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80. 惑星が太陽活動の周期変動を引き起こす?
"Is there a planetary influence on solar activity?"
太陽活動に周期があることが発見されたのは,19世紀半ばのことである.当時,太陽の近くにある(と考えられた)未発見の惑星バルカンを探索していたハインリッヒ・シュワーベは,惑星(こちらも太陽上に黒い点として見える)と見分けるために太陽黒点の様子もつぶさに記録していた.惑星は見つからなかったものの,彼は太陽黒点の数がおよそ10年を周期に増減を繰り返すと言うことを見出した(実際には約11年であることが後に判明する).
さて,このような太陽活動の周期的な変動は,いったい何によって引き起こされているのだろうか?現在の定説となっているのは,ダイナモ理論に基づく解釈である.太陽表層というのはプラズマの塊であり,つまりは導体であり電流を流せる.この導体&電流が磁場と相互作用したまま自転&対流運動を行い,それがまた新たに磁場を生み出す.このようなプロセスにより太陽(や惑星)は回転運動を磁場へと転換しているのだが,この時にプラズマ内に閉じ込められた磁束が対流層の底から表面へ移動,表面でつなぎ替えが起こり,また底に沈み……といった過程を考慮すると,11年周期をうまく説明することが出来るのだ(異論もあるし,問題が全て解決したわけでは無いが).
さて,今回報告された論文は,そんな定説を丸ごとひっくり返すような主張である.著者らは,太陽活動の長周期の理由を,なんと惑星運動に求めたのだ.なお,この「惑星仮説」,11年周期を説明するために1世紀以上昔に考案されたものと似ているのだが,当時提唱されたこの仮説は実測に合わない&ダイナモ理論の発達で棄却された.それが形と対象を変えてよみがえってきたようなものである(そのため,Natureの紹介記事にreviveの文字が出てくる).
ここまでは著者らの作業仮説である.仮説が立ったら,検証に移るのが科学だ. *例えば,1軸方向に伸びたラグビーボール状であったとしても,それが自転軸とほぼ同じ方向に伸びているのか(ラグビーボールが立った状態で回転しているのに相当),横向きに伸びているのか(ラグビーボールが横倒しになった状態でぐるぐる回転しているのに相当)など.
そうして実際の惑星の配置と軌道からタコクライン部分にかかってくるトルクを計算,フーリエ変換することでどのような周期でのトルク変動が生じるのかを算出した.すると,88,104,150,208,506年周期にかなり強いはっきりとしたピークが現れることを見出した.これら5つの周期は,実際に観測されている太陽活動の変動周期ときっちり一致している. 著者らは特によく見えていた208年周期に関して,さらに精密な議論を行っている.まず,実測の約1万年分の太陽活動に関してフーリエ変換し,このあたりの変動を抜き出して比較しやすくするために190-230年周期の部分だけをバンドパスフィルタで抜き出し,逆フーリエ変換でこの周期での変動の様子へと再構築した.これと惑星の位置から計算されるトルクの変動とをつきあわせると,非常に見事な一致を示したのだ(元論文のFig. 6など).これだけ見事な一致が出てくるとなると,「理論は間違っているけど偶然一致した」というのはなかなかに考えにくい. 以上をまとめると,著者らの主張としては,
惑星の運動は,微量とはいえ太陽にかかる重力の周期的な変動をもたらす.
となる.
解析結果の一致度合いを見るに,少なくとも今後本気で検討すべき程度には信頼性がありそうだ.
何より面白いのは,著者が論文中で指摘している以下の点である. |
79. 実用レベルの特性を持つ有機強誘電物質
"Diisopropylammonium Bromide Is a High-Temperature Molecular Ferroelectric Crystal"
自発的に磁化を生じる物質,つまりは一般に言う「磁石」を強磁性体と呼ぶが,同様に自発的に電気分極を生じる物質を強誘電体と呼ぶ.これは要は結晶中で正電荷と負電荷の分布に微妙に偏りが存在する物質である.
さてこのような強誘電体,代表例はチタン酸バリウムやPZT(チタン酸ジルコン酸鉛,PbZrx Ti1−xO3)と言ったものがあるのだが,有機物で実用的なものはほとんど存在していない.細かく言えば,有機高分子系での強誘電体は存在しているのだが,これらは分極を反転させるのに必要な電場がかなり高く,利用にはいろいろ制限がある.もし有機物系で実用的な強誘電体が作成できれば,塗布法により容易にデバイスが作成できたり,フレキシブルなデバイスが作成できたり,重原子を使わないので毒性などの問題が無かったり,資源面での制約が無くなったりと利点が多い.ところが大抵の有機強誘電体は反転に非常に高い電場が必要だったり(スイッチングしにくい),自発分極が小さかったり,転位温度が低かったり,融点が低く高温域で使えなかったり,と問題が多く,実用化はなかなか難しかった.
今回の論文の著者らが報告しているのは,産総研のグループに続く,チタン酸バリウムと同等の性能を発揮できる第二の有機強誘電体である.こちらは(物性研究的な意味で)かなり素性が良く,相転移やその上下での結晶構造など一通りきちんとデータが揃っている.
なんにせよ,実用的な有機強誘電体が増えたことは喜ばしい.しかし,産総研が以前に報告したクロコン酸もそうなのだが,水やアルコールには溶けやすいのだが有機溶媒にはやや溶けにくい.今回の物質は(確か)クロコン酸よりはやや有機溶媒に溶けるが,溶解度はそれほど高くなかったはず.有機強誘電体としての特性を生かすには,できれば有機溶媒に溶けやすく塗布などがしやすいものが求められるので,今後もうちょっと物質開発を進めてそういったものも作られるようになると用途が広がるかも知れない. |
78. アモルファスSiを電極としたリチウムイオン電池における予想外の挙動
"Two-Phase Electrochemical Lithiation in Amorphous Silicon"
"In Situ TEM of Two-Phase Lithiation of Amorphous Silicon" ほとんど同じ実験を行った2つの論文である.こういった同じ研究結果が論文誌の同じ号に載るのは良くあることだが(片方の論文の査読中にほとんど同じ実験の論文が別のグループから投稿されると,編集者側が両方をまとめて同じ号に載せたりする),今回のこの二つの論文では投稿日時もほとんど全くと言っていいほど同じという珍しいパターン.1つめの論文はピッツバーグ大,中国科学院,ジョージア工科大,サンディア国立研究所による共同研究で,投稿は昨年の11月28日,修正版が今年の1月12日.2つめの論文はスタンフォード大,テキサス大オースティン校,パシフィック・ノースウェスト国立研究所,SLAC国立加速器研究所による共同研究で投稿が昨年12月3日,修正版が今年の1月3日と,両者とも実に接近した日時に同じ論文誌に投稿したものだ.webでの公開は当然ながら同じである(ほぼ同じ時期に投稿された同じ事を扱った論文の公開日時をずらすと,優先権関連でいろいろもめたりするため).
近年,リチウムイオン電池の用途が広がるのに伴い,いかにその容量を増やすか?という研究の重要性が増している.現在最もよく使われている電極材料は負極に炭素(グラファイト系物質),正極にコバルト酸リチウムなどを用いたものなのだが,これらの材料での容量改善はすでに限界に達しており,特に負極材料である炭素系電極は理論容量にほぼ等しい値が実現されてしまっている.つまり今後容量を増加させるためにはもっと容量の大きな新材料を用いる必要があるのだが,そういった観点から注目されている負極材料がSiである.炭素電極では,炭素がC6Liと言う化合物に変化することでLiを蓄える.この時に蓄えられる電荷は炭素電極1gあたり372 mAhである.一方,SiにLiが取り込まれていくと,究極的にはLi4.4Siという合金を作ることが可能で,この時の理論容量はなんとSi 1 gあたりで4200 mAhにも達する.実際には電極の安定性のため,もっとLiの少ないLi3.75Siなどで止めるのだが,それでも3600 mAh程度と炭素電極を遙かに超える容量が実現されるわけだ.
さて,この電極の崩壊を防ぐ手段の一つとして提案されているのが,アモルファスシリコンの利用である.電極としてSi微結晶を用いると,LiがSiの結晶を壊しながら中に入っていくのだが,その際に相境界が発生する.つまり,充電の途中では「多数のLiが入って,Si同士の結合がズタズタになったアモルファス相」と「結晶を保ったままの純粋なSiの相」という二つの異なる相が生じその境界部分に大きなひずみがかかり,これが電極を構成する微結晶の崩壊につながっていると考えられている.ところがここでアモルファスシリコンをスタートにすると,アモルファスというのはそもそも結合がランダムでぐちゃぐちゃなものであるから,Li原子はその中にどんどん均一に入っていくことが可能となり,充電中は「全体的にLiの少ない均一なアモルファス相」から「全体的にLiが増えてきた均一なアモルファス相」を経由し,最終的に「Liをみっちり含んだアモルファス相」に行き着く,と考えられているからだ.これにより,電極寿命が延びるのでは?というアイディアになる.
そこでようやく今回の論文である.
1つめの論文:Supporting Information (Movie 1つ)
最初はやや濃いめに見えているSiの部分が,軽原子であるLiの進入とともに電子密度が下がりやや明るく見えるように変化していく様子が見て取れる.いやはや,最近の電顕は実に強力な分析手段であることを実感させる.
1つめの論文ではこの初回充電時に発生する謎の界面の様子をとらえたものだけだが,2つめの論文ではさらに放電や2回目の充電時にはこのような相境界は発生しないことも確認している. 最近は電顕を用いたその場観察がずいぶん利用されるようになり,様々な面白い事実が明らかとなってきている.今回の現象も,ここからさらに研究を重ねていけばSi系負極の劣化メカニズムを解明し予防できるようになる可能性があるわけで,製品開発上も重要なものとなり得る.(2013.1.22) |
77. フェーズドアレイ「レーザー」
"Large-scale nanophotonic phased array"
フェーズドアレイレーダーという代物がある.
さて,電波も光も波長の違いを除けば同じ電磁波であるので,全く同じ原理がレーザーでも行えるはずである.もしこの「フェーズドアレイレーザー」とでも言うようなものが作成できれば,例えばレンズ不要でのレーザーの任意形状(もちろん,回折限界などは存在するが)への集光であるとか,レーザーの飛んでいく向きの瞬時切り替えなども可能となり,光通信関係を含め工業的に非常に多くの応用が考えられる.しかしながら,これまでにこういったフェーズドアレイレーザー的なものはほとんど開発されておらず,せいぜいが3×3とか4×4程度の非常に小数の発光要素からなる限定的なものであった. 今回の論文で著者らは今までよりも遙かに大規模な64×64,4096の微細光源からなる素子を開発,それらからの光で合成波面を作成することに見事に成功した.さらに8×8とやや小ぶりではあるが,位相を任意にコントロールできる素子64個を集積したチップを作成,そこからのレーザーが飛んでいく方向を瞬時に変換できる,つまり単に合成波面が作れるだけでは無く,それがいわゆるフェーズドアレイレーダーと同じように高速走査可能な光源としても働くことを実証した.
素子の作製においては,著者らは一般的な300mmウェハーのファウンドリーを使用し,通常のCMOSと同じ手法を用いている.プロセスは65 nmのSOI,導波路部分は要するにSiのワイヤー状構造であり,一部ヒーターを兼ねる部分はそこにドープを行っている(後述).
さて,アンテナである.各々のアンテナは,適切な位相差を実現するためのディレイ部分(要はS字に曲がった部分.Supplimentary Informationの図S1cやS2aを参照のこと)をもつ.このディレイ部分が長ければ,アンテナから実際に放出される光は遅れてやってくるため位相が遅れることとなる.ただしこのディレイ部分の長さは固定なので,後から位相をコントロールすることはできない(この素子では.コントロールできる素子も後で登場する).
面白いのはここからだ. 現在はまだ8×8と小さいが,利用しているのはコンベンショナルなCMOSプロセスであり,さらなる大規模集積化なども原理的にはなんの問題も無いし,各種集積回路などへの混載も比較的容易であるように思われる.各社が研究しているオンチップレーザーなどとの組み合わせなどで様々な電子・光学素子が作れるようになると面白いかも知れない.またこれがさらに高精細化して可視光も扱えるようになると,完全なホログラフィー形式の3D映像を映し出すことも可能となる(十分高精細で,かつ位相を自由にコントロールできる場合).まあさすがにそこまで行くのはどれだけ時間がかかるかわからないが……(2013.1.10) |
76. グランドキャニオンの誕生に迫る
"Apatite 4He/3He and (U-Th)/He Evidence for an Ancient Grand Canyon"
グランドキャニオンは世界でもまれに見る超巨大な浸食地形であり,大きくわけて東側と西側の二つの巨大渓谷から形成されている.その巨大さから多くの人の興味を引きつけてきたグランドキャニオンであるので,古来よりこの渓谷がいつ,どのようにして生まれたのか,という点に関し多くの研究が成されてきた.堆積物の分析などを通した最近までの定説としては,グランドキャニオンはおよそ5-600万年前に削られ始めたのでは無いか,とされていたが,2008年に報告された論文では1700万年前という結果が得られるなど,未だ決着は付いていない.また東西の渓谷は同時期に形成されたのか,それとも別な時期に発生したのか?という点も未解決である. まずはベースとなる(U-Th)/He法に関して説明しておこう.Heはよく知られたように,軽くて他の原子との相互作用も少なく,そのため岩石中にはあまり取り込まれない元素である.その一方で,地殻中にはウランやトリウムといった放射性元素が広く分布しており,これらの放射性崩壊では4Heが発生する.これを利用した年代測定法が(U-Th)/He法である.岩石が冷えて固まる際には,そこにいた4Heのほとんどは逃げてしまうめ凝固した岩石中での4Heの量は少ない.さて,岩石中には放射性元素(主にU,Th)がいくらか含まれているため,時間とともにこれらの崩壊により4Heが供給されていく.岩石が高温である間は,岩石中であっても原子の拡散が容易に起こるため生じた4Heは逃げてしまい,岩石中の4He濃度は上昇しない.ところがある程度の温度以下に岩石が冷えると,4Heの拡散速度が急速に落ちていくため,それ以後に放射性崩壊で発生した4Heは岩石中にトラップされたままとなっていく.つまり,岩石中に蓄えられている4Heの量は,その岩石がある閾値以下の温度に冷えて以降に崩壊したU,Thの量に等しい.よって,岩石中の4Heの量と残存しているU,Thの量を測定すれば,いつ頃その岩石が閾値以下に冷えたのか,という事がわかるわけだ.地中の温度は深く潜るほど上昇するため,この「冷えた年代」はほぼイコールで「岩石が浅いところに出てきた年代」に一致する.また,4Heが抜けなくなる「閾値」は岩石の種類により異なり,(一般的な岩石の中で)一番低い温度まで凍結されないアパタイトを用いれば,その岩石が80 ℃以下に冷えた年代が決定出来る. 今回著者らが用いたのは,これをさらに高精度化した手法だ.この手法は2004年に報告されたものである.さて,前述の通り岩石中のU,Th,4Heを測ることでおおよその年代はわかるのだが,実は誤差も大きい.例えば岩石は放射線により欠陥ができ,それにより4Heの拡散速度は影響を受ける.また粒子のサイズや結晶性によっても値は変わってくる.そこでこれを補正しさらに高精度な測定を可能にする手法として提案されたのが,「陽子線を照射して岩石中に人工的に3Heを作り,その脱離の様子を見ることで補正する」というものだ.岩石に陽子線を照射すると,十分な量の3Heが均一に生成する.その後岩石の温度を少しずつ上げながらHeの抜け具合を測定したり,表面から少しずつレーザーで削りながら岩石中での3Heの分布(均一に作った後で表面から抜けていくので,内部ほど濃い)を調べたりすることで,その岩石自体でのHeの抜け方やその温度依存性が補正出来る,というものだ.この補正と通常の(U-Th)/He法,さらに4Heと3Heの比率といったデータを組み合わせることで,岩石が30 ℃に冷えた年代まで特定出来るようになったのだ.30 ℃に冷えた時期がわかるようになったのは大きい.この温度ならほんの少し地下に潜れば達成出来るので,30 ℃以下に冷えた時期というのはほぼイコールで地表近くに露出した時期,という事になる.これはグランドキャニオンなどの「いつ浸食で削られ始めたのか?(=地表に出てきたのか?)」を知る上で最適な手法と言える. さてその結果であるが,まずは西グランドキャニオンから見ていこう.こちらはおよそ9000万年前には120 ℃以上あった温度が急速に低下し,およそ7000万年前あたりで30 ℃(今回の手法で決定出来るほぼ最低温度)に到達,その後ほぼ一定となっている.これはつまり,7000万年前にはこの分析に用いた岩石は地表に露出した,つまりグランドキャニオンの浸食は7000万年前あたりに始まった事を意味している(注:7000万年前に現在の位置まで削られたわけでは無い.ただの川では無い,渓谷としての最初の浸食がこの時期に起こった,という事である). 一方の東グランドキャニオンでは,ほぼ同時期の8000万年前あたりに120 ℃ぐらいあった温度が,7000万年前に向け70 ℃付近まで徐々に低下していた.これは恐らく西と同様,7000万年前前後に浸食が起こり,岩石が地表に接近(というか,川底が岩石に近い深い位置に接近)したということだろう.一方,東グランドキャニオンが西とやや異なるのは,この後もう一段の浸食が見られる点である.およそ3000万年前前後にもう一段の顕著な温度低下(ほぼイコールで浸食の進行による地表付近への接近)が見受けられ,ここでようやく岩石は30 ℃以下に冷却されている. 元々この地域の地形はおよそ7000万年前に隆起が始まったことが判明しており,かつては「地表の隆起により浸食が始まりグランドキャニオンができた.だからグランドキャニオンの始まりは7000万年ぐらい前だろう」と素朴に考えられていた.それが各種の岩石の調査から「でも渓谷の形成はもっと新しいんじゃない?」というのが定説となり,それがまた元に戻ってきたような形となる.(2012.12.21) |
75. 光で操作する磁気浮上
"Optical Motion Control of Maglev Graphite"
強弱の差こそあれ,ほぼ全ての物質は磁石に吸い付けられるか反発を受ける.金属などの多くはパウリ常磁性と呼ばれる伝導電子由来の磁性によってほんのわずかに磁石に引き寄せられるし,有機物などその他多くの物質は内殻電子の反磁性(ラーモア反磁性:原子内の電子が磁場の影響を打ち消そうとぐるぐると回転するような効果により生まれる反磁性)によりごくわずかに反発する.不対電子を持つラジカルや遷移金属錯体などはその局在スピンが磁場に引きつけられることで様々な振る舞いを見せ,その一部はいわゆる磁石となる.
*これらの物質では,フェルミエネルギー付近で「波数に対してエネルギーが直線状に増加する」という特異なバンド構造を持っており,さらに価電子帯と伝導体がほぼ一点で接する(実際には,グラファイトでは二つのバンドが少し重なり,ビスマスでは逆に少しギャップが開いている).こういった構造はディラックコーンと呼ばれるのだが,その理由はこういったバンド構造内の電子の運動を表す方程式の形としては質量ゼロのディラック方程式に従う粒子と一致し,バンドの形状がコーン(円錐)2つを頂点で接するよう配置した形状となっているためである.
他の通常の物質より遙かに強い反磁性を示すグラファイトであるが,それを実感出来る実験が一つ存在する.それはNdFeB磁石(ネオジム磁石)のような非常に強い磁石の上にグラファイト薄片を置くと,強い反磁性により磁気浮上を示すのだ.似た現象として磁石の上に超伝導体を置いたものがあるが,グラファイトの場合室温でもきれいに浮上させられるという点が異なる(ただし,グラファイトの反発力は超伝導体よりかなり弱いため,浮上させるためにはNdFeB磁石のような強力な磁石を必要とする).
グラファイトにレーザーを当てると温度が上昇する.温度が上昇すれば電子は熱励起を起こし分布が変わるので,バンド内の電子の状態に依存している反磁性の強さは変わる.まず著者らは磁石の上に浮上させたグラファイトに対し波長405 nmの半導体レーザー(スポット径は2mmぐらい?)を照射し(波長に深い意味は無い),その温度変化と浮上の変化を確認した.用いたのは直径3mmで厚さが10 μm弱程度の円盤状のグラファイトである.照射するレーザーのパワーをゼロから300 mWまで上げていくと,浮上高さは約0.6 mmから0.54 mmへと1割ほど減少,この時温度は290 Kから360 K程度まで上昇しており,温度上昇と浮上高さはほぼリニアな関係であった.要するに,温度が上がると反磁性が弱まって浮力が減り,少し沈み込むわけだ.
まず,NdFeB磁石を市松模様状に敷き詰めた板を作る.これは棒状のNdFeB磁石をN-S-N……と交互にN極とS極を上に向けたような構造で,まあ要するにほぼ均一な強い磁場が表面に存在する板である.ここにグラファイトの円盤を乗せると磁気浮上によりふわりと浮く.そしてレーザーを円盤の片方の端に照射すると,この浮上した円盤がするりとレーザーの方に移動するのだ.この移動はレーザーが中心に来たあたりで止まるが,レーザーを端に照射 → 円盤が移動しレーザーが中心に → レーザー照射位置をまた端に移動,を繰り返す事でグラファイトの円盤を好きなように滑らせて移動することが可能となる. http://pubs.acs.org/doi/suppl/10.1021/ja310365k ja310365k_si_004.mpgとja310365k_si_005.mpg
http://pubs.acs.org/doi/suppl/10.1021/ja310365k/suppl_file/ja310365k_si_004.mpg をご覧いただきたい.なお再生用のプラグインによってはうまく再生できなことがあるようなので,ダウンロードしての再生をお勧めする.
なぜこんな事が起こるのか?それはレーザーによる温度上昇と反磁性の減少に由来する.
http://pubs.acs.org/doi/suppl/10.1021/ja310365k/suppl_file/ja310365k_si_006.mpg
これも同様に,温度分布とそれに由来する反磁性の変化と,さらに重力の影響で説明される. http://pubs.acs.org/doi/suppl/10.1021/ja310365k/suppl_file/ja310365k_si_010.mpg 光から回転運動への新たなエネルギー変換手法となるとか,光を利用した物体のスムーズな移動が可能になると言うことでなかなか面白い研究だ.まあ実際にどんな場面で使えるのか?といわれるとなかなか難しいところもあるが.(2012.12.17) |
74. 分子設計を駆使して高発光効率を実現した有機EL材料"Highly efficient organic light-emitting diodes from delayed fluorescence" H. Uoyama, K. Goushi, K. Shizu, H. Nomura and C. Adachi, Nature, 492, 234-238 (2012). 有機ELは新たな発光材料として照明やディスプレイへの大規模応用が目指されている素材である.根本的な原理そのものは非常に単純である.まず,有機材料の両端を電極で挟み片方からホールを,もう一方から電子を注入する.この時微視的に見れば,分子に注入されたホールは分子の最高被占軌道(HOMO:Highest Occupied Molecular Orbital)から電子を一つ引き抜いた状態に相当し,注入された電子は分子の最低空軌道(LUMO:Lowest Unoccupied Molecular Orbital)に電子が押し込まれた状態に相当する.このホールと電子は分子間を飛び移りながら移動し,最終的には両者が同じ分子で出会うことになる.この状況を微視的に見れば,分子のHOMOから電子が一つ引き抜かれ,代わりにLUMOに電子が押し込まれた状況であるが,これはHOMOの電子がLUMOに励起された状態に等しい.この高いエネルギーにあるLUMOの電子が1つ空席を持つHOMOの軌道に落ちるときに発光する,というのがELである. さてこのような有機ELであるが,その発光効率を上げるというのはなかなか大変であった. ここで,発光直前の状態,つまり一つの分子にホールと電子が集結した状態=分子の1電子励起状態を考えよう.LUMOの電子は当然スピンを持つし,空席が一つ出来たHOMOに残っている電子もスピンを持つ.このような2つの電子が個別に存在する状態では,これらの持つスピンの組み合わせ,というのは4つ考えられる.一つはこれら2個の電子のスピンが互いに逆を向き打ち消しあった状態(↑↓-↓↑という重ね合わせの状態)で,状態が1つしかないので一重項(Singlet)と呼ばれる.残り3つは二つのスピンが同じ方向を向いた状態(↑↑,↓↓および↑↓+↓↑)であり,三重項(Triplet)と呼ばれる.三重項状態は要するに2つのスピンが同じ向きを向いて,その全体が上(+z方向)を向くか(↑↑),下(-z方向)を向くか(↓↓),横を向いてxy平面内をぐるぐる回るか,という3通りに対応する(ゆえにtripletと呼ばれる).この4つ存在する状態のうち,光を発して基底状態に戻ることのできる分子は1重項の分子だけである.というのも「分子が光を吸収・放出する際にはスピン状態が変わってはいけない」という制限があり,さらに基底状態では同じ軌道(HOMO)に電子が2つ入るため,電子のスピンは互いに逆向きの1重項でないといけないからだ. さてここで困ったことが生じる.電極から注入されふらふらと漂ってきた電子とホールのスピンの向きはランダムである.それが同じ分子に入ったのだから,4つの状態(一重項1つと三重項3つ)のどれになっているかは完全にランダムであり,ほぼ1/4ずつである.ところがこのうち発光出来るのはたった1つの状態(光を放出して緩和出来る一重項状態)に過ぎず,しかも三重項から一重項への緩和は非常に難しい(時間がかかる)ため残りの3つの三重項状態は振動など余計なところにエネルギーが逃げることにより無発光の緩和を起こし基底状態に落ちてしまう.これではどう頑張っても発光効率は25%を超えることが出来ず,エネルギーの無駄が多すぎる. そこで近年行われているのが,重原子錯体(Ir錯体などが良く用いられる)を用いる,という手法である.重原子では内殻の電子(原子核の近くに位置する電子)の運動量が大きくなり,相対論的効果が強く効く.詳細は省くが,このためにスピン-軌道相互作用というものが強くなり,電子のスピンと,原子核周りなどでの軌道運動が強く結びつくのだ.この結果,電子はスピンの角運動量を軌道運動に押し付ける(もしくは軌道運動の角運動量をもらう)ことで反転しやすくなり,三重項状態から一重項状態への変換が起こるようになる.つまり今では 一重項状態 → 発光して緩和 → 基底状態(25%) 三重項状態 → 発光しない緩和 → 基底状態(75%) 三重項状態 --×-→ 一重項状態(禁止) だったものが,重原子錯体を用いることで 一重項状態 → 発光して緩和 → 基底状態(25%) 三重項状態 → 一重項状態 → 発光して緩和 → 基底状態(75%) とすることが出来たのだ(一重項状態への転換と発光による緩和が十分速ければ,無発光の緩和の寄与は無視出来る). この手法は大変優れており,発光効率を劇的に増加させることが出来たのだが,その一方で高価な重原子を使用しないといけないためコストの上昇を招いていた.もし何とかして軽原子のみで発光効率を引き上げられれば,それは大きな革新となる. 今回の論文で報告されているのは,軽原子のみを用いた発光素材で既存の重原子を用いたものに匹敵するような高い効率を実現出来た,というものだ. 軽原子はスピン-軌道相互作用が非常に小さい.それを用いて高い三重項-一重項変換速度を実現するために著者らが注目したのが,一重項状態と三重項状態のエネルギーを近づける,という全く異なるアプローチであった.そもそも量子論においては,二つの状態の移り変わる速度は(状態間の重なり)/(状態間のエネルギー差)に比例する.軽原子はスピン-軌道相互作用が小さい以上分子は小さくなってしまう(一重項と三重項の混ぜ合わせが小さい)が,分母を小さくすれば同様の効果が出せるはず,という点に着目したわけだ. これは理屈としては非常に当たり前の手段なのだが,今まで実現されていなかったのには理由がある.実は原子や分子においては,異なる軌道(今考えている励起状態で言うなら,HOMOとLUMO)に入っているスピンを全て同じ方向に揃えようとする強い力が働く(フント則).このためスピンが同じ方向を向いた三重項状態の方がエネルギーはかなり低くなり(約1 eV弱程度,温度で言えば1万度程度に相当),一重項状態と三重項状態のエネルギー差はどうしても大きくなってしまうのだ. 著者らはこの問題を解決するのに,「空間的に分離する」という手法に出た.同じ分子や同じ原子ではスピンを揃えようとする,という事は,逆に言えば離れた分子や原子ではそんな力は働かない,という事でもある.そこで著者らはドナー部位(電子を放出しやすい分子骨格)とアクセプター部位(電子を受け入れやすい分子骨格)の二つが連結された分子を利用した.この分子ではHOMOはドナー部位に局在しており,LUMOはアクセプター部位に局在している.一電子励起状態ではドナー部位のHOMOの電子が一つアクセプター部位に移動し,二つのスピンはドナー部位とアクセプター部位という空間的に少し離れた場所に位置することとなる.少し空間的に離れているためこの二つのスピン間に働く「同じ向きにスピンを揃えよう」という力は弱くなり,その結果一重項状態と三重項状態のエネルギー差は0.1 eV程度と通常の有機EL系分子のおよそ1/10にまで縮小した.これは要するに,エネルギー差はそのままでスピン-軌道相互作用を10倍にしたのと同じような効果を発揮するわけだ. といっても実際にはなかなか難しいところもあり,あまり空間的に引き離しすぎるとLUMOの電子がHOMOへと緩和しにくくなり,発光が起こりにくくなって逆に効率が落ちてしまう.そのバランスをうまくとったのが著者らの腕の見せ所なわけだ. (実際にはさらに,導入されているシアノ基の影響で分子の構造がリジッドになり余計な緩和が起こりにくい,などいろいろ議論もされているが,ここでは割愛) こうして作成した分子は,置換基の変化により青から赤(というか現状ではオレンジあたりか)までの各種の発光色を示すバリエーションが作成可能で,さらに合成自体も市販材料からほぼワンポットで合成出来るなどお手軽で収率も比較的高い(ものが多い),また合成に用いる試薬も高価な触媒は使わない,大部分は熱安定性が高くCVDで蒸着出来るなど,かなり量産に向いた特性を持っている. 面白い着眼点であり,またかなり量産を見据えた特性が揃っているあたりは大したものだと思う.もちろん今後実際に量産に入るまでには解決・検討しないといけない点も多いのだが,興味深い報告である.(2012.12.13) |
73. MgOの超高圧下での金属化:レーザー誘起衝撃波圧縮による実験
"Phase Transformations and Metallization of Magnesium Oxide at High Pressure and Temperature"
極限条件下での物性の研究は,物性物理における一大研究領域である.例えば極低温,超高温,超高圧,超高磁場,超強電場中での物性は我々の身の回りの一般的な現象とは大きく異なる特性を示すことがある.そのため極限物性屋は日々より極端な条件を実現するための手法の開発に血道を上げているわけだ.
そこで通常のダイヤモンドアンビルを超える圧力を実現するための研究が盛んに行われてきた.初期に考案されたのは,爆薬による圧縮を用いるものだ.これは確かに(当時としては)画期的な圧力を実現出来たのだが,爆圧の時間分布が意外に広くしかも歪な形状をしているため圧縮(とその後の戻り)を解析するのが非常に大変であるとか,物質の応答に変な影響が出たり,また得られる最大圧力が爆薬の爆破特性に依存して制限される(通常数十 GPa),そもそも爆薬なんで使用が大変(あまり実験で使用したくない),などといった問題も抱えていた.
この手法をさらに発展させ,近年になって様々な研究が行われているのが今回の論文でも用いられているレーザー誘起衝撃波圧縮を用いた手法である.ここ何十年かでレーザー核融合の研究が大きく進歩したわけだが,その超高出力レーザーを応用したのが本手法となる.原理は単純で,測定したいサンプルの裏側にアブレーターと呼ばれるレーザーを受けて容易に蒸発する物質を塗布しておく.ここに超高出力レーザーが照射されるとアブレーターは瞬時にプラズマ化,プラズマ(導電性の気体)はレーザー(電場振動をもつ)のエネルギーを猛烈に吸収し加熱される.この膨大な熱でさらに下層のアブレーターが瞬時に加熱され気化・噴出,その反作用でサンプルが一瞬にして押されるのだ.気化の反作用と言っても,超高出力レーザーのエネルギーがそのまま運動に変わったようなものの反作用であり,エネルギー密度的には通常の爆薬による衝撃に比べ圧倒的に大きい.これによりサンプル裏面に瞬間的に超強烈な衝撃波が形成され,それがサンプル中を伝播していく際に瞬間的に超高圧での圧縮(とその後の減圧)をもたらすわけだ.この衝撃波の伝播速度は(物質にもよるが)数十 km/s,圧力は最大で数 TPaに達する.また同時に超高温も実現される.というのも,前述の通りサンプルは衝撃波によって局所的かつ瞬間的に圧縮されるのだが,これはつまり断熱圧縮を意味する(何せ熱が逃げる速度よりも圧縮の方が圧倒的に速い).このため猛烈に圧縮されたサンプルは高温となり,超高圧・超高温が同時に実現されることとなる. そんなわけでレーザーで裏面を炙ることで超高温・超高圧が実現出来るので,これを使って極端条件下の物質の性質を調べよう,という実験が最近よく行われている.測定をどうやって行うのかというと,
・温度
・衝撃波の速度
これら二つの物理量と,そして衝撃波面に相当する部分での物質中での粒子の速度(これは別の実験や,結果のフィッティングから求まる)を使い,さらに運動量保存則,エネルギー保存則,衝撃波速度と粒子速度と密度などの関係式といった基本的な等式を用いることで,物質の比熱やら弾性率やら何やらの物理量を算出することが可能になる.つまり, 今回著者らはこの実験を絶縁性の透明な固体である酸化マグネシウム(MgO)に適用した.MgOは惑星の核などに多く含まれている(と考えられている)物質であり,さらに理論計算によればスーパーアースや木星型惑星内部では導電性の固体へと相転移を起こしていると予測されている.これらの惑星内部では,超高温・高圧により生じた金属性のMgOがダイナモ効果を通じて強い磁場を生み出していると考えられているのだが,現在までの高温・高圧実験ではMgOの金属化は確認されていなかった.
さて,そんなわけで著者らが実験を行ったところ,0.45 TPa(9000 ℃程度)に一つ,0.65 TPa(14000 ℃)あたりにもう一つの比熱の異常(圧縮圧力が上がっているのに,あまり温度が上がらない=何らかの転移にエネルギーが使われている)が発見された.なお今回の実験では,ある固定されたレーザーパルスで衝撃波を起こしているので,圧力と温度は独立には制御出来ない(圧力を上げると,圧縮に猛烈にエネルギーが投入され同時に温度がもっと上がる). 今回の実験で示されたように,レーザー誘起衝撃波による超高温・高圧実験は今後様々な極限状態の研究で面白い結果を出していくことだろう.特に物性物理の聖杯の一つである「金属水素」の研究にも最近用いられており,こちらの方でも朗報を期待したい.(2012.12.1) |
72. DNAでレゴブロック
"Three Dimensional Structures Self-Assembled from DNA Bricks"
DNAはたった4種類の塩基の組み合わせで出来ているが,それぞれの塩基が特定の相手としか結合しないという優れた特徴を持っている.近年,ナノサイエンスの世界ではこれを利用することで様々なナノ構造体が作成されている.例えば1本鎖のDNAで配列がAAAAGGGGを用意し,ここに別なDNA断片としてTTTTGGGGというのを持ってきたとしよう.前者のAAAAの部分と後者のTTTTの部分は結合するが,それ以外の場所は結合しない.そのためこの2つを混ぜ合わせるとGGGG-(ATの組*4)-GGGGという構造が得られる.このような特異的な相互作用を多量に組み合わせることで,現在では様々な形状の1次元,2次元,3次元構造を作ることが可能となっている.
この実験で用いたのは,8塩基*4を基本ユニットとする1本鎖DNAからなるブロックである.1つのブロックに含まれる4つのユニットを1,2,3,4としよう.このDNA断片全体では以下のようなU字型の構造となっている. 6--7 | 2--1&1'-5 | 3--4模式図で書けば □○ □□○ □○となる.なお,実際にはDNAの整合する向きの関係でこのブロックの組は90度の角度を成し結合し,L字になっている.立体の末端を埋めて安定化させるために,さらに1ユニット(8塩基)だけのパーツを「キャップ」として導入すれば,最終的に出来上がるのは □□ □□□ □□である.
これがブロックの基礎である.こうなったら後は簡単だ.任意形状の立体を2×1および1×1のブロックに分割,全てのジョイント部分に独立な組み合わせの塩基を割り当てれば良いのだ.これにより,必要な種類のDNA断片をバラ撒けば,自動的に望みの形状へと組み上がる.具体的な例はSupplementary Materials 発想自体は非常に単純ではあるが,出来上がる形状がなかなか見事な研究だ.現状はジョイント部に使っているのが8塩基であるので,独立なジョイントとしては数万程度が限界となる(20×20×20程度のサイズなら可能)が,これに関してはジョイント部をもう少し伸ばしたりで解決出来るかも知れない.そうなるとさらに巨大な形状が作れるわけで,結構面白いものも作れる可能性がある.(2012.11.30) |
71. "門番"が分子を選別するガス吸着材料
"Discriminative Separation of Gases by a "Molecular Trapdoor" Mechanism in Chabazite Zeorite"
ガスの分離というのは,工業上非常に重要な工程である.例えば多種類のガスの混ざった原料から望みの分子だけを単離したり,排気中から有害な分子を取り除いたり,不要な不純物を吸着させて取り除いたり,触媒と組み合わせることで特定の分子のみを反応させ副反応を抑制したり,と様々な場面・用途で利用されている.
さて,今回著者らが報告しているのは,ある種のゼオライトが示した「単なるサイズ選別ではなく,ゲートが対象物を選別して通すような挙動」である.門番が客を選別して通すか通さないか決めるようなものだ.
さて今回のChabaziteの大きな特徴は,この8角形の中心に前述のアルカリ金属イオンが居座っている,という点である.つまり,広い大きな空間の入り口である8角形のど真ん中で,アルカリ金属イオンが通せんぼしているような状況なわけだ.このため,著者らが実験を行ったところこのゼオライトは窒素やメタンと言った気体をほとんど吸着しない事が判明した.まあここまでは通常の挙動だ.
これだけでもまあ面白い発見なのだが,著者らはCO2の吸着実験を行った際にさらに面白い現象に出くわした.このChabazite,低温では門番が頑張るせいで内部の空洞にガスが入れないはずなのに,CO2に対してはそんな事関係無しに低温でも大きな吸蔵能力を示したのだ.これはまるで門番がCO2を正式なゲストと認め内部に招待しているようなものである.この原因はいったい何なのであろうか?門番が居る限りはガスの分子は(サイズ的に)内部に入れるはずが無いので,門番であるアルカリ金属イオンとCO2が何らかの相互作用をし,門番をどけているのは間違いない.しかもCO2が吸収される際に窒素やメタンと言った他のガスが共存していても,これらのガスは吸着されていない事もわかった.従って,CO2が「来た瞬間」だけ「一時的」にアルカリ金属イオンがちょっと道を譲る,という事になっているはずである.
実際にこういった事が起きているのかを調べるために,著者らはNMRを用いて133Csの緩和時間の測定を行った.NMRは要は核スピン(=磁石)に磁場をかけ,スピンの向きによるエネルギー差を生じさせ,そのエネルギー差に相当するマイクロ波を吸収させることでスピンの様子を見る測定法である.通常,原子は微妙な位置の差や向きの差によりスピンの向きによるエネルギー差(=吸収するマイクロ波の周波数)が異なる.このため吸収はある幅を持ってくる.ところが原子が素早く移動していると,様々なサイトの影響が平均化され,どの原子も均一な状況に居るかのように見えてくる.例えば地球上の人は様々な地形の上に住んでおり各人の住んでいる標高は違うわけだが,もし人間が光の速さでランダムに地球上をうろつき回っていれば,世界中のどの人間も標高(の平均化されたもの)は同じになる,というようなものだ.同じ条件の原子だけなら同じ均一の波長のマイクロ波を吸収するわけで,吸収線幅は狭くなる(特定の波長だけ吸収するようになる).これを運動による先鋭化(mortional narrowing)と呼ぶ. 最後に著者らは,このChabaziteを使って実際にガス選別の実験を行っている.通常のゼオライト(小さい方の分子を良く吸着出来る)とは異なり,より大きいサイズの分子であるCO2を,他のガスより数十倍以上多く吸着出来ることが確認された.特に,非常に小さな分子である水素とCO2の混合気体からでもCO2を吸着出来る点は素晴らしい.というのも,通常のゼオライトのメカニズムでは小さな気体である水素を排除するような選別は非常に難しいからだ.またCO2に限らず,同じように局所的に分極を持つCO分子(こちらは分子全体でも極性を持つが)もCO2と同様に吸着出来る.もう一点優れた点を挙げると,比較的圧力の高い条件でもガス選別性が効くところが挙げられる.通常のガス選別では,微妙な吸着力の差やサイズ差を利用しているため,圧を上げていく=分子の衝突回数を増やすと選別力が激減していくことが知られている.しかし今回のChabaziteの場合,圧が上がろうが何だろうがそもそも門番であるK+やCs+がどかないことには内部に入れないので,圧力はあまり選別能力に影響しない.これは利用を考えると利点が多い. ゼオライト系物質で,新たな原理によりこれまでと異なる選別能を持たせられる,という事がわかったのは大きい.今後,似たような系の開発やら,類似の概念を使った物質開発が進むかも知れない.(2012.11.17) |
70. 光でタンパク質の活性を制御する汎用的手法の開発
"Optical Control of Protein Activity by Fluorescent Protein Domains"
ドロンパ(Dronpa)という名の蛍光タンパク質が存在する.これは珊瑚中に存在するタンパク質を改変することで数年前に理研が作成したもので,特定の波長の光を当てることによって蛍光のon-offを任意に切り替えられるという特徴を持つ(ドロンと消えてパッと現れる,という事でドロンパと名付けられた). さて,そんなわけでいろいろと注目されているドロンパであるが,今回の著者らはその「構造変化」という部分を全く異なる用途に応用した.そもそもドロンパがなぜ光照射で蛍光のon-offを切り替えられるのかと言えば,それは構造変化を起こすからである(これも最近理研が解析).蛍光タンパク中には発色団という実際に発光する部分が存在するのだが,ドロンパでは青色の光を照射すると,この発色団に隣接する部位がフレキシブルに変化,発色団と接触するようになる.この状態では発色団の励起エネルギーが迅速にこのフレキシブルな部位の振動エネルギーに逃げてしまい,蛍光を発することが出来ない.紫外光を照射するとこの部分がリジッドになるようにタンパク質の構造が変化,発色団からエネルギーを持ち去る部位が無くなることで,励起エネルギーは蛍光として放出される. 今回の論文の著者らが注目したのは,このドロンパの変種の一つDronpa 145N(以下145N)である.この分子,通常は4つがくっついた四量体となっているのだが,これを希釈していくと解離して単量体になると同時に蛍光が消えるのだ.著者らはこの機構を考察し,「145Nは,蛍光on状態では四量化しやすい構造になっていてくっつきやすく,蛍光off状態はくっつきにくい構造なのでは無いか?」と推測した.これが正しければ,逆に光照射により構造を無理矢理変えることで四量化のしやすさを変えることも出来るのではないか?つまり,特定の波長の光を当てることで凝集・解離をコントロール出来るスイッチになるのでは無いだろうか?
この仮説を実証するために,著者らは機能性タンパク質の末端に145Nや,類似の変種145K(こちらは四量化では無く,二量化する)が繋がったタンパク質を作るようにした細胞を用いた.それと同時に,細胞膜に溶け込む分子の末端にもこれらドロンパをぶら下げる.著者らの推測が正しければ,ここに光を当てドロンパの蛍光性をonにすると同時に,機能性タンパク質にぶら下がったドロンパは二量化や四量化したがるようになるはずである.一方,細胞膜からぶら下がったドロンパも同様の変化を起こす.これにより,機能性タンパク質は細胞膜にトラップされるはずだ(細胞膜-細胞膜にぶら下がったドロンパ-機能性タンパク質にぶら下がったドロンパ-機能性タンパク質,という引力が生じ,機能性タンパク質がくっつく).
著者らはここからさらに研究を進め,さらなる利用法を開発した.機能性タンパク質の両末端にドロンパを取り付ける.このタンパク質,構造的には(ドロンパ)----機能性タンパク質----(ドロンパ)となっているのだが,ここで蛍光on(=凝集性on)となる光を当てると,この両端のドロンパがくっついてしまう.つまり構造としては 光照射で機能性タンパク質の機能をon-offするという研究はこれまでにいくつも存在するのだが,この手法の優れている点はその汎用性である.実際に光照射で変化する部分は機能性タンパク質とは別な末端部分であり,従って機能性タンパクに光変化部位を組み込むよりはよほど元の機能を維持しやすい.任意の機能性タンパクに対し,その両端にドロンパを付けるだけで,その機能性タンパクが光応答性(特定の光により,機能を任意にon-off出来る)を獲得するのだ(しかもその空間分布を蛍光を利用して直接検出することも出来る).これは今後様々な利用が考えられそうである.(2012.11.10) |
69. 発酵による生成物を利用した灯油・ガソリンの製造
"Integration of chemical catalysis with extractive fermentation" 再生可能エネルギーはホットなテーマである.代表例としては太陽電池や風力発電などが思い浮かぶところであるが,植物等を原料にした石油類の製造も研究が進められている.生物の手を借りた内燃機関用燃料の製法としては,(a)発酵によりエタノールなどの代替燃料を生産する,(b)石油を直接合成出来る藻類などを使用する,という2つが大きな柱だ.しかしこれらはそれぞれ問題を抱えていて,aに関しては通常生成されるのがエタノールやブタノールと言った炭素数の少ないアルコールであり,単純に現在の化石燃料を置き換えられるわけでは無かったり,アルコールゆえの浸潤性(接触したゴム等の劣化)が問題になったり,吸湿性が問題になったりする.一方のbに関しては生成する炭化水素はほぼ現在の石油類と交換可能であるが,その生成効率の低さが問題となっている. それらを踏まえ,今回の著者らが取り組んだのは「発酵によって多量に生成出来る原料から,炭素数の多い化合物を高効率に合成するルートを開発する」というものだ.モデル原料としたのは,アセトン,ブタノール,エタノールのおよそ2.3:3.7:1(モル比)の混合溶液だ.なぜこんなものを使ったかと言えば,実はこの混合物,発酵によって得られるのである.我々がよく知る酵母による発酵は糖をエタノールに変換するものであるが,Clostridium acetobutylicumと呼ばれる細菌類は,糖や酢酸などを分解し,アセトン-ブタノール-エタノール(2.3:3.7:1)と二酸化炭素に分解するという発酵を行う事が知られている(これはかつて工業規模のアセトン生産に利用された).もしこうして得られた分子からより炭素数の多い炭化水素が得られれば,身近な原料の発酵から石油が得られるのと同じことになるわけだ. 著者らが通常の発酵によるエタノールでは無く,Clostridium acetobutylicumによる発酵に注目したのは生成物に多量のアセトンが含まれるからである.アセトンは3つの炭素を含み,中央の炭素に酸素原子が二重結合で結合している(C=O)構造である.このようなケトンと呼ばれる構造においては,C=Oの隣(α位)の炭素上の水素が抜けやすくなっており,いわば炭素の負イオンにやや近い状態が実現している.そして適切な触媒の存在下では,この負に近い炭素がアルコールのC-OHの炭素を攻撃し,炭素-炭素結合を作ることが出来る(その際にOH基は脱離).こうして一段階長い炭素鎖が出来る.さらに反対側にもまだケトンに隣接するCH3が居るのでここも反応が可能で,さらにもう一段長い炭素鎖まで完成する.後はケトンのC=O部分を水素還元でもすれば長い炭化水素が完成である.要するに,発酵でアセトンが出来ると言うことは,うまく触媒を持ってくればそこからガソリンが作れる,という事を意味しているわけだ.前述のClostridium acetobutylicumであれば,エタノール以外に炭素数4のブタノールも含まれる(むしろこっちの方が多い).ブタノールがアセトンの両端に付けば炭素数は11,ほぼ灯油の領域だ.
この反応,実際にはやっかいな副反応が生じる事があり,C=O結合の炭素に別なケトンの末端炭素が反応して,枝分かれした構造を作ってしまうこともあった.今回著者らはこの反応で用いる触媒を検討した結果,こうした副反応がほとんど起きず,直鎖の炭素鎖をのばす方向の反応だけがほぼ選択的に手法を開発した. では,実際にはどの程度の効率で変換出来るのか?それを実証するために,発酵から重合・分離までを行った結果が記されている.餌としてグルコースを与え発酵&その後の変換を行ったところ,発酵での効率が90%程度,引き続く変換過程でもまあ90%前後の効率が得られている.ただし発酵はもれなく二酸化炭素の発生も含んでいるので,炭素原子の数として見ると石油(の原料)に変換されるのはおよそ40%程度である(副生成物の,やや炭素数の少ないものまで含めると5-6割ぐらいになる). 比較的効率も悪くなさそうなので,化石燃料が足りなくなってきた際の灯油・ガソリンの製法としてはありかも知れない.航空燃料とか.ただ,現時点で既にバイオエタノールで問題になっているように食糧との間で原料の奪い合いになる危険性もあるので,そのあたりが解決されるまではやや微妙か.セルロースの簡易分解法が完成すれば便利なんですが. あとはまあ,世の中がいつまで炭化水素系燃料を使っているか次第ですかね.そのままアルコールを利用するように転換してしまったらこの手法は余り意味が無くなりますので.そのあたりはちょっと読めないところか.(2012.11.8) |
68. 海流変化が誘発するメタンハイドレート層の不安定化
"Recent changes to the Gulf Stream causing widespread gas hydrate destabilization"
近年,メタンハイドレートが大きな注目を集めている.メタンハイドレートというのは水分子とメタン分子が混じって結晶化したようなもので,高圧・低温下なら安定に存在出来るため海底下の地層内に多量に存在している.これが注目を集めている一つの理由は燃料資源としてであるが(ただし,広く薄く分布するメタンハイドレートから天然ガスを効率的に回収する手法は現時点では開発されていない),もう一つの理由は温暖化の観点からである. 注:ただし,起こった現象の厳密な順序を決定出来るほど年代特定の精度が高くないので,実際には何らかの原因による温度変化が先で,メタンの放出は単なる結果でしかないのでは無いか?という議論もあるなど,細かい部分では決着が付いていない.
まあ何にせよ,メタンハイドレートは注目を浴びて研究が促進されていることは疑う余地が無い.
さて,今回発表された論文は,メキシコ湾流の変化によりノースカロライナ沖のメタンハイドレートが不安定化している可能性がある,というものだ.
この事実は,浅海域のメタンハイドレートは暖かくなったメキシコ湾流の熱が伝わる将来には分解していく可能性があることを示唆している.これにより将来的に放出されると推定されるノースカロライナ沖のメタンの量は2.5ギガトンに達する.これだけならまあ前述のPETMの時に放出されたとされるメタンの0.2%に過ぎないのであるが,問題はこのメタンハイドレートの分解に際して海底斜面の崩落が起こる危険性がある点だ.
もちろん海流の変化は,別な場所ではより寒冷になる効果をもたらし,その地域では今後メタンハイドレートの蓄積量が増えるはずではあるが,タイムスケール的に考えてまず膨大な量のメタンの放出があり,その後長い時間(=地質学的な時間)を掛けて別な地域でのメタンの吸蔵が進むことになるため,その時間的なギャップの間の影響はかなり大きい可能性がある. |
67. 地球のXeはなぜ少ないか?
"The origin of the terrestial noble-gas signature" 希ガス元素(第18族元素)を軽い方から並べるとHe,Ne,Ar,Kr,Xe,Rnとなる.これらの地球における存在比を見ると,まずHeはα崩壊によりそれなりの量生成するが,その一方で軽いためほとんどが地球上から飛び去ってしまい存在量は少ない(Neも軽めで飛びやすいので,大気中から宇宙にかなり逃げていった).Arは地中に多量に含まれる40Kのβ+崩壊や電子捕獲により生成するので,大気中に多量に存在する.RnはUなどの段階的な崩壊で生じるものの自身も不安定核種でありすぐ崩壊してしまうので,存在量はそんなに多くない.さて,今回注目すべきはKrとXeである.
隕石中には様々な元素が取り込まれており,それらが生成した太陽系初期の元素比率などを推定する役に立っている.ところがこれらの隕石中での希ガス元素の量を調べると,地球上での割合に比べXeがかなり多い(逆に言えば,地球上ではなぜかXeが非常に少ない)事が知られていた.
今回著者らが検討したのは,下部マントルの影響である.下部マントルというのはまあ大雑把に言って地下660kmから2900kmあたりまでの領域であり,地球の質量のおよそ半分を占める.著者らによれば,地球においてこれほど大きな割合を占めているにもかかわらず,この下部マントルが現在観測される地球上での希ガス存在比にどんな影響を与えたのか?という研究は存在しなかったらしい.
これを使い,著者らは地球の大気中にXeが少ないことを説明している.初期の地球は完全に融解した灼熱の液体である.この段階でほとんどの気体は宇宙に逃げていき,残っているのは溶けた岩石とそこに溶け込んだ気体だけだ.ここまでは隕石(の元になった小惑星等)と変わらない.さて,この火の玉が冷えてくると,地球内部の高温・高圧領域では安定なペロブスカイト相が結晶として析出する.この時ArやKrは内部にいくらか取り込まれるが,Xeはほとんど取り込まれない.そうして地球が冷えた後に,岩石内部に閉じ込められた各種気体が徐々に放出される(これは現在の標準的な地球大気生成モデルである)と,ArやKrはそこそこの量が放出される一方,そもそものペロブスカイト相の結晶化の際に排除された(&高温の地球から宇宙に飛び去ってしまった)Xeはほとんど放出されない. まあ岩石はペロブスカイトだけでは無いのでこれで即解決とは言えないが,興味深いモデルではある.(2012.10.25) |
66. 電子化物をベースとしたアンモニア合成用触媒
"Ammonia synthesis using a stable electride as an electron donor and reversible hydrogen store"
ハーバー・ボッシュ法は20世紀最大の発明と言っても良い.少なくとも化学工業の分野では間違いなくそうだろう.この開発により人類は無尽蔵の窒素肥料を入手出来るようになり,現在の膨大な人口を支えるだけの農業基盤を維持出来るようになった.大気から固定される窒素の量は膨大であり,現在では自然界が固定する窒素と同等の量がハーバー・ボッシュ法により大気中から固定されている. さて,このように困難なアンモニア合成であるが,実は窒素からアンモニアを作る反応は発熱反応である.つまりアンモニアの方がエネルギーが低いのだ.自発的に進むはずの反応をわざわざ高エネルギーを投入して進めてやらないといけないのは,その活性化エネルギーが高い事に由来する.簡単に言ってしまえば,三重結合で非常に強く結びついた窒素分子を一度切断する際に必要なエネルギーが大きすぎるのだ.ここで,触媒の重要性がクローズアップされる.もし触媒によりこの活性化エネルギーを大幅に下げることが出来れば,無駄に高温・高圧にする必要は無くなり,エネルギーが大幅に節約出来ることになる.実際,植物などは常温・常圧で(規模は小さいとは言え)同じ事をやってのけているわけで,不可能では無いはずだ.そういった観点から,実に様々な触媒が研究されている.かつては「無理じゃ無いか」とも言われていた常温・常圧で働く触媒なども,窒素固定細菌の活性中心の構造が判明して以降様々な開発が行われ,(繰り返し回数などに大きな制限があるものの)人工的な触媒で成功するまでになっている.
さて,そんな中発表された今回の論文は,ハーバーボッシュ法を基本としながら,その条件をかなり温和に出来る可能性を持つ新触媒である.発表は東工大の細野グループで,彼らの代表的な研究であるセメント系物質を用いている(まあ最近では鉄系超伝導の方が有名ではあるが). さて,今回この研究をベースに細野先生が使用したのが触媒である金属Ruを担体であるC12A7系エレクトライド(電子化物)にのせものである.C12A7というのは12CaO・7Al2O3を指し,要するにセメントだ.結晶構造としてはこのCaとAlの酸化物が大きな籠状構造(4.4Å径程度の空間を持つ)を作り,その泡がくっついて並んでいるような構造となる.そしてこの籠の一部の中にO2-イオンを含むことで電荷が補償され全体で中性となっている.数年前の研究で彼らが発見したのは,このセメントに金属Tiを付け高温処理すると,この籠にトラップされたO2-が酸化チタンとして脱離,その代わりに籠の内部には単独の「電子」がトラップされる,という事であった.なお,こういった「陰イオンの代わりに電子が存在する物質」をエレクトライド(電子化物)と呼ぶ.こういった物質では,「電子」というものがまるで一つの独立した陰イオンであるかのように振る舞う.通常こういった電子化物は不安定(何せ遊離した電子が存在するので反応性が高い)なのだが,このC12A7系は常温・大気中でも安定というとんでもない代物であった.というのも,(電荷の補償の必要性から)電子が抜ければ何かが代わりに籠の中に入らないといけないのに籠の隙間が小さいからほとんどの原子は内部に侵入出来ず(=身代わりが来ないので,電子が抜けることが出来ない),さらに籠を作っているのは非常に安定である酸化物(セメント)だから籠自体はそう簡単に壊れない.しかもこの電子,籠の中から隣接する籠の中へと自由に移動出来る.ドープ量が多ければ金属になるし,ついには超伝導になることまで彼らは報告している(セメントが超伝導になるわけだ).
では,なぜこんな変な物質を触媒担体に使用したのかというと,それにはハーバー・ボッシュ法における触媒のメカニズムが関係してくる.ハーバー・ボッシュ法の触媒であるFeやRuに窒素分子がくっつくと,これらの金属原子から窒素分子に電子が供給される.窒素の結合性軌道は全て電子で埋まっているので,供給された電子は反結合性軌道に流れ込み,これが窒素分子の三重結合を弱体化する.これによって窒素分子の開裂を促進するわけだ.という事は,触媒担体は電子を出しやすい物質であればあるほどふさわしい,という事になる.担体が触媒金属であるFeやRuに電子を押し付け,電子が余ったFeやRuがそれを窒素に押し付けるわけだ.前述のRu触媒系では例えばMgOを担体にし,さらにRuに電子を出しやすいCsを混ぜ込むことでこういった特性を実現している.アルカリ金属であるCsは仕事関数(金属から,電子を真空中に引きはがすのに必要なエネルギー.小さいほど電子を放出しやすい)が小さく,Ruに電子を押し付けることが出来る.
で,結果である.報告されている結果は恐らく研究前の予想を大きく超えるものだったと思われる. いや,これはなかなか面白い. 物性屋としてはそもそものC12A7系の伝導とか超伝導とか非常に面白かったわけだが,そこからまさかこんな成果にまで繋がるとは思わなかった.実に見事である.(2012.10.23) |
65. 溶けて無くなる電子回路
"A Physically Transient Form of Sillicon Electronics" 通常我々が様々な電子デバイスを作ろうとするときは,それができるだけ壊れないように,長持ちするように考えて作成する.しかしそれとは逆に,一定期間で消滅して欲しいような用途だって世の中には存在する.例えば体内埋め込み型である一定期間だけ働けば良いデバイスであるとか,自然界にバラ撒いて一定期間データを送信したあとは迅速にそのまま自然に還って欲しい観測デバイスなどだ.今回著者らは,Mg,薄膜シリコン,MgOとシルクを使うことで,分解までの時間を制御したこれら分解性の電子回路を作成し報告している,
デバイスの肝は,全て生体内で分解できる材料で作成している点である.電極や導電路の部分はMgで作成する.これが水にさらされると,じわじわとMg(OH)2へと酸化され溶解する.トランジスタやダイオードと言った素子はSiのナノシート(を適宜ドープしたもの)で作成する.Siナノシートはやはり水分で分解され,SiO2を経由したあと水溶性のケイ酸(Si(OH)4)となりこれまた溶解.絶縁層,誘電体としてはMgOを用いる.これも水で次第に分解し,Mg(OH)2となり溶解する.基板および全体のパッケージング材はシルク薄膜を用いている.シルクの薄膜は水に溶け,徐々に分解されていく(ただし,場合によっては炎症などの激しい応答や強いアレルギーを起こすこともあるので,生体中で使う際には注意は必要).
実際に回路が分解していく様子を,まずは純水中で確認している.Si薄膜は,体温程度の温度で一日あたりおよそ4.5 nmずつ薄くなっていく.素子としての特性は表面部分に依存するので,溶け始めると機能をすぐ失い,その後厚みに応じて数日から一ヶ月程度で消滅することになる.金属Mgは数時間程度で溶解する.これらの回路をMgOまたはシルクの保護層にパッケージングしたものは,ある程度の時間まで機能をそのまま維持し,パッケージ層の溶解が素子表面まで到達した段階で急速に機能を喪失する.パッケージの溶解時間は,MgOを保護層に利用した場合は数時間程度のオーダー,シルクを用いた場合は数日程度のタイムスケールだ.なお素子が露出するまでの時間に関しては,MgOやシルクの厚みを変えることでかなり精密にコントロールできる.これにより例えば,10時間だけ体内で稼働する電子回路や,10日で機能を失う回路,などといったものが作成可能だ. |
64. 階層的なフォノン散乱構造による高効率な熱電特性の実現
"High-performance bulk thermoelectrics with all-scale hierarchical architectures"
我々人類は様々なシーンでエネルギーを利用しているが,その2/3ほどは無駄な熱として廃棄されている.近年のエネルギーハーベスティングによる微小電力の利用や,エネルギーのより効率的な利用のために,この廃熱からさらに有用な仕事を搾り取ろうという研究が盛んである.
ところがここに問題がある.実はこれらの係数,独立では無いのだ.例えばこれらの多くは電子密度などに依存しているのだが,一般的にσを大きくすればSが小さくなり(金属のSは小さく,半導体で大きい),また同時にκも大きくなる(電気がよく流れると,電子による熱伝導が増える),と言った具合だ.これが熱電材料の開発を難しくしている.まあ最近では,エントロピーが強く絡んだ系を使うことでSを大きく出来たりするのだが,今回はそれは置いておく. さて,ではどうすれば電気伝導にあまり影響を与えずに,フォノンだけを阻害するような構造が作れるだろうか?単純に考えれば,格子振動の散乱源があるような構造を持ってくれば,フォノンは散乱される=格子振動に基づく熱伝導が悪くなることが予想される.具体的に言えば,そこで結晶格子の向きが変わっている(ドメイン境界がある)とか,違う材料が析出している(異なる物質の粒界がある),とかだ.こういう界面では,光が空気-水界面で反射されるように,音=波であるフォノンも散乱される.一方,電気伝導の観点から見ると,例え粒界があろうとも両者とも伝導性がありきっちり接合していれば,それなりに低抵抗で流れる事が出来る(例えば異種金属の溶接箇所など).つまり様々なナノサイズ(=フォノンの平均自由行程に近いサイズ)の粒界を材料中にうまく作り込めば,電気伝導にはあまり影響を与えずに,フォノンだけを大きく散乱し,フォノンに基づく熱伝導率を引き下げられる(=ZTを向上させられる)と予想が出来るわけだ.実際,ここ10年ほどの間に様々なナノ構造(ナノワイヤーの集合体のようなものだとか,ナノ薄膜の積層構造)が様々に作成され,ZTが2.4やそれ以上であるような非常に高い効率を持つ熱電材料が開発されてきた.
それに対し今回の論文の著者らがとった手法は,材料の自発的な再構築を利用した,もっと手軽に作れる熱電材料である.ナノ構造を駆使した熱電材料は確かに効率が高いのだが,作成費用がべらぼうに高いという欠点を持っていた.しかし今回報告されている手法なら,(それらに比べれば)格段に安く,しかも大きな材料を作成することが可能になる. ZT=2.2という数字自体を上回る素材はこれまでにもいくつも報告されているが,今回の肝はこれが「材料を溶かして固めて,粉砕して焼結しただけで出来た」という点である.つまり,面倒なナノ加工技術などが不要なのだ(ナノ構造は析出等により勝手に生成するから).さらに,バルク量での量産も可能であるし,ある程度のサイズのある素子も作りやすいだろう.ZT=2.2というかなり高い効率を持ちながらも量産性が高いというのはなかなか前途有望である.(2012.9.20) |
63. 水滴で論理ゲート
大学から論文そのものが読めないのでSupporting InformationとAbstract頼みではあるが,面白かったので紹介. この研究グループの研究テーマは超撥水である.超撥水とは,例えば身近なところではテフロンコートされた表面などで見られる現象で,水との親和性の非常に低い表面に水滴を置くいた際に見られる.水同士の結合エネルギーが超撥水表面との結合よりも圧倒的に強いことから,水同士の結合を最大化し,水とそれ以外のものとの結合=水滴の表面を最小化する構造,つまりきれいな球形のころっとした状態になるものだ.この状態では基板と水滴との結合は非常に弱いため,基板を少し傾けただけで水滴は面白いように転がり落ちる.
さて今回著者らが報告しているのは,こういった超撥水状態の水滴同士がまるで剛体の球のようにきれいに衝突-反発する,という現象だ.つまり,水滴がビリヤード球のように互いに衝突し合うのだ.
さて,ただ跳ね返るだけでは面白くない.そこで著者らは,この現象を用いた機械式論理ゲートが実現出来ることを示している.その様子のムービーは まず最初の動画Movie001であるが,条件(何なのかは不明だが)を変えることで,液滴同士の衝突が反射なのか融合なのかが変化する様子が示されている.中心軸からちょっとずれた位置への衝突(これは後に述べるフリップフロップ式メモリで重要となる)であっても,正面からの衝突であっても,どちらも反発と融合が実現出来るらしい.
次の動画Movie002は,液滴であるからこその特徴を示す実験だ.赤い蛍光を発している液滴(発光する物質を溶かしてある)に対し,その物質を食って蛍光をとめるような物質を溶かし込んだ別の液滴をぶつける.反発条件でぶつけると,液滴同士の中身は混合しないので,蛍光はそのままである.一方,融合するような条件で衝突させると二液の中身も混合,蛍光が消失する. Movie003はNOTゲートの実装である.A(右上)からの入力が無い状況では,この回路を駆動するための入力(1,左上からの入力)はそのままNOT-Aの出力に流れる.しかしここにAが入力されると,1からの入力とAからの入力が衝突,それぞれの液滴が右下と左下に反射され,NOT-Aへの出力が中断する.この動作はしっかりとNOTゲートになっている. Movie004はAND/ORゲートである.左上から入射したAは,なにも無ければぐるっとループを描いて左下に向かう.右上から入射するBは,そのままストレートに左下に向かいAと合流する.AとBが同時に入射されたら?この場合は中心位置で衝突し,右下と左下に1つずつ出力される.つまり左下はORになっており,右下はANDにっているわけだ. Movie005はなかなか面白い.フリップフロップ回路でのメモリーである.この回路は左から1本入射路があり,途中で上下に分岐して二つの出力を持つ.そしてその分岐点の位置にあらかじめ一つの液滴が配置されている.この時,液滴が微妙に上(もしくは下)にずれているのがポイントである.配置されている液滴が,微妙に下にずれていたと仮定しよう.ここに左からもう一つの液滴が入射する.衝突により置いてあった液滴は右に押しやられるのだが,元々いた位置が下寄りのため右下へと運ばれる.一方反射によりその運動量のほとんどを置いてあった液滴に受け渡した入射液滴は,ちょっと下にいた液滴をはね飛ばした結果,自分自身は若干上側に残る.ここにもう一つ左から入射すると,今度は置いてあった液滴は右上に飛び,入射してきた液滴は若干下側で静止する.これは見事なフリップフロップ回路である.左から液滴が入射するたびに,出力は順次上,下,上……と交互に切り替わっていく. 何というか,非常に単純な現象の発見であるが,そこから出てくる現象が面白い.いやほんと,これで実際に動く液滴計算機を作って,様々な反応のコントロールとかを実証してもらいたいものである.単純に見た目の面白さ的な意味で(2012.9.12).
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62. アミロイドβ模倣体はタンパク質の凝集を防ぎアミロイドの毒性を低減する
"Amyloid β-sheet mimics that antagonize protein aggregation and reduce amyloid toxicity" かつて生化学の世界では,タンパク質は最安定な唯一の構造に折りたたまれ,それが機能を発揮していると信じられていた.しかしその後様々な疾患において「異常な形状に折りたたまれたタンパク質」が集積しており,それらが毒性を持つ事が明らかとなってきた.こういったタンパク質の異常な(間違った)折りたたみに由来する疾患はフォールディング病(もしくはミスフォールディング病)と呼ばれる.代表的なフォールディング病としてはアルツハイマー病,ハンチントン病,パーキンソン病,プリオン病,透析アミロイドーシスなどが知られている(*). *これらの疾患においてはミスフォールディングを起こしたタンパク質の集積構造(アミロイド)が生じる事が知られている.そのためこれら異常タンパクが病気の原因ではないかと考えられているが,因果関係のはっきりしていないものも多い.そのため,「病気と異常タンパクの両方を引き起こす別な共通の原因があり,異常タンパクは病気の原因では無い」,という可能性が今のところ否定出来ない疾患も多い.
アルツハイマーなどで観察されるこの異常タンパクの凝集構造(アミロイド)では,βシート構造と呼ばれるタンパク質の高次構造が重要な役割をしている.タンパク質というのはアミノ酸が1列に結合した分子であるが,鎖を引き延ばし,適度な長さで折り重ねてシートを作ったような構造だ.水素結合が鎖間を結び,シート状の構造を安定化している.
このようなシート構造のスタックが病気の原因であるなら,そのスタックを阻害するような薬品を用いれば予防出来るだろう,というのは素直な発想である.しかしこういった薬剤の開発を含め,アミロイドを研究する上で大きな問題が存在する.実はこういったアミロイドに関して,その構造があまりよくわかっていないのだ.中心部に非常に強固な引力で結ばれたβシートがある事,その周辺にそこそこ強固に結びついた領域があり,さらに外側はフレキシブルな部位がある事,という程度はわかっているのだが,原子レベルでの構造はまだ解明されていないと言って良い.これは現実のタンパク質はアミロイド化しにくく(何せすぐアミロイド化するようならその生物は死んでいる),結晶化するのに非常に時間がかかり(実験室系で1〜数年という事もよくあるらしい),それだけ時間をかけた結晶も非常に質が悪い(そのためX線などでの構造解析が困難)という事に由来する. 著者らが作成したのは14個のアミノ酸からなるリング状の人工タンパク質ABSMである.構造としては上辺に7つのアミノ酸からなる直線構造(βシートの部分構造である,直線状のβストランド)がある.下辺も直線状ではあるが,(アミノ酸2つ)-(Hao)-(アミノ酸2つ)という構成になっている.ここでHaoというのはアミノ酸3つ分程度の長さを持つ分子で,上辺との間に強い水素結合を作ることでリング全体の構造を細長い棒状(βストランド構造)で安定化させ,さらに下辺外側では隣接分子との水素結合が弱いように作ってある.そしてこの上辺7つ,下辺4+1のチェーンの両端を,フレキシブルなアミノ酸で繋いだリングが全体構造である.図で書けばこんな感じだ. ⌈-(a)-(b)-(c)-(d)-(e)-(f)-(g)-⌉ ⌊-(k)-(j)----(Hao)----(i)-(h)-⌋
さてこの部分構造,上辺の(a)-(g)間がβストランド構造であり,既に形成しつつあるアミロイドのβシートにくっつくことが出来る.その一方で下辺はHaoの部分で相互作用が弱く,こちら方向にはβシートが伸びにくい事になる.つまり,βシート構造で積み上がっていく分子をここでストップし,アミロイドへの集合を阻害することが出来るわけだ.
実際のこの分子の働きであるが,著者らはまずアミロイドの成長に対するこの分子の添加効果を測定した.アミロイドの構成要素となるAβ40およびAβ42(いずれもアルツハイマーでよく観測される),hβ2M,hαSynそれぞれに対し,ABSM無し,0.2当量(分子数でタンパク質の20%),0.5当量,1当量を加えたときの,アミロイド繊維の形成までの時間を測定した. この手のアミロイド化阻止分子としては単鎖状の分子などが知られているのだが,その場合は漂っているAβ40などと1対1の結合を作って不活化している.それに対し今回の例では,加えた量が1当量以下でも顕著なアミロイド形成速度の低下が確認されている点が大きな違いである.この点から著者らは,今回報告されているABSM分子は,ある程度の数のアミロイド前駆体が集合したクラスター状の構造に張り付きその状態を安定化,それ以上の成長(アミロイド繊維の前段階である「核」の生成)を阻害しているのでは無いか?と推測している.
単一の基本構造の周辺をモディファイするだけで様々なアミロイドの生成を阻害出来る,という点はなかなか面白い.また,分子全体の構造も比較的小規模&シンプルであり,様々な派生が作りやすそうでもある.
なお,この研究が進めばアミロイド化を防止する予防薬なども将来的には実用化出来るかも知れないが,短期的には様々な難しい問題を抱えている.例えば最近判明してきた事実として,アルツハイマーに関連する(と考えられている)Aβは,どうもアミロイド繊維よりも,その前段階の水溶性のオリゴマー(少数のAβ分子の集合体)の方が毒性が高いのでは無いか?というものがある.この場合,下手にアミロイド化を阻害すると,「繊維にまで成長はしていないけれどオリゴマーにはなった」というような毒性の高い化学種をむしろ増やしてしまう可能性も指摘されているのだ. |
61. グラフェンの再成長による配線のパターニング:集積回路に向け一歩前進
"Graphene and boron nitride lateral heterostructures for atomically thin circuitry" グラフェンは原子1層分の薄さや非常に低い電気抵抗&高い熱伝導性など,超微細回路を形成する上で有利な特性を持っている.またグラフェンそのものはゼロギャップ半導体(まあ事実上の金属に近い)であるが,炭素原子の一部を窒素で置き換えることでギャップの開いた半導体としたり,同一構造の窒化ホウ素(h-BN)が絶縁体であったりと,金属から絶縁体までの広い電気抵抗を実現出来る点でも回路に向いていると言える.例えばメインの配線を低抵抗なグラフェン,半導体素子部を窒素ドープのグラフェン,配線間の絶縁をh-BNで構築すれば,原子数層程度の厚みの回路が作れるわけだ. こういった集積回路を作ろうと考えたときに最大の問題となるのが,これら異なる素材をどうつなぎ合わせるのか?という点である.配線を作る段階自体は(手間やコストをとりあえず考えなければ)問題は無い.例えばグラフェンシートを持ってきて電子線リソグラフィや通常のマスクと露光を用いたリソグラフィ(マスクがとれた部分のみ反応性の高いイオンで削られ,グラフェンが無くなる)を用いれば,望む形に削り出されたグラフェンは手に入る.しかしこの「配線部分」を,半導体素子となる窒素ドープグラフェンなどと結合する部分が難しいのだ.
この問題を解決する転機は2010年に訪れた.大面積のグラフェンは銅箔上でメタンなどの炭化水素を熱分解して作っているのだが,ここに原料としてBとNを含む分子(NH3-BH3)を同時に導入すると,原子レベルできれいに接合したグラフェン-h-BNシートが得られることが判明したのだ.
そこで今回の著者らは,銅箔上での薄層成長とリソグラフィを組み合わせ,複数の異なる素材のグラフェン類をきれいに接合したシートを構築することを試み,報告している.手法としては以下の通りだ.まず,銅箔上でメタンを熱分解してグラフェンシートを作る.グラフェンシートが形成された場所ではメタンと銅が隔絶されるので,グラフェンはほぼ単層で成長が止まる.次に,通常のマスク形成&露光&イオンエッチングにより,グラフェンを適当な配線形状に加工する(それ以外の部分をエッチングで削り取る).次にその削られたグラフェンが乗った銅箔に対し,今度はNH3-BH3を吹き付けながら熱分解することでh-BNのシートを形成する.グラフェンが残っている部分ではNH3-BH3が触媒となる銅箔と接触しないので,h-BNのシートはグラフェンの無い部分でのみ成長する.さて,グラフェンやh-BNは既存のシートのエッジ部分から徐々に伸びていくことで成長していく.従って今回の場合,エッチング後の残っているグラフェンに対し原子レベルできれいに接合したh-BNが成長するのだ.
この手法を用いれば,単原子層厚のシート内に絶縁体・半導体・金属を自在に構築することが出来る.さらにh-BNのシートや,同じようにパターニングしたシートを上下に重ねていくことで,原子数層程度の厚みの多層配線,FET構造などを作り込むことも可能である. |