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140. 対象物の構造そのものを(物理的に)拡大して分解能を上げる顕微鏡

"Expansion microscopy"
F. Chen, P. W. Tillberg and E. S. Boyden, Science, in press (2015).

生体組織内や細胞内での様々な生化学的な活動を研究する際には,光学顕微鏡は非常に有用なツールである.特に,特定の化学種等を蛍光色素でラベリングしてその発現度合いや空間分布を光学顕微鏡で観察するというのは,現代の生化学においては欠くことの出来ない手法となっている.しかし残念なことに,光学顕微鏡には回折限界に伴う分解能の限界がついて回る.一般的な光学系を使用した場合,大雑把に言って波長の半分程度である200〜250 nmあたりがその限界となる.これは,細胞内での非常に細かな活動を調べるにはやや力不足と言わざるを得ない.
そのため,通常の光学的限界を超える様々な超解像光学顕微鏡の開発が行われている.例えば,蛍光分子の集団にかなり強い集光したレーザーを照射すると,レーザーの中心付近=レーザー強度が高い部分に位置する分子では蛍光強度が飽和する.ここにわずかに強度が振動するレーザーを乗せると,中心付近の分子は発光がほぼ飽和しているので強度は変わらず,周辺の分子だけ発光強度が変化する.これを使い,蛍光強度のほとんど変化しない成分だけを抜き出すことで高解像を実現する飽和励起(SAX)顕微鏡というものがある.他にも,励起光のスポットの周りにドーナツ状の消光用のレーザーをあてることで中心だけを光らせ分解能を上げるSTED顕微鏡や,縞状の照明をサンプルに照射し,サンプル表面の凹凸との間で生じるモアレ模様(表面の凹凸と照明の縞模様の両方の情報の重ね合わせ)を観察,これを多方向から観察し(既知の情報である縞状照明の構造を使って)逆演算することで高い分解能を得る構造化照明顕微鏡(SIM),弱い励起光で小数の分子のみを発光させその位置を厳密に測定(これは通常の光学的な分解能以上の精度で可能),何度もこれを繰り返すことで全体像を細かく撮影する光活性化局在顕微鏡(PALM)など,実に様々な手法が開発され利用されている(2014年のノーベル化学賞はこれに関連したもの).
これらは非常に強力な手法ではあるが,その一方で何枚もの画像から再構築する必要があるために測定に時間がかかったり,使用できる蛍光色素に制限があるといった弱点を持っている.どんなサンプルでも,手軽に素早く,広い視野で観測できるような手法が開発できれば,生化学の研究はより容易になるに違いない.

今回報告されたのは,そんな「通常の顕微鏡と同じ感覚で,超解像を実現する手法」である.その発想はある意味非常に単純だ.その方法は「小さいから光学的な限界に引っかかるのだから,分解能を上げるために対象物を大きくすれば良い」という無茶苦茶なものである.確かに,対象物が大きくなってしまえばそれを通常の顕微鏡で観察するだけなのだから,これまでの顕微鏡と同じ測定時間で,同じような手軽さ・視野で観測できるのは間違いない.

では具体的に,その手法を見ていこう.
まず,見たい組織の切片を通常通り作成・染色する.その後,この試料片をアクリル酸ナトリウムと微量のアクリルアミドを含む溶液に浸し,これらを十分に組織中に浸透させる.ここに重合開始剤を導入すると,アクリル酸ナトリウム(と,所々アクリルアミド)が重合し,試料片内で(一部がアクリルアミドにより架橋された)ポリアクリル酸ナトリウムが生成する.ポリアクリル酸ナトリウムというのは要するに紙おむつなどに使われる水をたくさん吸収する高分子であり,ナトリウムイオンが多ければコンパクトに固まっているが,多量の水分子の存在下でナトリウムイオンが外れると水を多量に吸収して膨張する性質がある.細胞内の様々な器官をこのポリアクリルアミドのゲルが取り囲むことで,要するに細胞内の様々な形をゲルを使って「型取り」することが出来るわけだ.続いて,Proteinase Kというよく使われるタンパク質分解酵素を用いると,元々の細胞を形作っている各種タンパク質をバラバラに分解することが出来る.これで,「水を吸うと膨張するゲルで出来た,細胞のレプリカ」が完成するわけだ.
後は簡単である.この「細胞のレプリカ」を水に浸して脱塩すれば,ポリマーが水を吸って(型取りした細胞の構造を保ったまま)数倍のサイズに膨れあがる(架橋部位の量によって,膨張率はコントロール可能).これを通常の顕微鏡で観察すると,数倍の分解能(に相当する細かさ)で細胞内の構造を観察できる,というわけだ.
さらに,特定の分子に結合しやすいように修飾した蛍光分子を用意し,逆側をアクリル酸と共重合出来るような置換基にしておいた分子を先に付けておけば,

特定の分子・組織などを蛍光性分子でラベリング

その分子もろともポリアクリル酸ナトリウム化

水を吸わせ,蛍光分子の位置も含めて膨張

巨大化したサンプルを,カラーで顕微鏡観察

と,超解像(相当)を実現したまま多色観察により様々な実験に適用できる.

膨張させるとなると気になるのが「本当に元の構造を保ったまま拡大されているのか?」という部分であるが,著者らは元のサンプルをSR-SIM法で観察し,そのサンプル(の構造)を本手法の吸水性ゲルを用いた拡大法で観察したものと比較している.その結果,元々の構造がそのままきれいに拡大されている事が確認できた.また,今回示された分解能はおよそ60 nm程度であり,SR-SIMで見たのと同等(か,やや本手法の方がくっきり)である.
なお,膨張の際に全く歪みを生じないわけではなく,小さなズレは生じている.そのあたりが気になる方はSupplementary Materialsをご覧頂きたい.Supplementary Materialsとしては,実際の観察結果(および観察結果を3Dモデル化したもの)なども掲載されている.

「見えないなら大きくしてしまえ」というのはなかなか興味深い注目点である.試料は処理してしまうので生きている細胞のその場観察などには適用できないし前処理もそこそこ面倒ではあるが,観察面では高価な装置も必要とせずなかなか面白いかも知れない.(2015.1.19)

 

139. 酸化グラフェン膜は水中でなぜ安定なのか?

"On the origin of the stability of graphene oxide membranes in ​water"
C.-N. Yeh, K. Raidongia, J. Shao, Q.-H. Yang and J. Huang, Nature Chem., in press (2015).

天然にも産出するグラファイトは,炭素からなる単原子厚のグラフェンが無数に重なった構造を持つ.このグラファイトを強い酸化剤で処理すると,個々のグラフェン層からカルボキシル基などのさまざまな置換基(この多くは負電荷をもつ)が面に垂直な方向に飛び出し,これら負電荷間の反発によりグラファイトは無数の酸化グラフェンへと劈開する.酸化グラフェンは大きな電荷をもつイオンであり水への親和性が高く,しかもグラフェン同士の間には負電荷間のつよい反発が働くため凝集しにくい.この特性により,酸化グラフェンは水に容易に分散することが知られている.
さて,この酸化グラフェン水溶液を濾過すると,無数の酸化グラフェンが積み重なった膜を得ることが出来る.この膜は構成要素が(酸化)グラフェンであるためかなりの強度をもつ.さらに,この膜を分子が抜けていこうとすると無数の置換基が折り重なった酸化グラフェン間を通り抜ける必要があるため,それら置換基との親和性により膜透過性が大きく変化する.つまり,特定の分子種だけを通すような分離膜として使えるわけだ.この膜は水中でも高い安定性を持つことから,近年その特性を利用しようという研究が精力的に行われている.

この話,奇妙なことに気づく人がいるかもしれない.
元々の酸化グラフェンは,負電荷をもつため互いに凝集しにくく,水によく分散していた.ところがそれを濾過により積層した酸化グラフェン膜は,水中で十分な安定性を保っているのだ.これは奇妙な話である.負電荷をもつ酸化グラフェンが積層するためには,その負電荷を補償するための正電荷がなくてはならない.
今回の報告は,その正電荷の起源が思わぬところにあった,というお話である.

著者らは,報告される酸化グラフェン膜の特性が時として大きく異なるところに疑問を覚え,その違いはサンプルの調製段階にあると考えた.目を付けたのは濾過に使うフィルターである.ナノサイズの物体を濾過する際には,それよりも小さな穴の開いたフィルターが必要となる.その際によく用いられるのが,テフロン系のメンブレンフィルターや,陽極酸化アルミナ膜である(両方とも市販されており,ナノ物質の濾過によく使用されている).前者は要するに細かな樹脂の繊維が絡み合った目の細かい網である.後者は,アルミの薄膜を酸性溶液中で電解した際に得られる物体で,非常に径のそろった穴が規則的に空いたアルミナの薄膜である(陽極酸化ポーラスアルミナで検索していただきたい).陽極酸化アルミナの方が平滑な表面をもち孔径のばらつきも小さいので,細かい系ではアルミナ膜が用いられることが多い.
今回著者らは,同じ手法で作成した酸化グラフェン溶液を,一方はテフロン膜で,もう一方は陽極酸化アルミナ膜で濾過し,二種類の酸化グラフェン膜を作成した.これらの機械的な強度を測定したところ,テフロン膜で濾過した場合は引っ張り強さが87 MPa,ヤング率が7.6 GPaだったのに対し,アルミナ膜を用いて濾過した場合の引張強度は100 MPa,そしてヤング率はなんと26.2 GPaにも達することが明らかとなった.つまり,濾過に使うフィルターを変えただけで,得られた膜の強度が劇的に変化したわけだ.また,テフロン膜を用いて濾過し作成した酸化グラフェン膜は,水中で容易に再分散し,個々の酸化グラフェンシートへと簡単に分解してしまった.
著者らはこの原因を,アルミニウムイオンの溶けだしであると推測した.アルミナは酸にも塩基にも溶けることが知られており,酸性溶液中ではAl3+が,塩基性溶液中では[Al(OH)4]が生じる.酸化グラフェン溶液(通常は硝酸などの酸化力を持つ酸で作成する)はゲル状に近い溶液であり,濾過には1日近くの時間がかかるのが普通だそうなので,この濾過の時間中にアルミナ膜からアルミニウムイオンが溶け出す可能性が高い.溶出したアルミニウムイオンは酸化グラフェン上に生じた負電荷と結合し,酸化グラフェンシート同士を強く結合させる(にがりがタンパク質を固めて豆腐にするのと同じようなものである).すると,強く結合した膜が得られる,というわけだ.
これを確認するためにアルミナ膜を濾紙として濾過した酸化グラフェン膜を分析したところ,内部にはアルミ原子が含まれていることが確認された.さらに,酸化グラフェン溶液を中性や塩基性にしてから濾過すると,得られた酸化グラフェン膜は(テフロン膜を濾紙にした場合と同様に)水中でたやすく分解してしまった.

以上をまとめると,
・酸化グラフェン膜の作成では,濾紙にアルミナを使うかどうかで特性が大きく変わる
・この原因は,アルミナから溶け出してきたアルミニウムイオンの正電荷が,酸化グラフェンシート同士を強く結びつけるためである
ということになる.
アルミナが酸・塩基に溶けることはよく知られた事実なので,それを気にせずいろいろなところで使われた挙句特性の異なるものが出来て不思議だった,というのは何ともまあびっくりな結果だ(これは今回の著者も指摘している).酸化グラフェンに限らず,ナノ粒子の濾過などでもアルミナ膜はよく使用されているので,使用条件などに関してはもう一度見直すことも大事だろう.

もうひとつ面白かったのは,著者らが最後におまけとして行っている実験である.作成した酸化グラフェン膜に,硝酸亜鉛水溶液をしみこませる.する何枚も積層した酸化グラフェンの間に,硝酸亜鉛(と水)がしみこむのだが,それを焼くのだ.するとまず,酸化グラフェンシート間に酸化亜鉛が発生する.シート間に生じるので,こちらもまたシート構造になるのは当然だ.その後さらに高温にあげると,酸化グラフェン部分は(炭素なので)燃えて消え失せる.すると,もともとの酸化グラフェン膜と同じ形状の,酸化亜鉛膜が完成するのだ.元の構造を反映し,この得られた酸化亜鉛膜はナノ厚の無数の薄層が積み重なった多層構造となっている.これを使えば,酸化グラフェン膜をテンプレートとして,さまざまな無機酸化物の多層構造を安価に作成できるかもしれない.(2015.1.7)

 

138. 空孔欠陥の導入はグラフェンを堅くする

"Increasing the elastic modulus of graphene by controlled defect creation"
G. López-Polín et al., Nature Phys.,in press (2015).

ナノテクノロジーの発展と共にナノサイズの物体の様々な物性に関する研究が進み,ナノサイズの物体は単に元の物体が小さくなったというだけのものではなく,様々な異なる現象を生じることが明らかとなってきている.まさに,ナノサイエンスの世界で言われているように「Small is different」(小さくなると,全く異なることが起こる)なのである.
そんなナノ物性の一つに,弾性率がある.弾性率はバルクな(=巨視的な)物体でも馴染み深い物性であるが,ナノサイズの物体ではその形状や欠陥の存在により値が大きく異なってくることがある.一般的には欠陥が存在すると強度は落ちそうな気がしてしまうが,実際には細かな欠陥(点欠陥や線欠陥など)を導入すると,物体の変形=格子の変位が欠陥の部分でピン留めされ,強度が上がることが明らかとなっている(これを利用した加工法が昔から存在する).

さて,今回の論文が研究対象としているのはグラフェンの弾性率である.グラフェン(や,グラフェンを丸めた構造と見なせるカーボンナノチューブ)は非常に堅いことが知られているが,その弾性率などは理論予測に比べれば非常に低い(数分の一以下).この原因として格子欠陥の存在が指摘されているのだが,グラフェンに欠陥が入るとどの程度強度が落ちていくのか?という研究はなかなか行われていなかった.これは制御された欠陥を導入するのが困難である事などに由来する.
今回報告されたのは,比較的きれいなグラフェンを出発物質とし,そこにコントロールされた密度で空孔欠陥を導入していった際に弾性率がどう変わっていくのか?を研究した結果である.得られた結果は,これまでの理論予測を大きく覆すものであった.

まず実験手法であるが,Siの薄板(厚さ300 nm.下地は分厚いSiO2)に円形の穴をいくつも開けたものを基板とする.穴の直径は0.5から3 μmまで様々なものが開けてある.天然のグラファイト(欠陥が少ない)を劈開したものをこの上に乗せ,テープで剥がすことで薄い1〜数層のグラフェンが穴あきSiの上に残る.これをSTMで観察し,偶然1層のグラフェンが穴の上に乗ったところを測定対象とする(穴はたくさん開けてあるので,こういう場所はいくつも存在する).穴の表面全体が単層のグラフェンで覆われている場所を見つけたら,その中央をSTMの探針で押していく.この時,どのぐらいの力をかけたらどの程度探針が沈み込んだかを見ることで,グラフェンの(2次元)弾性率を測定するわけだ.
格子欠陥の導入には,真空中でのAr+による爆撃を用いる.真空中にArを導入し電圧をかけると,一部のAr原子がイオン化し,電圧によって加速されグラフェンの表面に降り注ぐ.どの程度のArの圧力で,どの程度の時間イオンを照射するかによって欠陥の濃度をコントロールする.
得られたサンプルは大気中に出し,Raman分光(グラファイト構造に生じた欠陥に敏感な分光法)やSTMによる観察によりまず評価を行っている.その結果,生じた欠陥はほぼ空孔欠陥(原子が弾き出された抜けている欠陥)もしくはそこに大気中の分子由来の小さな原子(例えば水素原子など)が嵌まったような点欠陥であった(どちらかは不明).周辺構造は特に乱れておらず,すぽっと1箇所抜けただけの単純な欠陥であり,周辺の平面構造は保たれていた.なお,1原子だけが抜けた欠陥と,隣接する2原子がまとめて抜けた欠陥の比率は3:1であった.

では,得られた結果を見てみよう. まず,欠陥を導入しなかったグラフェンである.20箇所ほどの測定を行った結果,弾性率は250-350 N/mの範囲に収まっていた.正規分布を当てはめると,大雑把に305±14 N/m程度の値となる.次に,欠陥を4×1012 / cm2ほど導入したサンプルだ.これは欠陥同士の平均距離が5 nm程度,総原子数の0.2 %程度が抜けたものに相当する.
この欠陥入りのサンプルを測定したところ,驚くべき事にその弾性率は485±23 N/mと大幅に向上していた.この向上は統計的なばらつきを大きく超えており,明らかに欠陥の導入により硬度が増すことを意味している.これは,既存の理論による予測(欠陥により硬度が下がる)とは全く逆である.
著者らは欠陥密度を変えながら実験を繰り返し,以下のような結果を得た.まず,欠陥を増やしていくと,欠陥密度が5×1012 / cm2あたり(原子総数の0.2%程度に相当)まで弾性率が急激に増大していくことが明らかとなった(300 → 550 N/m).その後しばらくは弾性率はほぼ一定値となるが,欠陥が2×1013 / cm2(原子総数の0.5%前後)に近づいた当たりから弾性率は徐々に減少を始め,その後は欠陥の増加と共に単調に弾性率が下がっていく.
要するに,多量に欠陥が入ると変形しやすくなるが,少量の欠陥だとむしろグラフェンの膜は堅くなる,という不思議な挙動を示したわけだ.

なぜこのような奇妙な現象が生じるのだろうか?
現時点では細かな理由は不明であるが,著者らはフォノン(格子振動)の影響を指摘している.温度の影響を取り込んだ動力学計算は非常に難しいため,これまでの多くの理論計算では絶対零度に相等する条件での計算を行っている.しかしながら,実際の測定は室温で行われており,様々なフォノンが励起されているはずである.グラフェンでは,格子振動の非調和性(理想的な調和振動子からのズレ)などもあり,面内振動と面に垂直な方向の振動が強く結合している.この面に垂直な方向の振動で波長が非常に長いものは,面全体の大きな歪みと同じものとなる(打楽器の膜が大きく振動している状態であり,今回の実験で膜の中心を押すことで生じている変形と同じもの).この「長波長の面外振動が励起しやすい」という有限温度での特徴は,すなわち「面の変形が起こりやすい」という事だと捉えられる.
格子振動がどの程度の距離散乱されずに進めるかを計算すると,室温では大雑把に数 nmという値が得られる.これよりも短い間隔で欠陥があると,グラフェンに生じたフォノンは互いに結合できず,局所的な振動の集まりになる.つまり,大局的な変形を起こすことが妨げられる.この数 nmという欠陥密度は,まさに実験において弾性率が最大となる値とほぼ一致している.

このモデルに基づいた描像はこうなる.欠陥がないと,膜そのものの強度はかなりあるのだが,有限温度だとそこに生じた格子振動同士が強くカップルし,外部から押されたときの応答として膜全体の変形(=巨大な波長での格子振動)を引き起こす結果,弾性率は小さくなる.ここに格子振動(フォノン)のコヒーレンス長程度の間隔で欠陥を導入すると,個々のフォノンはバラバラに散乱され,全体としての協同的な変形は引き起こせなくなる.そのため外部から押したときの変形は小さくなる.しかし格子欠陥が多すぎると,今度は膜そのものの剛性が下がりすぎ,変形しやすくなってくる.このため弾性率は再び低下していく.

とまあ,非常に小さな領域での面白い研究結果であった.
これが直接何かに結びつくわけではないが,たまにはこういう研究を読むのも悪くない.(2014.12.27)

 

137. パルスレーザーによる衝撃を利用したインプリントによるナノ構造の転写

"Large-scale nanoshaping of ultrasmooth 3D crystalline metallic structures"
H. Gao et al., Science, 346, 1352-1356 (2014).

金属のナノ構造体はそのサイズと形状に依存した特異な電子的な振る舞いを示すことが知られている.例えば金,銀,銅などのナノギャップは表面プラズモンに由来する非常に強い局所電場を生じ,Raman分光などにおける信号の増大により,超微量のサンプルの分光分析に役立つし,ナノ構造に由来する高い光吸収性(光閉じ込め)などは太陽電池の効率を上げるのに有用である事がわかっている.
このように優れた特性を持つことから金属ナノ構造体の用途は非常に幅広いと言えるのだが,実用化にあたっての大きな障害はその量産性の低さである.ナノ構造を安価かつ大量に製造する手法は非常に限られており,それらの手法が適用できない限り,(高付加価値の一部用途を除いて)実用化は難しいであろう.
さて,そんな「ナノ構造を量産する」という手法の一つに,ナノインプリントと呼ばれる手法が存在する.これはまず堅い物質で作られた金型の表面に電子線描画装置(非常に細く絞った電子線でスキャンすることで,物体表面をナノレベルで削っていける装置)で任意のナノ構造を削り出しておき,これを柔らかい物質に押しつけると,相手が変形してそのナノ構造(を反転させたもの)が表面に転写される,という手法だ.DVD等のディスクの製造工程にあるプレスと基本的には同じものになるが,100 nm程度のサイズの凹凸を持った物体を,単価数十円レベルで量産できるという事を考えれば,この手法がいかに量産に向いているかは理解していただけるかと思う.

このナノインプリント,柔らかい素材に対しては威力を発揮するのだが,相手が堅い金属となると問題が色々と生じてくる.一つは「細かい溝の中まできれいに金属が入っていきにくい」という点であり,作成されるナノ構造が崩れたエッジの丸まったものとなってしまう.もう一つは,この手法で作られる金属ナノ構造は「型に合わせて無理に変形する際に,金属が無数の微結晶(の集合体)へと割れてしまう」というものだ.割れるといっても崩れるわけではなく,微結晶が融合した多結晶体になるだけなのだが,この影響で表面は非常に凹凸の多い汚いものとなり,さらに無数の粒界が電子を散乱するため伝導の絡む現象(例えば前述の表面プラズモンを使うものなど)において不利となる.また,金属をしっかり金型の溝の奥まで入れるために強い圧力で押しすぎると,金型側が壊れてしまうという問題も生じる.
今回の論文で報告されているのは,金属の裏側からパルスレーザーでアブり,その衝撃で金型の奥までしっかりと金属を入れ,きれいなナノ構造を量産するという手法である.

著者らの発想はある意味非常に単純で,「型の上に薄い金属板をのせ,それを裏から瞬間的に凄まじい圧力で押せば,金属はきれいに型の中に入るんじゃないか?」という感じのものだ.
まず,型となる部分はSiを電子線描画装置で削り出し,表面に硬度の高いアルミナを蒸着し強度を増している.削り出されたナノ構造としては,ピラミッド型の窪み(インプリントにより,金属側には無数のピラミッドが出来る)やら網状の溝(同じく,金属上に網目状のパターンを生じる),無数に並行に並んだした溝(金属表面に,並んだ溝と山が出来る),歯車型の窪み(歯車状の構造が出来る),などである.このナノ構造は,最も微細な部分がおよそ20 nm弱程度と,非常に細かい.そのSiで作った金型の上に,転写先となる薄い金属(数 μm程度)を乗せる.この時,転写先金属の最表面にポリマーや金を薄く(数 nm程度)付けておくと,これが固体の剥離剤となる事でよりきれいに構造が転写されるらしい(付けなくてもいけるが,分解能がやや悪くなる).金属の裏側には,レーザーを吸収して気化するアブレーターとしてグラファイトを貼り付けておく.その上にさらに押さえとしてガラスを乗せて,セット完了である.全体の構造を書くと,以下のようになる.

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ガラス基板
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グラファイト
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金属箔(転写先)
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剥離剤(PVPや金)
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金型(Si)
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この構造のガラス基板側から,パルスレーザーを照射する.使っているのは一般的なYAGレーザーの基本波であり,これを0.3〜1.4 GW/cm2程度に集光して照射する.パルス幅は5 nm程度だそうだ.
レーザーはガラス面を透過し,グラファイトに吸収される.これによりグラファイト表層は瞬時に蒸発,そこで発生した衝撃波が金属箔を金型に強烈に押しつけ,ナノ構造が金属へと転写される,というわけだ.

結果であるが,10 nmや20 nmといった非常に微細な溝であるとか,エッジの立ったピラミッド構造であるとかが銀箔表面にきれいに転写していることが確認された.また,非常に強く型に押しつけられることや,溝に落っこちていく部分は後ろから均一に押されるだけなので歪みが少ないこと,などにより転写されたナノ構造の表面は非常に凹凸の少ない,きれいなものとなっている.著者らは他にもAlやTiなどでも転写を行っているが,柔らかく融点の低いAlの場合は金型に押しつけられる際に一度融解することにより,ナノ構造全体が一つの単結晶になっていること,また堅いTi相手でもナノインプリントが可能である事を見出している.また,使用した金型に関しては,100回以上使用しても,電子顕微鏡による観察では表面に目立った劣化は確認されず,かなりの繰り返し回数がありそうな雰囲気である.
また著者らは面白い試みとして,凹凸(具体的には,何本も併走している溝)を作成した金型と金属箔の間にグラフェンシートを挟み,その状態でレーザーを使ったナノインプリントを行う,という事も試している.レーザーの強度が高い場合は,金属が一気に金型の形に変形するため,間に挟まれたグラフェンは溝の部分で切断され,何本もの幅の細いグラフェンナノリボンへと変換されているようである(テラスの上部と溝の底にグラフェンが存在し,その間で切断される).
一方,ある程度弱いレーザーパルスの場合,金属箔の変形に合わせてグラフェンが巻き込まれ,凹凸を包むように,表面の凹凸に合わせてグラフェンが張り付いたような金属箔が出来るらしい.

レーザーを絞ってあてる必要があるためあまり大面積の加工は出来ないが,表面ナノ構造を量産できるというのはなかなか興味深い.うまいこと大面積化出来れば,例えばナノサイズの突起から静電気を逃がしやすい何かであるとか,細かな凹凸が表面にくっついた細菌を死滅させる(実際,そういう研究はある)ような金属加工,などに繋がったり……と色々と考えてみるのも面白いものである.(2014.12.18)

 

136. 腸上皮でのフコシル化が罹患中の腸内細菌環境を維持する

"Rapid fucosylation of intestinal epithelium sustains host-commensal symbiosis in sickness"
J. M. Pickard et al., Nature, 514, 638-641 (2014).

腸というのはいわば"外部"に露出した内臓であり,さまざまな外界由来の物質に接触している.このため各種感染の起点となる可能性が非常に高くなり,腸からの感染をいかに防ぐかというのは生体にとって非常に重要な課題である.例えば人間の免疫細胞の過半数は腸に存在しており,また腸を起点とした免疫系の多彩な制御なども明らかとなりつつある.
腸からの感染が危険である一方,腸が"外界"に接する器官である以上,そこを無菌状態に保つのは現実的ではない.そこで生物は,腸内に(その生物にとって)無害な細菌群を生息させ,危険な細菌類の繁殖を防ぐという共生的な関係を築いている.無害な細菌をある意味で免疫系の一部として取り込んでいるわけだ.
(そういう意味では,「人間」という存在は雑多な生物の集合体ともいえる)
そして生物はこの腸内細菌群を維持するために,「免疫系は無害な細菌をむやみに攻撃しない」等,共生関係を維持できるように進化してきたし,細菌側も何らかのシグナル分子によって腸側の応答(例えば,自分たち以外によく効く免疫応答など)を引き出し,生存に有利な効果を引き出しているといわれている.

ここでちょっと違う話を挟もう.
人間が風邪などにかかると,食欲が減退するということはよく知られている.この反応は,餌を探す労力から内部の敵と戦うほうに体力を振り分けるためだとか,栄養を制限することで感染した細菌などへの栄養を断つ効果があるためだとか言われている.
さて,この絶食,よく考えると腸内細菌にとってはかなり致命的な出来事である.何せエネルギー源である食料が一切入ってこなくなってしまうのだ.1日程度ならまだしも,もっと長期間食欲不振が続くようであると,腸内細菌群に甚大な被害が生じることとなる.一方これは,人間からしても一大事だ.有害な細菌が増殖できないように無害な細菌群で埋め尽くしていたのに,腸内細菌群が半壊しているようでは病み上がりの食事由来の有害な細菌の大繁殖を招きかねない.
そこで,「食欲不振で食事をとれていない際には,腸内細菌群に餌となる何らかの栄養が人間側から供給されるシステムがあるのではないか?」という仮説がかねてから提唱されていた.
今回の論文は,そういったシステムを実証したよ,というものとなる.

著者らが目を付けたのはフコースという糖によるタンパク質やリン脂質の修飾である.一般的に,タンパク質や脂質はしばしば糖類による修飾を受け,その糖の種類などによりある種のシグナル分子として生理活性を制御したり,栄養としての糖鎖を運搬したりする.中でもフコースはさまざまな疾患(特に癌など)で多量に発現することが知られており,免疫に何か大きくかかわっていることが示唆されている.実は過去の研究により,様々な感染症にかかった場合に腸管の上皮細胞が多量のフコシル化された分子(=フコースがくっついた分子)を分泌することが知られており,これが腸内細菌に影響を与えているのではないか?というのが著者の見立てだったわけだ.

そんなわけで,フコシル化にかかわる遺伝子をノックアウトしたマウスと野生型とを比較した実験を行っている.感染による免疫応答をシミュレートするためにリポ多糖(LPS:グラム陰性細菌の外膜に存在する物質で,毒性もある)を接種して応答を見る,というのが主な手法だ.
その結果であるが,まずLPSを接種すると,野生型では腸の上皮細胞で顕著にフコース化されたタンパク質等が生じる.ノックアウトマウスでは当然ながらそういったことは起こらない.両者とも接種後には食欲の減退により体重が減少するが,数日で体重は元に戻っていく.ところが,この体重の戻り方に違いが生じていた.野生型に比べ,ノックアウトマウスのほうがなかなか体重が戻らなかったのだ.
一つの可能性としてフコシル化されたタンパク質そのものが他の酵素の活性を上げるなどして回復を早めるという可能性も考えられたが,酵素の活性等には顕著な差は見られなかった. そこで著者らは前述の仮説に基づき,腸内細菌の生存性の違いが影響しているのでは?という点の確認を行った.つまり,フコシル化にかかわる部分をノックアウトしたマウスでは絶食中に腸内細菌に栄養が足りずその数が減少,それが回復期の栄養摂取に影響を与えているのではないか?ということだ.
これを確かめるために,野生型,抗生物質により腸内細菌を減らした野生型,ノックアウトマウス,抗生物質により腸内細菌を減らしたノックアウトマウス,の4種類のマウス(十数匹ずつ)を用意し,それぞれにLPSを投与した後の体重変化を追跡した.
すると,通常の野生型の体重の回復が早かったのに対し,抗生物質で腸内細菌を減らしたグループや,抗生物質は使っていないがフコシル化部分がノックアウトされているマウスは同じ程度に体重の回復が遅かった.抗生物質による人為的な腸内細菌の減少と,フコシル化部分のノックアウトがまったくと言っていいほど同じ影響であったことから,LPS投与後の体重回復の遅れは,腸内細菌の減少によることが示唆される.また,腸管の上皮細胞が分泌したフコシル化された分子を腸内細菌が取り込んで代謝していることも別の実験で示している.
最後に著者らは,野生型とノックアウトマウスとに対し,LPSを投与して食欲を減退させたのち,数日後にC. rodentiumというマウスの腸病原菌を投与する実験を行っている.その結果,野生型に比べノックアウトマウスではLPS後のC. rodentiumの投与で体重が大きく減少するなど感染しやすいことが確認された.これは,感染症からフコシル化をトリガーする能力を持たないマウスでは絶食後に腸内細菌が減少しており,感染症にかかりやすい状況となっていることを示唆している.野生型のマウスでは絶食中でもフコシル化された分子を腸内細菌のための「餌」として分泌することで腸内細菌の減少を防ぎ,以後の感染への備えを維持しているわけだ.

このあたりの話は全く知らなかったので,なかなか興味深い結果であった.(2014.10.31)

 

135. DNAを鋳型にして形状の制御されたナノ粒子を作る

"Casting inorganic structures with DNA molds"
W. Sun et al., Science, in press (2014).

優れた触媒特性や光学特性を持つことから,応用を見据えたナノ粒子の研究は非常に盛んである.ナノ粒子の形状を制御できるとこれらの特性は非常に高機能化できることが知られているのだが,実際にナノ粒子の形状を制御するのはなかなかに至難の業である.そもそもナノ粒子レベルのサイズになると表面エネルギーの効果が大きいため,粒子は球に近い形状(実際には,球に近い多面体形状)をとろうとする.これを望んだ形状とするには,この表面エネルギー由来の力に打ち勝ちつつ,しかも何らかの方法で特定の形に成長を制限した粒子を量産しなくてはならない.

現在までのところ曲がりなりにも成功しているのは,金属の特定の表面(例えば(111)面だとか(100)面だとか)にくっつきやすい保護剤の存在下で粒子を成長させることで,保護剤がくっつかなかった面だけを選択的に成長させる方法である.これにより,柱状であるとか,プレート状のナノ粒子を作る事が可能となる.しかしこの方法では,どんな保護剤がどの面に付きやすいのかが非常にわかりづらく実際にやってみるまで結果がわからないこと,しかも複雑な形状に成長させることは不可能である点が問題となる.
今回報告されたのは,DNA折り紙の技術を用いて任意形状の空洞(=鋳型)を作り,その中で金属ナノ粒子を成長させることで鋳型と同じ形状のナノ粒子を選択的に作り出す,というものだ.

何度か紹介しているが,DNA折り紙というのは長い環状のDNAと,その離れた2箇所にくっつく相補的なDNA断片多数使用し,DNAを望んだ形状の平面や立体に折りたたむという技術である.DNAのリングをリング状のホースと考え,これをあちこちで折り曲げつつホチキスで留めると複雑な立体構造が作れる,というのと考え方は同じだ.
今回著者らはこのDNA折り紙を用い,多種類のナノサイズの円柱をまず作成した.作成した円柱の側面には特定の相手とくっつきやすい部分が現れるようになっており,溶液中で複数種類の円柱が集まって自発的に「四角い大きな中空の柱」(この段階では上面・下面は開いている)へと再構築される(Supplementary Materials,Figure S1を参照のこと).この「中空の柱」の特徴としては,上面と下面の部分にそれぞれ特定の塩基配列のループ(後で上下の開いた部分を塞ぐ「蓋」をくっつけるマジックテープの役割を果たす)がぶら下がっていることと,内側にこれまた別の塩基配列(種結晶となるナノ粒子を掴むためのフック)がぶら下がっている点である.

この構造ができたら,次に種結晶である金ナノ粒子を仕込む.金ナノ粒子の表面には前述の「中空の柱」の内側に伸びた「フック」にぴったり結合できるようなDNAの断片が無数に結合してあり,このナノ粒子を「中空の柱」の溶液中に投げ入れると金ナノ粒子は自動的に「フック」に引っかかって固定される.その後「中空の柱」の上下を塞ぐための「蓋」となる板(これもDNA折り紙で作る)を溶液に加えると,「蓋」から一部飛び出ている塩基配列のループ(「中空の柱」の上下から伸びている塩基配列と相補的であり,その部分にくっつく)が「中空の柱」と結合,「金ナノ粒子」を一つ内部に閉じ込めた「直方体状の空間」が出来上がる.

ここまで準備ができたら,あとはこの溶液に金や銀などの金属イオンと弱い還元剤を加え,ゆっくりと金属ナノ粒子を析出させるだけだ.金属イオンや還元剤は小さな分子なので,DNA折り紙で作られた箱の中には隙間から侵入していくことができる.またこの還元は非常に温和な条件なので,金属イオンの還元は主に種結晶として仕込んだ金ナノ粒子の周辺でだけ起こる.すると核となる金ナノ粒子を囲むように金や銀の結晶が成長してゆき,最終的にはDNA折り紙で作られた「箱」を埋め尽くしたところで成長が終了する.DNA折り紙に細かな隙間があるといっても,そこを埋めてナノ粒子が成長するのは難しい(細い隙間を埋めるように成長すると,表面積が大きいため表面エネルギーが大きく,不安定).結果として,事前に作成してあった「箱」のサイズや形と一致した金属ナノ粒子だけが得られるわけだ(Figure S1の最下段を参照).

著者らが実際にどんな形状を作ったのかというと,例えば19.3×13.3×30.5 nm(各辺に0.5〜1.5 nm程度の誤差を含む.以下同じ)の箱から21.2×16.0×32.1 nmのナノ粒子を作ったり(※内部での粒子成長により押されるので,少し膨らむ),元の箱を19.0×13.9×22.0 nmや13.6×13.6×22.2 nmにすることで,得られる粒子を20.6×16.8×21.6 nmや13.6×13.6×22.2 nmしたりといったサイズ変化,直方体ではなく三角柱や二等辺三角柱,円柱を作ったり,3つの角柱が融合したようなY字型のナノ粒子を作ったり,直方体の上下に量子ドットとなるナノ粒子をくっつけた量子ドット-金属-量子ドットという複合構造を構築したりすることに成功している.

本手法の問題点としては,現在のところ各ステップでの収率がやや低いところが挙げられる.DNA折り紙による中空の柱や蓋を作る段階での収率がそれぞれ10%前後(これは多量の原料を使えば良いのでさほど問題ではないが.不純物などはゲル濾過クロマトグラフィーで除ける),種結晶を仕込むところの収率が80%前後(これはまあ高い),箱の蓋がきっちり閉じられる確率が20%弱(ここが低いのはちょっと問題),粒子成長段階での収率が30-40%程度(ここもやや低い)となっている.
収率に関しては今後要改善であるが,形状がきっちり決まった金属ナノ粒子を作る手段としては非常に興味深い.特に金や銀のナノ粒子はその非常に強い表面プラズモン(粒子表面付近での電子の集団運動による,非常に強力な電気分極を伴う励起状態)を持ち,光学素子としての利用が期待されている事から形状の制御は重要である(形状により,励起されるプラズモンの波長や偏光特性が全く違う).またさらに複雑な形状(螺旋状であるとか,非常に複雑なフレーム構造など)にも適用できる可能性もあり,注目したい.(2014.10.13)

 

134. 安価で高効率な水の光分解

"Water photolysis at 12.3% efficiency via perovskite photovoltaics and Earth-abundant catalysts"
J. Luo et al., Science, 345, 1593-1596 (2014).

再生可能エネルギーへの転換が進む現在,太陽エネルギーは重要なエネルギー源の一つである.しかしながら(他の多くの再生可能エネルギーと同じく)太陽エネルギーは変動が大きく,しかもエネルギー密度が低いことから大規模な発電施設を必要とする.こういった特性は太陽エネルギーを電力に変換してそのまま利用することを難しくしており,その解決のためにはエネルギーを何らかの形で貯蔵・輸送できるようにする方法が必要となる.
そのような貯蔵・輸送のための技術として注目を集めているのが,太陽光のエネルギーをベースにした水の分解による水素の発生である.水素は燃料としての利用が容易であり,燃料電池的に使えば電力を取り出すこともできるなど,利用価値が高い.その一方で,現状では太陽光から水素を作る際の効率が低く,実用化のためにはさらなる高効率化が求められている.
今回論文で報告されているのは,安価かつ比較的豊富にある元素を用いた太陽光による水素発生システムである.太陽光により水素を発生させる手段としては,酸化チタンなどの光触媒を用いた直接分解が有名であるが,今回用いられているのは太陽電池と水の電気分解とを用いた複合系だ.

まず,著者らが電源として用いたのは最近注目されているペロブスカイト型太陽電池だ.これは金属イオンと有機物とが一体となった有機-無機複合型の層状化合物なのだが,塗布法,つまり印刷に似た手段で容易に量産することができる.しかも開放電圧(太陽電池に負荷を何もつながないときの最高電圧)が1〜1.5 V程度と高く(Si系の無機太陽電池だと0.5 V程度だったりする),光吸収能も高いことからエネルギーの変換効率も高く,現在では18%程度の変換効率が実現している.さらに,原材料は比較的単純な有機化合物とハロゲンイオン,そして鉛などの多量に存在する金属イオンであり,原価も安い(鉛を使う点はやや環境的に問題があるが,スズなどを使った代替材料開発も行われている.ただし効率は低い).

この太陽電池と対になって使われるのが,新たに作成された電解用電極だ.極論すれば電気分解は電解質を溶かした水に電極を突っ込んで高い電圧をかければ良いのだが,それではエネルギーのロスが大きすぎる.そのため水の電解反応がよく進むように触媒を用いられている.触媒として非常に性能が高いのは白金である.しかしよく知られたように,白金は価格が高く,しかも産出国が非常に限られているため供給に不安が残る.
そこで著者らは,比較的多量に存在する元素のみを使った電解用電極の開発を行った.まず,水の電解は強酸性か強塩基性のもとで行われる.量産を見据えるなら,酸素発生極の電極と水素発生極の電極は同じもののほうがコストが下がる.そこで酸素発生・水素発生の両方を触媒できる金属として著者らが目を付けたのが,ニッケルである.ニッケルは強塩基中で両反応を触媒できるとともに,その表面をNi-Fe Layered Double Hydroxide(ニッケルと鉄のイオンがランダムにごちゃ混ぜになった水酸化物で,層状構造をしている)で修飾するとその触媒能が大きく向上することが昨年報告されているのだ.この表面修飾ニッケル電極,作成は非常に単純であり,工業用に売られているニッケルフォーム(ニッケルでできたスポンジのようなもの)を水溶液中に入れ,NiイオンとFeイオン,少々の尿素などの存在下,水熱合成(密閉容器中で高温に加熱する,圧力鍋のようなもの)で処理するだけである.
著者らがこの作成した電極を評価したところ,酸素の発生では白金ナノ粒子を添加したニッケルを上回る非常に優れた特性を示し,水素の発生においても白金添加にはやや劣るもののかなり良い特性を示した.両極に使った場合のトータルの特性では,白金修飾のニッケルとほぼ同一の特性が得られ,貴金属を使わない比較的安価な電極としては驚くほど優れた特性となっている.

最後に,この電極と,前述の太陽電池を組み合わせ実際に太陽光模擬光源を用いて水素を発生させたところ,変換効率12.3%という非常に高い効率で水素を発生させることができた.この太陽電池を用いての光-電流変換での効率が15.7%ということを考えると,水素の発生効率はかなり高いと言える.また耐久度に関してであるが,電極に関してはそこそこの耐久性はある,らしい.ただ,サンプルによっては謎の劣化がみられることもあり(ほとんど出ないものもある),この辺りはもうちょっと詰める必要があるか.また,ペロブスカイト型太陽電池も劣化があるので,このあたりの解決も今後の課題となるだろう.

今回の結果は,基礎段階としては破格の高効率での水素発生であり,今後の発展次第では(長いこと来る来る言われていながらちっとも来ない)水素社会がいよいよ見えてくるかもしれない.(2014.9.26)

 

133. ベテルギウス,球殻状構造の謎

"Interacting supernovae from photoionizationconfined shells around red supergiant stars"
J. Mackyey et al., Nature, 512, 282-285 (2014).

ベテルギウスは地球のかなり近傍に存在する赤色巨星であり,まもなく超新星爆発を起こすと見られていることなどから注目を集めている恒星である.まあ,「まもなく」と言っても天文学的スケールではまもなく,であるので,我々が生きている間に爆発する可能性は非常に低いと見られている(*).

*最近の研究では,ベテルギウスは赤色巨星化してから比較的若い恒星であると考えられている.ここ最近見られた大きさや輝度の大きな変化も,(爆発寸前だから起こる不安定さではなく)若いがゆえの不安定さだという意見もあり,超新星爆発は数十万年後と見られている.

そんなベテルギウス,赤色巨星であるために膨大な量のガスを噴出しており,その量は年間で地球1〜数個分もの質量に相当する.この膨大な量の恒星風はベテルギウスを中心に広がり,やがて星間ガスと衝突して急速に減速する.この超音速の拡散から亜音速への減速面は衝撃波(末端衝撃波面)であり,バウショックと呼ばれている(太陽系にも存在している).
ベテルギウスのバウショックは最近になって詳細な観測が行われ,非常に鮮明な画像が得られている.画像中央やや左寄りに見える弧状の部分がそれであり,さらに左側にある壁状の構造は詳細不明な星間ガスの集合体である(銀河の磁束か何かにトラップされた星間ガスではないか?とも言われている).ベテルギウスは周辺の星間ガスに対し非常に速い相対速度で画像の左向きに進んでいるので,バウショックは右に尾を引く楕円状の形となっている.

さて,ここで問題になるのが画像中央のベテルギウスを包むように存在する球殻構造である.この球殻構造は非常に密度の高い水素などのガスで出来ている事,そのガスの総量が太陽質量の1割弱程度という膨大な量であることはわかったのだが,何故このような構造が発生するのかは謎であった.定常的な恒星風と星間ガスとの相互作用だけを仮定すると,このような二重構造(内側の球殻と,外側の歪んだバウショック構造)は発生できない(ぶつかる部分にバウショックが一つ出来るだけである).何らかの突発的な爆発により多量のガスが放出された可能性もないではないが,原子からの輝線のドップラーシフトの測定によればこの球殻構造はベテルギウスに対してほぼ静止していることが明らかとなり,過去に起こった爆発で濃厚なガスが放出されたと言うモデル(当然,ガスは高速で拡散していく)とは一致しない.恒星進化や燃焼のモデルに何らかの修正が必要なのかどうなのかを含め,議論が重ねられていた.

今回報告されたのは,この球殻状の構造が,他の恒星などからの宇宙線や光によるイオン化&加熱を考えると既存の枠組み内で非常によく説明できる,というものである.
ベテルギウスのようなかなり重い星が出来たことからもわかるように,このあたりの宙域にはかなりの量のガスが存在していたと考えられる.このためベテルギウスの周囲にもそこそこ多い恒星が存在しており,ベテルギウス周辺はこれらからの輻射や宇宙線を受けている.ベテルギウスから吹き出した恒星風にこれらの輻射が当たると,原子はエネルギーを吸収してイオン化し,吸収したエネルギーの分だけ温度が上昇する.これにより,恒星の周囲には(比較的)温度の低い中性原子からなる恒星風が外に向け吹き出している内部領域と,外部からの輻射により加熱・イオン化した高温の外層が生じるはずだ(外界からの輻射は比較的外側の領域でほとんど吸収されてしまうため,あまり内側までは浸透しない).著者らはこの効果を含めて何が起こるのかを調べるため,簡略化したモデルを用いて計算を行った.計算では,内層部分の中性原子ガスの温度はほぼ一定で100 K程度,外層のプラズマ化した部分の温度は遠方で10000 K(プラズマの温度としてはまあこんなものだろう)になるようにし,その間では両者のガスの混合により連続的に温度が変化するようになっている.中心の恒星からは均一な恒星風により低温のガスが供給され続け,外側からは輻射により加熱のためのエネルギーが加えられ続けて行く.輻射による加熱量や吹き出ている恒星風の量などはこれまでの様々な恒星等の観測からまあ妥当だと考えられる範囲の値が用いられている.

このようなモデルで計算を行ったところ,内層の低温中性ガスと外層の高温プラズマとの間に,ベテルギウスにおいて観測されたような濃厚でほぼ静止したガスの球殻が生成することが再現された.要するに,中心からはどんどん恒星風が吹き付けられ,外側では輻射によるイオン化で高温になったガスの圧力が増して膨張しようとする,するとその間となる領域が両側から押しつぶされ,ほぼ静止した巨大な球殻なる,と言うわけだ.
そこそこ妥当なパラメータの範囲内で調整してやると,ベテルギウスにて実測されたような半径が0.12パーセク弱で周囲のガスの速度が14 km/s,挟まれた球殻状の領域ではガス速度がほぼゼロ,という観測結果をきれいに説明することにも成功している.
また,この球殻の質量は時間とともに増大していく事が予想され,ベテルギウスのように本体の質量が太陽質量の20倍程度ある恒星の場合,最終的には太陽質量の4-7倍という膨大な量のガスが恒星を包む球殻状に集積されることも明らかとなった(当然,中心にある恒星からの恒星風が減れば平衡が崩れて蓄積されているガスの量は減少する).現在の観測では蓄積されているガスの量は太陽質量の0.09倍程度であるが,これはベテルギウスが多量の恒星風の噴出を始めて(=赤色巨星になって)からまだ日が浅く,ガスが十分蓄積されていないことを示唆している.今回のモデル計算からは,ベテルギウスが赤色巨星化してからおよそ30-50万年程度であると推測される.ベテルギウスの質量からすると赤色巨星化してからの寿命はおよそ100万年と考えられているので,超新星爆発が起こるのは50万年以上先と見られる.これは他の観測結果とも大きくはずれていない.
(計算はかなり粗いので多少のずれはあるだろうが,若いことは言えそうである)

何というか,温度やら圧力やらで(最大で)太陽質量の数倍なんて言うとんでもない球殻構造が出来るだとか,非常に面白い話である.さすが宇宙のスケール.(2014.8.22)

 

132. カイラリティを制御したカーボンナノチューブの合成

"Controlled synthesis of single-chirality carbon nanotubes"
J. R. Sanchez-Valencia et al., Nature, 512, 61-64 (2014).

カーボンナノチューブは,単層グラファイト(グラフェン)を適当なサイズで切って丸めて繋いだものと見なすことが出来る.紙のような(準)連続&等方的な物体であればどのような角度で切って丸めて円筒にしても出来上がるものは同じなのだが,グラフェンは蜂の巣構造を持った巨大分子であり,異方的な構造を持っている.この結果,カーボンナノチューブは「どのような角度でグラフェンを切り出すのか?」によって微視的な構造が異なってくる(このあたりの図3を参照).
さて,カーボンナノチューブは熱伝導性や電気伝導性,機械的強度などに優れているので,これらを何とか実用化しようという研究が活発に行われている.ここで問題になってくることの一つが前述のカイラリティだ.ナノチューブの場合,カイラリティが違うと物性が大きく異なってくる.特に影響が大きいのが電子状態であり,カイラリティによってナノチューブは金属(各種カイラリティ全体の1/3)または半導体(同2/3)と,全く異なる物性を示す.また半導体に分類されるナノチューブであっても,そのバンドギャップなどはカイラリティによって異なってくる.これは,ナノチューブを電子素子として使おうとする場合には特定のカイラリティのみを選択して利用する必要があることを意味している.何も考えずにごちゃ混ぜのナノチューブを使ってしまったら,あるところでは金属,別な素子部分では半導体,さらに別な場所ではギャップの非常に小さな半導体,と,素子ごとに特性が大きく変化してしまうためだ.
そんなわけで,これまでにも何とか単一のカイラリティのナノチューブを作成しよう,という研究が多数行われてきた.例えばある決まったサイズの穴を持つ物質を鋳型として用いればそこにちょうど合うサイズのナノチューブだけが出来るだろうとか,金属性のナノチューブと半導体のナノチューブで燃焼温度が微妙に異なることを利用して一方を燃やして除去するとか,実に様々な研究がある.しかしながら,どれも完全に分離することには成功しておらず,どうしても他のカイラリティのナノチューブが不純物として混入してきてしまっていた.

今回報告されたのは,(6,6)という特定の金属ナノチューブのみを選択的に作成する事が出来た,と言う論文である.手法は2段階に分かれていて,まず,特定のカイラリティを持つナノチューブへと接続できる「キャップ」部分(フラーレンを半分に切ったようなものをイメージしてもらえると,だいたい合っている)を平坦な白金基板上で作成,その後白金基板上で炭化水素を供給しながらそのまま長く伸ばしていく,というものだ.
キャップの前駆体として用いているのは,Extended Data Figure 4でP1と表示されている分子である.これを清浄な白金(111)表面にばらまき500 ℃程度に加熱する.白金は水素の解離や脱離の良い触媒であり,炭化水素系の分子から水素を外して炭素-炭素結合が生成する過程を促進することが出来る.この結果,この前駆体はエッジ部分の水素が次々に外れ炭素-炭素結合が生成,半球型のキャップを持つナノチューブの末端が生成する(Extended Data Figure 2の左端).このキャップは,平坦な白金表面から垂直に突き出した状態で固まっている.最初に合成された前駆体P1の形状がきっちり決まっており,脱水素による結合生成が起こる場所も限定されているため,出来上がるキャップの構造はただ一つに限定される.なお,このキャップ構造から伸びることが出来るのは(6,6)ナノチューブ(アームチェア型ナノチューブと呼ばれるものの一つ)であり,金属伝導を示す.
細かいことを言うと炭素-炭素単結合の回転によりいくつか違う構造のものも出来るのだが(Extended Data Figure 2の左端以外の構造),これらはナノチューブへと成長する事が出来ないので,(ちょっと収率が下がる以外には)ここから先の実験には影響しない.
キャップが出来上がったら,そこにエタノールやエチレンの希薄なガスを導入しつつ,400-500 ℃の間で加熱する.そうすると白金の触媒効果によりこれらのガスが分解しC2が生成,ナノチューブの末端(白金と接触している部分)に付加的に結合することにより,少しずつナノチューブが成長していく.キャップの構造が厳密に決まっていたのだから,そこから伸びるナノチューブもそのカイラリティを引き継いだ単一の構造となる.

得られたナノチューブはRaman分光により構造などの情報を得ている.ナノチューブにはブリージングモード(breathing mode,円筒が半径方向に拡大・縮小を繰り返すような振動)と呼ばれる特徴的な振動モードが存在し,その振動数はナノチューブのカイラリティに依存している(=この振動数からカイラリティの情報が得られる).今回作成したナノチューブを調べると,非常にシャープでただ一つのピークのみが(6,6)ナノチューブに対応する位置に観測された.これは作成されたサンプルはほとんどが同一のカイラリティを持つナノチューブの集合体であり,そのカイラリティは前駆体から出来るキャップの構造にきっちり一致していることを意味している.さらにグラフェンなどに欠陥があると現れるDバンドと呼ばれる振動はほとんど観測されず,本手法で作ったナノチューブは格子欠陥をほとんど全く含まない,きれいな構造をしたナノチューブである事もわかった.

これまでにもキャップなどを先に作っておいてそこからカイラリティの揃ったナノチューブを生やそう,という研究はあったのだが,それらで使われていたのは通常のナノチューブ作成に使われるのと同じような金属ナノ粒子であった.その場合,実際に出来上がるナノチューブには無数の不純物が混ざってきており,「狙ったカイラリティのみを作る」と言う点からはまだまだであった.
今回の手法の新しいところは,触媒としてナノ粒子ではなく,平坦な金属表面を使ったところにある.これにより非常にきれいにナノチューブが成長し,これまでの金属ナノ粒子を使った場合のようなナノ粒子のサイズや形に引きずられておかしなカイラリティに変化してしまう,というような事が防がれている. もう一つ重要なのは,この白金表面を使った場合だと400-500 ℃というかなり低温でのナノチューブ成長が起こっている,と言う点だ.このあたりは白金の表面構造と(6,6)ナノチューブの構造がうまく噛み合ったのか,それとも白金表面が触媒として優れているのか,そういったところはよくわからないが,利点は非常に大きい.まず,成長温度が高温になると,最初に作ったキャップが一度金属中に溶けて再析出するような事が起こってしまう事が知られている.これが起こると一度キャップが分解しているのだから,特定のカイラリティで成長する事は不可能である.ところが今回の手法では,かなり低い温度でナノチューブが成長しているため,このような心配が少ない(それがきれいな結果に繋がったのだろう).もう一つの利点として著者らが挙げているのが,既存のCMOSプロセスとの共存性だ.実は通常のナノチューブ作成でよく使われるような700-900 ℃などの高温では,CMOSの酸化膜がナノチューブの原料として導入する炭化水素やナノチューブそのものと反応して破壊されてしまったり,酸素原子が移動したりといった事がおこってしまう.そのためCMOSとナノチューブによる配線(等)を組み合わせようと思うと,ナノチューブの成長は500 ℃以下であることが必要だと言われていた.今回の手法ではその点もクリアできているわけだ.

この手法が他のカイラリティを持つナノチューブにも適用できるかどうかはまだわからないし,現時点ではまだ量産性にも難はある.しかしながら,長いこと無理だの難しいだの言われてきた単一カイラリティのナノチューブ作成がここまできれいに行ったというのは一つの区切りとして感慨深いものがある.(2014.8.7)

 

131. ダークマターは巨大なボース・アインシュタイン凝縮体か?

"Cosmic structure as the quantum interference of a coherent dark wave"
H.-Y. Schive, T. Chiueh and T. Broadhurst, Nature Phys., in press (2014).

我々の宇宙に存在する物質のうち,目に見えるような通常の物質は全体量のわずか1/6以下でしかなく,大部分は目に見えない「何か」であることがほぼ確実となっている.この「光らず,直接見えない何か」はダークマターと名付けられ,その正体の解明が今も精力的に行われている.最も一般的なモデルでは,この「何か」は「重力以外ではほとんど相互作用を行わず,運動エネルギーが小さい(=冷たい)粒子」であると想定されており,「冷たい暗黒物質」(CDM:Cold Dark Matter)と呼ばれている.このCDMを用いたモデルは宇宙の大規模構造の形成や銀河の形成,現在の銀河の形状など様々なものを説明できる優れた仮説ではあるのだが,いくつか未解決の問題を抱えていることでも知られている.
まず第一は,CDMモデルから予想される暗黒物質の分布と,観測された実際の質量分布とが銀河中心部などの高密度領域において大きくずれていることである.CDMによる予想では,銀河中心部では非常に強い重力により多量のCDMが集積しているはずなのであるが,実際にはもっとフラットな分布が観測されており,コア部分におけるダークマターの密度は予想よりもかなり低い(中心に近づいても,思ったほど密度が上がらない).
第二は,矮小楕円体銀河の問題である.矮小楕円体銀河は大きな銀河系の周囲を衛星のように運動している非常に小さな銀河であるが,その質量に占めるダークマターの比率が非常に高いことで知られている.通常のCDMモデルが予想するところでは,この矮小楕円体銀河は実際に観測されているよりも遥かに数が多く,しかもそのサイズや速度分布は非常に幅広いものとなるはずなのであるが,現実にはそうなっていない.
これらの欠点がある事から,CDMモデルはまた改善の余地がある,もしくはダークマターの正体は全く異なる粒子である,という事が推測される.今回報告されたのは,通常のCDMではなく,天文学的な長さの波長を持つ素粒子のボース・アインシュタイン凝縮体(BEC)がダークマターの正体ではないか?という事を示唆する計算結果である.

そもそも,既存のCDMモデルでの一番の問題は「銀河核の狭い領域に,重力により非常に多量のダークマターが集まってしまう」という点にあった.という事は,何らかの機構により「ダークマターが狭い領域に集まるのを阻害する」事が出来れば,問題の解決への糸口が掴める.
今回著者らが考えたのは,ダークマターの正体を「尋常ではなく軽く,それゆえ物質波としての波長(ドブロイ波長)が凄まじく長い素粒子が,ボース・アインシュタイン凝縮しているもの」としたモデルだ.凄まじく巨大な領域に渡って凝縮したBECを考える.凄まじい量の粒子が集合しているためこのBECには自重による重力が強く働くが,それと同時に量子論による不確定性が粒子を狭い領域に押し込もうとすることを阻害する(狭い領域に押し込むには,非常に強い相互作用が必要になる).それゆえ,物質波としての効果を考えない既存のモデルと比べると,今考えているモデルでは中心領域でのダークマター密度が低くなることが予想される.
一方,量子-古典対応により,十分広いサイズ(=物質波としての波長より十分大きなサイズ)で見ている限りにおいては,この量子論的な効果を考慮しない系(CDMモデルの系)と非常によく似たダークマター分布が得られるはずである.従って,今考えているBECを使ったモデルでも,大局的な振る舞いは一般的なCDMモデルと一致し,現在での多くの観測結果とは矛盾しない.
これにより,
・物質波としての波長より十分広い領域:古典的なCDMモデルとほぼ同等の結果を与える
・波長と同程度以下の小さな領域:量子論的効果により,ダークマターの密度が下がる
となってくる.これにより,CDMモデルにおいて「銀河核でのダークマター濃度の計算値が,実測より遙かに大きい」という食い違いを是正することが可能となってくる.

では,物質波としての波長は,どの程度のサイズが必要なのだろうか?
今回のモデルが現実の系を再現できるように決めてやると,驚くなかれ,ドブロイ波長はなんとおよそ1000パーセク,つまり3000光年にも達する.
つまりダークマターを作っている物質は,その波動関数としての1波長が3000光年もあり,さらにその数万,数億倍以上もの膨大な空間に広がる無数の素粒子がBECとなり,単一の量子状態としてこれだけの広さの空間に広がっている,というのだ.
そんなことが可能なのだろうか?ドブロイ波長自体は,質量の1/2乗に逆比例する.従って,とんでもなく軽い素粒子であれば,計算上は数千光年もの長大なドブロイ波長を持つことは可能である.著者らの計算では,このBEC状態のダークマターを作っている素粒子の静止質量として8×1023程度が示唆されているが,これは電子の静止質量よりも28桁も小さい,とんでもなく軽い粒子に相当する.

論文ではこのモデルに基づく結果がいくつか出されているが,まとめると,
・銀河核でのダークマター密度が下がり,観測値を説明できる
・ソリトン状の励起が起こり,コンパクトでそこそこ軽い重力源となる → これを使うと,矮小楕円体銀河の観測値を説明できる
・宇宙の超初期に生じたダークマターの集積度合い(後に通常物質を引き寄せ,銀河や銀河団の核となる)が,これまでの理論よりも弱くなる(量子論的効果により,狭い領域には集まりにくいため) → 超初期の銀河の誕生が,これまでの理論よりも遅くなる
といった事が主張されている.通常のCDMの理論では赤方偏位z = 50に相当するかなり初期の段階からの銀河形成が示唆されるが,今回のモデルではz = 13あたりになってようやく銀河が発生することとなる.このあたり,将来的には観測で決着を付けられるかも知れない.
(ただ,現時点ではz = 8前後までしか観測できていないので,z = 13という超遠方の銀河が観測できるかどうかは謎)

このモデルが正しいのかどうかはともかくとして(*),数千光年の波長を持つ素粒子だの,銀河以上のサイズでのボースアインシュタイン凝縮体だの,何とも想像力をかき立てる話である.こういうのがあるから物理は楽しい.

*CDMの修正であるとか,他のモデルであるとかいろいろあるので,今回の話が唯一の解決策というわけではなく,どれが正解なのかは現時点では謎.(2014.6.26)

 

130. 手軽に実現できる不可視化クローク(ただし濁った媒質中に限る)

"Invisibility cloaking in a diffusive light scattering medium"
R. Schittny, M. Kadic, T. Bückmann and M. Wegener, Science, in press (2014).

近年,メタマテリアルを用いて内部の物体を不可視化するクローク技術の研究が流行している.物体があるにもかかわらず光がその周囲を迂回するように進めば,内部の物体を光学的に観測することはできなくなる.これが不可視化の基本原理である.では,どのようにしてそれを実現するか?一番単純なのは,周囲よりも光速度の速い物質で隠蔽したい物体を覆ってしまうという事が考えられる.光は速度が速いところを優先して通ろうとするので(*),このような構造を作ればまっすぐ進んできた光は内部の物体を迂回するように進み,結果として内部の物体を見ることができなくなる.

*フェルマーの原理により,光は最短時間(正確に言うとちょっと違うのだが,たいていの場合はこれでよい)の経路を通る.もちろん光に意思があるわけではなく,波面の重ね合わせを逐一考えることで数学的に示すことができる.

ところが問題は,我々の周囲(=空気中)の光の速度は物理的な速度の限界である真空中の光速度にほぼ等しく,これを超える速度は実現できない,という点にある.メタマテリアルを用いた不可視化クロークにおいては,波面の複雑な重ね合わせにより「一つ前の波が作った波面が,次に来る波がすごく速く進んだ場合に作る波面と同等になる」という事を引き起こし,擬似的に超光速的な現象をもたらし,不可視化を引き起こす.周回遅れのランナーが,一見すごく速い位置にいるように見える,というのと似たようなものだ.この「周回遅れの疑似超光速」に基づく不可視化は,連続光に対しては非常にうまく作用する.連続光では同じ波が次々にやってくるので,一周期遅れのものを重ね合わせるという手法で連続的に不可視の状態を作れるからだ.
ところがこの既存のメタマテリアルを用いた不可視化にはいくつかの問題点が存在する.まず一つには,パルス光に対しては不可視にならない,という点だ.周回遅れの合成波を用いて細工しているのだから,1周期ぐらいの短いパルスに対しては,ワンテンポ遅れた応答が帰って行くこととなる.光の応答にズレが生じるのだから,これは完全な不可視化とは呼べないだろう.そして何より大きな問題は,適用波長域が狭い点である.メタマテリアルは,波長と同程度のナノ構造の組み合わせにより実現されている.という事はメタマテリアルとして作用出来る波長が決まっているわけで,そこから大きく外れた波長の光に対してはもはや単なる物体として振る舞い,不可視化を引き起こすことはできない.

今回著者らが報告しているのは,大きな物体に対しても適用可能で,適用は超範囲も広く,しかも安上がり,という不可視化クロークの製法である.
そもそも,メタマテリアルを使わなければならなかったのは,周囲の光速度を超える光の速度が実現できなかったからだ.もし周囲の光の速度が何らかの理由で非常に遅くなっているのならば,光を高速(=周囲よりも,もっと真空中の光速度に近い速度)で通す材料で隠蔽したい物体を囲んでしまえば,自動的に不可視化が実現できる.では,光の速度が大幅に遅い状態,というのはあり得るのだろうか?
著者らが目を付けたのが,懸濁した媒質である.例えば深い霧の出ている大気中なり,牛乳なり,泥水なり,塗料の溶けた溶剤でも何でも良い.こういった媒質中では,光は細かな散乱体によって何度も散乱されながら,媒質中をゆっくりと拡散していくこととなる.こういった媒質中では,光が進むためには何度も散乱を繰り返して複雑な経路を通らなければならないために,実効的な光の速度は非常に遅くなっている.この懸濁媒質中に散乱源の少ない材料を置けば,その中での光の速度は周囲の光の速度を大きく超えるものとなる.例えば深い霧の中にガラスの分厚い板を置けば,光が霧に何度も散乱されながら進むより,障害物のないガラス内部を通る方が圧倒的に速い.これを利用する事で,「周囲より光の速度の速いクローク」が実現できる.これで隠蔽したい物体を囲んでやれば,その物体は不可視化されるはずである.

というわけで実験である.
著者らは水槽の中に,直径33.2 mmの金属パイプを沈め,後ろにある10 mm幅程度の長方形状のスリットから出てくる光で照らしている.水槽の中に何も入っていないときや水しか入っていないときは,光源であるスリットはパイプの後ろに完全に隠れてしまうため,パイプは黒い影として見える.水の代わりに拡散性のある懸濁液を入れても,やはり金属パイプの部分は薄ぼんやりとした影にしか見えない.
次に,この金属パイプの表面を,懸濁液中より光が速く進めるような物質(拡散係数が,懸濁液の3-5倍程度)でコーティングする.コーティングの厚みは4 mm弱である.この状態の金属パイプを水槽に入れ,後ろのスリットから光で照らす.水槽の中が空気であったり単なる水である場合は,金属パイプは変わらず影として見えるだけである.ところが,水槽内を懸濁液で満たすと,突如として金属パイプは全く見えなくなってしまう.金属パイプが無かった状態と全く同じように,光源であるスリットの正面はぼんやりと明るく,周囲に行くに従って暗くなる.

論文本体が見られない人は,計算結果がSupplementary Materialsに載っているのでそちらを参照して欲しい.これは計算結果であるが,実験結果と瓜二つとなっている.
金属パイプも懸濁溶液も入れなかった状態の様子が,Fig. S3Gである.スリットから抜けてくる光だけが明るく見えている.この前方に金属パイプを入れたり(S3H),コーティングした金属パイプを入れたり(S3I)すると光が遮られ,真っ暗になってしまう.
水槽中に懸濁液だけを入れると,Fig. S3Jのようになる.スリットからの光は拡散され,ぼんやりとした明るいラインとなる.この前方に金属パイプを入れると,光が遮断され影が見える(S3K).ところが,拡散係数の高い(=光が周囲より速く進む)コーティングで覆った金属パイプの場合(S3L),光がパイプを迂回して背面に進んでくるため,まるで金属パイプがそこに存在しないかのように光が裏側へと抜けてくる.つまり,金属パイプが不可視化されているわけだ.
なお著者らは同様の実験を点状の光源と球状の物体でもやっており,計算結果は同じくFig. S4で見ることができる.

発想の転換による非常に興味深い結果である.
……あるのだが,ではこれを何に使うのか?というとなかなか難しい.
一応著者らが頑張って考えたと思しき用途が論文の最後に書いてはあるのだが,その内容は,「風呂の窓の曇りガラスに適用すると,鉄棒入れて防犯性を上げつつ,まるでそんな邪魔な鉄棒は入っていないかのような窓が作れるよ!」という,「そうですか……」としか言いようのないものである.
面白くはあるが,使い道はちょっと……(2014.6.14)

 

129. 記憶と睡眠の関係:その一端が明らかに

"Sleep promotes branch-specific formation of dendritic spines after learning"
G. Yang et al., Science, 344, 1173-1178 (2014).

何か物事を学習した後に睡眠をとると記憶として良く定着する,という事が言われている.確かにそのような傾向があることはわかっているのだが,そのメカニズムに関しての詳細は未だに判明していない.
一つの説として「眠っている間に余計な記憶が削除・整理され,必要な記憶が残る」というものがあり,それを支持する研究結果も数多く報告されている.ところで,睡眠というのは余計な記憶を刈り込むだけなのだろうか?睡眠そのものが神経の発達を促し,記憶を増強する働きをしているという事はあり得ないのだろうか?
このような疑問が出てくる一つの大きな理由は,成長時の脳の発達にある.乳幼児期などの脳の発達においては,睡眠が重要な要素である事が知られており,睡眠は神経系の発達を促進することが明らかとなっている.ならば,成長してからの記憶の形成=脳の発達においても,睡眠が積極的な関与をしているのではないだろうか?

そんな観点からの研究もいくつか行われているのだが,今回報告された論文はその大きな一歩となるものである.
実験においてはマウスを用い,運動の習熟における神経系の発達を直接観察することで研究を行っている.運動とはどういうことかというと,筒状の器具にマウスをつかまらせた状態で筒をモーターで回転させ,マウスが筒にしがみついたまま前方(モーターを逆進させる場合には後方.どちらも,筒の円周方向)に進まないとずり落ちてしまう,という状態を強制的に作る.マウスとしては落下を本能的に避けたいために,しがみついたまま前進(後退)するという運動を強制され,その慣れない運動に習熟していく過程で神経が発達する.観察には2光子励起顕微鏡(生体の深部を見ることが可能)を用い,生きたままマウスの運動皮質の第五層(大脳皮質から外部への通信を担う)の神経細胞を観察している.
実験においては,細胞ごとの個体差などの影響を減らすため,「一つの細胞から伸びて途中で枝分かれしている2本(以上)の神経突起で,片方が顕著に成長,もう片方があまり成長しなかったペア」を用いて統計を取っている.要するに,「同じ細胞から伸びている複数ネットワークで,実験で使っている運動に関連したネットワーク(関与する樹状突起が良く成長する)とそうではないもの(樹状突起の成長は少ない)を比較する」という事だ.どの樹状突起が(いま標的としている)運動に関わっているのかは(現代の科学では)わからなくとも,「実験後に顕著に伸びた連結が,その運動に関与してるでしょ?」という推測は成り立つためだ.
観測結果においては,樹状突起の主となる太い枝から新たに生えたひげ根状の細かい突起の数をカウントし,「突起が〇〇%増えた細胞が,全体の〇〇%」というような形で解析を行っている.

まずこの方法できちんと運動トレーニングの影響が見られるかの検証のため,運動を行った個体と行わなかった個体での比較を行った.その結果,運動させずに普通に過ごしていたマウスでは新たに伸びた突起の数にはあまり差がなかったのに対し,運動をさせるとある同じ細胞から伸びている枝の間で新たな突起の生え具合に10%以上の差が出た細胞が非常に多いことが判明した.ここから,本実験手法で学習による神経細胞の成長度合いが検出できそうだ,と言える(実際には,もうちょっといろいろと検証して手法の正当性を議論している).なお,一度生じた突起は,しばらく使われないと削除されていく(脳では,使用頻度の低いネットワークを削除し,余計な記憶を無くす).この削除具合に関しては,運動をしてもしなくてもあまり変化は無いようであった.運動すると神経細胞の成長が促進されるが,余計な突起の刈り込みは運動の有無にかかわらず同程度,ということだ.
また,全身運動を学習させ(1度目),数時間後に今度は逆方向の回転で後退運動を学習させる(2度目)と,1度目と2度目では成長する枝が変わる可能性が高い,という事も明らかとなっている.これはまあ,「別の記憶は,別のネットワーク構造として記憶される」という事を考えれば納得のいく傾向だ(本実験手法がちゃんと使えていることの傍証でもある).

続いて,いよいよ睡眠の効果の検証である.
実験としては,グループ1:通常の運動学習をさせた後に8時間ほどの十分な睡眠をとらせる,グループ2:運動学習後,8時間の間,寝そうになると指で突いて邪魔をする,グループ3:運動学習後4時間ほど指で突いて邪魔をして,その後また同じ運動をさせ,さらに4時間ほど睡眠を邪魔する,グループ4:最初の運動学習もいっさいせずに,ずっと眠らないようにしたまま8時間放置,という4グループにおいて,神経の成長がどう変わるかを観察した.
その結果判明したことは,運動後に睡眠をとったグループ1は神経突起が十分に成長したのに対し,睡眠を阻害したグループ2ではその半分程度しか突起が成長せず,グループ1の2倍の練習量があるグループ3であってもグループ1以下の成長(2/3程度)しかなかった,という事実である.睡眠を阻害したグループでは,明らかに神経突起の成長が阻害されている.なお,これが眠れないストレスによるものである可能性を考慮し,「睡眠はとらせるが,ストレスホルモンを投与して擬似的にストレスを加えたようなグループ」というものも検討したが,こちらもグループ1と同程度の十分な神経突起の成長が確認された.
これだけだと,「運動で神経が成長し,眠れないとそれが削除される」なのか「運動で神経が成長するが,寝ている間にさらに成長が進む」のどちらなのかが区別できない.そこで運動後に8時間睡眠をとったグループと寝かせなかったグループをとり,その段階から以後16時間放置する間に神経がどう変わるのか?も検討した.その結果,睡眠をとれたグループでは運動後8-24時間の間にも突起は増えていくこと,それに比べて睡眠をとれなかったグループではこの時間帯での神経の成長が比較的少ないことが明らかとなった.この結果は,「学習後に睡眠をとると,神経系がさらに発達して記憶を確かなものとする」という事を示唆している.
また,「新たに生じた突起が,長時間経過後にどのぐらい生き残っているか?」(=覚えたことを忘れずに定着したか)を調べた結果においても,運動後にしっかりと睡眠をとった方が生存率が高い,という事が報告されている.

*この他にも,前進運動→睡眠→後退運動→睡眠と前進運動→睡眠→再度前進運動→睡眠などでどう変わるか?なども実験しているが,割愛.

追加の実験として,カルシウムイオンを調べることで細胞の活動状況(活発に活動すると,カルシウムイオンが多量に使われる)をモニタするという実験も行われているが,運動によって活性化した細胞(=恐らくその運動に関わる何かを記憶する細胞)は,その後のノンレム睡眠中にも再活性化されており,それが記憶の定着に関わっているのではないか?というところまで見えてきている.要するに,寝ている間に勝手に(脳内)反復練習して,記憶をより確かなものにしているようなものだ.

まだまだ詰めないといけなそうなところだとかもっとやった方が良い実験などもいろいろ思い浮かぶが,かなり面白い実験だと思う.
なお,2光子顕微鏡を使ってマウスの運動皮質の第五層を観察し運動の習熟を調べるたという基生研らによる論文が,ちょうど同じ頃にNature Neuroscience誌に掲載されたようなので,興味がある方はそちらもどうぞ(うちでは読めないのでスルー).(2014.6.9)

 

128. 核スピン状態の電気的な読み込みと書き込み

"Electrically driven nuclear spin reconance in single-molecule magnets"
S. Thiele et al., Science, 344, 1135-1138 (2014).

(商業レベルで)実現できるかどうかはともかく,量子コンピュータの研究はここ最近盛んに行われている研究の一つである.量子コンピュータを実現するには量子論的な状態を保持しそのまま演算するための量子ビット(qubit)が必要なのであるが,これがなかなか難しい.よく知られるように,量子論的な奇妙な状態というのは外界(=多自由度の系)と相互作用すると簡単に消えてしまう.そこで,外界と相互作用しにくいような物理現象をqubitとして用いよう,という事になる.
そのようなものの一つが,原子核の持つ核スピンを使ったqubitである.原子核を構成する陽子や中性子はフェルミ粒子であるので,1/2のスピン(自転に似た,けれども厳密には違う量子論的な特性)を持っている.これらが集まった原子核にも核スピンを持つものが存在し,例えばMRIやNMRで使われる1Hなどの原子核が挙げられる.これら原子核は原子の中心の非常に小さな領域に納まっており,外界との相互作用は極端に小さい.このためqubitとして利用した場合の情報保持時間が十分に長く,量子コンピュータへの応用に期待が持てる系である.

さて,この原子核を利用したqubitに情報を書き込んだり,そこから情報を読もうとするとこれがなかなか難しい.何せ外界との相互作用がほとんど無いわけなので,外部から読み出し/書き込みを行う手段が非常に限られる.通常は外部磁場を利用するのであるが(核スピンは小さな磁石と見なせるので,磁場でコントロールできる),実用的な量子コンピュータを作るためには多数のqubitを集積する必要があり,それらを独立に操作するには各原子位置で異なる磁場を作ったり,照射するマイクロ波を変えたりする必要が生じてくる.
ところがこれが大問題なのである.磁場やマイクロ波というのはなかなか狭い領域でコントロールすることができない.ナノサイズの磁場を制御しようと思うと,同等のサイズで十分な磁場強度を持った電磁石を作る必要があるが,こんなものはそう簡単には作れないし,そもそも電磁石は応答速度も遅い.できることなら,電子素子的なもので核スピンをコントロールしたい.もしそれができれば,電子素子なんてものは既にナノメートルサイズのものが作れるのであるから,小さなチップに無数のqubitを集積し,それらを自在に操る事だって出来るようになるだろう.
今回の論文の著者らが開発を目指しているのは,そのような「電気的に読み出し・書き込みが可能な核スピン利用型qubit」である.著者らは既に2012年に電気的に読み出しが可能な核スピン系を発表しており,今回の論文はそれをさらに発展させ,書き込みもできるようにしたものとなる.

実験で用いているのは,Tb3+という電子スピン&核スピンを持つ希土類イオンを,平板状の分子であるフタロシアニン分子2枚で挟み込んだダブルデッカー型の錯体である.これを金配線にエレクトロマイグレーションで作成したナノギャップ電極(*)中に挟み込んだものを用いる.

*細かい配線中にある程度大きな電流を流すと,原子の一部が電子との衝突により移動し,配線中の原子が移動するという現象(エレクトロマイグレーション)が起こる(CPUなどでも問題になった事がある).細線に大電流を流すと原子がどんどん移動し,配線の一部がやせ細っていき,ついには破断しナノサイズのギャップが生じる.この瞬間電流もゼロになるのでこれ以上のエレクトロマイグレーションは起こらず,この構造が固定化される.

Tb3+中の原子核はI = 3/2のスピンを持っており,主軸(フタロシアニン平面に垂直な向き)に対しIz = ±3/2,±1/2の4つの方向を向くことができる.Tb3+は希土類元素でもあり,内殻のf軌道(7つ存在する)に8つの電子を持つ.従って電子の配置は(↑↓)(↑)(↑)(↑)(↑)(↑)(↑)となり,電子6個分(S = 6/2)のスピンが生き残ってくる.さらにf軌道は軌道角運動量(電子の公転周期による角運動量のようなもの.電荷を持った粒子の回転運動なので,これもまた磁石のように振る舞う)が生き残っているので,これも合わせると合成角運動量が6という大きなスピンとして振る舞う.今回の分子の場合,このスピンも主軸方向(フタロシアニン平面に垂直な方向)を向きやすいので,上向きか下向きの2つの状態をとることが可能である.
さてこのTb3+が持つ核スピンと電子スピンの間には,超微細相互作用というものが働く.これはまあ,電子のスピン(自転のようなもの)や公転運動が作る磁場が,原子核の持つ核スピン(磁石としての性質も持つ)と相互作用する結果である.本体,電子スピンだけだと磁場をかけてもなかなか向きが反転しないのだが,この超微細相互作用を使って核スピンとの相互作用が摂動として入ってくる結果,ある特定の磁場で電子スピンが容易に反転できるようになる.しかも,その磁場の大きさは核スピンのz成分の大きさによって変わるのである.
要するに,Tb3+に磁場をかけていくと,あるところで電子スピンが反転し,しかもその時の核スピンが+3/2なのか+1/2なのか-1/2なのか-3/2なのかによって反転する磁場が微妙に変化する,というわけだ.逆に言えば,電子スピンが反転する磁場を見てやることで,核スピンの情報を読み出す事が出来るようになる.

ではどうやって電子スピンの反転を読み出すのか?ここでフタロシアニンの出番となる.
ナノギャップ中に捕獲されたTb3+(フタロシアニン)2分子に対し電圧をかけると,電極からπ電子系を持つフタロシアニンへ(そしてさらに逆側の電極へ)と電子がトンネル効果により移動することが可能となる.この時,電極側の伝導電子のエネギーと,フタロシアニン分子上に移動した際の電子のエネルギーが等しくなると,トンネル確率が激増する.さて,分子には磁場がかかっているので,そこに移動した電子は(スピンの向きに応じて)磁場がない場合と比べエネルギーが少しずれた状態となっている.さらに,フタロシアニン上の電子はくっついているTb3+の電子スピンからの影響も受けるため(交換相互作用),より大きくエネルギー状態は異なってきている.このエネルギーのシフト量は,「外部磁場と,Tb3+の電子スピンが同じ向きの時」と「外部磁場と,Tb3+の電子スピンが逆向きの時」とで変わってくるはずである(効果が可算的になるか,打ち消す向きになるかの違い).
ナノギャップ電極の下に作成しておいたゲート電圧を変化させ,分子上の電子のエネルギーを共鳴状態(トンネルしやすく,電流の多い状態)からずらしておく.外部磁場を少しずつ変化させていくと,分子上でのエネルギー状態は少しずつ変化するが,大勢に影響はない.ところが磁場がある値になった瞬間,Tb3+の核スピンと電子スピンとの間の超微細相互作用の結果として,電子スピンが反転する.そしてそれは,フタロシアニン上の電子のエネルギーを劇的に変化させる.「Tb3+の電子スピンが反転した瞬間,共鳴状態になりトンネル電流が増える」という状態にゲート電圧を設定しておけば,トンネル電流をモニタしているだけでTb3+の電子スピンの反転を検出できる.

まとめるとこういうことになる.
・Tb3+の核スピン ----超微細相互作用----> Tb3+の電子スピンが特定磁場で反転
・Tb3+の電子スピンが反転 ----交換相互作用----> トンネル電流が増加
・トンネル電流をモニタしながら磁場をスイープ --------> どの磁場で電流が増えたか?から,核スピンの値が読める.

これが核スピンの検出である.なかなかクレバーな方法ではあるが,これ自体は2012年の論文で発表済みだ.
今回新しく加わったのが,核スピンの書き込みである.
これには,シュタルク効果と呼ばれるものを利用する.どういう効果かというと,原子に対し電場を作用させると,原子軌道同士がちょっとずつ混ざり合って再編成され,ちょっとだけ形状(とかエネルギーとか角運動量とか)が変わった状態になる,というものである.
軌道が変形すると,電子の軌道運動に由来する超微細相互作用も影響を受ける.するとどうなるかというと,核スピンを反転させるためのエネルギーなどが微妙にずれてくるのだ.これを利用すると,特定のTb3+だけ核スピンを変化させることが可能となる.
いくつかのTb3+が並んでいたところに,核スピンを反転させられる周波数からちょっとだけずらしたマイクロ波を照射しよう.この場合,Tb3+の核スピンはほとんど変化しない.その状態で,特定のTb3+にだけ,ゲート電極を用いて電場を印加し,シュタルク効果により核スピンを変化させるのに必要なマイクロ波周波数を変化させる.するとこのゲート電圧を印加したTb3+だけが,照射しているマイクロ波の影響で核スピンを変化させ,望みの核スピンの値へと変化するのだ.きちんと変化したかどうかは,前述の読み出し方を用いて読んでやればよい.

というわけで,今回報告されたのは,
・以前開発した核スピン読みだし法
・今回新たに開発した特定の核スピンだけ変化させる手法
を用いて,Tb3+のスピンを任意に変化させ,その値をちゃんと読めたよ,というものとなる.
なお,今回は多数のTb3+を配置したわけではなく,単一分子においてちゃんと書き込んだり読み込んだりができるかの確認だけだ.

これですぐさま無数のqubitを持つ量子コンピュータが作れるわけでは無いが,データを自由に書いたり読んだりできるようになった,というのは大きい.小さな一歩ではあるが,着実な進展である.(2014.6.7)

 

127. DNAを拡張する

"A semi-synthetic organism with an expanded genetic alphabet"
D.A. Malyshev et al., Nature, 509, 385-388 (2014).

よく知られたように,DNAは4種類の核酸塩基,アデニン(A),グアニン(G),シトシン(C),チミン(T)の配列によって情報を保持している(RNAではチミンの代わりにウラシルが用いられる).核酸塩基間には水素結合による引力が働くが,分子の形状的に特定の相手と非常にペア構造を作りやすく,A-T(またはU),G-Cという特定の組を作り安定化する.しかしながら,サイズが同じぐらいでペアを作る分子であれば,別にこの4種類に限らなくても同じような構造は作れるはずであり,この4種(RNAまで含めれば5種)を生物が利用しているのは単なる「慣習」である部分が大きい.やろうと思えば,もっと様々な分子を人工DNAとして利用出来るはずである.
このような発想から,これまでに様々な人工塩基対分子が生み出されてきた.第一世代の人工塩基対では,天然の塩基対に倣い複数の水素結合によりペアを作るような分子が用いられた.次いで,実は水素結合を使わなくても芳香環のπ-πスタックでも良いことが判明し,水素結合を持たない人工塩基対(もはや「塩基」と呼ぶのは不適当ではあるが,この名称を使うことにする)が作られ,さらには大きなπ-πスタックすら不要なことが今回の著者らのグループにより明らかにされてきた.
このようにして作られた「第三の塩基対」(以下では,A-T,G-Cという天然の塩基対に対し,X-Yとして人工塩基対を表記する.X-Yとだけ表記するが,実際には様々な研究者により様々な人工塩基対が作成されている)に関しては,様々な実験が行われ,通常のDNAと同じくPCR法により複製出来る分子まで存在している.例えば天然の塩基対の並びの途中にX-Yを挿入する.

AAAAAAAAAAAAA-X-CCCCCCCCCCCC
TTTTTTTTTTTTT-Y-GGGGGGGGGGGG

ここにDNAの原料となるA,G,C,Tのパーツに加えX,Yを加えておき,天然のDNAポリメラーゼ(DNAの複製を行う酵素)を加えて処理すると,X-Yという人工塩基対を含んだDNA配列がそのまま複製されてくる.これはDNAポリメラーゼにとってはXもYも「単なる複製すべき通常の塩基対の片割れ」として認識出来ている事を意味している.
そんな複製さえ思いのままに出来る人工塩基対ではあるが,これまで生体中での増幅には成功していなかった.今回の論文が報告しているのは,生きている大腸菌の中で,人工塩基対を配列中に含む遺伝子がきちんと複製され,子孫にまで受け継がれた,というものである.

実験であるが,用いた人工塩基対はd5SICSおよびdNaMと呼ばれる分子を用いたものである.分子の構造に関しては著者らのグループのページを参照のこと.これを含む環状のDNAを作成し,プラスミドとして大腸菌内に組み込む.プラスミドというのは染色体本体とは別に保持されている遺伝子であり,大腸菌などはこれを複製して他の個体とやり取りすることにより,薬剤耐性などを急速に同種中に広めることが可能となっている.
さて,生体中で人工塩基対を複製しようとしたときに問題となるのが,原料の供給だ.何せ元々の細胞中には存在しない分子を用いているのだから,複製のための原料が無い.そこで原料は人工塩基の三リン酸化物の形で外部から供給することとして,大腸菌が育つ溶液中に混ぜておく.ただしそのままでは大腸菌内には取り込まれないので,大腸菌はNTTs(注:輸送タンパクであるNTTの仲間にはいろいろ種類があり,複数形的な意味でsが就いている)という「核酸塩基の三リン酸化物を輸送する膜タンパク」を発現するように改変しておく.これにより,溶液中に存在するXおよびYの三リン酸化物が細胞内に輸送され,人工DNAの複製のための原料として働くのだ.また,これら三リン酸化物は細胞内ではホスファターゼ(リン酸エステルの加水分解酵素)によって分解されやすく,そのままでは人工DNAの複製のための原料として有効活用されにくい.このような加水分解による核酸塩基三リン酸化物の不安定性は他の系でも知られており,その既知の回避策に倣い培養溶液中にリン酸カリウムを加えている.なお,NTTsの発現は毒性があるため,人工塩基対X-Yの複製のためにこのNTTsを組み込んだ大腸菌はその増殖速度がやや低下する(自分の作るタンパク質による毒性のため,成長が悪くなる).

この状態(X-Yの原料を培養溶液に入れ,それらを取り込みやすくした大腸菌に人工塩基対を含むプラスミドを導入した状態)で大腸菌を培養すると,その数を2×107倍へと順調に増やした.これはおよそ24回の細胞分裂(各回で個体数が二倍になる)に相当する.こうして得られた集団を取りだし洗浄・破砕し,染色体やらプラスミドやらをバラバラにしてその中に含まれるX-Yの数を測定したところ,プラスミド1つあたりおよそ1つのX-Yペアが存在することが明らかとなった.個体数が大きく増大しつつもその中に含まれる人工塩基対X-Yの比率が一定であったという事は,細胞分裂のたびにX-YがきちんとX-Yとして複製され,子孫にまで伝わったことを意味している.
対照実験として,X-Yの人工塩基対を持たせたがこれらの複製に必要なNTTsを持たない株や,そもそもX-Yを持たない天然の個体で同じ実験(培養溶液中にはX-Yの原料を含む)を行ったが,その場合には破砕してDNAを取り出したものからX-Yは検出されなかった.
細胞分裂のたびに,X-Yのペアがどの程度変異無くそのまま複製されたのかを計算すると,1回の分裂あたり99.4%の確率で正しく複製されていると見積もられた.これは天然のDNAを複製する際のエラー率と同等であり,X-Yという人工塩基対が,生体中でも天然の塩基対と同等の確かさで複製され受け継がれていったことを示している.
なお,このX-Yという人工塩基対を持つ大腸菌を,X-Yの原料を含まない溶液中で培養する,という実験も最後に行われている.この場合,細胞分裂のたびにX-Yの部分で複製ミスが起き(何せ対応する原料が溶液中に存在しない),代わりにA-Tのペアが挿入される(もともと,こういった複製ミスは自然界でも良くある).この結果,細胞分裂のたびに個体数が増える一方でX-Yを含むプラスミドは増えず,結果として「人工塩基対を持つ個体の比率」はゼロへと急激に近づいていく.

今回の結果から何が言えるのかというと,著者らが開発した人工塩基対は,
・複製の際にDNAの損傷だと判断されない(=DNA修復機構による破壊が起きない).
・(外部から原料の供給が必要だとは言え)人工DNAが子孫にまで複製され受け継がれる.
・しかも天然物の塩基対と同程度に複製に対する安定性がある(エラーの起きる頻度が天然物並み).
という事になる.
今後さらに人工生物科学あたりが発展すると,「XやYの原料も自前で合成出来るようにした人工DNA」なんてものが出てきて,それを組み込むことで「3種類(以上)の塩基対を持ち,自立して増殖出来る(半)合成生物」なんてものも出来るかも知れない.まあ,研究者の夢以外にそういう方向ではあまり意味は無いのだが.(2014.5.15)

 

126. 微弱な電磁波であっても渡り鳥の方位決定を阻害する

"Anthropogenic electromagnetic noise disrupts magnetic compass orientation in a migratory bird"
S. Engels et al., Nature, in press (2014).

渡り鳥がどうやって方位を知るのか?というのは古くからの問題である.太陽や星の位置を参考にしていることは確かなのだが,実は彼らを外部の見えない箱に入れた場合でも飛ぶべき方位をきちんと認識することが知られており,様々な研究から地磁気が方位決定に大きな影響を与えていることがわかっている.この事実は,物理学者などにとっては大きな驚きであった.なぜかと言えば,磁場によるエネルギーというのはとんでもなく小さいためである.身の回りの磁石などが大きな力を働かせて見えるのは結晶中の無数のスピンが一体となって運動しているからであり,実は個々のスピンに働いている力はクーロン力などに比べるとべらぼうに小さい.
例えば生物のもつイオンとしてはかなり大きなスピンをもつ鉄イオン(1つで最大で電子5個分のスピンをもつ)に対し1 Tの磁場をかけた場合を考えてみると,スピンを配向させようとして働く力の大きさは熱換算でせいぜい5 K程度,これは室温での熱エネルギーによる攪乱である300 Kに比べるとあまりにも小さい.しかも地磁気の強さはおおよそ50 μTであり,地磁気から受ける力はたったの0.00025 K相当にすぎない.はっきり言ってしまえば,こんな程度の力は誤差であり,室温での現象に影響を与えるとは考えにくい.

では,渡り鳥はどのようにして磁場を感知しているのだろうか?完全に解明されたわけでは無いが,現時点で最も信頼出来る仮説として「ラジカルペアのスピンに磁場をかけたときに起きる,量子論的なスピンの歳差運動を利用している」というものが研究されている(ラジカルペアを使っていることはほぼ間違いないと考えられている).
通常の有機分子中では,ほぼ全ての電子がupスピンの電子とdownスピンの電子とがペアを作るように配置され,非磁性となっている(一つの軌道に,逆向きスピンの電子が合わせて2つ入ることで互いの磁性を打ち消す).さて,ある種の分子を光励起すると,励起された電子が元の状態に戻る前に別の位置に移動し,「↑↓の組」→「別々の場所に居る↑と↓」のような準安定状態となる.このように,「組になっていない電子(ラジカル)のペア」が以下に示すような重要な働きを成すのがラジカルペア機構である.
ラジカルペアが生じると,それぞれの電子のスピンは外界や原子核のスピンとの相互作用により個別に反転出来るようになり,理想的には,↑と↓の間で振動する.この振動の周波数は,スピンがどの原子上に存在するかに依存するため(各原子種ごとに,核スピンとの相互作用の大きさが異なる),例えば最初が↑と↓のラジカルペアであっても,時間とともに↓と↑になったり↑と↑になったり↓と↓になったりと周期的に変動する.さらに外部磁場が存在すると,それによる振動も加算される.しかも分子中の他の電子は磁場を遮蔽するように運動するので,周辺の分子構造によりスピンの向きが反転する時間が異なってくる(NMRの核スピンにかかる実行的な磁場が,化学的な構造に依存するのと全く同じである).このため,ラジカルペアの二つのスピンの状態は,化学的な構造と外部磁場の強さに応じて振動を示す.
さて,ラジカルペアは前述の通り準安定状態であるので,最終的には非磁性の基底状態へと緩和する.基底状態は↑と↓の電子が組になっている状態である.この状態になるには,その前段階のラジカルペアのスピンも↑と↓の組でなくてはならない(そうでないと,電子が元の軌道に飛び移れない).前述の通り,ラジカルペアのスピンの状態は振動するが,その振動の様子は外部磁場に影響を受ける.結果として,ラジカルペアの寿命も外部磁場の影響を受けるようになる.どうやら渡り鳥は,この量子論的効果を利用して磁場を検出しているようなのだ.
#実際には,ラジカルペアからシグナル分子が生じ,それを検出することで間接的にラジカルペアの寿命を見ていると考えられている.
#また,細胞膜を利用してラジカルペアを生じる分子の向きを固定することで,磁場の向きが検出可能になる.

前置きが長くなってしまったが,要するに,渡り鳥は量子論的な効果を使うことで非常に微弱な磁場を検出して方位を確定している,という事だ.
これを踏まえると,一つ疑問が浮かんでくる.現代社会には様々な電子機器が存在し,電磁的なノイズを盛大にばらまいている.これらは渡り鳥に影響を与えないのだろうか?
今回の論文は,これを実験的に検証し,かなり弱いノイズであっても渡り鳥の地磁気による方位決定に影響を与える事を明らかにしたものだ.

実験は2005-2011の7年間にわたって行われ,ヨーロッパコマドリが用いられた.この鳥は春と秋に渡りを行うことが知られており,その時期には枝などに止まっていても自分の向かう方向を向いていることが多い,という事が知られている.著者らは渡りの時期にヨーロッパコマドリを捕まえ,外光の入らない建物内で鳥がどちらの方向を向きやすいかを測定,外部ノイズありの通常状態と,部屋をアルミで覆った場合,アルミで覆ってさらにアースした場合を比較している.実験に際しては,鳥の向きを記録する際に恣意的な判断が働かないように二重盲検法によって記録を行った(まあ,二重盲検といっても片方は鳥なので最初から知らされてはいないわけだが……).なお,アースをとったアルミは数 kHzから5MHzあたりまでの範囲の電場・磁場ともに良く遮蔽する(ノイズの電場および磁場強度が2桁ほど落ちる).アースをとらないとほとんど効果は無い.

結果を簡単に見ていこう.
まず,実験が行われたOldenburgの街の通常の電磁ノイズ下においては,鳥がどちらかを向きやすいという事は観測されなかった.一方で,アースをとったアルミで覆うことでノイズを遮断すると,大雑把に言って磁極の方向±20度あたりを向くというように,明確な指向性が表れた(もちろん,それより外の方角を向くこともあるが,頻度が低い).周囲に充満している電磁ノイズの強さは磁場成分が10 nT程度(周波数が高くなるほど弱い),電場成分が1 V/m程度(同じく高周波成分ほど弱い)であるが,これは健康面で影響が出ると言われる磁場・電場強度に比べるてもかなり弱いし,磁場成分に限れば(静磁場である)地磁気の1/5000にすぎない非常に弱い攪乱だ.これだけの弱い外場で顕著な影響が出るのは,渡り鳥が利用している(と考えられている)ラジカルペア機構の磁場依存性が非常に大きい点を考慮すればまあ納得の出来るものだ(ただし,後述するように定量的にはかなり難しいところがある).
続いてアルミをアースするかどうかを変えてみると,アースをとって電磁遮蔽を強めると地磁気に対する指向性が表れ,アースを外してシールド能を大きく下げると途端に指向性を失った.これはOn-Offを繰り返すごとに明確なパターンとして現れている.さらに詳しく見るため,アースしたアルミはそのままに,シールド内部に人工のノイズ(強さは屋外でのノイズと同程度)を導入してみたところ,やはり指向性は失われた.要するに,「アルミがアースされたことを感知して鳥の挙動が変わっている」のではなく,「ノイズの有無により鳥の指向性が現れたり消えたりする」ということの確認である.結果は明確に「ノイズがあると鳥の向く方向がランダムになる」という事を示している.
また,ノイズOff状態で(本来の磁極とは違う方向に)人工的な静磁場(強さは地磁気と同程度)を印加する,という実験も行っている.この場合,印加した磁場方向へと鳥が向く方向が変化する.このことから,鳥の指向性は地磁気(静磁場)に対する指向性である事も明らかだ.なお,季節が春から秋に変わると,磁場に対して向く方向がほぼ逆側へと変化する.これは,渡り鳥が地磁気を頼りに自分が次に飛ぶ方向を推定し,そちらを良く向くようになる,という事の証左である.

さらに詳細な調査として,一部の周波数帯域にのみノイズを乗せる,という事も試みている.ラジカルペア機構は特に共鳴する周波数の外場に対して弱いことが知られているので,そのような効果が現れるかの検討である. 比較としては(1)ノイズ無し(シールドによる遮蔽),(2)街中と同程度のノイズ,(3)低周波数域(0-0.5 MHz)のみに外界と同程度のノイズを印加,(4) 中程度の周波数領域(0.5-3 MHzあたり)にのみ外界と同程度のノイズを印加,の4種類を比べている.
その結果,あまり顕著な周波数依存は見られず(といっても周波数の区切り方は非常に粗いが……),外界並のノイズ,低周波数側のノイズ,中域のノイズともに鳥の指向性は失われた.

この結果から何が言えるだろうか?
まず環境保護的観点からは,現在人類がばらまいている電磁ノイズは,既に鳥の方位感知に影響を与えるレベルである,という点の問題提起も出来るかも知れない.とは言うものの渡り鳥の方向決定に関しては地磁気以外にもいろいろ利用されているので,それがイコール悪いと言うわけでは無いが.
そして学術的に面白いのは,「これほど弱いノイズで顕著な差が出た」という部分である.現在推定されているラジカルペア機構でこれほど弱い電磁場の影響を出すためには,スピンの緩和時間(熱揺らぎなどにより,量子論的な相関が失われるまでの時間)が現在推定されている値よりも1〜3桁ほど長い必要がある.これは非常に難問かつ面白い問題提起である.鳥の体内では,何らかの機構により外部からの(熱などによる)揺動をキャンセルし,長いコヒーレンス時間を実現するような事が起こっているのだろうか?(生体系における量子効果の利用の見事さを考えると,あり得ないとは言い切れない)
それとも,ラジカルペア機構以外の何か別のシステムが磁場感知に関わっているのだろうか?
どちらにせよ,動物の磁気感知に関してはまだまだ面白い研究が出てきそうである.(2014.5.9)

 

125. 酸化銅から作った銅触媒は,一酸化炭素の電解還元による液体燃料化において優れた特性を示す

"Electroreduction of carbon monoxide to liquid fuel on oxide-derived nanocrystalline copper"
C.W. Li, J. Ciston and W.M. Kanan, Nature, 508, 504-507 (2014).

二酸化炭素や一酸化炭素から各種有機物を作ろうという研究が各所で行われている.こういった研究は廃棄されている二酸化炭素を有用な炭素源とすることでリサイクルしようという観点であったり,化石燃料の枯渇に備えた石油化学工業の代替手段の探索であったりもする.もう一つの面白い視点として挙げられるのが,不安定で利用しにくい再生可能エネルギーを液体化学燃料に変換することで,電力を貯蔵したり利用しやすい形に変換してしまおうというものである.
よく知られているように,再生可能エネルギーによる発電には出力が不安定なものも多い.従って蓄電池など何らかの貯蔵システムが必要になるのだが,それを化学的なエネルギーとして蓄えてしまおうという研究が存在する.化学エネルギーはエネルギー密度が高く,小さな体積に膨大なエネルギーを貯蔵できるし,液体燃料であれば現状の社会インフラでも利用がしやすい.その化学エネルギーとしての蓄積先として,二酸化炭素を利用しようというのだ.二酸化炭素を水とエネルギーを用いて還元すると,一酸化炭素を経由してメタノールやエタノール,エタンやエチレンに酢酸といった比較的炭素数の少ない化合物を生成することが出来る.

この還元反応の中で,今回著者らが注目したのが電気化学的反応だ.水に二酸化炭素や一酸化炭素(および,電流を流すための支持電解質)がある程度溶けた状態で電気分解を行うと,適切な触媒があれば各種有機化合物が作成できる.電気分解を用いることにどんな利点があるかというのは最後に述べる.
さてそんな電解還元であるが,二酸化炭素を一酸化炭素に還元する反応の触媒は多々あれども,一酸化炭素から各種有機物へと還元する際の触媒はほとんど存在せず,せいぜい銅が使えそうなことが知られている程度である.しかもその銅でさえ活性が低く,本来熱力学的に必要な電圧よりもさらに大きな負電圧をかけねばならず(これはエネルギー効率の悪化に繋がる),しかも副反応である水の電気分解(水素イオンの還元による水素分子の発生)の方が主反応になるという問題があった.何せ下手をすると流した電流の6-7割が水素の発生に使われてしまい,炭化水素系の燃料が生じるのが1割やそれ以下,などということになってしまうのだ.これでは液体燃料の生成手段としては難がありすぎる.
今回の論文は,この「電解による一酸化炭素の還元反応」において,「酸化銅を還元して作った銅ナノ粒子」が非常に優れた特性を示した,という報告である.

著者らが測定に用いたサンプルは3つ.最初の二つは酸化銅を還元したもので,銅のホイルを酸素で酸化,それを水中で電気化学的に還元したものと,水素により還元したもの.残る一つは対照実験用で,銅を蒸発させそれを吸着させることで作成したナノ粒子である.これら3つのサンプルはほぼ同じ粒径(30-100 nm程度と比較的大きい)のナノ粒子から出来ているが,その内部構造的にはやや異なっている.蒸着して作ったナノ粒子は非常に綺麗なナノ粒子が無数にくっついているだけなのだが,酸化銅を還元して作ると,大きな酸化銅の各所から還元が起こり銅ナノ粒子化するため,一つの粒子が複数のドメインを持ち,内部にいくつもの粒界(結晶格子の向きが違う複数の結晶の接合部)が存在している.
これら3つのサンプルを用いて一酸化炭素の還元を行ったところ,劇的に違う結果が得られている.実験条件としては,0.1 mol/Lの水酸化カリウム溶液を1気圧の一酸化炭素雰囲気下に置き飽和させ,そこで電解を行った.これは通常行われる実験よりも一酸化炭素濃度がかなり低く,より実践的な条件である(この手の検証実験では,数気圧かけることも多い.当然,一酸化濃度が高い方が反応が起こりやすい).
酸化銅を還元して作った電極では,電位(電気化学で標準として用いられる可逆水素電極の電位を基準とし,それに対しての電位で測定する)を-0.25 Vに落としただけで一酸化炭素の還元が進行し,酢酸およびエタノールが生成した.酸化銅の電解還元で作成した電極の方が活性が高く,流した電流の約50 %がこれらの有機物を作るのに利用されるなどかなり活性が高い.水素還元した電極では30 %程度が有機物の生成に使われた.一方,単なる銅ナノ粒子を用いた場合には水素ガスが主生成物であり,有機物の生成は検出されていない.さらに電極電位を下げて還元反応を促進すると効率は若干向上し,-0.30 Vで55 %程度(電解還元銅)および40 %弱(水素還元銅),-0.35 Vでは両者とも45 %程度となった.電位を下げすぎると効率が下がるのは,一酸化炭素を低圧で使用しているため,電極での還元反応に対し一酸化炭素の溶液中での供給が間に合わず,仕方なく代わりの反応(水素イオンが還元され水素ガスが発生する反応)が進行してしまうためである.実際,より高圧の一酸化炭素を用いると,似たような効率を保ったままより大量の有機物を生成することが出来ている.一方の単なる銅ナノ粒子を電極に用いたものでは,電極電位を-0.30 Vにしたところでようやく有機物の生成反応が始まるもののその効率は低く,流した電流のわずか数 %しか利用されず,主生成物は水素のままであった.酸化銅を還元して作った電極と比べると,その効率は1〜2桁ほど低い.

単なる銅ナノ粒子も,酸化銅を還元して作ったナノ粒子も,どちらも銅である事には変わりが無い.ではこの触媒活性の差は何から生まれるのであろうか?まだ仮説の段階であるが,著者らは酸化銅を還元した際にだけ生じている結晶粒界が重要な役割を果たしているのではないかと考えている.結晶粒界では,向きの異なる格子が接しているため,その上に位置する粒子表面では通常のナノ粒子とは違う面構造が現れている可能性がある.触媒活性は,同じ金属であってもどの表面かによって大きく変化する.例えば金属の(111)面と(100)面では触媒活性が全く異なってくる.このため,結晶粒界の存在によりいつもと違う面がちょっと出る → そこで特異的な触媒活性を示す,という事は起こっていてもおかしくは無いし,別な金属では実際にそういう例が報告されている.

さて,この研究の意義であるが,実は一酸化炭素を還元して液状の有機物にするだけであれば,電解還元以外ではいくつかの比較的高率の良い手法が知られている.しかしながらそれらの手法は,かなりの高圧や高温を必要としたりで大がかりなプラントとなってくる.一方電解還元は,非常にシンプルで小規模なシステムで実現可能である.つまり,小型の発電システムなどとともに設置することが可能となる.
著者らが想定しているのは,分散配置されるような小型発電システムと組み合わせた電解還元装置により,小規模な電力を液体燃料などの有機原料へと変換・蓄積するようなシステムだ.
そしてもう一つ,結晶の構造をコントロールすると,電気化学的手法での水素化還元が色々とうまくいく可能性がある,ということを示した点も大きい.小規模な工業的な合成で何かに繋がるかもしれない(繋がらずに消えていくだけかも知れないが).(2014.4.20)

 

124. ウェハーサイズの単結晶グラフェン作成法

"Wafer-Scale Growth of Single-Crystal Monolayer Graphene on Reusable Hydrogen-Terminated Germanium"
J.-H. Lee et al., Science, in press (2014).

現在の計算機を支えているのは間違いなくSiベースの技術である.それらSiを元に作られる電子素子が高い性能を発揮できる理由のひとつとして,非常に純度が高くしかも原子レベルで平坦な単結晶ウェハーを作成できる点が挙げられる.この均一なウェハーを出発物質とすることで,均質で特性の揃った素子の生産が可能となっている.ところが近年になり,そんなSiベースの半導体素子にもいよいよ物理的な限界が近づいてきたため,よりすぐれた素材の探求が各地で進められている.
そんな注目されている素材の一つが単層グラファイトであるグラフェンである(最近では,数層の厚みのものもグラフェンと呼ばれているが,元々は単層のものだけを指す).グラフェンは原子1層レベルという究極の薄さとそれに見合わぬ高い機械的強度,非常に大きな易動度による高い導電性,高い熱伝導度による熱拡散性の高さなど,様々な優れた特徴を併せ持っている.さらに他の材料やグラフェンを積層したりエッジ部分を化学修飾したりすることで金属からnおよびp型半導体を作成できるなど,電子素子としての活用に向いている素材である.

そんなグラフェンをCPUなどへ応用しようと思った時に障害となるものの一つが,単結晶の作成の難しさだ.多結晶グラフェン,つまり無数の異なる方向を向いた小さなグラフェンの接合体であれば,既にメートルスケールでの作成が報告されている(研究者は違うが,今回と同じくSungkyunkwan University&Samsungによる仕事).しかしながら多結晶グラフェンでは,単層であっても面内に無数の異なる結晶の接合部があり,これらが電子を散乱してしまうことで抵抗は高くなるし,デバイスを作成した時のばらつきも大きくなる.このため,応用を目指し単結晶グラフェンを作ろうという研究が多くの研究機関で行われている.
では,どうやれば単結晶グラフェンが作れるだろうか?単層グラフェンは多くの場合基板上での炭化水素(メタン等)の熱分解により作成されているが,この時,グラフェン結晶の発生するポイントを少なくし,少ない成長点(結晶核)から大きく成長させることで単結晶グラフェンを作る,というのが一つの方法である.これは確かにきれいな単結晶グラフェンが成長するのではあるが(数 cmサイズのものが作成されている),コントロールが難しく再現性が低い点(サイズが毎回異なる)が問題となる.偶然近くに結晶核があれば,その部分は多結晶化してしまうためだ.
もう一つの手法として,「多数の結晶核から成長するけど,それら全てが厳密に同じ方向を向いた結晶となっている」という手法が考えられる.この場合,複数の結晶が左右から成長してきても,それらの接合部は原子レベルで整合している(それぞれの結晶の向き=原子配向が完璧に一致している)ため,欠陥を生じずきれいに結晶が融合できるためだ.今回の論文で報告されているのはこちらの手法での成功例である.
概念図は,Supplementary MaterialsのPDF中のFigure S1を見ていただきたい.

この後者の手法を用いようと思う場合,いくつか必要となる特徴がある.まず一つ目が,基板がある軸方向などに特異的に異方性を持っている,という事である.例えば基板のある方向に原子レベルでの溝が存在する,などだ.この異方的な基板の上で結晶が成長する場合,当然ながら結晶が「向きやすい方向」というものが現れる.すると,異なる位置から成長する別々の結晶であっても,内部の原子配列が厳密に同じ向きに揃ってくれる.
次に必要なのは,基板表面の非常に高い平滑性である.たとえ基板上で結晶が同じ向きに成長しようとしても,基板自体があちこちでがたがたに崩れているのでは,上に乗った結晶がきれいに融合することは出来ない.
そして最後は,基板表面の原子配置の間隔が,グラフェンの原子間隔とほぼ同じ(もしくは,ある周期で一致する)という点だ.これがなければ,グラフェンが成長するに従い基板との整合性がとれなくなり,成長は乱雑になってしまう.基板の原子周期に合わせてグラフェンがきれいに成長する(エピタキシャル成長),
こういった特徴を併せ持つ基板として,今回著者らが選んだのがSiウェハー上に薄くGeを結晶の(110)面が出るように蒸着し,さらにその表面を水素終端した,というものである.最下段のSiは,よく知られるように非常に大きくかつ原子レベルで平滑な面が出ているウェハーが容易に手に入る.Geの(110)面はグラフェンと整合性がある格子であり,しかも原子レベルの細かな山や谷が一方向に伸びているため上で成長するグラフェンの結晶格子がある決まった方向に限定される.そして水素終端(固体の最表面は結合が切れているわけだが,そこに水素原子をくっつけることをこう呼ぶ)は,後で述べるようにグラフェンのきれいな成長に不可欠となる.こういった基板の上でグラフェンを成長させたら,ウェハー全体に広がる単結晶・単層グラフェンが得られたよ,というのが今回の報告である.

では,この基板上でグラフェンを成長させたらどうなったのか?結果を見ていただくのが早いだろう.Supplementary MaterialsのFigure S2 A〜Cにあるように,無数の結晶核から発生した無関係な無数の結晶が,成長とともにきれいに融合し,非常に大きな均一な面になっていることが見て取れる.同じくFigure S2のF〜Hに示されている,異なる3点(異なる結晶核から成長した部分)の拡大図においても,原子レベルで配向が揃っている事がわかる.「結晶核の配向が厳密に揃っていれば,別々の点から成長した結晶であってもきれいに融合する」という事が,見事に示されていると言える.
この欠陥の少なさは,ラマン分光によっても示されている.グラフェン(などの炭素シートを持つ化合物)は,DモードおよびGモードと呼ばれる2つの強いラマン散乱を示す.前者はグラフェンシートの欠陥に関連した散乱で,後者はグラフェン構造そのものに関連したモードとなるため,これらの強度比(D/G)をとると,結晶性の高さを見積もることが出来る.結晶性が高ければDモードが小さくなるので比はゼロに近づき,逆に欠陥が多ければ値は非常に大きくなる.本手法で作成したウェハースケールのグラフェンではD/G比は0.03以下と非常に小さい=結晶性が高かった.一方,一般的に作られている多結晶グラフェンシートの場合は0.4程度と欠陥が多く,その差は歴然としている.
欠陥の少なさは,電気特性にも表れている.本手法で作られたグラフェンの易動度は7250±1390 cm2/V・sと,多結晶グラフェンの数倍に達している.これは欠陥の少なさ=散乱の少なさによるものである.また,作成した素子ごとのばらつきも小さく,比較的再現性の良いものが得られる.

このようにきれいに成長できる理由の一つは,Geの水素終端にあるのだろうと著者らは指摘している.概要がSupplementary MaterialsのFigure S4に示されているのだが,Geの水素終端はグラフェンのCVDを行うような温度は非常に揺らいでおり,水素原子は簡単に外れたりくっついたり出来ることが知られている.グラフェンの「端」は反応性が高く他の原子にくっつきやすいため,水素原子を押しのけて基板であるGeにくっついている.CVDにより炭化水素が分解してグラフェンになるにはGe表面が触媒として働かないといけないのだが,それはこの部分で起こるわけだ.その一方で,「すでにグラフェンになってしまった部分」はGeにくっつこうとする力が弱く,そのため横から侵入してきた水素原子がGeを再度終端し,グラフェン自体は水素の上に弱く「乗っかっている」状態になっている.このためグラフェン本体は少しだけ曲がったり動いたりといった事が比較的行いやすく,異なる結晶核から伸びてきたグラフェン断片同士がくっつく際に非常にきれいに接合する役に立っているのであろう.

この「水素の上に浮いたグラフェン」という構造は,作成したグラフェンを基板から剥がす際にも役に立つ.著者らが行ったのは,作成したグラフェン上にさらに金を薄く蒸着,その上から熱剥離性のテープを貼って剥がす,というものだ.テープ-金-グラフェン間の相互作用は水素終端したGeとグラフェンとの間の相互作用より十分強いので,グラフェンは切れに剥がれる.グラフェンを別な基板に乗せ,加熱するとテープはグラフェンから剥がれる.さらにKI+I2を入れた水(か何か)で酸化すると金だけがきれいに除去され,目的とした基板上に乗っかったウェハーサイズのグラフェンを容易に得ることが出来る.さらにイオンエッチングなどでグラフェンを削ったり,金属蒸着を行ったりすれば,任意の形状の回路を作成することも可能である(Supplementary Materials Figure S13).
一方,グラフェンを剥がした後のH/Ge/Si基板の方は,何度か繰り返してグラフェンの作成を行うことが出来る.つまり,ウェハースケールの単結晶グラフェンを連続的に生産することが可能である.

本手法は,非常にきれいなグラフェンを,かなり大きなサイズで量産できる可能性を示した非常に画期的なものである.これを利用することで,今後グラフェンを用いた素子やらナノ機械的な道具,様々な測定に使用可能な極限まで薄い容器などの開発が期待される.(2014.4.8)

 

123. Pt-Niを用いたナノサイズのフレーム構造の作成と,その優れた触媒特性

"Highly Crystalline Multimetallic Nanoframe with Tree-Dimensional Electrocatalytic Surfaces"
C. Chem et. al., Science, in press (2014).

白金(と,今回の話には出てこないが周期表で一つ上のPd)は尋常ではないほど優れた触媒特性を持ち,しかもその応用範囲が非常に広い.このため酸化還元,様々な分子の合成や排気類に含まれる有害分子の分解など,化学工業や工業製品の幅広い分野で利用されている.そんな非常に優れた触媒活性を持つ白金なのだが,よく知られるように非常に高価であり,その使用量を削減することは各種製品の低価格化を考える際には非常に重要なポイントである.
金属粒子を用いた触媒において,実際に触媒として働くことが出来るのは通常はその粒子の表面だけである.従って,同じ重量の金属を用いるのであれば出来るだけ表面積の大きな構造であることが望ましい.そして粒子の比表面積(単位重量に対する表面積の大きさ)は,粒子が小さければ小さいほど大きい(重量=体積は半径の3乗で小さくなるのに対し,表面積は2乗でしか小さくならない).このため近年利用される金属触媒のほとんどはナノ粒子化されているのだが,ナノ粒子化により別の問題が生じてくる.それが耐久性の低さである.
比表面積が大きくなるということは,物質の表面エネルギーも大きくなるということを意味している.物質の表面にある原子というのは,内部にある原子よりも不安定である.そのためサイズの小さな粒子は出来るだけ近隣の粒子と融合し,サイズを大きくしようとする傾向がある.このため,金属ナノ粒子の触媒を使用していると,ナノ粒子同士が次第に融合し粒径が大きくなり,触媒活性が落ちていってしまう(シンタリング).触媒ナノ粒子の開発では,「いかにして表面積の大きい構造を作るか」と「どうやってその構造を安定に保つか」という2つが重要になってくるわけだ.
さてそんな中,今回報告されたのは,多面体状Pt-Ni合金ナノ粒子を出発物質とし,多面体の「辺」の部分のみを残すことでフレーム状の構造を作成することが可能であり,しかもそのフレームが非常に優れた触媒活性,高い繰り返し耐久性,高い熱安定性を兼ね備えていた,というものである.

著者らの仕事を見てみよう.まず出発物質としたのは,PtNi3菱形十二面体状の合金ナノ粒子である.このナノ粒子自体は,塩化白金酸と硝酸ニッケルを少量の水に溶かし,多量のオレイルアミン(弱い配位能をもつ有機分子.加熱条件下で弱い還元性を示す)を加えAr雰囲気下で加熱するだけで得られる.直径は20±2 nm程度であり,触媒粒子としてみるとかなりデカイ(用途にもよるが,通常は2-5 nm程度のものを使う).ここまでは良くある話である.
次が重要となる,菱形十二面体状の「辺」の部分だけを残したフレームへの変換だ.どうやるのか?これがとんでもなく簡単で,得られた菱形十二面体のナノ粒子をヘキサンに分散し,そのまま大気中で2週間ほど放っておくだけで良いらしい.それで勝手にナノフレームへと変換される.なお,ナノ粒子やナノフレームの透過電子顕微鏡(TEM)による観察結果は,Supplementary Materialsとして公開されているPDFのFigure S1-S3でも確認できるので,そちらを参照していただきたい.なお,著者らは(サイズはちょっと悪くなるが)もっとお手軽な合成条件も確立しており,そちらを使えば半日ほどで,しかもグラムスケールの大量のナノフレームが作成可能である.
この段階ではPt-Niが原子レベルでごちゃ混ぜとなった合金によるフレーム構造なのだが,これをさらに真空中で加熱すると原子の移動が起こり,最表面の1-2原子層程度がPtで覆われ,内部がPt3Niという安定なフレームに変換される.触媒特性などを調べているのはこの安定なPtコーティング状態のフレームである.

さて,なぜ菱形十二面体がナノフレームへと変換されるのだろうか?TEMを用いた観察から,最初に出来る菱形十二面体の辺の部分には既にPt原子が高濃度で存在していることが判明した.そもそも「辺」と「面」を比べると,「辺」に位置する原子の方が不安定である.これは「面」であれば一方向だけが外部に露出しているのに対し,「辺」となれば二方向が外部に露出しているためだ(界面はエネルギーが高い).このため,菱形十二面体状の結晶が成長する際に「辺」の部分にNi(酸化されやすく,反応しやすい)が来ても,周囲の化学種によりすぐに削り取られてしまう.一方,PtであればNiに比べ化学的に安定なので,たとえ「辺」の位置にくっついたとしても削られずに残り,結晶が成長する事が出来る.この結果,「辺」の部分にPtが集中したような菱形十二面体状のナノ結晶が成長する.一方,一度内部に入ってしまうと.今度はNiでもPtでも同じように安定に存在できる.この状況になると,今度はPtNi3という安定な構造を作るために,Pt原子は内部全体に拡散していくこととなる.この結果,菱形十二面体の「辺」の部分だけが高濃度のPtで出来ており,面や内部はPtNi3というナノ粒子が誕生する.
あとは話は簡単だ.このナノ粒子を適当な分子(=イオンとなった金属原子に配位して,錯体として溶液中に取り除く能力を持つ分子)の存在下で大気にさらしてやれば,Ptが多い「辺」の部分はあまり削られずに,面の部分から内側に向かってエッチングが進行し,最終的にはPt3NiというPtが豊富な中空のフレーム構造が残る,というわけだ.
Supplementary Materialsには,サンプルの乗った台の角度を変えながらTEMで観測した画像を繋げたムービーが公開されている.これを見ていただくと,きれいにフレームの部分だけが残っていることがわかると思う.

では,こうして得られたナノフレームの触媒活性はどうだろうか?著者らは電気化学的手法による酸素の還元反応でそれを確認している.なお,酸素の還元は燃料電池などで利用されている重要な反応である.比較対象としては,市販品の中で優れた特性を示すPt/C触媒(活性炭上に白金ナノ粒子を担持),元々のPtNiナノ粒子を炭素に担持したもの,の2種類を使用している.
さてその結果であるが,活性表面積あたり(=同じ表面積を持つ触媒で比べた時の活性)で比べると,市販の触媒の活性を1とした時にPtNiナノ粒子は3程度,それに対し今回作成したナノフレームは16と,桁違いに高い活性が観測された.白金の重量あたりで計算すると,市販品の22倍にも達する.つまり,今までと同じ活性を実現するのに1/22の白金の量で良い,というほどの活性の高さである.
さらに,繰り返し特性の高さも特筆すべきものがある.市販品では同じ酸化還元測定を一万回ほど繰り返すと,半分以下程度にまで活性が減少してしまっている.これに対し,今回作成したナノフレームでは活性の低下はほとんど見られず,TEMによる観測でもサイズや形状が変化していないことが確かめられた.さらに熱安定性も高く,不活性ガス中で400 ℃で数時間放置しても,粒子形状に影響はなかった.市販の触媒用Ptナノ粒子などは粒径が小さく不安定であるため,同じような処理をすると粒子同士が融合して活性が劇的に低下するのとは対照的である.

ナノフレームはなぜこれほど高い活性を持つのだろうか.一つは,その中空であらゆる方向からアクセス可能な構造が挙げられる.炭素に担持されたナノ粒子では上方からしか分子が接近できず,反応が起きにくい.それに対しナノフレームは中空のフレーム構造であるため,気体や液体がスルスルと通り抜けることが可能であり,反応の対象となる分子が接近しやすい.
さらにもう一つ重要なのが,表面の電子状態および構造の変化である.今回のナノフレームでは,最外層こそ純Ptであるものの,そのすぐ内側には格子定数がPtよりやや小さいPt3Niが詰まっている.このため最外層には圧縮するような力がかかっており,原子間隔が微妙に変化している.さらに内部のNiの影響により電子状態も変化することで反応性に影響を及ぼすのだ.特に重要なのが酸素原子(等)との結合が弱くなる点である.Pt触媒では,反応中に生じた酸素原子など余計なものが表面にくっついたままになり次の反応を阻害している.これに対し今回のナノフレームでは,酸素などとの結合が弱くなることで,表面が常にクリーンになり次の反応がスムーズに進むわけだ.

著者らはさらなる高活性化として,このナノフレーム内にイオン液体を吸い込ませたものを試している.イオン液体には酸素がよく溶け込むので酸素の還元反応の進みが良い,ということが以前に報告されているのだが,それを応用したものだ.ナノフレームにイオン液体を注ぐと,毛細管現象によりフレーム内にイオン液体が吸い込まれる.この吸い込まれたイオン液体はかなりしっかり保持されており,他の溶媒で洗ってもそのまま残るぐらいらしい.こうやって作成した「イオン液体内包ナノフレーム」を通常の溶媒に入れ酸素の還元特性を測定すると,市販のPt/Cと比べて表面積比で22倍,重量比でなんと36倍もの高活性を叩き出した.
さらに別の反応として電気分解による水素の発生反応も試みているが,市販のPt/Cより一桁弱ほど高い活性が確認されている.

非常に単純な手法で量産も容易そうなナノ構造体で,これほど高い活性が出せるというのはかなりインパクトの大きい仕事だと思われる.今回詳細に報告しているのはPt-Ni系であるが,著者らは同種の手法によりPt-CuやPt-Coといった異なる金属を用いた系,Pt-Pd-NiやPt-Rh-Niといった三元系でも同様のナノフレームが構築できることをSupplementaly Materials内で報告している.異なる金属の組み合わせは異なる電子状態などをもたらすので,このあたりの元素の選択や最適化次第ではさらなる高活性化も可能かも知れず,かなり期待が持てる研究である.(2014.3.5)

 

122. 釣り糸や縫糸からでも作成できる高性能な人工筋肉

"Artificial Muscles from Fishing Line and Sewing Thread"
C.S. Haines et al., Science, 343, 868-872 (2014).

人工筋肉とは,外部から何らかの制御を受けて形を変形させ,それにより仕事を行う素材である.例えば電場をかけると収縮・伸張するような圧電素子であるとか,イオン濃度差により変形するゲルであるとか,光により膨潤・収縮する高分子など様々な素材を用いた人工筋肉が存在している(大型のものなら,空気圧を使うものなどもある).
これらの人工筋肉は,ロボットなどが柔軟な運動を行うための機構であったり,マイクロサイズやナノサイズでの物質輸送や弁の開閉のシステム等への応用が期待されており,近年盛んに研究されている分野の一つである.そんな人工筋肉であるが,先端材料を用いるものが多く,高性能なものはどうしてもコストの高いものとなっている.実際の利用を考えると,量産向きのより安価な材料で作成でき,それでいて高い性能を発揮する人工筋肉の開発が必要である.
そこで今回著者らが注目したのがポリエチレン,ポリエステル,ナイロンなどの単純なポリマーだ.これらは身近な工業製品に山ほど使われており,原価はとんでもなく安い.その安いありふれた材料を使って,非常に高性能な人工筋肉を開発したことが報告されている.

ありふれたポリマーから人工筋肉を作るのに著者らが用いたのが,ポリマー類で広く見られる「加熱すると縮む」という特性である.例えばおもりをぶら下げて伸びた状態のゴムに熱湯をかけると縮む(通常の物質と異なり,熱すると縮む),といった現象が知られているが,これは有名な事実なので知っている人も多いだろう.
なぜこんな事が起こるかと言えば,熱とエントロピーの関係によるものである.ポリマー(ゴムもその一種だ)は長い鎖状の分子からなっているが,これをうまく引き延ばすと分子がほぼ一方向に整列したようなものが得られる.ポリマーのような長い分子鎖は本来あちこちで自由な方向に折れ曲がれるのだが,この状態では無理矢理直線状に整列させられている.
さて,これをエントロピーの側から考えてみよう.本来なら,分子鎖は非常にランダムに折れ曲がることが可能で,その状態ではエントロピーが高い.これに対し,引っ張って整列させた状態というのはある特定の形状に押し込められているわけであるから,エントロピーは非常に低くなる.ここに熱を加えることを考えよう.熱力学の定義より,加えられた熱量をその時の温度で割ったものがエントロピー変化である.つまり加熱するとエントロピーが増加する.これにより,分子鎖の折れ曲がりも最初の「一方向に整列した状態」(=低エントロピー)から「ランダムに様々な方向に折れ曲がった状態」(=高エントロピー)へと変化する.分子が長軸方向に伸びていた状態から,ランダムに折れ曲がった状態へと変化するのだから,当然ながら物質の長さは縮む(代わりに太くなる).これが「伸びているゴム(などのポリマー)を熱すると縮む」理由である.
著者らはこれを利用したのだが,そのまま使うだけだと長さの変化が小さすぎて人工筋肉としては実用的では無い.そこで新たに開発したのが,「分子のねじれの解消を,巨視的な長さの変化に変換する」という方法だ.

まず,内部が分子レベルでねじれた糸を作成する.この手法は非常に単純で,ポリマーで出来た糸(釣り糸などで良い)の両端を固定し,ある程度の力で引っ張りながらねじり,そのままほどほどの温度で熱処理を行うだけだ.熱処理のあいだ糸の内部の分子が多少は動けるようになっているのだが,その際に外部からは糸全体をねじろうとする力が加えられている.この結果,糸の内部でポリマーの分子が螺旋状に配列したような構造をとる.
このポリマーを加熱したらどうなるだろうか?先ほどのゴムの例と同じく,ポリマーの分子鎖はランダムな折れ曲がりになろうとする.すると「内部に分子レベルのねじれを抱え込んでいる糸」全体が,内部のねじれを解消する方向にねじれていこうとする.つまり,熱のエネルギーを糸のねじれ運動へと変換することが出来るのだ.
次に,この「熱による糸のねじれ運動」を,「全体の伸び縮み運動」へと変換する必要があるのだが,これは単純に,スプリング状の構造により実現できる.先ほど作った「分子レベルのねじれを内包した糸」を,さらにねじり続けて行ってみよう.ケーブルをねじり続けたことがある人ならすぐわかるだろうが,この場合糸全体がバネ状の構造へと変化する.例えば電話の受話器(最近では徐々に絶滅しつつあるが……)のコードを見てもらえれば,どんな構造化はわかるだろう.
こうして出来たスプリング状の構造は,前述の通り,糸内部にさらに分子レベルのねじれを抱え込んでおり,熱を加えることでこのねじれが解消する方向にひねられていく.スプリング状にぐるぐると螺旋となっているケーブルが自発的にねじれていったら,どうなるだろうか?分子レベルのねじれが解消していく方向がマクロなスプリング状の螺旋を解く方向であれば,スプリングが緩んで全体の長さは長くなる.逆に,分子のねじれが解消すると糸全体の螺旋がきつく締まっていく方向であれば,熱を加えられるとスプリング状の構造全体は短くなる.これにより,著者らは人工筋肉としての収縮や伸張を実現したのだ.

ちょっとここでまとめておこう.人工筋肉はありふれたポリマーから形成されており,二段階の階層構造をとっている.まず「普通に伸びた糸」に見える内部では分子が螺旋状にねじれており,この「糸」をさらにねじることで全体はスプリング状の構造になる.
熱が加わると分子レベルのねじれが解消しようとして,それが糸のねじれへと変換される.糸のねじれが変化すると,よりマクロなレベルでのスプリング状構造が縮む(or 伸びる)事により,人工筋肉として働く,というわけだ.
こうして作られたスプリング状の人工筋肉は非常に大きな伸び縮みを見せる.いくつか挙げられている中では,室温付近から200 ℃強に温度を上げた際に35 %程度も長さが変化している.形状記憶合金(NiTi)系での伸び縮みと比べると数倍から10倍程度の伸びである.さらに生み出される力も大きい.例えば前述のNiTi系を用いたコイルなどでは1.6 MPa程度の引っ張りまでしか利用できないのだが,今回報告されているものだと例えばナイロンで19 MPaもの引っ張り下で利用できる.著者ら曰く,「この人工筋肉で生み出せるエネルギーの密度はジェットエンジン並み」だそうだ(もちろん,それを駆動するにはそれ相応のエネルギーを突っ込む必要がある).
要するに,既存のものよりだいぶストロークが大きめで,しかも力強い人工筋肉が,そこらに溢れてるポリマーから作れたよ,と.
熱じゃないと伸び縮みしないとか取り扱いが大変なんじゃないかと思うかも知れないが,それは意外と簡単に解決できる.例えばこの糸に導電性の薄膜を巻き付けて導電性の糸にすることが出来る(こういう加工法は既に存在する).この導電性の糸(から作ったスプリング状構造)に電流を流せば,通電加熱により糸の温度が上がる.放置すれば冷える.これにより,糸やそれを編んだ網などの温度を電流(と放冷)により変えることが出来る.つまり,人工筋肉を電流で直接駆動できるわけだ.

百聞は一見にしかず.この論文では,実演のムービーがSupplementary Materialsとして多数公開されているので是非ご覧頂きたい(Movie S1からS8).
Movie S1は,内部に分子レベルのねじれを抱えた糸をさらにねじって,スプリング状の構造を作っているムービー.まあ,作り方の一例だ.
Movie S2は,スプリング状構造が加熱と放冷で伸び縮みする様子.前述の通り,糸内部の分子レベルのねじれの方向と,スプリングとしてのねじれの方向が同じ(Homochiral)か逆(Heterochiral)かによって,加熱時に縮むのか,それとも伸びるのかが決まってくる.
Movie S3は温度により人工筋肉を駆動している様子.熱いお湯(わかりやすいように赤く着色)と冷水(同青く着色)を交互にかけると,おもりをぶら下げた人工筋肉が伸び縮みする様子が見て取れる.意外に俊敏である.
Movie S4は,表面に銀をくっつけた糸から出来ている人工筋肉を使っての,電流(通電加熱)による駆動.冷却を早くするために,水中で実験している.通電時に加熱で縮み,電気を切ると水で迅速に冷えて伸びる.この条件だと,5 Hzでも十分駆動できている.
Movie S5は,銀コートしたナイロンとしてないナイロンを編み込んで作った人工筋肉で3 kgのおもりを持ち上げている様子.全部を銀コートしなくても熱伝導だけでそこそこ動くので,コストを下げられる.
Movie S6は0.1 mmの糸32本を編んで作った人工筋肉に630 gのおもりをぶら下げての駆動.16.4 %の長さの変化を実現.なお,熱源は中心のガラス管の中のニクロム線.
Movie S7は銀コートした糸で加熱と冷却での変形,Movie S8は窓のシャッターの開閉に利用した例.今後うまいこと動作温度とかを最適化すれば,気温に応じて自動的にシャッターを開け閉めして採光量を変化させる窓とか出来るんじゃ無い?という提案.

なんともまあ,非常に単純明快な構造から見事な動作を実現したものだ.(2014.2.21)

 

121. NIFにおけるレーザー核融合,一歩前進

"Fuel gain exceeding unity in an inertially confined fusion implosion"
O.A. Hurricane et al., Nature, in press (2014).

現在核融合炉の開発でもっとも先に進んでいるのはトカマク型などの磁場閉じ込め型であるが,他の手法での核融合研究もいくつか進められている.その中でも近年目に見える発展があるのがレーザー核融合である.日本だと古くから阪大が激光-XIIを使った研究を進めたりFIREX-1計画でペタワットクラスのレーザーであるLFEXを作っていたりするが,レーザー核融合は核兵器中で起きる核融合反応の研究との関係も深いため(レーザー核融合なら実験がやりやすく,実際の核兵器中で起こっていると思われる現象の解明に繋がる),アメリカ,フランス,中国などが積極的に開発を進めている.例えばアメリカではローレンスリバモアに国立点火施設(NIF)を作って実験を進め,フランスではNIFとほぼ同等のLMJ(Laser Mega-Joule)を建造(そろそろ完成時期か?),中国とEUも(それらよりエネルギーが一桁程度落ちるが)それぞれ神光(Shenguang)IIIとHiPERを建造して実験を進めている.
#もっとも近年では莫大な予算が問題化し,各国とも先行き(次世代施設等)は不透明であるが……

この中で今もっとも研究が進んでいるのがアメリカのNIFだ.今回,レーザー核融合においてホットスポットでのQ値(核融合によって発生した熱 / その部分の加熱に外部から流入した熱)が1を超えた事が報告された.

NIFで行われている実験は間接照射方式と呼ばれるものになる.レーザー核融合の初期では,燃料である重水素(D)と三重水素(T)を混ぜて冷やした液滴(または固体.燃料ペレットなどと呼ばれる)に全周囲から多数のレーザーを照射し球状に加熱,その反動で中心に向け爆縮する力を利用して核融合を起こしていた(直接照射方式).しかしながらこの手法,多数のレーザーで直接サンプルを加熱するため,レーザー間のタイミングや出力が少しでもずれると燃料ペレットが歪な形に変形してしまいうまく爆縮せず,核融合が起こらないという問題があった.また複数本のレーザーが干渉を起こし部分ごとにレーザー強度のムラが出来るなどの現象も起こるため,そのあたりの解消がなかなか手間でもあった.
これに対しNIFなどの最近の施設でよく用いられているのが間接照射である.NIFでの実際の実験を例にとって説明しよう.燃料ペレットは,低温で固化したD-T混合ペレットの表面を炭化水素などからなるアブレーターの殻(こいつがエネルギーを吸収し急速に気化,その反動で内側の燃料ペレットを圧縮する)で包んだもので,全体の直径は2 mmほどとなる.この燃料ペレットを純金製の直径約6 mm,長さ1 cm弱の円筒(hohlraumと呼ばれる)の内側にセットする.点火に用いる192本の紫外レーザーはこの円筒の内面の様々な位置に向け照射され,そのエネルギーは金から発生する強烈なX線(および金原子のプラズマ)へと変換され円筒内部に満遍なく降り注ぎ,これが燃料ペレットを加熱することで爆縮を引き起こす.この間接照射では,hohlraum内面での乱反射等により燃料ペレットを均一に加熱しやすいことが知られており,直接照射に比べるとレーザーの強度や位相コントロールがそこまでシビアでは無い,という利点を持つ.

さてそんなわけでNIFの結果である.
NIFは2011年から本格的な実験を開始し,様々なパラメータを振りながらどのような条件が一番点火に向いているのかを詰めたり,加熱に関する理論を精密化したり,という仕事を続けていた.そんな中,2013年夏頃に彼らが見出したのがhigh-footと彼らが名付けた加熱条件である.金原子がプラズマ化して広がりすぎると,hohlraum内へのレーザーの入射を妨げてしまう.そのため金原子が飛び散りにくいようにhohlraum内にはある程度のHeガスが導入されているのだが,この濃度をかなり高くすると急峻な加熱エネルギーの立ち上がりが起き,燃料ペレットを効率よく爆縮させられる,という発見だ.この発見がブレイクスルーとなり,昨年夏以降にNIFでの実験は一気に進展を見せた(発熱量が数倍に増え,核融合による熱量が1桁以上増えた).
でまあ今回,それらの実験を詳しく解析した結果が報告されたわけである.

用いた燃料ペレットは,D-Tを低温(約18 K)で固化させたものの表面を,炭化水素+Siからなるアブレーターで覆ったもの.一つだけポイントとなる点が挙げられていて,この時のサンプルの温度はD-T系の三重点(融点)のわずか0.8 K下と,ギリギリ固化するところを狙っているらしい.というのも温度を下げすぎるとペレットに亀裂が入り均一な爆縮が出来なくなるからだとか.
ここに192本のレーザーにより1.8〜1.9 MJ程度のエネルギーの紫外レーザーを照射する.なお,均一な加熱を実現するために,個々のレーザーは照射場所によって微妙な波長差をつけたりしているらしい(波長が9 Å前後のレーザー光で,0.7 Å程度の差をつけている).間接照射で均一な爆縮を起こしやすいと言っても,この程度の微調整や,ピコ秒レベルでの照射時間の同期調整は必要であるらしい.
その結果,核融合が起きてエネルギーが今までより沢山出ました……というだけのことなのだが,この結果を導くのもまた一苦労である.燃料ペレットから照射されるX線や中性子などの総量であるとか,どの位置から出てきたかといった情報を集めて,ペレットがどんな風に圧縮されているかを推測する.そこからホットスポット(大雑把に言ってしまえば,核融合が起こっているところ)のサイズを見積もり,そこでの圧力と粒子密度を推測し,レーザーのエネルギーがどの程度吸収されたのかを推測し,それに比べ推定温度が○○だから純粋に核融合によって出てきた熱量は××である,と推測し……と,何段もの過程を経てようやく放出されたエネルギーが判明する.なかなか大変である.

で,今回のキモとなるのは,「ホットスポット部分の加熱に使われたエネルギー」を上回る熱が核融合で発生しましたよ,という点だ.「加熱に使ったレーザーの出力」だとか,「レーザーを出すのに使ったエネルギー」と比較しているわけではない点に注意.
具体的に言うと,10〜20 MJぐらいのエネルギーを消費して(レーザー出力からの適当な推測),1.8 MJのレーザーを発振して照射し,それがhohlraumに当たって発生したX線のエネルギーのうち10 kJ程度を燃料ペレットが吸収し,核融合により14 kJぐらいの熱が出ましたよ(投入熱量の1.4倍出たよ),という話になる.
見てわかる通り,最初の消費電力から見ると核融合出力は0.1 %とかそういう値になるので,すぐに発電できるとかそういうものでは全く無い(webを見ると,どうも勘違いしている人もいるようである).

まあ,さすがに歴史的にだいぶ先行しているプラズマ閉じ込め式に比べると物足りないものの,着実な進歩は遂げているようだ.
なお,NIFのこのあたりの研究成果に関しては,1月にMITで行われた講演のファイルが公開されている.

Progress Toward Indirect Drive Ignition on the NIF

いろいろと面白い写真もあるので,お暇な方はご覧あれ.
#最後のほうには,NIFでロケが行われたStar Trek: Into Darknessの画像もあったりする.(2014.2.13)