最近読んだ論文 |
120. 量子ゼノ効果を用いて状態を部分空間へと分割する
"Experimental realization of quantum zeno dynamics"
量子論の世界においては観測が系に大きな影響を与えることが知られているが,その効果が顕著に表れる例の一つが量子ゼノ効果である.これはどういったものかと言うことを簡単に言ってしまうと,「系を小刻みに観測すると,別な状態に遷移できなくなってしまう」というような効果だ.
正確さを犠牲にすれば,どうしてこんな事が起こるのかを簡単に説明することができる. 状態 = |A>cos(ωt) + |B>sin(ωt)
要するに,状態|A>と|B>の間を角振動数ωで振動するわけだ.100%|A>または|B>の時以外は,両者の量子論的な混合状態となっている.以下では,表記を簡単にするためにωが1となるような時間単位で書き表すとしよう. ずっと|A>に居る確率 = (1 - (T/N)2/2 + (T/N)4/24……)2N 十分Nが大きければ,この式は1に収束する.ずっと|A>に居る確率が1なのだから,|B>に遷移する確率はゼロ,つまり小刻みな観測によって|B>への遷移が禁止されてしまった. 要するに,|B>に遷移しかかった時に観測により純粋な|A>状態に引き戻され,また遷移しかかった時に|A>に引き戻され,というのを無限に繰り返すことで遷移が不可能になるわけだ(*). *なお,実際にはもっと複雑な問題も絡んでくる.例えば量子論では「無限に高頻度での測定」というのはそもそも不可能であるし,「どのような測定なら量子ゼノ効果を引き起こせるのか?」という点も実はちゃんと議論する必要があり,そのあたりを扱った論文も存在する.
まあそのような量子ゼノ効果,これまでにも数多くの実験が行われ発表されているのだが,それらは通常,系をある一つの状態に押し込み,そこからの遷移を禁じるような実験であった(例えば前述のA ↔ BでAだけに押し込む,など).しかし量子ゼノ効果そのものはもっと広い使い方も出来る.例えばA,B,Cの3つの状態がある系で,A ↔ B ↔ Cという遷移が可能だったとしよう.この系に対し「Cでは無い」という事を観測し続ければ,A ↔ Bの二つの状態間のみで遷移したり混ざり合ったり,という事が起こるはずだ.
今回実験で用いたのは,87RbのBEC(ボース=アインシュタイン凝縮)である.87Rbは不対電子を一つ持ち,こいつが1/2のスピンを持つ.また原子核も3/2の核スピンを持っている.この電子スピンと核スピンが相互作用することにより.「二つのスピンが同じ方向を向いた状態(全スピン:3/2 + 1/2 = 2)」と「二つのスピンが逆を向いた状態(全スピン:3/2 - 1/2 = 1)」という異なる状態に分裂する.今回メインで使うのはこのうち全スピンが2の状態である. |2,2> ↔ |2,1> ↔ |2,0> ↔ |2,-1> ↔ |2,-2> 従って,量子ゼノ効果を入れない状態なら|2,2>からスタートして5つの状態の間での混合が起こるはずである.
ここで著者らは,|2,0>と|1,0>(核スピンと電子スピンが逆を向いている状態の一つ)との間で遷移を起こすような光を系に対し同時に照射する.さらに,|1,0>という状態のみが吸収できる光も照射する.もしRb原子がこの光を吸収すると,反動で原子が吹き飛ばされBECから脱落する.従って,元の系にもし|2,0>という状態が存在すると,|2,0> → |1,0> → 脱落,という経路を辿ることになる.これは一種の「|2,0>が存在するかどうかの測定」として働くため,|2,2>(初期状態)からスタートする系に対し十分連続的にこの遷移が引き起こせれば,「|2,0>が居ないことを確認し続ける測定」が行われる結果として系は|2,0>には決して遷移できなくなる(量子ゼノ効果による遷移の禁止).
|2,0> → |1,0>への励起光を入れない元々の状態
|2,0> → |1,0>への励起光を入れた場合(=|2,0>への遷移を量子ゼノ効果で禁じた場合)
|2,0>という状態を経由することが許されなくなるため,もともと5個の状態の間で混合されていたものが,|2,2>と|2,1>の混合,|2,-1>と|2,-2>の混合,という二つのブロックに分割されることとなる(ただし,|2,2>からスタートした場合は|2,-1>や|2,-2>には到達できない).
そんなわけで結果である.
最初の方に述べた通り,これまで報告されていた系が「特定の状態に閉じ込めて,そこからの遷移を禁じる」というものだったのに対し,今回の実験では「系の取れる状態をいくつかのブロックに分割し,その間での移動は禁じるが,ブロック内での混合は許す」という形での量子的な制御が実現できた点が新しい. |
119. 簡単な構造で実現できる音ダイオード構造
"Sound Isolation and Giant Linear Nonreciprocity in a Compact Acoustic Circulator"
電流を一方にしか流さない素子であるダイオードは非常に多くの場所で使われているし,光学的なダイオードの類似物である光アイソレータ(一方向に光を通し,逆には通しにくい)も非線形光学効果や磁気光学的な効果などを使うことで実現されている. *音の非線形効果を使ったりした実験はあるが,効率が悪かったり大がかりな装置が必要.
今回報告されたのはこの「音版のダイオード」を,非常に単純な構造を使って実現した,というものである.
これを使ったのが今回の著者らの実験である.
何というか,凄まじく単純かつ明快な構造である.こんなもんで(特定の波長用とは言え)音版のダイオードが出来るってのは,これまでの様々な研究での検討は何だったのかと言いたくもなる. |
118. ナノ粒子:ゲルや生体組織の接着に最適
"Nanoparticle silutions as adhesives for gels and biological tissues" 接着剤は現代社会の様々なところで使われており,日用品の組み立てから海底や宇宙で利用される機器まで,実に多種多様なものをくっつけている.しかしそんな接着剤にも比較的苦手な分野が存在する.それがゲルの接着である.ゲルというのはまあ高分子などが作る網目の中に溶媒が取り込まれたものであり,重量の大部分が液体でありながらも固体としての形を保っている物質だ.身近なところでの代表例としてはコンニャクやゼリー,豆腐などが挙げられる(重量の90-97%程度が水分).
なぜゲルの接着が難しいのだろうか?接着剤は通常,主に3つの作用により対象を接着していると考えられている.
今回著者らが報告しているのは,新しい発想に基づくゲル&生体組織用接着剤である.
では,実験結果を見てみよう.ゲルとしてはpoly-dimethylacrylamide(PDMA)のゲルを用い,ナノ粒子としては市販のシリカナノ粒子(Ludox TM-50,粒径30 nm程度)を使っている.なお,PDMAはシリカに吸着する事が知られている.接着はゲルの表面にナノ粒子の分散溶液を塗布し,もう一枚のゲルを乗せて手で30秒ほど押さえるだけである.
さてこの接着剤,面白いことに生体組織の接着にも利用できる.生体組織の接着というのは医療用に需要が大きいのであるが,水分が多く柔らかい生体組織の接着においてはゲルの接着と同じようなことが問題となっている.
この接着剤のもう一つの利点は,剥がれても再接着できる点である.
というわけで,意外に単純な発想から結構面白い接着剤が出来る(かも),という論文であった. |
117. (多分)低コストでメタルフリーな流動電池
"A metal-free organic-inorganic aqueous flow battery"
各種電池が一大研究分野である事は周知の事実であるが,今回取り上げるのはその中でも超大型の蓄電設備用の電池である.
そんな各種特性にマッチした電池として,「流動電池(Flow Battery,またはRedox Flow Battery)」というものが研究されている.これはどういうものかというと,電池の活物質(実際に酸化還元を起こして電力を蓄える物質)を全て液体中のイオンとしてしまった電池である(住友電工の公開している解説論文を参照のこと).
V(4+)O2+ + H2O ⇔ V(5+)O2+ + 2H+ + e- という酸化還元が起こり,電気を充電・放電することが出来る.この流動電池を通常の電池と比較すると以下のような違いがある.
通常の電池
流動電池
となる.イメージ的にはポンプから順次燃料を供給する燃料電池(しかも充電も可能)に近い(実際にはタンクは循環型だったりと違いはあるが).
今回報告されたのは,キノン系の酸化還元を用いた金属元素を使用しない流動電池である.
まず電圧であるが,他の流動電池と同じく水を溶媒に使っているので,セルの最大起電力は1.5 V弱である(これ以上になると水が電気分解してしまう).電極での単位面積当たりの出力密度は0.6 W/cm-2以上(@1.3 A/cm-2)であったが,これは(結構特性の良い)燃料電池などとほぼ同等の値となる.また酸化還元に関わるAQDSが有機分子であるため,置換基を導入することで起電力の微調整を行う事も可能であった.金属イオンを利用する通常の流動電池では水への溶解度と起電力や安定性を変えるには用いる元素を変えたりといったことが必要なのだが,今回のものなら有機合成により様々な特性を持った分子へと変更が可能で,物質開発の幅が一気に広がる.クーロン効率も95 %程度とそこそこ高い.クーロン効率というのは充電時に詰め込んだ電子が何割取り出せるかを表す量であり,充放電の過程で余計な酸化還元が起こってしまうと減っていく.逆に言えば,これが高いと言うことは目的の化学種だけが綺麗に酸化還元を起こしており,余計な副反応はほとんど起きていないと言うことだ.
さて,本システムの利点をまとめておこう.
と言うわけでなかなか筋が良さそうな電池技術であるのだが,個人的な感想としては「その手の組み合わせ,今までほとんどやられてなかったの!?」という感じだ.上で述べた通り,キノン/ヒドロキノン系は生体分子でいえば酸化還元の基本中の基本である.てっきり既にいろいろ検討されているものかと思いきや,そうでも無かったらしい. |
116. 常圧で安定かも知れない純窒素固体
"Calculations predict a stable molecular crystal of N8"
窒素分子というのは窒素原子二つが三重結合で結ばれた分子であり,その強い結合ゆえに非常に安定な(=エネルギーの低い)分子である.一方,窒素-窒素間の単結合や二重結合は比較的安定性の低い弱い結合であり,これらの結合を含んだ分子は分解して窒素分子を生成しようという傾向が強い.有機化学の世界においては,「どこまで窒素原子を詰め込めるか?」というようなある種のエクストリーム合成とでもいうような研究分野が存在し,これまでに例えばC2H2N10という,2つのC-H部位以外は全部窒素という化合物や,N5+[B(N3)4]-といった分子の重量の96%以上が窒素という化合物など,ちょっとどうかしてるんじゃないか?という化合物が合成されている.
さて,そんなエクストリーム窒素化合物を研究している人々の究極の目標の一つが,純粋に窒素原子のみからなる物質の製造である.実はこれは極限状況下(ダイヤモンドアンビルで加圧しておき,レーザーで瞬間的に加熱する手法)では既に実現されており,cubic-gauche構造の窒素(cg-N)として知られている.これは2000 K以上の高温,110 GPa(約110万気圧)で圧縮した際に生じた構造であり,窒素原子は3本の結合により互いに結び付き,無限に連なるポリマー状となっている.
今回の論文が報告しているのは,量子化学計算による「そのような窒素固体が可能である」という結果である.
今回計算されたN8の結晶構造は,通常の窒素分子の高圧下での構造と原子の位置や密度が非常に大きく異なるため,既知のcg-Nと同様に構造転移(高圧下で生成したN8を低圧にしていった時に,通常のN2分子の固体へと分解する転移)において大きなヒステリシスを示すと予想される.著者らがこのヒステリシスを見積もったところ,大気圧化でも準安定な状態として存在できるのではないか?と予想された.これはなかなか大した結果である.もしこれが正しければ,窒素ガスを圧縮し高圧下で一度この構造にしてしまえば,あとはゆっくり減圧するとこの「純窒素(N8)の結晶」を手に取る事が出来るという事だ. 最近の量子化学計算は(不対電子を持つ開殻系分子を除けば)だいぶ精度も上がってきており,このぐらいのサイズの分子だとかなり正確な結果を与える事が多い.という事で実際にN8の結晶が取り出せる可能性もあるわけで,なかなか興味深い.(2013.12.20) |
115. 火星の地中に風は吹く
"The martian soil as a planetary gas pump"
火星の環境というのは非常に盛んに研究されているテーマである.地球の双子と言われるほどにそっくりな条件でありながら,ほんの少しの違いで劇的に変わってしまった現在の様子であるとか,将来の有人探査に向けた水やら酸素やらの確保であるとか,様々な視点からの研究が行われている.
ご存じの通り,火星というのは気圧が低いが,といってもある程度の大気はある,という微妙な状態にある惑星だ.大気の大部分は二酸化炭素でその圧力はおよそ6 mbar.地球の0.6-0.7 %程度でしかない.これだけ薄いと気体分子の平均自由行程(分子同士がぶつからずにどのぐらいの距離進めるか,という目安)は0.01 mm(218 Kでの値)と,地球の場合(〜100 nm)よりも遙かに長い距離となる.
そういった希薄気体の動力学はクヌーセン先生が100年ほど前にいろいろ調べているのだが(そのため,クヌーセン数やクヌーセン層,クヌーセンセル,クヌーセン流等々,様々なところに名前が残る),その結果の一つに「クヌーセンポンプ」というものがある.
話を火星に戻そう.
その結果であるが,まず地表の光が当たっている部分から上方に向け勢いよく気流が噴出し,大きく弧を描いて離れた地表に吸い込まれる,という気流が観測された.これはクヌーセンポンプの効果から予想されるものと等しく,「単に光で加熱された部分の気体が膨張して気流を起こした」というものとは大きく異なる.単なる膨張ならすぐに効果が飽和するのだが,観測された気流は自由落下の数秒間,定常的に流れ続けた.しかも単なる熱膨張なら加熱された部分から四方八方に吹き出すはずだが,まるで磁石から出てくる磁力線のように上方に吹き出す流れが観測されたわけだ.
著者らは最後に,この実験で得られたパラメータや火星表面の実際の気圧や温度などを使い,火星で実際にこのクヌーセンポンプ由来の流れがどの程度の影響を与えているのかを見積もった.火星においても,岩陰とその隣の日の当たる場所などでは十分な温度差が生じる可能性があり,その場合には秒速1.6 cm程度の「風」が地表の下2 cm程度までの領域を流れている可能性がある,という結果を得た.
まあもちろん,「これまで考えられてきたよりは活発に」という話であって,地球上で見られるほどダイナミックに動いているわけでは無い. |
114. 休眠状態の細菌にも有効な新たな抗菌剤
"Activated ClpP kills persisters and eradicates a chronic biofilm infection" 抗生物質の開発は人類社会の衛生状況を劇的に改善したが,万能というわけでは無かった.よく知られているのは耐性菌の発生であるが,もう一つ,「休眠状態にある細菌への対処」というやっかいな課題が残されている.
通常用いられている抗生物質のメカニズムは,細菌の重要な代謝経路の一部をブロックするというものである.細菌が生きていくためには様々な化学種を生成する必要があるが,抗生物質はそのうちのどれかを合成するタンパク質に特異的に結合しその機能を阻害する.その結果,生存に必要な物質を作れなくなった細菌が死滅するわけだ.
さて,今回の論文で報告されているのは,通常の抗生物質とはその効き方がだいぶ異なる物質である.前述の通り,通常の抗生物質は「細菌内で活発に動いている必須の代謝を止めることで細菌を駆除する」というものであり,それゆえ代謝がほとんど止まっている休眠状態の細菌への効果は低かった.これに対し今回報告されたのは,「休眠している細菌内のタンパク質分解プロセスを加速し,それによる自食で自壊させる」というものである. *高いエネルギーを持つ分子であり細胞内のエネルギー通貨.細胞はエネルギーをATPの形で蓄えておく.エネルギーが必要なタンパク質は,ATPを捕まえてこれを加水分解,その時に発生するエネルギーを使って様々な反応を駆動する.
今回用いられたADEP4という物質は,ClpPと結合してその活性部位を開きっぱなしにしてしまう化合物である.タンパク質の加水分解自体は自発的に進む発熱反応なので,活性部位が開いたままのClpPはタンパク質にとりついては切る,とりついては切る,と,周囲にあるタンパク質を片っ端から切っていく物質へと変化してしまう.これを利用して細菌を殺そうというわけだ.これなら,代謝がほとんど止まっている細菌であっても関係無く排除できるはずである. というわけでまずは「どれだけのタンパク質に効果があるのか?」の検証である.まずメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA,多剤耐性菌の代表例)をターゲットに選び,休眠状態で発現しているタンパク質を調べたところ1712のタンパク質を検出した.次いでこの細菌に対しADEP4を投与したところ,検出量が減少したタンパク質が243種類(確度95%以上),少なくとも一部が切断されたタンパク質が174種類(同95%以上)と,少なくとも417種類のタンパク質を破壊できることが明らかとなった.過去の報告とは異なり,ClpPの活性化は増殖途中以外においても細菌中の多数のタンパク質を破壊できるようだ.
では実際の細菌に対して,どの程度の殺菌効果があるのだろうか?ADEP4や様々な抗生物質を投与し,細菌数の増減をモニターしている.ここでは実に様々な実験が行われている.
では,最初から休眠状態に入っている細菌集団の場合はどうだろうか?休眠状態の細菌に対し,シプロフロキサシン,リファンピシン,バンコマイシン,リネゾリドという代表的な抗生物質を投与しても,細菌数の変化は全くと言って良いほど確認できなかった.一方ADEP4の場合,1日後には4桁ほど数が減るという劇的な効果が確認された.確かにADEP4は休眠状態の細菌に良く効くらしい. ならばADEP4はあまり役に立たないのかというと,そうでは無い.ADEP4と既存の抗生物質を休眠状態の黄色ブドウ球菌に同時に投与すると,細菌数を劇的に減少させほぼ検出限界程度にまで落とすことが出来たのだ. さらに実験を進めた結果,面白い結果が判明した.
・ClpPが正常なら,休眠状態であろうとADEP4で効果的に殺菌できる.
つまり,ClpPそのものは黄色ブドウ球菌の生存に必須では無いが,欠けると薬剤耐性や熱耐性が激減し,他の手法での殺菌が非常に行いやすくなったのだ. 経路をブロックするのでは無く,自壊に繋がるよう一部を暴走させるというアイディアはなかなか面白いし得られた結果もかなり有望なものである.近年の抗生物質の乱用から耐性菌の出現速度も上がっており,こういった新しい発想での治療法の進歩には期待したい.(2013.11.23) |
113. 変わり者が好まれる(少なくともグッピーの場合)
"Mating advantage for rare males in wild gupy populations"
自然界において,遺伝的多様性は非常に重要である.様々な異なる遺伝子を持つ集団であれば,各種の疾病が発生したり突発的な環境変化があった時でも一部の固体は生き残り,その集団が全滅する事を防げる可能性が上がるためだ.
今回報告されている論文は,グッピーの集団においてそういった「変わり者を選ぶ」という傾向がはっきりと観察できたよ,というものだ.
結果には非常に顕著な差が現れた.
実験結果はこうなったのだが,「どうしてこのような『変わった奴に惹かれる』という特質が生まれたのか?」という点については今後の研究待ちである. |
112. 大きなひずみによって誘起されるニッケルの超硬・高安定構造
"Strain-Induced Ultrahard and Ultrastable Nanolaminated Structure in Nickel"
金属材料は,一塊に見えてもその内部は非常に多数の微結晶(ドメイン)から形成されている.微結晶の接合部分は格子の向きが違っているものが接してており,不整合な原子の並びとなる(粒界).この粒界,意外な事に(そして金属業界では常識な事として)数が多ければ多いほど,つまり結晶ドメインのサイズが小さければ小さいほど,金属材料の(低負荷域での)硬さが上がる,という特徴がある.これは一見不思議な現象である.粒界部分は格子が不整合であるため,原子の結合が弱い.そのため大きな力を加えると,強度の弱い粒界部分が剥がれるような破壊が起こる.にもかかわらず,なぜ粒界が多い方が強度が高いのだろうか?
このため金属材料の分野では,「いかにして結晶サイズを小さくするか?(粒界を増やすか?)」が検討されてきた.例えば身近なところで使われる鋼材においても,冷えた状態の鉄をローラーで挟んで無理矢理薄くする冷間圧延であるとか,板材を上下からプレスし,そのまま上下の押さえを逆回転(回転させるのは,上下のうち一方で良いが)させ板材をねじる(HPT加工:高圧ねじり加工)など,金属内に強烈な歪みを加える加工法が多数実用化されている.
さて,今回の論文で報告された構造は,これまでに無いほどの硬さと,非常に高い熱安定性を示すニッケルのナノ構造である. この「表面にだけ,1方向に向け生じた歪み」がニッケル表層に作る構造はなかなか興味深いものとなった.Supplementary MaterialのFig. S3を見てもらうとわかるのだが,「表面だけが1方向に引きずられる」という効果により,ニッケルは幾枚もの薄層に引きちぎられ,まるでタマネギのように多数の薄膜が積み重なったような構造へと変化している.当然のことながら,薄膜の積み上がっていく方向というのは,ロッドの半径方向になる.この薄層の厚みは20 nm程度であった.厚みと直交する面方向のサイズはどの程度かというと,これは深さに依存する.最表面のもっとも歪みの強い部分では,厚みの数倍程度(100 nm前後)の広さである.まあ,切り餅のような感じだ.これがもっと深い部分では厚みはほぼそのままに広さが増えてゆき,最終的(次に述べるが,80 μm程度の深さ)には厚みの数百倍以上,つまり数から数十 μmという非常に広い面へと変化する.まあ身近なところで言うとボール紙程度のアスペクト比といったところか.面白いのは,積層した薄膜間で結晶方位のずれが非常に小さい点である.もともと一つの繋がった結晶だったものを引きずりにより生じる歪みでちょっとだけ変形させたものであるため,積み重なった薄層の間での結晶の向きのズレはわずか3°や7°とかなり小さい.これは通常の微細化加工(結晶の向きはほぼランダムになる)に比べると特徴的である. 構造を深さ方向に見ていくと,最表面から80 μm程度までの表層部分はこのナノ薄層構造となっていて,一枚のナノシートの厚みはほぼどの位置でも似たようなものであった.これより深い領域(80-140 μm)では一般に超微細粒(UFG:ultrafine-grainde)と呼ばれるサブミクロンサイズの粒径を持つ金属へと変化しており,こちらはまあ一般的な「微粒化により強度が向上したニッケル」だ.これより深い位置では加工処理の影響は無く,元々のニッケルロッドの単結晶的な均一構造がそのまま残っている. では,肝心の強度はどうだろうか?最表面のビッカース硬度を測定したところ,6.4 GPa程度の非常に高い硬度が確認された.これは通常の超微細化法によるものの1.5-2倍程度に達する.この強度は,通常の超微細化法における強度-粒径サイズ直線を補外したものに乗っており,単純に「粒径20 nmの場合のニッケルの強度」と一致する.板状で幅方向には非常に大きなサイズであっても,厚みが20 nmと薄い点で強度が出ている,と考えれば良さそうだ.これだけ細かい粒径の金属材料というのは機械的加工で作る事はなかなか難しいので,今回のような単純な手法で出来るというのは興味深い.
さらに面白いのは,熱に対する耐性である.前述の通り,微細化すればするほど熱の影響を受けやすく,その優れた強度を維持できる温度域は狭くなる.例えば既存のニッケル材料がどの程度の温度から粒子の融合(=粒界の減少)が始まるのかというと,超微細化ニッケルで467 ℃あたり,より細かなナノ化ニッケルで443 ℃であった.まあこの温度はオフセットで定義しているので実際の粒径の増大はもうちょっと低いところから始まる,とか解析上の細かな点はあるが,それは今回は置いておこう.これに対し,今回の手法で加工したニッケルでは,粒径の増大は506 ℃になってようやく起こるのだ.つまり,既存の超微細化やナノ化ニッケルよりも細かい粒径(ただし厚み方向)とより高い硬度を持ちながら,熱に対する安定性はこれらよりも高いわけだ.通常は粒径を小さくすれば熱に弱くなるので,これは非常に面白い傾向である.
このナノ薄層構造,著者らが調べたところでは,銅の加工においても(構造は)報告例があるらしく,ニッケルに特有の現象ではなさそうだ.つまり,似たような構造は様々な金属でも作成できる可能性がある. |
111. 正負逆の質量を持つペアによる自発的な加速
"Optical diametric drive acceleration through action-reaction symmetrey breaking"
二つの物体間に力が働くと,作用とそれに正反対の向きを持った反作用が同時に生じる.例えば二物体間に引力が働けば,両者は逆向きの方向に加速され,重心位置を変えないまま相対速度が変化する.これはニュートンによる運動の第三法則であり,非常に重要な項目だ.
力の向き この奇妙な運動はR.L. フォワード(「竜の卵」のあの人である)によっていろいろ検討され,diametric driveという宇宙船の推進方式として提案されている.要するに,棒の片側に正の質量物質,反対側に負の質量物質をくくりつけておくと,両者の間の引力(斥力でも良いが)により棒(とそれにくっついた二物体)は燃料も推進剤も無しで勝手に加速していく,というものだ.こんな奇妙な運動にもかかわらず,運動量とエネルギーは保存している(正の質量の運動量やエネルギーが増えた分,負の質量の運動量やエネルギーがマイナスにるため).もっとも,負の慣性質量を持つ物質などというものはもちろん見つかっておらず(ただし,存在するかも?という仮説はある),こんな推進手段は現実のものとはなっていない.
ではここで目を違う分野へと広げてみよう.結晶中の電子など,周期的ポテンシャルの中を運動する波においては,その(準粒子としての)質量はバンドの曲がり方に依存する.その準粒子の有効質量は,「エネルギーを波数で2回微分したものの逆数」に比例するのだ.このため,バンドのどの位置を占める電子なのかによって,有効質量は正であったり負であったり,ゼロであったり無限大であったりする.
そういう発想で行われた実験が,今回の論文である.ただし今回用いられたのは電子では無く光となる.しかし,光に対し周期的なポテンシャルを作るのは面倒くさい.正確に言えば短い距離の構造なら出来なくは無いのだが(フォトニック結晶など),それだと一瞬で光が通り抜けてしまうので,「正の質量を持った光と,負の質量を持った光が互いに引力を及ぼし合い,同じ方向にすっ飛んでいく」というのを確認するのは困難だ.そこで今回は,ちょっとトリッキーな方法で周期的なポテンシャルを用意した.
ここに生じる光の波束の運動は,バンド構造を作る.そして「正の有効質量を持った光の波束」というものと「負の質量を持った光の波束」というものを作る事が可能になる.次は両者の間に相互作用を持たせないといけないが,それは光ファイバーそのものの非線形性を利用した.光の強さが強いほど位相のズレが大きくなる,というものによって,「一方の波束しか居ない」場合と「波束が重なっている場合」とで違いが生じるわけだ.つまり,波束がバラバラでいる時と,近くに居る時とで応答が変わる.これは二つの波束間の相互作用に他ならない(言い方を変えると,「相互作用と見なせる」となる).
結果は,要点だけ抜き出せば非常に単純なものだ.理論からの予測通り,二つの波束は同じ方向に加速されたのだ.つまり,「正の質量の物体と負の質量の物体が相互作用すると,同じ方向に加速してすっ飛んでいく」というのが実際に観測されたと言えよう.
まあ,負の質量の物体が見つかる見込みは(少なくとも当分は)無いので,これが発展してdiametric driveが実現する,なんてことは無いのだが,著者らは「波束の新たなコントロールの手段として考慮してみては」と提案している.よく知られたように,光は現代の量子効果の検証・利用だの,様々な計測や通信などに使われている.今回見られたような効果を使って,波束を相互作用させてその周波数をずらすことが可能になるので,そういった波長コントロールとしてどうよ?というわけだ. |
110. 微細構造とレーザーを使った超小型電子加速ユニット
"Demonstration of electron acceleration in a laser-driven dielectric mirostructure"
加速器は素核分野の研究や各種物性研究においてなくてはならない装置である.粒子(主に電子であるが,時にプロトンやより重い原子核も利用される)を加速し衝突させることで高エネルギー現象を発生させたり,加速した電子からの放射光(要するに,強烈な光)で様々な測定を行ったり,はたまた加速した粒子を利用して中性子や他の不安定核種を作ったり,とその用途は非常に広い.
では現代の粒子加速器がどうやって荷電粒子を加速しているのかと言えば,「加速空洞」というものを利用している.非常に簡略化して言ってしまえば,加速空洞というのは加速したい粒子の入口と出口,そしてマイクロ波の導入部が付いた大きな金属性の容器である.容器の形状・サイズを適切に選ぶと,特定の周波数のマイクロ波がこの容器内部で共振し,定在波が発生する.このとき,定在波の電場の向きが電子の進行方向(加速方向)と平行になるようにするのがポイントである.大出力のマイクロ波を加速空洞に導入し共振させると,電子の通り道に周期的に電場の振動が表れる.この電場は電子を加速する方向,減速する方向の2方向に,交互にマイクロ波の周波数で振動することになる.もしこの加速空洞に電子が侵入した瞬間に電場の向きが「電子を加速する方向」を向いていれば,加速空洞を通り抜けた電子は最初よりも大きく加速されて出てくることになる.これが加速空洞の原理である.
さてこのような加速空洞であるが,どうしてもサイズが大きくなのは避けられない.そもそもマイクロ波の波長がそれなりに大きいので(数十 cmレベル),加速空洞のサイズはメータースケールになる.その一方で,輝度は低くても(=一度に加速できる粒子は少なくても)小型で使いやすい加速器があれば,わざわざ大型加速器に出かけなくても各種測定を様々な場所で使いたい時に使えるようになる.どうにかして小型の加速空洞は作れないものだろうか?
著者らが作成したのは,石英の板の中に「╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋」という空洞が彫り込まれた構造だ(削った石英版2枚を貼り合わせて作成).模式図はこちらの図の(a)を見ていただきたい.繋がった直線状のトンネル部分を電子が突き抜けていき,その上下に棒状に広がった空間が光の定在波が立つ共振器部分になる.共振器と共振器との間隔はおよそ800 nm程度,共振器は電子進行方向に対し数百個が並び,全体としては長さが1 mm弱程度になる.
著者らが実際に行った実験では,このチップ状加速部に対し,60 MeVに既に加速されている電子集団を打ち込み,チップから抜け出てくる電子集団がどの程度加速されるのか,をエネルギー分解によって観測している.その結果,加速空洞内に定在波を作るためのレーザーをonにすると,元々の電子からさらに60 keV程度加速された集団が生じ,レーザーをオフにするとそれらは元のエネルギーに戻る,という事が観測された. ※ちなみに,今回入射している電子集団は非常に長いので,定在波と位相が合わずに逆に同じだけ減速された成分も存在するが,まあそれは実験上の問題であって,原理そのものに問題があるわけではない. 加速用レーザーの強度を変えていくとこの共振器内に立つ定在波の強度(=その場の電場の強さ)も変わり,それにより電子が加速される度合いも変化する.このため,本共振器を用いた粒子加速では,加速度合いをレーザー光強度によって簡単に変化させることも出来る.レーザーのパルス強度を0.9 mJから0.3 mJ程度まで上げると,加速勾配は250 MeV/mにまで上昇している. 現時点で達成されている加速性能は非常に微々たるものであり,60 MeVの電子をわずか1/1000だけ加速したに過ぎない.しかしこういった構造を用いた加速系の開発がより進めば,ベンチトップやデスクトップ程度のサイズの加速粒子線源であるとか,持ち運び可能なサイズの各種分析装置,などいろいろな装置への組み込みが行われる可能性もあり,面白い方向だ. #道は遠いが.(2013.10.3) |
109. 光によりコントロールできる抗菌剤
"Optical control of antibacterial activity"
様々な抗菌物質の開発は人類,特に病院における患者を感染症から守り,非常に大きな利益を人類にもたらしてきた.現在ではあまりにも多くの場所で多量に抗菌剤が使われるため,河川や沿海と言った場所にまで多量の抗菌剤が流出している.これは大きな問題である.耐性菌が出現してしまうのだ.自然界に広く抗菌剤が行き渡ってしまえば,それに対抗できる菌の生存性が(相対的に)高くなることで大きな選択圧が働き,自然界における耐性菌の比率が劇的に高まる(実際にそのような現象が確認されている).この傾向は最終的には病院等での感染の拡大を招き,公衆衛生上マイナスとなる.
著者らは,分子の途中にアゾ基(R-N=N-R')を組み込んだ抗菌剤を開発した.アゾ基部分は二重結合を持つので通常は回転できないのだが,特定の波長の光を当てると自由に回転できるようになるという特徴を持つ.立体障害などの関係で通常はRとR'とは二重結合の反対側に位置していた方(トランス体)が安定であり(ぶつからないのでエネルギーが低い),紫外光をあてると回転が始まることにより,RとR'が同じ側に来た分子(シス体)が一部生成する. これの何がありがたいのかと言えば,「使う時だけ抗菌作用を持ち,環境中に放出された後ではほとんど抗菌性を示さない.そのため耐性菌の蔓延を予防できる」と言う点である.現在自然環境中での耐性菌の増大が起こっているのは,自然環境中に多量の抗菌物質が残ってしまうからだ.環境中に放出された抗菌物質が自動的に無効化するなら,耐性菌は広まらない(通常,耐性を維持するには余分のコストがかかるので,生存上不利になる).
発想としてはなかなか面白いと思うが,これをそのまま実用化するのは困難であろう.使用前に紫外光の照射の必要がある,というのはなかなかに手間である. |
108. 色素増感ではなかったペロブスカイト型色素増感太陽電池
"Efficience planar heterojunction perovskite solar cells by vapour deposition"
色素増感太陽電池というものがある.良く用いられるのがTiO2に色素(金属錯体が多い)を吸着させたものなのだが,色の濃い色素が光を良く吸収,そのエネルギーをTiO2に受け渡し電荷分離を起こすことで起電力を得るというものだ.色素増感太陽電池の利点として良く挙げられるのは以下のような点である.
その一方で,以下のような弱点を持つためほとんど実用化はされていない.
さてそんな中,桐蔭横浜大学の宮坂先生らのグループが開発したのが,有機-無機複合物質であるハロゲン化鉛系ペロブスカイトを利用した色素増感太陽電池である.この物質はハロゲン化鉛(これは負に帯電したユニットとなる)の作る二次元シートと,有機カチオン分子が並んだ層とか交互に積層した物質なのだが,これをTiO2に吸着させると非常に効果的な増感色素となったのだ.2009年にこの基本的な部分が発表された後,2012年にはついに変換効率が10%を超えるものが作成された(スイスのGratzelらは,ついには15%以上をたたき出した).この物質は(鉛というあまり環境によろしくない元素を使ってはいるが)高価な金属などは含んでおらず安価,しかも液相のプロセスが利用できるという事で非常に量産性の高い太陽電池であると期待され,数多くの研究がなされ様々な発見が相次いだ.例えば重要な発見として,担体となるTiO2の構造をうまい具合にナノ・メゾレベルで制御する事が重要である,といったものが挙げられる. となると,これはもはや色素増感太陽電池では無いのでは?という疑問が生じる.本来,色素増感太陽電池というのは,「電荷分離を起こすにはちょうど良いけど,光吸収が弱い物質」と「光吸収が強い物質」を組み合わせ役割分担させることで発電する素子である.ところがこのペロブスカイト系は「自分のところで光を吸収して,そのまま電荷分離を起こして起電力を生んでいる」可能性があるわけで,色素増感と考えるには無理が出てくる.
そういった流れにおいて,とどめを刺すのが今回の論文である.
では,これを使って発電した結果はどうだったのだろうか?
この結果自体は,数ヶ月前の国際学会で発表されていたのを人づてに聞いていたので知っていたのだが,色素増感系をやってる人にとってはがっくりくるような結果であろう.なにせ,「色素増感太陽電池の変換効率が一気に増大!劇的な高効率に!」と思ってそれをさらに進めようとしていたら,「いや,それ,色素増感関係ないから」と突きつけられたのだから. |
107. シロイヌナズナはグルタミン酸受容体様タンパクを使って電気信号を伝達する
"GLUTAMATE RECEPTOR-LIKE genes mediate leaf-to-leaf wound signalling"
動物は様々な感覚器を持ち,周囲の状況に応じて行動や代謝などを大きく変化させる.それに対して植物は静かに生長するのみである……などと考えられていたのは遙か古代の話.現代では,植物は実に様々な手段で外界の情報を得ており,それにより自らの成長やら内部で作る分子やらをダイナミックに変化させていることが知られている. *余談だが,オジギソウなどのシグナル伝達が神経に非常に似ていることから,エーテルをかがせたらどうなるのか?という実験が行われたらしい.その結果,オジギソウにもエーテル麻酔が効くことが示された.エーテルをしばらく嗅がせたオジギソウは触ってももはや葉を閉じなくなる.麻酔が効いているわけだ.その後大気中で放置するとまた通常に戻るそうだ. さて,そんな電気信号が使われているのではないか?と考えられているシグナル伝達の一つが,先に述べた傷害応答である.実は傷害応答は囓られた葉だけではなく,そこから離れた葉にも同じ応答を引き起こし,外敵への防御を固めさせる効果があることが知られている.過去にはトマトを使った実験が行われており,膜電位の関係する信号伝達などが示されている.
今回の論文で報告されているのは,シロイヌナズナの傷害応答である.まずはいくつかの場所(芋虫が囓る葉の複数箇所と,それ以外の様々な場所の葉)に電極を取り付け,どんな変化が表れるのかを観測した.葉が囓られると,その周囲の細胞の膜電位は大きく低下し,それが次第に遠方の細胞にまで伝わっていく様子が観測された.単に葉に触れたりしただけではこのような変化は観測されず,葉が傷つくことが重要であった.同様の電位の低下は葉に冷たい水を垂らす,と言った刺激でも生じたが,その時間変化は大きく異なっていた.葉に傷が付くような大きなダメージの場合は,電位の低下が長く続き,しかも周期的にパルス状に電位が低下する信号が送り続けられたのだ(もちろん次第に減衰していくが).人間で言うなら,「怪我したら痛みが長く続いて,しかも周期的に痛む」とでも言いたくなるような状態だ(もちろん植物がそう感じるわけではないが).
膜電位の変動は,傷害応答のきっかけとなるシグナルなのだろうか?それとも傷害応答の単なる結果なのだろうか?それが次の疑問である.もうちょっとかみ砕いて言えば,シロイヌナズナは信号を電気的シグナルとして伝えているのか,それとも別な何かで伝えていて,電位の変化はそこから引き起こされる何かの結果なのか?という事である.そこで著者らは,純粋に電気的な手段で傷害応答を引き起こせるのか?を実験した.まず葉に非浸食性の電極を取り付け,非常に弱い電流を流すことで周囲の膜電位を低下させたのだ. *ジャスモン酸は傷害応答の第一段階である.これ自体が有用であることに加え,ジャスモン酸は様々な耐傷害のためのメカニズムをトリガーし,傷害応答をコントロールする.
電流刺激により葉でどのような遺伝子が活発に働くようになったかを調べると,「電流刺激で活性化された遺伝子」のほぼ全ては,「傷害応答時に活性化する遺伝子」に含まれていた.この結果は,「傷害応答」には,電気的シグナルによって活性化するものがある,つまりシロイヌナズナが電気的信号を利用して傷害応答(の一部)をトリガーしていることを強く示唆している.また,「電流は単にジャスモン酸の生成量を増やすだけで,それが他の傷害応答もトリガーしただけなのでは?」というわけでもない.ジャスモン酸の合成部分をノックアウトした株であっても,電流刺激によりその他の傷害応答が観測されたからだ.
では,一体どのような分子がこの電気的シグナルの伝達に関与しているのだろうか?著者らが目を付けたのが,グルタミン酸受容体様タンパク質(GLRs)である.動物ではイオンチャンネル型の受容体が神経信号の伝達に大きな役割を果たしていることが知られており,グルタミン酸受容体はその中でも重要度の高い分子である(脳神経などで重要な役割を果たしている). まとめると,
・シロイヌナズナは電気的信号を「葉が囓られた」と言うような事実を伝えるためのシグナルとして使っている.
という事になる. |
106. 窓をアップグレード
"Tunable near-infrared and visible-light transmittance in nanocrystal-in-glass composites"
タイトルはNatureの表紙の文言より. 今回著者らが報告しているのは,アモルファスなガラスとなる母材に,別な材料からなるナノ結晶をあらかじめ混合しておき,熱処理を加えるだけで「ナノ結晶含有ガラス」とするという,ある意味非常に原始的な手法によるガラスの作成である.画期的だったのは,その組み合わせをうまいこと選ぶことで,電圧印加によりガラスの透明度を大きく3状態で変化させることの出来る「賢い窓」(Smart Window)を作ることに成功した点だ. 彼らが作成したのは,アモルファスの酸化ニオブを母材とし,その中に酸化インジウムスズ(要するに,ディスプレイなどの透明電極として使われているITO)のナノ結晶を埋め込んだものである.作成法としては,デカニオブ酸([Nb10O28]6-)のテトラメチルアンモニウム塩([(CH3)4N]+6[Nb10O28]6-)の水溶液の中にITOナノ結晶を分散させておき,それを400 ℃ほどで熱処理するというものになる.ニオブの酸化物はニオブを中心に6個の酸素原子がくっついた8面体構造をとる.得られたガラス中ではこの8面体構造が辺を共有したり(隣接する2つの8面体が,2つの酸素原子を共有),頂点を共有したり(隣接する2つの8面体が,1つの酸素原子を共有)することによりランダムなネットワークを作りアモルファスなガラス母材となっており,その中にITOのナノ粒子が多数浮かんだ複合物質を形成している.これまでの結晶を析出させるような合成法と大きく違うのは,ITOの体積比を非常に広い範囲で変えられる点だ.組成の異なるナノ結晶を析出させるような場合だと,どうしても可能な混合比が限られてきてしまう.入れすぎれば完全に分離した二相になってしまったり完全に混合した均一なアモルファス相になってしまったりするし,少なければ結晶が析出しない.それに対し今回の手法だと,ITOの体積分率で0〜69%と,ほぼ任意と言って良い比率の複合ガラスを作成して見せている.この混合比の幅広さは,物性のコントロールの面からは非常に重要である.
この材料で一番面白いのは,その光学特性だ.ナノ粒子として混ぜ込んだITOは,電荷(電子)を注入すると赤外領域での不透明度が格段に向上することが知られている.一方の母材である酸化ニオブは,電場の印加により可視領域での吸収が大きく変化することが知られていた.今回の材料はこの二つを組み合わせたことにより,近赤外と可視光の二つの領域での透明度を可変にすることに成功したのだ.
これまでにも偏光板と液晶でガラスを挟み込む事で似たような事をやっている例はあるが,その場合は偏光板を通してしまうため透過率が常に半分以下という問題があった.本手法では,透過させる場合はかなり高い透過率を維持しつつ,しかも赤外だけ遮断したり,可視光も遮断したりと複数の遮光を切り替えられるなど,非常に高機能な材料に仕上がっている. |
105. ナノダイヤモンドを用いた空間・温度分解能の高い温度計
"Nanometre-scale thermometry in a living cell"
新たな測定手段の開発は,科学・技術を大きく進歩させる.測定手段無しでの研究というのは目を閉じて歩き回っているようなものであり,目的の場所に到達するのは非常に困難になる.「今どうなっているのか?」であるとか,「この外場を系に加えたらどういう変化が起きるのか?」を知ろうと思うなら,サンプルを何らかの手段でモニタリングする必要があるのは自明であろう.そのため,先端科学の分野では「測定手段の開発」は一大領域を成している.
細胞内の温度を測定する手段として,近年盛んに研究が行われているのが蛍光性分子の利用である.遺伝子組み換えなどで蛍光分子を生産するように改変した細胞を用い,それら分子をレーザーで励起,蛍光寿命を測定することで温度を測定する.温度が高いほど,励起状態から変な過程(蛍光を発せず基底状態に落ちる過程)を通る確率が上がるため蛍光寿命は短くなる事を利用するわけだ.この手法の開発により,μmレベルの空間分解能と1 ℃程度の温度分解能で細胞内の温度を測定する事が可能になった.
ダイヤモンドを構成する炭素原子は通常4本の結合を持つ.炭化水素の熱分解でダイヤモンドを作成する際に含窒素有機物をほんの少し混入しておくと,欠陥として窒素(通常,結合を3本だけ持つ)を取り込んだダイヤモンドを作ることが出来る.窒素原子の残り1方向には窒素の持つ電子対が伸びているためこちらの方向の隣のサイトには炭素が入ることが出来ず,ダイヤモンド中には窒素(N)と空孔(V)がペアとなったNV中心と呼ばれる欠陥が生じる.このNV中心は電子を捕獲して負に帯電しやすく,その状態だと「空孔に隣接する3炭素から供給された3個の電子」と「窒素から供給された電子対」,「捕獲した電子1つ」の6電子がNV中心に存在する.この6電子は[↑↓][↑↓][↑][↑]とNV中心の位置の軌道に入り(最後の二つの軌道はほぼ同じエネルギーを持ち縮重している),この結果電子2つ分のスピンが生き残っている(この電子2つ分のスピンは,同じ方向を向く). 蛍光分子を使わずにナノダイヤモンドを利用すると,どんな利点があるのだろうか.最も重要なのは,ナノダイヤモンドが化学的にきわめて安定,と言う点である.発光体であるNV中心は,ナノダイヤモンド内に埋め込まれた状態となっている.さらにナノダイヤモンドはきわめて安定で周囲の化学種の影響をほぼ受けないため,周囲にどんな物質がどんな濃度で存在しても,蛍光強度には影響を与えない.これは常に安定した測定が可能であること,それにより精密な温度測定が可能になることを意味している.また,一つのナノダイヤモンドが多数のNV中心を含んでいる点も挙げられる.NV中心は原子2個分のサイズと非常に小さく,ナノダイヤモンド中に数百と言った多数のNV中心を持たせることが出来る.ダイヤモンドは熱伝導性が高いためこれらのNV中心は均一な温度となっており,一つのナノダイヤモンド粒子を測定するだけで,数百個の温度計をまとめて平均化した測定が行えるわけだ.これは測定誤差を大幅に減らす効果があり,精密測定(と,短時間での測定)に有効である.さらに,広い温度範囲で利用可能な点も長所となる.NV中心の発光は少なくとも200 Kから600 Kの温度範囲で利用可能であり,これは温度計の測定範囲もこの程度の広さを持つことを意味している.
では,このナノダイヤモンドを用いると,どの程度の測定が可能になるのだろうか?
著者らはまずナノダイヤモンドだけを用いた測定を行い,1.8 mK程度の不確実さで温度決定が可能であることを示した.これは非常に高い温度決定性である. 現状,空間分解という面ではやや心許ない部分もある.と言うのも,細胞内にあまり多量のナノダイヤモンドを入れるわけにはいかないので,「細胞の中の測定できる点の数」がかなり少なめになっているためだ(実験中では数点程度).とはいえ,個々のナノダイヤモンドの位置自体はきっちり決められているため,そういう意味での空間分解能は高い.またダイヤモンドを使うことでの安定性の高さ(周囲にほとんど影響されず,温度のみが良く測定できる)とその素晴らしい温度分解能にはかなりの可能性を感じる.(2013.8.2) |
104. 金ナノ粒子を用いた伸びる導電材料
"Strechable nanoparticle conductors with self-organized conductive pathways" 伸縮性の導電材料は,体内埋め込み型の小型回路やフレキシブルな電子デバイス用の配線材料として非常に有望であるとともに,多少の力学的負荷がかけられても断線しないという長所もあることから様々な材料が開発されている.こういった材料に一般的に用いられるのは,伸縮自在なポリマー材料の中に,導電性の微粒子(フィラー)を混ぜ込んだ構造で,フィラーとしてはカーボンナノチューブや金属ウィスカー,導電性炭素繊維のような細長い導電体が良く用いられる.このような細長い導電体を混ぜ込むと,
・一つ一つの導電性の粒子が長いので,散乱を受けずに電子が流れる距離が長い.
という2つの点により,低抵抗な導電材料が得られやすいからだ.
・伸縮性が落ちる(導電材料は伸びない)
などの問題も引き起こす.従って,力学的な面から言えば,混ぜ込むフィラーは金属ナノ粒子のような小さくて等方的で,母材となるポリマーを邪魔しないものが望ましい.ただしそうすると今度は導電性が悪くなる恐れがあり,なかなか難しいところだ.
著者らが用いたのは,直径13 nm程度の金ナノ粒子を混ぜ込んだポリウレタンである.金ナノ粒子の表面はクエン酸イオンで保護され,負に帯電している.クエン酸イオンはサイズが小さく,金ナノ粒子同士が接触した際の電子の移動を妨げない.ポリウレタンは途中にテトラアルキルアンモニウム系の陽イオン部位を結合させており,この正電荷が金ナノ粒子の負電荷を引きつける事で,両者の混合を良くしたり,次に述べるLBL法(Layer-by-Layer,交互吸着法)での薄膜作製を可能にしている.
さて,得られたフィルムの特性である.まずフィルム自体は,全面が金色に輝く金箔と見まごうような見た目をしている.電子顕微鏡で拡大すると,100 nmから数 μmの穴が多数あいたポリウレタンの内部に,無数の金ナノ粒子が染みこんだような構造が確認された.スポンジ内に粉が染みこんだような状態なわけだ(サイズはもっと小さいが).
これだけだと今一なわけだが,実はこれらのフィルムは重ねて圧力をかけながら熱を加えることでさらに何枚も束ねたものが作れる(積層処理).LBL,VAFともに5枚ほど重ねた際になかなか良い特性のものが得られている(以下,LBL5,VAF5と呼ぶ).
非常に長く引き延ばせるのは,前述の「フィラーが小さくて球形な粒子だと,ポリマーの変形を妨げない」という点からまあ理解出来る.しかし,なぜ引き延ばした状態でもこれほどの伝導性が維持されているのだろうか?著者らはSEM(走査電顕)やTEM(透過電顕),小角X線散乱などのデータを組み合わせ,その謎を解明している. まとめると,この材料が持つ長所は,
・小さなフィラーを用いているため,非常に等方的で,しかもポリマーの伸びを邪魔せず柔軟に伸張する(最大で5倍弱の長さ).
となる.これはかなり優れた材料である(高価な金の含有量は多いけど). 金を多用すると言うことで価格面にはやや難点があるが,数倍の長さに伸ばしても導電性が維持され,しかもどの方向に伸ばしても良いし,さらには力学特性も電場で変えられる,という非常に面白い素材だ.もしこれが金以外のナノ粒子でも実現でき低コスト化に成功すれば,実に様々な応用が広がりそうだ.(2013.7.20) |
103. 原始惑星系円盤における偏心したデブリ分布は,惑星の証拠とは限らない
"Formation of sharp eccentric rings in debris disks with gas but without planets" 恒星が出来たばかりの原始惑星系においては,恒星の周囲を多数の塵や微惑星が周回していると考えられている.我々の太陽系外園に広がるカイパーベルトも,この塵・微惑星の名残であろう.微惑星は衝突を繰り返し,時として惑星へと成長する(と考えられている).塵の円盤の中に惑星が生じると,恒星の周りを何度も周回する間にその軌道の周囲の塵・微惑星に重力による摂動を与え,結果として軌道上から他の天体(塵や微惑星)を排除しリング状の空隙を作ることとなる.また惑星は多量の質量が一点に集まった存在であるため,きれいな回転対称性を持っていた塵の円盤から見ると非常に対称性が崩れた存在である.そのような「偏った重力源」からの摂動は塵・微惑星の円盤を変形させ,偏心した構造(分布の重心が,恒星からずれた位置となるような構造)を生み出すと考えられている.例えばフォーマルハウトにおけるずれた塵の分布は惑星が存在する証拠では無いか?と考えられているし,最近TW Hydraで見つかった原始惑星系円盤の空隙も惑星によるものだろうと推定されている(こちらは主流の惑星形成理論との齟齬が話題になった).
ところが,である.今回の論文で著者らは,「原始惑星系円盤に偏心的な分布があったからって,惑星がいるとは限らないんじゃ無いの?」という事を示して見せたのだ.
そして今回の論文だ.今回の論文の著者らは,この2005年の論文に基づき,気体存在下での塵の挙動をシミュレートし,単なる空隙やリングだけで無く,偏心した構造までも現れることを示して見せた.シミュレーションとしては,3次元メッシュにおいてガスおよび塵を性質の異なる2種類の流体として扱い,両者の間の熱交換(塵が輻射を受け気体が加熱される効果)と抗力(気体の抵抗で塵が引きずられる効果)を取り入れたものと,2次元座標系で塵をちゃんと質点として扱ったもの(気体は流体として導入),の2種類を用いている.
そんなわけで著者らはこの論文で「空隙だの偏心した構造だのそれなりに離心率のある構造だのが出ても,それだけで惑星の証拠とするのは早計じゃない?」と示したわけだ.もちろんこれまでにいくつか見つかっている「多分惑星だろうという系」に対し惑星じゃ無い,と言っているわけでは無く,「チェックしないと,確定することは出来ないよね?」と指摘しているので誤解無きように.提言としては,「原始惑星系円盤の観測においては,ガス密度を何とか見積もるとか,そういう観測手法の開発がいるんじゃない?」というニュアンスの事を述べている. こうなってくると,原始惑星系円盤からの惑星検出がなかなか難しい事になってくるので,やってる人は大変そうである.(2013.7.13) |
102. 1次元配列した有機分子における室温・弱磁場での超巨大磁気抵抗効果
"Ultrahigh Magnetoresistance at Room Temperature in Molecular Wires"
導電性の物質に磁場をかけると,大抵の物質では抵抗値がわずかに変化する.これを磁気抵抗効果と呼び,通常は1 T程度の磁場(地磁気の2万倍程度,MRIで用いるのと同程度の磁場)をかけても変化量が1 %にも届かないような小さな変化である.強磁性体を用いたナノ構造などを用いると非常に大きな磁気抵抗効果を示すものを作ることも出来,磁場で抵抗を数十 %だの桁で変えるだのといった事が可能なGMR素子やTMR素子が実用化されている.
今回用いられたのは,薄膜(厚さ数十 nm)にしたゼオライトの細孔中にDXPと呼ばれる平板状のπ系分子を詰め込んだものである.DXPはやや細長い板状の分子であり,広がったπ系を持つことからいくらかの電圧をかけると電流を流すことが出来る.ゼオライトというのはSiとAlの酸化物からなる物質であり,1 nm 前後の非常に小さくかつ特定の径のトンネル構造を持つ.しかもこの細孔は合成条件を変えることで径を自由にコントロールすることが可能であり,今回の実験ではこの細孔中にDXP分子がちょうど1分子幅で詰まることが出来るような細孔径が選ばれている.このため作成したサンプル中では,ゼオライトのトンネル構造の中に,DXP分子がまっすぐ一列に配列している筈である. その結果は劇的なものである.磁場を印加すると抵抗は急激に上昇し,15 mTという非常に弱い磁場でほぼ効果が飽和した時の抵抗の変化率は2000 %を超えた.つまりほんのちょっとの磁場を印加するだけで,抵抗が20倍以上に急上昇したのだ.ちなみにフェライト磁石の表面での磁束密度は400 mT程度,ネオジム磁石で1 T以上だが,それらに比べても格段に弱い磁場でこれほど大きな抵抗変化を(しかも室温で)起こせる系はほとんど存在しない.
これほど巨大な磁気抵抗効果は,一体何に由来するのだろうか?著者らが挙げているのが,電子スピン間の相関と核スピンの影響,それを打ち消す外部磁場,というモデルである.
著者らはまず,大元となるこの物質での電気伝導においては,バイポーラロンを作る過程が重要である,と推定している.バイポーラロンというのはざっくりと言えば1つの分子に2つの電荷が乗ったような状態を意味する.例えばある分子の列(-A-A-A-A-A-A-A-)があったとしよう.ここに電荷(−)が注入された時に,バイポーラロンを作りやすい物質だと2つの電子がまとまった状態を作りやすい. -A−-A−-A-A-A-A-A- → -A-A2−-A-A-A-A-A- → -A-A−-A−-A-A-A-A-
ゼオライト中には陽イオンがランダムに存在しているので,その近傍のDXP分子上には電荷がトラップされている可能性が高く,電流として流れる電子はそこを通過しなくてはいけない,というような状況だ. A(↑)-A(↑) →× A-A(↑↑) 移動できるのは,スピンが逆向きだけの時である. A(↓)-A(↑) → A-A(↓↑) では,スピンの「上下」という方向は,何で決まるのだろうか?何も無い空間なら,x軸方向もy軸方向もz軸方向も完全に等価なわけで,スピンの「上下」となる軸がどの方向か,は決まらない.ところがこれが分子中だったり外部磁場のかかっているところなら,分子中の核スピン(一部の原子核は磁石として働き,その弱い磁場が分子上の電子にかかる)や磁場に対し,電子のスピン(磁石として働く)にとって「最もエネルギーの高い向き」と,それと正反対の「最もエネルギーの低い向き」が決まる.するとこの方向が「スピンの上下を判定する軸」(主軸)になる.
ここで話を論文の実験に戻そう. A{核:→},B{核:↑} これらAとBの上に,電子が1つずつ配置された状況を考える.電子のスピンに許される「向き」は,以下の通りである. A{核:→,電子:→ or ←},B{核:↑,電子:↑ or ↓}
ここではたまたまA{核:→,電子:→},B{核:↑,電子:↑}の組み合わせであったとする.原子A上の電子は,B上に移動できるだろうか? A{核:→,電子:→ or ←},B{核:↑,電子:↑ or ↓} において,電子は1/2の確率でAからB(またはBからA)に移動できる.なおこの「1/2」という確率は電子が移動しようと試行するたびに発生するので,最終的には必ず移動できる. さてこの分子の組に,外部磁場がかけられた場合を考える.核スピンが分子上の電子に与える磁場は非常に小さいので,10 mTなどの弱い外部磁場であっても,核スピンによる影響を上回ってくる.そうするとどうなるか?というと,分子上のスピンの主軸(どちら向きでスピンの上下を判定するか?)は,もはや外部磁場だけでほとんど決定されるようになる.例えば磁場が上下方向にかかっていたのなら,核スピンの向きがどうであれ分子上のスピンに許されるのは同じく上下方向だけである. A{電子:↑ or ↓},B{電子:↑ or ↓} さて,ここでまた電子移動を考えよう.もし組み合わせが A{電子:↑},B{電子:↓} なら,電子は必ず移動が許される.ところがもし A{電子:↑},B{電子:↑} なら,これはもうどうやっても電子は移動できない.電子スピンの主軸が核スピンで決まっていた時には,隣接分子間での主軸の方向のずれにより(確率論的に)移動が許されていたのに,主軸の向きが外部磁場によって決められるようになると,隣接分子間でも主軸の向きは必ず一致し,それゆえ同じ向きを向いている電子のペアの間では絶対に電子移動が行えなくなるのだ. この効果自体は実は以前から知られていたのだが,今回の実験では電流が流れるのが「完全な1次元系」(分子が幅1分子で列を成している系)であることがさらに影響を大きくしている.電子が移動していく途中に,どこかで{↑}{↑}という並びが成立してしまうと,そこで詰まって渋滞してしまうからだ.系がもし2次元や3次元の配列なら,1箇所でぶち当たっても迂回して進むことが出来る.しかし完全な1次元系ではバイパスは存在しない.同じスピンの電子が隣接してしまったら,どちらかのスピンが反転するのを待つしかない.まさに一本道での渋滞である. まとめるとこうなる.
外部磁場Off:核スピンの向きのばらつきにより,隣接分子間での電子の移動が容易になる(低抵抗) というわけだ. 室温でこれだけ大きな磁気抵抗効果が出るというのは非常に劇的な結果で,新しい原理によるデバイスなどに繋がる可能性もある.まあ現時点では,ナノ構造をきれいに量産するのが難しいため,そうすぐ使われるわけでは無いだろうが.(2013.7.6) |
101. 星間分子の化学反応にはトンネル過程が重要な役割を果たす
"Accelerated chemistry in the reaction between the hydroxyl radical and methanol at interstellar temperature faciliated by tunnelling"
可視・紫外・赤外・電波領域での分光を用いることにより,今や人類は遙か遠方の恒星やガス雲の中にどんな原子や分子が含まれているのかを知ることが出来るまでになった.特に星間分子に対する分光は観測技術の向上とともに劇的な進歩を遂げ,分子密度が非常に低い宇宙空間においても,多種多様な分子が形成されていることが明らかとなってきている.これら星間分子は惑星大気として取り込まれ生命の発生に影響を与えた可能性が指摘されていたり(その影響は無視できるという意見も強く,議論が続いている),どんな分子が含まれているかという分析からガス雲の年齢や来歴が推定できたり,となかなかに広がりを見せる研究領域の一つだ. そんな星間分子の反応において,大きく影響しているのでは無いか?と考えられているのが量子論的なトンネル過程である.通常,多くの化学反応においては活性化エネルギーと呼ばれるエネルギーの高い領域を通過する必要がある.例えば水素と酸素の燃焼であれば,分子間の反発を乗り越えて水素分子と酸素分子が接近,O-H間の結合を作りながらもともとあったO=OやH-Hといった結合を切る,というエネルギーの高い中間状態を経由する必要がある.このため化学反応が起こるには,分子がある程度以上のエネルギーを持っていないといけないわけだ(だから気体の水素と酸素を混ぜただけでは発火しない).ところが前述の通り,星間分子の温度は非常に低い.このため通常の(=我々の周囲で見るような)反応過程ではその活性化エネルギーの山を超えることが出来ず反応が起こりにくいはずであり,多種多様な化学種を生じるためには「山を乗り越えずに素通りする」トンネル過程が重要なのではないか?というわけだ.
今回著者らが報告しているのは,低温(60 K程度)の条件下で,OHラジカル(いわゆる活性酸素の一つで,水分子から中性の水素原子が一つ抜けたもの)とメタノール(CH3OH)との反応を調べたところ,トンネル過程の寄与が重要であったという結果である.
OH + CH3OH → CH2OH + H2O
といった反応が起こることが知られている.これまでの報告により,これらの反応は温度の低下とともに反応速度が急速に減少するのだが,低温(240 K付近)ではその速度の下がり方が鈍ってくる,つまり単純な「熱エネルギーで活性化エネルギーを超えて反応が起こる」というモデルから予想されるよりも,低温での反応速度が速いことが知られていた.これがトンネル効果によるものではないか?という意見があったのだ.
・メタノールとOHラジカルは,ある頻度で衝突する(頻度は当然分子密度と速度によってきっちり決まる)
要するに,温度が高い時は衝突で直接活性化エネルギーを超える過程が支配的で,余ったエネルギーも大きいためまたすぐ解離してしまい反応速度はそこまで速くならない.低温では直接活性化エネルギーを超えることは不可能になるが,トンネル過程で複合体を形成できる.そして低温なら複合体は解離せず長時間生き残るため,その後の反応が進みやすい,というものだ.
またこの結果は,近年の観測でCH3O が発見された,という事実にも説明を与える.メタノールとOHラジカルの反応ではCH3O とCH2OHという2種類の化学種が発生する可能性があるのだが,実験室系での実験ではCH2OHの方が遙かに安定性が高いことがわかっており,CH3Oが発生しても比較的すぐにCH2OHへと異性化してしまい,CH2OHしか見えないだろうと考えられていた.ところが最近の観測でCH3O が見つかっており,これはCH3O が次々に生成されていることを示唆していたのだ(どんどん異性化していくので,次々作られないと観測できない).
この実験は星間分子の化学反応においてトンネル過程が非常に重要であることを明確に示しており,今後様々な反応を考える上でこういった過程を考慮することの必要性を示唆している.特に「低温で反応が遅くならない」どころか「低温で室温よりも遙かに反応が早く進む」という事がある,というのは,いろいろ重要になってくる可能性がある.これまでの星間分子の進化においては,室温付近での実験結果をもとに「まあこのプロセスの速度はこんなもんだろ」とモデルが立てられたりもしてきたわけだが,例外的な経路も考えないといけない場合も出てくるだろう.大変そうではあるが,今後そういった「例外的な経路」を考慮した観測から,面白い分子などが見つかるかも知れない. |