断され,多量の過酸化水素が生じる.そこで柔らかいPDMSでスポンジ状構造を作り,それを押しつぶして過酸化水素を生成させると1Jの押しつぶすエネルギーあたり24.2 mg / 1 m2と,単なるPDMSのホースに比べ5倍程度のエネルギー変換効率で過酸化水素が発生した.
さて,過酸化水素はそこそこエネルギーが高く反応性のある分子である.そこで著者らはデモンストレーションとして,ホースの変形で発生させた過酸化水素で,金ナノ粒子の作成,色素の漂白,酸化分解による蛍光色素の生成という3つの反応を駆動して見せた. |
45. 単原子トランジスタ
"A single-atom transistor"
通常の物質からなる素子の最小サイズは明らかに原子サイズである.今回,ほぼ原子サイズのトランジスタが構築された. これを用い,ドーパント1個という最小サイズのトランジスタ領域と,それより遙かに大きなソース&ドレイン電極,やや離れた位置にゲート電極を作り込んだ.電流特性ははっきりとした単電子トランジスタ挙動を示し,作成された微細構造がトランジスタとして問題なく働いていることがわかる. (少なくとも当面は)本手法による集積回路のようなものの量産は不可能であろうが,超微細領域での電子の挙動を調べるための基礎研究の手段としての微細素子や,位置を原子レベルで制御してのリン原子(核スピンを持ち,量子ビットとして使用可能)を配置した固体・集積型の量子コンピュータへの利用などが提案されている.(2012.2.20) |
44. クモの巣の強さの秘密を探る
"Nonlinear materials behavior of spider silk yields robust webs"
クモの巣というものは非常に繊細な糸から構築されているにもかかわらず,大型の昆虫を捕らえたり強風に煽られてもそう簡単には破れない強さを持っている.この強さは昔から多くの研究者を魅惑し,耐久性の強さが何に由来するのかに関する膨大な研究が行われることとなった.
そのクモの糸,引っ張りに対し実はかなり複雑な挙動を示す.
10cmのクモの糸を引っ張ると
という感じだ.
(a)上記のような力学特性を持つ実際のクモの糸をモデル化したもの
という3種を使い比較している.糸の切れる力とその時の長さは,a,b,cの3種とも同じに設定されている.また全体の構造は実際のクモの巣を模倣し,中心から8方向にまっすぐ伸びる縦糸と,それをぐるぐると螺旋状に繋ぐ横糸から構成されている.この8本ある縦糸のうちの1本をつまんで引き伸ばす,という形で負荷を与えている. まず一番被害が大きかったのは,cの「ある程度までは丈夫だけど,そこからずるずると伸びる」という糸であった.ここで何が起こったかと言えば,まず糸の一部をピックアップして引っ張ると,最初はなかなか伸びないものの限界が来るとずるずると伸び出す.すると周囲の糸も一緒に引きずられるわけだが,ピックアップした部分は既に限界の力で引っ張られており,それ以上加えられた力は周囲の糸で支えなくてはならない.しかも悪いことにこの糸は限界の力に達してもそれなりの長さまでずるずると伸びるため変形は拡大し,周囲の糸にかかる力はどんどん増加していく,つまり最初にピックアップした部分の糸は,周囲の糸を巻き込んで被害を拡大する役にしか立たないわけだ.この結果,ピックアップした糸が切れる(この時,切れた糸にかかっていた力を1とする)時に,他の7本の縦糸全てにおよそ0.75の力がかかっていた.これは,巣のある1箇所に強い負荷がかかると巣全体の糸に強い負荷がかかることを意味しており,大規模な破壊に繋がりやすい. 次にbの糸である.この場合,引っ張った糸はほどほどに伸びながらも,ほどほどに周囲に力を伝える.その結果,引っ張った糸が1の力で切れた際に,隣接する縦糸で0.5程度,その他の縦糸には0.35程度の力が加わっていた. 最後に,クモの糸をモデルにしたaの場合である.ある程度強さのある弾性体として働く領域Iは狭いので,すぐに容易に変形する領域IIへと突入する.そして大きく変形しながら他の糸にも力を伝え,巣全体の縦糸が領域IIに入り全体の変形を引き起こす.ここまではcの糸と同じである.違うのはここからだ.クモの糸には,引っ張りがある量を超えると堅くなると言う領域IIIが存在する.これが何を引き起こすかというと,直接引っ張られている糸は大きく変形して堅い領域IIIに入るが,周囲の別の縦糸はほどほどに緩く変形できる領域IIに留まるのだ.この結果,あたかも強い鋼線一本で負荷を支え,そこに柔らかいゴム紐がぶら下がっているような状況が実現する.この結果,直接引っ張っている糸が1の力で切れたとき,周囲の他の縦糸にはわずか0.15程度の力しか加わっていないのだ.つまり,クモの巣のある点に強い力が加わると,その点にある糸にのみ強い力が加わり,他の箇所は柔軟に変形して負荷がかかるのを防ぐ,という事になる. 網状の構造というと,「負荷を全体にうまく分散してみんなで耐え,それにより強度を上げる」という方向を考えてしまうが,実はクモの巣は逆であり,「負荷がかかった部分にだけ困難を押しつけ,他の場所は身をかわすことで被害を局所化して全体がやられるのを防ぐ」という構造になるわけだ.なるほどこれはこれで良くできている.(2012.2.2) |
43. 水だけ通す不思議な膜
"Unimpeded Permiation of Water Through Helium-Leak-Tight Graphene-Based Membranes"
単層グラファイトを基本構造とするグラフェンは,その原子一層分という薄さにも関わらずかなりの機械的強度を持ち,さらに希ガス原子を含め通常のガスを通さないと言う優れたバリア性を持つことから,光や電子線を通しながらサンプルを閉じ込めておけるナノサイズの"窓"としての利用が始まっている. そこで著者らが考えたのが,グラフェンのかわりに酸化グラフェン(Graphene Oxide)を積層した膜である.酸化グラフェンはグラファイトを酸化剤と共に水などの溶液中で処理することにより簡便かつ大量に得られる材料であり,グラフェンの炭素骨格のエッジ部分や,炭素平面の上下に飛び出す形で水酸基(-OH)やケトン(=O),カルボニル基(-COOH)などが付加した構造を持つ.酸化グラフェンの利点の一つはその水などへの溶解度の高さであり,多数の水酸基等の存在により溶液中に容易に分散する.著者らは溶液中に分散したこの酸化グラフェン膜を多数積層させ,0.1から10μm程度までの各種の厚みを持つ膜として成形した.なおこういった酸化グラフェン積層膜,層間隔は10 Å程度であることが知られている.この値はグラファイトにおける層間距離3.4 Åより非常に長いが,これはグラフェン上下に酸化により生じた多数の置換基が飛び出していることを考えれば理解できる.問題はこの層間距離の増大が,ガス透過性にどのような影響を与えるか,である.
そこでこのようにして作成した膜に対し,ガス透過量の測定を行った.まずは厚さ0.5 μmの膜に対し,Heガスの透過量を測定する.Heは原子が軽くて小さい&非常に相互作用が弱い原子であり,ものを透過する力が非常に強く,例えばガラス板なども時間はかかるものの透過してしまう.そのHeガスが作成した0.5 μmの酸化グラフェン膜をどの程度透過するのかを調べたところ,およそ100mbarの圧力までの間で検出限界以下のHeしか透過してこなかった.この透過量は,この作成した0.5 μmしか厚みのない酸化グラフェンの膜が,厚さ1mmのガラス板よりもHe原子を通さない,非常に優れたガスバリア性を持つことを意味している.他の物質でも試したところ,エタノールやヘキサンと言った親水性,疎水性両方の化学種も同じようにきっちりと防ぐ(透過させない)事も確認された. ここまではよい.ところが,である.著者らが水分子に対するバリア性を調べたときに,思いもよらぬ現象が起こった.なんと,この酸化グラフェン膜がまるで存在しないかのように,つまり同じ径の穴が空いているときと同等の速度で水が反対側に抜けてきたのだ.実際に示されているグラフは1cm2の穴を通して水が蒸発していく速度と,その穴を1 μm厚の酸化グラフェン膜で覆った場合の蒸発速度であるが,全く同じ程度の速度で水が揮発していく.さらに実験を重ねたところ,どうも水分子はこの膜をほとんど素通りでき,膜の反対側の表面から水が気化していく速度が律速となっているらしい.つまり水にとってはこの酸化グラフェン膜は,スポンジのように容易に向こう側まで透過できるすかすかの存在なのだ. では水とHeを混ぜたらどうなるのか?その実験を行ったところ,まるでこの膜が水の塊で,その中をHeが拡散していたと考えるとちょうど合う程度のHeの透過が確認された.つまりこの膜は,水がある程度存在すると開通して中が水で満たされるトンネルを多数持つようなものだったのだ.その状態だと,水と一緒に他の分子なども(水に溶け込んだ形で)透過していくことが出来る. なぜ水だけそのような特異的な状況が実現しているのかは定かではないものの,著者らの推測としては,グラフェンの酸化により生じた様々な親水性の置換基が分子・原子の侵入を防ぐ物理的な門のような状態になっており,通常は気体がそこを透過できない.その門の内側には,あまり酸化が進んでおらず,グラフェン的な構造を維持した平面が広がっている.この未酸化部分は要は元々のグラフェンであるから,層間距離が10 Å程度という酸化グラフェンの積層距離のもとでは,上下の層の間には分子が入り込める十分なスペースが存在するわけだ.要は,酸化により生じた置換基が壁と門,未酸化の内側のグラファイト部分が天井と床を成しているホールのようなものだ.通常状態では様々な原子・分子は壁・門の役割を果たす置換基によって侵入出来ないようになっているが,水分子に限っては置換基の親水性により門が開き内部に侵入できる.一度内部に侵入すると,そこは分子一層分程度の高さを持つ広い空間であるから,水分子はどんどん拡散して広がっていく.そしてまた反対側の壁部分から外に出て……と次々に拡散していけるわけだ. ただ,ちょっと疑問が残る点もある.単に親水性だからと言うだけなら,エタノールのように水と十分混じるだけの親水性のある分子も透過して良いのではないか?という点だ.水酸基などとも十分相互作用出来るし,グラフェン部位に関してはむしろ水より親和性が高い.このあたりについては述べられていないが,メタノール,エタノールあたりに関する挙動との比較は今後面白いかも知れない.(2012.1.23) |
42. 濡れ性を透過するグラフェンコーティング
"Wetting transparency of graphene" グラフェンはその薄さゆえに透明性が高く,その一方で薄い割には高伝導性であるため様々な素材への透明電極としてのコーティングが検討されている.コーティングとして使うと言うことは基材とは異なる表面特性が出てくるわけで,そこに注目した研究も多い.今回の論文は,「表面にグラフェンをコーティングしたら,どの程度疎水性になるのだろう?」という疑問を持ち研究を行ったところ思わぬ結果が出た,というものである.
実験は単純で,単層のグラフェンを作り,それをSi(親水性),ガラス(親水性),Cu(疎水性),金(疎水性)の基板の上にのせ水滴を滴下,接触角を測定する,というものである. 親水性/疎水性の効果は,(一部の水素結合のような水と結合を作る表面を除き)基板と水分子とのファンデルワールス力によって決まってくる.確かに考えてみれば,ファンデルワールス力は双極子や表面の分極による電磁気的な相互作用であるから多少は遠くまで及ぶ事が出来る.従ってグラフェンのように非常に薄いコーティングであれば,コーティング層を透過して基板と上に乗った水分子との相互作用がほとんど変わらない,というのはあり得る話である. (そういう意味では,水素結合も起こるガラス表面では単層グラフェンを乗せただけである程度の変化が起こることも頷ける)(2012.1.23) |
41. 反強磁性原子列によるビットの実現
"Bistability in Atomic-Scale Antiferromagnets"
HDDなどの磁気記録媒体には強磁性体(もしくはフェリ磁性体)が使用されている.このように活用されている強磁性体であるが,記録密度の上昇=微細化に伴い,外部磁場により容易にビットが反転してしまうという問題が生じてくる.
↑↓↑↓ である.今回の論文でIBMのグループが行って見せたのがまさにこの実演である.
実際の実験であるが,IBMお得意のSTMを利用した表面系での実験となる.STMとAFMを発明した研究機関なだけあって彼らのこの手の技術は今でも世界最高峰を維持しているが,今回もそれが遺憾なく発揮されている. さて,スピンの配置を確認する際はSTMの探針の電位を2mVとという非常に低い電位にして観察している.これは高い電位をかけるとエネルギーの高い電子がどんどんサンプルに送り込まれ,そのエネルギーによって励起されたスピンの配置が変化するからである.というわけで7mV以上の観測電位を用いると,スピン配列にエネルギーが与えられビットがランダムに反転する.つまり, ↑↓↑↓↑↓↑↓と ↓↑↓↑↓↑↓↑ との間をランダムに行ったり来たりするわけだ.今どちらにいるのかはSTMで測定可能であるから,ある意味これはビットに情報を書き込むことに相当する(ランダムに変動させ,書き込みたいビットに一致したところでやめればよい).つまりまあ,1×6の6個の原子からなるビットを作成できたことになる. ヘリウム温度以下の極低温でしか作動しないしスピン偏極STMが要るんで実用性は皆無だが,さすがIBMはきれいな実験をやってのける.2列になると顕著にトンネリングが抑制されるあたりなど,突っ込むといろいろ面白いことはありそうである.(2012.1.13) |