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80. 惑星が太陽活動の周期変動を引き起こす?

"Is there a planetary influence on solar activity?"
J.A. Abreu, J. Beer, A. Ferriz-Mas, K.G. McCracken and F. Steinhilber, Astron. Astrophys., 548, A88 (2012).

太陽活動に周期があることが発見されたのは,19世紀半ばのことである.当時,太陽の近くにある(と考えられた)未発見の惑星バルカンを探索していたハインリッヒ・シュワーベは,惑星(こちらも太陽上に黒い点として見える)と見分けるために太陽黒点の様子もつぶさに記録していた.惑星は見つからなかったものの,彼は太陽黒点の数がおよそ10年を周期に増減を繰り返すと言うことを見出した(実際には約11年であることが後に判明する).
太陽黒点の記録自体はあまり過去にさかのぼれないのだが,太陽活動の増減は宇宙線の増減をもたらし,これは結果として地球上での10Beや14C放射性元素の増減を引き起こしている.これを利用し,氷床などに閉じ込められた過去の物質における同位体存在比を測定することで,およそ1万年に及ぶ長い期間で太陽活動がどのように変化してきたのかが調べられ,非常に多くの活動周期が存在することがわかっている.

さて,このような太陽活動の周期的な変動は,いったい何によって引き起こされているのだろうか?現在の定説となっているのは,ダイナモ理論に基づく解釈である.太陽表層というのはプラズマの塊であり,つまりは導体であり電流を流せる.この導体&電流が磁場と相互作用したまま自転&対流運動を行い,それがまた新たに磁場を生み出す.このようなプロセスにより太陽(や惑星)は回転運動を磁場へと転換しているのだが,この時にプラズマ内に閉じ込められた磁束が対流層の底から表面へ移動,表面でつなぎ替えが起こり,また底に沈み……といった過程を考慮すると,11年周期をうまく説明することが出来るのだ(異論もあるし,問題が全て解決したわけでは無いが).
もっと長い周期に関しても,何らかの不均衡が生じ,それが振動的に生き残っている,と考えると,統計的にはダイナモをベースとした機構でうまく説明できる(どのぐらいの周期が,どのぐらいの確率で生じるか,などを合わせることが出来る).

さて,今回報告された論文は,そんな定説を丸ごとひっくり返すような主張である.著者らは,太陽活動の長周期の理由を,なんと惑星運動に求めたのだ.なお,この「惑星仮説」,11年周期を説明するために1世紀以上昔に考案されたものと似ているのだが,当時提唱されたこの仮説は実測に合わない&ダイナモ理論の発達で棄却された.それが形と対象を変えてよみがえってきたようなものである(そのため,Natureの紹介記事にreviveの文字が出てくる).
著者らの発想は以下のようなものである.
まず,ダイナモ理論においてはタコクラインと呼ばれる境界層が重要な役割を果たす.これより内側のコア部分(放射層)は比較的剛体のような運動をしており,全体が同じ角運動量で回転している.一方タコクラインの外側(対流層)は上下方向の対流を起こしながら,しかも自転方向の角速度が緯度とともに変化する流体である.例えば,極近くが1周する間に,赤道付近は1.5周ぐらいするようなものだ.これが太陽表層部に非常に複雑な流れを生み出し磁場に影響を与えている.
この境界であるタコクライン,実は球や太陽外形からだいぶ形状がずれて回転楕円体的な形状となっており,しかもその軸方向は太陽の自転軸からも微妙に傾いている.極端に言ってしまえば,ラグビーボールのようなものが,ちょっと斜めを向いたまま回転しているようなものだ.
さて,ここに惑星からの引力が加わるとどうなるだろうか?惑星の公転面は太陽の自転軸にほぼ垂直であるが,タコクライン部分はこの平面に対し微妙に斜めを向いている.簡単のために惑星が一方向に集中している状況を考えよう.タコクラインはこの公転軸から少し傾いて回転しているのだから,引力的にはラグビーボール状のタコクラインを公転面側へと引きずり倒そうとするトルクが発生するはずである.このトルクは太陽における物質の位置に微妙な影響を与え,対流層の厚みや位置に変化をもたらす可能性がある.
ダイナモ効果においては,小さな流体の再配置が,大きな磁場変動へと拡大されることが起こる.つまり「可能性としては」,
惑星周期運動によるタコクラインなどの周期的な揺動 → 物質の周期的な流動 → 磁場の周期的な揺動 → 太陽活動の周期変動 というのもあり得ない話では無い.

ここまでは著者らの作業仮説である.仮説が立ったら,検証に移るのが科学だ.
そこで著者らは,「タコクライン部分は単純な回転楕円体」として,それがいくつかの異なる対称性(*)であったときにどんな大きさのトルクをどんな周期で受けるのか?と言う計算を行った.

*例えば,1軸方向に伸びたラグビーボール状であったとしても,それが自転軸とほぼ同じ方向に伸びているのか(ラグビーボールが立った状態で回転しているのに相当),横向きに伸びているのか(ラグビーボールが横倒しになった状態でぐるぐる回転しているのに相当)など.

そうして実際の惑星の配置と軌道からタコクライン部分にかかってくるトルクを計算,フーリエ変換することでどのような周期でのトルク変動が生じるのかを算出した.すると,88,104,150,208,506年周期にかなり強いはっきりとしたピークが現れることを見出した.これら5つの周期は,実際に観測されている太陽活動の変動周期ときっちり一致している.
ただし,「この計算からは出てこないが実際の太陽活動では生じている周期」もいくつかある点は指摘しておく必要があるだろう.232年周期は実測ではかなり強いがトルクには変化はないし,280年や350年あたりも実測では強めの周期が見えるが,トルクでは(同じ位置にピークを持つものの)強さはだいぶ弱い. とはいえ,これまでのダイナモだけに基づく理論が「確率的に,このぐらいの周期はこのぐらいの比率で生じても良い」と言った「統計的な予測が当たった」というレベルだったのに対し,「○○年周期が現れるはずだ」と定量的な一致を見せているところは重要である.

著者らは特によく見えていた208年周期に関して,さらに精密な議論を行っている.まず,実測の約1万年分の太陽活動に関してフーリエ変換し,このあたりの変動を抜き出して比較しやすくするために190-230年周期の部分だけをバンドパスフィルタで抜き出し,逆フーリエ変換でこの周期での変動の様子へと再構築した.これと惑星の位置から計算されるトルクの変動とをつきあわせると,非常に見事な一致を示したのだ(元論文のFig. 6など).これだけ見事な一致が出てくるとなると,「理論は間違っているけど偶然一致した」というのはなかなかに考えにくい.

以上をまとめると,著者らの主張としては,

惑星の運動は,微量とはいえ太陽にかかる重力の周期的な変動をもたらす.

太陽の磁場(これは太陽活動に大きな影響を与える)を作る上で重要な働きをしているタコクラインはちょっと歪んだ形状で傾いて回転しているため,公転面方向から重力がかかるとトルクがかかる.

トルクは,太陽における物質の微妙な再配置を引き起こす

量的には微妙でも,ダイナモ効果に基づくと大きな磁気変動につながる,かも(今後の理論的検討が必要)

結果として,惑星配置の周期的な変動が,太陽活動の周期的な変化を生む

となる. 解析結果の一致度合いを見るに,少なくとも今後本気で検討すべき程度には信頼性がありそうだ.
もちろん,最終的に否定される可能性も残るが,少なくとも「定説に挑戦してひっくり返そうとする」(これは当然,通常よりさらに高いものが要求される)ための最低レベルの説得力は持っていると言えそうだ.

何より面白いのは,著者が論文中で指摘している以下の点である.
これまでのガス円盤からの太陽系形成理論においては,太陽が非常にキーとなっており,惑星は単にその影響を受けるだけの立場であった.しかし今回の指摘が正しいとすると,太陽の輻射は惑星の形成や軌道に影響を与えるが(太陽風による影響など),その太陽の輻射自体は逆に惑星の運動に影響を受けるという双方向の関係となる.つまり,惑星の影響をもっと露わに組み込まなくては,正しいモデルが構築できない可能性もあるのだ.
なかなか面白い研究である.(2012.1.31)

 

79. 実用レベルの特性を持つ有機強誘電物質

"Diisopropylammonium Bromide Is a High-Temperature Molecular Ferroelectric Crystal"
D.-W. Fu et al., Science, 339, 425-428 (2013).

自発的に磁化を生じる物質,つまりは一般に言う「磁石」を強磁性体と呼ぶが,同様に自発的に電気分極を生じる物質を強誘電体と呼ぶ.これは要は結晶中で正電荷と負電荷の分布に微妙に偏りが存在する物質である.
例えばここで,サイコロの頂点に負電荷が,中心に正電荷が存在するような単位格子からなる結晶を考えてみよう.結晶であるから,この単位格子がずらずらと無限に連結したものが物体そのものの構造となる.正電荷が完全に中心の位置に存在すれば,電荷のバランスがとれているので自発分極は無い.ところがもし,この正電荷がサイコロ状の6つの面のどれかに接近した方がエネルギーが低い,と言う場合は自発分極が生じる可能性がある.例えばある電荷がサイコロ状の単位格子の「上側」の面に張り付けば,その上側に隣接する別の単位格子中の正電荷も上に寄った方がエネルギー的に得である(正電荷同士を遠ざけるため).この結果,全単位格子で正電荷が上側の面に張り付く,と言うのが安定構造として生じてくる.これを物質全体で見ると,正負の電荷が均一な分布をしていたところから,正電荷だけが揃って上側にちょっとずれたようなものだ.上側に正電荷が寄ったのだから,結晶全体としては上面に正電荷,下面に負電荷が出現することとなり,結晶全体が強い電気双極子として働く.これが強誘電体だ.
この結晶に外部から強い電場をかけよう.電場の向きを上から下へとかければ,次第に上面の正電荷が電場により不安定化し,あるところでぐいっと下側に押される.すると今度は正電荷が単位格子の下面に張り付き,自発分極の向きが反転する.これは磁石に強い磁場をかけると磁化の向きが反転するのと同じようなものだ.
強誘電体のこういったスイッチ的な応答を利用し,メモリとして使ったり(強誘電メモリ),同時に引き起こされる結晶の変形を利用したピエゾ素子として利用したり(電圧をかけると変形する.変形を電圧として取り出すこともできる)と言った利用が成されている.ピエゾ効果を利用した発電などは,微小な機械的振動から小さな電力を取り出し微小回路を駆動する,と言った用途でも利用されている.

さてこのような強誘電体,代表例はチタン酸バリウムやPZT(チタン酸ジルコン酸鉛,PbZrx Ti1−xO3)と言ったものがあるのだが,有機物で実用的なものはほとんど存在していない.細かく言えば,有機高分子系での強誘電体は存在しているのだが,これらは分極を反転させるのに必要な電場がかなり高く,利用にはいろいろ制限がある.もし有機物系で実用的な強誘電体が作成できれば,塗布法により容易にデバイスが作成できたり,フレキシブルなデバイスが作成できたり,重原子を使わないので毒性などの問題が無かったり,資源面での制約が無くなったりと利点が多い.ところが大抵の有機強誘電体は反転に非常に高い電場が必要だったり(スイッチングしにくい),自発分極が小さかったり,転位温度が低かったり,融点が低く高温域で使えなかったり,と問題が多く,実用化はなかなか難しかった.
そんな中,一気に有機強誘電体の可能性を広げたのが産総研などのグループによる2010年の発表である.彼らはクロコン酸(五角酸)と呼ばれる古くから知られる分子がチタン酸バリウムとほぼ同等の特性を示す強誘電体であり,しかもその転位温度が450 K以上と非常に高いことを発見したのだ.ただしこの研究には(物性物理的な面で)まだ問題があり,実は強誘電性転位(この温度以上に上げると強誘電性が崩れて単なる誘電物質になる温度)よりも分子の分解温度の方が低くきちんとした相転位を確認できていなかったり(常誘電相への転位より前に分解する),圧電効果に関する報告が(現時点では)成されていなかったり,強誘電相でのドメイン構造が確認されていなかったりと,やや気持ち悪いところがある.もちろん単に強誘電材料として使う上ではなんの問題も無いのだが,やはり物性屋としてはもうちょっと「素性の良い」材料を探したくなる.

今回の論文の著者らが報告しているのは,産総研のグループに続く,チタン酸バリウムと同等の性能を発揮できる第二の有機強誘電体である.こちらは(物性研究的な意味で)かなり素性が良く,相転移やその上下での結晶構造など一通りきちんとデータが揃っている.
さてその物質であるが,ジイソプロピルアンモニウムの臭化物塩である.要するに[(CH)3)2CH-N-CH(CH)3)2]+Br-だ.著者らは2010年に類似の塩化物塩が室温以上で強誘電になることを報告しているのだが,自発分極の強さなどがチタン酸バリウムにだいぶ劣っていた.その陰イオンを臭素化物イオンに変換したところ,かなり優れた特性がでた,と言う報告になる.
結晶の作成は非常に単純で,メタノール,水+メタノール,水のいずれかの溶媒に物質を溶かし,蒸発させるだけで良い.実は水を含む溶媒から生成した結晶は,純メタノールから生成した結晶(こちらが強誘電性を示す)とやや構造が異なるのだが,高温(約420 K)に上げるとメタノールから生成した結晶と同じ構造に転位し以降はそちらと同じ振る舞いになる(元には戻らない)ので,以下ではメタノールから生成した結晶のみを扱う.
メタノールから生成した結晶は大きな強誘電性を示し,その体積あたりの自発分極の大きさはチタン酸バリウムとほぼ同等である.分極が反転する電場の強さはやや低くて良く,転位温度はほぼ同等の426 Kあたりとなる.と言うわけで特性はチタン酸バリウムにほぼ並んでおり,また以前に産総研が報告した有機強誘電体ともほぼ同じである.
また,著者らは転位温度の上下で結晶構造を決めてやって観測された誘電特性と一致する構造であることも確認したり,圧電応答顕微鏡(走査プローブ顕微鏡を使って,表面での圧電応答や強誘電ドメインを測定できる)で表面のドメイン構造&圧電応答を測定したり,と一通りのデータを揃えている.
簡単に言えば,実用的な特性を持つ有機強誘電体の2例目が出てきて,しかも転位とかがきっちり確認できて今後細かな解析とかもいろいろできる系が手に入ったよ,という感じだ.

なんにせよ,実用的な有機強誘電体が増えたことは喜ばしい.しかし,産総研が以前に報告したクロコン酸もそうなのだが,水やアルコールには溶けやすいのだが有機溶媒にはやや溶けにくい.今回の物質は(確か)クロコン酸よりはやや有機溶媒に溶けるが,溶解度はそれほど高くなかったはず.有機強誘電体としての特性を生かすには,できれば有機溶媒に溶けやすく塗布などがしやすいものが求められるので,今後もうちょっと物質開発を進めてそういったものも作られるようになると用途が広がるかも知れない.
それにしても,クロコン酸と言い今回の例と言い,かなり古くから知られている物質にもまだまだ見るべき物性が隠れているものである.実はどちらも非常に一般的な化合物で,そこらでいくらでも売っているようなものだ.他にもつい先月に東大などのグループが発見したベンゾイミダゾール類もその一種で,市販品を片っ端から再結晶して誘電性を測ることで室温での強誘電性を発見している(ただし自発分極はやや弱め).
これらの研究に触発され片っ端から身の回りの試薬を測定すると,まだまだ面白いものが出てくるかも知れない.(2012.1.25)

 

78. アモルファスSiを電極としたリチウムイオン電池における予想外の挙動

"Two-Phase Electrochemical Lithiation in Amorphous Silicon"
J.W. Wang et al., Nano Lett., in press (2013).

"In Situ TEM of Two-Phase Lithiation of Amorphous Silicon"
M.T. McDowell et al., Nano Lett., in press (2013).

ほとんど同じ実験を行った2つの論文である.こういった同じ研究結果が論文誌の同じ号に載るのは良くあることだが(片方の論文の査読中にほとんど同じ実験の論文が別のグループから投稿されると,編集者側が両方をまとめて同じ号に載せたりする),今回のこの二つの論文では投稿日時もほとんど全くと言っていいほど同じという珍しいパターン.1つめの論文はピッツバーグ大,中国科学院,ジョージア工科大,サンディア国立研究所による共同研究で,投稿は昨年の11月28日,修正版が今年の1月12日.2つめの論文はスタンフォード大,テキサス大オースティン校,パシフィック・ノースウェスト国立研究所,SLAC国立加速器研究所による共同研究で投稿が昨年12月3日,修正版が今年の1月3日と,両者とも実に接近した日時に同じ論文誌に投稿したものだ.webでの公開は当然ながら同じである(ほぼ同じ時期に投稿された同じ事を扱った論文の公開日時をずらすと,優先権関連でいろいろもめたりするため).

近年,リチウムイオン電池の用途が広がるのに伴い,いかにその容量を増やすか?という研究の重要性が増している.現在最もよく使われている電極材料は負極に炭素(グラファイト系物質),正極にコバルト酸リチウムなどを用いたものなのだが,これらの材料での容量改善はすでに限界に達しており,特に負極材料である炭素系電極は理論容量にほぼ等しい値が実現されてしまっている.つまり今後容量を増加させるためにはもっと容量の大きな新材料を用いる必要があるのだが,そういった観点から注目されている負極材料がSiである.炭素電極では,炭素がC6Liと言う化合物に変化することでLiを蓄える.この時に蓄えられる電荷は炭素電極1gあたり372 mAhである.一方,SiにLiが取り込まれていくと,究極的にはLi4.4Siという合金を作ることが可能で,この時の理論容量はなんとSi 1 gあたりで4200 mAhにも達する.実際には電極の安定性のため,もっとLiの少ないLi3.75Siなどで止めるのだが,それでも3600 mAh程度と炭素電極を遙かに超える容量が実現されるわけだ.
ところでこのSi系負極,自身の数倍という多数の原子を取り込むため充放電での体積変化がとんでもなく大きく,3倍程度に膨れあがったりする.この体積変化は電極材料である微結晶の崩壊などを招き,充放電による容量の低下を招きかねない.そこで,体積変化による電極の破壊をいかに防ぐか?というのは大きな研究テーマの一つとなっている.

さて,この電極の崩壊を防ぐ手段の一つとして提案されているのが,アモルファスシリコンの利用である.電極としてSi微結晶を用いると,LiがSiの結晶を壊しながら中に入っていくのだが,その際に相境界が発生する.つまり,充電の途中では「多数のLiが入って,Si同士の結合がズタズタになったアモルファス相」と「結晶を保ったままの純粋なSiの相」という二つの異なる相が生じその境界部分に大きなひずみがかかり,これが電極を構成する微結晶の崩壊につながっていると考えられている.ところがここでアモルファスシリコンをスタートにすると,アモルファスというのはそもそも結合がランダムでぐちゃぐちゃなものであるから,Li原子はその中にどんどん均一に入っていくことが可能となり,充電中は「全体的にLiの少ない均一なアモルファス相」から「全体的にLiが増えてきた均一なアモルファス相」を経由し,最終的に「Liをみっちり含んだアモルファス相」に行き着く,と考えられているからだ.これにより,電極寿命が延びるのでは?というアイディアになる.
なお,結晶Siをスタートに用いても,一度充放電を行うと「Si-Si結合がズタズタに切られ多量のLiと混じった相」からSiが析出することになるため,以降の充放電ではアモルファス相となっており,それ以後の挙動は大きくは変わらないと考えられている.つまる最初からアモルファス相を使うというのは,初回の充放電で受けるダメージ(微結晶の大きな割れなど)を減らし,それが後々の寿命に効いてくるのを予防する,と言うようなものだ.

そこでようやく今回の論文である.
著者らは,この「初回のダメージがアモルファスシリコンを使うことで軽減される」と言うのを直接観察しようと電顕でのその場観察を行ったのだが,その結果は予想とは大きく異なるものであった.
まず実験の説明をしよう.その場観察を行うため,著者らは導電性のワイヤーにアモルファスシリコンの粒子を担持したサンプルを作成した.2つのグループで使っている導電材料がカーボンファイバーなのかSiナノワイヤーなのか,乗せている粒子が大きめの粒子なのかナノ粒子なのかなど細かい点は違うが,結果はほぼ同じである. そしてそのサンプルとは別に,金属Liも用意する.こちらはごく短時間だけ酸素に触れさせることで表面を酸化リチウムに変え,これが固体電解質としてLi+のイオンだけを通す役割を果たす.
さて,実際の観察では,真空中でこれら二つの材料を接触させ,電顕で観察しながら電圧を印加,金属Liの棒からLi+が出て行きアモルファスシリコンの粒子に吸収されていく様子をその場観察している.
その結果であるが,なんとこれまで言われていた通説とは異なり,アモルファスシリコンであっても初回の充電時には「Liの多い相」と「Liの少ない相」にくっきりと分かれ,その界面にストレスがかかっていたのだ.
この電顕によるその場観察のムービーがSupporting Informationとして公開されている.

1つめの論文:Supporting Information (Movie 1つ)
2つめの論文:Supporting Information (Movie 4つ)

最初はやや濃いめに見えているSiの部分が,軽原子であるLiの進入とともに電子密度が下がりやや明るく見えるように変化していく様子が見て取れる.いやはや,最近の電顕は実に強力な分析手段であることを実感させる. 1つめの論文ではこの初回充電時に発生する謎の界面の様子をとらえたものだけだが,2つめの論文ではさらに放電や2回目の充電時にはこのような相境界は発生しないことも確認している.
つまり,アモルファスシリコンを用いても,初回の充電時にはLiがSi-Siの結合を切るのに時間がかかり,その結果「すでに結合が切断され,多数のLiに囲まれたSiの相」と「今まさにLiがSi-Si結合を切ろうとしている界面」,そして「まだLiがやってきておらず元のアモルファスシリコンのままの相」という3領域に分離しているわけだ.
2度目の充電時にはこのような境界が見られない点に関しては,内部に入り込んだLiの一部が放電時にも抜けずに残存して,それが次回の充電時に他のLiを呼び込む抜け道になっている可能性や,一度充電されることで単なるアモルファスシリコン以上に構造がグズグズに崩され,次回のLiの進入が容易になっている可能性が挙げられている.
2度目以降の繰り返しの充放電では相境界が現れないことが,これまでの研究でこのような相境界の存在が見過ごされてきた理由なのでは無いか?とも書かれている.つまり,チェックなどのために一度充放電を行ってしまったセルは,分解して調査してももう相境界は発生しない.この相境界を発見するには,第1回目の充電段階から電顕でその場観察をする必要があるわけだ.さらに,電顕観察時に照射する電子線強度を上げすぎると,電子線によりSiの構造が壊されるためにこの相境界は見えにくくなるらしい(電子線で破壊されたところから,Liが進入しやすくなる).電子線強度を上げた方が像が明るく見やすくなるので実験しやすく,そういった点でもこれまで見逃されてきた可能性がある.

最近は電顕を用いたその場観察がずいぶん利用されるようになり,様々な面白い事実が明らかとなってきている.今回の現象も,ここからさらに研究を重ねていけばSi系負極の劣化メカニズムを解明し予防できるようになる可能性があるわけで,製品開発上も重要なものとなり得る.(2013.1.22)

 

77. フェーズドアレイ「レーザー」

"Large-scale nanophotonic phased array"
J. Sun E. Timurdogan, A. Yaacobi, E.S. Hossini and M.R. Watts, Nature, 493, 195-199 (2013).

フェーズドアレイレーダーという代物がある.
通常のレーダーは,一つの波源から電波を発し,物体に当たって反射してきた波を感知するものである.電波の飛んでいく方向はアンテナの向きで決まっているため,違う方向の物体を探るときにはアンテナの向きを物理的に回転させる必要がある.
これに対しフェーズドアレイレーダーは無数の小さな電波発生源が平面に並んだ構造をしており,この無数の波源から同じ波長の波を放出する.フェーズドアレイレーダー全体から放出される波を考えると,無数の波源から出た多数の波の干渉波となるのは自明だろう.さてこの時,フェーズドアレイレーダーは個々の波源から出る波の位相を,任意の値で微妙にずらすことができる.例えばここで単純化のためにたった二つの波源から出る波を考えよう.例えば波源の位置は(x,y)=(1,0)と(-1,0)とする.この二つの波源が同じ位相で波を発生させたなら,例えば両者から等距離の点である(0,y)上では両者から出る波の位相が強め合う,つまりまっすぐy軸方向には強い電波が飛んでいくこととなる(別な方向でも,強め合う方向が存在する).一方,もし片方の波源から出る波の位相を半波長遅らせると,今度は(0,y)上では波は弱め合う干渉を起こし,この方向に飛んでくる電波強度はほぼゼロとなることがわかるだろう.この場合,y方向からちょっとずれたある角度方向で波が強めあい,電波はそちら方向に強く飛んでいくこととなる(実際には,さらにいくつもの強め合う方向がある).
波源がたった二つだとこのような強め合う方向はいくつも出てくるのだが,フェーズドアレイレーダーのように波源の数をさらに増やせば,ほぼ1方向にのみ飛んでいくような電波を出力することができる.さらにこの飛んでいく方向は個々の微細なアンテナに与える位相差により任意の方向に変化させられるので,レーダーそのものの向きを変えずに,電波の飛んでいく方向だけを瞬間的に変化させることが可能である.このため例えば高速で広い範囲をスキャンする必要がある軍事用途などでもよく利用されている.また光では無く音で似たようなことをやる,フェーズドアレイソナー的なものも実用化されている(ソナーの探査方向を高速でスキャン可能).

さて,電波も光も波長の違いを除けば同じ電磁波であるので,全く同じ原理がレーザーでも行えるはずである.もしこの「フェーズドアレイレーザー」とでも言うようなものが作成できれば,例えばレンズ不要でのレーザーの任意形状(もちろん,回折限界などは存在するが)への集光であるとか,レーザーの飛んでいく向きの瞬時切り替えなども可能となり,光通信関係を含め工業的に非常に多くの応用が考えられる.しかしながら,これまでにこういったフェーズドアレイレーザー的なものはほとんど開発されておらず,せいぜいが3×3とか4×4程度の非常に小数の発光要素からなる限定的なものであった.
何故開発が遅れているのか言えば,光における位相制御の難しさがある.レーダーで使われる電磁波はおおよそ数GHz程度であり,この程度の速度なら半導体素子により十分に任意の出力がコントロールできる.要は,波を一つ一つ数えたり書いたりできる速度,というようなものだ.これに対し例えば赤外光はその数万倍程度周波数が大きく,光の位相をコントロールするのは非常に困難であり,これがフェーズドアレイレーザーの開発を阻害していた.

今回の論文で著者らは今までよりも遙かに大規模な64×64,4096の微細光源からなる素子を開発,それらからの光で合成波面を作成することに見事に成功した.さらに8×8とやや小ぶりではあるが,位相を任意にコントロールできる素子64個を集積したチップを作成,そこからのレーザーが飛んでいく方向を瞬時に変換できる,つまり単に合成波面が作れるだけでは無く,それがいわゆるフェーズドアレイレーダーと同じように高速走査可能な光源としても働くことを実証した.

素子の作製においては,著者らは一般的な300mmウェハーのファウンドリーを使用し,通常のCMOSと同じ手法を用いている.プロセスは65 nmのSOI,導波路部分は要するにSiのワイヤー状構造であり,一部ヒーターを兼ねる部分はそこにドープを行っている(後述).
光は外部のレーザーからまず「バス」であるy軸方向に伸びる導波路に導入される.そしてバスにぶら下がった何本ものx軸方向に伸びる「列」へと分岐される.「バス」と「列」の間の接続には近接場が利用される.y軸に伸びる「バス」のごく近傍(波長よりも近い位置)に同じようにy軸に伸びる導波路を沿わせると,染みだしてきた光との相互作用によりこの沿わせた導波路内に光が侵入してくる.ある程度の光が侵入できる長さだけ平行して走らせた導波路をぐいっとx軸に平行な方向に曲げて「列」として用いるのだ.光は「バス」に沿って進むほど,横に伸びる「列」に光を吸い取られて「バス」の内部を通る光は弱まってしまう.それを補償するために,「バス」の先の方で分岐する「列」ほど,「バス」-「列」が併走する距離を長くすることでより多くの光が「列」に流れ込むような設計になっている.これにより,全ての「列」に同じ強度の光が導入される.
「列」から個々の発光源(アンテナ)への光の導入も同様である.近接場を用いてアンテナ側に光を導入,「列」の先の方ほど光が弱くなるので併走距離を伸ばして対応する.これにより,最終的に全てのアンテナ(64×64)にほぼ同じ強度の光が導入される.なお,用いている光の波長は約1.5μmの赤外光だ.

さて,アンテナである.各々のアンテナは,適切な位相差を実現するためのディレイ部分(要はS字に曲がった部分.Supplimentary Informationの図S1cやS2aを参照のこと)をもつ.このディレイ部分が長ければ,アンテナから実際に放出される光は遅れてやってくるため位相が遅れることとなる.ただしこのディレイ部分の長さは固定なので,後から位相をコントロールすることはできない(この素子では.コントロールできる素子も後で登場する).
その64×64の素子である.著者らは,この計4096個の微細な光源から出る光が干渉し合い,最終的にMIT(言うまでも無く,著者らの所属)のロゴの形の干渉波として広がっていくようにこのディレイ部分の長さを設計し,チップを作成した.その設計した個々の素子の位相の分布はSupplementary Informationの図3dで確認できる.そして実際にチップにレーザーを導入すると,そこから放出される光は見事にMITのロゴの形となっていることが確認できた(論文本体のAbstract下部から見られる,Fig. 2dを参照).個々のアンテナそのものから出ているのは同じ強度の光なのだが,それが4096個うまく干渉することで,遠くからはMITのロゴに見えるのだ.なお,素子数が限られているため,2次,3次……の回折により複数個の同形のロゴが発生している.

面白いのはここからだ.
彼らはさらに,能動的に位相差をつけられる素子を開発した.こちらは現時点では発光素子数が8×8と少ないのだが,結果はなかなか面白い.前述の通り,個々のアンテナ素子はS次型のディレイ部分を持つ.彼らはここにドープを行い導電性を持たせ,その両端を電極に繋いだ.ここに電圧をかけると電流が流れ発熱する.電圧をコントロールすることで温度を任意に変化させられる.温度が変化すれば物質の屈折率が変わり,物理的な長さは同じままでも光にとっての長さが変わる,つまりこのS字型の部分を通る際に生じる位相のずれが変化する.これにより,電圧をコントロールすることで個々の素子に生じる位相のずれを動的にコントロールすることが可能となるのだ.
この素子を用いた実験結果は劇的である.最初は8×8の素子から出る光の干渉により,いくつかのスポット方向に光が飛び出てきている.ここで各アンテナのヒーターを調節すると,光の飛んでくる方向の縦位置や横位置,スポット数などが瞬時に変化するのだ.素子はそのまま同じ位置にあり,個々のアンテナも同じ強度の光を発し続けている.ただそれぞれのアンテナ同士の発する光の位相差だけが変化させられ,その結果として出てくる光の方向が見事に変化している.

現在はまだ8×8と小さいが,利用しているのはコンベンショナルなCMOSプロセスであり,さらなる大規模集積化なども原理的にはなんの問題も無いし,各種集積回路などへの混載も比較的容易であるように思われる.各社が研究しているオンチップレーザーなどとの組み合わせなどで様々な電子・光学素子が作れるようになると面白いかも知れない.またこれがさらに高精細化して可視光も扱えるようになると,完全なホログラフィー形式の3D映像を映し出すことも可能となる(十分高精細で,かつ位相を自由にコントロールできる場合).まあさすがにそこまで行くのはどれだけ時間がかかるかわからないが……(2013.1.10)

 

76. グランドキャニオンの誕生に迫る

"Apatite 4He/3He and (U-Th)/He Evidence for an Ancient Grand Canyon"
R.M. Flowers and K.A. Farley, Science, 338, 1616-1619 (2012).

グランドキャニオンは世界でもまれに見る超巨大な浸食地形であり,大きくわけて東側と西側の二つの巨大渓谷から形成されている.その巨大さから多くの人の興味を引きつけてきたグランドキャニオンであるので,古来よりこの渓谷がいつ,どのようにして生まれたのか,という点に関し多くの研究が成されてきた.堆積物の分析などを通した最近までの定説としては,グランドキャニオンはおよそ5-600万年前に削られ始めたのでは無いか,とされていたが,2008年に報告された論文では1700万年前という結果が得られるなど,未だ決着は付いていない.また東西の渓谷は同時期に形成されたのか,それとも別な時期に発生したのか?という点も未解決である.
この議論に決着を付けるべく,著者らは(U-Th)/He年代測定法とさらにそれを高精度化するための4He/3He比を用いた手法を用いた研究を行い,その結果を報告している.

まずはベースとなる(U-Th)/He法に関して説明しておこう.Heはよく知られたように,軽くて他の原子との相互作用も少なく,そのため岩石中にはあまり取り込まれない元素である.その一方で,地殻中にはウランやトリウムといった放射性元素が広く分布しており,これらの放射性崩壊では4Heが発生する.これを利用した年代測定法が(U-Th)/He法である.岩石が冷えて固まる際には,そこにいた4Heのほとんどは逃げてしまうめ凝固した岩石中での4Heの量は少ない.さて,岩石中には放射性元素(主にU,Th)がいくらか含まれているため,時間とともにこれらの崩壊により4Heが供給されていく.岩石が高温である間は,岩石中であっても原子の拡散が容易に起こるため生じた4Heは逃げてしまい,岩石中の4He濃度は上昇しない.ところがある程度の温度以下に岩石が冷えると,4Heの拡散速度が急速に落ちていくため,それ以後に放射性崩壊で発生した4Heは岩石中にトラップされたままとなっていく.つまり,岩石中に蓄えられている4Heの量は,その岩石がある閾値以下の温度に冷えて以降に崩壊したU,Thの量に等しい.よって,岩石中の4Heの量と残存しているU,Thの量を測定すれば,いつ頃その岩石が閾値以下に冷えたのか,という事がわかるわけだ.地中の温度は深く潜るほど上昇するため,この「冷えた年代」はほぼイコールで「岩石が浅いところに出てきた年代」に一致する.また,4Heが抜けなくなる「閾値」は岩石の種類により異なり,(一般的な岩石の中で)一番低い温度まで凍結されないアパタイトを用いれば,その岩石が80 ℃以下に冷えた年代が決定出来る.

今回著者らが用いたのは,これをさらに高精度化した手法だ.この手法は2004年に報告されたものである.さて,前述の通り岩石中のU,Th,4Heを測ることでおおよその年代はわかるのだが,実は誤差も大きい.例えば岩石は放射線により欠陥ができ,それにより4Heの拡散速度は影響を受ける.また粒子のサイズや結晶性によっても値は変わってくる.そこでこれを補正しさらに高精度な測定を可能にする手法として提案されたのが,「陽子線を照射して岩石中に人工的に3Heを作り,その脱離の様子を見ることで補正する」というものだ.岩石に陽子線を照射すると,十分な量の3Heが均一に生成する.その後岩石の温度を少しずつ上げながらHeの抜け具合を測定したり,表面から少しずつレーザーで削りながら岩石中での3Heの分布(均一に作った後で表面から抜けていくので,内部ほど濃い)を調べたりすることで,その岩石自体でのHeの抜け方やその温度依存性が補正出来る,というものだ.この補正と通常の(U-Th)/He法,さらに4Heと3Heの比率といったデータを組み合わせることで,岩石が30 ℃に冷えた年代まで特定出来るようになったのだ.30 ℃に冷えた時期がわかるようになったのは大きい.この温度ならほんの少し地下に潜れば達成出来るので,30 ℃以下に冷えた時期というのはほぼイコールで地表近くに露出した時期,という事になる.これはグランドキャニオンなどの「いつ浸食で削られ始めたのか?(=地表に出てきたのか?)」を知る上で最適な手法と言える.

さてその結果であるが,まずは西グランドキャニオンから見ていこう.こちらはおよそ9000万年前には120 ℃以上あった温度が急速に低下し,およそ7000万年前あたりで30 ℃(今回の手法で決定出来るほぼ最低温度)に到達,その後ほぼ一定となっている.これはつまり,7000万年前にはこの分析に用いた岩石は地表に露出した,つまりグランドキャニオンの浸食は7000万年前あたりに始まった事を意味している(注:7000万年前に現在の位置まで削られたわけでは無い.ただの川では無い,渓谷としての最初の浸食がこの時期に起こった,という事である).
一方の東グランドキャニオンでは,ほぼ同時期の8000万年前あたりに120 ℃ぐらいあった温度が,7000万年前に向け70 ℃付近まで徐々に低下していた.これは恐らく西と同様,7000万年前前後に浸食が起こり,岩石が地表に接近(というか,川底が岩石に近い深い位置に接近)したということだろう.一方,東グランドキャニオンが西とやや異なるのは,この後もう一段の浸食が見られる点である.およそ3000万年前前後にもう一段の顕著な温度低下(ほぼイコールで浸食の進行による地表付近への接近)が見受けられ,ここでようやく岩石は30 ℃以下に冷却されている.

元々この地域の地形はおよそ7000万年前に隆起が始まったことが判明しており,かつては「地表の隆起により浸食が始まりグランドキャニオンができた.だからグランドキャニオンの始まりは7000万年ぐらい前だろう」と素朴に考えられていた.それが各種の岩石の調査から「でも渓谷の形成はもっと新しいんじゃない?」というのが定説となり,それがまた元に戻ってきたような形となる.(2012.12.21)

 

75. 光で操作する磁気浮上

"Optical Motion Control of Maglev Graphite"
M. Kobayashi and J. Abe, J. Am. Chem. Soc., in press.

強弱の差こそあれ,ほぼ全ての物質は磁石に吸い付けられるか反発を受ける.金属などの多くはパウリ常磁性と呼ばれる伝導電子由来の磁性によってほんのわずかに磁石に引き寄せられるし,有機物などその他多くの物質は内殻電子の反磁性(ラーモア反磁性:原子内の電子が磁場の影響を打ち消そうとぐるぐると回転するような効果により生まれる反磁性)によりごくわずかに反発する.不対電子を持つラジカルや遷移金属錯体などはその局在スピンが磁場に引きつけられることで様々な振る舞いを見せ,その一部はいわゆる磁石となる.
さて,このように物質は多彩な磁性を示すのだが,その中でもグラファイトやビスマスは非常に強い反磁性を示し,磁場に強く反発することが知られている.この起源をきちんと説明するのは大変なのだが,ざっくり言うとその特殊なバンド構造に由来する特異的なものだ(*).

*これらの物質では,フェルミエネルギー付近で「波数に対してエネルギーが直線状に増加する」という特異なバンド構造を持っており,さらに価電子帯と伝導体がほぼ一点で接する(実際には,グラファイトでは二つのバンドが少し重なり,ビスマスでは逆に少しギャップが開いている).こういった構造はディラックコーンと呼ばれるのだが,その理由はこういったバンド構造内の電子の運動を表す方程式の形としては質量ゼロのディラック方程式に従う粒子と一致し,バンドの形状がコーン(円錐)2つを頂点で接するよう配置した形状となっているためである.
このディラックコーンのバンド構造を持つ物質に磁場をかけると,磁場により上下のバンドの状態が混ざり,その結果生じる電子の分布が非常に強い反磁性を示すことが計算により明らかとなっている.特に理想的なディラックコーンを持つグラフェン(単層グラファイト)の場合,熱励起が無視出来る絶対零度ではその反磁性の大きさが完全反磁性となる事が知られている.

他の通常の物質より遙かに強い反磁性を示すグラファイトであるが,それを実感出来る実験が一つ存在する.それはNdFeB磁石(ネオジム磁石)のような非常に強い磁石の上にグラファイト薄片を置くと,強い反磁性により磁気浮上を示すのだ.似た現象として磁石の上に超伝導体を置いたものがあるが,グラファイトの場合室温でもきれいに浮上させられるという点が異なる(ただし,グラファイトの反発力は超伝導体よりかなり弱いため,浮上させるためにはNdFeB磁石のような強力な磁石を必要とする).
今回報告されている論文は,このような磁気浮上させたグラファイトを光で操ることが出来る,というものである.

グラファイトにレーザーを当てると温度が上昇する.温度が上昇すれば電子は熱励起を起こし分布が変わるので,バンド内の電子の状態に依存している反磁性の強さは変わる.まず著者らは磁石の上に浮上させたグラファイトに対し波長405 nmの半導体レーザー(スポット径は2mmぐらい?)を照射し(波長に深い意味は無い),その温度変化と浮上の変化を確認した.用いたのは直径3mmで厚さが10 μm弱程度の円盤状のグラファイトである.照射するレーザーのパワーをゼロから300 mWまで上げていくと,浮上高さは約0.6 mmから0.54 mmへと1割ほど減少,この時温度は290 Kから360 K程度まで上昇しており,温度上昇と浮上高さはほぼリニアな関係であった.要するに,温度が上がると反磁性が弱まって浮力が減り,少し沈み込むわけだ.
といってもまあここまでは既知の現象であって,面白いのはここからだ.

まず,NdFeB磁石を市松模様状に敷き詰めた板を作る.これは棒状のNdFeB磁石をN-S-N……と交互にN極とS極を上に向けたような構造で,まあ要するにほぼ均一な強い磁場が表面に存在する板である.ここにグラファイトの円盤を乗せると磁気浮上によりふわりと浮く.そしてレーザーを円盤の片方の端に照射すると,この浮上した円盤がするりとレーザーの方に移動するのだ.この移動はレーザーが中心に来たあたりで止まるが,レーザーを端に照射 → 円盤が移動しレーザーが中心に → レーザー照射位置をまた端に移動,を繰り返す事でグラファイトの円盤を好きなように滑らせて移動することが可能となる.
ムービーはSupporting Information内の

http://pubs.acs.org/doi/suppl/10.1021/ja310365k

ja310365k_si_004.mpgとja310365k_si_005.mpg

http://pubs.acs.org/doi/suppl/10.1021/ja310365k/suppl_file/ja310365k_si_004.mpg
http://pubs.acs.org/doi/suppl/10.1021/ja310365k/suppl_file/ja310365k_si_005.mpg

をご覧いただきたい.なお再生用のプラグインによってはうまく再生できなことがあるようなので,ダウンロードしての再生をお勧めする.

なぜこんな事が起こるのか?それはレーザーによる温度上昇と反磁性の減少に由来する.
円盤の右端にレーザーを照射すると,その部分の温度が上昇する.すると右側の反磁性が弱まり反発が減ることから,円盤は右に傾きそちらの方向に少し「横滑りしつつ落下」することとなる.レーザーが円盤の中心に来ると温度は全体でほぼ均一となるため,傾きは復元し移動は止まる.レーザーを小刻みに移動すると,このステップ移動を繰り返しながら円盤がレーザーに追従して移動することになるのだ. さらに面白いのは円筒状の磁石の場合である.中心がS極で周囲がリング状にN極という円筒状の磁石を用意する.こうすると磁力線は外側のリング状の部分で密になるので,上にのせられたグラファイトの円盤はいわばすり鉢状のポテンシャルに閉じ込められた状態になる.ここでまた円盤の一端にレーザーを照射すると,今度は浮上したグラファイト円盤がぐるぐると回転運動を始めるのだ.照射位置を反対側にすると,回転運動も逆回転となる(動画中では,回転がわかりやすいようにグラファイト円盤上面に線が引いてある).

http://pubs.acs.org/doi/suppl/10.1021/ja310365k/suppl_file/ja310365k_si_006.mpg
http://pubs.acs.org/doi/suppl/10.1021/ja310365k/suppl_file/ja310365k_si_009.mpg

これも同様に,温度分布とそれに由来する反磁性の変化と,さらに重力の影響で説明される.
円筒状の磁石と,その上に浮いている円盤状のグラファイトを考えよう.製造上のズレやら,そもそもの置いてある台の製造精度などから,円筒状の磁石の上面はほぼ確実に水平からわずかにズレ,傾いているはずである.例えばここで水平面をXY平面に,円筒状磁石の上面が+Y方向がやや高くなるように傾いていたと考えよう(当然-Y方向は少し低い).磁場だけを考えていると,そのポテンシャルはすり鉢状であるから,磁場と反発するグラファイトは円筒のど真ん中上空に浮いているのがもっともエネルギーが低い.ところが一方,磁石自体が微妙に傾いていることから,重力的には-Y方向(=高さが下がる方向)に移動した方がエネルギーが低い.このためグラファイト円盤自体は,中心から微妙に-Y方向にシフトした位置に存在しているはずである.この時,グラファイト円盤の-Y側はより磁場の強い位置にちょっとだけ押し込められておりエネルギーが高いが(反発がより強い),それを重力の利得で押し込んでいる状態だ.
さて,ここでグラファイト円盤の+Xの位置にレーザーを照射した場合と考えよう.この時,グラファイト円盤の+X位置は温度が上昇し,磁場から受ける反発は弱くなる.となるとこの時,円盤がぐるりと回転し,温度の高い部分(=反磁性が弱く,磁場との反発が少ない位置)を-Yの位置(=磁場の強い位置)に配置した方が,磁気エネルギー的にはお得である.一方,(グラファイト円盤が完全に円形であれば)重力的なエネルギーは回転しても全く差が無い.よって全エネルギー的にも回転した方が得となり,グラファイト円盤は+Xの位置にいた端を-Yの位置に向けるようにぐるりと回転していく.
ところが回転してしまうと,温度が高く反磁性の弱かった部分はレーザーの照射位置から離れ温度は再度低下,また反発は強くなる一方,新たに照射を受けるようになった位置(=新たに+Xの位置に回ってきた部分)の温度が上がりそこの反磁性が弱くなる.これを連続的に繰り返す事で,円盤は時計回りに回転を続けるのだ. この議論から直ぐわかるように,レーザーの照射位置を反対側である-Xの位置にすれば,この部分が-Y側に落ちようとするのだから回転方向が逆になるのもすぐわかる.
まあある意味,水車の仲間のようなものだ.一端におもりを取り付けるとそこが下がろうと回転し,下がったところでおもりが落ちて外れる&新たな位置におもりが取り付けられることで回転が連続する,というわけだ. これを使って,太陽光の照射を回転運動に変える,というデモンストレーションも行っている.影を作って円盤の片側だけに光が当たるようにすると,磁気浮上しているグラファイト円盤が面白いように回転する.

http://pubs.acs.org/doi/suppl/10.1021/ja310365k/suppl_file/ja310365k_si_010.mpg

光から回転運動への新たなエネルギー変換手法となるとか,光を利用した物体のスムーズな移動が可能になると言うことでなかなか面白い研究だ.まあ実際にどんな場面で使えるのか?といわれるとなかなか難しいところもあるが.(2012.12.17)

 

74. 分子設計を駆使して高発光効率を実現した有機EL材料

"Highly efficient organic light-emitting diodes from delayed fluorescence" H. Uoyama, K. Goushi, K. Shizu, H. Nomura and C. Adachi, Nature, 492, 234-238 (2012).

有機ELは新たな発光材料として照明やディスプレイへの大規模応用が目指されている素材である.根本的な原理そのものは非常に単純である.まず,有機材料の両端を電極で挟み片方からホールを,もう一方から電子を注入する.この時微視的に見れば,分子に注入されたホールは分子の最高被占軌道(HOMO:Highest Occupied Molecular Orbital)から電子を一つ引き抜いた状態に相当し,注入された電子は分子の最低空軌道(LUMO:Lowest Unoccupied Molecular Orbital)に電子が押し込まれた状態に相当する.このホールと電子は分子間を飛び移りながら移動し,最終的には両者が同じ分子で出会うことになる.この状況を微視的に見れば,分子のHOMOから電子が一つ引き抜かれ,代わりにLUMOに電子が押し込まれた状況であるが,これはHOMOの電子がLUMOに励起された状態に等しい.この高いエネルギーにあるLUMOの電子が1つ空席を持つHOMOの軌道に落ちるときに発光する,というのがELである.

さてこのような有機ELであるが,その発光効率を上げるというのはなかなか大変であった.
ここで,発光直前の状態,つまり一つの分子にホールと電子が集結した状態=分子の1電子励起状態を考えよう.LUMOの電子は当然スピンを持つし,空席が一つ出来たHOMOに残っている電子もスピンを持つ.このような2つの電子が個別に存在する状態では,これらの持つスピンの組み合わせ,というのは4つ考えられる.一つはこれら2個の電子のスピンが互いに逆を向き打ち消しあった状態(↑↓-↓↑という重ね合わせの状態)で,状態が1つしかないので一重項(Singlet)と呼ばれる.残り3つは二つのスピンが同じ方向を向いた状態(↑↑,↓↓および↑↓+↓↑)であり,三重項(Triplet)と呼ばれる.三重項状態は要するに2つのスピンが同じ向きを向いて,その全体が上(+z方向)を向くか(↑↑),下(-z方向)を向くか(↓↓),横を向いてxy平面内をぐるぐる回るか,という3通りに対応する(ゆえにtripletと呼ばれる).この4つ存在する状態のうち,光を発して基底状態に戻ることのできる分子は1重項の分子だけである.というのも「分子が光を吸収・放出する際にはスピン状態が変わってはいけない」という制限があり,さらに基底状態では同じ軌道(HOMO)に電子が2つ入るため,電子のスピンは互いに逆向きの1重項でないといけないからだ.
さてここで困ったことが生じる.電極から注入されふらふらと漂ってきた電子とホールのスピンの向きはランダムである.それが同じ分子に入ったのだから,4つの状態(一重項1つと三重項3つ)のどれになっているかは完全にランダムであり,ほぼ1/4ずつである.ところがこのうち発光出来るのはたった1つの状態(光を放出して緩和出来る一重項状態)に過ぎず,しかも三重項から一重項への緩和は非常に難しい(時間がかかる)ため残りの3つの三重項状態は振動など余計なところにエネルギーが逃げることにより無発光の緩和を起こし基底状態に落ちてしまう.これではどう頑張っても発光効率は25%を超えることが出来ず,エネルギーの無駄が多すぎる.

そこで近年行われているのが,重原子錯体(Ir錯体などが良く用いられる)を用いる,という手法である.重原子では内殻の電子(原子核の近くに位置する電子)の運動量が大きくなり,相対論的効果が強く効く.詳細は省くが,このためにスピン-軌道相互作用というものが強くなり,電子のスピンと,原子核周りなどでの軌道運動が強く結びつくのだ.この結果,電子はスピンの角運動量を軌道運動に押し付ける(もしくは軌道運動の角運動量をもらう)ことで反転しやすくなり,三重項状態から一重項状態への変換が起こるようになる.つまり今では
一重項状態 → 発光して緩和 → 基底状態(25%)
三重項状態 → 発光しない緩和 → 基底状態(75%)
三重項状態 --×-→ 一重項状態(禁止)
だったものが,重原子錯体を用いることで
一重項状態 → 発光して緩和 → 基底状態(25%)
三重項状態 → 一重項状態 → 発光して緩和 → 基底状態(75%)
とすることが出来たのだ(一重項状態への転換と発光による緩和が十分速ければ,無発光の緩和の寄与は無視出来る).
この手法は大変優れており,発光効率を劇的に増加させることが出来たのだが,その一方で高価な重原子を使用しないといけないためコストの上昇を招いていた.もし何とかして軽原子のみで発光効率を引き上げられれば,それは大きな革新となる.

今回の論文で報告されているのは,軽原子のみを用いた発光素材で既存の重原子を用いたものに匹敵するような高い効率を実現出来た,というものだ.
軽原子はスピン-軌道相互作用が非常に小さい.それを用いて高い三重項-一重項変換速度を実現するために著者らが注目したのが,一重項状態と三重項状態のエネルギーを近づける,という全く異なるアプローチであった.そもそも量子論においては,二つの状態の移り変わる速度は(状態間の重なり)/(状態間のエネルギー差)に比例する.軽原子はスピン-軌道相互作用が小さい以上分子は小さくなってしまう(一重項と三重項の混ぜ合わせが小さい)が,分母を小さくすれば同様の効果が出せるはず,という点に着目したわけだ.
これは理屈としては非常に当たり前の手段なのだが,今まで実現されていなかったのには理由がある.実は原子や分子においては,異なる軌道(今考えている励起状態で言うなら,HOMOとLUMO)に入っているスピンを全て同じ方向に揃えようとする強い力が働く(フント則).このためスピンが同じ方向を向いた三重項状態の方がエネルギーはかなり低くなり(約1 eV弱程度,温度で言えば1万度程度に相当),一重項状態と三重項状態のエネルギー差はどうしても大きくなってしまうのだ.
著者らはこの問題を解決するのに,「空間的に分離する」という手法に出た.同じ分子や同じ原子ではスピンを揃えようとする,という事は,逆に言えば離れた分子や原子ではそんな力は働かない,という事でもある.そこで著者らはドナー部位(電子を放出しやすい分子骨格)とアクセプター部位(電子を受け入れやすい分子骨格)の二つが連結された分子を利用した.この分子ではHOMOはドナー部位に局在しており,LUMOはアクセプター部位に局在している.一電子励起状態ではドナー部位のHOMOの電子が一つアクセプター部位に移動し,二つのスピンはドナー部位とアクセプター部位という空間的に少し離れた場所に位置することとなる.少し空間的に離れているためこの二つのスピン間に働く「同じ向きにスピンを揃えよう」という力は弱くなり,その結果一重項状態と三重項状態のエネルギー差は0.1 eV程度と通常の有機EL系分子のおよそ1/10にまで縮小した.これは要するに,エネルギー差はそのままでスピン-軌道相互作用を10倍にしたのと同じような効果を発揮するわけだ.
といっても実際にはなかなか難しいところもあり,あまり空間的に引き離しすぎるとLUMOの電子がHOMOへと緩和しにくくなり,発光が起こりにくくなって逆に効率が落ちてしまう.そのバランスをうまくとったのが著者らの腕の見せ所なわけだ.
(実際にはさらに,導入されているシアノ基の影響で分子の構造がリジッドになり余計な緩和が起こりにくい,などいろいろ議論もされているが,ここでは割愛)

こうして作成した分子は,置換基の変化により青から赤(というか現状ではオレンジあたりか)までの各種の発光色を示すバリエーションが作成可能で,さらに合成自体も市販材料からほぼワンポットで合成出来るなどお手軽で収率も比較的高い(ものが多い),また合成に用いる試薬も高価な触媒は使わない,大部分は熱安定性が高くCVDで蒸着出来るなど,かなり量産に向いた特性を持っている.

面白い着眼点であり,またかなり量産を見据えた特性が揃っているあたりは大したものだと思う.もちろん今後実際に量産に入るまでには解決・検討しないといけない点も多いのだが,興味深い報告である.(2012.12.13)

 

73. MgOの超高圧下での金属化:レーザー誘起衝撃波圧縮による実験

"Phase Transformations and Metallization of Magnesium Oxide at High Pressure and Temperature"
R.S. McWillams et al., Science, in press.

極限条件下での物性の研究は,物性物理における一大研究領域である.例えば極低温,超高温,超高圧,超高磁場,超強電場中での物性は我々の身の回りの一般的な現象とは大きく異なる特性を示すことがある.そのため極限物性屋は日々より極端な条件を実現するための手法の開発に血道を上げているわけだ.
さてその中の超高圧であるが,「一般」の超高圧実験ではダイヤモンドアンビルセルが用いられる.これは複数のダイヤモンドの壁面でサンプル(とそれを包む液体の圧力媒体)を囲み周囲から強く押し付けて圧縮する手法であり,通常の装置で数十 GPa(1 GPaはほぼ1万気圧),専用の超高性能なものを用いると100-300 GPa程度が実現出来る.温度面に関してはいろいろ難しい点もあるのだが,それでも一部の高機能な装置ではダイヤモンドを通してレーザーを照射,サンプルの極小領域のみを加熱することで5000 ℃前後なら実現出来るようになってきている.
しかし,である.地球の中心部はおよそ360 GPa,5500 ℃と現在の装置でもギリギリ測定出来る範囲なのだが,最近系外惑星として多数見つかっているスーパーアース(地球の数倍程度のサイズの惑星)の核であるとか,木星型惑星の中心付近での物質の振る舞いを調べようとするとこれでもまだまだ足りないのだ.こういった極端な条件下での物性を調べようと思うと,500-2000 GPa(0.2-2 TPa)程度の圧力で,しかも温度も1-2万 ℃程度を実現したい.

そこで通常のダイヤモンドアンビルを超える圧力を実現するための研究が盛んに行われてきた.初期に考案されたのは,爆薬による圧縮を用いるものだ.これは確かに(当時としては)画期的な圧力を実現出来たのだが,爆圧の時間分布が意外に広くしかも歪な形状をしているため圧縮(とその後の戻り)を解析するのが非常に大変であるとか,物質の応答に変な影響が出たり,また得られる最大圧力が爆薬の爆破特性に依存して制限される(通常数十 GPa),そもそも爆薬なんで使用が大変(あまり実験で使用したくない),などといった問題も抱えていた.
次に考案されたのがこの爆縮法の改善であり,爆薬(後には圧縮空気やレールガンなども用いられる)で飛翔体を加速,これをサンプルに衝突させた瞬間に生じる衝撃でサンプル末端を急圧縮しサンプル内に衝撃波を形成させ,これがサンプル中を伝播していく際の部分的な急圧縮を利用する,というものだ.これは爆縮法よりも優れた手法ではあったのだが,衝突時の均一性を確保するのが難しいこと(固体同士の衝突なので,細かな調節が難しい),衝突速度を上げていくのがどんどん難しくなっている事,などといった欠点がある.

この手法をさらに発展させ,近年になって様々な研究が行われているのが今回の論文でも用いられているレーザー誘起衝撃波圧縮を用いた手法である.ここ何十年かでレーザー核融合の研究が大きく進歩したわけだが,その超高出力レーザーを応用したのが本手法となる.原理は単純で,測定したいサンプルの裏側にアブレーターと呼ばれるレーザーを受けて容易に蒸発する物質を塗布しておく.ここに超高出力レーザーが照射されるとアブレーターは瞬時にプラズマ化,プラズマ(導電性の気体)はレーザー(電場振動をもつ)のエネルギーを猛烈に吸収し加熱される.この膨大な熱でさらに下層のアブレーターが瞬時に加熱され気化・噴出,その反作用でサンプルが一瞬にして押されるのだ.気化の反作用と言っても,超高出力レーザーのエネルギーがそのまま運動に変わったようなものの反作用であり,エネルギー密度的には通常の爆薬による衝撃に比べ圧倒的に大きい.これによりサンプル裏面に瞬間的に超強烈な衝撃波が形成され,それがサンプル中を伝播していく際に瞬間的に超高圧での圧縮(とその後の減圧)をもたらすわけだ.この衝撃波の伝播速度は(物質にもよるが)数十 km/s,圧力は最大で数 TPaに達する.また同時に超高温も実現される.というのも,前述の通りサンプルは衝撃波によって局所的かつ瞬間的に圧縮されるのだが,これはつまり断熱圧縮を意味する(何せ熱が逃げる速度よりも圧縮の方が圧倒的に速い).このため猛烈に圧縮されたサンプルは高温となり,超高圧・超高温が同時に実現されることとなる.
圧縮のされぐあいも,レーザーパルスの形状を制御することで変化させることが出来る.例えばレーザー強度が緩やかに上がって緩やかに落ちるような場合では,ゆっくり圧縮されたゆっくり減圧される状態に近い.逆にものすごく急峻に立ち上がり瞬間的に落ちるδ関数のようなパルスを使えば猛烈な速度で圧縮され瞬間的に元に戻るような圧縮も可能だ.
また爆縮法や飛翔体の衝突ではサンプルが破壊されるのだが,レーザー誘起衝撃波の場合は与えられるエネルギーの総量が少ないため,サンプル自体が破壊されることは少ないようである.

そんなわけでレーザーで裏面を炙ることで超高温・超高圧が実現出来るので,これを使って極端条件下の物質の性質を調べよう,という実験が最近よく行われている.測定をどうやって行うのかというと,

・温度
瞬間的に圧縮され高温になると,当然ながら温度に依存した熱輻射を行う.もし超高速で撮影出来るカメラがあれば,サンプルから出てくる光を連続的に分析することで衝撃波面部分の温度変化が測定出来る.
(急速に圧縮が起こっている衝撃波面のすぐ後ろでは急膨張により温度が元の値に戻るので,輻射で見えてくるのは衝撃波面直後の圧縮されている部分だけ)

・衝撃波の速度
衝撃波の伝播速度からは,ちょろっと演算してやることでその状態での音速との関係が出る.音速やその分散からは圧力に対する物体の応答,つまり圧縮率が求まる.そんなわけで重要な「衝撃波の速度」であるが,測定にはドップラー効果が用いられる.
衝撃波は,サンプルの裏面から表に向かって抜けてくる.もしここでサンプルが透明であったなら(透明でない場合にも別な手法で測定出来るのだが,今回それは省略),表面からレーザーを斜めに照射して,衝撃波面で反射してくるレーザーを取り出すことが可能である.衝撃波面でなぜ反射されるかと言えば,そこでは物質がものすごく圧縮されているので密度が衝撃波の前後で大きく変化しており,屈折率の違う界面での反射が起こるわけだ(空気からガラス板に入射した光が一部反射されるのと同じ).この反射光の波長を測定すると,それはドップラーシフトを示す.衝撃波が表側に近づいてくる速度が速ければ速いほど,ドップラー効果は大きく波長は短くなるわけだ.といっても波長を直接高速に測定するのは大変なので,この反射してきたレーザーを2本に分け,違う経路で飛ばした後再結合,そこに生じる干渉縞を超高速のカメラで撮影する.干渉縞の間隔は波長に依存して変わるので,これによって波長の変化=ドップラー効果の大きさ=衝撃波面の速度が測定出来るわけだ.

これら二つの物理量と,そして衝撃波面に相当する部分での物質中での粒子の速度(これは別の実験や,結果のフィッティングから求まる)を使い,さらに運動量保存則,エネルギー保存則,衝撃波速度と粒子速度と密度などの関係式といった基本的な等式を用いることで,物質の比熱やら弾性率やら何やらの物理量を算出することが可能になる.つまり,
実験 → 衝撃波速度・温度・粒子速度が求まる → その他のいくつかの物理量が計算出来る
という流れとなる.
なお,測定に必要な「超高速のカメラ」というのはストリークカメラと呼ばれるもので,まあオシロスコープに近い代物だ.例えば平面(XY平面)の検出器に対し,ライン状(Y軸に平行)の入力光を与える.このラインが検出器に当たる位置をX軸方向に高速に掃引すれば,縦軸が位置,横軸が時間という2軸に分解された結果が撮影出来るわけだ.オシロスコープでは縦軸が値,横軸が時間方向を高速掃引したものなのだが,ストリークカメラでは縦軸は空間方向,横軸は時間方向,検出器の反応量が値になる.

今回著者らはこの実験を絶縁性の透明な固体である酸化マグネシウム(MgO)に適用した.MgOは惑星の核などに多く含まれている(と考えられている)物質であり,さらに理論計算によればスーパーアースや木星型惑星内部では導電性の固体へと相転移を起こしていると予測されている.これらの惑星内部では,超高温・高圧により生じた金属性のMgOがダイナモ効果を通じて強い磁場を生み出していると考えられているのだが,現在までの高温・高圧実験ではMgOの金属化は確認されていなかった.

さて,そんなわけで著者らが実験を行ったところ,0.45 TPa(9000 ℃程度)に一つ,0.65 TPa(14000 ℃)あたりにもう一つの比熱の異常(圧縮圧力が上がっているのに,あまり温度が上がらない=何らかの転移にエネルギーが使われている)が発見された.なお今回の実験では,ある固定されたレーザーパルスで衝撃波を起こしているので,圧力と温度は独立には制御出来ない(圧力を上げると,圧縮に猛烈にエネルギーが投入され同時に温度がもっと上がる).
理論計算と突き合わせると,最初の転移は通常のMgOの固体相からもう一つの別の固体相への転移(理論予測:0.33 TPa,8100 ℃),次の転移がこの「別の固体相」の液体への融解(理論予測:0.6 TPa,13600 ℃)と考えられる.この「別の固体相」に関しては,最初の転移以上の圧力領域では反射率が大きく増大していくことから,恐らく理論予測通り金属的な状態になっているのだろうと推測している.

今回の実験で示されたように,レーザー誘起衝撃波による超高温・高圧実験は今後様々な極限状態の研究で面白い結果を出していくことだろう.特に物性物理の聖杯の一つである「金属水素」の研究にも最近用いられており,こちらの方でも朗報を期待したい.(2012.12.1)

 

72. DNAでレゴブロック

"Three Dimensional Structures Self-Assembled from DNA Bricks"
Y. Ke, L.L. Ong, W.M. Shih and P. Yin, Science, 338, 1177-1183 (2012).

DNAはたった4種類の塩基の組み合わせで出来ているが,それぞれの塩基が特定の相手としか結合しないという優れた特徴を持っている.近年,ナノサイエンスの世界ではこれを利用することで様々なナノ構造体が作成されている.例えば1本鎖のDNAで配列がAAAAGGGGを用意し,ここに別なDNA断片としてTTTTGGGGというのを持ってきたとしよう.前者のAAAAの部分と後者のTTTTの部分は結合するが,それ以外の場所は結合しない.そのためこの2つを混ぜ合わせるとGGGG-(ATの組*4)-GGGGという構造が得られる.このような特異的な相互作用を多量に組み合わせることで,現在では様々な形状の1次元,2次元,3次元構造を作ることが可能となっている.
今回報告されたこの論文は,これをさらに推し進め,任意形状の立体をまるでレゴブロックを組み上げるかのように作成する手法に関して述べている.

この実験で用いたのは,8塩基*4を基本ユニットとする1本鎖DNAからなるブロックである.1つのブロックに含まれる4つのユニットを1,2,3,4としよう.このDNA断片全体では以下のようなU字型の構造となっている.
2--1
|
3--4
1と4の部分はレゴで言うところの次のブロックと結合するための突起,2と3が同じく穴に相当する.この塊がいわば「幅2,突起を入れて長さ2,厚さ1」の2×1サイズのブロックとなる.つまりこうだ.
□○
□○
突起部分を○で示した.ここに別なブロックを持ってこよう.この新たなブロックは,途中に1と相補的なDNA断片1'を持つ.
6--7
|
1'-5
この2つを混合すると,当然のことながらこんな結合が出来る.

     6--7
     |
2--1&1'-5
|
3--4
模式図で書けば
 □○
□□○
□○
となる.なお,実際にはDNAの整合する向きの関係でこのブロックの組は90度の角度を成し結合し,L字になっている.立体の末端を埋めて安定化させるために,さらに1ユニット(8塩基)だけのパーツを「キャップ」として導入すれば,最終的に出来上がるのは
 □□
□□□
□□
である.

これがブロックの基礎である.こうなったら後は簡単だ.任意形状の立体を2×1および1×1のブロックに分割,全てのジョイント部分に独立な組み合わせの塩基を割り当てれば良いのだ.これにより,必要な種類のDNA断片をバラ撒けば,自動的に望みの形状へと組み上がる.具体的な例はSupplementary Materials
http://www.sciencemag.org/content/338/6111/1177/suppl/DC1
のFig. S1(概略),S20&21(任意の長さの直方体),S38-54(任意形状の3次元物体)あたりを見て欲しい.なお,上記の基本原理もFig. S2&S4に図入りで載っている.
まあ,どんなデザインでも出来るのか,というと,Fig. S55(a)のような非常に複雑な形状(3方向から見ると異なる文字が見える,とか,エッフェル塔のようなものとか)には失敗したらしいが,それでもこれだけ自由自在に20nm以下のサイズの立体を作れるというのは大したものだ.

発想自体は非常に単純ではあるが,出来上がる形状がなかなか見事な研究だ.現状はジョイント部に使っているのが8塩基であるので,独立なジョイントとしては数万程度が限界となる(20×20×20程度のサイズなら可能)が,これに関してはジョイント部をもう少し伸ばしたりで解決出来るかも知れない.そうなるとさらに巨大な形状が作れるわけで,結構面白いものも作れる可能性がある.(2012.11.30)

 

71. "門番"が分子を選別するガス吸着材料

"Discriminative Separation of Gases by a "Molecular Trapdoor" Mechanism in Chabazite Zeorite"
J. Shang et al., J. Am. Chem.Soc., in press (2012).

ガスの分離というのは,工業上非常に重要な工程である.例えば多種類のガスの混ざった原料から望みの分子だけを単離したり,排気中から有害な分子を取り除いたり,不要な不純物を吸着させて取り除いたり,触媒と組み合わせることで特定の分子のみを反応させ副反応を抑制したり,と様々な場面・用途で利用されている.
そのようなガス透過/吸着剤として代表的なものを一つあげろ,といわれた際に必ず出てくるのがゼオライトだ.ゼオライトはケイ素とアルミの酸化物(および電荷を補償するための正イオン)からなる結晶性の物質だ.結晶内ではSi-O-Si(Siの一部はAlに置換されている)の構造が壁面を作り,全体ではいくつもの小胞が連結したような構造となっている.この小胞のサイズや組み合わせにより非常に多彩な結晶構造をとることが可能であり,小胞への入り口のサイズによって吸着出来る分子のサイズが変わってくる.例えば小さな入り口を持つゼオライトは小さな分子のみを吸着,大きな入り口なら小さい分子も大きい分子も吸着出来る.この入り口のサイズによってガス選別が可能になるわけだ.具体的な結晶構造に関してはゼオライト学会のページを参考にして欲しい.
なお,ゼオライトのこの小胞は結晶中に繋がっているので,膜として膜の両側で十分な圧力差をかけて使えば「分子ふるい」,つまり小さな分子のみを透過する膜として使える.
このように優れた特性を持ち古くから実用化されているゼオライトであるが,その分子選別能には一つの大きな弱点がある.単純に,「ある閾値より小さなものは通す」という選別しか出来ないのだ.このため,「混合物のうちやや大きなサイズの分子だけ吸着させたい」とか,「中間的なサイズを持つこの化学種のみをどうにかしたい」という用途に使うには面倒なのだ(複数のゼオライトで多段処理すれば似たような事は出来るが).

さて,今回著者らが報告しているのは,ある種のゼオライトが示した「単なるサイズ選別ではなく,ゲートが対象物を選別して通すような挙動」である.門番が客を選別して通すか通さないか決めるようなものだ.
そのゼオライトはChabaziteと呼ばれる種類のゼオライト(の中のある組成範囲のもの)である.組成は通常のゼオライトと同じく(Si4+,Al3+)O24-を基本とし,Alが入った分だけ正電荷が不足,それを補うためのアルカリ金属(今回の実験ではK+もしくはCs+)が入っている.そのものの構造はこちら(要JAVA).大きな空間(紫色で表示)とそれを結ぶ小さな通路(黄色)が内部に存在し,ここをガス分子が通ることが出来る.ガス分子の入り口は大きく口を開けた8員環(実際には,8原子のSi(or Al)とそれを繋ぐOが交互にあるので,16員環)となる.この8員環構造に関しては他のゼオライトでも存在し,例えばここのFigure 1を見ると,黄色で示された空間の正面にSi-O-Si-…で出来た8角形の入り口がある事がわかると思う.

さて今回のChabaziteの大きな特徴は,この8角形の中心に前述のアルカリ金属イオンが居座っている,という点である.つまり,広い大きな空間の入り口である8角形のど真ん中で,アルカリ金属イオンが通せんぼしているような状況なわけだ.このため,著者らが実験を行ったところこのゼオライトは窒素やメタンと言った気体をほとんど吸着しない事が判明した.まあここまでは通常の挙動だ.
ところがこのChabaziteの面白い点は,温度を上げていくとある点から急激にガス吸着能が増大する点である.例えばアルカリ金属としてK+を使った系では270 Kあたりから,Cs+を使った系では340 Kあたりから急激にガスを吸着するようになる.これは通常のゼオライトとは大きく異なる挙動だ.というのも,ガスは当然ながら低温の方が良く吸着される(極限は低温での液化).温度が上がれば運動エネルギーが増し飛び去りやすくなるためだ.実際,これらChabaziteも,一度吸着能が急増した後は,温度の増加とともに吸着能力が落ちていく.という事は,最初に起きる吸収能力の増大する温度で何か妙なことが起きているはずだ.
そこで粉末X線を用いて調べたところ,この「急激に吸着能が増大する温度」でアルカリ金属イオンの格子占有率が下がる事が見えた.X線構造解析では結晶全体の平均構造が見えるのだが,そこで占有率が下がると言うことは,アルカリ金属イオンが動いていることを示唆している.つまり門番の役割を果たしていたアルカリ金属イオンが,熱振動によりふらふらと動きまわり,出来た隙間からガスが内部に侵入出来るようになったのがこのガス吸蔵能の増加,という事になる(増加したというか,門番が居なくなって本来の性能に戻ったと言うべきか).

これだけでもまあ面白い発見なのだが,著者らはCO2の吸着実験を行った際にさらに面白い現象に出くわした.このChabazite,低温では門番が頑張るせいで内部の空洞にガスが入れないはずなのに,CO2に対してはそんな事関係無しに低温でも大きな吸蔵能力を示したのだ.これはまるで門番がCO2を正式なゲストと認め内部に招待しているようなものである.この原因はいったい何なのであろうか?門番が居る限りはガスの分子は(サイズ的に)内部に入れるはずが無いので,門番であるアルカリ金属イオンとCO2が何らかの相互作用をし,門番をどけているのは間違いない.しかもCO2が吸収される際に窒素やメタンと言った他のガスが共存していても,これらのガスは吸着されていない事もわかった.従って,CO2が「来た瞬間」だけ「一時的」にアルカリ金属イオンがちょっと道を譲る,という事になっているはずである.
そこで著者らは量子化学計算を行い,Si-O-からなるリングの中央にCs+を配置,そこに複数分子のガスを近づけた際にどうなるかを調べた.その結果,Cs+に二酸化炭素のような局所的な強い電気分極を持つ分子が近づくとその部分にCs+が吸い寄せられ,リングの中心からちょっと横にずれる際に必要なエネルギーが大きく低下することを見出した.CO2分子全体は対称的であるためほとんど分極を持たないのだが,局所的にはC=O結合が大きく分極している.これを利用するのだ.
例えば左からCs++にCO2が近づくとCs++は左にずれやすくなる.引き続いて別のCO2分子が近づきそのずれたCs+をその場に保持,その隙に最初のCO2分子がするりと滑り込む.

実際にこういった事が起きているのかを調べるために,著者らはNMRを用いて133Csの緩和時間の測定を行った.NMRは要は核スピン(=磁石)に磁場をかけ,スピンの向きによるエネルギー差を生じさせ,そのエネルギー差に相当するマイクロ波を吸収させることでスピンの様子を見る測定法である.通常,原子は微妙な位置の差や向きの差によりスピンの向きによるエネルギー差(=吸収するマイクロ波の周波数)が異なる.このため吸収はある幅を持ってくる.ところが原子が素早く移動していると,様々なサイトの影響が平均化され,どの原子も均一な状況に居るかのように見えてくる.例えば地球上の人は様々な地形の上に住んでおり各人の住んでいる標高は違うわけだが,もし人間が光の速さでランダムに地球上をうろつき回っていれば,世界中のどの人間も標高(の平均化されたもの)は同じになる,というようなものだ.同じ条件の原子だけなら同じ均一の波長のマイクロ波を吸収するわけで,吸収線幅は狭くなる(特定の波長だけ吸収するようになる).これを運動による先鋭化(mortional narrowing)と呼ぶ.
さて,NMRで133Csを見た結果に戻ろう.NMRによれば,あるサンプルを窒素中に入れたときには,133Csからは2つのシグナルが検出され,一つは強度で30%の運動の早い成分(シャープなピーク),もう一つは強度で70%を占める運動の遅い成分(ブロードなピーク)であった.まあ大雑把に言って,133Csの30%ぐらいがふらついている or 30%ぐらいの時間はふらついている,といったところだ.一方同じサンプルをCO2中に入れると,この比率が60% 対 40%になる.つまりより一層運動している成分が増えるのだ.これは前述の,「CO2が近づくと,133Csがふらつきやすくなる」という予想と一致している.

最後に著者らは,このChabaziteを使って実際にガス選別の実験を行っている.通常のゼオライト(小さい方の分子を良く吸着出来る)とは異なり,より大きいサイズの分子であるCO2を,他のガスより数十倍以上多く吸着出来ることが確認された.特に,非常に小さな分子である水素とCO2の混合気体からでもCO2を吸着出来る点は素晴らしい.というのも,通常のゼオライトのメカニズムでは小さな気体である水素を排除するような選別は非常に難しいからだ.またCO2に限らず,同じように局所的に分極を持つCO分子(こちらは分子全体でも極性を持つが)もCO2と同様に吸着出来る.もう一点優れた点を挙げると,比較的圧力の高い条件でもガス選別性が効くところが挙げられる.通常のガス選別では,微妙な吸着力の差やサイズ差を利用しているため,圧を上げていく=分子の衝突回数を増やすと選別力が激減していくことが知られている.しかし今回のChabaziteの場合,圧が上がろうが何だろうがそもそも門番であるK+やCs+がどかないことには内部に入れないので,圧力はあまり選別能力に影響しない.これは利用を考えると利点が多い.

ゼオライト系物質で,新たな原理によりこれまでと異なる選別能を持たせられる,という事がわかったのは大きい.今後,似たような系の開発やら,類似の概念を使った物質開発が進むかも知れない.(2012.11.17)

 

70. 光でタンパク質の活性を制御する汎用的手法の開発

"Optical Control of Protein Activity by Fluorescent Protein Domains"
X.X. Zhou, K. Chung, A.J. Lam and M.Z. Lin, Science, 338, 810-814 (2012).

ドロンパ(Dronpa)という名の蛍光タンパク質が存在する.これは珊瑚中に存在するタンパク質を改変することで数年前に理研が作成したもので,特定の波長の光を当てることによって蛍光のon-offを任意に切り替えられるという特徴を持つ(ドロンと消えてパッと現れる,という事でドロンパと名付けられた).
通常の蛍光タンパク質は,存在箇所を見たい機能性のタンパク質にくっつける形で利用される(機能性タンパク質と蛍光タンパク質が一続きの分子として発現するように,遺伝子を改変する).こうして発生したタンパク質は末端に蛍光タンパクをぶら下げているため,光を当てて蛍光を発生させる事で見たいタンパク質が細胞内のどこに集まっているのか,が見えるようになるわけだ(ただし,ある程度の大きさを持つ余計な分子がぶら下がるので,時には元のタンパク質とは異なる挙動になってしまうこともあり注意は必要).細胞内での分子の分布を直接見る手段が手に入ったわけで,これは非常に大きな進歩をもたらした.
しかし通常の蛍光タンパク質は常に蛍光がonの状態であったため,タンパク質の移動を見ようと思うと大変であった.例えば細胞の中心と外縁の二箇所を行き来しているタンパク質を考えよう.全部のタンパク質が中心に居て,そこから外縁に移動していくなら蛍光として見ることが出来る(発光箇所が移動していく).しかし例えば定常状態になり,外縁から中心に戻るタンパク質と,中心から外縁に移動タンパク質が同じ量になった場合には,蛍光で見るだけだとタンパク質が全く移動していないのか,それとも等量が同時に往復しているので蛍光が変化していないのかが見分けられないのだ.ここでドロンパの登場である.ドロンパは,特定の波長のレーザーをピンポイントに当てることにより,その部位のタンパク質だけ蛍光をonにすることが出来る(しかも何度でも再利用出来る).これを利用すれば,一度全タンパク質を非蛍光性にしておき,外縁のタンパク質だけスポット的に蛍光性に変換,その蛍光を追跡することでタンパク質の移動を明確に観察出来る.

さて,そんなわけでいろいろと注目されているドロンパであるが,今回の著者らはその「構造変化」という部分を全く異なる用途に応用した.そもそもドロンパがなぜ光照射で蛍光のon-offを切り替えられるのかと言えば,それは構造変化を起こすからである(これも最近理研が解析).蛍光タンパク中には発色団という実際に発光する部分が存在するのだが,ドロンパでは青色の光を照射すると,この発色団に隣接する部位がフレキシブルに変化,発色団と接触するようになる.この状態では発色団の励起エネルギーが迅速にこのフレキシブルな部位の振動エネルギーに逃げてしまい,蛍光を発することが出来ない.紫外光を照射するとこの部分がリジッドになるようにタンパク質の構造が変化,発色団からエネルギーを持ち去る部位が無くなることで,励起エネルギーは蛍光として放出される.

今回の論文の著者らが注目したのは,このドロンパの変種の一つDronpa 145N(以下145N)である.この分子,通常は4つがくっついた四量体となっているのだが,これを希釈していくと解離して単量体になると同時に蛍光が消えるのだ.著者らはこの機構を考察し,「145Nは,蛍光on状態では四量化しやすい構造になっていてくっつきやすく,蛍光off状態はくっつきにくい構造なのでは無いか?」と推測した.これが正しければ,逆に光照射により構造を無理矢理変えることで四量化のしやすさを変えることも出来るのではないか?つまり,特定の波長の光を当てることで凝集・解離をコントロール出来るスイッチになるのでは無いだろうか?

この仮説を実証するために,著者らは機能性タンパク質の末端に145Nや,類似の変種145K(こちらは四量化では無く,二量化する)が繋がったタンパク質を作るようにした細胞を用いた.それと同時に,細胞膜に溶け込む分子の末端にもこれらドロンパをぶら下げる.著者らの推測が正しければ,ここに光を当てドロンパの蛍光性をonにすると同時に,機能性タンパク質にぶら下がったドロンパは二量化や四量化したがるようになるはずである.一方,細胞膜からぶら下がったドロンパも同様の変化を起こす.これにより,機能性タンパク質は細胞膜にトラップされるはずだ(細胞膜-細胞膜にぶら下がったドロンパ-機能性タンパク質にぶら下がったドロンパ-機能性タンパク質,という引力が生じ,機能性タンパク質がくっつく).
実験をしてみると,見事予想通り機能性タンパク(実際に見ているのは,それにくっついている蛍光タンパクの光だが)が細胞膜に集積されていることが確認された.さらに,ドロンパの蛍光をoffにする光を照射してしばらく待つと,バインドされていたタンパク質が外れ細胞内に分散していくことも確認出来た.つまりドロンパを,外部からの光でon-off可能なマジックテープのように利用出来たのだ.

著者らはここからさらに研究を進め,さらなる利用法を開発した.機能性タンパク質の両末端にドロンパを取り付ける.このタンパク質,構造的には(ドロンパ)----機能性タンパク質----(ドロンパ)となっているのだが,ここで蛍光on(=凝集性on)となる光を当てると,この両端のドロンパがくっついてしまう.つまり構造としては
(ドロンパ)----機能性タ⌉
(ドロンパ)----質クパン⌋
というような感じだ.この変形に伴い機能性タンパク質にひずみがかかるせいか,はたまた活性部位がドロンパで塞がれてしまうためか,ともかくこの機能性タンパク質は機能を一時的に失う.著者らが実演して見せたのは,タンパク質の加水分解酵素であるプロテアーゼの両末端に145Nをくっつけた分子である.蛍光性onの状態では,2分子の持つドロンパ4つがくっつくせいでプロテアーゼは機能を発揮出来ない.こんな感じだ
⌈テロプ----(ドロンパ)(ドロンパ)----プロテ⌉
⌊ア−ゼ----(ドロンパ)(ドロンパ)----ゼ−ア⌋
ところが外部から青色光を照射すると蛍光性がoffになると同時に構造変化により4量体が解離,通常構造のプロテアーゼが解き放たれる.
(ドロンパ)----プロテアーゼ----(ドロンパ)
こうして機能を取り戻したプロテアーゼが標的タンパク質をプチプチと切断する様子が観測された.

光照射で機能性タンパク質の機能をon-offするという研究はこれまでにいくつも存在するのだが,この手法の優れている点はその汎用性である.実際に光照射で変化する部分は機能性タンパク質とは別な末端部分であり,従って機能性タンパクに光変化部位を組み込むよりはよほど元の機能を維持しやすい.任意の機能性タンパクに対し,その両端にドロンパを付けるだけで,その機能性タンパクが光応答性(特定の光により,機能を任意にon-off出来る)を獲得するのだ(しかもその空間分布を蛍光を利用して直接検出することも出来る).これは今後様々な利用が考えられそうである.(2012.11.10)

 

69. 発酵による生成物を利用した灯油・ガソリンの製造

"Integration of chemical catalysis with extractive fermentation"
P. Anbarasan et al., Nature, 491, 235-239 (2012).

再生可能エネルギーはホットなテーマである.代表例としては太陽電池や風力発電などが思い浮かぶところであるが,植物等を原料にした石油類の製造も研究が進められている.生物の手を借りた内燃機関用燃料の製法としては,(a)発酵によりエタノールなどの代替燃料を生産する,(b)石油を直接合成出来る藻類などを使用する,という2つが大きな柱だ.しかしこれらはそれぞれ問題を抱えていて,aに関しては通常生成されるのがエタノールやブタノールと言った炭素数の少ないアルコールであり,単純に現在の化石燃料を置き換えられるわけでは無かったり,アルコールゆえの浸潤性(接触したゴム等の劣化)が問題になったり,吸湿性が問題になったりする.一方のbに関しては生成する炭化水素はほぼ現在の石油類と交換可能であるが,その生成効率の低さが問題となっている.

それらを踏まえ,今回の著者らが取り組んだのは「発酵によって多量に生成出来る原料から,炭素数の多い化合物を高効率に合成するルートを開発する」というものだ.モデル原料としたのは,アセトン,ブタノール,エタノールのおよそ2.3:3.7:1(モル比)の混合溶液だ.なぜこんなものを使ったかと言えば,実はこの混合物,発酵によって得られるのである.我々がよく知る酵母による発酵は糖をエタノールに変換するものであるが,Clostridium acetobutylicumと呼ばれる細菌類は,糖や酢酸などを分解し,アセトン-ブタノール-エタノール(2.3:3.7:1)と二酸化炭素に分解するという発酵を行う事が知られている(これはかつて工業規模のアセトン生産に利用された).もしこうして得られた分子からより炭素数の多い炭化水素が得られれば,身近な原料の発酵から石油が得られるのと同じことになるわけだ.

著者らが通常の発酵によるエタノールでは無く,Clostridium acetobutylicumによる発酵に注目したのは生成物に多量のアセトンが含まれるからである.アセトンは3つの炭素を含み,中央の炭素に酸素原子が二重結合で結合している(C=O)構造である.このようなケトンと呼ばれる構造においては,C=Oの隣(α位)の炭素上の水素が抜けやすくなっており,いわば炭素の負イオンにやや近い状態が実現している.そして適切な触媒の存在下では,この負に近い炭素がアルコールのC-OHの炭素を攻撃し,炭素-炭素結合を作ることが出来る(その際にOH基は脱離).こうして一段階長い炭素鎖が出来る.さらに反対側にもまだケトンに隣接するCH3が居るのでここも反応が可能で,さらにもう一段長い炭素鎖まで完成する.後はケトンのC=O部分を水素還元でもすれば長い炭化水素が完成である.要するに,発酵でアセトンが出来ると言うことは,うまく触媒を持ってくればそこからガソリンが作れる,という事を意味しているわけだ.前述のClostridium acetobutylicumであれば,エタノール以外に炭素数4のブタノールも含まれる(むしろこっちの方が多い).ブタノールがアセトンの両端に付けば炭素数は11,ほぼ灯油の領域だ.

この反応,実際にはやっかいな副反応が生じる事があり,C=O結合の炭素に別なケトンの末端炭素が反応して,枝分かれした構造を作ってしまうこともあった.今回著者らはこの反応で用いる触媒を検討した結果,こうした副反応がほとんど起きず,直鎖の炭素鎖をのばす方向の反応だけがほぼ選択的に手法を開発した.
さらに,発酵溶液からの抽出においても工夫をし,glyceryl tributylateという炭素原子に3つのブタン酸エステルが付いたような溶媒を用いることにした.この溶媒は水に混じらない溶媒で比較的沸点が高く(130 ℃程度),アセトンとブタノールを良く溶かし出す.発酵溶液とglyceryl tributylateを撹拌子ながら発酵を進めれば,出来たアセトンとブタノールはどんどん有機溶媒中に溶け出してきて,後はその有機溶媒だけを蒸留すれば沸点の低いアセトンとブタノールが容易に回収出来る(glyceryl tributylateは沸点が高いので容易に除ける),という寸法である.エタノールに関してはそれほど溶けがよくないので,そこは回収率が落ちる.glyceryl tributylateには他にも利点があり,発酵原料(セルロースなどを酸触媒で分解したりしたもの)の中に含まれる様々な発酵の阻害要因となる分子も溶かしだし,発酵溶液をクリーンに保つことで発酵を助けるのだ.このglyceryl tributylateの利用が第二の改善点となり,トータルでの収率を上げている.

では,実際にはどの程度の効率で変換出来るのか?それを実証するために,発酵から重合・分離までを行った結果が記されている.餌としてグルコースを与え発酵&その後の変換を行ったところ,発酵での効率が90%程度,引き続く変換過程でもまあ90%前後の効率が得られている.ただし発酵はもれなく二酸化炭素の発生も含んでいるので,炭素原子の数として見ると石油(の原料)に変換されるのはおよそ40%程度である(副生成物の,やや炭素数の少ないものまで含めると5-6割ぐらいになる).

比較的効率も悪くなさそうなので,化石燃料が足りなくなってきた際の灯油・ガソリンの製法としてはありかも知れない.航空燃料とか.
ただ,現時点で既にバイオエタノールで問題になっているように食糧との間で原料の奪い合いになる危険性もあるので,そのあたりが解決されるまではやや微妙か.セルロースの簡易分解法が完成すれば便利なんですが. あとはまあ,世の中がいつまで炭化水素系燃料を使っているか次第ですかね.そのままアルコールを利用するように転換してしまったらこの手法は余り意味が無くなりますので.そのあたりはちょっと読めないところか.(2012.11.8)

 

68. 海流変化が誘発するメタンハイドレート層の不安定化

"Recent changes to the Gulf Stream causing widespread gas hydrate destabilization"
B.J. Phrampus and M.J. Hornbach, Nature, 490, 527-530 (2012).

近年,メタンハイドレートが大きな注目を集めている.メタンハイドレートというのは水分子とメタン分子が混じって結晶化したようなもので,高圧・低温下なら安定に存在出来るため海底下の地層内に多量に存在している.これが注目を集めている一つの理由は燃料資源としてであるが(ただし,広く薄く分布するメタンハイドレートから天然ガスを効率的に回収する手法は現時点では開発されていない),もう一つの理由は温暖化の観点からである.
メタンハイドレートの総量は非常に膨大であり,現時点で確認されている化石燃料の2倍以上の炭素を抱え込んでいると言われている.このように炭素の重要な貯蔵庫となっているメタンハイドレートであるが,温度上昇や圧力低下が起こると不安定化してメタンを放出する可能性がある.そして放出されるメタン(および,それが最終的に酸化されて出来る二酸化炭素)は温室効果ガスであり,さらなる気温上昇を引き起こす.つまり正のフィードバックが働くわけで,一度メタンハイドレート層の崩壊が始まると大規模な影響を引き起こす可能性があるわけだ.
実際にこういった現象が起きたのではないか?と推測されているのが暁新世/始新世温暖化極大(PETM)と呼ばれる事象だ.これは約5500万年前に起こった現象なのだが,地質学的には瞬時と行っても良い数千年以内の間に,炭素同位体比の激変(どこかから軽い炭素が多量に供給された),全球レベルでの気温の上昇(平均で6℃程度上昇),海洋の極端な酸性化,といった事が発生している.この現象に関しては現在でも議論が続いており決着は付いていないのだが,もっとも有力な仮説として考えられているのがメタンハイドレートの大規模な放出である.つまり,何らかの理由で大気中に多量のメタンか二酸化炭素が放出されたのをきっかけに気温が上昇,それにより世界各地のメタンハイドレートが不安定化し多量のメタンが大気中に供給され(メタンハイドレート中の同位体比は軽い12Cが多いので,同位体比の変化が起こる),極端な気温上昇を誘発,酸化により生じた二酸化炭素が海洋に溶け込むことで酸性化が進行した,というものだ.

注:ただし,起こった現象の厳密な順序を決定出来るほど年代特定の精度が高くないので,実際には何らかの原因による温度変化が先で,メタンの放出は単なる結果でしかないのでは無いか?という議論もあるなど,細かい部分では決着が付いていない.

まあ何にせよ,メタンハイドレートは注目を浴びて研究が促進されていることは疑う余地が無い. さて,今回発表された論文は,メキシコ湾流の変化によりノースカロライナ沖のメタンハイドレートが不安定化している可能性がある,というものだ.
著者らはまず,ノースカロライナ南西沖の超音波探査の結果を基に,メタンハイドレートがどのような分布をしているのかを調べた.メタンハイドレート層が存在すると,超音波探査時に本来の海底の下にもう一つ海底があるかのような反射波が得られることが知られており(BSR:海底疑似反射面),メタンハイドレートの探査に良く用いられている.さて,そうして得られたメタンハイドレートの分布と,圧力・温度を用いたシミュレーションにより予想される分布とが顕著に異なっていることに著者らは気が付いた.本来であれば,海水温が高いせいでメタンハイドレートが生成しないと予想される海域の地下にもメタンハイドレートの層が確認されたのだ. この差異を説明するために著者らが考慮したのが,暖流であるメキシコ湾流の変化である.近年の温暖化に伴い,世界各地で海流の位置の変動が確認されているが,メキシコ湾流もその流れを微妙に変えつつある.またその流れの温度自体も上昇しつつあるわけだ.逆に言えば,今確認されているメタンハイドレートが生成した時点では,メキシコ湾流がもう少し違う位置を流れていたりもっと温度が低かったり,といった可能性がある.
そこで著者らは「メキシコ湾流が無かった場合のノースカロライナ沖合の水温分布」を推定,これに基づいてメタンハイドレートの生成をシミュレートすると,現在の分布に非常に良く合うことを発見した.つまり今残っている浅海域(深い地域は,現在でもハイドレートが生成し得る)のハイドレートは,昔のもっと冷たかった時期に生成したものであり,海流が暖かくなった現在でも上に乗っている厚い地層のおかげでまだ熱が伝わっていないから分解せずに残っている,ということになる.

この事実は,浅海域のメタンハイドレートは暖かくなったメキシコ湾流の熱が伝わる将来には分解していく可能性があることを示唆している.これにより将来的に放出されると推定されるノースカロライナ沖のメタンの量は2.5ギガトンに達する.これだけならまあ前述のPETMの時に放出されたとされるメタンの0.2%に過ぎないのであるが,問題はこのメタンハイドレートの分解に際して海底斜面の崩落が起こる危険性がある点だ.
地層の下部が分解するために,斜面が丸ごと崩落する可能性がある.これが問題なのは,斜面の崩落はより深度の深い部分の斜面も同時に削りながら崩落する点である.すると(温度的には問題なかった)下部のメタンハイドレートにかかる圧力が減少,今度は圧力低下で不安定化したより水深の深い位置のメタンハイドレートまで連鎖的に分解する可能性が出てくるのだ.こういった連鎖崩壊が起こった場合,放出されるメタンの量は1桁以上増大する可能性もある.さらに問題な点は,こういった不安定化が起きている地域はノースカロライナ沖に限らないだろうという点だ.全世界でどの程度のメタンハイドレートが不安定化しているのかは現時点では不明である.

もちろん海流の変化は,別な場所ではより寒冷になる効果をもたらし,その地域では今後メタンハイドレートの蓄積量が増えるはずではあるが,タイムスケール的に考えてまず膨大な量のメタンの放出があり,その後長い時間(=地質学的な時間)を掛けて別な地域でのメタンの吸蔵が進むことになるため,その時間的なギャップの間の影響はかなり大きい可能性がある.
このあたり,今後の研究待ちですかね.(2012.10.26)

 

67. 地球のXeはなぜ少ないか?

"The origin of the terrestial noble-gas signature"
S.S. Shcheka and H. Keppler, Nature, 490, 531-534 (2012).

希ガス元素(第18族元素)を軽い方から並べるとHe,Ne,Ar,Kr,Xe,Rnとなる.これらの地球における存在比を見ると,まずHeはα崩壊によりそれなりの量生成するが,その一方で軽いためほとんどが地球上から飛び去ってしまい存在量は少ない(Neも軽めで飛びやすいので,大気中から宇宙にかなり逃げていった).Arは地中に多量に含まれる40Kのβ+崩壊や電子捕獲により生成するので,大気中に多量に存在する.RnはUなどの段階的な崩壊で生じるものの自身も不安定核種でありすぐ崩壊してしまうので,存在量はそんなに多くない.さて,今回注目すべきはKrとXeである.

隕石中には様々な元素が取り込まれており,それらが生成した太陽系初期の元素比率などを推定する役に立っている.ところがこれらの隕石中での希ガス元素の量を調べると,地球上での割合に比べXeがかなり多い(逆に言えば,地球上ではなぜかXeが非常に少ない)事が知られていた.
この理由を説明するためにいろいろなモデルが立てられ検討されてきたが,問題が多く決定打に欠けていた.例えば「氷河など,地表近くの何かがXeを吸着している」というモデルに対しては,Xeを多量に含む「何か」が一切見つかっていないという欠点がある.「地球のコアにXeが多量に溶けているのでは無いか?」というモデルもあるが,これまでの高温・高圧下での実験結果からは地球コアの模擬物質にXeが多量に溶けるという証拠は見つかっていない.「長年の太陽風の影響により,Xeはほとんどが宇宙に逃げてしまったのでは無いか?」というモデルに関しても,より軽く飛びやすい他の希ガス元素を現在見つかる程度の量を残しつつXeをここまで減らせるモデルは構築出来ていない.

今回著者らが検討したのは,下部マントルの影響である.下部マントルというのはまあ大雑把に言って地下660kmから2900kmあたりまでの領域であり,地球の質量のおよそ半分を占める.著者らによれば,地球においてこれほど大きな割合を占めているにもかかわらず,この下部マントルが現在観測される地球上での希ガス存在比にどんな影響を与えたのか?という研究は存在しなかったらしい.
さてこの下部マントル,鉱物的に言えばその多くがペロブスカイトと呼ばれる相で出来ている.これはSi原子の周囲に酸素原子6個が配位した8面体構造を基本とし,隣接する8面体同士が頂点の酸素原子を共有することで無限に繋がった構造だ.この段階で組成はSiO3になるが,電荷を補償するためにこの8面体同士の隙間にMg2+やFe2+などが埋め込まれている.著者らが注目したのは,このペロブスカイト相への希ガスの溶解である.ペロブスカイトにおいては,合成条件により酸素やSi原子などの欠損が生じやすいことが知られている.こういった欠陥に,希ガス原子が取り込まれるのでは無いか?ということだ.
実際に高温・高圧下(1600-1800 ℃,25万気圧)でペロブスカイトへの希ガスの溶融を実験したところ,Arで0.5-1 wt%程度,Krで0.1-0.3 wt%程度とかなりの溶解が確認された.その一方で,Xeでは0.03 wt%以下程度と,Krに比べ大幅に少ない量しか溶けないことも判明した.この差は原子半径の差が原因であると考えられている.つまり酸素欠損を考えると,酸素のイオン半径1.4 Åに原子半径が近いAr(1.64 Å)は代わりに結晶中に取り込まれやすいが,より大きなKr(1.7-1.8 Å)はより少ない量しか取り込まれず,遙かに大きなXe(1.96 Å)はほとんど取り込まれない,ということだ.

これを使い,著者らは地球の大気中にXeが少ないことを説明している.初期の地球は完全に融解した灼熱の液体である.この段階でほとんどの気体は宇宙に逃げていき,残っているのは溶けた岩石とそこに溶け込んだ気体だけだ.ここまでは隕石(の元になった小惑星等)と変わらない.さて,この火の玉が冷えてくると,地球内部の高温・高圧領域では安定なペロブスカイト相が結晶として析出する.この時ArやKrは内部にいくらか取り込まれるが,Xeはほとんど取り込まれない.そうして地球が冷えた後に,岩石内部に閉じ込められた各種気体が徐々に放出される(これは現在の標準的な地球大気生成モデルである)と,ArやKrはそこそこの量が放出される一方,そもそものペロブスカイト相の結晶化の際に排除された(&高温の地球から宇宙に飛び去ってしまった)Xeはほとんど放出されない.
この結果,現在の地球で観察されるようなKrより顕著にXeの存在量が少ない,という希ガス元素比が実現されたと言うのだ.一方,小惑星などの小規模な天体では,そもそもペロブスカイト相が安定となるほどの高圧は実現されない.そのため「XeよりKrの方が溶け込みやすい」というような状況は生じず,両者ともたまたま空隙中に同じように閉じ込められたものなどがそのまま残ったのだ.その結果,隕石中ではKr/Xe比は(揮発のしやすさによる差は出るが)当初の組成比に近い状態で残り,地球上ではペロブスカイト中で保持されていたKrの方が多い組成になったわけだ.

まあ岩石はペロブスカイトだけでは無いのでこれで即解決とは言えないが,興味深いモデルではある.(2012.10.25)

 

66. 電子化物をベースとしたアンモニア合成用触媒

"Ammonia synthesis using a stable electride as an electron donor and reversible hydrogen store"
M. Kitano et al, Nature Chem., in press (2012).

ハーバー・ボッシュ法は20世紀最大の発明と言っても良い.少なくとも化学工業の分野では間違いなくそうだろう.この開発により人類は無尽蔵の窒素肥料を入手出来るようになり,現在の膨大な人口を支えるだけの農業基盤を維持出来るようになった.大気から固定される窒素の量は膨大であり,現在では自然界が固定する窒素と同等の量がハーバー・ボッシュ法により大気中から固定されている.
さてこのように世界を劇的に変えたハーバー・ボッシュ法であるが,弱点もある.もっとも大きなものは,非常に高い圧力を,しかも高温下で実現しなくてはならないという点だ.条件は設計によりいろいろであるが,例えば300気圧,500℃といった条件が使用される.このような極端はプラントの設計を困難にし危険があるだけで無く,その膨大なエネルギーの浪費が大きな問題となっている(何せ全世界のエネルギー消費の数パーセントを占めている).

さて,このように困難なアンモニア合成であるが,実は窒素からアンモニアを作る反応は発熱反応である.つまりアンモニアの方がエネルギーが低いのだ.自発的に進むはずの反応をわざわざ高エネルギーを投入して進めてやらないといけないのは,その活性化エネルギーが高い事に由来する.簡単に言ってしまえば,三重結合で非常に強く結びついた窒素分子を一度切断する際に必要なエネルギーが大きすぎるのだ.ここで,触媒の重要性がクローズアップされる.もし触媒によりこの活性化エネルギーを大幅に下げることが出来れば,無駄に高温・高圧にする必要は無くなり,エネルギーが大幅に節約出来ることになる.実際,植物などは常温・常圧で(規模は小さいとは言え)同じ事をやってのけているわけで,不可能では無いはずだ.そういった観点から,実に様々な触媒が研究されている.かつては「無理じゃ無いか」とも言われていた常温・常圧で働く触媒なども,窒素固定細菌の活性中心の構造が判明して以降様々な開発が行われ,(繰り返し回数などに大きな制限があるものの)人工的な触媒で成功するまでになっている.

さて,そんな中発表された今回の論文は,ハーバーボッシュ法を基本としながら,その条件をかなり温和に出来る可能性を持つ新触媒である.発表は東工大の細野グループで,彼らの代表的な研究であるセメント系物質を用いている(まあ最近では鉄系超伝導の方が有名ではあるが).
この研究の起源を辿ると,同じく東工大(確か既に退官)の秋鹿先生に遡る.秋鹿先生は,ハーバー・ボッシュ法で用いられる鉄系触媒に代わり,周期表で一つ下のRuを使うことでより温和な条件(例えば常圧,300℃)で反応が進行することを発見した.この手法は最近ようやく工業化が始まったのだが,しかし弱点も存在した.それは,Ruが水素により被毒(触媒活性が無くなること)するのだ.このため水素分圧を高くすることが出来ず,水素を減らした条件でしか運転出来ない(=収量が減る)という問題があった.また,後で述べるように触媒が電子を放出しやすいようにRuとアルカリ金属であるCsなどを混ぜるのだが,よく知られたようにアルカリ金属は反応性が高く危険であり,また容易に様々な化学種と反応してしまうという問題もある.

さて,今回この研究をベースに細野先生が使用したのが触媒である金属Ruを担体であるC12A7系エレクトライド(電子化物)にのせものである.C12A7というのは12CaO・7Al2O3を指し,要するにセメントだ.結晶構造としてはこのCaとAlの酸化物が大きな籠状構造(4.4Å径程度の空間を持つ)を作り,その泡がくっついて並んでいるような構造となる.そしてこの籠の一部の中にO2-イオンを含むことで電荷が補償され全体で中性となっている.数年前の研究で彼らが発見したのは,このセメントに金属Tiを付け高温処理すると,この籠にトラップされたO2-が酸化チタンとして脱離,その代わりに籠の内部には単独の「電子」がトラップされる,という事であった.なお,こういった「陰イオンの代わりに電子が存在する物質」をエレクトライド(電子化物)と呼ぶ.こういった物質では,「電子」というものがまるで一つの独立した陰イオンであるかのように振る舞う.通常こういった電子化物は不安定(何せ遊離した電子が存在するので反応性が高い)なのだが,このC12A7系は常温・大気中でも安定というとんでもない代物であった.というのも,(電荷の補償の必要性から)電子が抜ければ何かが代わりに籠の中に入らないといけないのに籠の隙間が小さいからほとんどの原子は内部に侵入出来ず(=身代わりが来ないので,電子が抜けることが出来ない),さらに籠を作っているのは非常に安定である酸化物(セメント)だから籠自体はそう簡単に壊れない.しかもこの電子,籠の中から隣接する籠の中へと自由に移動出来る.ドープ量が多ければ金属になるし,ついには超伝導になることまで彼らは報告している(セメントが超伝導になるわけだ).

では,なぜこんな変な物質を触媒担体に使用したのかというと,それにはハーバー・ボッシュ法における触媒のメカニズムが関係してくる.ハーバー・ボッシュ法の触媒であるFeやRuに窒素分子がくっつくと,これらの金属原子から窒素分子に電子が供給される.窒素の結合性軌道は全て電子で埋まっているので,供給された電子は反結合性軌道に流れ込み,これが窒素分子の三重結合を弱体化する.これによって窒素分子の開裂を促進するわけだ.という事は,触媒担体は電子を出しやすい物質であればあるほどふさわしい,という事になる.担体が触媒金属であるFeやRuに電子を押し付け,電子が余ったFeやRuがそれを窒素に押し付けるわけだ.前述のRu触媒系では例えばMgOを担体にし,さらにRuに電子を出しやすいCsを混ぜ込むことでこういった特性を実現している.アルカリ金属であるCsは仕事関数(金属から,電子を真空中に引きはがすのに必要なエネルギー.小さいほど電子を放出しやすい)が小さく,Ruに電子を押し付けることが出来る.
ここでC12A7系エレクトライドの出番である.何せそこに居るのはほとんどフリーな電子だから,電子が出て行くのは余裕である(ただし,身代わりの電子か何かが供給され続ける必要は有る).その仕事関数はなんと2.4eVとアルカリ金属に匹敵する低さだ(さすがにCsよりは大きいが).つまり研究の発想としては,ハーバーボッシュ法の触媒担体には低い仕事関数の物質が有効 → C12A7系エレクトライドは仕事関数が低い,しかも相当安定 → こいつを担体にすれば,触媒の寿命とか延びるんじゃね?,とかそんなものだったと思われる.

で,結果である.報告されている結果は恐らく研究前の予想を大きく超えるものだったと思われる.
まず,活性化エネルギーが非常に低くなっている.既存のRu系の半分以下程度のようだ.活性化エネルギーが低いと言うことは,それだけ反応が進行しやすいと言うことであり,合成上非常に有利になる.さらに,TOF(Turn Over Frequency,単位時間あたりの反応数のようなもの)がとんでもなく高い.比較しているRu系に比べると,10倍やそれ以上の値となっている.つまり,迅速に反応が進行する.また安定性も高く,長時間の反応も行きそうである.触媒表面に吸着した窒素分子の赤外分光を行っているが,通常のRu系触媒よりもさらに振動数が低い方向にシフトしていることも確認された.これは窒素分子の分子内結合がさらに弱くなっていることを示しており,反応性が上がっているという結果と対応する.
さらに注目すべきは,水素分圧が高くても反応性が落ちない,という点だ.前述の通り,Ru系触媒は水素により被毒するため水素分圧を高くしても活性が上がらず,むしろ低下する事もある.ところが本触媒では,水素分圧を上げると徐々に反応速度が上がっていく.水素の量が増えると反応速度が上がること自体は反応として当然ではあるのだが,これは本触媒が水素による被毒が少ないことを意味しており,通常のRu系触媒とは違う何かが起きていることを示唆している.ここで水素や窒素の分圧に対して反応速度がどう変わるか,という点から反応解析を行っており,これも含めた考察からH-の関与が示唆されている.どういうことかというと,水素分子がRu上で解離した後,表面を移動するうちにC12A7との界面に移動,原子が小さい事からC12A7の籠をすり抜けて内部に浸透し内部の電子と組み合わさることでH-イオン(ヒドリド)に変化.これがセメント中を移動して表面からRu上に移動しそこで窒素と組み合わさることでアンモニアへと変化している,という推測だ.通常のRu系触媒では表面で生じたH原子がRuに吸着,以後の反応を阻害する(Ru系触媒の被毒)のに対し,今回の触媒ではその生じた水素原子を担体であるC12A7がどんどん吸い取り,むしろ反応を促進する方向に行っているわけだ.

いや,これはなかなか面白い. 物性屋としてはそもそものC12A7系の伝導とか超伝導とか非常に面白かったわけだが,そこからまさかこんな成果にまで繋がるとは思わなかった.実に見事である.(2012.10.23)

 

65. 溶けて無くなる電子回路

"A Physically Transient Form of Sillicon Electronics"
S.-W. Hwang et al., Science, 337, 1640-1644 (2012).

通常我々が様々な電子デバイスを作ろうとするときは,それができるだけ壊れないように,長持ちするように考えて作成する.しかしそれとは逆に,一定期間で消滅して欲しいような用途だって世の中には存在する.例えば体内埋め込み型である一定期間だけ働けば良いデバイスであるとか,自然界にバラ撒いて一定期間データを送信したあとは迅速にそのまま自然に還って欲しい観測デバイスなどだ.今回著者らは,Mg,薄膜シリコン,MgOとシルクを使うことで,分解までの時間を制御したこれら分解性の電子回路を作成し報告している,

デバイスの肝は,全て生体内で分解できる材料で作成している点である.電極や導電路の部分はMgで作成する.これが水にさらされると,じわじわとMg(OH)2へと酸化され溶解する.トランジスタやダイオードと言った素子はSiのナノシート(を適宜ドープしたもの)で作成する.Siナノシートはやはり水分で分解され,SiO2を経由したあと水溶性のケイ酸(Si(OH)4)となりこれまた溶解.絶縁層,誘電体としてはMgOを用いる.これも水で次第に分解し,Mg(OH)2となり溶解する.基板および全体のパッケージング材はシルク薄膜を用いている.シルクの薄膜は水に溶け,徐々に分解されていく(ただし,場合によっては炎症などの激しい応答や強いアレルギーを起こすこともあるので,生体中で使う際には注意は必要).
これらを使ってどんな素子が作れるのかというと,ほとんどのものが作成可能である.実際に著者らがつくって見せているのは,配線を利用したコイル(アンテナ),キャパシタ,ダイオード,抵抗,太陽電池(反射層などの余計な構造を持たせていないので変換効率は低いが,それでも3%程度は出る),フォトダイオード(イメージセンサとして利用可能),Siワイヤの抵抗変化を利用した歪みセンサ,Mgの抵抗の温度変化を使った温度センサ,MOSFETなどである.これらの組み合わせも当然作成できるので,ほぼありとあらゆる回路が作成できるわけだ.なお,典型的なトランジスタ1個を作成するのに要するSiの量は1 μg程度と微量であり,これが溶け出しても生物には事実上何の影響も無い.

実際に回路が分解していく様子を,まずは純水中で確認している.Si薄膜は,体温程度の温度で一日あたりおよそ4.5 nmずつ薄くなっていく.素子としての特性は表面部分に依存するので,溶け始めると機能をすぐ失い,その後厚みに応じて数日から一ヶ月程度で消滅することになる.金属Mgは数時間程度で溶解する.これらの回路をMgOまたはシルクの保護層にパッケージングしたものは,ある程度の時間まで機能をそのまま維持し,パッケージ層の溶解が素子表面まで到達した段階で急速に機能を喪失する.パッケージの溶解時間は,MgOを保護層に利用した場合は数時間程度のオーダー,シルクを用いた場合は数日程度のタイムスケールだ.なお素子が露出するまでの時間に関しては,MgOやシルクの厚みを変えることでかなり精密にコントロールできる.これにより例えば,10時間だけ体内で稼働する電子回路や,10日で機能を失う回路,などといったものが作成可能だ.
著者らは単純な回路(アンテナと抵抗を組み合わせた,電磁波で局所加熱ができる素子)をラットに埋め込んでの実験も行っている.この回路の埋め込みにより,外部から局所的な温熱療法が可能になるのだが,日数が経過するとこの回路自体がほぼ跡形も無く分解され吸収されている.こういった分解性の回路は,不要になったあとに取り出す手術を行う必要が無いので,短期的な利用に便利である.(2012.9.29)

 

64. 階層的なフォノン散乱構造による高効率な熱電特性の実現

"High-performance bulk thermoelectrics with all-scale hierarchical architectures"
K. Biswas et al., Nature, 489, 414-418 (2012).

我々人類は様々なシーンでエネルギーを利用しているが,その2/3ほどは無駄な熱として廃棄されている.近年のエネルギーハーベスティングによる微小電力の利用や,エネルギーのより効率的な利用のために,この廃熱からさらに有用な仕事を搾り取ろうという研究が盛んである.
さて,熱(正確には温度差)から使いやすい形のエネルギーである電力を取り出す素子としては,熱電変換素子が有名である.これはまあ(不正確ではあるが)非常に簡単に言ってしまえば,高温部で伝導電子にエネルギーを与えエネルギーの高い状態に励起,低温部で低いエネルギーに戻る,というプロセスを利用して電位差を作るような素子だ.このような熱電変換素子の効率を比較する際には,無次元量ZTというものが用いられる(大きい方が効率が高い).このZT,ゼーベック係数(材料自体の持つ,熱電変換係数)S,電気伝導率σ,材料の熱伝導率κを用いてZT = σS2/κと書くことが出来る.つまり熱電変換材料の効率を上げるには,電気導率を上げるか,ゼーベック係数を上げるか,熱伝導率を下げれば良いわけだ.

ところがここに問題がある.実はこれらの係数,独立では無いのだ.例えばこれらの多くは電子密度などに依存しているのだが,一般的にσを大きくすればSが小さくなり(金属のSは小さく,半導体で大きい),また同時にκも大きくなる(電気がよく流れると,電子による熱伝導が増える),と言った具合だ.これが熱電材料の開発を難しくしている.まあ最近では,エントロピーが強く絡んだ系を使うことでSを大きく出来たりするのだが,今回はそれは置いておく.
さて,ここでもう一度ZTの式に戻ろう.実は上の式でκと書いた項,材料においては電子による熱伝導κelectronと,格子振動(フォノン)による熱伝導κphononの和である. つまり,ZT = σS2/(κelectron + κphonon) と書ける.前述の通り,電子物性としてのσ,S,κelectronは互いに相関しておりどれかだけを変化させるのは難しいのだが,κphononは直接的には電子に関係しない項だ.つまりうまくやればこの項だけ小さくすることが可能となり,ZTを大きく出来る可能性がある.

さて,ではどうすれば電気伝導にあまり影響を与えずに,フォノンだけを阻害するような構造が作れるだろうか?単純に考えれば,格子振動の散乱源があるような構造を持ってくれば,フォノンは散乱される=格子振動に基づく熱伝導が悪くなることが予想される.具体的に言えば,そこで結晶格子の向きが変わっている(ドメイン境界がある)とか,違う材料が析出している(異なる物質の粒界がある),とかだ.こういう界面では,光が空気-水界面で反射されるように,音=波であるフォノンも散乱される.一方,電気伝導の観点から見ると,例え粒界があろうとも両者とも伝導性がありきっちり接合していれば,それなりに低抵抗で流れる事が出来る(例えば異種金属の溶接箇所など).つまり様々なナノサイズ(=フォノンの平均自由行程に近いサイズ)の粒界を材料中にうまく作り込めば,電気伝導にはあまり影響を与えずに,フォノンだけを大きく散乱し,フォノンに基づく熱伝導率を引き下げられる(=ZTを向上させられる)と予想が出来るわけだ.実際,ここ10年ほどの間に様々なナノ構造(ナノワイヤーの集合体のようなものだとか,ナノ薄膜の積層構造)が様々に作成され,ZTが2.4やそれ以上であるような非常に高い効率を持つ熱電材料が開発されてきた.

それに対し今回の論文の著者らがとった手法は,材料の自発的な再構築を利用した,もっと手軽に作れる熱電材料である.ナノ構造を駆使した熱電材料は確かに効率が高いのだが,作成費用がべらぼうに高いという欠点を持っていた.しかし今回報告されている手法なら,(それらに比べれば)格段に安く,しかも大きな材料を作成することが可能になる.
さて,実際のサンプルである.著者らが用いたのは,バルクで1.1程度のZT値を持つ熱電材料,PbTeである.まずここに2 at%ほどのNaを不純物として添加する.この段階で,原子スケールでの不純物(=散乱源)が導入される.これは1 nm以下程度のサイズでの散乱源として働く(ただし,この領域の散乱は今回実験を行っている温度域ではさほど大きな効果は無い模様).次に,SrTeを4 at%ほど混ぜ一度融解,冷却する.すると,母体であるPbTe(+少量のNa)中に,不純物のSrTeが数-10 nm程度の微粒子として析出する.これが数 nmレベルのサイズ域での散乱源として働く.そして最後に,こうして得られた材料を1 μm程度の粉末にし,圧力をかけながら軽く焼結する.この時の焼結は材料が溶けるほどの時間・温度では無いため,隣接する微結晶同士の格子の向きはずれている.そのため両者の間には粒界が生じ,ここでもフォノンの散乱が生じる.これはサブマイクロからマイクロメートル程度のフォノンを散乱する効果を発揮する.
この3段の散乱により,様々な波長のフォノンが大きく散乱され,その結果としてフォノンを介した熱伝導率が大きく低下する.実験では,およそ900 Kでは格子による熱伝導は半分程度にまで大きく減少している.これにより,ZTは増加し,元々ZT=1.1程度であったPbTe(およびそれとあまり大きな変化の無いNbTe-Na)が,SrTeの析出によりZT=1.7に,さらに粉末化&焼結によりZT=2.2にまで効率の上昇が見られた.

ZT=2.2という数字自体を上回る素材はこれまでにもいくつも報告されているが,今回の肝はこれが「材料を溶かして固めて,粉砕して焼結しただけで出来た」という点である.つまり,面倒なナノ加工技術などが不要なのだ(ナノ構造は析出等により勝手に生成するから).さらに,バルク量での量産も可能であるし,ある程度のサイズのある素子も作りやすいだろう.ZT=2.2というかなり高い効率を持ちながらも量産性が高いというのはなかなか前途有望である.(2012.9.20)

 

63. 水滴で論理ゲート

大学から論文そのものが読めないのでSupporting InformationとAbstract頼みではあるが,面白かったので紹介.
"Rebounding Droplet-Droplet Collisions on Superhydrophobic Surfaces: from the Phenomenon to Droplet Logic"
H. Mertaniemi, R. Forchheimer, O. Ikkala and R.H.A. Ras, Adv. Mater., in press (2012).

この研究グループの研究テーマは超撥水である.超撥水とは,例えば身近なところではテフロンコートされた表面などで見られる現象で,水との親和性の非常に低い表面に水滴を置くいた際に見られる.水同士の結合エネルギーが超撥水表面との結合よりも圧倒的に強いことから,水同士の結合を最大化し,水とそれ以外のものとの結合=水滴の表面を最小化する構造,つまりきれいな球形のころっとした状態になるものだ.この状態では基板と水滴との結合は非常に弱いため,基板を少し傾けただけで水滴は面白いように転がり落ちる.

さて今回著者らが報告しているのは,こういった超撥水状態の水滴同士がまるで剛体の球のようにきれいに衝突-反発する,という現象だ.つまり,水滴がビリヤード球のように互いに衝突し合うのだ.
論文本体が読めないので詳しい条件は不明だが,微妙な条件をコントロールすることで水滴同士の衝突が剛体球的なもの(ぶつかってきれいに跳ね返る)なのか,それとも融合(二つの水滴がぶつかって一体となる)なのかをコントロールも出来るらしい(ぶつかるときの速度か何かでも影響しているのだろうか?そのうちちゃんと論文を取り寄せて読んでみよう).非常に単純な現象であるが,著者らにとっても意外なことに,この現象はこれまで報告されていなかったらしい.

さて,ただ跳ね返るだけでは面白くない.そこで著者らは,この現象を用いた機械式論理ゲートが実現出来ることを示している.その様子のムービーは
Supporting Information
および
You Tube
にて公開されている(同じもの).この動作がなかなか面白い.以下の説明は,Supporting Informationのムービー番号を元に行う事にする.

まず最初の動画Movie001であるが,条件(何なのかは不明だが)を変えることで,液滴同士の衝突が反射なのか融合なのかが変化する様子が示されている.中心軸からちょっとずれた位置への衝突(これは後に述べるフリップフロップ式メモリで重要となる)であっても,正面からの衝突であっても,どちらも反発と融合が実現出来るらしい.

次の動画Movie002は,液滴であるからこその特徴を示す実験だ.赤い蛍光を発している液滴(発光する物質を溶かしてある)に対し,その物質を食って蛍光をとめるような物質を溶かし込んだ別の液滴をぶつける.反発条件でぶつけると,液滴同士の中身は混合しないので,蛍光はそのままである.一方,融合するような条件で衝突させると二液の中身も混合,蛍光が消失する.
これが意味することは,論理演算と化学反応を組み合わせられる,という可能性である.各種の原料を含んだ液滴を液滴機械式計算機に入力すると,液滴同士の衝突に基づく論理演算により得られる特定の組み合わせの順で,計算結果に依存した液滴同士が順番に融合して,内部で順次化学反応が起こる,なんてことも可能になるかも知れない.つまり,外部からの入力に応じて混ざる液滴が自動的に変化し,最適な生成物を作るミニ化学工場のようなものが作れるかも知れないわけだ(道は遠いが).

Movie003はNOTゲートの実装である.A(右上)からの入力が無い状況では,この回路を駆動するための入力(1,左上からの入力)はそのままNOT-Aの出力に流れる.しかしここにAが入力されると,1からの入力とAからの入力が衝突,それぞれの液滴が右下と左下に反射され,NOT-Aへの出力が中断する.この動作はしっかりとNOTゲートになっている.

Movie004はAND/ORゲートである.左上から入射したAは,なにも無ければぐるっとループを描いて左下に向かう.右上から入射するBは,そのままストレートに左下に向かいAと合流する.AとBが同時に入射されたら?この場合は中心位置で衝突し,右下と左下に1つずつ出力される.つまり左下はORになっており,右下はANDにっているわけだ.

Movie005はなかなか面白い.フリップフロップ回路でのメモリーである.この回路は左から1本入射路があり,途中で上下に分岐して二つの出力を持つ.そしてその分岐点の位置にあらかじめ一つの液滴が配置されている.この時,液滴が微妙に上(もしくは下)にずれているのがポイントである.配置されている液滴が,微妙に下にずれていたと仮定しよう.ここに左からもう一つの液滴が入射する.衝突により置いてあった液滴は右に押しやられるのだが,元々いた位置が下寄りのため右下へと運ばれる.一方反射によりその運動量のほとんどを置いてあった液滴に受け渡した入射液滴は,ちょっと下にいた液滴をはね飛ばした結果,自分自身は若干上側に残る.ここにもう一つ左から入射すると,今度は置いてあった液滴は右上に飛び,入射してきた液滴は若干下側で静止する.これは見事なフリップフロップ回路である.左から液滴が入射するたびに,出力は順次上,下,上……と交互に切り替わっていく.

何というか,非常に単純な現象の発見であるが,そこから出てくる現象が面白い.いやほんと,これで実際に動く液滴計算機を作って,様々な反応のコントロールとかを実証してもらいたいものである.単純に見た目の面白さ的な意味で(2012.9.12).

 

62. アミロイドβ模倣体はタンパク質の凝集を防ぎアミロイドの毒性を低減する

"Amyloid β-sheet mimics that antagonize protein aggregation and reduce amyloid toxicity"
P.-N. Cheng, C. Liu, M. Zhao, D. Eisenberg and J.S. Nowick, Nature Chem., in press (2012).

かつて生化学の世界では,タンパク質は最安定な唯一の構造に折りたたまれ,それが機能を発揮していると信じられていた.しかしその後様々な疾患において「異常な形状に折りたたまれたタンパク質」が集積しており,それらが毒性を持つ事が明らかとなってきた.こういったタンパク質の異常な(間違った)折りたたみに由来する疾患はフォールディング病(もしくはミスフォールディング病)と呼ばれる.代表的なフォールディング病としてはアルツハイマー病,ハンチントン病,パーキンソン病,プリオン病,透析アミロイドーシスなどが知られている(*).

*これらの疾患においてはミスフォールディングを起こしたタンパク質の集積構造(アミロイド)が生じる事が知られている.そのためこれら異常タンパクが病気の原因ではないかと考えられているが,因果関係のはっきりしていないものも多い.そのため,「病気と異常タンパクの両方を引き起こす別な共通の原因があり,異常タンパクは病気の原因では無い」,という可能性が今のところ否定出来ない疾患も多い.

アルツハイマーなどで観察されるこの異常タンパクの凝集構造(アミロイド)では,βシート構造と呼ばれるタンパク質の高次構造が重要な役割をしている.タンパク質というのはアミノ酸が1列に結合した分子であるが,鎖を引き延ばし,適度な長さで折り重ねてシートを作ったような構造だ.水素結合が鎖間を結び,シート状の構造を安定化している.
このβシート構造自体は正常なタンパク質中でもよく確認される構造なのだが,アミロイド中ではこのβシートを隣接分子間でさらに重ね,何重にもスタックした形状をとっている.要するに,互いに引きつけ合うシート状の磁石を何枚も重ねてしまったようなもので,非常に強い安定化が働き大きな集合体に成長していくのだ.

このようなシート構造のスタックが病気の原因であるなら,そのスタックを阻害するような薬品を用いれば予防出来るだろう,というのは素直な発想である.しかしこういった薬剤の開発を含め,アミロイドを研究する上で大きな問題が存在する.実はこういったアミロイドに関して,その構造があまりよくわかっていないのだ.中心部に非常に強固な引力で結ばれたβシートがある事,その周辺にそこそこ強固に結びついた領域があり,さらに外側はフレキシブルな部位がある事,という程度はわかっているのだが,原子レベルでの構造はまだ解明されていないと言って良い.これは現実のタンパク質はアミロイド化しにくく(何せすぐアミロイド化するようならその生物は死んでいる),結晶化するのに非常に時間がかかり(実験室系で1〜数年という事もよくあるらしい),それだけ時間をかけた結晶も非常に質が悪い(そのためX線などでの構造解析が困難)という事に由来する.
そこで最近の流れとしては,生体中の正常なタンパク質よりももっとアミロイド化しやすいタンパク質を人為的に作成し,それを凝集させることでアミロイド(の人為的な類似物)の構造に関する情報を得てやろう,という研究がいくつも推進されている.今回の報告も,そういった流れから生まれたものである.

著者らが作成したのは14個のアミノ酸からなるリング状の人工タンパク質ABSMである.構造としては上辺に7つのアミノ酸からなる直線構造(βシートの部分構造である,直線状のβストランド)がある.下辺も直線状ではあるが,(アミノ酸2つ)-(Hao)-(アミノ酸2つ)という構成になっている.ここでHaoというのはアミノ酸3つ分程度の長さを持つ分子で,上辺との間に強い水素結合を作ることでリング全体の構造を細長い棒状(βストランド構造)で安定化させ,さらに下辺外側では隣接分子との水素結合が弱いように作ってある.そしてこの上辺7つ,下辺4+1のチェーンの両端を,フレキシブルなアミノ酸で繋いだリングが全体構造である.図で書けばこんな感じだ.

⌈-(a)-(b)-(c)-(d)-(e)-(f)-(g)-⌉ ⌊-(k)-(j)----(Hao)----(i)-(h)-⌋

さてこの部分構造,上辺の(a)-(g)間がβストランド構造であり,既に形成しつつあるアミロイドのβシートにくっつくことが出来る.その一方で下辺はHaoの部分で相互作用が弱く,こちら方向にはβシートが伸びにくい事になる.つまり,βシート構造で積み上がっていく分子をここでストップし,アミロイドへの集合を阻害することが出来るわけだ.
さらにこの分子の面白いところは,(a)から(k)のアミノ酸を変化させることで,多種類のタンパク質の作るアミロイドと同様の配列を作れる点である.例えばアルツハイマーと関係していると考えられるアミロイドβ(Aβ)やタウタンパク,イーストのSup35プリオンタンパク,ヒトプリオンタンパク,透析アミロイドの原因であるヒトβ2ミクログロブリン(hβ2M),パーキンソン病と関連するヒトα-Synuclein(hαSyn),糖尿病で見られるhIAPPといった多種多様なアミロイドと同様の配列を持った分子が作成されている.

実際のこの分子の働きであるが,著者らはまずアミロイドの成長に対するこの分子の添加効果を測定した.アミロイドの構成要素となるAβ40およびAβ42(いずれもアルツハイマーでよく観測される),hβ2M,hαSynそれぞれに対し,ABSM無し,0.2当量(分子数でタンパク質の20%),0.5当量,1当量を加えたときの,アミロイド繊維の形成までの時間を測定した.
その結果であるが,いずれのケースにおいてもABSMの添加によりアミロイド繊維の形成までの時間に顕著な伸びが確認されている.例えばAβ40で言えば,ABSMを加えないときには100分ほどで繊維構造が形成されていたものが,0.2当量加えると260分程度,0.5-1当量の場合で400分以上とかなりの抑制効果が見られた.hαSynの場合は特に顕著で有り,ABSM無しで250分程度だったものが0.2当量加えると350分程度,そして0.5当量以上ではついにアミロイド繊維は形成されなくなった.
実際の細胞毒性への影響も調べるため,Aβ40およびAβ42を神経のモデル細胞(PC-12,ラットの副腎褐色細胞腫を誘導したもの)に作用させ,その生存率を比較している.投与無しの生存率を100%に規格化したところ,Aβを投与すると生存率は60%弱に低下していたものが,同時にABSMを0.2当量を投与すると70%弱,1当量で70%,5当量で90%弱と,生存率に大きな向上が見られた.これは加えたABSMがAβの集積を阻害し,その毒性を弱めたためだと考えられる.

この手のアミロイド化阻止分子としては単鎖状の分子などが知られているのだが,その場合は漂っているAβ40などと1対1の結合を作って不活化している.それに対し今回の例では,加えた量が1当量以下でも顕著なアミロイド形成速度の低下が確認されている点が大きな違いである.この点から著者らは,今回報告されているABSM分子は,ある程度の数のアミロイド前駆体が集合したクラスター状の構造に張り付きその状態を安定化,それ以上の成長(アミロイド繊維の前段階である「核」の生成)を阻害しているのでは無いか?と推測している.

単一の基本構造の周辺をモディファイするだけで様々なアミロイドの生成を阻害出来る,という点はなかなか面白い.また,分子全体の構造も比較的小規模&シンプルであり,様々な派生が作りやすそうでもある. なお,この研究が進めばアミロイド化を防止する予防薬なども将来的には実用化出来るかも知れないが,短期的には様々な難しい問題を抱えている.例えば最近判明してきた事実として,アルツハイマーに関連する(と考えられている)Aβは,どうもアミロイド繊維よりも,その前段階の水溶性のオリゴマー(少数のAβ分子の集合体)の方が毒性が高いのでは無いか?というものがある.この場合,下手にアミロイド化を阻害すると,「繊維にまで成長はしていないけれどオリゴマーにはなった」というような毒性の高い化学種をむしろ増やしてしまう可能性も指摘されているのだ.
まあそのあたりも含めまだまだ時間はかかるのだが,将来性に期待.(2012.9.10)

 

61. グラフェンの再成長による配線のパターニング:集積回路に向け一歩前進

"Graphene and boron nitride lateral heterostructures for atomically thin circuitry"
M.P. Levendorf et al., Nature, 488, 627-632 (2012).

グラフェンは原子1層分の薄さや非常に低い電気抵抗&高い熱伝導性など,超微細回路を形成する上で有利な特性を持っている.またグラフェンそのものはゼロギャップ半導体(まあ事実上の金属に近い)であるが,炭素原子の一部を窒素で置き換えることでギャップの開いた半導体としたり,同一構造の窒化ホウ素(h-BN)が絶縁体であったりと,金属から絶縁体までの広い電気抵抗を実現出来る点でも回路に向いていると言える.例えばメインの配線を低抵抗なグラフェン,半導体素子部を窒素ドープのグラフェン,配線間の絶縁をh-BNで構築すれば,原子数層程度の厚みの回路が作れるわけだ.

こういった集積回路を作ろうと考えたときに最大の問題となるのが,これら異なる素材をどうつなぎ合わせるのか?という点である.配線を作る段階自体は(手間やコストをとりあえず考えなければ)問題は無い.例えばグラフェンシートを持ってきて電子線リソグラフィや通常のマスクと露光を用いたリソグラフィ(マスクがとれた部分のみ反応性の高いイオンで削られ,グラフェンが無くなる)を用いれば,望む形に削り出されたグラフェンは手に入る.しかしこの「配線部分」を,半導体素子となる窒素ドープグラフェンなどと結合する部分が難しいのだ.

この問題を解決する転機は2010年に訪れた.大面積のグラフェンは銅箔上でメタンなどの炭化水素を熱分解して作っているのだが,ここに原料としてBとNを含む分子(NH3-BH3)を同時に導入すると,原子レベルできれいに接合したグラフェン-h-BNシートが得られることが判明したのだ.
この手法で得られたシートは,全体がグラフェンと同じ構造をきれいに保ったまま,内部にh-BNのドメインを複数保持していた.つまりグラフェンとh-BNは,原子レベルできれいに接合して一体となったシートを形成出来るのだ!

そこで今回の著者らは,銅箔上での薄層成長とリソグラフィを組み合わせ,複数の異なる素材のグラフェン類をきれいに接合したシートを構築することを試み,報告している.手法としては以下の通りだ.まず,銅箔上でメタンを熱分解してグラフェンシートを作る.グラフェンシートが形成された場所ではメタンと銅が隔絶されるので,グラフェンはほぼ単層で成長が止まる.次に,通常のマスク形成&露光&イオンエッチングにより,グラフェンを適当な配線形状に加工する(それ以外の部分をエッチングで削り取る).次にその削られたグラフェンが乗った銅箔に対し,今度はNH3-BH3を吹き付けながら熱分解することでh-BNのシートを形成する.グラフェンが残っている部分ではNH3-BH3が触媒となる銅箔と接触しないので,h-BNのシートはグラフェンの無い部分でのみ成長する.さて,グラフェンやh-BNは既存のシートのエッジ部分から徐々に伸びていくことで成長していく.従って今回の場合,エッチング後の残っているグラフェンに対し原子レベルできれいに接合したh-BNが成長するのだ.
この結果出来上がるのは,h-BNの巨大なシートで,内部の一部だけがグラフェンとなった単原子層(程度)の厚みのシートである.h-BN部分は絶縁体であり,グラフェンは金属なみの導電性であるので,これは単原子程度の絶縁性シートの中に配線を描いたことに相当する.実際,配線としたグラフェン部位の導電性が高く,隣接する(けれども間にh-BN部分を挟む)2本のグラフェン部位がきちんと絶縁されていることを実験で確認している.また,このシート全体は原子レベルできれいに接合されているので,機械的強度も単一組成のシートと変わらない.

この手法を用いれば,単原子層厚のシート内に絶縁体・半導体・金属を自在に構築することが出来る.さらにh-BNのシートや,同じようにパターニングしたシートを上下に重ねていくことで,原子数層程度の厚みの多層配線,FET構造などを作り込むことも可能である.
現段階では
・結局,既存の半導体系と同じように露光・マスク部分の分解能が重要
・現時点ではμmサイズの線幅でしか作成していない(微細化出来るかよくわからない)
などの問題はあるものの,グラフェン利用の集積回路に向け一歩前進,といったところか.(2012.8.30)