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120. 量子ゼノ効果を用いて状態を部分空間へと分割する

"Experimental realization of quantum zeno dynamics"
F. Schäfer et al., Nature Commun., 5, 3194 (2014).

量子論の世界においては観測が系に大きな影響を与えることが知られているが,その効果が顕著に表れる例の一つが量子ゼノ効果である.これはどういったものかと言うことを簡単に言ってしまうと,「系を小刻みに観測すると,別な状態に遷移できなくなってしまう」というような効果だ.
例えばAとBという二つの状態を取れる系(初期状態はA)に対し,AからBへの遷移を起こすような電磁波を照射する.通常なら系はA → AとBの混合状態 → B → AとBとの混合状態……と,2状態(およびその混合状態)の間で振動するのだが,この時同時に「系が状態Aなのか違うのか?」を判別するような測定を高速で行い続けると,系がずっと状態Aに居座ってしまいBには励起しなくなる.
「瞬間瞬間を取り出せば矢は静止しており,従って矢は動くことは出来ない」というゼノのパラドクス(日本だとゼノンという呼び方の方が一般的だが)にかけて,この効果は「量子ゼノ効果」と呼ばれている.ちなみに,「A watched pot never boils」(沸くのを今か今かと待っているといつまで経っても沸かない:何かを待っている時間は経つのが遅く感じる)という慣用句にかけてWatched-pot効果(「沸いていない状態」を観測し続けていると,「湯が沸いた」という状態に遷移することが不可能になり沸くことが出来ない)と呼ばれることもある.
この効果は実験でも観測されており,例えば不安定な励起状態にある粒子が基底状態に落ちるような場合においても,「励起状態に存在している」という事を高速かつ繰り返して観測し続けると,基底状態になかなか落ちてこなくなる(理想的には,永遠に励起状態にとどまる)といったようなことが起こる.不安定核の寿命を引き延ばしたり,逆に短く縮めたり(反ゼノ効果)といった妙なことも引き起こせるわけである.

正確さを犠牲にすれば,どうしてこんな事が起こるのかを簡単に説明することができる.
簡単のため,2状態|A>,|B>間の遷移を考えよう(初期状態はA).状態間を光で遷移させているような場合など,状態の時間発展は以下の式で書ける.

状態 = |A>cos(ωt) + |B>sin(ωt)

要するに,状態|A>と|B>の間を角振動数ωで振動するわけだ.100%|A>または|B>の時以外は,両者の量子論的な混合状態となっている.以下では,表記を簡単にするためにωが1となるような時間単位で書き表すとしよう.
さて,この状態間を行ったり来たりしている系に対し,時刻t'の時に状態が|A>なのか|B>なのかを判別する測定を行ったとする.測定直後は|A>なのか|B>なのかが確定するので,混合状態はあり得ない.このとき量子論の原則から,|A>に確定する確率は状態|A>の係数の二乗であるcos2(t'),|B>に確定する確率は同sin2(t')と求まる.
では,この測定を繰り返した時,系がずっと|A>に居る確率はいくつになるだろうか?インターバルt'で1回測定を行った後に|A>に居る確率がcos2(t')なのだから,この測定をN回繰り返してトータルで時間T(= N×t')だけ経った後までずっと|A>に居座っている確率は,単純にN乗してcos2N(t') = cos2N(T/N)と求まる.テイラー展開すると

ずっと|A>に居る確率 = (1 - (T/N)2/2 + (T/N)4/24……)2N

十分Nが大きければ,この式は1に収束する.ずっと|A>に居る確率が1なのだから,|B>に遷移する確率はゼロ,つまり小刻みな観測によって|B>への遷移が禁止されてしまった.

要するに,|B>に遷移しかかった時に観測により純粋な|A>状態に引き戻され,また遷移しかかった時に|A>に引き戻され,というのを無限に繰り返すことで遷移が不可能になるわけだ(*).

*なお,実際にはもっと複雑な問題も絡んでくる.例えば量子論では「無限に高頻度での測定」というのはそもそも不可能であるし,「どのような測定なら量子ゼノ効果を引き起こせるのか?」という点も実はちゃんと議論する必要があり,そのあたりを扱った論文も存在する.

まあそのような量子ゼノ効果,これまでにも数多くの実験が行われ発表されているのだが,それらは通常,系をある一つの状態に押し込み,そこからの遷移を禁じるような実験であった(例えば前述のA ↔ BでAだけに押し込む,など).しかし量子ゼノ効果そのものはもっと広い使い方も出来る.例えばA,B,Cの3つの状態がある系で,A ↔ B ↔ Cという遷移が可能だったとしよう.この系に対し「Cでは無い」という事を観測し続ければ,A ↔ Bの二つの状態間のみで遷移したり混ざり合ったり,という事が起こるはずだ.
今回報告された論文はまさにそのようなことを実現したという実験である.

今回実験で用いたのは,87RbのBEC(ボース=アインシュタイン凝縮)である.87Rbは不対電子を一つ持ち,こいつが1/2のスピンを持つ.また原子核も3/2の核スピンを持っている.この電子スピンと核スピンが相互作用することにより.「二つのスピンが同じ方向を向いた状態(全スピン:3/2 + 1/2 = 2)」と「二つのスピンが逆を向いた状態(全スピン:3/2 - 1/2 = 1)」という異なる状態に分裂する.今回メインで使うのはこのうち全スピンが2の状態である.
磁場中では,このスピン2が磁場に対してどの方向を向くかによってエネルギーが違うのだが,スピンは好きな方向を向けるわけでは無い.めいっぱい安定な方向を向いた状態から,1ずつズレた方向しか向くことが出来ない.今回の場合,全スピンが2なのだから向くことが可能な方向(mF)は+2(磁場と同じ方向),+1(磁場に近い斜め方向で歳差運動),0(磁場に対して直交した回転運動),-1(磁場と逆向きに近い斜め),-2(磁場と逆向き)という5方向となる.これらは全て磁場に対するエネルギーが異なってくるので,それを利用して87Rbの集団から特定の状態を持つ原子だけを残すことが可能となる.実験では全スピン2,mFも2の状態が初期状態となるが,この状態を|2,2>(最初の項が全スピン,後の項がmF)と書こう.
この系に対し,mFを±1するような光(電波)を照射すると,以下のような遷移が可能となる.

|2,2> ↔ |2,1> ↔ |2,0> ↔ |2,-1> ↔ |2,-2>

従って,量子ゼノ効果を入れない状態なら|2,2>からスタートして5つの状態の間での混合が起こるはずである.

ここで著者らは,|2,0>と|1,0>(核スピンと電子スピンが逆を向いている状態の一つ)との間で遷移を起こすような光を系に対し同時に照射する.さらに,|1,0>という状態のみが吸収できる光も照射する.もしRb原子がこの光を吸収すると,反動で原子が吹き飛ばされBECから脱落する.従って,元の系にもし|2,0>という状態が存在すると,|2,0> → |1,0> → 脱落,という経路を辿ることになる.これは一種の「|2,0>が存在するかどうかの測定」として働くため,|2,2>(初期状態)からスタートする系に対し十分連続的にこの遷移が引き起こせれば,「|2,0>が居ないことを確認し続ける測定」が行われる結果として系は|2,0>には決して遷移できなくなる(量子ゼノ効果による遷移の禁止).
要するにこうなるわけだ.

|2,0> → |1,0>への励起光を入れない元々の状態
|2,2> ↔ |2,1> ↔ |2,0> ↔ |2,-1> ↔ |2,-2>

|2,0> → |1,0>への励起光を入れた場合(=|2,0>への遷移を量子ゼノ効果で禁じた場合)
|2,2> ↔ |2,1> ←×→ |2,0> ←×→ |2,-1> ↔ |2,-2>

|2,0>という状態を経由することが許されなくなるため,もともと5個の状態の間で混合されていたものが,|2,2>と|2,1>の混合,|2,-1>と|2,-2>の混合,という二つのブロックに分割されることとなる(ただし,|2,2>からスタートした場合は|2,-1>や|2,-2>には到達できない).
ある時刻で5つの状態間の分布がどうなっていたかは,磁場中で87Rbを飛ばして判断する(Stern-Gerlach:各状態は違う方向を向いた磁石として振る舞うので,磁場中を飛ばすとスクリーンの違う位置に着弾する).この各状態の個数を決める測定は破壊的な測定なので,同じ条件で測定時間などを変えながら何度も測定する事で系の時間変化を追跡する.

そんなわけで結果である.
量子ゼノ効果を入れない時は,5つの状態の間でのきれいな振動が観測された.時間が経つごとに|2,2> → |2,1> → |2,0> → |2,-1> → |2,-2> → |2,-1>……と,|2,2>から|2,-2>へ,そして逆転と周期的に状態が変化する.
そこに|2,0> → |1,0>への励起光を入れ量子ゼノ効果により|2,0>に到達できなくすると,今度は系は|2,2> → |2,1> → |2,2>……と,理論的予想通りにたった2つの状態間で単純な振動を繰り返した.

最初の方に述べた通り,これまで報告されていた系が「特定の状態に閉じ込めて,そこからの遷移を禁じる」というものだったのに対し,今回の実験では「系の取れる状態をいくつかのブロックに分割し,その間での移動は禁じるが,ブロック内での混合は許す」という形での量子的な制御が実現できた点が新しい.
著者らが論文に書いている通り,これは様々な量子情報処理や量子コンピュータのqubit制御にも利用できると期待される.qubitでは設定した状態が望まない準位へと拡散して行ってしまう事も問題になるのだが,今回の量子ゼノ効果のように「余計な状態に遷移できないように囲い込む」事でqubitの状態が保持される時間を長く出来る可能性がある.
とまあ,著者らも一応いろいろ書いてはいるが,単純に「これまで出来ていなかったことが出来た.面白いだろ?」という事である.この辺の量子系の状態制御技術は近年かなり急速に発達しているので,他の研究(例えば原子間での化学反応制御とか)と組み合わせていろいろ面白いことも出来そうである.(2014.2.6)

 

119. 簡単な構造で実現できる音ダイオード構造

"Sound Isolation and Giant Linear Nonreciprocity in a Compact Acoustic Circulator"
R. Fleury, D.L. Sounas, C.F. Sieck, M.R. Haberman and A. Alù, Science, 343, 516-519 (2014).

電流を一方にしか流さない素子であるダイオードは非常に多くの場所で使われているし,光学的なダイオードの類似物である光アイソレータ(一方向に光を通し,逆には通しにくい)も非線形光学効果や磁気光学的な効果などを使うことで実現されている.
その一方で,同じような波による物理現象である音に対しては,一方向にのみ音を通すいわば音のダイオード的なものの開発は難航している(*).

*音の非線形効果を使ったりした実験はあるが,効率が悪かったり大がかりな装置が必要.

今回報告されたのはこの「音版のダイオード」を,非常に単純な構造を使って実現した,というものである.
原理を説明するためにまず,ドーナツ型の空間を考えてみよう.この空間内の一点から音を発するとする.まずは簡単のために一定の周波数の音が鳴り続けているとしよう(音が戻ってくるまでの時間が短ければ,この条件はほぼ満たされる).この音は当然右回りと左回りに進んでいくのだが,空間が馬鹿みたいに広くない限りは減衰しながらも音は一周してきてまた元の場所へと戻ってくる.戻ってきた音は出発点で発されている音と干渉するので,一周するのにかかる時間とその音の振動数の組み合わせにより,ぐるっと回る音が強めあったり弱め合ったという事が起こる.
では次に,このドーナツ状の空間内に右回りの風が吹いていたとしよう.音を伝える媒体が右回りに動いているのだから,右回りに進む「音」の実効的な音速(外部から見た進む速度)は当然早くなる.逆に,左回りの音は遅くなるわけだ.すると,音の発生源から右回りに音が進むか,左回りに進むかによって出発点に戻ってくるまでの時間が変わってくる.という事はすなわち,出発点に戻ってきた瞬間に波が強め合うのか弱め合うのかが,右回りの音と左回りの音で違う場合が出てくるわけだ.波長と風速の関係をうまく選べば,右回りの音だけが干渉で強めあって,左回りの音は干渉により格段に弱くなり,という事が可能になる.

これを使ったのが今回の著者らの実験である.
まず,分厚い六角板状の金属ブロック(蓋は取れる)の中にぐるりと円形の溝(というか,トンネルというか)を掘ったものを用意する.Supplementary MaterialのPDFファイル中のFig. S1を見ていただけるとどんなものかがわかるだろう.この六角形の各辺をとりあえず上,右上,右下,下,左下,左上と呼ぶことにする.トンネルの内の左上,右上,下の3つの方向にはCPUファンを3基設置し,このトンネル内に風を流せるようにする.風速はCPUファンに流す電流でコントロール可能である.残りの3方向である上,右下,左下の3辺には穴が空いており,外部と音のやり取りが可能となっている.
実験は単純であり,音を上方向から入れ,右下および左下それぞれからどの程度音が出てくるかを観測する.風が全く無い状態では,当たり前の話だが上から入った音は右下と左下から同じだけ出てくる(何せ右回りも左回りも対称だ).次に右回りの風を起こすことで右回りと左回りの音速に差をつけ,右回りの音は強め合い,左回りの音はちょうど弱め合うようなセッティングとする.
するとどうなるか?左回りの音は一周すると自分自身と干渉して弱め合ってしまうので,あまり存在できない.一方右回りの音はちょうど強め合う干渉となっているので,元気に右方向へと進むことが出来る.その結果,このトンネル内では右方向に進む音ばかりが存在するようになる.さらに,音はどうしても進む間に減衰を起こす.そのため,上から入った音が右回りに移動していくと,最初に出会う右下方向の出口にさしかかった時にはまだ十分な強さがあるものの,さらに進んだ左下方向の出口では音はかなり弱くなってしまっている.この結果,上から入れた音は,右下からは出てくるが左下からはほとんど出てこない.今度は右下から音を入射すると,右回りに少し行った左下からは出てくるものの,上方向からはほとんど出てこない.つまり,上 → 右下へは音が伝播するのに,右下 → 上へは音が伝わらないという,音のダイオード的な構造が実現できたわけだ. ちなみにA → Bでの音の強さとB → Aでの音の強さの比(順方向と逆方向での音の伝わりやすさの比)は40 dB程度まで行ったらしい.結構良い値である.

何というか,凄まじく単純かつ明快な構造である.こんなもんで(特定の波長用とは言え)音版のダイオードが出来るってのは,これまでの様々な研究での検討は何だったのかと言いたくもなる.
この構造,波長と同程度かそれより小さいぐらいのサイズで実現できるところもポイントで,さらに流体を加速するポンプかファンがあれば良いという単純さ.流体の速度を変えるだけで(ある程度の幅で)一方通行になる音の波長も変えられる.
何に使えるのかはさておき,アイディアの勝利と行ったところか.(2014.1.31)

 

118. ナノ粒子:ゲルや生体組織の接着に最適

"Nanoparticle silutions as adhesives for gels and biological tissues"
S. Rose, A. Prevoteau, P. Elzière, D. Hourdet, A. Marcellan and L. Leibler, Nature, 505, 382-385 (2014).

接着剤は現代社会の様々なところで使われており,日用品の組み立てから海底や宇宙で利用される機器まで,実に多種多様なものをくっつけている.しかしそんな接着剤にも比較的苦手な分野が存在する.それがゲルの接着である.ゲルというのはまあ高分子などが作る網目の中に溶媒が取り込まれたものであり,重量の大部分が液体でありながらも固体としての形を保っている物質だ.身近なところでの代表例としてはコンニャクやゼリー,豆腐などが挙げられる(重量の90-97%程度が水分).

なぜゲルの接着が難しいのだろうか?接着剤は通常,主に3つの作用により対象を接着していると考えられている.
一つ目の効果は,機械的(力学的)な効果である.通常の接着対象(固体)は表面に微細な凹凸が多数存在するが,液体状態の接着剤はこの隙間に侵入し,そこで固化する.すると接着対象凹凸と固まった接着剤の凹凸ががっちりと噛み合ってしまい外れなくなる.これは船の錨が岩に引っかかっているのと同じようなものなので,アンカー効果などと呼ばれる.しかしながらゲルが相手の場合,相手が柔軟すぎる点が問題だ.細かな凹凸で引っかけようにも,力が加わるとゲルの凹凸自体が変形して無くなってしまう.これでは錨も引っかかるところが無い.
二つ目は物理的な効果で,分子間に働く弱い引力によるものだ.接着対象の表面には様々な置換基等が存在する.そこに接着剤の分子が近づくと,ファンデルワールス力や電気双極子間の引力などが生じる.これにより接着剤と接着対象が引っ張り合いくっつくわけだ.通常の接着剤では,この効果が非常に大きな寄与をしていると言われている.ではゲル相手だとどうかというと,これも結構難しい.ゲルの大部分は水などの溶媒であり,強く相互作用してくっつくことは出来ない(何せ相手は液体である).またゲル中の分子にあまり強固にくっついて固まってしまうと,ゲルの柔軟性に追従できず,接着面で破断してしまう(ゲル本体は柔らかくて変形しやすいのに,接着剤部分が固まっているためズレる).しっかりくっつき,それでいて柔軟に変形や結合の組み替えが出来ないと困る.
そして最後が化学的な結合である.接着剤の分子が接着対象と反応して直接化学結合(や,水素結合)を作ってしまい,それにより対象をくっつける効果だ.これは限られた接着対象と接着剤との組み合わせでしか起こらないが,実現すれば強度は一番強い.もちろんゲル中の分子と結合を作れれば接着できるが(実際,特定用途向けにそういう接着剤は存在する),汎用では無い.

今回著者らが報告しているのは,新しい発想に基づくゲル&生体組織用接着剤である.
その発想は非常に単純明快.まずゲル中の分子との親和性が高い(=よくくっつく)ように表面修飾したナノ粒子を用意する.これをゲルの表面に塗ったくると,ゲル中の高分子鎖がナノ粒子表面にくっついて絡みつく.その状態のゲルをもう一方のゲルに押しつけると,相手のゲル中の分子も同じようにナノ粒子にくっつく.これによりゲル同士を接着しようというのだ.要するに,無数のジョイント(=ナノ粒子)を使ってゲル同士を結んでしまおう,というアイディアである(Figure 1).
この手法の利点は,ゲルの柔軟性を一切妨げず,しかも接着剤部分も固化しないところにある.通常の接着剤で接着対象を強固にくっつけてしまうと,この状態でゲルに力がかかった場合にゲル全体は柔軟に変形する一方,接着部分だけは強固に固定されているため変形できず,その界面が破壊されてしまう.ところが今回の手法だと,接着に関わっているのは個々のナノ粒子であり,ナノ粒子同士は比較的自由に位置を変えることが出来る.しかもナノ粒子とゲルとの間の相互作用もある程度以上の力で外れることが出来るので,強い力がかかる → ナノ粒子表面からゲルの高分子が外れて移動する → 移動先で再度別のナノ粒子と結合する,という事で柔軟に変形することが出来る.

では,実験結果を見てみよう.ゲルとしてはpoly-dimethylacrylamide(PDMA)のゲルを用い,ナノ粒子としては市販のシリカナノ粒子(Ludox TM-50,粒径30 nm程度)を使っている.なお,PDMAはシリカに吸着する事が知られている.接着はゲルの表面にナノ粒子の分散溶液を塗布し,もう一枚のゲルを乗せて手で30秒ほど押さえるだけである.
実際の様子はムービーで公開されている(赤色光はサンプル形状を測定するための照射光であり,接着には関係しない).接着したゲルを引っ張っていくと,接着部分も含めゲル全体が柔軟に伸びていることがわかる.そして接着部が剥がれるよりも前に他の部分が破断している,つまり十分な強度で接着できていることがわかる.
この接着方式だとゲル中の高分子とナノ粒子がくっつけば良いので,ナノ粒子としては何でも利用できる.著者らは様々な粒径のシリカナノ粒子以外にも,表面をチミン(核酸塩基の一種)で修飾したカーボンナノチューブや,水酸基や硫酸基で表面を修飾したセルロースナノ粒子でも,似たような接着作用が働くことも確認している(ただし粒径や表面の置換基の数などが違うので,接着能力には差が出る).
なお,2枚のPDMAをナノ粒子なしで貼り付けて押さえつけても,全く接着されずにそのまま外れて落ちるだけであるので,この接着効果がナノ粒子によるものであるのは間違いない.
この接着効果は,2枚のゲルが違う物質であっても同様に働く.もちろん2種類のゲルの高分子がどちらもナノ粒子の表面にくっつきやすい場合に限られるが.2種類の異なるゲルの貼り合わせは,アクチュエーターなど様々な用途で利用されるので,そういったところに使えるというのは実用上利点となる.

さてこの接着剤,面白いことに生体組織の接着にも利用できる.生体組織の接着というのは医療用に需要が大きいのであるが,水分が多く柔らかい生体組織の接着においてはゲルの接着と同じようなことが問題となっている.
もちろん医療用の接着剤もいくつも開発されているのだが,それらは基本的にはモノマーを組織に塗ってある程度浸透させた後で重合させ高分子化するものであり,未反応で残ったモノマーが毒性を発揮したり,固まった接着剤と柔らかい組織との間でズレが生じ炎症を起こしたり,はたまた柔軟な接着剤にしてしまうと接着剤が弱かったりと,なかなか全ての要求を満たすような接着剤は開発できていない.
というわけで今回の接着剤を生体組織(子牛のレバーの切り身)に適用してみたのがムービー3である.
レバ刺しの表面にナノ粒子を塗りたくり,もう一枚のレバ刺しを重ねて指で押さえて接着する.それを引っ張ったものがムービーであるが,なかなかの接着力を見せている.今後の発展次第では医療向けなども行けそうだ.

この接着剤のもう一つの利点は,剥がれても再接着できる点である.
強い力で引っ張られて接着面が剥がれると,断面には片方のゲルが絡みついたナノ粒子がそのまま残っている.このナノ粒子はゲルの高分子に強く吸着しているので,ゲル内部に拡散して行ってしまうことも無い.この剥がれた面をもう一度相手のゲルに押しつけると,表面に露出しているナノ粒子に相手のゲル中の高分子が再度絡みつき,また接着されるのだ.一度剥がれたものをまた押しつけるだけで,当初の9割程度の力で再接着される様子が報告されている.これにより,接着したものが剥がれた際には簡単に修復できるし,接着位置が気に入らなければちょっと強めの力で剥がして張り直す,といった事が可能になる.

というわけで,意外に単純な発想から結構面白い接着剤が出来る(かも),という論文であった.
まあ我々が日常生活中でゲルを貼り合わせることはほとんど無いが,産業や医療分野では面白い利用がされるようになるかも知れない.(2014.1.17)

 

117. (多分)低コストでメタルフリーな流動電池

"A metal-free organic-inorganic aqueous flow battery"
B. Huskinson et al., Nature, 505, 195-198 (2014).

各種電池が一大研究分野である事は周知の事実であるが,今回取り上げるのはその中でも超大型の蓄電設備用の電池である.
ご存じの通り,太陽光や風力と言ったいわゆる再生可能エネルギーは変動が大きく,そのまま利用するのには限界がある.これら不安定な電源からの電力を安定なものへと変えるために,様々な蓄電設備が利用・開発されているのだが,こういった用途で電池に要求される特性は,我々の身近にある携帯機器類のバッテリーに要求される特性とは大きく異なる.
まず,大電力を保持しておく必要があるため,大容量化したときのコストが非常に低くなければならない.例えばリチウムイオン電池のkWh当たりの単価は10-20万円程度であるが,これで1-100 MWクラスの発電所の出力安定化用蓄電設備を作ろうというのは悪夢以外の何物でも無い.ちなみに,現時点でかなり価格がこなれているNaS電池だと2-3万円/kWh程度であったと思う.
次に,大電流での充放電が長時間安定して出来る必要がある.何せ国の基幹電力を支えるのであるから,「みんなが一度に使うと放電が間に合わずに電圧が下がります」というのは避けたいところだ.
そして何より,多数回の充放電でも劣化の少ない耐久性の高さが要求される.不安定な再生可能エネルギーを使うのであれば,日に何度も充放電が繰り返される可能性がある.それを何年か続けても変わらず使えるような耐久性の高さが必要だ.

そんな各種特性にマッチした電池として,「流動電池(Flow Battery,またはRedox Flow Battery)」というものが研究されている.これはどういうものかというと,電池の活物質(実際に酸化還元を起こして電力を蓄える物質)を全て液体中のイオンとしてしまった電池である(住友電工の公開している解説論文を参照のこと).
例えばリチウムイオン電池を考えてみよう.典型的には,一方の電極がコバルト酸リチウム,もう一方がグラファイトと両者とも固体であり,固体の電極が電子やリチウムイオンを出し入れすることで充放電を行う.これに対し,現在実用化されているバナジウム系の流動電池では,水素イオンだけを通す膜で仕切られたタンクの左右にバナジウムの水溶液(片側にはV(+4)O2+,反対側にはV3+)を入れ電極を突っ込んだ構造となっている.充放電時にはそれぞれの電極の周囲で

V(4+)O2+ + H2O ⇔ V(5+)O2+ + 2H+ + e-
V3+ + e- ⇔ V2+

という酸化還元が起こり,電気を充電・放電することが出来る.この流動電池を通常の電池と比較すると以下のような違いがある.

通常の電池
・酸化還元をするのは電極そのもの
・電極の化学変化やイオンの出し入れによる構造変化が大きい → 電極が劣化しやすい
・大容量化するには,電極自体を増やす必要がある
・電極は高価な遷移金属が多量に使われており,容量を増やすとコストが劇的に高くなる
・充電(放電)が進むと,電極のずっと内部までイオンが入る(から出てくる)必要があり,充電(放電)速度が非常に遅くなる(最初と最後での充放電の速度差が大きい

流動電池
・酸化還元をするのは溶液中のイオンだけ.電極は単なる導電路
・電極の化学変化は無いので安定.酸化還元するイオンは,安定な錯体を使えば耐久性が高いし,分子レベルでの変化だけなので構造変化に由来する劣化はほとんど無い
・大容量化するには,単に溶液のタンクを大容量化し,ポンプで順次溶液を流し込めば良い
・充放電速度は,充放電の初期と末期であまり変わらない

となる.イメージ的にはポンプから順次燃料を供給する燃料電池(しかも充電も可能)に近い(実際にはタンクは循環型だったりと違いはあるが).
劣化の少なさと大容量化の容易さ(要するに,燃料タンクをでかくして溶液を増やすだけで容量が増やせる)が非常に素晴らしいのであるが,弱点としてエネルギー密度の低さと,バナジウムが比較的高い元素であるという点に問題を抱えていた.もちろんリチウムイオン電池などに比べれば低コスト(kWhあたり活物質だけだと1万円程度)なのであるが,近年触媒や合金などの用途でのバナジウムの利用が増えたことから,より低価格な流動電池のための活物質の検討が行われている.

今回報告されたのは,キノン系の酸化還元を用いた金属元素を使用しない流動電池である.
キノンというのはベンゼン環に二つの=O基が結合したものであり,簡単に還元されてヒドロキノンへと変化する.キノン-ヒドロキノンの間の酸化還元は実は生体中では非常に重要な反応であり,生物内での電子移動が絡む様々な反応に関わっている物質だ.
今回用いたのは中心がベンゼン環が3つ結合したアントラセンとなっているアントラキノンに,さらにスルホ基を2つ結合した分子AQDS(9,10-AnthraQuinone-2,7-DiSulphonic acid)で,そのAQDSの水溶液を負極の活物質として使用し,正極には臭素水を使用している.放電時の反応としてはヒドロキノンがキノンに戻る反応と臭素分子が臭素酸になる反応が組み合わされ,
H2AQDS → AQDS + 2H+ + 2e-(負極)
Br2 + 2H+ + 2e- → 2HBr(正極)
という反応で放電する(充電時は逆反応).
著者らはこの組み合わせでセルを構築し,様々な特性評価を行っている.

まず電圧であるが,他の流動電池と同じく水を溶媒に使っているので,セルの最大起電力は1.5 V弱である(これ以上になると水が電気分解してしまう).電極での単位面積当たりの出力密度は0.6 W/cm-2以上(@1.3 A/cm-2)であったが,これは(結構特性の良い)燃料電池などとほぼ同等の値となる.また酸化還元に関わるAQDSが有機分子であるため,置換基を導入することで起電力の微調整を行う事も可能であった.金属イオンを利用する通常の流動電池では水への溶解度と起電力や安定性を変えるには用いる元素を変えたりといったことが必要なのだが,今回のものなら有機合成により様々な特性を持った分子へと変更が可能で,物質開発の幅が一気に広がる.クーロン効率も95 %程度とそこそこ高い.クーロン効率というのは充電時に詰め込んだ電子が何割取り出せるかを表す量であり,充放電の過程で余計な酸化還元が起こってしまうと減っていく.逆に言えば,これが高いと言うことは目的の化学種だけが綺麗に酸化還元を起こしており,余計な副反応はほとんど起きていないと言うことだ.
サイクル特性としては10回ぐらいの充放電しか見ていないので何とも言いにくいところはあるが,平均で99.2 %だそうだ.10回までの充放電ではまあ劣化はあまり見えていないよ,と.一度の充放電に10時間近くかかっているようなので仕方ないのかも知れないが.ここはもっと長いタイムスケールでの劣化を見てみたいところ.
活物質で見たエネルギー密度としては,体積で50 Wh/L,重量で50 Wh/kg程度らしい.体積エネルギー密度で言うとリチウムイオン電池の1/10程度,鉛蓄電池よりやや劣る程度と見栄えはしないが,これはまあ予想の範疇(重量エネルギー密度ならまあ鉛蓄電池は超えられる,という程度).

さて,本システムの利点をまとめておこう.
まず,ヒドロキノン類を使うということで大量生産が容易である.アントラキノンなどの分子は生体中でも使われていることから,うまくいけば大腸菌か何かに適当な遺伝子を放り込むことで,膨大な量の生産が可能になる可能性がある.それが無理だったとしても,アントラキノンは既に工業的に量産されている分子であり事から少なくとも石油がある限りは量産が可能である.スルホ基の導入も安価かつ多量に行えるプロセスなのでここも問題は無いし,臭素も膨大な資源量と安価な価格で知られる.このため,現時点でも活物質のコストは$30/kWhと,現行のバナジウム系流動電池($80/kWh)の半値以下で作成できる.これは蓄電設備として大容量化を行ううえで大きなアドバンテージとなる.
次に,ヒドロキノン類は酸化還元が非常にスムーズな系であり,電極において余計な触媒が不要だという点が挙げられる.このため触媒作用による水の電気分解が押さえられ副反応も起こりにくいし,電極としては安価な炭素電極が使用できる(今回の実験では,東レのカーボンシートが用いられている).
さらに,活物質のAQDSがそこそこ大きな有機分子であり,正極側と負極側を隔てているイオン交換膜を通り抜けにくい点がある.実は既存の流動電池では金属イオンなどがこのイオン交換膜を時折くぐり抜けてしまい効率低下などを引き起こすのだが,AQDSは分子が大きいために膜をほとんど透過せず,そのような問題が起こりにくい.
そして最後の利点が,前述した有機分子ゆえの設計性の高さである.これにより,溶解度や起電力,副反応の抑制など,様々な特性向上が期待できる.

と言うわけでなかなか筋が良さそうな電池技術であるのだが,個人的な感想としては「その手の組み合わせ,今までほとんどやられてなかったの!?」という感じだ.上で述べた通り,キノン/ヒドロキノン系は生体分子でいえば酸化還元の基本中の基本である.てっきり既にいろいろ検討されているものかと思いきや,そうでも無かったらしい.
キノン類に関してはちょうど同じ時期にキャパシタの大容量化に利用できるという報告も出てきているが,まあ意外にやられていないものである.(2014.1.12)

 

116. 常圧で安定かも知れない純窒素固体

"Calculations predict a stable molecular crystal of N8"
B. Hirshberg, R.B. Gerber and A.I. Krylov, Nature Chem., in press (2013).

窒素分子というのは窒素原子二つが三重結合で結ばれた分子であり,その強い結合ゆえに非常に安定な(=エネルギーの低い)分子である.一方,窒素-窒素間の単結合や二重結合は比較的安定性の低い弱い結合であり,これらの結合を含んだ分子は分解して窒素分子を生成しようという傾向が強い.有機化学の世界においては,「どこまで窒素原子を詰め込めるか?」というようなある種のエクストリーム合成とでもいうような研究分野が存在し,これまでに例えばC2H2N10という,2つのC-H部位以外は全部窒素という化合物や,N5+[B(N3)4]-といった分子の重量の96%以上が窒素という化合物など,ちょっとどうかしてるんじゃないか?という化合物が合成されている.
N-Nの単結合やN=Nの二重結合があまり安定ではなくその一方でN≡Nの三重結合が安定だという事から予想される通り,これらエクストリームな窒素化合物はほとんどの場合極度に不安定で,熱や衝撃,摩擦,音や光,時には何もせずとも爆発して多量の窒素ガスへと分解する.
なぜこのような不安定化合物の研究が盛んに行われているかというと,もちろん合成で変な化合物を作りたいという化学者の本能もあるのだが,もう一つ「高エネルギー化合物は燃料や爆薬として有用である」という点が挙げられる.例えばこういった化合物をうまく安定化して貯蔵しておき,少しずつ分解すればかなりのエネルギーを取り出す事が出来る,つまり高エネルギー密度な燃料として使う事が出来る.また,放出されるエネルギーが大きいという事は,一気に分解反応を進めれば膨大なエネルギーを放出する新たな爆薬として利用できる事を意味している(そのため,この手の研究には米陸軍などが助成を行っていたりする事が多い).

さて,そんなエクストリーム窒素化合物を研究している人々の究極の目標の一つが,純粋に窒素原子のみからなる物質の製造である.実はこれは極限状況下(ダイヤモンドアンビルで加圧しておき,レーザーで瞬間的に加熱する手法)では既に実現されており,cubic-gauche構造の窒素(cg-N)として知られている.これは2000 K以上の高温,110 GPa(約110万気圧)で圧縮した際に生じた構造であり,窒素原子は3本の結合により互いに結び付き,無限に連なるポリマー状となっている.
この構造は通常の窒素分子が圧縮された構造とはかなり原子密度等が異なる構造なので,両者の間の相転移においては大きなヒステリシスを伴う.例えば,cg-Nを作るには前述の通り2000 K,110 GPaが必要なのだが,一度この構造になってしまうと,元の窒素分子の集団に戻るためには原子位置を大きく変えねばならず,その途中の状態が非常にエネルギーが高いため戻りにくくなる.これによりcg-Nは減圧していっても42 GPaまでは準安定な状態として維持され,この圧力を下回って初めて通常の窒素分子へと分解する事が知られている.
このように,純粋な窒素原子のみからなる固体というものは知られてはいるのだが,残念ながら上に書いた通り42 GPaで分解してしまい,我々の身近な環境に取り出す事は出来ない.大気圧の元でも安定な純粋窒素の固体は存在し得ないのだろうか?

今回の論文が報告しているのは,量子化学計算による「そのような窒素固体が可能である」という結果である.
著者らは最初窒素分子が2つ結合したN4分子の安定性の計算を行っていたのだが,それがN4分子の固体が存在できるかどうかへと進み,さらにそこでどうもN8が安定そうだという事でN8の固体の安定性へと研究が進んだらしい.計算としては,周期的境界条件を課した中で平面波展開の密度汎関数法を用いている.最初からN8を放り込んでの計算以外にも,変なlocal minimaに嵌まっていない事の確認としてN3とN5に分割して位置をずらしてスタートしたり,その配向を変えたものなどから計算したりして,どれも同じN8の構造に落ち着く事を確認している.
出来上がるN8は,見た目の構造的にはN3-N2-N3という3つの短い直線状の構造が結合したような形である(Figure 1).結合状態まで含めて考えると,N≡N+-N--N=N-N--N+≡Nと,両端に三重結合のN2+,中心に二重結合のN2,その間にイオン性のN-が挟まっている,という感じだ.
この物質の特徴は,このイオン性の部分の存在により分子間力が強くなっている点にある.分子内で分極している分子はそこそこ大きな双極子モーメントを持つが,この双極子同士が分子間で相互作用する事で静電的な引力が働くことにより液体や固体構造が安定化される.今回計算で予想されたN8の固体も,分子中の分極により隣接分子間で強い引力が働いていると計算されている.その値は41.1 kJ/molに達し,これはアセトニトリルの53 kJ/molに近いような値である(水などの水素結合を持つ系の分子間相互作用はもっと強く,今回のN8はそういったものよりは弱い程度の相互作用になる).
計算からは,約20 GPa以上では既知のcg-Nが安定であるが,それ以下の低圧側ではむしろ今回予測されたN8の方が安定になるらしい.

今回計算されたN8の結晶構造は,通常の窒素分子の高圧下での構造と原子の位置や密度が非常に大きく異なるため,既知のcg-Nと同様に構造転移(高圧下で生成したN8を低圧にしていった時に,通常のN2分子の固体へと分解する転移)において大きなヒステリシスを示すと予想される.著者らがこのヒステリシスを見積もったところ,大気圧化でも準安定な状態として存在できるのではないか?と予想された.これはなかなか大した結果である.もしこれが正しければ,窒素ガスを圧縮し高圧下で一度この構造にしてしまえば,あとはゆっくり減圧するとこの「純窒素(N8)の結晶」を手に取る事が出来るという事だ.
ちなみにこのN8の結晶,計算結果から爆発熱を求めると約2.3 kcal/gとTNTの2倍強,ニトログリセリンの1.5倍程度の値があるので,実際に手に取る事はお勧めできないが.

最近の量子化学計算は(不対電子を持つ開殻系分子を除けば)だいぶ精度も上がってきており,このぐらいのサイズの分子だとかなり正確な結果を与える事が多い.という事で実際にN8の結晶が取り出せる可能性もあるわけで,なかなか興味深い.(2013.12.20)

 

115. 火星の地中に風は吹く

"The martian soil as a planetary gas pump"
C. Beule et al., Nature Phys., in press (2013).

火星の環境というのは非常に盛んに研究されているテーマである.地球の双子と言われるほどにそっくりな条件でありながら,ほんの少しの違いで劇的に変わってしまった現在の様子であるとか,将来の有人探査に向けた水やら酸素やらの確保であるとか,様々な視点からの研究が行われている.
今回紹介する論文は,火星では地下(といっても地表から2cmぐらいまでのところだが)に風が吹いており,火星表面における物質輸送に大きな役割を果たしているんじゃないの?という論文である.

ご存じの通り,火星というのは気圧が低いが,といってもある程度の大気はある,という微妙な状態にある惑星だ.大気の大部分は二酸化炭素でその圧力はおよそ6 mbar.地球の0.6-0.7 %程度でしかない.これだけ薄いと気体分子の平均自由行程(分子同士がぶつからずにどのぐらいの距離進めるか,という目安)は0.01 mm(218 Kでの値)と,地球の場合(〜100 nm)よりも遙かに長い距離となる.
さて,この火星における平均自由行程,火星表面の砂礫が作る小さな隙間のサイズとほぼ同等か,それより長い距離である.このように,気体が平均自由行程よりも小さな領域を通る場合(逆に言えば,気体の流路より平均自由行程が長いぐらいに十分気圧が低い場合)には,高圧での振る舞いとはかなり異なる現象が観測できる事が知られている.

そういった希薄気体の動力学はクヌーセン先生が100年ほど前にいろいろ調べているのだが(そのため,クヌーセン数やクヌーセン層,クヌーセンセル,クヌーセン流等々,様々なところに名前が残る),その結果の一つに「クヌーセンポンプ」というものがある.
これはどういうものかというと,希薄なガスの詰まった細い管の片側の温度をもう一方より高くする(=温度勾配を付ける)と,温度の低い側から高い側へのガス流が生じる,というものだ.機械的な駆動部分一切無しで気体を輸送できるため,いろいろと応用の利く現象である(ただし,非常に微細な流路を通す必要があるので,多量の気体を運ぶのは難しい).

話を火星に戻そう.
火星の気圧は低く,その平均自由行程は土壌中の隙間のサイズよりも長い.という事は,もし地面に温度勾配が生じれば,地中の細孔内がクヌーセンポンプとして働き,地中を気体が輸送されるのではないだろうか?これが著者らの発想である.
このアイディアを実証するために,著者らは実験を行った.まず,真空容器内に火星の土を模した地面を作り,そこに希薄なガスを入れる.次にこの模擬地表(以後簡単のために単に「地表」と呼ぶ)の一部に光を当て温度差を作り,その時にどのような気体の流れが起こるのか?を録画により観察した.ただし,通常の条件で行うと温度勾配による対流(これは地表より上の部分で起こる)の影響が大きく,クヌーセンポンプ由来の流れを精密に観測するのは難しい.そこでこれらの装置全体を自由落下状態とし落下の途中で気流を記録,通常の対流の影響を排除して測定を行った.

その結果であるが,まず地表の光が当たっている部分から上方に向け勢いよく気流が噴出し,大きく弧を描いて離れた地表に吸い込まれる,という気流が観測された.これはクヌーセンポンプの効果から予想されるものと等しく,「単に光で加熱された部分の気体が膨張して気流を起こした」というものとは大きく異なる.単なる膨張ならすぐに効果が飽和するのだが,観測された気流は自由落下の数秒間,定常的に流れ続けた.しかも単なる熱膨張なら加熱された部分から四方八方に吹き出すはずだが,まるで磁石から出てくる磁力線のように上方に吹き出す流れが観測されたわけだ.
この結果はクヌーセンポンプの考え方に立つと説明できる.地表の一部に光が当たる事で,地表に暖かい部分と冷たい部分が発生する.土壌中の気体の流路は非常に狭いため,ここでクヌーセンポンプが発生し地中のガスが暖かい場所へと吸い寄せられる.地表の暖かい位置に集まったガスは大気中へと吹き出し,大きな流れを作る(「大気中」は流路のサイズが平均自由行程よりも大きいので,クヌーセンポンプの効果は生じない).一方,周囲の冷たい地表からはクヌーセンポンプにより気体が抜き出され,低圧状態が生じる.この「地表の冷たい部分」は大気中から気体を吸い込み,これにより全体での流れが完成する(論文のFigure 1を参照).

著者らは最後に,この実験で得られたパラメータや火星表面の実際の気圧や温度などを使い,火星で実際にこのクヌーセンポンプ由来の流れがどの程度の影響を与えているのかを見積もった.火星においても,岩陰とその隣の日の当たる場所などでは十分な温度差が生じる可能性があり,その場合には秒速1.6 cm程度の「風」が地表の下2 cm程度までの領域を流れている可能性がある,という結果を得た.
この値自体はそれほど大きなものでないように感じられるかも知れないが,火星における水の輸送を考える上ではかなりの影響が出るのでは?と著者らは指摘している.
最近の調査により,火星の地表面のすぐ下には氷がかなりの確率で存在すると言われている.そこで氷から生じる希薄な水蒸気の拡散が地下における水輸送の主力だと考えられているわけだが,これまで想定されてきた水分子の拡散速度は毎秒0.3 cmである.ところが今回の実験から示唆されるクヌーセンポンプ由来の流れの速度は毎秒1.6 cmに達するわけで,これを考慮するとこれまで考えられてきた以上に,火星の地中では水分子が活発に移動している可能性がある.

まあもちろん,「これまで考えられてきたよりは活発に」という話であって,地球上で見られるほどダイナミックに動いているわけでは無い.
だが,まるで地中に風が吹くように,様々な気体が盛んに移動している,というのは何とも夢溢れるイメージである.(2013.12.3)

 

114. 休眠状態の細菌にも有効な新たな抗菌剤

"Activated ClpP kills persisters and eradicates a chronic biofilm infection"
B.P. Conlon et alm, Nature, 503, 365-370 (2013).

抗生物質の開発は人類社会の衛生状況を劇的に改善したが,万能というわけでは無かった.よく知られているのは耐性菌の発生であるが,もう一つ,「休眠状態にある細菌への対処」というやっかいな課題が残されている.

通常用いられている抗生物質のメカニズムは,細菌の重要な代謝経路の一部をブロックするというものである.細菌が生きていくためには様々な化学種を生成する必要があるが,抗生物質はそのうちのどれかを合成するタンパク質に特異的に結合しその機能を阻害する.その結果,生存に必要な物質を作れなくなった細菌が死滅するわけだ.
ところが,細菌には長年の進化で培ってきたこれら環境変化への対処法が存在する.それが休眠状態への移行である.生存環境の悪化(栄養状態の変化や,抗生物質など危険な化合物の濃度上昇)を感知すると,細菌の一部は代謝を極端に落とし,休眠状態へと移行する.この状態では体内での代謝はほとんど行われておらず,それゆえ抗生物質もほとんど効果を及ぼさない(何せ,ブロックすべき代謝そのものがほとんど動いていないのだ).こうして一部の細菌は抗生物質の投与を生き抜き,抗生物質が体内から消えた頃を見計らって再び活動を再開するのだ.この休眠状態からの再発病は多くの疾病で問題となっており,例えば結核を抗結核剤で完全に治癒するのはなかなか難しい事が知られている.多剤の同時投与を数年間続けた場合でさえ一部の細菌が休眠状態を利用して生き抜き,かなりの年月が経ってから再発するという場合が数パーセント程度の確率で存在する.
そのため,休眠状態の細菌を駆除できる手法の開発が精力的に進められている.

さて,今回の論文で報告されているのは,通常の抗生物質とはその効き方がだいぶ異なる物質である.前述の通り,通常の抗生物質は「細菌内で活発に動いている必須の代謝を止めることで細菌を駆除する」というものであり,それゆえ代謝がほとんど止まっている休眠状態の細菌への効果は低かった.これに対し今回報告されたのは,「休眠している細菌内のタンパク質分解プロセスを加速し,それによる自食で自壊させる」というものである.
著者らが目を付けたのは,ClpPというタンパク質分解酵素を活性化するADEP4という化合物である.タンパク質はアミノ酸が脱水縮合してできるペプチド結合で順次繋がった分子であるが,ClpP(などのプロテアーゼ)はそのペプチド結合を加水分解する作用がある.プロテアーゼはタンパク質にとりつきその構造を認識,異常な折りたたまれかたをしてしまったタンパク質や短かったり長かったりした不良品のタンパク質だとわかるとそれらを分解して材料へと戻すというリサイクルシステムを担っている.ClpPもその一種で,通常時はタンパク質を加水分解する活性部位は閉じており,タンパク質が異常だと認識すると細胞内にあるATP(*)からエネルギーを引き出して活性部位を開き,捕まえたタンパク質を分解する.

*高いエネルギーを持つ分子であり細胞内のエネルギー通貨.細胞はエネルギーをATPの形で蓄えておく.エネルギーが必要なタンパク質は,ATPを捕まえてこれを加水分解,その時に発生するエネルギーを使って様々な反応を駆動する.

今回用いられたADEP4という物質は,ClpPと結合してその活性部位を開きっぱなしにしてしまう化合物である.タンパク質の加水分解自体は自発的に進む発熱反応なので,活性部位が開いたままのClpPはタンパク質にとりついては切る,とりついては切る,と,周囲にあるタンパク質を片っ端から切っていく物質へと変化してしまう.これを利用して細菌を殺そうというわけだ.これなら,代謝がほとんど止まっている細菌であっても関係無く排除できるはずである.
ただ.懸念が一つあった.プロテアーゼは対象となるタンパク質がある程度決まっているので,ClpPが破壊できるタンパク質の種類が少ない場合,細菌に対し致命的な影響を与えられないかも知れない.実は過去の他のグループの研究で「ClpPは,増殖途中の細菌でよく使われるFtsZというタンパク質がターゲットだから,どんどん増殖している細菌に対して効果が高いよ」という報告が成されている.もしFtsZ(=増殖途中でだけ量が多い)にしか作用しないのなら,休眠状態の細菌への効果はゼロである.

というわけでまずは「どれだけのタンパク質に効果があるのか?」の検証である.まずメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA,多剤耐性菌の代表例)をターゲットに選び,休眠状態で発現しているタンパク質を調べたところ1712のタンパク質を検出した.次いでこの細菌に対しADEP4を投与したところ,検出量が減少したタンパク質が243種類(確度95%以上),少なくとも一部が切断されたタンパク質が174種類(同95%以上)と,少なくとも417種類のタンパク質を破壊できることが明らかとなった.過去の報告とは異なり,ClpPの活性化は増殖途中以外においても細菌中の多数のタンパク質を破壊できるようだ.

では実際の細菌に対して,どの程度の殺菌効果があるのだろうか?ADEP4や様々な抗生物質を投与し,細菌数の増減をモニターしている.ここでは実に様々な実験が行われている.
例えば,黄色ブドウ球菌にシプロフロキサシンを投与すると6時間でその数を1万分の一程度に減らすが,このあたりで休眠状態に入り始めるため24時間後に10万分の1になった後,細菌数はほぼ横ばい(か微増)で休眠状態の細菌が生き延びる.6時間後の段階で2つめの抗生物質であるリファンピシンを投与しても,細菌数の推移は全く変わらない.これは残存している細菌は,薬剤耐性を獲得したから生き延びているわけでは無く(それなら違う種類の抗生物質が効く),休眠状態に入ったためにほぼ全ての抗生物質が効かなくなったためだ.一方,6時間後の状態にADEP4を投与すると劇的な効果を発揮する.細菌数はさらに4桁ほど減少し,検出不能(=ほぼ駆除)となったのだ.これは,著者らの目論見通り,ADEP4が休眠状態の細菌内のClpPを活性化,休眠状態の細菌内のタンパク質をずたずたに切り裂くことで自壊させることに成功しているためだ.

では,最初から休眠状態に入っている細菌集団の場合はどうだろうか?休眠状態の細菌に対し,シプロフロキサシン,リファンピシン,バンコマイシン,リネゾリドという代表的な抗生物質を投与しても,細菌数の変化は全くと言って良いほど確認できなかった.一方ADEP4の場合,1日後には4桁ほど数が減るという劇的な効果が確認された.確かにADEP4は休眠状態の細菌に良く効くらしい.
ただし,ADEP4投与後2日目でも同数を維持するのだが,3日後からは数が増加する傾向が見られた.これは,ADEP4が活性化するClpPは実は黄色ブドウ球菌にとっては生存に必須では無いため,ClpPを持たない(もしくは通常とは異なる変異型のClpPを持つ)突然変異型の黄色ブドウ球菌というのが発生しやすいためだ(生存に必須な部分の場合,変異≒死なので変異は起こりにくい).要するに,ADEP4は「休眠状態の細菌にも良く効くが,ADEP4耐性菌は容易に生まれる」という特徴があると言える.

ならばADEP4はあまり役に立たないのかというと,そうでは無い.ADEP4と既存の抗生物質を休眠状態の黄色ブドウ球菌に同時に投与すると,細菌数を劇的に減少させほぼ検出限界程度にまで落とすことが出来たのだ. さらに実験を進めた結果,面白い結果が判明した.

・ClpPが正常なら,休眠状態であろうとADEP4で効果的に殺菌できる.
・ClpPが異常な細菌にはADEP4は効かないが,そういう細菌は休眠状態であっても抗生物質がそこそこ効く(1/100程度に数を減らせる).しかも,熱耐性も激減する(高温で死にやすい).

つまり,ClpPそのものは黄色ブドウ球菌の生存に必須では無いが,欠けると薬剤耐性や熱耐性が激減し,他の手法での殺菌が非常に行いやすくなったのだ.
従って,既存の抗生物質とADEP4とを組み合わせると非常に強力な殺菌作用を発揮することとなる.片方に強い菌はもう一方に弱く,両者に強い菌というのはほとんど存在しない.
著者らは研究用の株に加え各地の医院で検出された黄色ブドウ球菌3株(代表的な多剤耐性株であるUSA300,毒性が強く骨髄炎を引き起こすUAMS-1,多剤耐性のMRSAがさらにバンコマイシン耐性まで獲得したStrain-37)を用いて実験を行った.その結果,これら全ての株において,リファンピシンとADEP4との同時投与により3日後には細菌数が検出限界にまで減少した.
さらにマウスを用いた慢性感染モデルでの実験も行っている.これはマウスに非常に高濃度の病原菌を投与するもので,細菌が集団化したバイオフィルムを形成する.この状態では薬剤の効きが悪くなることが知られており,実際に実験でバンコマイシンやリファンピシン,およびその混合剤を投与しても細菌数を2-3桁減らすのが精一杯であった.これに対しADEP4単独投与でも同等の効果,さらにADEP4とリファンピシンの同時投与では細菌が検出限界にまで激減するなど,慢性化した感染症においても非常に大きな効果を発揮することが実証されている.

経路をブロックするのでは無く,自壊に繋がるよう一部を暴走させるというアイディアはなかなか面白いし得られた結果もかなり有望なものである.近年の抗生物質の乱用から耐性菌の出現速度も上がっており,こういった新しい発想での治療法の進歩には期待したい.(2013.11.23)

 

113. 変わり者が好まれる(少なくともグッピーの場合)

"Mating advantage for rare males in wild gupy populations"
K.A. Hughes, A.E. Houde, A.C. Price and F.H. Rodd, Nature, 503, 108-110 (2013).

自然界において,遺伝的多様性は非常に重要である.様々な異なる遺伝子を持つ集団であれば,各種の疾病が発生したり突発的な環境変化があった時でも一部の固体は生き残り,その集団が全滅する事を防げる可能性が上がるためだ.
その大事な遺伝的多様性,どうやって維持されているのかというとこれがなかなかはっきりしない.自然界の集団では,完全にランダムな交配から予想されるよりも多様性が高い事が知られている.そのため「頻度の低い特質を持つ相手を,交配の相手として高頻度に選ぶ」という選択性,つまり「交配の相手には変わり者を選ぶ」という傾向があるのだと予想されているが,これまで自然環境下でそれがはっきりと示された事は無かった.

今回報告されている論文は,グッピーの集団においてそういった「変わり者を選ぶ」という傾向がはっきりと観察できたよ,というものだ.
詳細を省いて実験の内容をざっくり言うと,以下のようなものとなる.
まず,実験にはグッピーを用いた.グッピーは模様が遺伝し,遺伝の仕方もほぼ解明されているので,模様から親が推定でき実験が容易である.二つの川の三箇所に,各箇所5-6個のプールを設定し,それぞれのプールには約10匹の雄のグッピーと,そのお相手となる雌のグッピーを入れておく.
今回の実験では雄を尾びれの模様から二つのグループに分けている.尾びれに色が付いていないグループ(75%以上の面積が無地)と,色が付いているグループ(50%以上に色が付いている)である.それぞれのプールでは,色つきと色なしの比率が1:3,もしくは3:1になるようにしてあり,色つきが少数派のプールと,色無しが少数派のプールの両方が存在する.で,それぞれのプールで,どちらのグループがよりモテたか,を調べたわけだ.なお,この中間的な色づきの雄はあらかじめ除外してある.

結果には非常に顕著な差が現れた.
色無しが多数派であれ色ありが多数派であれ,どちらにせよ,少数派だった個体の方が交配回数は倍程度となったのだ.例えば75%が色ありで25%が色無しのプールの場合,マイノリティで物珍しい個体である色無しの方が顕著にモテる.逆に色ありが25%しか居ない環境であると,今度は逆に色ありの方がモテる.遺伝的多様性から予想されていた「少数派の方がなんかモテる」という選択が確かに働いている事が確認できたわけだ.
今回実験が行われたのはグッピーであるが,現在の遺伝的多様性を鑑みるに,他の種でも似たような傾向はあるのだろうと予想される.変わった奴ほどモテる(傾向がある)わけだ.
#一応言っておくと,変わった奴が全員モテるわけでは無い.

実験結果はこうなったのだが,「どうしてこのような『変わった奴に惹かれる』という特質が生まれたのか?」という点については今後の研究待ちである.
一応著者らが「こんな可能性も有るんじゃないの?」と挙げているものを記すと,
・近親交配を避ける.風変わりな模様を持つ相手であれば,近親交配の可能性は低くなる.
・「新しいものを好む」という一般的傾向の現れ.
・同じ相手との複数回の交配を避ける(その方が多様性が確保される)
・(少数派を好む事で遺伝的多様性が増し)種としてその方が強かったので,珍しいものを好む傾向が進化の過程で強化された.
などである.このあたりは,今後詰めていくにしてもなかなか難しそうだ.(2013.11.7)

 

112. 大きなひずみによって誘起されるニッケルの超硬・高安定構造

"Strain-Induced Ultrahard and Ultrastable Nanolaminated Structure in Nickel"
X.C. Liu, H.W. Zhang and K. Lu, Science, 342, 337-340 (2013).

金属材料は,一塊に見えてもその内部は非常に多数の微結晶(ドメイン)から形成されている.微結晶の接合部分は格子の向きが違っているものが接してており,不整合な原子の並びとなる(粒界).この粒界,意外な事に(そして金属業界では常識な事として)数が多ければ多いほど,つまり結晶ドメインのサイズが小さければ小さいほど,金属材料の(低負荷域での)硬さが上がる,という特徴がある.これは一見不思議な現象である.粒界部分は格子が不整合であるため,原子の結合が弱い.そのため大きな力を加えると,強度の弱い粒界部分が剥がれるような破壊が起こる.にもかかわらず,なぜ粒界が多い方が強度が高いのだろうか?
これは実際の金属の塑性変形というものが,原子がある方向に順次ずれていく変形によって起こる,という事に関係している.金属に大きな力を加えると,ある「面」(結晶構造に対し特定方向の面)に沿って原子がずれていき,全体としての変形が起こってくる.ところがこの「面」の先に結晶粒界が存在すると,粒界の先の結晶は向いている方向が違うのだから,変形が同じ方向に延びる事が出来ない.このため変位が一つの微結晶内だけに限定され,変形が材料全体に波及する事が防がれる,つまり変形しにくくなるのだ.

このため金属材料の分野では,「いかにして結晶サイズを小さくするか?(粒界を増やすか?)」が検討されてきた.例えば身近なところで使われる鋼材においても,冷えた状態の鉄をローラーで挟んで無理矢理薄くする冷間圧延であるとか,板材を上下からプレスし,そのまま上下の押さえを逆回転(回転させるのは,上下のうち一方で良いが)させ板材をねじる(HPT加工:高圧ねじり加工)など,金属内に強烈な歪みを加える加工法が多数実用化されている.
このようにして加工された金属材料は非常に小さな(場合によってはサブミクロンの)結晶サイズを持ち,強度が高い.しかしその一方で,結晶界面が多いという事は,エネルギーが高い,という事でもある(界面は,その不整合性のためエネルギーが高い).そのため熱には弱く,温度が上がると隣接する結晶同士が溶けて融合することで,より大きな結晶サイズ&少ない粒界を持つ金属材料へと戻っていってしまう.

さて,今回の論文で報告された構造は,これまでに無いほどの硬さと,非常に高い熱安定性を示すニッケルのナノ構造である.
まずはその作成法から見ていこう.加工法としては,回転させたニッケルの棒材に対し,側面から加工用の超硬材を押し当てるというものだ.押し当てられた超硬材とニッケルとの間に強い摩擦が働き,それがニッケルの回転により引っ張られる事で,棒材の表面にのみ強烈な歪みが誘起される.お気づきの方も多いだろうが,これは要するに旋盤にセットしたニッケル棒材を回転させ,バイトの代わりに棒状の超硬材(先端はニッケルがあまり削れないように球形)を使っただけの単純なものだ.

この「表面にだけ,1方向に向け生じた歪み」がニッケル表層に作る構造はなかなか興味深いものとなった.Supplementary MaterialのFig. S3を見てもらうとわかるのだが,「表面だけが1方向に引きずられる」という効果により,ニッケルは幾枚もの薄層に引きちぎられ,まるでタマネギのように多数の薄膜が積み重なったような構造へと変化している.当然のことながら,薄膜の積み上がっていく方向というのは,ロッドの半径方向になる.この薄層の厚みは20 nm程度であった.厚みと直交する面方向のサイズはどの程度かというと,これは深さに依存する.最表面のもっとも歪みの強い部分では,厚みの数倍程度(100 nm前後)の広さである.まあ,切り餅のような感じだ.これがもっと深い部分では厚みはほぼそのままに広さが増えてゆき,最終的(次に述べるが,80 μm程度の深さ)には厚みの数百倍以上,つまり数から数十 μmという非常に広い面へと変化する.まあ身近なところで言うとボール紙程度のアスペクト比といったところか.面白いのは,積層した薄膜間で結晶方位のずれが非常に小さい点である.もともと一つの繋がった結晶だったものを引きずりにより生じる歪みでちょっとだけ変形させたものであるため,積み重なった薄層の間での結晶の向きのズレはわずか3°や7°とかなり小さい.これは通常の微細化加工(結晶の向きはほぼランダムになる)に比べると特徴的である.

構造を深さ方向に見ていくと,最表面から80 μm程度までの表層部分はこのナノ薄層構造となっていて,一枚のナノシートの厚みはほぼどの位置でも似たようなものであった.これより深い領域(80-140 μm)では一般に超微細粒(UFG:ultrafine-grainde)と呼ばれるサブミクロンサイズの粒径を持つ金属へと変化しており,こちらはまあ一般的な「微粒化により強度が向上したニッケル」だ.これより深い位置では加工処理の影響は無く,元々のニッケルロッドの単結晶的な均一構造がそのまま残っている.

では,肝心の強度はどうだろうか?最表面のビッカース硬度を測定したところ,6.4 GPa程度の非常に高い硬度が確認された.これは通常の超微細化法によるものの1.5-2倍程度に達する.この強度は,通常の超微細化法における強度-粒径サイズ直線を補外したものに乗っており,単純に「粒径20 nmの場合のニッケルの強度」と一致する.板状で幅方向には非常に大きなサイズであっても,厚みが20 nmと薄い点で強度が出ている,と考えれば良さそうだ.これだけ細かい粒径の金属材料というのは機械的加工で作る事はなかなか難しいので,今回のような単純な手法で出来るというのは興味深い.

さらに面白いのは,熱に対する耐性である.前述の通り,微細化すればするほど熱の影響を受けやすく,その優れた強度を維持できる温度域は狭くなる.例えば既存のニッケル材料がどの程度の温度から粒子の融合(=粒界の減少)が始まるのかというと,超微細化ニッケルで467 ℃あたり,より細かなナノ化ニッケルで443 ℃であった.まあこの温度はオフセットで定義しているので実際の粒径の増大はもうちょっと低いところから始まる,とか解析上の細かな点はあるが,それは今回は置いておこう.これに対し,今回の手法で加工したニッケルでは,粒径の増大は506 ℃になってようやく起こるのだ.つまり,既存の超微細化やナノ化ニッケルよりも細かい粒径(ただし厚み方向)とより高い硬度を持ちながら,熱に対する安定性はこれらよりも高いわけだ.通常は粒径を小さくすれば熱に弱くなるので,これは非常に面白い傾向である.
著者らはこれを説明する仮説として,「今回の手法で作った薄層構造は,隣接結晶間で格子のズレの角度が小さいからではないか?」と述べている.ズレが小さいので界面でのエネルギーの損が少なく,そのため通常の粒界(エネルギー的な損が大きい=エネルギーが高いので,別な構造への緩和が容易に起きる)に比べ安定性が高くなり多少の熱では緩和しない,というわけだ.この考えが正しいのかどうかはちょっと微妙なところもあるが,まあ,これまでよりも硬度が高く,しかも熱に強い構造が作成できた事は確かなようだ.

このナノ薄層構造,著者らが調べたところでは,銅の加工においても(構造は)報告例があるらしく,ニッケルに特有の現象ではなさそうだ.つまり,似たような構造は様々な金属でも作成できる可能性がある.
もしこの構造を金属表面に容易&安価に作る手法が開発されれば,金属材料の機械的耐性を大きく向上させる事が可能になるかも知れない(部材の表面に硬いコーティングを施すようなもの).(2013.10.20)

 

111. 正負逆の質量を持つペアによる自発的な加速

"Optical diametric drive acceleration through action-reaction symmetrey breaking"
M. Wimmer et al., Nature Phys., in press (2013).

二つの物体間に力が働くと,作用とそれに正反対の向きを持った反作用が同時に生じる.例えば二物体間に引力が働けば,両者は逆向きの方向に加速され,重心位置を変えないまま相対速度が変化する.これはニュートンによる運動の第三法則であり,非常に重要な項目だ.
さてここで,正の慣性質量を持つ通常の物体Pと,負の慣性質量を持つ物体Nとのペアを考えてみよう.もちろん通常は負の質量などというものは存在しないので,これは仮想的なものである.PとNとの間に引力が働く時,PはNの方へと引きつけられる.その一方で,Nにはそれと逆向きの力……つまりPの方へと向いた力が働く.さて,Nが負の慣性質量を持つことを思いだそう.という事は,F = maの関係式でmが負の場合の結果に従えば,Pの方向に向いた力がかかると,負の慣性質量を持つ物体NはPから遠ざかる方向,つまり通常の物質とは逆へと加速される.すると何が起こるか?PとNとが近くに置かれると,両者は勝手に同じ方向へと加速を続けながらすっ飛んでいくのだ.

力の向き
P→  ←N
加速される向き
P→   N→

この奇妙な運動はR.L. フォワード(「竜の卵」のあの人である)によっていろいろ検討され,diametric driveという宇宙船の推進方式として提案されている.要するに,棒の片側に正の質量物質,反対側に負の質量物質をくくりつけておくと,両者の間の引力(斥力でも良いが)により棒(とそれにくっついた二物体)は燃料も推進剤も無しで勝手に加速していく,というものだ.こんな奇妙な運動にもかかわらず,運動量とエネルギーは保存している(正の質量の運動量やエネルギーが増えた分,負の質量の運動量やエネルギーがマイナスにるため).もっとも,負の慣性質量を持つ物質などというものはもちろん見つかっておらず(ただし,存在するかも?という仮説はある),こんな推進手段は現実のものとはなっていない.

ではここで目を違う分野へと広げてみよう.結晶中の電子など,周期的ポテンシャルの中を運動する波においては,その(準粒子としての)質量はバンドの曲がり方に依存する.その準粒子の有効質量は,「エネルギーを波数で2回微分したものの逆数」に比例するのだ.このため,バンドのどの位置を占める電子なのかによって,有効質量は正であったり負であったり,ゼロであったり無限大であったりする.
固体物性論に慣れていない人にはわかりにくいかも知れないが,これはどういうことかというと格子による反射のようなものが混ざるからだ,と思えば良い.
例えば有効質量が負の電子であれば,電子を加速する方向に電場なり何なりで力を加えると,格子により反射されて逆方向に向かう波束が増えてしまうという位置にいる.結果として,加えた力と逆方向に粒子が加速される=負の有効質量と見なせる,というわけだ.格子による反射などを,全部粒子そのものの性質に押し込んだために生まれる見かけの質量である.
つまりこういった系では,ある意味負の質量が実現できているわけだ.ならば前述の,「正と負の質量のものを組み合わせると,勝手に加速してすっ飛んでいく」というような事が,固体中の電子のようなものなら実現できるのでは無いだろうか?

そういう発想で行われた実験が,今回の論文である.ただし今回用いられたのは電子では無く光となる.しかし,光に対し周期的なポテンシャルを作るのは面倒くさい.正確に言えば短い距離の構造なら出来なくは無いのだが(フォトニック結晶など),それだと一瞬で光が通り抜けてしまうので,「正の質量を持った光と,負の質量を持った光が互いに引力を及ぼし合い,同じ方向にすっ飛んでいく」というのを確認するのは困難だ.そこで今回は,ちょっとトリッキーな方法で周期的なポテンシャルを用意した.
まず,光ファイバーをループ状にしたものを二つ用意し(この二つのループは微妙に長さが違う),それらを1箇所で接触させる.この接触点では,光は1/2の確率で二つのループの間を移動できる.つまり一周するごとに,光の集団の半数が反対側のループへと流れていき,反対のループを一周した光の半分がこちらのループに戻ってくる.ただしループの長さが微妙に異なるので,戻ってきた光は元の光子群と少し位相がずれて重なってくる.入射した光がループをぐるぐると何周も回る間に,位相のずれた光が(時間的な意味で)周期的に注入される.これが一種の「時間軸方向の周期的ポテンシャル」として働き,光は構造をとるようになるのだ.
「何周も同じ所をぐるぐる回っている」という経路を仮想的に直線上に展開し,「超長い直線をずっと進んでいる」というふうに解釈し直せば,この時間的なポテンシャルは空間的な周期ポテンシャルと一致する.例えばスタート位置に1箇所だけハードルが置かれた陸上の一周200mのトラックをぐるぐる回っているというのは,「同じポテンシャルが,一周する時間ごとに繰り返される」(時間的に周期的なポテンシャル)であるが,走っている人からしたら「凄く長いコースに,200mおきにハードルが置いてある」(空間的に周期的なポテンシャル)と等価であると言うことだ.

ここに生じる光の波束の運動は,バンド構造を作る.そして「正の有効質量を持った光の波束」というものと「負の質量を持った光の波束」というものを作る事が可能になる.次は両者の間に相互作用を持たせないといけないが,それは光ファイバーそのものの非線形性を利用した.光の強さが強いほど位相のズレが大きくなる,というものによって,「一方の波束しか居ない」場合と「波束が重なっている場合」とで違いが生じるわけだ.つまり,波束がバラバラでいる時と,近くに居る時とで応答が変わる.これは二つの波束間の相互作用に他ならない(言い方を変えると,「相互作用と見なせる」となる).
実験をまとめると,
・光にとって周期的なポテンシャル(と呼べるもの)を作る
・その結果「正の有効質量」の波束と「負の有効質量」の波束を作る事が可能になる.
・媒体の非線形効果により,複数の波束間には相互作用が働く
というわけだ.

結果は,要点だけ抜き出せば非常に単純なものだ.理論からの予測通り,二つの波束は同じ方向に加速されたのだ.つまり,「正の質量の物体と負の質量の物体が相互作用すると,同じ方向に加速してすっ飛んでいく」というのが実際に観測されたと言えよう.
ただし,今回用いているのが波である,と言う点の影響も現れている.正の質量を持つ波束が自己束縛的なソリトンであるのに対し,負の質量の波束が不安定な塊であるため,両者の相互作用の結果負の有効質量を持つ波束がどんどんばらけて崩れていってしまっているのだ.その結果,二つの波束の相互作用による加速はどんどん効果を減じ,あまり加速が効かなくなっていっている.

まあ,負の質量の物体が見つかる見込みは(少なくとも当分は)無いので,これが発展してdiametric driveが実現する,なんてことは無いのだが,著者らは「波束の新たなコントロールの手段として考慮してみては」と提案している.よく知られたように,光は現代の量子効果の検証・利用だの,様々な計測や通信などに使われている.今回見られたような効果を使って,波束を相互作用させてその周波数をずらすことが可能になるので,そういった波長コントロールとしてどうよ?というわけだ.
まあそういった方向に使えるかどうかはともかく,あのdiametric driveが(非常に限定的とは言え)実際に動いたというのは感慨深い.(2013.10.15)

 

110. 微細構造とレーザーを使った超小型電子加速ユニット

"Demonstration of electron acceleration in a laser-driven dielectric mirostructure"
E. A. Peralta et al., Nature, in press (2013).

加速器は素核分野の研究や各種物性研究においてなくてはならない装置である.粒子(主に電子であるが,時にプロトンやより重い原子核も利用される)を加速し衝突させることで高エネルギー現象を発生させたり,加速した電子からの放射光(要するに,強烈な光)で様々な測定を行ったり,はたまた加速した粒子を利用して中性子や他の不安定核種を作ったり,とその用途は非常に広い.
それら加速器において粒子を加速するには,通常は電場が用いられる.一番単純な構造は二枚の電極間に非常に大きな電位差をかけたものだ(静電加速器).電位の低い側(強く負に持って行った側)から飛び出した電子は正に持ち上げられた電極側に向かって突き進み,その電位差分(=落差)のエネルギーを受け取って加速される.
しかしこのような単純な構造では,あまり高速には加速できない.より速く加速しようと思えばより大きな電位差を付ける必要があるのだが,短い距離であまりに大きな電位差(kV/mm程度のオーダー)を作ると真空放電が起きてしまう.現代の加速器は1 TeVを超えるような加速電圧を必要とするが,もしこれを単純な静電場で,真空放電を起こさずに作ろうと思うと全長が1000 kmを超えるようなことになってしまい非現実的だ.

では現代の粒子加速器がどうやって荷電粒子を加速しているのかと言えば,「加速空洞」というものを利用している.非常に簡略化して言ってしまえば,加速空洞というのは加速したい粒子の入口と出口,そしてマイクロ波の導入部が付いた大きな金属性の容器である.容器の形状・サイズを適切に選ぶと,特定の周波数のマイクロ波がこの容器内部で共振し,定在波が発生する.このとき,定在波の電場の向きが電子の進行方向(加速方向)と平行になるようにするのがポイントである.大出力のマイクロ波を加速空洞に導入し共振させると,電子の通り道に周期的に電場の振動が表れる.この電場は電子を加速する方向,減速する方向の2方向に,交互にマイクロ波の周波数で振動することになる.もしこの加速空洞に電子が侵入した瞬間に電場の向きが「電子を加速する方向」を向いていれば,加速空洞を通り抜けた電子は最初よりも大きく加速されて出てくることになる.これが加速空洞の原理である.
シンクロトロンのように電子が周回する加速器であれば,電子が戻ってくる周期と,マイクロ波の周波数(=電子を加速する向きに電場が向く周期)を一致させておけば,電子が周回するたびに加速に次ぐ加速が行われ,非常に高いエネルギーにまで電子が加速される.線形加速器であれば,隣の加速空洞から抜けてきた電子が次の加速空洞に入った瞬間にまた加速されるように隣接する加速空洞間でのマイクロ波の位相を揃えておけば,電子は連続的に加速されていくことになる.
現代の加速器の加速空洞内でマイクロ波によって生じる局所的な電場は40 MV/mにも達しており,単なる静電加速とは桁違いのエネルギーまで粒子を加速している.

さてこのような加速空洞であるが,どうしてもサイズが大きくなのは避けられない.そもそもマイクロ波の波長がそれなりに大きいので(数十 cmレベル),加速空洞のサイズはメータースケールになる.その一方で,輝度は低くても(=一度に加速できる粒子は少なくても)小型で使いやすい加速器があれば,わざわざ大型加速器に出かけなくても各種測定を様々な場所で使いたい時に使えるようになる.どうにかして小型の加速空洞は作れないものだろうか?
その一つの解が,今回の論文でも報告されているレーザーと微細な共振器を使った超小型加速空洞である.その基本は非常にシンプルだ.波長が数十 cmのマイクロ波を使うから大きな加速空洞が必要になる.ならばもっと波長の短い,例えば1 μm程度の赤外線やもっと波長の短い可視光を使えば,サイズは10万分の1などに小さくなるはずではないか?
もちろんこんな単純な発想はかなり以前から存在しいろいろな人が実験を試みていたのだが,それがようやく成功した,というのが今回の論文である.

著者らが作成したのは,石英の板の中に「╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋」という空洞が彫り込まれた構造だ(削った石英版2枚を貼り合わせて作成).模式図はこちらの図の(a)を見ていただきたい.繋がった直線状のトンネル部分を電子が突き抜けていき,その上下に棒状に広がった空間が光の定在波が立つ共振器部分になる.共振器と共振器との間隔はおよそ800 nm程度,共振器は電子進行方向に対し数百個が並び,全体としては長さが1 mm弱程度になる.
この共振器列に上から赤外レーザーを照射すると,個々の共振器内に定在波が発生,周期的に向きの変わる強い電場が生成される.そこを電子が突き抜けていく際に,共振器の間隔がうまいこと設定されていれば,「一つ目の共振器で加速される方向に電場が向く」 → 「次の共振器にたどり着いた時には,また加速される方向に電場が向いている」 → ……,と,次々に電子を加速する電場が表れ,このたかだか1mm無いような長さの中で電子は数百回加速される事になる.

著者らが実際に行った実験では,このチップ状加速部に対し,60 MeVに既に加速されている電子集団を打ち込み,チップから抜け出てくる電子集団がどの程度加速されるのか,をエネルギー分解によって観測している.その結果,加速空洞内に定在波を作るためのレーザーをonにすると,元々の電子からさらに60 keV程度加速された集団が生じ,レーザーをオフにするとそれらは元のエネルギーに戻る,という事が観測された.
なお,ここから計算すると,加速空洞内に発生している加速勾配は150 MeV/m程度という非常に巨大なものになるらしい.これは現代の加速器の加速空洞における加速勾配の3倍以上に達する.

※ちなみに,今回入射している電子集団は非常に長いので,定在波と位相が合わずに逆に同じだけ減速された成分も存在するが,まあそれは実験上の問題であって,原理そのものに問題があるわけではない.

加速用レーザーの強度を変えていくとこの共振器内に立つ定在波の強度(=その場の電場の強さ)も変わり,それにより電子が加速される度合いも変化する.このため,本共振器を用いた粒子加速では,加速度合いをレーザー光強度によって簡単に変化させることも出来る.レーザーのパルス強度を0.9 mJから0.3 mJ程度まで上げると,加速勾配は250 MeV/mにまで上昇している.

現時点で達成されている加速性能は非常に微々たるものであり,60 MeVの電子をわずか1/1000だけ加速したに過ぎない.しかしこういった構造を用いた加速系の開発がより進めば,ベンチトップやデスクトップ程度のサイズの加速粒子線源であるとか,持ち運び可能なサイズの各種分析装置,などいろいろな装置への組み込みが行われる可能性もあり,面白い方向だ. #道は遠いが.(2013.10.3)

 

109. 光によりコントロールできる抗菌剤

"Optical control of antibacterial activity"
W.A. Velema et al., Nature Chem., in press (2013).

様々な抗菌物質の開発は人類,特に病院における患者を感染症から守り,非常に大きな利益を人類にもたらしてきた.現在ではあまりにも多くの場所で多量に抗菌剤が使われるため,河川や沿海と言った場所にまで多量の抗菌剤が流出している.これは大きな問題である.耐性菌が出現してしまうのだ.自然界に広く抗菌剤が行き渡ってしまえば,それに対抗できる菌の生存性が(相対的に)高くなることで大きな選択圧が働き,自然界における耐性菌の比率が劇的に高まる(実際にそのような現象が確認されている).この傾向は最終的には病院等での感染の拡大を招き,公衆衛生上マイナスとなる.
抗菌物質の使用を限定すれば良いのだが,医療従事者としてみれば「今目の前の患者にプラスになるのなら使いたい」というのは当然の心理である.目の前の人間を救うことが結果的により多くの人間を害することになるというのは何とも皮肉なものだ.「使いたい時に使いたいだけ使えて,その一方で自然界において耐性菌をあまり増やさない」などという抗菌剤を作ることは出来るのだろうか?そんな困難な問いに対し今回の論文の著者らが出した解答は,「使う時にだけ抗菌性を持たせられる薬剤」であった.

著者らは,分子の途中にアゾ基(R-N=N-R')を組み込んだ抗菌剤を開発した.アゾ基部分は二重結合を持つので通常は回転できないのだが,特定の波長の光を当てると自由に回転できるようになるという特徴を持つ.立体障害などの関係で通常はRとR'とは二重結合の反対側に位置していた方(トランス体)が安定であり(ぶつからないのでエネルギーが低い),紫外光をあてると回転が始まることにより,RとR'が同じ側に来た分子(シス体)が一部生成する.
今回著者らは途中にアゾ基を持ついくつかの類縁体を作成し,その抗菌性を調べた.その中から,トランス体(通常状態)ではあまり抗菌性を持たないが,紫外線を当ててシス体へと変換すると抗菌性を大きく発揮する,と言う物質を選び出した.なお,シス体は準安定状態なので,しばらく環境光を浴びていたり熱励起により徐々にトランス体に戻る.
実験では,大腸菌を培養する所にこの物質を作用させ,その影響を確認している.抗菌剤の投与直前に(抗菌剤に)紫外光をあてた場合には十分な抗菌性を発揮し,大腸菌の増殖は抑制された.投与の1時間前に紫外線を照射した場合もかなりの抗菌性を発揮する.しかし投与の2時間前に紫外線を当てたものでは抗菌性はかなり弱くなり,3時間前のものではほとんど抗菌作用は見られなかった.
どういうことかというと,この抗菌剤は通常状態では抗菌作用の弱いトランス体となっている.紫外線を照射するとその一部が強い抗菌作用を持つシス体へと変化し,抗菌作用を示すようになる.その状態でしばらく放置すると,シス体は徐々にトランス体へと戻っていき,抗菌作用を失っていく,と言うわけだ.

これの何がありがたいのかと言えば,「使う時だけ抗菌作用を持ち,環境中に放出された後ではほとんど抗菌性を示さない.そのため耐性菌の蔓延を予防できる」と言う点である.現在自然環境中での耐性菌の増大が起こっているのは,自然環境中に多量の抗菌物質が残ってしまうからだ.環境中に放出された抗菌物質が自動的に無効化するなら,耐性菌は広まらない(通常,耐性を維持するには余分のコストがかかるので,生存上不利になる).

発想としてはなかなか面白いと思うが,これをそのまま実用化するのは困難であろう.使用前に紫外光の照射の必要がある,というのはなかなかに手間である.
むしろ,2液混合型というか,スプレーすると自動的に混合されて抗菌性を発揮,時間が経つと酸素や水と反応して無効化される,と言うような,もっと手間の少ない手法へと進む必要があるように感じられる.
とは言え,「必要な時だけ抗菌性を発揮することで耐性菌の発生を防ぐ」という発想は面白いので,これを発展させた薬剤が登場するかどうか,楽しみである.(2013.9.19)

 

108. 色素増感ではなかったペロブスカイト型色素増感太陽電池

"Efficience planar heterojunction perovskite solar cells by vapour deposition"
M. Liu, M.B. Johnston and H.J. Snaith, Nature, in press (2013).

色素増感太陽電池というものがある.良く用いられるのがTiO2に色素(金属錯体が多い)を吸着させたものなのだが,色の濃い色素が光を良く吸収,そのエネルギーをTiO2に受け渡し電荷分離を起こすことで起電力を得るというものだ.色素増感太陽電池の利点として良く挙げられるのは以下のような点である.
・塗布や印刷などのウェットなプロセスで作成出来るため,量産が楽.
・有機分子などを使うので,環境親和性が高い(ものもある)
・様々な色のカラフルな太陽電池が作成できデザイン性が高い.また異なる色の太陽電池をタンデム型に積層することで効率を上げられる.

その一方で,以下のような弱点を持つためほとんど実用化はされていない.
・効率が低い.例外的に10%を超える効率のものもあるが,非常に高価な金属を使用するため量産に向かない.
・有機分子が分解しやすいため,十分な封止が必要.また液体を用いる場合も多く,外部衝撃に弱い.

さてそんな中,桐蔭横浜大学の宮坂先生らのグループが開発したのが,有機-無機複合物質であるハロゲン化鉛系ペロブスカイトを利用した色素増感太陽電池である.この物質はハロゲン化鉛(これは負に帯電したユニットとなる)の作る二次元シートと,有機カチオン分子が並んだ層とか交互に積層した物質なのだが,これをTiO2に吸着させると非常に効果的な増感色素となったのだ.2009年にこの基本的な部分が発表された後,2012年にはついに変換効率が10%を超えるものが作成された(スイスのGratzelらは,ついには15%以上をたたき出した).この物質は(鉛というあまり環境によろしくない元素を使ってはいるが)高価な金属などは含んでおらず安価,しかも液相のプロセスが利用できるという事で非常に量産性の高い太陽電池であると期待され,数多くの研究がなされ様々な発見が相次いだ.例えば重要な発見として,担体となるTiO2の構造をうまい具合にナノ・メゾレベルで制御する事が重要である,といったものが挙げられる.
だが,このあたりから雲行きが怪しくなる.TiO2の構造が重要らしいと言うことで,そのあたりに様々に手を加えた研究が出てくるのだが,どうにも結果がおかしいのだ.通常はTiO2を高温処理して焼結するのだが,そんな処理をしなくても効率が高かったりする.これは実に奇妙な結果である.TiO2が焼結されていないという事は,TiO2のほとんどは発電に関与していないはずだ.なぜなら,焼結されていないTiO2間では電流がほとんど流れず,光によって生じた電荷が電極にまで到達できないからだ.最近になってこのあたりを調べた研究が報告され(今年のNature系だかScienceだかのはずだが,失念),「実は電荷はTiO2関係なくペロブスカイト部分を直接流れているらしい」なんて事が判明してきた.

となると,これはもはや色素増感太陽電池では無いのでは?という疑問が生じる.本来,色素増感太陽電池というのは,「電荷分離を起こすにはちょうど良いけど,光吸収が弱い物質」と「光吸収が強い物質」を組み合わせ役割分担させることで発電する素子である.ところがこのペロブスカイト系は「自分のところで光を吸収して,そのまま電荷分離を起こして起電力を生んでいる」可能性があるわけで,色素増感と考えるには無理が出てくる.

そういった流れにおいて,とどめを刺すのが今回の論文である.
著者らが行ったのは,この有機無機ハイブリッド系であるハロゲン化鉛ペロブスカイトを,純粋な層として積層し固体太陽電池(化合物太陽電池)を作りましたよ,というものになる.
著者らが作成した太陽電池の構造は,
光→ |ガラス|透明電極|n型半導体層(電子輸送用)|ペロブスカイト層|p型半導体(ホール輸送用)|電極|
と言う構造になる.光がペロブスカイト層に当たると電子とホールのペアが生まれ,電子はn型半導体に吸い寄せられ,ホールはp型の方に吸い寄せられ電荷が分離,それにより電極間に起電力が生じる,というものだ.まあ,いわゆる一般の固体太陽電池の構造そのままだと思ってもらって良い.ペロブスカイト層に関しては,ヨウ化鉛を一方のソースから,有機カチオンのヨウ素化物をもう一方のソースから加熱して飛ばし,基板上で両者が反応して堆積していく.その結果出来上がるのは非常に結晶性が良く,均一でフラットなペロブスカイト層である.

では,これを使って発電した結果はどうだったのだろうか?
驚くべき事に,非常に高い変換効率での発電に成功してしまった.著者らが液相プロセスで今まで通りに作成した比較用のセルでは変換効率が9 %弱程度だったのに対し,今回作成した太陽電池ではベストの値で15.4 %,平均でも12 %以上の変換効率が実現できてしまったのだ.
要するに,今まで「ペロブスカイトを入れると,こいつがいい感じの増感色素になってTiO2を使った太陽電池が出来ます!」と信じて研究をしていたら,実際には「ペロブスカイトはいい感じの太陽電池になります.TiO2?ああ,一緒に入ってるだけですね.むしろペロブスカイト部分の結晶性を低下させるんで居ない方が……」という,なんともやるせない結果が得られたのだ.つまりこれまで,「TiO2とペロブスカイト部分との混ざり方をうまくコントロールすると高い変換効率が得られた」と思っていたことは,実際には「うまいことTiO2とペロブスカイト部分が分離した構造になり,TiO2がペロブスカイト部分を通る電荷を邪魔しないような構造だと効率が高かった」というわけだ.まさに想定外.

この結果自体は,数ヶ月前の国際学会で発表されていたのを人づてに聞いていたので知っていたのだが,色素増感系をやってる人にとってはがっくりくるような結果であろう.なにせ,「色素増感太陽電池の変換効率が一気に増大!劇的な高効率に!」と思ってそれをさらに進めようとしていたら,「いや,それ,色素増感関係ないから」と突きつけられたのだから.
まあ,「有機無機ハイブリッド系で高い変換効率が出る」という面で化合物半導体太陽電池の新しい設計指針へと発展していく可能性はあるが,当初の方向からはずいぶんとねじ曲がってきたものである.研究は,げに難しき.(2013.9.12)

 

107. シロイヌナズナはグルタミン酸受容体様タンパクを使って電気信号を伝達する

"GLUTAMATE RECEPTOR-LIKE genes mediate leaf-to-leaf wound signalling"
S.A.R. Mousavi, A. Chauvin, F. Pascaud, S. Kellenberger and E.E. Farmer, Nature, 500, 422-426 (2013).

動物は様々な感覚器を持ち,周囲の状況に応じて行動や代謝などを大きく変化させる.それに対して植物は静かに生長するのみである……などと考えられていたのは遙か古代の話.現代では,植物は実に様々な手段で外界の情報を得ており,それにより自らの成長やら内部で作る分子やらをダイナミックに変化させていることが知られている.
そんな外部刺激に対する「応答」の一つとして,昆虫などにより食われた際などに起こる傷害応答というものが知られている.植物といえど,黙って食べられているわけではない.囓られるとそこから「食われてるぞ!」というシグナルを発し,それを元に昆虫の消化を阻害する成分だとか(昆虫の摂食量を減らしたり,成長を抑制する),もっと直接的に毒性のある成分を生産し出したり,傷ついた部分からの細菌の侵入を防ぐための抗菌物質や凝固性物質(傷口を塞ぐ)の生産を始めたりするのだ.さてこの傷害応答,何によってシグナルが伝達されているのか?という点に関して議論が続いている.
植物におけるシグナル伝達は,かつては各種の合成された分子が導管などを通して運ばれ,それによって信号が伝わっているのだろうと考えられていた.しかしその後様々な研究が進むと,どうも動物における神経伝達のように,何らかの電気的シグナルを使っている場合があるようだ,という事が明らかとなってきているのだ.例えばハエトリソウやオジギソウが非常に素早い動きをすることをご存じだろうが,これらの動作においては人間などの神経と同様にイオンを使った迅速なシグナル伝達が使われている.

*余談だが,オジギソウなどのシグナル伝達が神経に非常に似ていることから,エーテルをかがせたらどうなるのか?という実験が行われたらしい.その結果,オジギソウにもエーテル麻酔が効くことが示された.エーテルをしばらく嗅がせたオジギソウは触ってももはや葉を閉じなくなる.麻酔が効いているわけだ.その後大気中で放置するとまた通常に戻るそうだ.

さて,そんな電気信号が使われているのではないか?と考えられているシグナル伝達の一つが,先に述べた傷害応答である.実は傷害応答は囓られた葉だけではなく,そこから離れた葉にも同じ応答を引き起こし,外敵への防御を固めさせる効果があることが知られている.過去にはトマトを使った実験が行われており,膜電位の関係する信号伝達などが示されている.

今回の論文で報告されているのは,シロイヌナズナの傷害応答である.まずはいくつかの場所(芋虫が囓る葉の複数箇所と,それ以外の様々な場所の葉)に電極を取り付け,どんな変化が表れるのかを観測した.葉が囓られると,その周囲の細胞の膜電位は大きく低下し,それが次第に遠方の細胞にまで伝わっていく様子が観測された.単に葉に触れたりしただけではこのような変化は観測されず,葉が傷つくことが重要であった.同様の電位の低下は葉に冷たい水を垂らす,と言った刺激でも生じたが,その時間変化は大きく異なっていた.葉に傷が付くような大きなダメージの場合は,電位の低下が長く続き,しかも周期的にパルス状に電位が低下する信号が送り続けられたのだ(もちろん次第に減衰していくが).人間で言うなら,「怪我したら痛みが長く続いて,しかも周期的に痛む」とでも言いたくなるような状態だ(もちろん植物がそう感じるわけではないが).
この「信号」の伝わる速度は,同じ葉の中では7-8 cm/min程度,違う葉に伝わる時でも6 cm/min程度はあるようだ.この速度は人間などの神経系の伝達速度に比べるともちろん圧倒的に遅いが,植物のタイムスケール的にはかなり速いと言えよう.また信号は全ての葉に同じように伝わるわけではなく,配置的に近い位置にある葉に強く伝わるようだ.シロイヌナズナの葉は地面近くに放射状に広がっているのだが,傷つけられた葉を中心に±70度程度の範囲に信号が伝わる感じで,傷つけられた葉に(空間的に)近い位置の葉により強い信号伝わっているようだ.恐らく,「次に囓られる可能性が高い葉」を中心として傷害応答を起こしておくためだろう(防御行動もコストがかかるので,狙われやすい部分だけで起こすのは理にかなっている).

膜電位の変動は,傷害応答のきっかけとなるシグナルなのだろうか?それとも傷害応答の単なる結果なのだろうか?それが次の疑問である.もうちょっとかみ砕いて言えば,シロイヌナズナは信号を電気的シグナルとして伝えているのか,それとも別な何かで伝えていて,電位の変化はそこから引き起こされる何かの結果なのか?という事である.そこで著者らは,純粋に電気的な手段で傷害応答を引き起こせるのか?を実験した.まず葉に非浸食性の電極を取り付け,非常に弱い電流を流すことで周囲の膜電位を低下させたのだ.
そうすると,葉は一切傷ついたり囓られたりしていないのに,ジャスモン酸の生成量が増える,などの代表的な傷害応答が葉全体で発生したのだ.

*ジャスモン酸は傷害応答の第一段階である.これ自体が有用であることに加え,ジャスモン酸は様々な耐傷害のためのメカニズムをトリガーし,傷害応答をコントロールする.

電流刺激により葉でどのような遺伝子が活発に働くようになったかを調べると,「電流刺激で活性化された遺伝子」のほぼ全ては,「傷害応答時に活性化する遺伝子」に含まれていた.この結果は,「傷害応答」には,電気的シグナルによって活性化するものがある,つまりシロイヌナズナが電気的信号を利用して傷害応答(の一部)をトリガーしていることを強く示唆している.また,「電流は単にジャスモン酸の生成量を増やすだけで,それが他の傷害応答もトリガーしただけなのでは?」というわけでもない.ジャスモン酸の合成部分をノックアウトした株であっても,電流刺激によりその他の傷害応答が観測されたからだ.
なお,電気的に引き起こせるのは,傷害応答の一部である.つまり,「本来の傷害応答では活性化するけど,単なる電流刺激では活性化しない遺伝子」も多数存在していた.これ自体は驚くことではない.傷害応答のように生き残るために必要な機構は,様々な情報をトリガーとして動く異なる複数の機構で構成されているのが普通だからだ(ある種のredundancy).

では,一体どのような分子がこの電気的シグナルの伝達に関与しているのだろうか?著者らが目を付けたのが,グルタミン酸受容体様タンパク質(GLRs)である.動物ではイオンチャンネル型の受容体が神経信号の伝達に大きな役割を果たしていることが知られており,グルタミン酸受容体はその中でも重要度の高い分子である(脳神経などで重要な役割を果たしている).
著者らが「もしかしたら植物でも同じよな分子であるGLRsが電気的信号の伝達に関与しているのでは?」と考えたのかどうかは知らないが,結果はまさにその通りであった.GLRsをノックアウトした株では,囓られた時の電位変動は非常に弱まり,葉に電流を流しても傷害応答を引き起こすことが出来なくなったのだ.

まとめると,

・シロイヌナズナは電気的信号を「葉が囓られた」と言うような事実を伝えるためのシグナルとして使っている.
・そのため逆に電流刺激だけで,傷害応答を引き起こせた.
・このシグナル伝達には,グルタミン酸受容体様タンパク質が重要な役割を果たしている

という事になる.
面白い点は,(著者らも最後のあたりに書いてあるのだが)動物で電気的振動伝達に大きな役割を果たしているGLRsが,植物でも同じような信号伝達に利用されている,と言う点である.これはこの分子がシグナル伝達を担うようになったのが,動物と植物とが分かれる前の時代なのではないか?という示唆を与えるものだ.
植物と動物が分かれる前なんてこりゃもう非常に古い時代なわけで,そんな時代にこの分子が一体どんな情報を伝達していたんだろう?なんて妄想に耽るのもなかなかに面白い.(2013.8.24)

 

106. 窓をアップグレード

"Tunable near-infrared and visible-light transmittance in nanocrystal-in-glass composites"
A. Llordés, G. Garcia, J. Gazquez and D.J. Milliron, Nature, 500, 323-326 (2013).

タイトルはNatureの表紙の文言より.
ガラスというのは非常に古くから使われている材料であり,多くの優れた特性を持っている.そのためその特性をさらに伸ばそうという試みや,新たな特性を付与しようという研究が多くなされている系でもある.なお,以下の文章では「ガラス」というのはアモルファス構造を持つ金属等の酸化物全般を指し,日常生活で言うところの「ガラス」(アモルファス状の酸化ケイ素)よりさらに広い範囲を指すことに注意.
そんなガラスの高機能化の一つの手段が,ガラス中にナノ結晶を混ぜ込む,と言う手法だ.これは通常アモルファスな溶融ガラスを冷却する際の冷却速度やイオン濃度などをうまいこと制御することにより実現され,固まる際に一部がきれいな結晶粒として析出したガラスとなる.このようなガラスでは,結晶構造の存在による強度の上昇や,ナノ結晶に由来する独特な吸収や非線形光学現象などが観測されている.しかしながら,望んだサイズの結晶を望んだ密度で析出させる,と言うようなコントロールは非常に難しく,応用範囲は狭い.

今回著者らが報告しているのは,アモルファスなガラスとなる母材に,別な材料からなるナノ結晶をあらかじめ混合しておき,熱処理を加えるだけで「ナノ結晶含有ガラス」とするという,ある意味非常に原始的な手法によるガラスの作成である.画期的だったのは,その組み合わせをうまいこと選ぶことで,電圧印加によりガラスの透明度を大きく3状態で変化させることの出来る「賢い窓」(Smart Window)を作ることに成功した点だ.

彼らが作成したのは,アモルファスの酸化ニオブを母材とし,その中に酸化インジウムスズ(要するに,ディスプレイなどの透明電極として使われているITO)のナノ結晶を埋め込んだものである.作成法としては,デカニオブ酸([Nb10O28]6-)のテトラメチルアンモニウム塩([(CH3)4N]+6[Nb10O28]6-)の水溶液の中にITOナノ結晶を分散させておき,それを400 ℃ほどで熱処理するというものになる.ニオブの酸化物はニオブを中心に6個の酸素原子がくっついた8面体構造をとる.得られたガラス中ではこの8面体構造が辺を共有したり(隣接する2つの8面体が,2つの酸素原子を共有),頂点を共有したり(隣接する2つの8面体が,1つの酸素原子を共有)することによりランダムなネットワークを作りアモルファスなガラス母材となっており,その中にITOのナノ粒子が多数浮かんだ複合物質を形成している.これまでの結晶を析出させるような合成法と大きく違うのは,ITOの体積比を非常に広い範囲で変えられる点だ.組成の異なるナノ結晶を析出させるような場合だと,どうしても可能な混合比が限られてきてしまう.入れすぎれば完全に分離した二相になってしまったり完全に混合した均一なアモルファス相になってしまったりするし,少なければ結晶が析出しない.それに対し今回の手法だと,ITOの体積分率で0〜69%と,ほぼ任意と言って良い比率の複合ガラスを作成して見せている.この混合比の幅広さは,物性のコントロールの面からは非常に重要である.

この材料で一番面白いのは,その光学特性だ.ナノ粒子として混ぜ込んだITOは,電荷(電子)を注入すると赤外領域での不透明度が格段に向上することが知られている.一方の母材である酸化ニオブは,電場の印加により可視領域での吸収が大きく変化することが知られていた.今回の材料はこの二つを組み合わせたことにより,近赤外と可視光の二つの領域での透明度を可変にすることに成功したのだ.
この窓材から電荷を抜ききった状態を初期状態とする.これは窓材に正電位(+4 V)を与えた時に相当する.この窓材に固体電解質を通してLiイオン源を接続し,電位を変化させる.要するにこの窓材を片電極としたLiイオン電池を作るようなものだ(もちろん,これは電荷を注入するための手段であり,電池を作ることが目的ではない).窓材の電位を下げていくと,ITO-酸化ニオブ複合材料に次第に電子が注入され始める(電荷を補償するため同数のLiイオンも窓材内部に侵入していくが,以下ではそれは省略).注入された電子はまず,エネルギーの低いITOにトラップされていく.するとITOの赤外吸収量が増え,ガラスは可視領域での透明性を保ったまま赤外線だけを遮断するようになる.つまり熱線遮断ガラスのようなものへと変化するわけだ.さらに電位を下げて電子の注入を続けると,今度は酸化ニオブの還元が始まる.還元された酸化ニオブは可視域での吸収が増大するため,今度は可視光を通さないガラスへと変化していく.この間,ITOは赤外吸収を保ったままとなる.要するにこの材料は,電位を変化させることで 透明なガラス ↔ 赤外線を通さないガラス ↔ 可視光も赤外線も通さないガラス という3つの状態へと変化させることが出来るわけだ.例えばITOを55 %混ぜ込んだ150 nm程度の厚さのフィルムを使った場合の透過率の変化がSupplementary InformationのFigure S7Bにも載っているが,電位を変化させることで可視および近赤外での透過率を20-40%程度変化させることに成功している(厚みを上げれば,当然透過率はもっと低く出来る).また電気化学的な安定性も高く,2000回程度の変化をさせた後でもほぼ同じ特性が保たれている.

これまでにも偏光板と液晶でガラスを挟み込む事で似たような事をやっている例はあるが,その場合は偏光板を通してしまうため透過率が常に半分以下という問題があった.本手法では,透過させる場合はかなり高い透過率を維持しつつ,しかも赤外だけ遮断したり,可視光も遮断したりと複数の遮光を切り替えられるなど,非常に高機能な材料に仕上がっている.
もちろん現状ではITOなどの高価な部材を多量に使用しているため実用化は無理であるが,同様の考え方から非常に面白いsmartなガラス材料が生まれる可能性もあり興味深い.(2013.8.15)

 

105. ナノダイヤモンドを用いた空間・温度分解能の高い温度計

"Nanometre-scale thermometry in a living cell"
C. Kucsko et al., Nature, 500, 54-58 (2013).

新たな測定手段の開発は,科学・技術を大きく進歩させる.測定手段無しでの研究というのは目を閉じて歩き回っているようなものであり,目的の場所に到達するのは非常に困難になる.「今どうなっているのか?」であるとか,「この外場を系に加えたらどういう変化が起きるのか?」を知ろうと思うなら,サンプルを何らかの手段でモニタリングする必要があるのは自明であろう.そのため,先端科学の分野では「測定手段の開発」は一大領域を成している.
そんな各種測定手段の一つとして,非常に微細な領域の温度を測定することの出来る「温度計」が近年になりいくつも開発されている.例えば量子ドット,蛍光タンパク質,走査プローブ顕微鏡などが挙げられる.これらはいわゆる日常生活で使用する温度計とは異なる原理で動作しており,例えば温度によって発光波長が微妙に変化するナノ粒子をばらまいておいて,温度を測定したい際にはその場所に測定用のレーザーをあてて発光させ,その波長から局所的な温度を読み取る,などの原理で動作する.
こういった温度計がどういった用途で活躍するのかというと,例えば熱負荷のかかる微小デバイス(マイクロマシン,MEMS等)の表面に振りかけておいてその熱分布を見る,と言った用途がある.測定結果をもとに熱が限界を超えないように再設計したり,適切な放熱手段を追加したり,と言った必要性がわかるわけだ.そしてさらに大きな応用分野が,細胞内での温度分布の測定である.細胞は,非常にダイナミックに変化している系である.内部では休み無く膨大な量の分子が合成され,エネルギーを消費し,様々な機能を発揮している.これらの各種化学反応は熱の放出を伴い,すなわち局所温度が計測できれば細胞内のどの部分がどの程度活動しているのか?という事を理解する事が出来る.これは細胞内での生化学的過程を解明したり,病理学的な機構の解明に繋がる重要な測定手段となり得る.

細胞内の温度を測定する手段として,近年盛んに研究が行われているのが蛍光性分子の利用である.遺伝子組み換えなどで蛍光分子を生産するように改変した細胞を用い,それら分子をレーザーで励起,蛍光寿命を測定することで温度を測定する.温度が高いほど,励起状態から変な過程(蛍光を発せず基底状態に落ちる過程)を通る確率が上がるため蛍光寿命は短くなる事を利用するわけだ.この手法の開発により,μmレベルの空間分解能と1 ℃程度の温度分解能で細胞内の温度を測定する事が可能になった.
ところが,この蛍光分子を利用する手法には大きな弱点があった.まず一つ目は,「蛍光寿命の測定」はばらつきが大きく,偶発的な揺らぎが測定精度を落とすのだ.もちろん何度も測定すればこのばらつきは減らせるが,測定時間が非常に長くなってしまう.そしてもっと問題なのが,分子を使う以上,温度以外の周囲の状況に大きく影響されてしまう,と言う点だ.細胞内の各種化学物質濃度などにより蛍光分子は影響を受け,その蛍光寿命が変化してしまう.これも測定温度の正確さに限界をもたらしてしまう.
そこで今回著者らが提案しているのが,ナノダイヤモンド(正確には,そこに内包されている欠陥)の蛍光を利用する,と言う手段である.

ダイヤモンドを構成する炭素原子は通常4本の結合を持つ.炭化水素の熱分解でダイヤモンドを作成する際に含窒素有機物をほんの少し混入しておくと,欠陥として窒素(通常,結合を3本だけ持つ)を取り込んだダイヤモンドを作ることが出来る.窒素原子の残り1方向には窒素の持つ電子対が伸びているためこちらの方向の隣のサイトには炭素が入ることが出来ず,ダイヤモンド中には窒素(N)と空孔(V)がペアとなったNV中心と呼ばれる欠陥が生じる.このNV中心は電子を捕獲して負に帯電しやすく,その状態だと「空孔に隣接する3炭素から供給された3個の電子」と「窒素から供給された電子対」,「捕獲した電子1つ」の6電子がNV中心に存在する.この6電子は[↑↓][↑↓][↑][↑]とNV中心の位置の軌道に入り(最後の二つの軌道はほぼ同じエネルギーを持ち縮重している),この結果電子2つ分のスピンが生き残っている(この電子2つ分のスピンは,同じ方向を向く).
さてここからが重要な点である.このNV中心に存在するスピン,窒素-空孔を結ぶ軸に対し,「軸の正方向(ms = +1)」「軸に直交する方向(ms = 0)」「軸の負方向(ms = -1)」の3つの方向を向くことが出来る.そしてms = ±1の状態はms = 0よりわずかに高いエネルギーを持っており,このエネルギー差はダイヤモンドの結晶構造に依存,さらにダイヤモンドの格子が温度変化で伸びたり縮んだりするため,エネルギー差は温度で変化することになる.つまり,ms = ±1とms = 0とのエネルギー差を精密に測定できれば,温度がわかる,と言うわけだ.なおこのエネルギー差はおよそ2.87 GHzのマイクロ波領域に存在する.
では,このエネルギー差をどうやって測定したら良いのだろうか?ここで利用できるのがNV中心の蛍光である.基底状態であるms = 0のNV中心に532 nmの緑色光をあて励起すると,630 nmあたりの赤色光を発して基底状態に戻ってくる.ところがms = ± 1の状態から532 nmの光で励起された状態は,蛍光を発さずに基底状態に戻る経路が有効となり,この結果630 nmの蛍光が非常に弱くなる.そこでNV中心を緑色光で励起しながら赤色の蛍光を測定,そこに周波数を少しずつ変えながらマイクロ波を照射していくと,ちょうどms = 0とms = ±1のエネルギー差と一致するエネルギーのマイクロ波が当たった時にだけ蛍光が激減する.ここからエネルギー差を精密に測定する事が可能となり,温度が正確に導出できる.

蛍光分子を使わずにナノダイヤモンドを利用すると,どんな利点があるのだろうか.最も重要なのは,ナノダイヤモンドが化学的にきわめて安定,と言う点である.発光体であるNV中心は,ナノダイヤモンド内に埋め込まれた状態となっている.さらにナノダイヤモンドはきわめて安定で周囲の化学種の影響をほぼ受けないため,周囲にどんな物質がどんな濃度で存在しても,蛍光強度には影響を与えない.これは常に安定した測定が可能であること,それにより精密な温度測定が可能になることを意味している.また,一つのナノダイヤモンドが多数のNV中心を含んでいる点も挙げられる.NV中心は原子2個分のサイズと非常に小さく,ナノダイヤモンド中に数百と言った多数のNV中心を持たせることが出来る.ダイヤモンドは熱伝導性が高いためこれらのNV中心は均一な温度となっており,一つのナノダイヤモンド粒子を測定するだけで,数百個の温度計をまとめて平均化した測定が行えるわけだ.これは測定誤差を大幅に減らす効果があり,精密測定(と,短時間での測定)に有効である.さらに,広い温度範囲で利用可能な点も長所となる.NV中心の発光は少なくとも200 Kから600 Kの温度範囲で利用可能であり,これは温度計の測定範囲もこの程度の広さを持つことを意味している.

では,このナノダイヤモンドを用いると,どの程度の測定が可能になるのだろうか? 著者らはまずナノダイヤモンドだけを用いた測定を行い,1.8 mK程度の不確実さで温度決定が可能であることを示した.これは非常に高い温度決定性である.
続いてより実践的な状況での評価を行うため,基板上にナノダイヤモンドと金ナノ粒子を塗布したものを利用している.金ナノ粒子にレーザーを吸収させることで熱源とし,そこから離れた位置のナノダイヤモンドで温度を測定する.得られた結果は,熱源からの基板を通した熱の散逸の理論計算と非常に良い一致を示し,ナノダイヤモンドで測定される温度が実際の温度(の理論予測値)と数十 mK以内で一致する,つまり非常に良い温度計として使用できている事を明らかとしている.またナノダイヤモンド自体が非常に小さいため,空間分解能も100 nm程度が達成されている.
そして最後に,生化学への利用も考慮し細胞中での実測を行って見せた.細胞中にナノダイヤモンドと金ナノ粒子を注入し,先ほどの基板上での実験と同様にレーザーで加熱しながら温度を測定した.その結果,細胞中であっても0.1-0.2 K程度のぶれで温度を測定できることが確認できた.空間分解能で最大数十 nm,温度分解能で数十 mKの微細な温度計が作れた,と言う報告である.なおこの温度分解能等は現時点でのものであり,理論的な究極の分解能としては0.1 mKを切るような所まで可能性がある,とも述べられている.

現状,空間分解という面ではやや心許ない部分もある.と言うのも,細胞内にあまり多量のナノダイヤモンドを入れるわけにはいかないので,「細胞の中の測定できる点の数」がかなり少なめになっているためだ(実験中では数点程度).とはいえ,個々のナノダイヤモンドの位置自体はきっちり決められているため,そういう意味での空間分解能は高い.またダイヤモンドを使うことでの安定性の高さ(周囲にほとんど影響されず,温度のみが良く測定できる)とその素晴らしい温度分解能にはかなりの可能性を感じる.(2013.8.2)

 

104. 金ナノ粒子を用いた伸びる導電材料

"Strechable nanoparticle conductors with self-organized conductive pathways"
Y. Kim et al., Nature, in press (2013).

伸縮性の導電材料は,体内埋め込み型の小型回路やフレキシブルな電子デバイス用の配線材料として非常に有望であるとともに,多少の力学的負荷がかけられても断線しないという長所もあることから様々な材料が開発されている.こういった材料に一般的に用いられるのは,伸縮自在なポリマー材料の中に,導電性の微粒子(フィラー)を混ぜ込んだ構造で,フィラーとしてはカーボンナノチューブや金属ウィスカー,導電性炭素繊維のような細長い導電体が良く用いられる.このような細長い導電体を混ぜ込むと,

・一つ一つの導電性の粒子が長いので,散乱を受けずに電子が流れる距離が長い.
・電流が流れるためには材料の一方の端から他端までフィラーが連続して繋がっている必要があるが,個々の粒子が長ければ,その途中で他の粒子と接触して有効な導電路を形成できる確率が高くなる.

という2つの点により,低抵抗な導電材料が得られやすいからだ.
しかしその一方で,長い導電材料の存在により

・伸縮性が落ちる(導電材料は伸びない)
・長いフィラーほど,うまく母材に分散させるのが難しい
・長いフィラーを大量に入れると,母材の伸縮性に異方性が出る(フィラーの軸が揃っている方向と,それに直交する方向で大きな違いが出る)

などの問題も引き起こす.従って,力学的な面から言えば,混ぜ込むフィラーは金属ナノ粒子のような小さくて等方的で,母材となるポリマーを邪魔しないものが望ましい.ただしそうすると今度は導電性が悪くなる恐れがあり,なかなか難しいところだ.
そんな中,今回新たに報告されたのは,金ナノ粒子とポリウレタンからなる導電性フィルムが,尋常では無く高い伸張性と,恐ろしく高い電気伝導性を併せ持つ優れた材料になった,という発見だ.

著者らが用いたのは,直径13 nm程度の金ナノ粒子を混ぜ込んだポリウレタンである.金ナノ粒子の表面はクエン酸イオンで保護され,負に帯電している.クエン酸イオンはサイズが小さく,金ナノ粒子同士が接触した際の電子の移動を妨げない.ポリウレタンは途中にテトラアルキルアンモニウム系の陽イオン部位を結合させており,この正電荷が金ナノ粒子の負電荷を引きつける事で,両者の混合を良くしたり,次に述べるLBL法(Layer-by-Layer,交互吸着法)での薄膜作製を可能にしている.
導電性薄膜は2種類の手法で作成している.一つ目はLBL法であり,これは正と負の電荷を持ったものを交互に積層する際に良く用いられる手法だ.まずポリウレタンの薄膜(正に帯電)を用意し,これを金ナノ粒子(負に帯電)を分散させた溶液に浸す.すると静電引力により金ナノ粒子が薄い膜として吸着する(それ以上の堆積は,金ナノ粒子同士が反発するため防げる).これを取り出し軽く水をかけ洗浄,続いてポリウレタンを溶かした水溶液に浸けると今度は金ナノ粒子(負に帯電)の上にポリウレタン(正に帯電)が薄く堆積する.これを500回繰り返すことで,厚さ2 μmのフィルムとした(以下,LBLと表記).この手法で作成されたフィルムは,ポリウレタンと金ナノ粒子がきれいな交互積層をしており,後述のように伝導面では非常に性能が高い.金の含有量は,体積で16.2 %程度となる.
もう一つの手法は,もっと簡便な手法だ.水に溶かしたポリウレタンに金ナノ粒子を分散させておき,そのまま非常に目の細かいフィルターで濾過するのだ.するとフィルターに引っかかったポリウレタンがフィルムとなり,同じ溶液中にいた金ナノ粒子も一緒に取り込まれて複合フィルムとなる,というものだ.この手法で作られたフィルムは基本的にはポリウレタンのフィルムであるため力学的特性に優れるが,内部の金ナノ粒子の分布に非常にムラがあるので導電性では劣る.以下この手法で作ったフィルムをVAF(Vacuum Assisted Flocculation)と呼ぶ.こちらの金含有量は体積で17.5 %程度だ.

さて,得られたフィルムの特性である.まずフィルム自体は,全面が金色に輝く金箔と見まごうような見た目をしている.電子顕微鏡で拡大すると,100 nmから数 μmの穴が多数あいたポリウレタンの内部に,無数の金ナノ粒子が染みこんだような構造が確認された.スポンジ内に粉が染みこんだような状態なわけだ(サイズはもっと小さいが).
LBLとVAFのフィルムは作ったままの状態ではそれほど大きな伸びは見せず,前者で16 %,後者で75 %(元の長さの2倍弱)の伸びであった.VAFの方はそれなりに伸びるが,LBLはほとんど伸びないと言っても良いだろう.一方電気伝導率は非常に高く,LBLの方で6800 S/cm(金属マンガンと同程度,純金の1/100程度),VAFの方はやや低くて510 S/cmであった.要するに,LBLで作った膜はあまり伸びないが伝導性が金属並み,VAFの方は倍の長さまで伸びるが伝導性は金属の1/10以下,となる.

これだけだと今一なわけだが,実はこれらのフィルムは重ねて圧力をかけながら熱を加えることでさらに何枚も束ねたものが作れる(積層処理).LBL,VAFともに5枚ほど重ねた際になかなか良い特性のものが得られている(以下,LBL5,VAF5と呼ぶ).
LBL5は,単層のものに比べ伸びが圧倒的に改善され,最大で115%(元の長さの倍強)にまで引き延ばせるようになる.電気伝導率も大幅にアップし,11000 S/cmと元の倍程度になる.なお,最大(115%)に引き延ばした際の電気伝導率は2400 S/cm程度に低下するが,それでも金属並みの伝導率と言える.
VAF5も伸び率に大幅な向上を見せ,最大で486 %という驚異的な伸びを示す(元の長さの5倍近く).伝導率も大幅に向上しており,通常状態で1800 S/cm,最大に引き延ばした状態で35 S/cmであった.金属並みとまでは言えないが,それでも相当な電気伝導性である.特に5倍近くという尋常ではない長さにまで引き延ばしても電気伝導性を維持しているのは驚きである.

非常に長く引き延ばせるのは,前述の「フィラーが小さくて球形な粒子だと,ポリマーの変形を妨げない」という点からまあ理解出来る.しかし,なぜ引き延ばした状態でもこれほどの伝導性が維持されているのだろうか?著者らはSEM(走査電顕)やTEM(透過電顕),小角X線散乱などのデータを組み合わせ,その謎を解明している.
まず,フィルムを作ったままの状態では,金ナノ粒子は非常に均一に分布していた.ところがこのフィルムを引き延ばすと,ポリマーが変形すると同時に,金ナノ粒子は糸状の領域に寄せ集められて,まるで金の細線であるかのようになっていたのだ.これはポリマーが引き延ばされる際に,異物は狭い領域に排除した方がエネルギーが低くなる,と言ったような理由だろうか?
通常の伸縮性の導電材料を引き延ばすと電気抵抗が大幅に上昇するが,これは導電性フィラー同士の距離が引き延ばされ,電気が流れにくくなるためである.ところが今回報告された材料だと,引き延ばすと同時に多数の金ナノ粒子が狭い領域へと自発的に再集積される.引き延ばされて平均距離が伸びる効果を,粒子密度が上がって平均距離が狭まる効果で打ち消すことで,引き延ばした状態でも高い導電性が維持されていたのだ.
なお,この「糸状に再配列された金ナノ粒子」は,力学的負荷が取り除かれフィルムが元の形状に戻ると,また元の均一にばらけた状態へと復元している.

まとめると,この材料が持つ長所は,

・小さなフィラーを用いているため,非常に等方的で,しかもポリマーの伸びを邪魔せず柔軟に伸張する(最大で5倍弱の長さ).
・引っ張られた伸張状態では,金ナノ粒子が自発的に繊維状に集結することで高い導電性を維持する(金属に近いレベル).

となる.これはかなり優れた材料である(高価な金の含有量は多いけど).
さらに面白い特性として,少しの電圧をかけることで,膜の柔らかさを変化させる,という事もデモンストレーションされている.ちょっと電圧をかけると,金ナノ粒子が持つ電荷が変化し,粒子間の反発を増減させることが出来る.前述の通り,この物質は変形と同時に金ナノ粒子の再配列が起こるわけだが,この時粒子間の反発が強ければ再配列が起こりにくい.このため,粒子間の反発を調整すると,同時にポリマー部分の変形のしやすさに影響を与えることが出来るのだ.これを使って,弱い電位(0.2 V)でこのフィルムの剛性を2倍程度の範囲で変化させてみた,と言う結果も掲載されている.

金を多用すると言うことで価格面にはやや難点があるが,数倍の長さに伸ばしても導電性が維持され,しかもどの方向に伸ばしても良いし,さらには力学特性も電場で変えられる,という非常に面白い素材だ.もしこれが金以外のナノ粒子でも実現でき低コスト化に成功すれば,実に様々な応用が広がりそうだ.(2013.7.20)

 

103. 原始惑星系円盤における偏心したデブリ分布は,惑星の証拠とは限らない

"Formation of sharp eccentric rings in debris disks with gas but without planets"
W. Lyra and M. Kuchner, Nature, 499, 184-187 (2013).

恒星が出来たばかりの原始惑星系においては,恒星の周囲を多数の塵や微惑星が周回していると考えられている.我々の太陽系外園に広がるカイパーベルトも,この塵・微惑星の名残であろう.微惑星は衝突を繰り返し,時として惑星へと成長する(と考えられている).塵の円盤の中に惑星が生じると,恒星の周りを何度も周回する間にその軌道の周囲の塵・微惑星に重力による摂動を与え,結果として軌道上から他の天体(塵や微惑星)を排除しリング状の空隙を作ることとなる.また惑星は多量の質量が一点に集まった存在であるため,きれいな回転対称性を持っていた塵の円盤から見ると非常に対称性が崩れた存在である.そのような「偏った重力源」からの摂動は塵・微惑星の円盤を変形させ,偏心した構造(分布の重心が,恒星からずれた位置となるような構造)を生み出すと考えられている.例えばフォーマルハウトにおけるずれた塵の分布は惑星が存在する証拠では無いか?と考えられているし,最近TW Hydraで見つかった原始惑星系円盤の空隙も惑星によるものだろうと推定されている(こちらは主流の惑星形成理論との齟齬が話題になった).

ところが,である.今回の論文で著者らは,「原始惑星系円盤に偏心的な分布があったからって,惑星がいるとは限らないんじゃ無いの?」という事を示して見せたのだ.
話は2005年に遡る.ある研究者らが,「原始惑星系円盤においてガスの影響を考えると,塵は自発的に構造が不安定化してリング状に変形する」という事を指摘した
どういうことかを簡単に説明しよう.原始惑星系円盤の挙動を扱う際には,無数の塵の運動を微小な質点の運動として扱ったり,流体としてまとめて扱ったりしている.しかしながら,原始惑星系円盤においては塵以外にも各種の気体が存在することが知られている.これらの気体はもともと存在した気体分子であったり,塵同士の衝突によって放出されたり,恒星からの輻射により塵の表面が気化して生まれたりしている.この気体を含めて考えると,実際の原始惑星系円盤における塵というのは,「(薄い)気体の充満した空間中を,その抵抗を受けながら運動する無数の粒子」として扱う必要があることがわかるだろう.もちろんこれまでの研究においてもこの抵抗の効果を組み込んだ研究は山ほどあったのだが,それらにおいてはこの「気体」を,単なる背景(ある濃度で静的に存在し,抵抗を与えるガス)として扱っていた.2005年の論文が指摘したのは,そのような取り扱いでは不完全である,と言う点である.
原始惑星系円盤に存在する「気体」は,塵に抵抗を与える.塵は「気体」に比べ恒星からの輻射を良く吸収するため,塵の近くに存在する気体は 恒星 → 塵 → 気体 という流れで多くのエネルギーを吸収でき,温度が上昇し圧力が上がる.圧力の高い気体はより多くの抵抗を塵に与えるため,塵はどんどん集まり,集まれば集まるほど気体の温度は上がり圧力を増し,と正のフィードバックがかかる.2005年の論文で示されたのは,こういった正のフィードバックを考慮すると,ガスと塵が均一に混ざっていた円盤から,自発的に塵の濃い領域と薄い領域が発生する,という点である.

そして今回の論文だ.今回の論文の著者らは,この2005年の論文に基づき,気体存在下での塵の挙動をシミュレートし,単なる空隙やリングだけで無く,偏心した構造までも現れることを示して見せた.シミュレーションとしては,3次元メッシュにおいてガスおよび塵を性質の異なる2種類の流体として扱い,両者の間の熱交換(塵が輻射を受け気体が加熱される効果)と抗力(気体の抵抗で塵が引きずられる効果)を取り入れたものと,2次元座標系で塵をちゃんと質点として扱ったもの(気体は流体として導入),の2種類を用いている.
その結果であるが,まずは3次元メッシュでのシミュレートから,気体濃度の高い領域では自発的な不安定化が存在し,勝手に密度の高いところ・低いところに分離することが確認された.これはまあ,以前に報告されている論文の結果を確認するものだ.
続いてこのような自発的な不安定化を示す気体濃度の領域で,塵をちゃんと粒として扱う2次元版のシミュレートを行った.原始惑星系円盤はまず,自発的な不安定化により幾本ものリング状構造へと分離することが確認された.惑星などが無くてもリング&空隙が生じるのだから,(以前の論文で指摘されているように)リングが出来ていたとか明確な空隙があったと言うだけでは惑星の存在証明にはならないわけだ.
さらに系の時間発展を進めると,生じたリングはまるで円形の弦であるかのように振動を始める.安定にリングが存在する条件を見てやると,この振動は軌道の周回と同期しているようだ.例えば一番単純な振動で言えば,リングの「右側」にいる時に恒星に近い方に変位して,逆の「左側」に動いていった時にちょうど恒星から遠ざかるような振動だ.リングの一部だけを追跡してみていくとちゃんと振動なのだが,リング全体で見るとこれは「リングそのものが,ちょっと左にスライドした」と見ることも出来る.つまり偏心したリングであり,これまでは「惑星が存在する証拠」だと考えられていた構造と一致する.
なおこういった構造は,気体による抗力をゼロにすると発生しないので,気体との相互作用が重要であることは確認されている.また単なる流体としての不安定性よりも,塵を通した気体の加熱の効果が大きい事も確認済みだそうだ.

そんなわけで著者らはこの論文で「空隙だの偏心した構造だのそれなりに離心率のある構造だのが出ても,それだけで惑星の証拠とするのは早計じゃない?」と示したわけだ.もちろんこれまでにいくつか見つかっている「多分惑星だろうという系」に対し惑星じゃ無い,と言っているわけでは無く,「チェックしないと,確定することは出来ないよね?」と指摘しているので誤解無きように.提言としては,「原始惑星系円盤の観測においては,ガス密度を何とか見積もるとか,そういう観測手法の開発がいるんじゃない?」というニュアンスの事を述べている.
(なお,原始惑星系円盤とは関係ない,十分成長しきった恒星系における惑星発見の話には基本的には関係ないので,これまで多数見つかっている系外惑星の多くにはあまり関係ない)

こうなってくると,原始惑星系円盤からの惑星検出がなかなか難しい事になってくるので,やってる人は大変そうである.(2013.7.13)

 

102. 1次元配列した有機分子における室温・弱磁場での超巨大磁気抵抗効果

"Ultrahigh Magnetoresistance at Room Temperature in Molecular Wires"
R.N. Mahato et al., Science, in press (2013).

導電性の物質に磁場をかけると,大抵の物質では抵抗値がわずかに変化する.これを磁気抵抗効果と呼び,通常は1 T程度の磁場(地磁気の2万倍程度,MRIで用いるのと同程度の磁場)をかけても変化量が1 %にも届かないような小さな変化である.強磁性体を用いたナノ構造などを用いると非常に大きな磁気抵抗効果を示すものを作ることも出来,磁場で抵抗を数十 %だの桁で変えるだのといった事が可能なGMR素子やTMR素子が実用化されている.
今回報告されたのは,1次元状に配列させた有機分子を使い,室温かつ数 mTという非常に弱い磁場を印加するだけで抵抗が20倍程度にも変化した,という現象だ.

今回用いられたのは,薄膜(厚さ数十 nm)にしたゼオライトの細孔中にDXPと呼ばれる平板状のπ系分子を詰め込んだものである.DXPはやや細長い板状の分子であり,広がったπ系を持つことからいくらかの電圧をかけると電流を流すことが出来る.ゼオライトというのはSiとAlの酸化物からなる物質であり,1 nm 前後の非常に小さくかつ特定の径のトンネル構造を持つ.しかもこの細孔は合成条件を変えることで径を自由にコントロールすることが可能であり,今回の実験ではこの細孔中にDXP分子がちょうど1分子幅で詰まることが出来るような細孔径が選ばれている.このため作成したサンプル中では,ゼオライトのトンネル構造の中に,DXP分子がまっすぐ一列に配列している筈である.
(ゼオライト中には,トンネルは無数に平行して走っており,そのそれぞれにDXP分子が1列に詰まっている)
この1列に並んだDXP分子(の集団)にAFMの探針を使って電流を流しながら磁場を印加,磁気抵抗効果を測定した.

その結果は劇的なものである.磁場を印加すると抵抗は急激に上昇し,15 mTという非常に弱い磁場でほぼ効果が飽和した時の抵抗の変化率は2000 %を超えた.つまりほんのちょっとの磁場を印加するだけで,抵抗が20倍以上に急上昇したのだ.ちなみにフェライト磁石の表面での磁束密度は400 mT程度,ネオジム磁石で1 T以上だが,それらに比べても格段に弱い磁場でこれほど大きな抵抗変化を(しかも室温で)起こせる系はほとんど存在しない.

これほど巨大な磁気抵抗効果は,一体何に由来するのだろうか?著者らが挙げているのが,電子スピン間の相関と核スピンの影響,それを打ち消す外部磁場,というモデルである. 著者らはまず,大元となるこの物質での電気伝導においては,バイポーラロンを作る過程が重要である,と推定している.バイポーラロンというのはざっくりと言えば1つの分子に2つの電荷が乗ったような状態を意味する.例えばある分子の列(-A-A-A-A-A-A-A-)があったとしよう.ここに電荷(−)が注入された時に,バイポーラロンを作りやすい物質だと2つの電子がまとまった状態を作りやすい.

-A-A-A-A-A-A-A- → -A-A2−-A-A-A-A-A- → -A-A-A-A-A-A-A-

ゼオライト中には陽イオンがランダムに存在しているので,その近傍のDXP分子上には電荷がトラップされている可能性が高く,電流として流れる電子はそこを通過しなくてはいけない,というような状況だ.
著者らが注目するのが,途中で生成する「同じ分子上に電子が2個」という状態だ.量子論によれば,分子上の電子は必ず「軌道」というある離散的なエネルギーを持つ状態にしか入れない.しかも1つの軌道には電子は2個までしか入れず,2つ入る場合には電子の持つ「スピン」(電子の磁石としての向きのようなもの)が逆向きで無いといけない,という制限がある.スピンを矢印で書けば,同じ軌道に{↑↑}と入ることは許されず,{↑↓}でなくてはならない,という事だ.
この制限のため,例えば今隣接する分子に電子が一つずつ乗っていても,それらの電子のスピンが同じ向きだと電子が移動することが出来ない.

A(↑)-A(↑) →× A-A(↑↑)

移動できるのは,スピンが逆向きだけの時である.

A(↓)-A(↑) → A-A(↓↑)

では,スピンの「上下」という方向は,何で決まるのだろうか?何も無い空間なら,x軸方向もy軸方向もz軸方向も完全に等価なわけで,スピンの「上下」となる軸がどの方向か,は決まらない.ところがこれが分子中だったり外部磁場のかかっているところなら,分子中の核スピン(一部の原子核は磁石として働き,その弱い磁場が分子上の電子にかかる)や磁場に対し,電子のスピン(磁石として働く)にとって「最もエネルギーの高い向き」と,それと正反対の「最もエネルギーの低い向き」が決まる.するとこの方向が「スピンの上下を判定する軸」(主軸)になる.

ここで話を論文の実験に戻そう.
外部磁場がかかっていない時には,分子上の電子にとってスピンの「上下」の判定基準となるのは分子内の原子の核スピンである.そしてこの核スピンの向きは,分子ごとに実に様々な方向を向いている.例えばA,B二つの分子が隣接していたとしよう.Aの分子の核スピンの向きはたまたま右を向いていて,Bの核スピンの向きはたまたま上を向いていたとする.

A{核:→},B{核:↑}

これらAとBの上に,電子が1つずつ配置された状況を考える.電子のスピンに許される「向き」は,以下の通りである.

A{核:→,電子:→ or ←},B{核:↑,電子:↑ or ↓}

ここではたまたまA{核:→,電子:→},B{核:↑,電子:↑}の組み合わせであったとする.原子A上の電子は,B上に移動できるだろうか?
電子がAからBへ移動すると,主軸の向きが変わる.右を向いていた電子は,上を向くか下を向くかの二択を強いられる.確率論的に「上を向く」となった場合はB{核:↑,電子:↑↑}となってしまうので,同じ軌道に同じスピン電子2つが入ることになり許されない.そのためこの過程は許されない.「下を向く」となった場合だけ,電子は移動できる.このため

A{核:→,電子:→ or ←},B{核:↑,電子:↑ or ↓}

において,電子は1/2の確率でAからB(またはBからA)に移動できる.なおこの「1/2」という確率は電子が移動しようと試行するたびに発生するので,最終的には必ず移動できる.

さてこの分子の組に,外部磁場がかけられた場合を考える.核スピンが分子上の電子に与える磁場は非常に小さいので,10 mTなどの弱い外部磁場であっても,核スピンによる影響を上回ってくる.そうするとどうなるか?というと,分子上のスピンの主軸(どちら向きでスピンの上下を判定するか?)は,もはや外部磁場だけでほとんど決定されるようになる.例えば磁場が上下方向にかかっていたのなら,核スピンの向きがどうであれ分子上のスピンに許されるのは同じく上下方向だけである.

A{電子:↑ or ↓},B{電子:↑ or ↓}

さて,ここでまた電子移動を考えよう.もし組み合わせが

A{電子:↑},B{電子:↓}

なら,電子は必ず移動が許される.ところがもし

A{電子:↑},B{電子:↑}

なら,これはもうどうやっても電子は移動できない.電子スピンの主軸が核スピンで決まっていた時には,隣接分子間での主軸の方向のずれにより(確率論的に)移動が許されていたのに,主軸の向きが外部磁場によって決められるようになると,隣接分子間でも主軸の向きは必ず一致し,それゆえ同じ向きを向いている電子のペアの間では絶対に電子移動が行えなくなるのだ.

この効果自体は実は以前から知られていたのだが,今回の実験では電流が流れるのが「完全な1次元系」(分子が幅1分子で列を成している系)であることがさらに影響を大きくしている.電子が移動していく途中に,どこかで{↑}{↑}という並びが成立してしまうと,そこで詰まって渋滞してしまうからだ.系がもし2次元や3次元の配列なら,1箇所でぶち当たっても迂回して進むことが出来る.しかし完全な1次元系ではバイパスは存在しない.同じスピンの電子が隣接してしまったら,どちらかのスピンが反転するのを待つしかない.まさに一本道での渋滞である.

まとめるとこうなる.

外部磁場Off:核スピンの向きのばらつきにより,隣接分子間での電子の移動が容易になる(低抵抗)
外部磁場On:電子スピンの主軸が全ての分子で同じ方向に固定されてしまい,↑-↑が偶然隣接すると電子移動が行えなくなる.しかも1次元系なので迂回路は無い(高抵抗)

というわけだ.

室温でこれだけ大きな磁気抵抗効果が出るというのは非常に劇的な結果で,新しい原理によるデバイスなどに繋がる可能性もある.まあ現時点では,ナノ構造をきれいに量産するのが難しいため,そうすぐ使われるわけでは無いだろうが.(2013.7.6)

 

101. 星間分子の化学反応にはトンネル過程が重要な役割を果たす

"Accelerated chemistry in the reaction between the hydroxyl radical and methanol at interstellar temperature faciliated by tunnelling"
R.J. Shannon, M.A. Blitz, A. Goddard and D.E. Heard, Nature Chem., in press (2013).

可視・紫外・赤外・電波領域での分光を用いることにより,今や人類は遙か遠方の恒星やガス雲の中にどんな原子や分子が含まれているのかを知ることが出来るまでになった.特に星間分子に対する分光は観測技術の向上とともに劇的な進歩を遂げ,分子密度が非常に低い宇宙空間においても,多種多様な分子が形成されていることが明らかとなってきている.これら星間分子は惑星大気として取り込まれ生命の発生に影響を与えた可能性が指摘されていたり(その影響は無視できるという意見も強く,議論が続いている),どんな分子が含まれているかという分析からガス雲の年齢や来歴が推定できたり,となかなかに広がりを見せる研究領域の一つだ.
さてそんな星間分子であるが,どんな過程で化学反応が起こっているのかの全貌はよくわかっていない.これら星間分子の存在する領域は,(恒星のごく近傍を除き)かなり温度が低く分子がほとんどエネルギーを持っておらず,分子密度も非常に低く,その一方で恒星がまき散らす水素原子・陽子などは(相対的に)非常に高濃度で存在する.このため星間分子に起こっている化学反応は,我々の身の回りで起こっている反応とは大きく異なると考えられている.

そんな星間分子の反応において,大きく影響しているのでは無いか?と考えられているのが量子論的なトンネル過程である.通常,多くの化学反応においては活性化エネルギーと呼ばれるエネルギーの高い領域を通過する必要がある.例えば水素と酸素の燃焼であれば,分子間の反発を乗り越えて水素分子と酸素分子が接近,O-H間の結合を作りながらもともとあったO=OやH-Hといった結合を切る,というエネルギーの高い中間状態を経由する必要がある.このため化学反応が起こるには,分子がある程度以上のエネルギーを持っていないといけないわけだ(だから気体の水素と酸素を混ぜただけでは発火しない).ところが前述の通り,星間分子の温度は非常に低い.このため通常の(=我々の周囲で見るような)反応過程ではその活性化エネルギーの山を超えることが出来ず反応が起こりにくいはずであり,多種多様な化学種を生じるためには「山を乗り越えずに素通りする」トンネル過程が重要なのではないか?というわけだ.

今回著者らが報告しているのは,低温(60 K程度)の条件下で,OHラジカル(いわゆる活性酸素の一つで,水分子から中性の水素原子が一つ抜けたもの)とメタノール(CH3OH)との反応を調べたところ,トンネル過程の寄与が重要であったという結果である.
OHラジカルとメタノールは,ともに星間分子として多量に存在していることが知られている.これらの分子が気相中(ほぼ真空状態で,これらの分子が希薄に存在している状況を指す)で出会うと,OHラジカルによりメタノールの水素が引き抜かれ

OH + CH3OH → CH2OH + H2O
OH + CH3OH → CH3O + H2O

といった反応が起こることが知られている.これまでの報告により,これらの反応は温度の低下とともに反応速度が急速に減少するのだが,低温(240 K付近)ではその速度の下がり方が鈍ってくる,つまり単純な「熱エネルギーで活性化エネルギーを超えて反応が起こる」というモデルから予想されるよりも,低温での反応速度が速いことが知られていた.これがトンネル効果によるものではないか?という意見があったのだ.
このあたりの謎を解明するために,今回著者らはさらなる低温である63および82 Kでの実験を行った.するとなんと,「反応速度の低下が鈍る」どころか,室温での反応速度を遙かに超える非常に高速な反応速度が観測された.観測された反応速度は室温より1.5桁程度上であり,900 Kあたりの非常に高温な条件下での反応速度さえ超える高速なものである.63 Kという低温でこれほどの高速な反応が起こるというのは,活性化エネルギーを超える通常の反応過程では考えにくい.これは明らかにトンネル的な経路が寄与していると考えるべきである.
そこで著者らは反応を単純化したモデルを立て,実測値との比較を行った.モデルは以下のような非常に単純なものである.

・メタノールとOHラジカルは,ある頻度で衝突する(頻度は当然分子密度と速度によってきっちり決まる)
・活性化エネルギーを超えるエネルギーで衝突すると,メタノール-OHラジカル複合体を作る.この速度は当然温度に依存する.
・この複合体を作るプロセスは,時としてトンネル効果により進行することがある.トンネル効果は温度非依存なので,温度によらず一定確率で必ず起こる.
・この複合体の束縛は非常に弱い.そのため温度が高いとすぐにまた解離してしまう.そのため,活性化エネルギーを超えて複合体を作ったもののうちごく一部だけの反応が進行する.
・一方,低温でトンネル過程で複合体を作った場合は,活性化エネルギーの山を越えて戻るのは不可能であり,大部分はそのまま反応が進行する.ごく一部は逆方向のトンネル過程で解離していくが,その寄与は小さい.

要するに,温度が高い時は衝突で直接活性化エネルギーを超える過程が支配的で,余ったエネルギーも大きいためまたすぐ解離してしまい反応速度はそこまで速くならない.低温では直接活性化エネルギーを超えることは不可能になるが,トンネル過程で複合体を形成できる.そして低温なら複合体は解離せず長時間生き残るため,その後の反応が進みやすい,というものだ.
このモデルで反応速度をフィッティングしたところ,高温では温度の低下とともに反応速度が急速に減少し,その一方で低温ではトンネル過程と複合体形成を介した素早い経路が有効になるので,室温よりも遙かに早く反応が進む,という挙動を再現できた.
(といっても,低温ではまだ実測値より遅い予測が得られているので,モデルの改良の余地はありそうだが)

またこの結果は,近年の観測でCH3O が発見された,という事実にも説明を与える.メタノールとOHラジカルの反応ではCH3O とCH2OHという2種類の化学種が発生する可能性があるのだが,実験室系での実験ではCH2OHの方が遙かに安定性が高いことがわかっており,CH3Oが発生しても比較的すぐにCH2OHへと異性化してしまい,CH2OHしか見えないだろうと考えられていた.ところが最近の観測でCH3O が見つかっており,これはCH3O が次々に生成されていることを示唆していたのだ(どんどん異性化していくので,次々作られないと観測できない).
今回の実験によれば,メタノールとOHラジカルという豊富に存在する分子から,CH3O が低温であっても次々に作られる事が明らかとなった.これは観測事実をうまく説明できる.

この実験は星間分子の化学反応においてトンネル過程が非常に重要であることを明確に示しており,今後様々な反応を考える上でこういった過程を考慮することの必要性を示唆している.特に「低温で反応が遅くならない」どころか「低温で室温よりも遙かに反応が早く進む」という事がある,というのは,いろいろ重要になってくる可能性がある.これまでの星間分子の進化においては,室温付近での実験結果をもとに「まあこのプロセスの速度はこんなもんだろ」とモデルが立てられたりもしてきたわけだが,例外的な経路も考えないといけない場合も出てくるだろう.大変そうではあるが,今後そういった「例外的な経路」を考慮した観測から,面白い分子などが見つかるかも知れない.
(電波による観測だと,「こういう分子があるかも知れない」という前提からその分子を見つけるのは出来るが,観測結果から未知分子を決定するのはかなり困難なため,「どんな分子が出来ている可能性があるか?」という事前の推定も重要になる)(2013.7.2)