最近読んだ論文

 

180. 電位により3相を切り替えられる機能性酸化物

"Electric-field control of tri-state phase transformation with a selective dual-ion switch"
N. Lu et al., Nature, 546, 124-128 (2017).

イオンを含む溶液中で電極の電位を振ると,その表面に逆側の電荷をもつイオンが吸着し電気二重層と呼ばれるナノサイズの分極層が形成される.この電気二重層,非常に近い距離で電荷が分離しているため,局所的に非常に強い電位勾配を生じる事になる.このため,材料の表面に通常ではかけられないほどの非常に強烈な電場を印加したのと同じ状況が得られることとなり,これを利用する事で通常のFETを遥かに超えるような強烈な電荷注入などが行える.こういった電気二重層トランジスタは絶縁体への強制的な電荷ドーピングによる超伝導化など,物性物理の分野において近年活用が進んでいる分野である.
今回報告された論文は,この電気二重層による強烈な電場を利用する事で,SrCoO2.5に水が分解して生じるO2-を押し込んでSrCoO3-δ(δ<0.1程度)にしたり,電位を逆に振ってH+を押し込んでHSrCoO2.5にしたりと言った変化を可逆的に起こし,色や電気的・磁気的特性を3つの相の間で可逆的に変化させることに成功した,というものである.

今回の論文の結果は偶発的な発見のような感じではあるが,2種類の元素を電気的に入れたり出したりすることで相変化を引き起こした初の例となる.
母物質はレーザー蒸着により作成されたSrCoO2.5の薄膜である.この物質は2.12 eV程度のバンドギャップ(これは580 nm程度の波長の光のもつエネルギーに等しい)をもつ絶縁体であり,それを反映して600 nmより短い波長の光を強く吸収する.大雑把に言って,赤外あたりの透過率は60%を超え(長波長ほど透過率は高い),赤あたりから急速に透過率が下がり,紫あたりで透過率は20%ほどとなる.これを反映し,母物質の色はかなり黒っぽい赤で,向こうが多少は透けて見える,といった色合いとなる.

この物質をイオン液体に沈め,ゲート電位を+3.5 Vに上げる(逆に,材料の電位は下がる).すると負側となった母物質には陽イオンが引き寄せられ,電気二重層の電場によって非常に強く母物質中にイオンが押し込まれることとなる.今回の物質では,溶液に含まれる水分子から生じたH+が母物質に取り込まれ,結果としてHSrCoO2.5という,これまで知られていなかった新しい組成の物質が生じることとなった.この変化にかかる時間はおよそ30分前後である.
なお,この変化はX線による格子定数の変化や,軟X線を用いた分光(*)によるCoやOの価数・結合状態の見積もり,電顕による格子像の確認,SIMS(二次イオン質量分析法)によるHの検出,理論計算による構造予測などにより分析されており,各手法での結果は推定されている構造変化と矛盾しない(また,他のいくつかのモデルは実験結果より排除されている).

(*)例えば結合に関与しない内殻電子を叩き出す(または叩き上げる)際の吸収は元素ごとにほぼ固有の値となるのだが,原子の価数により微妙に原子核と電子との引力が変化するため,ごくわずかに変動する.このズレを見ることで,原子の価数が推定できる.また,ある程度最外殻(=結合に絡んでいる部分)に近い電子を見てやることで,結合に関係した情報も引き出すことができる.

このHSrCoO2.5はバンドギャップが母物質よりもやや大きめの2.84 eVとなるが,これは光で言うと430 nm前後の紫あたりの光に対応する.このため光の吸収率は可視光領域全体で40〜50%程度にとどまり,色も薄いグレー程度である.つまり,イオン液体を利用したドーピングにより,母物質の色を非常に濃い暗赤色から薄いグレーへと変換することができているわけだ.
これと同時に,磁性も大きく変化している.母物質はおよそ537 Kで転移する反強磁性体なのだが,それがHSrCoO2.5では常温では常磁性,125 Kあたりで弱強磁性に転移する磁性体へと大きく変化を見せている.

今度はゲート電位を逆に振ってみよう.HSrCoO2.5となった材料に対し,ゲート電位を-2.3 V(材料側は逆に正電位となる)として電圧を印加したところ,材料からH+が抜け,1時間前後で元のSrCoO2.5に戻すことができた.さらにゲート電位を大きく負側に振ると(=材料の電位を大きく正側に振ると),今度は水が分解して生じたO2-が材料に押し込まれ,SrCoO3-δへと変換された.
この物質は金属である事が知られており,実際に今回の実験で得られた薄膜も金属伝導を示すことが確認されている.これに伴い光吸収は一気に増大し,可視光(から赤外)全域で80%程度の光を吸収する黒色のフィルムへと変貌する.さらに磁性も変化し,室温では常磁性,250 K弱で強磁性へと転移するようになる.

これら3つの相の間での変化は可逆的であり,何度も行き来でき,光学的・磁気的・磁気光学的・電気的特性を3つの相の間で可逆的に変化させられる非常に興味深い物質となっている.
まあもちろんこの物質がそのまま何かに使えるわけではないが,例えばこういった複数相への転移が自由に行える物質の開発が今後進んで,複数の状態で遷移して光吸収や色,はたまた太陽電池としての性質など様々な特性を電圧一発で変換できるスマートウィンドウなどへと展開できるとなかなかに面白いものが開発できそうだ.(2017.6.5)

 

179. グラフェン膜を通したエピタキシャル成長

"Remote epitaxy through graphene enables two-dimensional material-based layer transfer"
Y. Kim et al., Nature, 544, 340-343 (2017).

エピタキシャル成長と呼ばれる現象(製法)は,半導体素子を初めとした分野でよく用いられる手法である.エピタキシャル成長においては,巨大な単結晶からある特定の結晶面で切り出したウェハーを基盤とし,ガスなどで原料を供給しながらその基盤上で結晶薄膜を成長させる.上に載せられる物質の結晶格子のサイズが基盤の結晶格子のサイズと整合していると,基盤の結晶を足がかりにその上にきれいに結晶が成長するため,非常に質の良い,配向が揃って結晶粒界などもほとんど無いような単結晶薄膜を成長させることができる.
例えばSiの単結晶上でSiの薄膜を成長させる,という事を考えてみよう.基盤となるSiは,非常に巨大なインゴットから切り出された単結晶であるためウェハー全域にわたってひと繋がりの結晶ではあるが,るつぼで溶融して作成する際に微小な欠陥ができやすい.その上にSiをエピタキシャル成長させると,「時々欠陥はあるが全体としては単結晶」なSi基盤上に,「非常に均一で欠陥も少ない単結晶薄膜」のSiを成長させられるので,特性が向上するのだ.
他にも,エピタキシャル成長中にわざとドーパントを混ぜていくことで,「非常に均一で結晶性が高く,しかも深いところまで均一にドープされた薄膜」なども作る事が出来る.

そんな優れた薄膜成長法であるエピタキシャル成長であるが,基盤上に成長させた単結晶薄膜を剥がすことはできない.というのも薄膜の最下層は当然ながら基盤と結合しており,それを引き剥がすことは薄膜(や基盤)の破損や欠陥の発生を伴うためだ.もしエピタキシャル成長させた単結晶薄膜をきれいに剥がすことができれば,ベースとなる基盤は一度だけ作っておき,後は必要に応じてその上で薄膜を成長→剥離,を繰り返すだけできれいな半導体素子がいくらでも量産できることになる.そのような手法は出来ないものだろうか?

そのヒントとなる研究が,数年前に報告されている.それは単層のグラファイトであるグラフェンの親水性を調べている時に判明したことなのだが,親水性基盤の上にグラフェンを貼ってもその表面は親水性を維持し,一方で疎水性の基盤の上にグラフェンを貼るとその表面は疎水性になる,というものだ.つまり親水性や疎水性といった基盤の性質が,グラフェン(これは本質的には疎水的であると考えられる)を透過しているように見える,という発見だ.
なぜこんなことが起こるのだろうか?実はこれ,グラフェンがあまりにも薄すぎるために,グラフェンの下にある基盤とその上との間を十分に遮蔽できず,グラフェン膜上下での静電的な相互作用が(弱まりはすれども)通り抜けてしまう,という事に由来する.
今回の著者らはこの発見に刺激され,「グラフェン膜を挟んでもエピタキシャル成長ができる」事を発見,グラフェン膜とその上に成長したエピタキシャル膜との間に結合がない事から,作った薄膜を自由に剥がして転写できることを報告している.

原理を簡単におさらいしておこう.
まず著者らは,GaAsの基盤上に単層グラフェンを貼り,その上でGaAsのエピタキシャル膜を成長させている.一枚のグラフェンが間に入っても,下層の基盤のGaAsの作るポテンシャルはグラフェンを透過し上にまで影響を与え,グラフェンの上で成長するGaAsに対しその配向を制限する効果を発揮する.
実際に著者らがこのような手段で作成したサンプルを分析すると,視野いっぱいのミリメートルのオーダーにわたってきれいなエピタキシャル膜が成長しており,全体が一つの単結晶となっていることが確認された.一方,間に挟むグラフェンを2層や4層といったもっと厚いものにしてしまうと,基盤との相互作用がより強く遮蔽される結果,上に成長するGaAs膜は無配向の無数の結晶が融合した多結晶薄膜となった.
しかも予想通りに,グラフェンの上にエピタキシャル成長した単結晶薄膜と,その下のグラフェンとは結合を作っていないので,成長させたエピタキシャル膜を簡単に剥がしてやることにも成功している.
またこの効果がGaAsに特有ではない事を示すために,著者らはInP/グラフェン/InPやGaP/グラフェン/GaPなどの別の半導体でも同様のことを試しているが,それらでも同様に非常にきれいな単結晶薄膜が成長している.
さらに,わかりやすいデモンストレーションの意味も込め,グラフェンを貼ったGaAs基盤上にGaAsをエピタキシャル成長させ,さらにその上にAlGaInP→InGaP→AlGaInPと成長させたLEDを作成,その発光特性を調べている.本手法で作成したサンプルは,通常のエピタキシャル成長によるデバイスとほとんど変わらない発光(強度や半値幅,発光波長等)を示し,通常のエピタキシャル膜と遜色のない膜が得られることを示している.

本手法は,これまでいわば「使い捨ての型」であった基盤を,「量産の効く金型」に変えるようなものであり,結構面白いんじゃないかなあと感じる.まあ,半導体素子分野は専門外なんで,これがどの程度インパクトのある事なのかはよくわからないが.(2017.4.27)

 

178. 3Dプリンタを用いた微細構造も可能なガラス製品の作成

"Three-dimensional printing of transparent fused silica glass"
F. Kotz et al., Nature, 544, 337-339 (2017).

ガラスは非常に優れた素材である.800 ℃以上の温度に耐える耐熱性,高い硬度と力学的強度(ただし割れやすいが),そして可視光領域での高い透明性.こういった優れた特性ゆえ,さまざまな光学材料や化学用品がガラスで作られているのはご存じの通りである.その一方で,高い強度と割れやすさ,そして高い融点ゆえに,ガラスの微細加工は手間がかかることも事実である.微細な研磨や化学的なエッチングなどを用いなければならず,微細加工されたガラス製品を作成するのはなかなかに骨が折れる.
さて,そんな微細加工されたものを比較的安価に製造できるのではないかと近年期待されているのが,3Dプリンタだ.そのためガラス製品を3Dプリンタで作成しようという試みも色々と行われているのだが,例えば多くの3Dプリンタで用いられているフィラメント式でガラス製品を作ろうとした場合,ガラスフィラメントをレーザーなり何なりで1000 ℃以上に加熱しながら積層しなくてはならず,現在までのところそこそこサイズが大きくてしかも表面がかなり荒いものしか作成に成功していない.また,ガラス微粉末のようなものを積層しつつ,レーザーなどで局所的に加熱溶融するという手法もあるのだが,こちらは無数の欠陥やクラックが入るため白濁した不透明なものしか得られていない.こういった欠陥をその場で化学的に削りながらいい感じに成長させる手法では,フッ酸などのやや危険な試薬類を使わなくてはならないためあまりお手軽ではない.
今回報告されたのは,ガラスそのものではなく,シリカのナノ粒子をポリマーの原料と共に溶液に分散させ,それを通常の光造形法により積層化,最後に熱処理することで微細なガラス製品を簡便に作成する事に成功した,というものになる.

今回用いられている造形法は,一般的なステレオリソグラフィー法となる.ステレオリソグラフィー法ではまず,溶液中にポリマー原料となるモノマーを溶かしておき,下面が透明な容器にこの溶液をれる.そこに3Dプリンタのヘッド(というか逆向きのステージというか)を浸し,底面との間にわずかな隙間ができるようにする.ここに下面の下からレーザーを照射すると,光化学反応により生じたラジカルが引き金となり,レーザーを照射した部分のモノマーが重合しその部分だけが固化する.レーザーで一層分の形状を固化させたら,ヘッドをほんの少し上に引き上げ,次のレイヤーをまたレーザーで描画する.これを繰り返しながらヘッドを上に引き上げていくと,縦に長い任意の形状の3次元オブジェクトを作成できる,というものだ.早送りで動画を見ると,液体から立体物が引き抜かれていくようななんとも不思議な光景である.
もちろんステレオリソグラフィーで直接ガラスを作成する事は出来ないのだが,著者らは原料としてアモルファスシリカの微粉末(直径約40 nm)を含む溶液を用いている.溶液はフェノキシエタノール30%,メタクリル酸ヒドロキシエチル(要するにポリマーの原料となるモノマー)60%,テトラエチレングリコールジアクリレート10%(光硬化性.光で重合をはじめる)の混合物で,ここに体積分率で37.5%とかなりの量のシリカナノ粒子が混合されている.ここでポイントとなるのが,溶液の方をかなり濃厚にしてある点だ.これにより溶液の密度が高くなり,シリカナノ粒子との間での屈折率の差が少なくなる.これにより,レーザーで固化させる際の溶液/シリカ界面による光の散乱が大幅に減少し,精密な形状を作る事が可能となる.
この溶液を用いてステレオリソグラフィーを行うと,溶液中のモノマーが重合して固体のポリマーとなりながら,周囲に無数に漂っているシリカナノ粒子を取り込んでいく.結果として,光造形されたものは多量のシリカナノ粒子を含むポリマーとなる.
これを600 ℃まで加熱して焼き出すとポリマー部分が燃焼して消えてなくなり,「3Dプリンタで作ったとおりの形状に固められたシリカ微粉末」となる.一度温度を室温まで下げた後,今度はこれを1300 ℃あたりまで上げて数分間加熱,シリカの微粉末の表面が溶融・融合してアモルファスのガラスへと変換される.
結果として,3Dプリンタで作成した形状そのまま(といっても,ポリマーが飛ぶことでややシュリンクするが)のガラス製の立体物が生成することとなる.

実際に作成されたものが例えばFigure 1Figre 3にあるが,プリントされた微細な形状を保ったまま(例えばFigure 3の「門」などは,横幅わずか1.7 mm程度である),透明なガラスへと変換されていることがわかる.また,積層の際の層状の段差はできてしまうものの,単一積層面内での荒さは非常に低く,Figure 4で見られるようにそのラフネスは数 nm程度しかない.また透明性も非常に高く,通常の溶融ガラスと同程度の透過率90 %となっている.
色ガラスを作る事も可能である.3Dプリントを行う溶液中に各種の金属イオンを溶かし込んでおくと,それらを取り込んだ色つきのガラスを作成する事が出来る.
なお,ガラス部分は最後の熱処理により十分溶融・結合しているので,内部にクラックなどはなく,多孔質でもない通常のガラスとなっている.

本手法を用いると,Figre 3bにあるようなマイクロ流路チップなどの作成も容易になり,必要に応じてその場で作成,それを使って微量反応・分析などを行うことが可能になる.結構面白い気がする.(2017.4.22)

 

177. ウィルス同士もある種のコミュニケーションを行っている

"Communication between viruses guides lysis-lysogeny decisions"
Z. Erez et al., Nature, 541, 488-493 (2017).

見落としていたものをNature Digest経由で.

生物は,さまざまな方法を用いて他の仲間達と通信を行っている.これは何も動物に限った事ではなく,植物だってそうだし,場合によっては細菌同士ですら各種のコミュニケーションをとる.例えばあまりに細菌の密度が高くなっていることを互いの出す分子の密度により細菌が認識すると,分裂を控えたりするわけだ(そうしないと,局所的に餌を食い尽くして全滅したりする可能性がある).
今回の論文で報告されたのは,こういったコミュニケーションを半生物・半物質であるようなウィルスも行っていた,という発見である.

論文中で著者らは「枯草菌がウィルス(テンペレートファージ)に感染した際に,互いに通信し合って免疫を活性化しているのではないか?」という事を証明しようとして実験を行い,全く違う事実を発見た,と明かしている.
そもそもの発端は,枯草菌がテンペレートファージに感染した際に起こる現象にある.感染により枯草菌は数を激減させるわけだが,ある程度時間が経つと再び数が増加していく,という挙動が見られる.これはテンペレートファージが免疫によって駆除されたわけではなく,枯草菌の内部でテンペレートファージが溶原化することによって起こっている.
ここで溶原化についてちょっと説明しておこう.テンペレートファージは宿主に感染すると,持っている遺伝子を宿主のDNAに挿入して組み込む(*).通常時はこの組み込まれた部分が続々と読み出されタンパク質等へと翻訳,ファージのコピーが無数に作られ,最終的に宿主は破裂して死亡する.ところが時としてこの翻訳が行われず,宿主のDNAに組み込まれた状態のまま(宿主の)子孫へと受け継がれていく事がある.このように,ウィルスがその姿を単なる遺伝情報へと変換してしまい,まるで休眠しているかのような状態になる事を「溶原化」と呼ぶ.なお,溶原化しているウィルスも,何かの切っ掛けにより再び読み出され翻訳されはじめるため,無害化したわけではない.

(*)プラスミドという独立した形で紛れ込ませる事もあるが,今回はそれは置いておく.

枯草菌にテンペレートファージが感染すると,最初はどんどん破裂して死滅しながら新たなファージを多量にばらまいていく.ところがある程度経つと,溶原化して休眠状態に入るファージの率が上がり,その結果として生き延びる枯草菌が増えるわけだ.今回の著者らはそれを「枯草菌が感染を感知し,それを他の枯草菌に何らかの分子を使って知らせることで免疫系を活性化(**),それによりファージを溶原化して封じ込め,生き延びているのでは?」と仮説を立てたというわけだ.

(**)免疫系を活性化したぐらいでなんとかなるのなら常日頃からそうしておけと思うかも知れないが,無駄な機能を活性化するとそれだけエネルギーを無駄遣いすることに繋がるため,通常時においては生存に不利である.このため多くの生物では,緊急時に対処するためのシステムは緊急時にしか駆動されないようになっている.

そこでまず実験である. 枯草菌にファージの一種であるphi3Tを感染させ,しばらく培養する.適度に枯草菌が死んで数を減らした頃の溶液を取りだし,分子量が3000以上程度の大きな分子を濾過で除き,「危険を知らせる分子が入ってそうな溶液(以下,「抽出液」と呼ぶ)」を作り出す.菌同士の通信は通常分子量の小さい短いペプチド(数個のアミノ酸が繋がったようなもの)が用いられるため,そういったシグナル分子がいるなら抽出液中に残っている可能性が高い.
続いてこの抽出液に,新たな枯草菌とファージ(phi3T)をぶち込み,再度培養する.
するとどうだろう.単なる培養液であるとか,ファージに感染していなかった枯草菌がいた溶液を濾過したもので同じ事をやった場合に比べ,抽出液中で育てた枯草菌はファージにやられて死ぬ事が顕著に減少していたのだ.生き延びた枯草菌を取り出してそのDNAを調べると,phi3Tに感染してその遺伝子が組み込まれていることがわかった.つまり,感染しなかったのではなく,感染しても溶原化の状態で止まっているphi3Tが多かった事を意味している.
この結果に著者らは,「ほら見たことか.やはり枯草菌は互いに情報をやり取りしており,ファージに感染した枯草菌からは他の枯草菌に対し防御を固めさせるためのシグナルが出ていることが確認できた」と思ったことだろう.
……少なくともこの時点までは.

そう,実は驚くべき事に,話はそう簡単ではなかったのだ.
著者らは続いて,抽出液中での他のファージを感染させた際の生存性を調べた.もし枯草菌がある種のファージ(phi3T)に対する防御を固めたのなら,他のファージに対する生存性も上がるはずである.そこで抽出液中に新たな枯草菌を入れ,そこにphi29,phi105,rho14といった違う種類のファージを加え,同じ実験を行った.
すると予想だにしないことに,枯草菌の生存率は単なる培養液と同様,低くなったのだ.つまり,別種のファージには普通に食われて死んでいった事になる.
これは奇妙な話である.もし枯草菌が「敵が居る!免疫を高めなくては!」と他の枯草菌に知らせたのであれば,種類を問わず抗ウィルス性が上がるといった変化が起こる方が自然である.一体何が起こっているのだろうか?
ここで著者らは,見事な発想の転換を見せる.

『phi3Tの溶原化を促進しているのは,実はphi3T自身なのではないか?』

この文章の冒頭付近で述べたように,がむしゃらに感染を広げてしまうと,あっという間に宿主が死滅するためウィルスとしてはそれほど増殖することは出来ない.生存戦略として考えると,宿主がほどほどの数存在するときは自身もどんどん増殖し宿主を食い尽くしつつ,宿主が減りすぎて絶滅しないように,ある程度宿主の数が減ったら今度は溶原化して宿主集団の回復を待つのが正解となる.もしかすると,ファージであるphi3Tも何らかの手段でこのような調整を行っているのではないだろうか?

そこで著者らは,phi3Tのゲノム(遺伝情報の全体)を解析することとした.
phi3Tのゲノムは128kの塩基対からなっており,そのなかに201の遺伝子(タンパク質へと翻訳される部分)をもっている.このうち128の遺伝子は各種のファージ類で共有されているものである.同じものがphi3T以外のファージに影響を与えなかったことを考えると,この部分はとりあえず無関係と考えても良いだろう.
残りをよく見てみると,N末端にシグナルペプチドをもつようなタンパク質をコードしている遺伝子が3つ存在した.シグナルペプチドというのは要するにタンパク質末端にくっつけるタグのようなもので,細胞中ではこれにより各タンパク質を特定の場所(核であるとか,細胞膜であるとか,等)に輸送させる働きをもつ.ウィルス本体の組立だけなら場所を指定する必要はないので,これら3つの遺伝子から出来るタンパク質はなにやら怪しい雰囲気がある.
さらにこの3つの遺伝子をよくよく見てやると,一つは膜貫通タンパク(=宿主の細胞膜に固定されてしまう)で細胞間の通信には直接は関係がなさそう,もう一つはあまりにも大きいのでシグナルには関与してそうにはない.容疑者は最後の一つに絞られた.しかもこの遺伝子,枯草菌などが含まれるBacillus属において個体数を調節するための互いの通信に関与しているタンパク質に関する配列とよく似ている.そのタンパク質は,ひとたび細胞外に出ると末端が加水分解を受け,5-6アミノ酸程度の非常に短いペプチドを生成し,これが細胞間での通信として拡散していくことが知られている.もしかすると,phi3Tにコードされていた類似のタンパク質も,細胞外で末端が切られて通信を行っているのではないだろうか?

このコードされていたタンパク質が同様の加水分解を受けるとすると,生じる短いアミノ酸配列はSer-Ala-Ile-Arg-Gly-Ala (SAIRGA,Arg=アルギニンの略号はRである)となる.
このSAIRGAという配列がphi3Tの溶原化を促進しているのだろうか?著者らは同じ配列のペプチドを合成し,それを培養液に入れて実験を行ってみることにした.通常の培養液中に枯草菌とphi3Tを入れ,そこに合成したSAIRGAを濃度を変えながらぶち込んでみた.するとどうだろう.SAIRGAの濃度を上げていくだけで,感染しても死なない(=phi3Tが溶原化して休眠状態となっている)枯草菌が増えていったのだ.しかも,この短いペプチドの頭のSerや末端のAlaを除いたAIRGAやSAIRGという配列では,こういった効果は全く見られなかった.
これにより,phi3Tは何らかの方法で他の感染した細胞から放出されるSAIRGAの濃度を検出し,その濃度が高い=周囲に感染している宿主が多い場合は溶原化して休眠状態に入る確率を上げる,という制御を行っていることが明らかになった.著者らはこのシグナルのもととなるタンパクをコードしている遺伝子を,aimPと名付けた.
ウィルス同士が何らかのコミュニケーションをとっているというのはほとんど誰も考えたことのない現象で,これは大変驚くべき結果である.

aimPからのシグナル(細かく書くと,遺伝子aimPがデコードされて出来たタンパク質AimPが加水分解して出てくるシグナル分子)(SAIRG)に応答するには,その信号を受け取る側のタンパク質も必要になる.それはどのようなものなのだろうか?
こういう「ペアで働く遺伝子」はゲノム上の隣接する位置にコードされていることが多いため,著者らはaimPの隣を調べてみた.するとaimPのすぐ上流に378アミノ酸からなるタンパク質をコードしている部分が存在した.このタンパク質はTetratricopeptide repeat(TPR:34アミノ酸の繰り返し構造)をもつ分子だが,こういったTPRを持つタンパク質はグラム陽性菌においてシグナルの授受による個体数の調整などに関わっていることが知られており,aimPから生じたシグナルSAIRGAの受容に関わっている可能性が高い.そこで著者らはこの部分をaimP(から出たシグナル)の受容体(Receptor)をコードしている遺伝子,ということでaimRと名付けた.

このような,ウィルス(に感染した細胞)からのシグナルによる個体数の調整は,phi3Tに固有のものなのだろうか?それとも他のウィルスでも同じようなことが行われているのだろうか?著者らは既知のゲノム情報のデータベースを使い,aimRと類似の遺伝子をもつウィルスが存在していないか調査を行っところ112の類似の遺伝子を発見したが,これらをもっているウィルスは全て桿菌属ファージに属していた.また,それぞれの遺伝子の上流にはphi3T同様aimRに相当する遺伝子が存在していることも明らかとなった.つまり,桿菌属ファージの多くは,今回の実験で用いたphi3Tと同様にシグナル分子のやり取りを通じて個体数調節を行っている可能性が高い.
しかもそれらaimPから生成されると思われる6アミノ酸からなるシグナル分子を比較すると,末端のアミノ酸はほとんどがA(たまにG),末端から2番目のアミノ酸は必ずG,末端から三番目のアミノ酸はRが多いが他の正電荷をもつアミノ酸も取り得る,というように後半の3アミノ酸はほぼ共通だったものの,前半の3アミノ酸に関しては非常にバリエーションが多い事もわかった.これはつまり,異なる種ではある程度異なるシグナル分子を使うことで,「自分の仲間が増えすぎている」(=ちょっと自重した方が良い)のか,「違う奴らが増えすぎている」(=気にせず自分らも増えた方が良い)のかを区別する役に立つのだと考えられる.ウィルスがやっているにしては思ったよりも複雑なコミュニケーション手段である.

著者らは最後に,このAimPなどによる個体数調節のメカニズムについても調べている.とりあえず判明した範囲では,aimRから出来るタンパク質であるAimRは通常時ではファージが挿入したゲノム中のaimXという第三の遺伝子近傍に結合し,この遺伝子の発現を促進,タンパク質AimXが多量に作られるようにしている.このAimXはファージのゲノムの恐らく最初のあたりに結合し,ファージを作るための部品全ての発現を促進していると思われる.つまりこうだ.

aimRが発現 → 出来たAimRがaimXの発現を促進 → 出来たAimXがウィルス全体の製造を促進 → 同時にaimPも発現するので,出来たAimPが加水分解されシグナル分子SAIRGも増大

シグナル分子の濃度が高くなると,このシグナル分子はAimRと結合し,AimRがDNAから外れていく.すると「AimRによるaimXの発現促進」が起こらなくなるので,結果としてファージの製造も減速する,というわけだ.
この結果,ファージが増えすぎて宿主全滅,寄生しないと増えられないファージも全滅,となるのを抑制していると考えられる.

こういったコミュニケーションの仕組みは,もしかしたら他のウィルスでも広く用いられているのではないか?という指摘もある.もしそうだとすると,新しい原理の抗ウィルス薬(ウィルスの発現を抑える薬)などに繋がる可能性もあるだろう.ただ,今回の例で言うとシグナル分子の濃度を増やしてもファージの「複製が起こる頻度を下げる」程度までしか行かず,ある程度は増えていくらしい.完全な休眠に固定するわけには行かなそうだ.
何はともあれ,ウィルスという生物だか物質だかわからんようなものでさえコミュニケーションをとることが出来る,というのは非常に驚くべき発見である.(2017.3.18)

 

176. 準安定相のナノラミネート構造による,高い耐亀裂性をもつ鉄鋼の実現

"Bone-like crack resistance in hierarchical metastable nanolaminate steels"
M. Koyama et al., Science, 355, 1055-1057 (2017).

九大とMITとマックス・プランク研究所による協同研究.九大はその場所柄鉄鋼関連の研究を結構行っており,今回の研究はその一つの成果である.

今更言うまでもなく,鉄鋼は現代社会において実にさまざまな部分で構造材として利用されている.鉄はさまざまな微量元素の添加によりその特性が大きく変化し,また焼き入れ・焼きなましによっても硬さ,柔軟性などを大きく変えることが出来る.
そんな鉄鋼を利用する際に問題になってくるのが,ある程度の強さの負荷が繰り返し印加されると突然破断するいわゆる「金属疲労」である.これは弱い負荷によって微細な亀裂が生じ,繰り返しかけられる負荷が亀裂末端に集中,亀裂が徐々に成長することで大局的な破断に繋がる現象で,これまでにも航空機や鉄道における事故を引き起こしたり建造物の破壊を引き起こすなど,安全面での大きなリスクとなっている.工学的には,多少の亀裂が成長しても大丈夫なように十分な安全係数をとって設計するだとか,頻繁な検査により早期に発見し修理・交換を行うことで対処されているが,コストの増大や見落としによる事故の発生を防ぎきれない.
従って,金属疲労を起こしにくい鉄鋼材料の開発は重要な研究課題であり,これまでにもさまざまな新材料・新製法・新加工法が提案されている.
今回著者らが報告しているのは,準安定相間の相転移を利用した亀裂の発生抑止と,階層的な構造による亀裂成長の抑止を組み合わせた新たな構造を持った鉄鋼が,これまでの鉄鋼を大きく超えるような耐亀裂性をもつ,という発見である.

金属疲労を防ぐにはどうすれば良いだろうか?
荷重により微小な亀裂が発生し,それが拡大して破断に至るのが金属疲労なのであるから,単純に考えれば防ぐ手段としては「そもそもの亀裂の発生を抑える」というものと「亀裂の成長を阻害する」という2つが考えられる.実際,これまでにこのような対処法は開発されている.
例えば前者の「亀裂の発生を抑える」という方向では,オーステナイト相とマルテンサイト相が微細なレベルで混合した鉄鋼が知られている.鉄は含まれる炭素量や温度によっていくつもの異なる構造(相)を示すのだが,高温では炭素を比較的含みやすいオーステナイト相(鉄の面心立方格子の隙間に炭素が入った状態)が安定化され,低温では炭素をあまり含まないフェライト相(鉄の体心立方格子の隙間に微量の炭素が入っている状態)が安定化する.ところが,高温でオーステナイト化した高炭素鋼を急冷すると,余剰の炭素を排除しきるほどの時間が無いためフェライト相に転移できず,多量の炭素を含んで歪んだ準安定なマルテンサイト相(鉄の体心正方格子の隙間に炭素が挟まった状態)が出現する.さらに,焼き入れ・焼きなましなどの時間を調節すると,このマルテンサイト相とオーステナイト相がミクロレベルで混在した鉄鋼を作る事が可能である.さて,このマルテンサイト相とオーステナイト相であるが,双方の間での転移が比較的容易であり,しかもマルテンサイト相の方がやや密度の低い(=隙間の多い)構造であるため,圧縮する力が加わるとマルテンサイト → オーステナイトへの構造転移が起こり体積が減り,逆に引張り力が加わるとオーステナイト → マルテンサイトへの構造転移が誘起され体積が増える.つまり,ミクロレベルでマルテンサイト相とオーステナイト相が混合している鉄鋼は,負荷がかかってもその荷重変化による変形を内部の微小部分の相転移による体積変化として吸収できる,いわば「柔らかい鋼鉄」として振る舞うことが可能になるわけだ.このため,この二相の共存物は「弱めの荷重が繰り返し印加される」場合に金属疲労を起こしにくいことが知られている.ただし,相転移で吸収できる以上の大きな荷重がかかる場合にはどうしても小さなクラックが発生し,しかもこのクラックの成長を阻害する機構が全く無いため通常の鉄鋼と同様の劣化を示す.
一方,「亀裂の成長を阻害する」という方向として,比較的硬い相と柔らかい相がナノレベルで積層した層状構造(ナノラミネート構造)をもつ鉄鋼が優れている.例えば炭素の多いオーステナイト相を徐冷して得られるパーライト組織(常圧で安定で炭素の少ないフェライト相ができる際に多量の炭素が排除され,それがFe3Cというセメンタイト相となる.これらの板状組織が積層したもの)などがこれにあたるこの場合,亀裂は硬い組織を避けて伸びようとするため非常に曲がりくねった経路でしか成長できず,そのため金属材料が破断しにくくなる(亀裂に対しては,実効的に材料の厚みが増えたようなもの).

これら2種類の構造はそれぞれ優れた構造ではあるのだが
・準安定相の二相ミクロ共存型は,微細な亀裂は生じにくいものの出来た亀裂は普通に成長するため,大荷重が加わる場合に弱い
・ナノラミネート構造は,生じた亀裂が成長しにくいものの微細な亀裂は通常通り生じるため,弱い負荷が非常に多い回数加わる場合に弱い
と,対照的な弱点を持っている.
これら2種類の鉄鋼の長所を併せ持つ鉄鋼を作る事は可能だろうか?原理的には,準安定な二相がナノラミネート構造となった場合にはそういった物質となる事が期待される.弱い荷重による変形は内部の二相間での微妙な相転移による伸び縮みで吸収し,大きな荷重により発生した亀裂はナノラミネート構造がその伸張を阻害,亀裂を小さいままに閉じ込める.
今回論文で報告されたのは,鉄鋼の組成と熱処理の仕方をいい感じにすると,そういった優れた特性が実現できるよ,というものになる.

というわけで論文の方を見ていこう.
結果は非常に単純である.Supplementary MaterialsのFigure S7にも論文と同様のグラフが載っているので,そちらを参照していただくと良いだろう.このグラフ,要するに,「ある荷重(縦軸)を繰り返し加えた際に,何回目(横軸)で破断するか」を示したものだ.Figure S7(A)の方では縦軸の加えた荷重を絶対値で示しており,(B)の方では静的に加えた際に破断する荷重を1とし,それに対する比率で縦軸をとったもので,まあだいたい同じ図となる.
グラフには,今回の論文で作成されたサンプル(熱処理時間の違いで2種,〇および●)と,比較対象としてのSUS304(◆),マルテンサイト-オーステナイトの準安定二相共存系(×),マルテンサイト-フェライトの単なる二相共存系(■),フェライト-セメンタイトのナノラミネート構造(▲),チタン合金(□)が載せられている.
まず高荷重側(小数回の負荷で破断する側)から見ていこう.例えば104回程度の繰り返しで破断する負荷を見てやると,市販のSUS304が400 MPa前後,小荷重には強いが大荷重に弱い準安定二相共存系で500 MPa弱,大荷重に強いナノラミネート構造でも600 MPa前後なのに対し,今回作成されたサンプルではTi合金とほぼ同等の800 MPa以上程度を実現できている.つまり,大荷重が繰り返しかかるような場合でもかなり強い.
では,弱い荷重が非常に多数回加わるような場合はどうだろうか?106〜107回程度の非常に多数回の変形を受けるような場合,市販のSUS304では300 MPa程度で破断してしまっている.これに対し,低負荷に強い準安定二相共存系では約360 MPa,大強度には強いが多数回の負荷に比較的弱いナノラミネート構造でもほぼ同様の約360 MPa(*),これに対し今回のサンプルではおよそ400 MPa強と,こちらもチタン合金並みの強さを誇っている.

(*)ナノラミネート構造も二相共存系と同等の強度を実現できているので多数回の負荷時にも強いのでは?と感じるかも知れないが,初期強度からの低下度合いで見るとナノラミネート構造はかなり落ちている.これはFigure S7(B)を見ると顕著である.

という事で,今回の論文の内容をまとめると,
『準安定な二相共存構造かつナノラミネート構造であるような鉄鋼を作ると,これまでの鉄鋼に比べ金属疲労による破断を起こしにくい(=より高い負荷に耐えられる)鉄鋼となる』
という事になる.
論文ではさらに,実際に亀裂がどのように生じてどう成長していくのかも検証し,ナノラミネート構造によって亀裂がジグザグに伸びるしかなくあるところで成長が止まる,なども見ているが,まあここでは省略しておこう.

というわけでなかなか面白い報告である……のだが,これがそのまま実用化に向くかというとやや懸念点がある.
今回の鉄鋼ではマルテンサイト-オーステナイトの二相共存系を使っているわけだが,このうちのオーステナイト相は徐々にマルテンサイト相に転移していくため,長期利用の間に徐々に寸法が変わったりしてしまうことが知られている.もともとオーステナイト相はやや柔らかく耐摩耗性が低めで,またマルテンサイト相への転移によりあちこちに歪みを生じる可能性がある.このあたりが問題にならずしかも金属疲労耐性が必要な用途がどれだけあるのか?などを考えると,そのままの利用はやや微妙か?(2017.3.14)

 

175. 複合素材を利用した放射冷却用シート材

"Scalable-manufactured randomized glass-polymer hybrid metamaterial for daytime radiative cooling"
Y. Zhai et al., Science, 355, 1062-1066 (2017).

冷却は機械類や電気・電子機器類において欠かすことの出来ない要素である.冷却ファンなどを用いたアクティブな冷却はもちろん重要なのであるが,近年の省エネ指向であるとか,ファンを取り付けるのが困難な微小な機器類,長期間屋外で放置された状態で利用される小型の機器・センサー類などからの放熱などにおいては,輻射を利用したパッシブな冷却の重要度が非常に高くなる.
物体からの輻射熱量は,理想的にはステファン・ボルツマンの法則に示されるように温度の4乗に比例する黒体輻射なわけであるが,現実の系ではそれよりも小さな値をとっている.輻射量を増やすにはどうすれば良いだろうか?輻射が吸収の逆過程である事を鑑みれば予想できるように,ある波長での輻射を増やすと言うことは,(一般的には)その波長での吸収率を上げることに等しいと考えて良い.つまり,物体を黒く塗ればそれだけ輻射が増え,輻射による冷却が効率的に進むこととなる.ただし,直射日光が当たるような場所での放熱においては黒く塗ることは得策ではない.ご存じの通り太陽光はおよそ1 kW/m2というエネルギー密度をもっており,これはパッシブな輻射による放熱に比べかなり大きいため,黒く塗ってしまうとむしろ温度の上昇を招くからだ.

「直射日光の当たる屋外においても,輻射で効率よく放熱したい」という要求を解決すべく,これまでにもいくつもの研究が行われている.そういった研究が注目しているのが,太陽光のエネルギーの多くが可視領域(波長数百 nm)にあるのに対し,ちょっと暖かい程度の物体からの熱輻射は主に数〜数十 μmの波長である点である.つまり,可視光を良く反射しつつ,長波長の赤外域で高い吸光度(=高い輻射率)をもつ物質を作れば,太陽光を反射しつつも輻射を促進する優れた放熱体となるわけだ.
このような放熱体を作る手法として近年盛んに研究されているのが,ナノ構造を利用した放熱体である.波長と同程度の構造を表面に作り込むことで,その波長の光をより吸収したり,逆に反射させたりといったことが可能になる.例えば可視光と同程度のサイズ(数百 nm)の規則構造を表面に作り,「可視光から見ると反射しやすいが,赤外光から見ると波長より小さい微子構造が見えず,普通に透過できる」というような構造を作る事が可能になり,こういった構造は直射日光下でも輻射による冷却が効率的に起こることが知られている.ただ,問題はコストである.規則的なナノ構造を作るのはコストが高いため,単なる放熱の効率化のために使うには高すぎるのだ.
今回論文の著者らが報告しているのは,非常に安価かつ大面積で作れ,それでいて輻射効率を大きく向上させることの出来るナノ複合体である.

では論文の内容を見ていこう. 著者らが作ったのは,工業的にもよく使われるポリオレフィン系樹脂の一種であるポリメチルペンテン(TPX,透明度がかなり高い)中に,直径が数 μmのシリカの球を6%ほど混ぜ込んだ厚さ約50 μmのフィルムである.単に溶かしたポリマーにミクロンサイズのガラスの球を混ぜ込んでフィルム状に引き延ばすだけなので,製造コストはかなり安い.また,大面積化も容易であり,著者らも実際に幅30 cmで長さが数 m以上あるようなフィルムを作って見せている.
このフィルムの肝は,当然ながら混ぜ込んでいるシリカの球だ.シリカは正に分極したSiと負に分極したOからなる物質であるが,この正と負の原子が格子振動により揺り動かされることで,光と強く相互作用することが出来る.特に今回混ぜ込んであるような数 μmの領域では,粒子直径の約2.5倍の波長あたりにピークを持つような強い吸収を示すことが知られている.つまり逆に言えば,この混ぜ込んであるシリカの球は,およそ波長10 μm付近の赤外域において高い輻射能を持っている,という事になる.さらにこのTPXで出来たフィルムの裏側に銀を蒸着することで,「可視光は良く反射するが,赤外光は非常に強く吸収&放出できる」というフィルムになるわけだ.
著者らは作成されたフィルムの輻射能を,300 nm〜25 μmの範囲で測定している.有機分子が吸収をもってくる400 nm以下の紫外域ではやや輻射能を持つ(∴光を吸収する)ものの,可視領域から近赤外領域である400 nm〜3 μm弱の領域ではほとんど輻射能を持たず(=この領域の光を吸収もしない),一方で7 μm〜測定限界の25 μmの領域では輻射能は0.9以上程度と非常に高い値となっている.これはつまり,太陽光の大部分を占める可視光は透過(&蒸着された銀で反射)しつつ,熱源からの熱は赤外線として非常に効率よく輻射を行える,という事を表す.

では実際にどの程度の輻射能があるのだろうか?著者らはフィールドテストを行っている. 断熱材で出来た箱の中にヒーターを敷き,その熱を銅板を通し,今回作成したハイブリッドフィルムに伝える.ハイブリッドフィルムの裏側(ヒーター側)には銀が蒸着されている.断熱材の箱からは放熱用ハイブリッドフィルムの表面のみが露出しており,この箱を日光の当たる屋外に3日間放置する.この間,フィルム表面(大気に接している方)の温度をモニターしながら,外気との温度差が0.2 ℃以下になるようにヒーターパワーを調節し続ける.フィルム表面と大気との間に温度差がないため,この条件下では対流・伝導による熱の流出は考えなくて良い.つまり,「ヒーターから加えている熱=表面から逃げて行っている熱」になるので,輻射による放熱を測定する事が出来るわけだ.
実際の測定結果であるが,昼夜通しての三日間での輻射の平均値は1 m2あたり110 W,最も放熱力が落ちていた真昼の直射日光下でも93 W/m2を維持していた(測定誤差は10 W/m2以下程度らしい).
著者らはさらにデモンストレーションとして,輻射による水の冷却をやっている.まず深さ15 mmの上面が開いている断熱容器に水を入れ,その上に熱伝導用の銅板の乗せる.その上に今回作成した放熱量ハイブリッドフィルムを貼り,このセット自体を一回り大きな断熱容器に入れる.最後に,この外側の容器の上面開口部を,大気からの伝導や対流による熱の流入を減らすべくポリエチレンフィルムで覆って蓋にする(透明なので輻射は通す).この状態で,外気温15 ℃の深夜の屋外に箱を放置し,水温の変化をモニターする.
すると,外気温は15 ℃で変わらない状態のまま,輻射により水の熱がどんどん奪われ,約2時間後には水温は開始時の約15 ℃から約7 ℃にまで低下している.

こういった輻射冷却の手法自体はよく知られたものであり,また赤外域での輻射能を上げて冷却能を上げる,という事自体も研究例は多々存在する.そういった意味では,画期的な研究,というわけでは無いが,それを実現する手法が「ポリマーにシリカの球を混ぜ込むだけ」という非常に単純かつ低コストである点は興味深い.(2017.3.11)

 

174. 噴水符号を用いたDNAストレージの大容量化・高信頼化

"DNA Fountain enables a robust and efficient storage architecture"
Y. Erlich and D. Zielinski, Science, 355, 950-954 (2017).

DNAは非常にコンパクトな領域に膨大な情報を保持している.例えば我々人間は一人あたりおよそ40兆個の細胞で出来ているが,その一つ一つの細胞内にはおよそ60億塩基対(2倍体の場合)からなる染色体があり,これを単純に1 塩基対=2 bit(塩基が4種類あるため)とすればおよそ1.5 GByteに相当する.
細胞一つの中のさらに核一つでこれだけの情報を記録でき,さらに二重らせん構造によるデータ保護も持ち合わせているため,「DNAをストレージに使えるのではないか?」という研究が行われるのは自然な流れであると言え,実際に多くの研究が行われている.これらの研究の多くでは,データを細かなセグメントに分割し(*),それぞれのセグメントを塩基配列として表現,これを合成後にPCR増幅することで十分な安定性を備えたデータストレージとして扱っている.

(*)これは,あまりに長い塩基配列を合成したり迅速に読んだりすることが困難(または不可能)である事に由来する.数百程度なら非常に安く&高速に合成が出来るが,数万〜数十万塩基対の合成は現時点ではさすがに困難である.

しかしながら,DNAにデータを記録する場合にはさまざまな形でのデータの欠落に備える必要がある.例えば一塩基変異であるとか,PCRによるDNAの増幅の際に一部の配列が増えずに失われてしまう,などである.前者のような1 bitの変異に関してはデータセグメントごとに誤り訂正符号なものを付け加えておくことで対処できるが,あるセグメントが丸ごと失われてしまうような後者の問題の場合,データを複数の分割方式でエンコードしておくなどデータの重複が多くなり,結果としてデータ格納効率が落ちてしまうと言う問題があった.
DNAは4種類の塩基を持つため,理想的には2 bit/塩基対のデータ密度が実現できる.まあ実際には不安定な配列(同じ塩基が続くとか,GCのペアが多すぎる/少なすぎる,など)が存在したりするため使用できる塩基配列が制限されたり,DNAの複製過程での取りこぼしや変異などの可能性を加味し,シャノン限界として1.83 bit/塩基という値が提唱されている.ところがこれまでに報告されているDNAストレージでは,多くの例で0.8〜0.9 bit/塩基,高いものでも1.14 bit/塩基の情報密度にとどまっている.これはデータの欠落を防ぐためにかなりの冗長性を入れていることがその一つの理由である.

耐障害性を高めながらも無駄な冗長性を出来るだけ減らし,理論値に近いデータ密度を実現することは出来ないのだろうか?幸いなことに,現代の情報処理技術の進展は,この問題の良い解決策を提供してくれている.それが「噴水符号(Fountain Code)」である.
この符号化は元々,インターネットなどを介したマルチキャストなどのために開発されているものだ.ネット配信などでは,膨大な数の受信者に対し同一のデータを配信する.ところが単純にデータを分割して配信するだけだと,各経路ごとに一部のパケットが抜け落ちることでの再送要求がサーバに集中する可能性がある.各経路でどのパケットが落ちるかはランダムであるため,これはありとあらゆるパケットの再送要求が集中することを意味しており,非常に具合が悪い.これを解決するために開発された噴水符号では,元々のパケットをランダムに(実際にはランダムというか,疑似乱数的というか,ともかくこのパケットペアの選びかたにもいろいろ工夫があるらしい)二つ選択し,それらの論理和をとったもの(であるとか,とにかく何らかの演算を行ったもの)を配信する.サーバ側ではこの作業を延々と繰り返し,さまざまなパケットペアの相関に相当するデータ(これをdroplet:水滴と呼ぶ)が次々に作成され配信され続ける.受信側でいくつかのパケットがロスしていたとしても,別なパケットいくつかから必要なデータを復元することが出来る.あまり正確ではないが,A-B相関のパケットが失われても,A-C相関,B-C相関の二つのパケットから再計算できるような感じだ.
この噴水符号は,元々のデータよりほんの少し多い程度のデータを使用することで,かなりの確率で元データが復元できる事を特徴としている.つまり,データの無駄を非常に小さくしながらも高い復元性・耐障害性を備えた符号化である事が知られているわけだ.この符号化を利用すれば,多少のデータの欠落が起こるような状況であっても,高効率でデータを保持できる.まさに,DNAストレージにうってつけ,と言うわけだ.
そんなわけで今回著者らは,DNAの塩基配列としてデータを保持するための符号化に噴水符号を利用,それにより非常に高効率にデータを保存できたよ,という事を報告している.

では,実際の実験を見ていこう.
データのエンコードの仕方としては,まずはデータを32 byteのセグメントに分割する.今回の場合では総計2,146,816 byte = 67,088セグメント相当のデータをDNAにエンコードする.このデータに入っているのはOS(こういった際によく利用されるコンパクトなKolibriOS),テキストファイル(Amazonギフトカードの番号),パイオニア探査機の金属板の画像ファイル,Shannonの論文のPDF,ムービーファイル,あとなぜかZipbombである.実際のエンコードに当たっては,疑似乱数列を用いて次々と2つのセグメントを選択してそれらの論理和を作成,2 bitを単純に4種類の塩基に置き換える.この段階で最低限のチェックルーチンが入り,生物学的に無効度の高い配列(同一塩基の連続やGC含量の過多)は廃棄される.問題が無ければ,32 byteの論理和(=128塩基対)の頭と尻尾に読み取り等のためのアダプターとなる塩基配列(両方とも24塩基対),疑似乱数列のどの部分の計算結果なのかを表すタグ(4 byte=16塩基対),データ化け対策の誤り訂正符号(リード・ソロモン.2 byte=8塩基対)を付け,全長200塩基対の「パケット」が完成する.でもってこの「パケット」を,噴水符号に基づき次々と組み合わせるデータのセグメントを変えながら作成していくわけだ.
元データを単純に冗長性無しで変換すると67,088種類のパケットとなるわけだが,疑似乱数で組み合わせを作っているため完全に網羅するにはもうちょっと種類を増やしておきたい&DNA増幅の途中で特定の配列が欠落する事を想定しての冗長性確保のため,著者らは元データに+7%となる72,000種類のパケットが出来るまでパケットの作成を続けた.大まかに,元データの5〜10%増しが推奨だそうだ.これで読み出せれば,1 塩基あたりおよそ1.57 bitのデータという事になり(この計算では,パケット頭と尻尾のアダプター配列は計算に入れていないようだ),既存の最高値である1.14 bit/塩基を超えシャノン限界の1.83 bit/塩基に大きく近づくこととなる.

では,実際にこいつがきちんとデータを保持できていたかを見ていこう.
まずはPCRで十分に増やしたDNAプールの中身を片っ端から読んで,元データが復元できるかどうかのチェックである.最近の読み取り機だと一日に数十億塩基対が読めるそうなので,まあそこそこの数を読むことが可能だ.著者らは3200万パケットを読み出して(当然膨大な量の重複がある),そこから元データを1 bitのロスもなく再現できることを確認した.と言っても3200万パケットは,パケットの種類が7.2万しかないことを考えると読み過ぎではある.そこで読み出した3200万の中から,ランダムに75万パケットを選んでそこから元データを復元し,これも問題無いことを確認した.この段階では1.3%のパケットロスが生じたようだが,データの復元には問題にならなかった.
さらに著者らは,作成したデータがPCRによる増幅とそこからの取り分けに耐えて生き延びられるかどうかを検証した.前述の通り,DNA複製過程においてはデータの変質や取りこぼしが起こる可能性が有り,冗長性無しではデータ化けや一部ロスが発生すし,増やした溶液の一部だけをとる部分でも濃度の不均一化などが起こる可能性があり,データ損失の可能性が生まれる.まず著者らはPCRを10回行って元のDNA量を210に増やす.増やしたDNA3 μgから10 ngをとり,「それをPCRにかけ2倍のDNA量に増やした後に25 μlから1 μlだけ抜き出して次に回す」という操作を9回繰り返した.これだけの増幅を全量に対して行ったとすると,データのコピー数は最大で1015倍以上に増えており,実用上無限の複製が可能と言うことに対応する.これだけの複製を行うとさすがにデータの質は劣化していたが(7.8%がパケットロス),それでも500万パケットも読み取ってやれば1 bitのエラーもなく元データを復元,そのデータからOS立ち上げたりファイル読んだりが可能であった.
最後に,どの程度のデータ密度が可能であるか?を検証している.一応過去の論文で,DNAストレージの理論的なデータ密度の限界は1グラムあたりおよそ680ペタバイトであると概算されているのだが,今回著者らは元データを希釈 → その一部をとって読み出し → 希釈……として読み出し限界を探ることで,どの程度のデータ密度が実現できたかを調べている.その結果,元のデータプールから10 ngをとってきて,その1/10をとって10倍希釈して読み出し,と言うのを続けた結果,10 pgまでは問題無く元データ2,146,816 byteが復元できた.もう一回希釈するとダメだったので,ここから2.15 Mbyte/10 pg〜215ペタバイト/g,という事になるだろう.

そんなわけで,「情報分野で使われている効率の良いパケットロス対策法を導入したら,DNAストレージの性能がだいぶ上がったよ」という論文であった.
読み取り速度は昔に比べると劇的に上がっているとは言え,いつかこういったデータ保存法が何かに使われる日が本当に来るのだろうか?(あるにしても,日常的な用途と言うよりは,大規模なデータをものすごい数複製作って長期冷凍保存しておく,とかそういう用途になるのか?)(2017.3.4)

 

173. 赤いこびとを巡る七人のこびと

"Seven temperate terrestrial planets around the nearby ultracool dwarf star TRAPPIST-1"
M. Gillon et al., Nature, 542, 456-460 (2017).

NASAの発表が各所で取り上げられたアレである.
そもそも今回話題になっているTRAPPIST-1星系は,昨年の段階で地球型惑星が少なくとも3個周回していることが報告されており,その段階で1つの惑星に関してはハビタブルゾーンに存在することが示唆されていた.そこでその詳細をさらに調べようと観測時間を割いて調査を行った結果が今回の報告となる.
主星であるTRAPPIST-1は限界ギリギリに小さな恒星であり,その質量は太陽の約8.0%(木星のおよそ80倍)と推定されている.太陽質量の約8%が核融合を起こすのに必要な最小の質量を考えられている点からして,TRAPPIST-1は本当に限界ギリギリで恒星となっている星だと言えよう.このため表面温度もおよそ2560 Kと非常に低くなっている(その半径も木星の1.2倍前後程度しかない).このため本星は「ultracool dwarf star」とも呼ばれる.なぜこんな変わった恒星が観測対象になっていたのかというと,こういった軽くて小さい星であれば小型の惑星が観測しやすいからにほかならない.

現在,系外惑星を探査する手法としてはドップラー法とトランジット法が主に用いられている.ドップラー法というのは,惑星の公転に伴いその重力で恒星が微妙に揺動し,その運動を恒星の光のドップラーシフトから検出することで惑星の存在を明らかにする手法だが,当然ながら恒星を十分揺り動かすだけの強い摂動が必要となる.このため木星のように非常に重く,かつ恒星の近傍を周回している惑星(いわゆるホットジュピター)以外を検出することは(現在の観測精度では)難しい.
これに対し,今回用いられたのがトランジット法だ.これは,恒星の手前側を惑星が通過すると,その惑星が恒星の光を遮るため地球に届く光がわずかに減少する.これを検出することで惑星の存在を見つけるのがトランジット法となる.こちらは地球サイズの惑星も検出可能なのだが,それでも大きな恒星の前面を小さな惑星が通り過ぎた際の光の減少は非常に少なくなるため,検出に困難がつきまとう.ところが,今回のTRAPPIST-1の場合はどうだろうか?恒星の大きさがそもそも木星(=地球の10倍ちょっとの直径)と同程度しかないため,その前面を地球サイズの惑星が通過すると,非常に大きな光度の減少が観測されるはずである.つまり,観測が非常にやりやすい.まあそう言ったわけで観測が行われ,地球サイズの,しかもハビタブルゾーン内っぽい惑星だったことから,今回より詳細な観測が行われたわけだ.

では,今回の研究に移ろう.
今回の論文では,非常に多量の観測データが使用されている.論文の最後に一覧として挙げてあるが,以下の通りとなる.なお,各行の最後に示してある「b:13」などは,各惑星(b〜hの7つ.aは恒星を指す)のトランジットを何回観測できたか,という事を示す.なんというか,よくもまあこれだけのマシンタイムをかき集めたものだ,と言ったところか.

TRAPPIST-South(トランジット法用系外惑星探査望遠鏡・チリ) 677.9時間 b:13,c:1,d:3,e:5,f:3,g:4
TRAPPIST-North(トランジット法用系外惑星探査望遠鏡・モロッコ) 206.7時間 b:4,c:3,e:1
スピッツァー宇宙望遠鏡 476.8時間(これが最も良いデータで,解析の中心) b:16,C:11,d:5,e:2,f:3,g:2,h:1
LT/IO:O(リバプール望遠鏡赤外光学系) 50.3時間 b:1,c:1,e:1,f:1
UKIRT/WFCAM(イギリス赤外線望遠鏡@ハワイ) 34.5時間 b:4,c:3
WHT/ACAM(ハーシェル宇宙望遠鏡) 25.8時間 b:1,c:1,d:1
SAAO/1m/SHOC(南ア サザーランド観測所) 10.7時間 トランジット未観測
VLT/HAWK-I(ヨーロッパ南天天文台@チリ) 6.5時間 b:1,c:1,e:1,f:1
HCT/HFOSC(ヒマラヤ・チャンドラ望遠鏡) 4.8時間 b:1
HST/WFC3(ハッブル宇宙望遠鏡) 3.9時間 b:1,c:1

これらの観測・解析の結果,以前には3つだと思われていた惑星が実は7つも存在することが判明した.ただし,最も外縁の惑星hに関してはトランジットが1度しか観測されていないため,データはやや不確実である.
続いて,得られたデータの解析結果に行こう.トランジット法では,惑星が恒星を遮り始めてから完全に恒星前面に来るまでの時間から,惑星の大きさを求めることが出来る.さらに,恒星面を通過する時間なども含めればその軌道部分での周回速度がわかり,さらに複数回のトランジットから周期を求めることで公転周期がわかる.公転周期と恒星前面を通過する際の速度の比較から軌道の離心率も推測でき,また他の惑星の重力の影響による周期のふらつきから惑星の質量も大まかに求めることが可能である.さらに,恒星の光量はわかっているので,ある軌道にある天体が,そこに降り注ぐ光を完全に吸収し熱輻射のみで放熱する場合の放射平衡温度を求めることが出来る.無論,実際の惑星の温度においては,大気の存在により温室効果が働き平衡温度より高くなったり(例えば地球の放射平衡温度は-18 ℃になるが,実際にはこれより30 ℃以上も高い),反射率が高いために平衡温度より低くなったりといった違いは生じるのだが,惑星の温度を考える上での目安にはなる.
得られたデータをまとめると,内側から順に以下の通り.ただし質量の見積もりに関しては,0.5地球質量程度の誤差を含むので,大まかな目安にしかならない.また,元論文では有効数字はもっと多いので,詳しいデータが知りたい場合はそちらを参照のこと.

惑星b(トランジットを37回観測)
公転周期:1.51日(地球の1日を基準とする.以下同じ)
離心率:0.081以下
軌道長半径:0.011天文単位
放射平衡温度:400 K
半径:1.08地球半径
質量:0.85地球質量

惑星c(トランジットを29回観測)
公転周期:2.42日
離心率:0.083以下
軌道長半径:0.015天文単位
放射平衡温度:342 K
半径:1.06地球半径
質量:1.38地球質量

惑星d(トランジットを9回観測)
公転周期:4.05日
離心率:0.070以下
軌道長半径:0.021天文単位
放射平衡温度:288 K
半径:0.77地球半径
質量:0.41地球質量

惑星e(トランジットを7回観測)
公転周期:6.10日
離心率:0.085以下
軌道長半径:0.028天文単位
放射平衡温度:251 K
半径:0.92地球半径
質量:0.62地球質量

惑星f(トランジットを4回観測)
公転周期:9.21日
離心率:0.063以下
軌道長半径:0.037天文単位
放射平衡温度:219 K
半径:1.05地球半径
質量:0.68地球質量

惑星g(トランジットを5回観測)
公転周期:12.35日
離心率:0.061以下
軌道長半径:0.045天文単位
放射平衡温度:199 K
半径:1.13地球半径
質量:1.34地球質量 惑星hトランジットを1回観測)
公転周期:20?日
離心率:?
軌道長半径:0.06?天文単位
放射平衡温度:170? K
半径:0.76地球半径
質量:?

得られた結果は,全ての惑星がほぼ同一面内を公転する系であることを示唆していた.また,(周期が完全にはわかっていない惑星hを除く)隣接する惑星の公転周期の比がc/b:8/5,d/c:5/3,e/d:3/2,f/e:3/2,g/f:4/3と全て単純な整数比となっており,これは惑星間に共鳴が起こっていることを示している.こういった軌道の共鳴は惑星の軌道を安定化したり不安定化したりと場合により色々あるのだが,6つもの多くの天体間できれいな共鳴関係が成り立っているのは新記録となる.類似の共鳴は木星の衛星であるイオ・エウロパ・ガニメデ間でも観測されており,今回の観測対象であるTRAPPIST-1がガスジャイアントに非常に近いサイズである事を考えると,木星系の衛星の形成過程と類似の惑星形成過程が考えられるのではないか?と指摘している.
各惑星の質量に関する見積もりは誤差が大きすぎてその組成に関してはあまり大したことは言えないが,惑星fに関してはその密度が0.60±0.17とそこそこの精度で求まっている.密度の低さから,この惑星では比較的揮発性の高い成分(水など)がそれなりに多くある事が期待され,氷の層,または大気のような状況となっていることが示唆される.なお,観測された惑星の質量の合計は主星の質量の0.02%程度で,これも木星とその衛星の質量比に近い.ここからも,類似の過程により形成されたのではないか,と示唆している.

主星からの放射量としては,惑星c,d,fがそれぞれ太陽系における金星,地球,火星とかなり近い値になるそうだ.比較的外側で受ける輻射の少ない惑星であるe,f,gにおいても,主星のスペクトルおよび地球型の大気を想定しての比較的単純なシミュレーションでは液体の海が存在することは不可能ではない,と指摘している.逆に内側の惑星であるb,c,dでは温室効果によりかなり温度が上昇してしまう.ただその場合であっても,一部の限定された地域(極域とか高地とか?)では液体の水が存在する可能性が残る,としている.惑星hに関してはかなり主星から遠いため,表層に液体の水を作る事はほぼ不可能であろう.しかしながら,潮汐加熱が十分に効く場合などでは惑星形成時の熱が逃げるのをかなり遅らせ,液体の水が存在することも不可能ではないだろう,と述べている.まあ,惑星hに関してはかなり難しいと思うが……

そんなわけで,ニュースなどで流れている「7つのハビタブルゾーンの惑星」ってのはやや盛り気味であって,惑星7つあって,そのうちいくつかには液体の水があるかもね,ぐらいな感じであろうか.(2017.2.24)

 

172. 酵素を用いた気相反応で高い反応性を維持

"Engineered Surface-Immobilized Enzyme that Retains High Levels of Catalytic Activity in Air"
S. Badieyan et al., J. Am. Chem. Soc., in press (2017).

タンパク質から出来た触媒である酵素は,良くも悪くも古典的な無機触媒などとは大きく異なる特性を持つ.例えば常温・常圧という非常にマイルドな環境であっても活性化エネルギーの非常に大きな反応を触媒したり(逆に,高温や低温では利用できないことが多い),基質特異性が高く分子中の特定の部位のみ選択的に反応を起こすことが可能であったり(逆に,あらゆる反応に使えるわけではないことを意味する),立体選択性が高く光学異性体の一方のみを生成したり,水中でも有機反応をうまく進めることが出来たり,といった特徴が挙げられる.
こういった特徴から,酵素はさまざまな工業的な反応への利用,特に古典的な触媒ではエネルギー効率が悪い反応(高温が必要となる反応)や光学分割が重要な反応(医薬品などの合成等),グリーンケミストリー(出来るだけ無駄な溶媒や試薬を使わないことで環境負荷を抑える)への利用が期待されており,日々多くの研究成果が報告されている.

さてそんな酵素であるが,気相反応への利用はなかなか難しいのが現状である.酵素は元々生体中,つまり水溶液中で使われているものであり,その表面には無数の水分子が吸着している.このタンパク質表面の水分子はタンパク質分子の立体構造を維持するうえで重要な役割を果たしていることが知られており,そのため気相中,特に乾燥雰囲気下におかれたタンパク質はその構造が崩れ変性を起こしてしまい,触媒活性を失ってしまう.
今回報告された論文は,基盤上に固定化したタンパク質であっても,周囲にそれを保護できるようなポリマーを同時に固定化してやると高い触媒活性を維持することが可能であり,酵素を気相反応にも利用できるようになる,というものである.

著者らの発想はある意味シンプルなものだ.水分子が失われて失活するのであれば,水分子に良く似たもので周囲を覆ってしまえば良い.この方針にもとづき,著者らはガラス基盤上に酵素を固定する際に,同時に無数の糖(ソルビトール)を側鎖としてもつポリマーを固定化することにした.ソルビトール(などの糖)は無数の水酸基を持つため,これがタンパク質表面にまとわりつくことで水が存在するのと同じような状況を実現しよう,というわけだ.
実験において,著者らはモデル酵素として構造もわかっている脱ハロゲン化酵素を使用した.脱ハロゲン化反応は排ガス中の有害なハロゲン化炭化水素を分解出来ることから,実用上も有用性が高いためだ.基盤への固定法としては,酵素の外部に露出しているループ部分(比較的柔軟で折れ曲がっている部分)にシステインを導入した変異株を利用した.このシステインの-SHをガラス基盤上に固定化したポリマー末端と反応させ,酵素を基盤に固定する.これと同時に,無数のソルビトールを側鎖としてもつポリマーも適度に基盤上に固定化したポリマーに結合させ,酵素と同居させるわけだ.

では結果を見ていこう. まず,酵素が水中で自由に漂っている状態を基本とし,この状態での活性を100%と置く.これに対し,基盤上に酵素を固定したものを水中に置いた場合の活性は42%であった.大抵の酵素は固定化すると活性は落ちるので,これはまあこんなもんだろう.続いて,これまでの研究でよく用いられてきた手法である「酵素をバッファ溶液と共に乾燥させ粉末とし,それを気相で利用する」という手法であるが,これだと活性は0.24%にまで落ちる.これでは活性はほとんど無いも同然だ.では,単に基盤に固定化しただけのものを乾燥させ気相で使うとどうなるかというと,こちらの活性は1.7%である.これもまあ,使うにはちょっと,といったところか.最後が今回の実験で用いられた,「水酸基を無数にもつポリマーと同時に固定化したもの」だ.この場合,酵素活性は9.7%まで向上した.無論,水中での活性に比べると1/10にまで落ちているのだが,既存の手法に比べると数倍は活性を保っている.
耐久性についてはどうだろうか?
基盤に固定化した酵素単体だと,160時間後の活性は当初のわずか12%にまで低下していたのに対し,ソルビトール側鎖をもつポリマーを混在させた際には160時間後でも当初の31%の活性を示した.まあ,1/3以下にまで減少していると言ってしまえばその通りなのだが,そもそもの活性が高い上に多少長持ちする,というのは今後の研究の進展も含めればそこそこ有望であると言えよう.

なお,著者らは,この高活性&高耐久性が水分子の代わりに酵素を覆っている(であろう)糖由来の水酸基によるものだと言うことを確かめるべく,いくつかの補足実験を行っている.例えば酵素単体では空気中の湿度の減少に伴いタンパク質の構造が崩れていくのが分光学的に見えている一方で,ソルビトール修飾ポリマーを混在させるとそういった構造変化が見えなくなる点が確認されている.もう一つの可能性として,ソルビトール部分が水を溶かし込んでいて,その水分で酵素が保護されている可能性についても,QCM(クォーツクリスタルマイクロバランス,水晶などを発振させておき,その表面に何かが付着して重さが変わると共振周波数が変わることを利用した微量重量計)を用いて測定を行い,酵素を覆うほど多量の水分は付いていないことを確認している.このため,著者らの目論見通り,酵素周辺に漂うソルビトールの水酸基が酵素を保護し,高い活性や高耐久性を実現している可能性は高い.

まだまだ耐久性などに課題は残るが,アイディアはなかなかに興味深い.(2017.2.21)

 

171. 物性物理の聖杯,金属水素がついに実現……か?

"Observation of the Wigner-Huntington transition to metallic hydrogen"
R. P. Dias and I. F. Silvera, Science, in press (2017).

※今回のこの話題に関しては,金属水素の室温での超伝導の可能性だとか,圧力を取り除いても準安定状態で金属水素が取り出せる可能性だとか,それによって超高圧縮状態の固体水素が作れるんじゃないかとかそういった話が出回っているが,そういったことが実現する可能性は非常に低いことは心に留めておいてほしい.
確かに軽原子は振動数が高いため,BCS理論などの予測にあるように非常に高い超伝導転移温度が実現できる可能性はゼロではない.しかしながら,超伝導転移温度は様々な要因による決まるものであるため,水素だから室温超伝導,というわけでもない.
ましてや,金属水素を準安定状態として常圧下に取り出せる可能性は,ゼロではないが今のところかなり低いと思っておいた方が良い.
一応,いろいろな仮定(いってしまえば,有利な仮定)をおいた理論計算から,「常圧下に準安定状態として取り出せる可能性もゼロではないよ」とか「その状態で室温超伝導を示す可能性もゼロではないよ」とかの論文はあるが,十中八九無理,万一できたら儲けもの,ぐらいだと思っておいた方が良い.

物性物理/固体物理の聖杯,金属水素探索の最新版である.
金属の電子物性,バンド構造の議論をする場合,仮想的なモデルとしてよく用いられるのが水素原子のような「緩く束縛された電子を1個だけもつ原子が,十分密に詰まった系」である.こういった系の特徴は容易に計算でき,金属の伝導に関する知識を学ぶのに適した系であるといえよう.もちろん現実の水素原子は二原子分子を構築してしまうため,このような単純な描像は成り立たなくなってしまう.
さて,もし水素ガスが十分に強い圧力によってぎっちりと圧縮され,分子間距離が十分に縮んだらどうなるだろうか?こうなるともう二原子分子という描像は成り立たなくなり,シンプルなモデルで考えたような「電子を1つだけ持つ原子がみっちり詰まった金属状態」,つまりは金属水素が実現できると単純には考えることができる.
このような示唆に富んだ……しかしながら脳天気な……予測がWignerとHuntingtonによってなされてから80年以上,高圧物性の研究分野において金属水素を実現しようという試みは星の数ほど行われてきている.ところが水素は,当初の楽観的な予測である25 GPa(=約25万気圧)で金属化しなかったどころか,様々な理論的予想を裏切り続け,ついには100 GPaを超えても金属化しないという,いわば物性物理における聖杯のような状況となっている(*).
これはまあ,水素分子というものの結合がかなり強く,しかも分子のパッキングの仕方がいろいろある&水素原子自体の量子性もかなり効くなど,実は意外に計算が難しいということでもあるのだが.このため,金属水素の探索(と未発見)は高圧技術や固体電子状態の第一原理計算などに多くの刺激を与え,それらの発展を促進してきたともいえる.

(*)ただし,木星内部などの非常に高圧の領域では水素が勝手に圧縮され金属化していると予想されている.このようにして生じた金属水素は対流によるダイナモ機構により強力な磁場を生み,木星型惑星の進化に大きな役割を果たしていると考えられている.

閑話休題.
そんないつまでたっても手の届かなかった金属水素であるが,近年,ようやくその尻尾が捕まり始めている.一つはパルスレーザーを用いた衝撃波による圧縮であり,非常に高温・高圧を実現できるため金属伝導と思われるものが観測されている.ただし,パルス状の圧縮であるため現象が非常に瞬間的で,その測定結果にはいくつかの実験上のエラーが入り得ることや,断熱圧縮による加熱の影響を排除しきれない点がやや難点である.
もう一つは,とにかくダイヤモンドアンビルセルでガンガンに圧力をかけまくるという手法なのだが,金属化まであと一歩のところまで来たものの加圧の限界が見えていて実験が困難,という問題点もある.
今回報告されたのは,細かな工夫を重ねることで印可圧力をぎりぎりまで高めた結果,水素が金属光沢を示すようになった,というものである.

まず実験上の工夫であるが,著者らは「どうやってダイヤモンドアンビルセルの破損を防ぐか?」という点を追求した.著者らの考えるセル破損の原因は,表面に微細な欠陥が存在することによる応力の集中による破損,高圧下での水素の侵入による劣化,そしてレーザーによるダメージである.
まず前者の欠陥を除くため,セル内側表面を5 μmほど鉄を用いた化学研磨により削り取り,きれいで欠陥の少ない表面を作成した(AFMによる観察で,表面粗さ1 nm以下).さらに歪み・内部応力を取り除くために真空中でアニールする.
続いて水素の侵入に対する対策だ.水素の侵入は当然温度が高いほど起こりやすいので,実験中はダイヤモンドアンビル全体を液体窒素温度または液体ヘリウム温度に保ち,複数回のランの間もその温度に保っている.室温への昇温を行わないことで劣化を最小限にするわけだ(その代償として,室温での実験はあきらめている).また,アルミナが水素の侵入に対しバリアとなることが知られているため,セル内部を50 nmの厚のアモルファスアルミナで覆った.なお,2000 Kまでの高温においても,このアルミナ被膜が高圧水素によってやられたり,逆にサンプルを汚染しないことは過去の実験で確認済みとのこと.
レーザーに関しては,かなり弱いものや,赤外領域のレーザーであってもダイヤモンド表面のグラファイトかを促進するため,できる限り使用を控えた.特に青色あたりの領域はダメージが大きいので使用には注意が必要である.そのため,著者らは観測においてはできるだけ赤外,しかもレーザーではなく熱源によるインコヒーレントな光(まあ要するに白熱電球の仲間)を用いた.

次に問題になるのは圧力の測定だ.88 GPaまでは,ルビーの蛍光波長が圧力依存することを用いる通常の手法を用いている.135〜335 GPaの領域では,赤外分光による水素分子の振動波長を用いることで圧力を測る.この段階では水素はまだ透明であり,様々な計算との組み合わせにより赤外吸収と圧力との関係はだいぶわかっているといえる.
これ以上の超高圧領域では,超高圧下で生じるダイヤモンドのラマン散乱を利用する.圧力とダイヤモンドの振動との関係も計算などを組み合わせある程度正しいと信じられる関係式が知られているので,これを用いて圧力を決定する.ただしRaman散乱の測定にはレーザーが必要となるので,ダメージを最小化すべく最高圧力のみを正確に求め(その結果,最大荷重でセルをつぶしたときの最高圧力が495 GPaと求まった),それ以下では圧力がかけている荷重にほぼ比例するだろうということで大まかな予測を行う.

測定は,主に光学的手法によるものとなる.それもほとんどは分光というようなものでもなく,弱い光を当て,その反射をカメラで検出する,というようなものだ.
では,その結果を見ていこう.圧力が335 GPaを超えたあたりから,水素は明確に不透明の黒色へと変化していった.これは以前にも観測されているもので(ただ,その際はもうちょっと低圧で生じると報告されていた),ギャップの狭い半導体か,やや伝導性のあるものであると考えられている. その後しばらくは黒色のまま推移したが,圧力を465 GPaから最高圧である495 GPaに切り替える間のどこかで,サンプルが急激に金属光沢を放つようになることが観測された.装置の都合上この間を細かく測定することはできていないが,もしこの金属光沢の発生が金属水素への相転移であると仮定すると,その転移圧力は465〜495 GPaの間のどこかにある,ということになる.
金属光沢が確認されたので,著者らはいくつかの波長で反射率の測定を行っている.といってもまあ,使用しているのはたったの4波長(1550,647,532,405 nm)であるのだが,あまりいろいろなレーザーを当ててセルを壊すわけにもいかないのでしょうがないのだろう.
測定した生データでの反射率は,例えば5 K,495 GPaでは,各波長で順におよそ0.9弱,0.85,0.67,0.52程度となる.ただしこの圧力ではダイヤモンドによる吸収がそこそこあるので,それを大まかに見積もって補正すると全波長域で反射率はおよそ0.9〜0.85の間程度,となる(短波長ほど少し下がる).これだけ高い反射率ということは,確かに金属的な可能性が高いとは考えられる.

反射率の波長依存を直線で近似し,それに対してドルーデモデルを適用することでプラズマ周波数を見積もっている.それによると,5 Kでプラズマ周波数がおよそ32.5 eV,ここから(ドルーデモデルが成り立つとすると)キャリア密度が計算でき,およそ7.7×1023/cm3となる.この値は,この圧力下での水素原子の密度の理論予測の数値とほぼ一致しており,ということは水素原子1つあたりちょうど1つの伝導電子がいる,つまり水素が単原子状の金属水素となっていることを示唆しているといえる(水素分子のまま金属化すると,キャリア密度が変わる).
ただまあ,たった4点の測定点で強引にドルーデモデルを適用しているので,このあたりの議論に関してはまだかなり怪しい部分もあり,今後さらに詰める必要もあるだろう.

というわけで,金属水素探索の最新版であった.
限界ぎりぎりの圧力で高反射状態が出た,というのはなかなか興味深いが,まだまだ詰めなければならない点は多い.とはいえ,着実に進んでいるようで何よりである.(2017.1.28)

 

170. ビスマス単結晶における常圧下超伝導

"Evidence for bulk superconductivity in pure bismuth single crystals at ambient pressure"
O. Prakash, A. Kumar, A. Thamizhavel and S. Ramarkrishnan, Science, 355, 52-55 (2017).

ビスマスという元素がある.単体では比較的融点の低い物質であり,個人でもわりと簡単に(と言ってもまあ,それなりに面倒ではあるが)融解して結晶を析出させられ,しかも表面に薄い酸化皮膜による虹色の構造色が表れるため比較的人気のある物質である.
このビスマス,実は固体物性の分野とは切っても切れない歴史的に重要な物質である.ビスマスで発見された(or 初めて確認された)物理現象を挙げると,反磁性(ビスマスはその特徴的なバンド構造により,非常の大きな反磁性を示す),ネルンスト効果(導体に対し温度勾配とそれに直交した磁場をかけると,熱によって移動するキャリアの軌道が磁場で曲げられるためキャリアの空間分布に偏りが出て電場勾配が生じる),巨大な磁気抵抗効果(磁場の印加により抵抗が劇的に増大する.大まかにはわかっているが,現在でもメカニズムが完全に解明されたわけでは無い),シュブニコフ-ド・ハース(金属において,抵抗が磁場の逆数に対し周期的に振動する.これを使うと金属のフェルミ面のサイズや形状に関する情報が得られる),ド・ハース-ファン・アルフェン(金属において,磁化が磁場の逆数に対し周期的に振動する.シュブニコフ-ド・ハースと似たような起源をもつ現象であり,同様にフェルミ面の決定に使用される)など,さまざまな現象が見出されている.

ビスマスでさまざまな現象が見出される一つの理由は,その特徴的なバンド構造にある.ビスマスはほぼ単純立方格子の構造をとっているのだが,低次元不安定性に関連したパイエルス歪みにより微妙に歪んだ構造となっている.もしビスマスが単純立方格子のままならば,ギリギリで重ならない価電子帯(しかも電子で埋まっている)と伝導体(電子は空)からなる「非常にギャップの小さい絶縁体(というか半導体というか)」になるはずなのだが,前述の歪みによりバンドがほんのわずかだけ重なり,それにより価電子帯からほんのちょっと電子が抜け正孔を生じ,同時に伝導体にほんのちょっとだけ電子が入る.これら非常に数の少ない正孔と電子が電気伝導を担うため,ビスマスは半金属となる.しかもこの微量のキャリアが存在する部分のバンドの形状は「エネルギーが波数に対して直線状に増加する」という,いわゆるディラック粒子(固体中の伝導電子に関して言うときは,ディラック電子とも呼ばれる.ビスマス以外でも,グラフェンなどで見出される)と見なせるような形状であるため,これまた物性物理的になかなか興味深い研究対象である.ディラック電子は有効質量が(理想的には)ゼロとなったり,格子振動による散乱を受けにくいなど実用上および基礎物理上非常に興味深い特徴をいくつも示す.
まあそんなわけで色々な現象が見つかっていたビスマスなのであるが,これまで常圧中での超伝導は見つかっていなかった.圧力下では超伝導を示すのだが,この場合結晶構造が変わってしまうため,元々のビスマスのもつ「ディラック電子が存在する半金属」という面白い点がなくなってしまう.
今回報告されたのは,高純度のビスマス単結晶を作成し,その温度を非常に低温にまで下げたら,0.5 mK以下程度の極低温で超伝導転移が観測されたよ,というものになる.

実験であるが,著者らはまず良質なビスマス単結晶を作るところからスタートしている.と言うのも,ビスマスは非常に微妙な歪みによって生じるほんのわずかなキャリアが伝導を担う系であるため,わずかな不純物の存在がその物性を大きく変えてしまうためである.例えば歴史的にも,Shoenberg & Uddiが行った磁気歪みに関する実験で,純度99.995%のビスマス単結晶は不純物による妙な挙動を示したが,純度を99.998%に挙げるとそういった挙動が観測されない,というような事が知られている.今回著者らも,ブリッジマン法(温度勾配をつけた炉内で一端を閉じた筒状容器内に入った棒状試料を移動させ,端から少しずつ冷えて固まっていくことにより良質な棒状結晶を得る手法.多くの無機物質の高純度な単結晶作成に使用される)を用いて純度99.998%のビスマス単結晶(サイズは2×0.2×0.2 cm3)を2つ作成し,それらを用いて測定を行っている.
このロッド状のビスマス単結晶を,ビスマスに不純物が移行しないようにこれまた高純度の銀(99.999%)のロッド上に固定し,測定を行った.超伝導が発生したことの確認はサンプルの完全反磁性の測定で行う.そのために,微弱な磁場を発生させるための外部コイルを試料の外側に配置し,試料に超伝導体で出来たピックアップコイルをまき付け,SQUIDを用いて微弱磁場を測定する.もしビスマスが超伝導になれば,外部コイルが微量の磁場を発生した際にビスマスの部分では超伝導電流による逆磁場が発生するため,ピックアップコイルでそれを測定する事で超伝導が発生したかどうかを確認できる.
もしビスマスが超伝導になるにしても,過去の研究からその温度は10 mK以下である事がわかっている.これだけ転移温度が低いと言うことは,かなり弱い外部磁場でも超伝導が破壊されることを意味しているので,きちんとした測定には装置外からの磁場を遮断する必要がある.そこで測定系を4重の鉛のフィルムで覆い,さらにその外側を透磁率の高い磁気シールドで覆ってある.鉛は7.2 Kで超伝導転移を起こすため,それ以下の温度では完全反磁性により外部磁場を遮蔽し,測定系をゼロ磁場(正確には,10 nT以下の磁場)にすることが可能だ. サンプル(とそれを覆う磁気シールドを含めた測定系)は銅の板の上に乗せられる.冷却は希釈冷凍機で5 mKの極低温にまで冷やした後,断熱消磁(*)を用いて0.1 mKにまで冷却される.そこから熱リークにより徐々に温度が上がっていくことを利用し,温度変化を測定する.

*銅板に強磁場を印加すると,銅の核スピンが磁場方向に対しある程度整列する.この状態で温度を下げ,磁場を取り除くと,「本来のその温度での核スピンの向きの熱によるばらつきよりも,スピンが揃っている(=ばらつきが少ない)状態=核スピンの向きに関する温度が低い状態」が実現する.時間と共にスピンは「ランダムな方向=温度の高い状態」に向かおうとするが,そのために周囲から熱を奪う必要があり,結果として周辺が冷却される.これが(核)断熱消磁による冷却法である.

この領域になると,温度の測定も一苦労である.今回の実験では,こういった極低温でよく用いられる195Ptの核スピンを用いた195Pt NMR温度計が利用されている.NMRは磁場中で核スピンを揃え,その歳差運動を検出する(ような)手法だが,磁場中でどの程度核スピンが整列するかは温度によって変化する.温度が低ければそれだけばらつきが少なく,大きなシグナルが観測できる.これを逆に利用し,核スピンの整列度合いから温度を決めてやるのがNMR温度計だ.ただこれはあくまで二次温度計であり校正が必要なので,10 mKでSQUIDを用いた熱雑音温度計(量子ゆらぎの程度が温度に依存するので,それを利用した一次温度計)およびセリウムマグネシウム硝酸塩の磁化率を用いた温度計で校正し(いずれも1 mK以下などの極低温では利用できない),それをもとに低温側の温度を195Ptで測定する,と言う流れになっている.
(ただし195Pt温度計は磁気遮蔽されたサンプルスペースの外側にあるので,サンプルとの間にごくわずかな温度差が生じている可能性はある.まあ両者とも断熱消磁用の銅板に同じように固定され,しかも全体が熱シールドに囲われているのでそこまで大きなズレではないはずだが)

さて,測定結果であるが,2つの異なるサンプルを用いて測定した結果,いずれもおよそ0.53 mKで完全反磁性を示す超伝導状態へと非常にシャープな転移を示すことが明らかとなった.なお,完全反磁性を測定するために0.4 μTの微弱な磁場を印加しているため,ゼロ磁場での転移温度はもうほんの少しだけ高い事が予想される(といってもほぼ無視できる程度だが).磁場を変えながら転移温度を測定し,それを0 Kへと補外した結果から,絶対零度での臨界磁場は5.2 μT程度になると予想される.これはRhの臨界磁場とほぼ同程度となるが,フェルミ速度(フェルミ面近傍の電子の群速度)などはビスマスの方が(キャリアの少なさを反映して)2桁ほど低い.
この超伝導転移がきれいな系(クーパー対のコヒーレンス長が十分長い.例えば第一種超伝導体)なのか,汚い系(コヒーレンス長があまり長くない.例えば第二種超伝導体)なのかを見積もるために,コヒーレンス長をBCS理論における式を使ってフェルミ速度および転移温度から計算すると,コヒーレンス長は96 μmと求まる.ビスマスにおいてはその特徴的なバンド構造のため格子振動による散乱を受けにくく,通常時の平均自由行程が300 μmとコヒーレンス長より十分長いため,96 μm程度のサイズに渡ってクーパー対がきちんと広がることが出来,また96 μmはビスマスの超伝導状態における磁場侵入長よりだいぶ大きいと考えられるため,ビスマスは第一種超伝導体であると考えられる.
(ただし次に述べるとおり,BCS理論がどこまで通用するのかは不明である)

しかしながらその一方で,観測された転移温度の磁場依存性などはBCS理論による予想と一桁食い違うなど,単純な第一種超伝導とは異なる部分も見受けられる.この一つの理由は,BCS理論で仮定している前提が,ビスマスでは成り立たないという点にあるだろうと著者らは指摘している.BCS理論においては,十分な密度のキャリアが存在し,それにより十分大きなフェルミエネルギーとなり,その結果フェルミ面のごく近傍にある電子のみが格子振動と相互作用する,と言う近似が行われている.
この近似自体はほとんどの金属で成り立つものなのであるが,例外的に極端にキャリア数が少ないビスマスでは当然成り立たなくなる.ビスマスの場合,原子10万個程度に1つしかキャリアが存在せず,バンドの底にほんの少しのキャリアがあるだけの状態だ.このため,事実上伝導に関わる全ての電子が格子振動と相互作用し得ると言う状況になっており,BCS理論の前提が崩れてしまう.また,キャリア数の少なさは電気的な遮蔽の少なさも意味し,相互作用のスケールはかなり広くなり得る.
このような事から,ビスマスで観測された超伝導転移はBCSそのままでは取り扱えない可能性がある.そのため,ビスマスの超伝導を良く研究することで,超伝導に対する新たな知見が得られる可能性が示唆されている. (もちろん,単にBCSを微妙に焼き直しただけの結果しか得られない可能性もある)

結果はともかく,そこに至るまでの過程というか,極限を測るためにちりばめられる極低温物理の技術の数々が読んでいて面白い論文であった(極低温分野では広く使われている技術のようではあるが). (2017.1.17)

 

169. 細胞の機能を模した分子情報処理系

"Controlled membrane translocation provides a mechanism for signal transduction and amplification"
M. J. Langton, F. Keymeulen, M. Ciaccia, N. H. Williams and C. A. Hunter, Nature Chem., in press (2016).

細胞というのは,一つの巨大な情報処理系とも見なすことが出来る.
通常時は周囲から取り入れた栄養を元に生命活動や増殖をルーチンワーク的に行っているが,外界の変化,例えば温度変化や周辺のイオン濃度の変化であるとか,他の細胞からの化学的な刺激をインプットとし,それに応じて内部ストレージであるDNAから必要なデータをデコードして各種タンパク質を生産,それにより内部状態の変化(例えば不要な分子の分解や,熱耐性などの向上など)や外部へのアウトプット(他の細胞への刺激の伝達等)を行っている.
こういった見方は(多分)ここ10〜20年程度の間に出てきたものであるが,例えばNTTドコモなどは「遥か将来の通信技術」を見据えての基礎研究として分子通信を産学連携で研究してみたりするなど,これまで生体系の研究に関わっていなかった研究者・研究組織がバイオミメティックな研究を行う切っ掛けともなっていると言えるだろう.
さてこのような細胞を模倣するような研究,究極的には細胞レベルのサイズでの情報処理・化学的処理を行うのが理想ではあるのだが,やはり実際の細胞の行っていることはとんでもなく高度すぎて非常に複雑奇怪,現代の科学技術ではその一部を模倣するのがやっとと言ったところで,現時点では一つ一つの要素技術−電子回路で言えば一つ一つの素子−を開発している段階にあると言える.
そんななか今回の論文で報告されたのは,細胞膜を介しての情報伝達および化学的増幅を模倣したシステムである.

生物を作っている細胞は,細胞膜によって外界と区切られている.細胞膜を作っている主成分はリン脂質であるが,これは水溶性のリン酸イオンに,親油性(=疎水性)の長い炭化水素が2本結合した分子であり,洗剤などに使われる界面活性剤と類似の構造をしている.
細胞が存在している水中では,疎水性であるリン脂質の炭化水素鎖部分が水に触れている状態はエネルギー的に不利であるため,多数のリン脂質分子が集合し,互いの疎水部分を内側に,親水性のリン酸部分を外側に向けた二重膜構造を作っている.膜の両面はリン酸基が密集しており水中でも安定で,膜内部は炭化水素が密集しているため疎水性の領域となっている.膜自体の内部が疎水性となっているため,細胞周辺(=水中)および細胞内に溶けている各種水溶性分子・イオンはそのままでは膜を通過することが出来ず,細胞膜は外界と内部とを化学的に遮断している.
しかしその一方で,細胞は外界の変化に応じて適切な応答を示さなければ生存することが出来ない.例えば外部環境の酸性度が上がれば,それに対抗する処置をとる必要があるし,多細胞生物なら周囲の細胞と何らかの情報交換を行って共同的な動作を行う必要がある.このような事を可能にするのが,細胞膜という液状の膜に「浮かんで」いる各種の膜タンパク質である.これら膜タンパク質は,外界(や細胞内)の特定のイオンや化学種を通過させるゲートの役割を果たしたり,外界の刺激をキャッチして細胞内部に刺激を伝達する通信路としての役目を果たしている.細胞内では,その微弱な刺激を元にさまざまなタンパク質による触媒反応等が駆動され,外的条件の変化に対する応答となって表れる.
今回の論文が実現したのは,こういった「外界の変化を,内部における触媒能の変化として伝達する」という分子系になる.

ではその「今回の研究の肝となる分子」を見ていこう.
基本的な構造は,上下に異なる置換基を組み込んだ棒状分子,と言ったところか.中心となる棒状部分はステロイド骨格を持ち,疎水性となる.分子上部には環状アミンが結合しており,中性〜酸性条件下ではこの窒素上にH+が結合することでイオンとなって親水性になる.要するに,「分子上部」は中性〜塩基性条件下で疎水性,酸性条件下で親水性となるわけだ.
一方,分子下部には複素環等で窒素を複数個含む部位が結合されており,一部はC=N-OHという構造をもつオキシムとなっている.こちらは,酸性条件下では疎水性の構造となっているが,pHが塩基性に傾くとオキシムからH+が引き抜かれ親水化,さらに複素環等の窒素で遷移金属イオン(この実験ではZn2+)を取り込んで錯体を構築することができる.錯体状態は電荷を持つため親水性であるのと同時に,中心の亜鉛イオン部分がエステルの加水分解反応の触媒として作用することが出来る.
要するに,A-ステロイド-Bという構造の分子であり,

酸性条件下:Aは親水性,Bは疎水性
塩基性条件下(Zn2+も含む):Aは疎水性,Bは親水性(触媒活性ももつ)

となる.ここでポイントとなるのが,AとBとを繋いでいる棒状部分の長さだ.今回の実験では,この棒状部分の長さを比較的短くしており,AとBが同時にリン脂質二重膜の外に出る(=分子が膜を貫通する)ことが出来ない.長さが足りないため,A側を細胞膜(を模したリン脂質二重膜の球体)の外に出そうとすると,B側は細胞膜に引きずり込まれ,B側を細胞膜の外側に出そうとすると,逆にA側が細胞膜に飲み込まれてしまう.
細胞膜を形作るリン脂質分子を〇―(〇側が親水性のリン酸基,―が疎水性の炭化水素鎖),今回合成された分子をA―Bとして図に書くと,こんな感じだ.

1. 中性〜酸性条件下(Aが親水性,Bが疎水性)
※細胞の外側
〇〇〇〇〇〇A〇〇〇〇〇〇
|||||||||||||
||||||B||||||
〇〇〇〇〇〇 〇〇〇〇〇〇
※細胞の内側

2. 塩基性条件下(Aが疎水性,Bが親水性)
※細胞の外側
〇〇〇〇〇〇 〇〇〇〇〇〇
||||||A||||||
|||||||||||||
〇〇〇〇〇〇B〇〇〇〇〇〇
※細胞の内側

要するに,細胞の外側が酸性条件になるとBが引っ込み触媒作用が無くなり,細胞の外側が塩基性条件下になるとBが細胞内に突っ込まれて細胞内で触媒作用を示す,と言うわけだ.これにより,細胞外部でのH+の濃度変化を,細胞内部での化学反応の速度変化として伝達することが可能となる.

では実験結果を見てみよう.
実験においては,細胞(を模した脂質二重膜で出来た球体)内には緩衝溶液をいれておいてpH 7(=中性)で安定させておく.溶液中にはZn2+も少し入れておき,触媒反応における補因子(触媒反応を補助する物質)とする.細胞中には蛍光性のピレン骨格に3つのスルホ基(-SO3-,水溶性にするために付けられている)と一つのメチルエステル(-COOCH3)をくっつけたものを入れておく.この分子はメチルエステルが付いた状態では蛍光を示さないが,エステル部分が加水分解されカルボン酸(-COOH)となると蛍光を示すようになる.これを使うことで,細胞内でのメチルエステルの加水分解反応がどの程度進んでいるのか,を光により容易に検出できるようになるわけだ.なお,このピレン誘導体は負イオン部分を3つも持つため親水性が高く,疎水性の細胞膜内には侵入できない

まず最初は,外部溶液も細胞内と同様にpH 7に保っておく.この状態では細胞外にAが露出し,触媒活性を持つBは細胞膜内にめり込んでいるため,ピレン誘導体はゆっくりとしか加水分解されず,蛍光は時間が経っても微増する程度である.
ある時点で細胞外の溶液をpH 9の弱塩基性にする.すると今度はA部位が引っ込み,細胞内部にBが露出する.するとB(とZn2+が錯体となったもの)が細胞内に露出,ピレン誘導体の加水分解が加速され,急激に蛍光が増大していく様子が観察された.
その後再び細胞外をpH 7に戻すと,またB部分が細胞膜内にめり込み,触媒反応は停止する.このため蛍光の増加速度は再びゆっくりに戻る.
結果をまとめると,(模擬)細胞の細胞膜に今回合成した分子をめり込ませることで,外界のpH変化に連動して細胞内での化学反応をon-offできた,という事になる.また,外界のイオン濃度のわずかな変化を,内部の化学種のさらに大きな変化へと「増幅」することにも成功している.どういうことかというと,水素イオン濃度がほんのちょっと変化しただけで,触媒反応によりその数倍の数の細胞内の分子を加水分解出来ているわけだから,1のインプットに対し数倍の(別の化学種の)アウトプットを実現する「化学的な素子」と見なせるわけだ.

という事で,まだまだ原始的ではあるものの,「膜で区切られた二つの領域間で,化学物質に基づいた情報伝達・情報増幅を実現できた」と言う報告であった.
何せこの分野自体がまだまだ原始的な状況であるので派手さには欠けるが,興味深い一歩である. (2016.12.27)

 

168. やわらかタッチパネル(すごく伸びる)

"Higly strechable, transparent ionic touch panel"
C.-C. Kim, H.-H. Lee, K. H. Oh and J.-Y. Sun, Science, 353, 682-687 (2016).

タッチパネルは現在では実にさまざまな場所で利用されているデバイスである.今後さらに利用は拡大すると考えられているが,例えば人体埋め込みやら皮膚や衣類の表面への貼り付け的な用途を目指したフレキシブルなタッチパネルの開発も盛んに行われている.今回報告されたデバイスもそのようなものの一つであるが,特徴はとんでもなく伸びることと透明度が高いことだ.

どのようなものかというのは,とりあえずまあSupplementary Materialsのムービーでも見ていただきたい.ほぼ出オチというかこれが全てなのであるが,まあ,こういうものである.

こいつの構造を簡単に説明すると,まずタッチパネル本体は単なるヒドロゲル(保水性のあるゲル.要するに紙おむつの中身のようなもの)に塩化リチウムを溶かし込んであるだけの物体だ.一応,塩の水溶液と同じようにイオン伝導があるので,交流なら流すことができる.この四角形の「タッチパネル」(という名のゲルの板)の頂点4箇所に電極を付け,全ての電極に正電圧を印加する.すると電極の表面には負イオンが貼り付き,いわゆる電気二重層が構成される.このため最初は微量の電流が流れるが,貼り付いたイオンによる電場が印加した電圧による電場を打ち消したところでそれ以上イオンの移動が無くなり,電流もゼロになる.なお,負極はアース(人体に貼り付けて使う場合には人体)にでも貼り付けておく.
ここでタッチパネルのどこかを指で触ったとしよう.指(人体)はアースに繋がっているので,これは指を介して新たなコンデンサが生み出されることに相当する.
つまり今までは回路図で書けば
電極---||(電気二重層によるコンデンサ)-----抵抗-----アース
だったものが,
電極---||(電気二重層によるコンデンサ)-----抵抗------||(指によるコンデンサ)----抵抗----アース
と,いきなりコンデンサが挿入された事に対応する.このため指で触れた瞬間に,四隅の電極には電流が流れる.この時,四隅の電極のどこにどれだけの電流が流れるかは指のポジションに依存するので(指に近いところの方が良く流れる),これを利用してタッチされた位置を検出することができる.
……というかまあ,この原理自体は,ヒドロゲルを使っている点を除けば静電容量式のタッチパネルそのものである.

では今回のこのデバイス,既存のものに比べた売りはなんなのだろうか?
まず,材質がヒドロゲル(とその中に溶け込んでいるイオン)であるため,伸縮自在である.ムービーでも出てきたように,10倍に引き延ばしても正常に動作する.伸び縮み自在でフレキシブルなタッチパネルだ.
そしてもう一つ,透明度が高いと言う点も挙げられている.何せ基本構造部分はタダの水溶液とほぼ変わらない.そのため光の透過率は98%を超える.また,ヒドロゲルと塩水みたいなものなので,生体に対する親和性も高い.

とは言え,これを何に使うんだというと疑問があるのも確かである.面白いっちゃあ面白いが,使えるかどうかとなると,うーむ……(2016.8.12)

 

167. 柔粘性結晶を用いる事で優れた性質を実現した有機強誘電体

"Directinally tunable and mechanically deformable ferroelectric crystals from rotating polar globular ionic molecules"
J. Harada et al., Nature Chem., in press (2016).

イオン結晶において負イオンの重心と正イオンの重心がズレているものであったり,分極をもつ分子が向きをそろえて配列しているような場合,その結晶は強誘電性をもつことがある.
強誘電とは磁石(強磁性)の電気版といった特徴だ.例えば磁石では特定方向に磁化され,一方がN極,他方がS極になり外部に磁場を発生するのに対し,強誘電性物質では一方に正電荷が,他方に負電荷が現れることで外部に対し電場を発生する.実際にはあり得ないことではあるが,例えば食塩中のNa+イオンが全て「右方向」にほんの少しだけ移動したような結晶構造(これは逆に,Cl-が全て「左方向」に少し移動した場合にも相当する)になったとしたら,結晶全体では右側に正電荷が,左側に負電荷が現れるようなものだ.
このような強誘電体,強い外部電場によって分極の向きが変えられることを利用して強誘電体メモリ(FeRAM)に使用されたり,分極に伴い若干の構造変化が起こる(逆に,圧力をかけると分極が変化する)ことを利用して圧電素子に使ったり,熱により分極が減少することを利用して自動ドアなどの熱センサーに用いられたりするなど,さまざまな応用が行われている.
FeRAMなどの記録素子やマイクロマシンの駆動系などさらに用途が広がることが期待されているこの強誘電体,現時点ではチタン酸バリウム(いわゆるチタバリ)をはじめとして無機材料が利用されることが多いのだが,最近になって有機強誘電体が注目を集めている.かつては特性が悪いだとかあまり開発が行われていないなどの理由で利用が限られていた有機強誘電体ではあるが,近年プロトンの移動を利用することで非常に大きな分極を実現したり,無機材料に比べると比較的低い外部電場で分極を反転させられる(=外場で制御しやすい)点,柔軟でフレキシブルな素子に利用できる点,塗布等により作成できるため焼結(高温処理)が必要な無機強誘電体に比べ作成が容易&周辺の素材へのダメージが少ない点などから注目を集めている.

そんなわけで注目の研究分野である有機強誘電体ではあるが,分子ゆえの弱点というものも存在する.単純なイオンからなる無機強誘電体に比べ,有機分子は一般に形の異方性が大きく,それゆえ分子が配列してできる結晶において「分極できる方向」が非常に限られているのだ.確かに有機分子であれば塗布法などで広い面積の素子を安価に作成できるのだが,内部的には多結晶(=無数の微結晶の集合体)となってしまい,結晶の向き(=その中の分子の向き)は場所ごとにバラバラとなってしまう.
前述の通り,有機強誘電体では結晶の向きと生じる分極の向きは強い相関があるので,向きがバラバラな結晶の集合体では,望んだ方向への分極は理想的な場合(=全ての結晶が同一の方向に揃っている)に比べ非常に弱くなってしまう.つまり,単結晶での特性に比べ,実際に量産される素子での特性が大きく劣化&特性のばらつきも大きくなってしまうのだ.この問題を解決するには,素子全体を単結晶にするなどして向きをそろえてやれば良いのだが,当然ながらそれはなかなか難しい.これに対し,全く別の側からの解決を提案しているのが今回の論文である.

今回用いられた物質は,quinuclidiniumという正イオン(quinuclidineという物質に水素イオンがくっついたもの)に,過レニウム酸(ReO4-)という負イオンを組み合わせた塩である.それぞれの構造は今回の論文の著者らによる紹介記事を見てもらうとわかりやすいが,どちらも非常に球形に近い分子であり,見るからに回転しそうなイオンとなる.今回の論文を主導している北大の原田先生は,もともと円盤状だったりといった回転しやすい分子を使った結晶を作りその物性と回転との関係を調べていた方なので,この研究もそういった流れから来たものであろう.
さてこの二つのイオンが組み合わさった結晶,基本構造(結晶の単位格子)は「ReO4-が立方体の頂点に位置し,立方体の中心にquinuclidiniumイオンが位置する」というものになる.この結晶構造は細かく見ると温度とともに3段階に変化する.高温相(367 K以上あたり)では両イオンとも3次元的にランダムに回転した完全な立方体となり,異方性は存在しない.分極をもった分子の向きが完全にランダムなのだから,この状態では強誘電は失われている.
温度が367 K以下に下がると,中間相が現れる.この状態では立方体の角度がごくわずかにひしゃげた状態(90度 → 約89.91度)となる.完全な構造解析ができているわけではないが,著者らの推測ではこの状態では立方体のある一つの対角を軸とし,その軸周りの方向にだけ(正イオン・負イオンとも)容易に回転できるような構造なのではないかと推測されている(地球の自転のようなものだ).そしてこの「対角軸」の方向に,quinuclidiniumのH+が位置し,分子の分極のベクトルはこの対角軸に一致する.強い電場をかけると全てのquinuclidiniumのH+が同じ方向に揃い,しかも立方体に生じたわずかな歪みのせいで特定の対角軸以外の方向へは分子が回転しにくいことから,一度向きが揃えられたquinuclidiniumはその向きを反転させることが難しくなる.つまり,強誘電性を示す.なお,これら高温相と中間相の二つにおいては,「分子の位置は決まっているが,その向きが自由に回転している」という柔粘性結晶(Plastic Crystal)と呼ばれる物質となる.柔粘性結晶はその名の通り柔らかく変形できるものが多く,このことが後に述べる利点の一つに繋がっている.
最後の構造が,345 K以下で現れる結晶相である.この状態では立方体はかなりひしゃげた構造にまで歪み,この異方性と相まってもはや分子は回転することができず,所定の位置で向きも固定された通常の結晶となる. 要するに,「丸っこい分極をもった正イオンと丸っこい負イオンを組み合わせたら,内部で自由に向きが変えられる物質ができたよ」ということだ.
さて,お気づきだろうか.この「分子でありながら向きが自由に変えられる」という特徴は,前述の「有機強誘電体は良い特性が色々あるけど,分子の向きが固定されているせいで多結晶試料だと思ったような特性が出ない」という欠点を克服できるものとなり得る.

というわけで実際に測定である.
まず,個々の分子が全く回転できない低温相であるが,この状態では強誘電性は示さなかった.著者らも推測しているとおり,低温相では結晶構造の歪みが大きく分子が全く回転できないため,分極の起源であるquinuclidiniumの向きの変更(=巨視的な分極の外場による変更)が出来ないということなのであろう.
続いて中間相である.この状態では,結晶は強誘電性を示した.つまり,結晶格子のわずかな歪みによって生じた異方性軸方向にそって,分極のプラスマイナスを外場によって自由に入れ替えることができる.さらに面白いのが強い電場をかけた場合である.通常の有機強誘電体であれば,分極できる方向は分子の向きによって決められてしまっている.例えば左右方向にしか分極できない結晶であれば,上下方向に強い電場をかけても何も起こらない.ところが今回の物質の中間相は,「ほとんど等方的なんだけれど,ちょっとだけ歪んだせいで特定方向に分極が出せる」というものである.そのままだと分極が生じない方向であっても,強い外場をかけることで強引に多くのquinuclidiniumの向きを「向きにくい方向」へと揃えると,逆に結晶構造の方が再変換され,そちらの軸へと歪んだ新しい向きに再整列されるのだ.つまり,試料が多結晶でさまざまな方向を向いたものの集合体であっても,後から強い電場を一方向に印加すると,全ての結晶の分極しやすい軸がそちら方向に揃う(そうなるように結晶が再度歪み直す).これはつまり,多くの無機強誘電体と同様に,素子を作成した後から分極軸を揃え,その特性を十全に発揮させることができる,というものであり,有機強誘電体の弱点であった「多結晶試料だと分極軸が揃わず特性が落ちる」という欠点を解決するものとなる.
最後に高温相であるが,ここではもう分子の向きは完全にランダムである.そのため,これを利用した分極軸の再調整を行うこともできる.高温相にして全分子の向きがランダムとなった状態で電場を印加し,そのまま冷却する.すると外場と揃った方向に分極を作った方が安定なので,中間相に移行する際に,外場と揃った向きに分極が発生するような方向に格子が歪む.つまり,分極軸を揃えることができる.

要するに,この物質は,素子を作成した後に以下の2つの方法のどちらかを用いる事で,分極軸の揃った強誘電体とすることが可能である.
(a) 中間相で強い電場を印加して分極軸を揃える
(b) 一度高温相にまで上げ,その状態で弱い電場を印加したまま中間相にまで温度を下げる

また,この物質は中間相以上では柔粘性結晶であることから,加圧成形が可能となっている.柔粘性結晶はその名の通り変形が容易であるものが多く,本物質もその例に漏れず中間相以上では粘土のように容易に変形できる.このため,試料を作成後に変形させてデバイスへと利用することも可能となっている.これは通常の無機強誘電体には無い特徴だ.

本物質は強誘電性を示す領域が室温よりやや高めとなるため,そのまま利用できるようなものではない.しかしながらその発想はなかなかに興味深く,こういった分子などの回転を利用した有機強誘電性の実用化に繋がれば面白い.(2016.8.5)

 

166. 硫鉄ニッケル鉱は安価な水素発生触媒となる

"Pentlandite rocks as sustainable and stable efficient electrocatalysts for hydrogen generation"
B. Konkena et al., Nature Commun., 7, 12269 1-8 (2016).

再生可能エネルギーが注目されるのに伴い,さまざまな蓄電システムの研究が急速に進んでいる.何せ大部分の再生可能エネルギーはその出力が不安定であるため,平滑化のために何らかの蓄電が不可欠であるからだ.蓄電手段としてはフライホイールなどの力学的エネルギーに転換しておくものや,化学エネルギーに変換する蓄電池が代表例であろう.
この化学エネルギーとしてエネルギーを貯蔵しておく手段の一つに,水素を発生させる,というものが存在する.水素は燃料電池などを使えば(ロスはあるが)再び電気に戻すこともできるし,何ならそのまま燃焼させることでさまざまな動力として利用する事も出来る.そのため,水素の発生・貯蔵・利用に関する研究は花盛りとなっている(ただし,問題も色々あるので本当に水素社会が来るのかどうかはわからない).

さてそんな水素の発生手段であるが,水の電気分解をはじめ,水素イオン(H+)を電気的に還元して気体の水素にする,という方法が有望だ.この水素還元反応においては白金触媒が非常に高い活性を示すことが知られており実用化もされているのだが,ご存じの通り白金は供給源が限られしかもかなり高価であり,もっと安価な代替材料の探索が進められている.
例えば近年研究されている材料としてはナノ化された遷移金属の硫化物や酸化物が存在する.これらはそこそこの活性を示すのだが,いかんせんナノ化するためコストがかかり,またナノ構造は繰り返し使用で崩壊していくことも多いため長期安定性にも疑問符が付く.さらにこれら硫化物・酸化物の多くは伝導性が低いため金属担体に担持してやる必要もあり,界面抵抗などのため大電流での利用は難しい(=単位時間あたりの水素発生量が限られる).酸化物や硫化物などではない金属単体なら良いかというと,今度は水素を発生させるための「H+を多量に含んだ溶液」=「酸」に浸った状態での安定性が低くなりがちだ.
これら無機の硫化物・酸化物とはまた異なる触媒として,金属錯体や生物由来の酵素といったものも存在する.例えば生物のもつヒドロゲナーゼは非常に優秀な触媒であるし,これにインスパイアされた無数の鉄・ニッケル錯体にも優れた特性を示すものは存在する.しかしこれらはやはり導電性が問題となったり,長期安定性に難を抱えていたりと,一長一短である.

今回報告されたのは,硫鉄ニッケル(Pentlandite,Ni4.5Fe4.5S8)という鉱物が非常に優れた水素還元触媒能をもつ,というものだ.著者らがこの鉱物に注目したのは,その部分構造にFe-S-Niという,生体中の酵素であるヒドロゲナーゼの活性部位とほぼ同一の構造をもっているためだ.これにより,類似の水素還元活性をもつことが期待される.しかもこの鉱物,硫化物としては珍しく,かなりの高導電性を示すことが知られている.このため,これまで研究されてきた酸化物や硫化物に比べ,内部抵抗によるロスが少なく,高電流での大量の水素発生が可能であると考えられる.

というわけで実験である.鉱物である硫鉄ニッケルがそのまま使えれば良かったのだが,残念ながら天然鉱物はかなりの量のケイ酸塩(非導電性)やマグネシウムイオン(不活性)を含んでおり,あまり高い活性は示さなかった.そこで著者らは硫黄・鉄・ニッケルを組成比で仕込んで1100 ℃で10時間加熱,純度の高い硫鉄ニッケルを作成して実験を行った.水素の還元電位を測定したところ,10 mA/cm-2の電流密度(そこそこ流している方だと思われる)で280 mVの電位であった.これは理想的な水素の還元電位より280 mV余計に電圧をかけないと還元が進まないことを意味しているのだが,既報の代替材料であるナノ化されたMoS2・NiSS・FeS2などの値とそれほどは変わらない.ただし,流している電流はこれら既報の材料に比べると1〜3桁ほど大きい.つまり,既報の代替材料と同じような活性を,1桁以上大きな水素発生量でも実現できる,という感じだ.
※なお,水素発生触媒の王である白金と比べると,100〜200 mVほど大きな電圧を必要とすることになる.さすがに白金にはかなわない.

通常(つまり,白金以外の開発されている代替材料において),こういった早い反応を起こすにはナノサイズ化して表面積を大幅に増加させることが必要であるが,今回の硫鉄ニッケルにおいてはそのような処置が一切必要ではない点は注目に値する.というか,ナノサイズ化してもこれ以上効率が良くなることも無いらしい.これは,試料の作成段階ですでに表面にナノレベルの構造が自然発生していることを示唆しているようにも思われる. また,界面におけるインピーダンスの測定からも,非常に効率よく電極からH+に電子が受け渡されていることが示されている.例えば代替材料として研究されている硫化モリブデン,NiS2,FeS2などと比べると今回の硫鉄ニッケルでのインピーダンスは数分の一以下と非常に低い値であった.著者らは,これはきっとNi-S-Feという構造があるからだろうと言っている(ただし現時点ではそれを示唆する証拠はあまり無い).

耐久性はどうだろうか?この点においても,硫鉄ニッケルは高いポテンシャルを発揮している.電極電位を±0.4 V(対水素電極)の範囲で掃引して試したところ,1000回ほど回しても特に劣化は見られなかった.0.5 Mの硫酸溶液中(pHで1弱)で電極電位を-0.6 Vに固定し水素を発生させ続けたところ,170時間後でも電極の顕著な劣化は全く観測されなかった.それどころか,水素の発生効率は何倍にも大幅に向上している.例えば初期では280 mV余分に電位をかけなければ還元できなかったものが,たった190 mVで良くなるなどが観測されている.著者らはこれについて「最表面の余分な硫黄原子が抜け,露出したFeやNiが活性点となっている」のではないかと仮説を立てた.実際,溶液中に硫化水素を溶存させ,抜けた(と思われる)硫黄を補ってやると,活性がやや低下するといった挙動が確認された.

なお,この物質は硫酸に限らず,塩酸,硝酸,臭素酸やリン酸なども同様に水素源として利用でき,効率もほぼ変化していない.さらには硫化水素を用いる事も可能である.多くの金属系触媒では,硫化水素などの存在下では金属が硫黄と結合してしまい活性が大幅に低下するのだが(被毒),本物質ではもともと硫黄とくっついており,しかも電解中に硫黄が微妙に溶け出していく方向なので,溶液中に硫黄が存在していてもあまり関係ないらしい.
さすがに白金と比べると効率は落ちるとは言え,思わぬところから面白い物質が出てきたものである.(2016.7.28)

 

165. 計算機支援により設計された高い安定性をもつカプセル状タンパク質集合体

"Design of a hyperstable 60-subunit protein icosahedron"
Y. Hsia et al., Nature, 535, 136-139 (2016).

ナノ技術の進歩とともにさまざまなナノ構造体が作成できるようになりつつあるが,この領域で圧倒的に先を歩んでいるのはなんと言っても生物の作るナノマシン類であろう.無数の分子が水素結合などの比較的弱い相互作用によって自発的に高度な機能を持つナノマシンとして組み上がる様は芸術的と言っても過言では無い.これら生物のナノ構造体,そのほとんどはタンパク質から構成されている.小さなタンパク質が,その表面に露出した各種の極性をもつ置換基間の相互作用によって組み合わさり,より大きな構造を作成しているわけだ.

さて,このようなタンパク質の集合によるナノ構造のなかに,いくつかの単純なタンパク質が自発的に組み上がることでできるカゴ状(カプセル状)構造が存在し,生物はそれをさまざまなところで利用していることが知られている.例えばウィルスはタンパク質が特定の個数組み上がってできる殻であるカプシドをもっているし,シャペロニンは折りたたみ途中のタンパク質をその内部に取り込み保護することで正しい形に折りたたまれるまでの間に変性が起こることを防いでいる.
こういったカゴ状の構造は,我々がさまざまな用途に使うのにも適している.薬剤を運ぶドラッグデリバリーや,内部空間を利用しての精密合成,医療目的でのセンシングなど,多種多様な用途が想定されている.しかしながら,サイズの決まったカゴ状分子を効率よく合成することはなかなか難しく,特にサイズの大きい領域ではその難易度が跳ね上がる.そこで,生物が用いているような「単純な構造のタンパク質を量産すると,それが自発的に組み上がって大きなカプセルになる」というような手法の開発が進められている.
近年,タンパク質分子間での相互作用の理論・経験則・計算機の発展の相乗効果により,タンパク質同士の相互作用はかなりのところまで計算ができるようになりつつある.分子をモデリングし,どのような置換基がどのような位置に来るのかを予想,それとうまく噛み合うような分子をデザインできれば,その部分がジョイントとして働き,多数のタンパク質を望み通りに組み上げ,巨大な立体を生み出すことができるはずだ.
今回の論文で報告されたのは,そのようにして直径およそ25 nmという巨大なカゴ状分子を設計し,実際に自発的に組み上がることが確認できた,というものになる.

著者らは正二十面体型のカプセルを作るにあたり,まず三量体を形成して三角形(的)な構造になるタンパク質の候補を計算機支援のもと設計した.正二十面体は正三角形が20枚集まって出来ているものであるので,この最小要素である3角形をタンパク質3分子の結合した三量体で担おうというわけだ.とりあえず,17種類の候補を設計したらしい.これらを大腸菌に量産させたが,細胞を溶解させ取り出す段階でそのうちの14種類は不溶なものになってしまい不適当.水溶性の3つのうち,2つは溶液中で三量体以上のさらなる多量体を不規則に形成してしまい,これまた不適.という事で,1種類の設計のみが生き残った.
続いてこの三量体がうまく組み合わさって正二十面体となるように,末端部分のいい感じの位置に水素結合出来る置換基が来るようにいくつかのアミノ酸を改変した.
完成した分子を大腸菌に量産させ抽出したものを電顕で観測すると,設計通りに直径25 nm程度の球状の構造が多数生成していることが確認された.また,この分子は60個(=三量体×20)がきれいに組み上がり,それ以外の中途半端な個数だったりより多くの個数が重合したものは確認されなかった.つまり,この分子が(大腸菌により)合成されると,自発的に60個が集合して同じ大きさのカプセルを作るわけだ.

※なお,著者らは正20面体と言ってはいるが,実際には正二十面体の各面(=三角形)の中心から3方向に棒状の構造が伸び手いるようなものなので,棒状の部分に注目してみるとワイヤーフレームで書いた正12面体に見える.まあ,正十二面体と正二十面体は同じ対称性に属する双子のようなものなので,あまり大きな問題ではないが.

このカプセルの最大の特徴はその頑強さである.
熱に対しては80 ℃程度まで耐え,構造を維持する.また,6.7 mol/Lと結構な濃度までのグアニジン塩酸塩(強い水素結合により,タンパク質を変性させることで知られる)に耐える.強力なタンパク質変性剤であるチオシアン酸グアニジンに対しては2 mol/L程度まで耐え,それ以上ではタンパク質が解離しカプセルが崩壊するものの,チオシアン酸グアニジンの濃度が下がると再び集結してカプセル形状が再生される.
さらに著者らは,このタンパク質を緑色蛍光タンパク質(GFP)が結合したものに変更しても(つまり,大腸菌に作らせる段階で,このタンパク質とGFPが結合したものを作らせる),内外に無数のGFPが結合したままカプセルを形成することを報告している.これはつまり,今回設計したタンパク質を基本骨格とし,その内外にさまざまな機能を持つタンパク質(等)を導入しても同様にカプセル状になることを示唆しており,応用面を考えると非常に有望である事が伺える.例えば外側に抗体を導入すればドラッグデリバリーに使えるカプセルになるし,外側に抗体,内側にGFPを導入すれば特定の患部を蛍光で浮かび上がらせることのできる指示薬として利用する事も出来るだろう.

人類の手による「ナノマシンとしてのタンパク質」の設計はまだまだ緒に就いたばかりではあるが,着実に一歩一歩進歩が見られる.今後もさまざまな発展を興味深く見つめていきたいところだ.(2016.7.9)

 

164. 地球の核の熱伝導:矛盾する二つの結果

"Experimental determination of the electrical resistivity of iron at Earth's core conditions"
K. Ohta, Y. Kuwayama, K. Hirose, K. Shimizu and Y. Ohishi, Nature, 534, 95-98 (2016).

"Direct measurement of thermal conductivity in solid iron at planetary core conditions"
Z. Konôpková, R. S. McWilliams, N. Gómez-Pérez and A. F. Goncharov, Nature, 534, 99-101 (2016).

地球の核は高温・高圧の極限状態となっている.例えば最も外側(液状化している外核の一番外側のあたり)ですら4000 K,百数十万気圧であり,内核(圧力により固体化している部分)の内側あたりでは6000 K,三百数十万気圧以上であると考えられている.このような極限状態で,核の主成分である鉄(実際には,これにニッケルと,少量のケイ素や硫黄や酸素等の他の元素が混ざる)がどのような物性値となるのかは,地球科学における重要な問題となっている.というのも,核(やその上部のマントル)における組成や構造,密度,粘性,そして今回の主題となる熱伝導率などは外核における対流に大きな影響を与えるためだ.
よく知られたように,地球の磁場は外核における熱対流が起源となっていると考えられている.自身の発生させた磁場中で導体である液状の鉄が運動すると,誘導電流が発生する.これが磁場を増強し,その結果また電流が……と連鎖した結果惑星の強い磁場が生まれる,というのがダイナモ理論の肝であるが,十分な磁場を発生するためには十分な対流が起こらなくてはならない.もし外核の熱伝導率が高ければ,高温側である内核との接触面と,低温側であるマントルとの接触面との間の温度が近くなってしまうため,内核側が相当熱くないと十分な対流が起こせなくなる.逆に熱伝導率が低ければ(=断熱性が高ければ),内核側がそれほど熱くなくても十分な温度差を作りだし,対流を起こすことが可能になる.

さて,そんな外核の熱伝導率であるが,近年の計算科学の進歩により,高温・高圧状態での熱伝導率の計算が行われるようになってきている.ところがそこから予想された値は,しばしばこれまでの推測値に比べかなり大きくなる事がわかってきた.もし本当に外核がそれだけ高い熱伝導率をもつのだとすると,内核の熱はかなり急速に外へと放出されることになってしまい,これまで考えられてきた以上に内核が急速に冷えていっている,という事を意味する.実は地磁気の研究から約13億年前に磁場の急増があったことが知られており,現時点ではこれは「核の冷却が進み,固体の内核がこの時点で発生したためではないか?」と言われているのだが,もし計算科学が予想するような高い熱伝導性が事実だとすると,内核の発生はもっと最近でなければならず(*),この磁場の急増の原因は別な何かに求めなくてはならない.

*現在のおおよその温度や,核からマントルへの放熱量は推定されている.もし熱伝導率が高かったとすると,核は今まで思っていた以上に急速に冷えてきている,つまり過去に遡っていくと,今まで思っていた以上に急速に熱くなっていく,という事になる.このため,内部が十分冷えて固体の領域ができる温度に到達する時期は,これまでの予想よりだいぶ現在寄りになってくる.

では,実際に外核部分の熱伝導率はどのようになっているのだろうか?もちろん,外核部分まで掘り進めてそこでの熱伝導率を測定することは(少なくとも現在の技術では)できないので,実験室系で何とかして超高温高圧を作り出し測定する事になる.このような実験は各所で行われており,実験技術を競い合っている.
さて,今回報告されたのは,このような高温・高圧状態での外核の熱伝導のモデルとして,純粋な鉄の高温高圧条件下での熱伝導を実験的に決めてやった,というものになる.一つは日本のグループが,高温高圧での熱伝導の主成分となる電子による熱輸送を求めようと電気伝導率の測定を使ったもの.もう一つはイギリス・ドイツなどのグループによる熱伝導の直接測定となる.

実験手法であるが,両グループともダイヤモンドアンビルセルで鉄のホイル(と,圧力媒体として入れている化学的に不活性な塩や酸化物の粉末)を圧縮して超高圧にし,その状態でレーザー加熱を行うことで高温に加熱している.なお,サンプルの温度は熱輻射を測定する事で決定しているが,当然ながらそんなに高い精度は出ない(数十度単位で温度を決定するのは無理).

日本のグループは,この状態で電気伝導度を測定し,そこから伝導電子による熱伝導率を推定している.高温の金属では格子振動による熱伝導よりも伝導電子による熱伝導の方が熱伝導率への寄与が大きいため,これによりサンプルの熱伝導率がほぼ決定できる,というわけだ.
測定の結果であるが,まず,高温側で抵抗が頭打ちになる傾向が見られた.温度が上がると格子の熱振動による抵抗が増大するため,通常は高温ほど抵抗が高くなる.しかしどこまでも抵抗が上がるわけではなく,抵抗が飽和していくような挙動が見えたわけだ.これに関しては,伝導電子の平均自由行程(=平均して,どの程度進む間に散乱されるか)が原子間距離程度になると,それ以上散乱が増えない(格子振動=原子による散乱なので,原子より短いスケールは意味が無い)ためであろうと考えられている.この結果,高温でも抵抗は比較的低い値に保たれ(=伝導率はある程度以上高い値をキープし),結果として熱伝導率も比較的大きな値となっており,求められた熱伝導率は226(+71 -31) Wm-1K-1であった.この実験は単なる鉄を用いたわけだが,実際の外核部分ではニッケルやケイ素も混在していると考えられている.それによる散乱の寄与を考慮すると,140 GPa,3750 Kの条件で熱伝導率はおよそ88(+29 -13) Wm-1K-1程度になるものと著者らは推測している.
この値は,地球の核がかなりの熱伝導率をもっており,急速に冷却されていることを意味しており,内核が発生したのは7億年ほど前という比較的「最近」であることに対応する.よって,約13億年前に起こった地磁気の増大は,内核の発生以外に理由を求める必要があるだろう.

と,これだけなら良かったのであるが,同じ号に続けて掲載されたKonôpkováらの報告は,これと真っ向から対立する結果である.Konôpkováらは,同様にダイヤモンドアンビルセル中の鉄ホイルを扱っているのだが,加熱状態のサンプルにさらにパルス状にレーザーで加熱することで高温の部分を作成,それが鉄ホイルの裏面や横方向にどの程度の温度・速度で伝播するのかを計測することで,熱伝導率の直接測定を行っている.そうして求まったデータをフィッティングした結果から,外核-マントル境界あたりに対応する3800〜4800 K,136 GPaでの熱伝導率は33±7 Wm-1K-1,内核と外核の境界に対応する5600〜6500 K,330 GPaでの熱伝導率が46±9 Wm-1K-1程度,という値が求まっている.さらに実際の核がNiやSiを含むことを考慮し,実際の値はこれらより10〜40%低い程度であろう,と結論づけている.これは電気伝導率から熱伝導率を推計した日本のグループによる結果よりかなり低く,むしろ古典的な推計に近い値である.

真っ向から対立する二つの結果が報告されたわけだが,どちらがより正しいと言えるのだろうか? 熱伝導率を直接測定しているKonôpkováの報告の方が正しいのかというと,実はそうとも言い切れない.測定的に,熱伝導率を測定するよりも電気抵抗を測定する方が遙かに容易であり,技術的な完成度も高い.今回のような熱伝導率の測定では,強烈な輻射のある中で,その微妙な変化を測定せねばならず,測定上の難易度もかなり高いだろう.
一方の日本のチームの測定も,これはこれで電気伝導率の測定から熱伝導率に直す部分が本当にそれで良いのか,というところに弱点を抱えている.測定難易度が高いが直接的な物理量が測れる手法が良いのか,測定は精密だが求めたい値そのものは求まらない間接的な手法が良いのか,これは一概には決めかねる状況だ.
そんなわけで,ますます混迷が深まってしまった地球の核の熱伝導である.今後も各地のグループがそれぞれの手法で結果を出してくるのであろうが,しばし注視していきたい.(2016.6.17)

 

163. ミミウィルスに存在した免疫系

Natureダイジェスト経由,
"MIMIVIRE is a defence system in mimivirus that confers resistance to virophage"
A. Levasseur, M. Bekliz, E. Chabrière, P. Pontarotti, B. la Scola and D. Raoult, Nature, 531, 249-252 (2016).

論文掲載時に見落としていたものだが,Natureダイジェスト経由で知ったので短めに紹介.

ミミウィルスと名付けられた巨大なウィルスが存在する.本体サイズにして0.4 μm,ゲノムで1.2 Mbと,下手な小型細菌よりも大きく,巨大な遺伝子をもつウィルスである.今回の著者らとそのグループは以前このミミウィルスを発見し,それ以後も「ミミウィルスに感染するウィルス」を複数発見したり,類似の巨大ウィルスであるマルセイユウィルスを発見するなど,この分野で精力的に活動を行っているグループだ.
このミミウィルスを初めとした巨大ウィルス類,無数の遺伝子をもっているだけではなく,その中には自身の複製に関与する遺伝子をいくつももっていたりする(*)など,通常のウィルスとはかなり異なることが知られている.さらに前述の通りミミウィルスに感染するウィルスが存在するなど(正確に言えば,アメーバに感染したミミウィルスが作成する,「ミミウィルスの量産工場」とでも言えるようなシステムに感染し,それを利用して増殖する),巨大ウィルスは「生物(細菌)と無生物(ウィルス)の境界は何なのか?」という部分に再考を促す面白い存在である.

*通常のウィルスでは,自身の複製に関してはほぼ全面的に感染した細胞の能力を利用している.しかしミミウィルスなどの巨大ウィルスでは,翻訳に関わる酵素の合成遺伝子など自己増殖に関する遺伝子をかなり保持しており,そういった意味でも「通常のウィルス」と「通常の細菌」の中間に位置するような,生命とウィルスの境界を曖昧にする存在であると言える.

さてそんな巨大ウィルスに関し今回報告されたのは,このミミウィルスがある種の「免疫系」をもっている,という驚くべき報告である.前述の通り,ミミウィルス(が,感染先であるアメーバ内で構築する自己複製システム)に感染するウィルスの存在が知られている.ミミウィルスには,この「自身に感染するウィルス」を食い止めるための免疫システムがあるというのだ.

いったんウィルスから離れ,原核生物の免疫システムを見てみよう.
原核生物にウィルスなどが感染すると,外来の遺伝子(DNAであったり,RNAであったり)が細胞内にばらまかれることになる.原核生物はこういった外来の遺伝子を検出する原始的なシステムをもっており,それらを裁断し,断片化された外来の遺伝子を自身の遺伝子のCRISPR領域に組み込むことで「記憶」する.こうして記憶されたDNA断片は転写されるとともにCAS酵素というDNAを切断する酵素に結合される.次に同種の外来遺伝子がやってきた際には,転写された断片がそれら外来遺伝子に素早く結合,隣接するCAS酵素により外来遺伝子は即座に裁断され無害化される.CRISPR領域に保存された敵の情報がいわば「抗体」として働き,パターンマッチングにより次からは素早く対処できるようなものだ.

著者らは,このCRISPR的な免疫システムをミミウィルスも備えているのではないかと考え,60株のミミウィルスの遺伝子配列を調べZamilon(ミミウィルスに感染するウィルスとしてよく知られている)の塩基配列(の断片)と一致する配列は無いか調査を行い,実際にそのような部位が存在することを発見した.さらにその近傍には,DNAをバラす酵素をコードしている部分が見つかり,原核生物におけるCRISPR-CAS系と同様,Zamilonのシグネチャと,それを見つけ次第破壊するための酵素からなる免疫系(の候補)が存在することが明らかとなったわけだ.
この部位が実際に免疫系として働いているのかを調べるため,著者らはこの部位をノックアウトしたものと野生型とで,Zamilonへの抵抗性に違いが出るかどうかを調べた.すると野生型ではZamilonのDNAが効率的に排除されたのに対し,CRISPR的な部分をノックアウトしたミミウィルスにおいてはこれらZamilonのDNAの排除がうまくいかず,感染が容易に進行することが明らかとなった.
このことから著者らは,ミミウィルスにおいても原核生物におけるCRISPR的な免疫システムが存在すると結論づけている.
この研究に対しては,ミミウィルスに免疫的なものがあるというのをきわめて明確に示したものとして評価する声が高いのだが,実際にどのように免疫系が動いているのかの詳細が現時点では全く明らかになっておらず,今後そのあたりを詰めるべきだろうという意見も述べられている.

そんなわけで,ミミウィルスの伝説がまた一つ.CRISPRの働きの解明がゲノム編集の有力なツールの開発に繋がったように,このミミウィルスの免疫システムからまた何か面白いものが出てきたりするのだろうか.(2016.6.7)

 

162. 特異な吸着特性を示すMOF(金属有機構造体)

"A pressure-amplifying framework material with negative gas adsorption transitions"
S. Krause et al., Nature, 532, 348-352 (2016).

近年,外場に対し通常の物質とは異なる応答を示す系が注目を集めている.よく知られているのは微細構造によって巨視的には負の屈折率を示す物質として振る舞うメタマテリアル(光学メタマテリアル)であるが,他にも圧縮しようと力をかけると逆に「伸びる」ような負の圧縮率をもつ物質(*)なども知られている.
今回報告されたのは,ガス吸着におけるメタマテリアルとでも言うような物質をMOF(**)を用いて作成した,というものになる.

*圧力をトリガーとして構成要素がより長い形状へと転移することで,擬似的に負の圧縮率が実現でき,力学的メタマテリアルなどと呼ばれることもある.他にも,負の熱膨張率をもつ物質や,負の比熱を示す物質など,さまざまなメタマテリアルを考えることができる.無論これらは全領域で特異な応答を示すわけではなく,ある転移点近傍でのみ特異な(=直感に反する)挙動を示す.

**金属有機構造体(Metal Organic Framework):金属イオンは,それぞれ特定の個数の配位子が特定の方向にくっついた錯体を作りやすい.このため,特定方向に接合部が伸びた「ジョイント」と考えることができる.ここに配位する有機分子として複数の配位点をもつ分子を用いると,これら「ジョイント」を結ぶ「棒」のような役割をもたせることが可能であり,その結果無数の金属イオンと配位子が規則的に組み上がった,多くの空隙をもつフレームが自発的に生成する.こういった構造体をMOFと呼ぶ.まあ,こんな説明を読むより,「Metal Organic Framework」で画像検索でもすればどういったものかは一目瞭然だろう.これらMOFは,空隙のサイズや,それを取り囲む有機分子を原子レベルで自由に設計できることから,特定のガスだけを吸着したり,特定のガスだけを透過させたりといったことが可能になり,ガス吸着やガス分離,触媒や触媒担体などへの応用が期待されている.

著者らは,新たなガス吸着材の作成を目的としてDUT-49(Dresden University of Technology No. 49)と名付けた新規MOFを開発,そのガス吸着特性の実験を行っていた.ガス吸着には色々な実験法があるのだが,例えばガスを少しずつ追加しながら圧力変化を測定し,「全く吸着が無かった場合に予測される圧力に対し,吸着があるとその分だけ容器内の圧力が低めに出る」事から吸着量が測定できる.そんな通常の実験をしていた著者らだったが,このDUT-49に111 Kの温度でメタンを吸着させたときの挙動はちょっと奇妙なものであった.
最初は通常のMOFと同じく「加えたメタンに対し,圧力上昇が緩やか」,つまりMOFにある程度メタンが吸着される,というものであった.ところがメタンの圧力が12 kPaを超えたあたりで,「追加したメタンの量以上に,容器内の圧力が上昇する」という挙動が観測されたのだ.つまり,途中までは「圧力を上げれば上げるほど吸着量が増える」という当たり前の挙動だったのに,ある瞬間に,「ちょっと圧力を上げたら,吸着が増えるどころか,それまでに吸着したメタン(の一部)を放出して,吸着量が減った」という変な現象が見られたわけだ.
直感的に想像されるとおり,普通は圧力をかけた方が物体の中にガスが染みこんでいきやすく,さらに弱い相互作用でも物質にくっついている可能性が高くなる.そのため,「圧力上げたら吸着量が減る」というのは異常な現象である.こういう異常な変化が起こる場合というのは,大抵何らかの構造変化が誘起されていると考えてまず間違いない.

そこで著者らはさまざまな吸着実験を行いつつ,構造変化の情報を得ようと放射光を用いた粉末X線の測定も行った.その結果推測されたのは,以下のようなメカニズムである.
そもそも本物質では,MOF内にサイズの異なる複数の空隙が存在する(Supplementary information Movie 2).緑色で示された非常に小さい空隙,黄色で示された小さな空隙,オレンジで示された大きな空隙である.メタンなどの炭化水素系ガスは,有機分子であるMOFの棒状部分との相性が良いため,この空隙の壁面部分に吸着するとエネルギーが低く,空隙の中心などではあまり安定化が起こらない.そのためまずは小さな空隙(=壁面が近い)である緑部分がガスで埋まり,その後黄色やオレンジのより大きめの空隙にガスが吸着していくと考えられる.ところがこの状態では,広い黄色やオレンジの空隙にガスは入れるものの,広い=壁面が遠い空隙中をガスが移動しているため吸着によるエネルギーの利得は少ない.むしろ,この黄色やオレンジの空隙がもっと縮んでくれた方が吸着力によるエネルギーの安定化が大きくなる.DUT-49では,この「狭い空間の方が吸着によるエネルギーの得が大きい」というものが駆動力となり,ある程度以上のガス圧(メタンの場合,111 Kで12 kPa程度)で急激に構造変化が起こり,空隙の大きな構造(ムービー中のDUT-49op)から空隙の小さい構造(DUT-49cp)への構造転移が誘発される.
この構造変化の結果,壁面付近に吸着している分子はエネルギーが大きく下がり安定化される.しかしながら,空隙のサイズそのものは非常に小さく縮小してしまい,大きな空隙の中心付近にいたガス分子は縮んだ空隙から押し出されてしまう.要するに,ガス圧が上がって来て黄色やオレンジの空隙の壁面付近の分子がある程度の個数になると,そいつらのエネルギーを下げるために構造変化が誘発され,そのとばっちりでいくらかのガスが絞り出されてしまう(=圧を上げたら,ガスが放出される),という事になる.
なお,さらに圧力を上げていくと,多少エネルギーの安定化が少なくてもより多くのガス分子を吸蔵した方がトータルでの得が増えるため,再び構造転移が起こり空隙サイズの大きなDUT-49op構造へと戻る.

この奇妙な圧力変化を示す物質(特定の領域で,圧が上がるとそれを増幅するような動作をする)が何の役に立つのか?というとなかなか微妙なところではあるが,特性としては面白い.今後誰かがこの特徴を活かした用途を考えつくだろうか?(2016.5.9)

 

161. H2Sの高圧下における高温超伝導の確かな証拠

"Observation of superconductivity in hydrogen sulfide from nuclear resonant scattering"
I. Troyan et al., Science, 351, 1303-1306 (2016).

2015年に発表された超高圧下でのH2Sの超伝導(実際には,高圧下で生じたH3Sが超伝導を担っていると推定されている)は,久しぶりの転移温度更新であるとともにこれまで主流であった銅酸化物系とは異なる物質系による高温超伝導と言うことで大きな注目を集めている.
この超伝導は,転移温度での抵抗の急落,磁場による低抵抗状態の破壊,弱磁場での反磁性といった超伝導体が示さなければならない特徴をいくつも示していることから「恐らく」超伝導であろう,とは考えられているものの,超高圧下でのみ発現するということで測定にはダイヤモンドアンビルセル(DAC)を使用しなくてはならず,しかも導入したH2Sの分解から生じたH3Sが示す超伝導という事でサンプルのうち一部分のみが超伝導となっており,「本当に超伝導が起こっているのか?」という部分に関しては議論も続いている(*).

*例えば,抵抗の急落は別の低抵抗相(ただし超伝導ではない)への転移でも起こり得るし,測定上のミスでもしばしば観測される.また反磁性に関しても,DAC(等)の示す大きなバックグラウンドの影響を差し引いて微弱なサンプルの磁化を測定する必要があるため,得られた結果が本当に超伝導体の示す完全反磁性を表しているのかどうかに関しては議論の余地がある.

今回,H2Sの超伝導を報告した著者らが続報として出してきたデータは,サンプルが超高圧状態で磁場の排除を起こしているというより確かな証拠であり,H2Sの超伝導の信頼性を大きく高めるものである.

著者らが用いた手法を簡単に言ってしまえば,「高圧下のH2Sの中に,磁気センサーを埋め込んだ」というものとなる.用いたのはSnの安定同位体の一つ,119Snでできたホイルである.
この核種は基底状態では1/2の核スピンをもっており,ここにシンクロトロン放射光を用いて23.879 keVのパルス光(波長約0.052 nm)を照射する.すると119Snの核がエネルギーを吸収し,核スピン3/2の励起状態を生じる.この励起状態はある確率で光を発し基底状態に落ちていくため,放射される光は照射光と同じ波長で,その強度は指数関数的な減衰を示す.
さて,ここに磁場がかかったとしよう.基底状態は1/2のスピンをもつので,核スピンは磁場と同じ方向またはその逆方向の2通りのみを向くことができる.この2者は要するに棒磁石が磁場と平行になるか反平行になるかと同様なので,エネルギーが微妙に違う2つの状態に対応する.一方,励起状態は3/2の核スピンをもつので,スピンが向く事が出来る方向は磁場の向き,磁場と垂直な面内,磁場と逆向きの3方向となり,この3つはそれぞれエネルギーが異なっている.この「磁場のかかった状態」の119Snの核をパルス光で励起すると,励起状態として「核スピンが,可能な3つの方向を向いた状態の重ね合わせ」といったものが実現され,3つの状態の間で量子的な振動現象が現れる.つまり励起された核のスピンは周期的に「上向き → 横向き → 下向き → 横向き → 上向き……」といった感じで向きが変化し続ける(※必ずしもこの順序で振動するとは限らないので,わかりやすくした例だと思っていただきたい).そしてこの振動の周期は,磁場が強いほど速い.
ではこの場合,励起状態の119Snから放射される光はどうなるだろうか?前述の通り,磁場の存在下では核スピンの向きによりエネルギーが異なる.つまり「スピンがどちらを向いた励起状態から,どちらを向いた基底状態に緩和するか」によって放射される光の波長が微妙に異なる.「核スピンがどちらを向いているか?」は(磁場の強度に合わせて)振動しているので,「ある特定のエネルギーの光を出すことができるスピンの向きかどうか?」は時間とともに振動する.よって,「ある特定の波長の光が放出されるかどうか」をモニターしていると,ある振動数で強度が振動しながら,全体としては指数関数的に強度が減少していくような発光を見ることができる.
この時ポイントとなるのが,この「振動数」が,外部からかかっている磁場の強さに依存することである.つまり,ある波長の光の放出を見てその振動を測定すると,119Snに実際にかかっている磁場を推定する事が出来るわけだ.

今回の実験では,(振動数的に)振動が見やすい磁場である0.7 T程度に固定した測定計中で,H2S中に入れた119Snを放射光で励起し,そこから放射される光を観測した.さらに比較対象のリファレンスとしては水素中に沈めた119Snを用いている.これにより,119Sn自体が高圧下で超伝導になる可能性などを排除している(水素中で同じ事が起こらなければ,H2Sによるものとわかる).
結果であるが,水素中では,励起された119Snからの発光は磁場中で温度によらず同様な振動を示し,確かに磁場がかかっていることが確認できた.超伝導による磁場排除の効果などは見られなかったことから,高圧下においてもSnは超伝導になったりせず,磁場センサーとして使える事が確認された.
これに対し,153 GPaの圧力をかけたH2S中だと,119Snからの発光の振動はおよそ150 K以下で次第に遅くなっていき,80 Kあたり以下の温度では振動が見られなくなった.これは119Snにかかる磁場(高温側では)が,150 K以下で次第に弱くなる,つまりH2Sが150 K以下では磁場をある程度排除しており,80 K以下でほぼ完全に磁場を排除して119Snには磁場がかかっていない状態となっていることを意味している.これはこの圧力・磁場下において,150 K付近でH2Sの超伝導転移が起こり始め,80 Kでは磁場を完全に排除する完全反磁性が実現していることを意味し,H2Sにおいて超伝導転移が起きていることの何よりの証明となっている.
なお,以前の結果でH2Sの超伝導転移(onset)が200 K以上であったのに比べると転移温度が低く出ているが,これは前回の結果がゼロ磁場中であったこと(一般に,磁場をかけた方が超伝導転移温度は低く出る),冷却の仕方の差(前回報告されているとおり,アニーリング過程などにより転移温度にばらつきが出る)などによるものであると考えられる.

今回の結果はH2Sの超伝導の非常に強い証拠であるとともに,バルクな超伝導転移の有無を非常にうまく測定する手段の開発ともなっており,素晴らしいものだと言える.(2016.3.22)