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200. 単原子合金触媒において存在する孤立原子様のd軌道

"Free-atom-like d states in single-atom alloy catalysts"
M. T. Greiner et al., Nature Chem., in press (2018).

化学工業において,触媒は非常に重要な要素の一つである.活性化エネルギーの低減により特定の反応のみを選択的に起こしたり,反応に必要な温度を劇的に低下させるなど,その有用性は説明するまでもないだろう.効率的で利用可能回数の多い触媒の開発は経費を激減させるため,場合によっては反応効率が1〜数%改善するだけでも数億円(ときにはそれ以上)の利益を企業にもたらす.このため,化学工業において触媒に研究は非常に精力的に行われている.

そんな重要な存在である触媒だが,大まかに均一系触媒と不均一系触媒に分類される.
均一系触媒は例えば金属錯体型の触媒などが相当し,反応させる物質と同じ相(水や有機溶媒)に溶け反応を触媒する.いってしまえば「溶液中での化学反応で,たまたまその一部の化学種が反応後に再生される」という分子種であり,そのメカニズムを解明するのは古典的な反応の解析に近く,過去の多くの知見が利用できる.しかしながら反応後に触媒と生成物を分離するのが難しいため,特に繰り返し反応を行う大量生産には向かないという欠点がある.
もう一つの不均一系触媒は,さまざまな固体(担体)に金属のナノ粒子等を担持したもので,この固体表面(にある,金属等の活性点)で反応が起こる.こちらは化学工業で主流の触媒ではあるのだが,一体全体どのような触媒のどういった部分で,どのような過程を経て反応が起こっているのか,というところが解明しにくく,多くの反応においてその詳細が謎に包まれている.不均一系触媒における反応のメカニズムの解明は,より効率的な触媒を設計する事に繋がるため,「触媒がどのように作用しているのか?」というところの解明は重要な研究テーマである.

さてそんな不均一系触媒であるが,近年,「単原子合金(Single-Atom Alloy)」という新たな系統の触媒が開発され,いくつかの反応において非常に優れた特性を示すことが報告されている.
単原子合金とはどのようなものかというと,母体となる金属に,触媒の活性点となる遷移金属元素を非常に低濃度で加えて合金化したものである.複数の金属を混合する際に,組み合わせる金属の種類をうまく選択し合成条件を整えると,加えられた少量の添加物が原子レベルで母材に分散した合金が得られる.これを使うと,高価な触媒となる金属(例えば白金)を安い母材(例えば銅)に分散しコストを抑えつつ高い活性を維持したり,原子レベルで分散された金属元素が特異な高い触媒活性を示すことが発見され,近年注目されている.

単原子合金がなぜ高い活性を示すのかに関しては現在でもさまざまな議論があるが,その一つの原因は「反応したあとの周囲への拡散」であると考えられている.
触媒反応においては通常,(a)原料が活性点に吸着 → (b)原料が開裂 → (c)原料が脱離,というような過程を辿り反応が進行する.より活性の高い触媒を作るには(a)の過程でより強く結合する触媒が必要となるのだが,そうすると強い結合力が(c)の脱離を妨げてしまい,効率が上がりにくくなることが知られている.
単原子合金の場合,活性点となる単原子と原料が強く結合&解離するものの,その後開裂した化学種が迅速に周囲の母材側に移動していくことでこの問題が起こりにくいのでは,というわけだ.
ところが今回の論文で著者らが報告しているのは,そういった効果に加え,実は単原子合金においては非常に特異な電子状態が生じており,これが反応性を高めているのではないか,という発見である.

著者らは今回,光電子分光により単原子合金の電子状態を調査していた.光電子分光というのは,物質に高いエネルギーをもつX線をあて,そのエネルギーにより物質から叩き出された電子の速度(エネルギー)を調べる分光法である.飛び出てくる電子のエネルギーは,あてた光子のエネルギーからその電子を外に引きずり出すのに必要なエネルギーを引いたものであるので,出てきた電子が元はどの程度深いエネルギーのところに居たのか,を調べることが出来る.対象が分子であれば分子軌道のエネルギーがわかるし,金属であればバンド構造(正しくは状態密度.角度分解も加えれば,バンド構造そのものを見ることも可能)を知ることが出来る.
でまあ,著者らは銀に銅(原子数で約0.3%)を分散させた合金の光電子分光を行ったのだが,その結果,銅のd軌道に由来する非常に狭いピークを確認した.通常の金属であれば,原子軌道(これは決まったエネルギーをもつので,状態は特定のエネルギーに局在している)は隣接原子間で混ざり合い,結果として非常にエネルギー幅の広いバンド構造を作り出す.このため例えばバルクの金属銅は幅がおよそ2.5 eVのブロードなピークを示すのだが,Cu/Agの単原子合金ではピーク幅がたった0.5 eVのかなりシャープなピークが見られた.
これはつまり,多量の銀で希釈された銅原子のd軌道は,周囲の銀原子の軌道とはほとんど混ざり合わず,孤立した原子軌道にかなり近い状態で存在していることを意味する.また,この軌道に電子が流れ込んで銅原子がやや負に帯電していることも示唆された.
この結果は密度汎関数法を用いた計算でも支持されている.適当なサイズでの繰り返し構造を仮定しそこでの電子状態を計算したところ,純粋な銅や純粋な銀ではd軌道が混ざり合って幅広なバンド構造を作ったのに対し,Ag35Cuでは銅原子上に局在して周囲とほとんど混ざり合わないd軌道が存在していることが出力された.

銅原子は酸素が絡む反応を触媒出来るので,この局在したd軌道と酸素原子との相互作用を計算で調べたところ,表面の銅原子からX字型に伸びるd軌道(金属表面から見ると,表面から上の空間にV字型の上半分が飛び出す)と酸素のp軌道が強く重なり合い,結合することが見受けられた.
要するに,著者らの推測では
・単原子合金化すると,銅原子のd軌道が周囲と混成せずにほぼ原子軌道のまま残ってくる
・表面から飛び出したd軌道が,酸素の軌道とよく結合できるので,Cu-Oの強い結合が出来る
・これにより,触媒としての性能が上がるのではないか?
という事になる.

続いて著者らは,この「孤立原子的なd軌道」が(この測定を行った超高真空条件に限らず)通常の反応条件中でも存在しているのかを調べるため,メタノール水蒸気改質(メタノールと水蒸気が反応して,二酸化炭素と水素が出てくる)を0.5 mbar,300 ℃で行っている状況での光電子分光も実施し,その条件下でもシャープな銅のd軌道のピークが見える事を確認している.

著者らは,バルクの銅と銅単原子合金への各種原子の吸着エネルギーの差も計算している.そこから見えてきたのは,吸着する原子の電気陰性度が活性点となる原子の電気陰性度より大きければ大きいほど,単原子合金化したときの吸着エネルギーの増大が大きいことが明らかとなった.つまり,酸素などのような電気陰性度の大きい原子で触媒に吸着するような反応ほど,単原子合金化したときに活性が高くなる,という感じだろうか.

最後に著者らは銅以外の金属に関しても触媒活性の検討を行っている.母材となる銀に対し,Au,Ni,Sc,Y,Ti,Zr,Hf,V,Nb,Ta,Cr,Mo,Fe,W,Mn,Re,Co,Rh,Ir,Pd,Cd,Zn,Pt,Osと,手当たり次第に混ぜ込んで単原子触媒化したところ,Ni,Pd,Mn,Crのわずか4元素のみが銅と同様のシャープなd軌道を示した.これは今年に報告された計算の結果(一部の金属で,孤立原子様のd軌道が出現する,という理論予測)とも整合するらしい.

というわけで,実験と理論の両面から,単原子合金の触媒活性の謎が少し解けてきた,という論文であった.(2018.8.30)

 

199. 出芽酵母の染色体を融合し本数を減らす

"Karyotype engineering by chromosome fusion leads to reproductive isolation in yeast"
J. Luo, X. Sun, B. P. Cormack and J. D. Boeke, Nature, 560, 392-396 (2018).

および

"Creating a functional single-chromosome yeast"
Y. Shao et al., Nature, 560, 331-335 (2018).

酵母の染色体を編集して繋げ,その本数を減らしていった実験.前者の論文は減らしていったものが野生の酵母と接合(有性生殖)可能かどうかを見ており,染色体の本数を16本(野生型)→12本→8本→4本→2本と減らしていってどうなるかを検討している.後者の論文はさらにもう一段推し進めることに成功しており,たった一本の染色体へと全て融合させてしまった結果を報告している.

地球上の生物はDNAにその基本となる情報が格納されているが,各細胞は1本のDNAしか持たないわけではない.細胞内ではDNAはヒストンタンパクなどと複合体を作り非常にコンパクトな形に折りたたまれている.この複合体は(広義の)染色体と呼ばれているが,例えば人間であれば通常は46本の異なる染色体,つまり46本の配列の異なるDNA(とタンパク質等の複合体)を持っている.

※なお有性生殖を行う生物では,通常はほとんど同じ配列の染色体が一組(2本)存在するため,人間の染色体が46本あるといっても情報量的には23本分に近い.この相同染色体は生殖細胞を作る際に減数分裂により二つに分割されるが,その際に一部を入れ替えることで新たな配列を生み出す.また,DNAの2本鎖が切断されるような大きなダメージを受けた際は,相同染色体の複製を利用して失われた部分(と同等の機能を持つ)を復元する.

さてそんな染色体であるが,種の間で本数が大きく異なることが知られている.同程度の遺伝子をもつ生物種間であっても染色体の本数はまちまちであるし,近い種の間でも本数が異なっていたりする.例えば霊長類は通常48本の染色体をもつが人間は前述の通り46本しか持たない.最も本数の少ない生物としてはある種のアリが1対2本(雄は1本)のみの染色体をもち,逆に多い方では同じ昆虫でも191対382本をもつ蝶がいたり,数百以上の染色体をもつシダ類なども存在したりする.
なぜこのようなバリエーションの差があるのかというと,染色体の融合や多重コピーが比較的起きやすいからにほかならない.染色体の末端部にはテロメアと呼ばれる領域があり染色体同士の融合を防いでいるのだが,何らかの損傷によりこの部位が削られたりすると,別の染色体の末端どうしが融合して長い一本になり染色体の本数が減る,というような事が起こってしまう.また細胞の分裂時などに誤って多重コピーした染色体が生じてしまうと染色体の本数が増える事も起こる.
ではこのような染色体本数の増減は,生物の生きやすさに何か影響を与えるのだろうか?
今回紹介する論文は,そのあたりの興味から染色体の本数を減らしてみた,というものになる.

実験であるが,対象は生命科学系の実験でよく使われる出芽酵母(全配列決定済み)が用いられている.出芽酵母は1倍体時には16本の染色体を持ち,単性生殖が可能である.またa型とα型という性を持ち,これらが接合することで16対32本の染色体をもつ二倍体を形成できる.二倍体は二倍体のまま単性生殖も出来るし,減数分裂によりa型とα型の胞子を作り,これらをばらまいての増殖も可能である.
1つ目の論文ではこの出芽酵母の染色体をどんどんつなぎ合わせていき,その本数を次第に減らしていった.
といっても手当たり次第に減らすのはあまり有効ではない.染色体は細胞分裂の際に複製された染色体同士をひとまとめに結びつけておくための領域であるセントロメアがあるのだが,ここから左右に伸びる長さが違いすぎると良くないとか,酵母のセントロメアは点接触に近くてあまり長い染色体をつなぎ止めるには弱い(=あまり長くなりすぎると問題が起こる)などがあるため,まずは長さの短い染色体を優先的に繋ぎ,同程度の長さになるようルートを考慮しながら作成したらしい.染色体同士をつなぎ合わせる際には近年生命科学分野で大活躍のCRISPR-Cas9による遺伝子編集を利用し,追加する染色体のセントロメア部分を除去&接合される2本の染色体の末端テロメア部分を除去しつつ接合する事によって染色体の本数を減らしている.
染色体の「本数」自体は減るものの,もともとの染色体の持っていた遺伝子部分は単純に接合されているので,原理的には生きていくのに必要な遺伝子はそのまま残っているはずである(元通り発現する保証は無いが).

さて,ではこのようにして作成された「染色体の本数が少ない出芽酵母」は,野生型の酵母と何か鎖があったのだろうか?
まず意外だったのは,その生育に関する「影響の少なさ」である.16本から12,8,4,2本と染色体を融合させていっても,けっこう元気に分裂して育っていくことが確認された.なお,最初の論文の著者らは染色体を全部融合して1本の酵母の作成にもトライしたが,こちらは失敗したそうだ(2本目の論文の著者らはまさにそれに成功している).
分裂数を野生型同様の16本の染色体をもつ酵母と比較しているが,4本にまで減らした酵母でも成長速度は98.7%,たった2本にまで減らした酵母ですら91.3%と,若干成長が遅くなってはいるものの,けっこう元気に増えている.何というか,染色体の本数の差は(やや成長が遅れるものの)それほど大きな影響は与えていなそうだ.
さらに驚きなのが,有性生殖の結果である.
染色体を8本に減らした同士,4本に減らした同士,2本に減らした同士の組み合わせでは,見事に接合&胞子形成を実現している.胞子からきちんと育つかを確認してみても,野生型でおおよそ97.2%に対し,8本同士で98.4%,4本同士で97.7%,2本同士でも95.2%と,遜色ない有性生殖っぷりである.2本のやつとか,これだけダイナミックに染色体を繋げられているのに普通に胞子作って有性生殖できているというのは大したものだ.

顕著な差が出たのが,本数の違う株同士の接合である.野生型(16本)との組み合わせを見ると,16本×16本で97.2%が胞子形成できたのに対し,16本×12本では80%,16本×8本で39.2%,16本×2本では30.8%と,染色体本数の差が大きくなるほどに胞子の形成が困難になっていることが見て取れる.……いやまあそりゃそうだろという感じではあるが,むしろ本数が違っても胞子できるのか,と逆方向に驚きである.
出来た胞子からどの程度まともに育つかを見ると,16本×12本ではわずか7.1%,16本×8本に至ってはまともに育ったものは無かったらしい.いや,でも16本×12本はいけるんですか,そうですか…….

というわけで,最初の論文のまとめとしては,
・染色体を融合して本数減らしても生きてく上では問題無さそう
・同数同士なら生殖も問題なし
・本数が違ってくると,有性生殖だんだん困難に(そりゃそうだろう……)
という感じである.

でもって二本目の論文は,最初の論文の著者らが出来なかった「出芽酵母の染色体を,全部繋げて1本にしてやりました」という論文である.この著者らは全部1本に繋げた株(SY14)とか,2本の長い染色体に繋げた株とかいくつかのパターンを作り,それらの立体構造や遺伝子発現の様子などを比較している.
当然のことながら長い染色体に融合させた事でその立体構造は大きく異なるものへと変化している.何せ染色体を融合させる際にはセントロメア部分がダブらないようにセントロメアをどんどん削っていくわけで,その結果他の染色体との間の相互作用が大きく変化し,全体的な構造は劇的に変化している.
ところが驚くべき事に,この「立体構造が大きく異なる染色体」から読み出され発現している部分は,野生型とほとんど見分けが付かないぐらいそっくりであった.長いDNAからどのように必要箇所が読み出されるのか,というのはまだよくわかっていない点も多いホットな研究対象なのだが,そこではDNA同士,DNA-タンパク質など様々な相互作用が発現に影響を与えていると考えられている.にもかかわらず,これだけ立体構造の異なる「染色体1本版出芽酵母」と野生型とで発現にほぼ変化が無いというのは予想外の発見である.
著者らは,この染色体1本版出芽酵母での有性生殖も試みている.SY14株(こちらはα型)の一部を入れ替えa型としてSY14a株を作り,このα-aペアでの胞子形成を行ったところ,(もう1本の論文を読んでいる我々読者にとっては予想通りに)普通通りに胞子が形成され,普通に増殖が確認された.ただ,その成長速度は野生型に比べると若干遅い,という傾向は確認されている.

と,いうわけで,酵母の染色体繋いでみた論文2報の紹介であった. 何というか,予想以上に普通に生きやがりますね,あいつら.生物の耐性恐るべしといったところか.(2018.8.17)

 

198. ブルーダイヤモンド:その起源を探る

"Blue boron-bearing diamonds from Earth's lower mantle"
E. M. Smith et al., Nature, 560, 84-87 (2018).

よく知られたように,ダイヤモンドはさまざまな不純物元素や欠陥を含むことがあり,それによりさまざまな色を示す.そういった色つきのダイヤモンドの一つに,不純物としてホウ素を含んだIIb型のダイヤモンドが存在する.
IIb型のダイヤモンドはホウ素(炭素より電子が一つ少ない)のドープによりp型半導体としての性質を示すとともに,(ホウ素濃度にもよるが)美しい青色を示すことから珍重されている.有名なところでは「呪われた宝石」として有名なホープダイヤモンドもこのIIb型のダイヤモンドである.
さてこのブルーダイヤモンドであるが,その生成過程はよくわかっていない.ダイヤモンドはもともと高温・高圧の地下深く(上部マントル〜下部マントルと言われるが,細かいところには諸説ある)で形成されるのだが,マントルにおけるホウ素濃度は低く,例えば大陸地殻の数十分の1以下とかなり少ない.そのようなホウ素が低濃度の状況でIIb型のダイヤモンドが形成されうるのか,それとも海溝から沈み込んだ海洋プレート(これはマントルよりも重く,下部マントルまで沈み込んでから分解する)を原料として生成しているのか,今でもはっきりしていない.その一方で,ブルーダイヤモンドは世界中の多くの鉱山から広く産出するため,その形成過程はある特殊な一過性の条件に依存したものではなく,一般性のあるものだと推測されている.
今回著者らは,このブルーダイヤモンドの起源に決着を付けるため,多くのサンプルを集め研究を行った.

そもそも,ブルーダイヤモンドの研究があまり進んでいないのは,その希少性が大きな原因である.採掘されたダイヤモンドのうちIIb型のダイヤモンドの割合は0.02%以下であり,サンプル数が少ない.またこの希少性ゆえに価格も高く,研究を行いにくいという事情もある.同時にサンプル数の少なさは,インクルージョン(宝石などの結晶中に包含された他の鉱物)のあるIIb型ダイヤモンドの少なさも意味する.ダイヤモンドそのものからはあまり多くの情報は引き出せないが,包含する他の鉱物があれば,それらの化学組成や構造から「周辺にどんな組成の化学種があったのか」や「どんな圧力や温度だったのか」などさまざまな情報を推測することが出来る.ところがブルーダイヤモンドはそもそも数が少ないため,研究に使えるインクルージョンをもつ鉱石の数が少なく,研究が進んでいなかったわけだ.何せただのブルーダイヤモンドですら存在割合が0.02%なのだから,その中でさらにインクルージョンのあるものとなるとこれはもう文字通り干し草の山から針を探すのに等しい.

そこで著者らは,米国宝石学会(Gemological Institute of America,宝石鑑定の研究・教育機関.多くの鑑定士を育てるとともに,ダイヤモンドに関しては世界トップの権威をもつ)と共同で研究を行った.何せここはダイヤモンドの最高権威なので,ものすごい数のサンプルが集まっている.著者らはおよそ1380万個の宝石質のダイヤモンドサンプルからブルーダイヤモンドを選び出し,その中からさらにインクルージョンを持つものを選別,2年以上かけて46個のサンプルを得ることに成功した.
十分な数のサンプルさえ得られてしまえば,あとは一般的な鉱物の分析と何ら変わらない.X線とRaman分光による包含された鉱物主の同定,EDXなどによる元素分析,電顕による形状観察などが行われている.

では結果を見ていこう.
最も数の多かったインクルージョンはケイ酸カルシウム系の鉱物であり,主としてCaSiO3型のWalstromite,時としてややCa多めのβ-Ca2SiO4や,Walstromiteとは異なる構造だが組成が同じなCaSiO3であった.これらは下部マントルの超高圧下で安定に存在するCaSiO3ペロブスカイトが低圧側に移動した際に分解して生じることが知られており,下部マントルで形成された深部由来のダイヤモンドに含まれることが最近明らかとなっている.
また,一部にCa:Siの比率の異なるβ-Ca2SiO4などが含まれていたことから,単純な平衡状態にある組成の部分ではなく,何らかの化学種の出入りにより組成が変化している部分が下部マントルに存在していることも示唆された(これは例えばプレートの沈み込みによる元素の供給によって説明可能である).
他の見つかった鉱物の多くも,深部由来の鉱物が分解して出来る既知の組成の化合物であった.包含物は閉じられた領域内で分解するため,同一箇所に現れた分解物を合わせることで分解前の岩石の組成が判明する.そこから,ある一つのサンプルが形成された場所にはマグネシウム鉄ケイ酸塩(bridgemanite)とMg-Fe斜方輝石(orthopyroxene)が共存していることが推測された.これらの結晶形が共存できる圧力範囲は限られているため,このサンプルが形成されたのは地下660〜750 kmの下部マントル(の上の方)あたりであると結論づけられた.また各種ケイ酸塩系の少なさから,これらブルーダイヤモンドが形成された周辺組成としてはSiO2の少ない玄武岩質〜かんらん岩質であり,SiO2を多く含む大陸地殻とは大きく異なることが確認できる.

いくつかのインクルージョンについては,Raman分光による結合の振動測定から,現時点でかかっている圧力も測定されている.高圧下で包含された鉱物には当然ながら大きな圧力がかかっており,それにより構造が圧縮されるため化学結合の振動数も常圧下とは変化する.これにより現在の圧力が測定でき,そこから高温下(形成された時点)での圧力を推定することが出来る.その結果,これら包含物が形成された際の圧力は少なくとも10〜14 GPa以上(温度が1200〜2000 Kと仮定した場合)となり,大陸地殻の最深部である300 kmを大きく超えた圧力範囲(=もっと深い場所)であることがここからも確認できた.

顕微鏡と顕微Ramanでの確認結果からは,これら含放物の周囲には高圧で閉じ込められた水素やメタンが存在することも判明した.メタンは水素があればダイヤモンドと反応して自動的に生成するので,これはブルーダイヤモンドが形成された点で周囲の環境に水素(これは通常は水や水酸化物の形で存在する)が豊富にあったことが推測される.

またごく一部のサンプル(3つ)に関しては炭素同位体比率の分析も行っている.これまでの研究から,地球の深部においては13Cの量が地表付近よりだいぶ少なくなっていることが判明しているのだが,今回調べたサンプルではδ13Cの値が-13.4‰,-3.4‰,-1.8‰と(特に後者二つは)比較的地表での値に近い比率となっていた.

以上をまとめると,ブルーダイヤモンドのサンプルの調査から
・ブルーダイヤモンドは下部マントル程度の深部で生成されている
・比較的ケイ酸塩なども少なく,大陸地殻の組成とは一致しない
・水や水酸化物など水素を多く含む原料のもとで生成されている
・(サンプル数は少ないが)δ13Cの値は地表付近に近い
・そして何より,地表に多いホウ素を含んでいる
事がわかり,その起源としては
・海洋プレートが海溝から引きずり込まれ,下部マントル領域まで沈降.そこで分解するあたりでダイヤモンドが生成
というシナリオがもっともらしいと結論づけている.(2018.8.6)

 

197. エンケラドスに存在する比較的分子量の大きな有機物

"Macromolecular organics compounds from the depths of Enceladus"
F. Postberg et al., Nature, 558, 564-568 (2018).

土星近傍を周回するエンケラドスは,分厚い氷で覆われた岩石質のコアからなる直径500 kmほどの小さな衛星である.この天体が注目されている理由は,エンケラドスの表面を覆う氷の下に,衛星全体を覆うような液体の水(海)が存在するためだ.海底には(恐らく)潮汐力をエネルギー源とする熱水噴出口のようなものが存在するという間接的な証拠も得られており,液体の水,適度な温度,熱水由来のミネラルと,過去の地球のような生命誕生の可能性がある天体の一つであると考えられている.
さてこのエンケラドスの海,過去の観測からその海には有機物も含まれていることが確認されている.これは主として地球で言うところの火山性ガスなどに含まれる単純な含炭素化合物を起源とし,それが熱や各種金属の触媒作用により反応して出来ていると推定されているが,含まれる有機物等に関してはあまり研究が進んでいない.
今回報告されたのは,1997年に打ち上げられた土星探査機カッシーニ(2017年に運用終了)のデータを詳しく解析し,エンケラドスから放出された有機分子に関する解析を行った結果となる.

分析はいろいろと細かいことの積み重ねなのだが,結果をまとめると以下のようになる.

・分子量200を超えるような,非常に大きな分子量の有機分子が存在する.
※カッシーニの質量分析計(以下MS)は質量数200までは高分解能だが,それ以降は低分解能となるため詳細は不明
・比較的大きな分子量の領域にも,12〜13原子質量程度の間隔で並んだピークが存在する.これは多重結合をもつ不飽和炭化水素鎖の開裂に対応する.フラグメントのC/H比はおよそ2(母物質含めた平均は1)であり,炭素リッチな部分構造の存在を示唆.
・非縮環のベンゼン環(Ph-)の存在が強く示唆される.ただしPh-CH2-Rといった形の分子は少ない.
※もしそのような分子があると,フラグメントとしてトロピリウムイオンが生じるはずであるが,ほとんど見えていないため.
・質量数が30,31,44,45といったフラグメントを多数検出.これは飽和炭化水素では不可能な重さなので,酸素や窒素を含む分子と考えられる.
・これら高分子量の有機物が観測されたのは,塩分濃度の高いプルームからであり,塩濃度の薄いプルームからはほとんど検出されていない.高分子量の有機物が,高濃度で海に満遍なく溶けているとは考えにくい.

現時点のデータから著者らが推測しているのは,以下のような構造である.海底から生じたガスなどに含まれる炭素(主に二酸化炭素などか?)は,さまざまな化学変性を受け複雑な有機物となり,比重の軽さから海の最上面にレイヤーとして蓄積される(海面に浮いた油のようなもの).海底から一気にガスが噴出されると,このガスは海面最上部の有機物層に到達,それを吹き飛ばしながらプルームとして巻き上がる.吹き飛ばされた有機物,水,塩類などの微粒子は,地球上で起こるのと同じように有機物を核として凝集,多くの有機物を含んだ水滴(すぐに凍るが)となり,宇宙に巻上げられる.これがカッシーニにより捕捉され,観測にかかっている,というわけだ.

なおカッシーニの観測結果には,質量数250〜500のところに無数のピークが存在し,さらに質量数800〜1250,1500〜2100の領域にも顕著に強いピークが現れている.このあたりは搭載されている装置の限界により低分解能モードでしか測定できないため何が含まれているのかはわからないが,ノイズラインよりは十分に大きなピークが確認されており,非常に分子量の大きな何かが存在している可能性がある.
カッシーニの残したデータは膨大であり,この論文のように今現在でもデータの解析は続いている.今後さらに面白い結果も報告されるかも知れない.(2018.7.2)

 

196. 回転する球を使って光信号を分離する

"Flying couplers above spinning resonators generate irreversible refraction"
S. Maayani et al., Nature, 558, 569-572 (2018).

現代社会において光通信は様々なところで利用されており,今後も例えばチップ間の通信に使おうという話や量子暗号周りでの光子の伝達など,利用は拡大し続けている.さてそんな光通信を効率的に行うためには,光をうまく分配した分離したりといった技術が欠かせない.
そんな「光を操る技術」の一つとして開発されているのが,非対称な光伝達である.これは例えばある波長の光をファイバーに通したとき,右から左へは流れるのに,同じファイバーに同じ信号を左から入れると右に伝わらない,といった行きと帰りが非対称になるような素子だ.こういった素子は余計な反射によるノイズを減らしたり,同一経路内で多重化した信号をうまく分離する際での利用などが提案されており,その応用の幅は広い.

さて,そんな「非対称な伝送」であるが,音波の場合は非常に簡便な手法で実現できる事が知られている.例えばリング状の導波路の中にファンを設置し,一方向に風をながしてやると,風の向きと同じ方向に音は流れやすく,逆方向には伝わりにくいという非対称性がたやすく実現可能である.

では,光の場合はどうだろうか?こちらも下記のような非常に単純な構造で実現できる事が予測されている.
まず,左右に伸びた光ファイバー中を光が左右に流れている,という状況を考えよう.そしてこのファイバーのごく近傍に,高速で回転する円筒があったとする(下図).なお,ファイバーの径はこの円筒に接する部分で細くなるようにテーパーがついており,これによって円筒と接している部分で光がエバネッセント波としてごく短距離に染みだしている.

左からの光→――――――――――――←右からの光
            ○⤵時計回りに回転

光が染みだしているため,回転する円筒が十分ファイバーに近ければ,光は円筒内に入ることが可能である.ここでもし,円筒に入った光が円筒内を一周して戻ってきた際にちょうど元の光の波と重なるとき,つまり共鳴条件にある場合,光は効率的に円筒内にトラップされ,ファイバーの反対側からは出て行かなくなる.つまり,ファイバーを通っている途中で共鳴条件にある円筒に吸い込まれ,そのまま外部に放出されてしまう.
さて,光が円筒と共鳴する条件は何で決まるだろうか.まず一つは,円筒の直径と屈折率である.「一周して波が重なる」という事は,1周分の距離が物質中での波長(これは真空中での波長を屈折率で割ったものに等しい)の整数倍である必要がある.
そう,屈折率である.ここで円筒が回転している効果が効いてくる.円筒が回転しているため,光が円筒内を一周する向きが回転と同一方向なのか,それとも回転に逆らって一周するのかによって,光が実際に通過しなくてはならない物質の量が異なってくる.回転方向と光の回る方向が一致していれば,光は物質の移動に乗ることにより「簡単に」一周することが可能であるが,円筒の回転に逆らって光が一周するためにはそれだけ多くの物質を乗り越えねばならず,それだけ実効的には多くの距離を進まないといけないことに対応する.
要するに,通り抜けるべき円筒が回転しているため,光からみると右回転で進むときの屈折率と,左回転で進むときの屈折率が違うのだ.
※フィゾーの実験における引きずり効果と同じである.

この結果,右からファイバーを流れてきた光(=円筒の回転方向とは逆向きの動き)から見たときと,左からファイバーを流れてきた光(=円筒の回転方向と同一方向の動き)から見たときで,回転する円筒部分の屈折率が異なって見える.これはつまり右から来た光にとっての円筒部分の共鳴周波数と,左から来た光にとっての円筒部分の共鳴周波数が異なることを意味しており,結果として同じセッティングなのに「円筒が回転しているせいで右から来た光のみ円筒に吸い込まれる」だとか「左から来た光のみ円筒に吸い込まれる」という非対称な素子が実現できるのだ.

というわけで,非対称な光学素子は非常に単純な構造で実現できる.
出来る,のだが,致命的な問題がある.光はご存じの通り非常に速く,それゆえ円筒の回転によって十分な効果を出そうとするとかなりの高速回転を行う必要がある(毎秒数千回転以上など).高速回転は振動を生み,それゆえ円筒の位置を一定に保つのは難しくなる.その一方で,光ファイバーからの光の染み出しはナノメートルのオーダーである.
つまり,安定して効果を発揮するには,毎秒数千回転で回転するものを,光ファイバーからの距離をナノメートル単位で一定にし続ける必要がある事になる.そんなことは可能なのだろうか?
実は,現代社会にはそういったことを実現しているものが既に存在している.著者らはそのことに気づき,今回の実験を思いついた.

言い方を変えてみよう.「高速で動いているものに対し,ナノメートルオーダーでものを浮かし続ける」.勘のいい人は気づくのではないだろうか.これを実現しているもの,それはHDDのヘッドである.
空気中でものを高速で動かすと,その表面には巻き込まれた空気が薄く張り付き,非常に反発力の強い丈夫なコーティングのように振る舞う.そこに物体を強く押しつけると,空気の反発により物体は数〜数十ナノメートル程度の一定の高さに保持され続ける.今回,著者らはこの効果を利用したわけだ.
実験で用いた素子の構造は非常に簡単で,共鳴部分は直径数 mm程度のガラスの玉で,これを棒の先端に付けモーターにセット,毎秒3000回転という高速回転を起こす.これを真ん中部分が少し細くなった(=その部分で少しだけ光がにじみ出る)光ファイバーに押しつけつつ,左右から光(今回は波長1.55 μmぐらい)を導入する.
実験結果で共鳴周波数を見ると,光が右から来るのか左から来るのかによって,共鳴周波数が数十 MHzぐらいズレている.一番差の大きい波長域の光を選ぶと,右から来た光の透過率がほぼ100%,同時に左から来た光の透過率がほぼ0%という綺麗な光分離を実現できている.一番分離が良い波長での分離能は99.6%にも達している.

HDDの話がいきなり出てくるとは思わなかったが,確かに言われてみればあの効果は機械的な振動のあるデバイスをナノメートルレベルで保持する機構として利用できるものだ.発想の勝利である.(2018.6.30)

 

195. 細胞工学:遺伝子を改変した細胞間のシグナルを利用し高次構造を作る

"Programming self-organizing multicellular structures with synthetic cell-cell signaling"
S. Toda, L. R. Blauch, S. K. Y. Tang, L. Morsut and W. A. Lim, Science, in press (2018).

生体内において,細胞は自発的に非常に高度に組織化された構造を作り上げる.例えば我々の臓器をみてみると,各種の細胞,神経,血管や適切な空洞などが自動的に組み上がっており,全体として高度な機能を発揮している.この複雑な構造を作り上げているのが元を辿ればわずか一種類の細胞であり,それが分化と構造形成を繰り返しながらこれほどのものを作り上げるというのは驚嘆せざるを得ない.
このような複雑な分化や構造形成がどのように行われるのかというと,そのほとんどが隣接する細胞などとの化学物質のやり取りや周辺の物質の濃度などであり,原理は驚くほど単純である.単純な原理が組み合わさることで連鎖的な変化が起き,結果として非常に複雑なものが自発的に組み上がる.なんとも見事なシステムだ.

さて近年,遺伝子を改変する技術は非常に進歩し,様々な特性を持った細胞を自在に作れるようになりつつある.しかしながら,「細胞の集合体」をデザインするにはまだまだ至っていないというのが正直なところだ.
今回報告されたのは,そんな「適切にデザインされた細胞から,高次の(もう少しだけ)複雑な構造を自発的に作らせる」というものになる.ここでキーとなっているのは,Notchシグナリングと呼ばれる細胞間での情報伝達システム(を適切に改変したもの)と,それにより発現されるカドヘリンだ.

Notchシグナリングは,Notch受容体と呼ばれる細胞膜を貫通するタンパク質により引き起こされる細胞間でのシグナル伝達である.Notch受容体はその一部を細胞外に突き出し,逆側が細胞内にぶら下がる形となっている.Notch受容体の外部に露出した部分(信号を受け取る部分)が対応する特定のタンパク質(リガンドタンパク,これが細胞間での信号となる)と結合すると,それを感知したタンパク質分解酵素がNotch受容体の細胞内にぶら下がっている部分を切断する.この切断された断片は核内に移動されるようなタグ(となるアミノ酸配列)を持っており,切断後にすみやかに核内に移行,そこでDNAの特定配列と相互作用することでその部分の発現を促進したり,逆に特定の配列の発現を抑制したりする.
要するに,細胞外部から特定の分子が近づいてNotch受容体(の外側の受容体部分)に結合,すると細胞膜内のパーツが切り出され,それが特定遺伝子をOn(またはOff)出来る,というわけだ.
現在ではこのあたりの技術は非常に進んでいるので,Notch受容体の細胞内にぶら下がっている部分を適切に設計する&DNAを適切に書き換えることで,「○○という分子が来たら,××という分子を作る(or 作らないようにする)」という事が自在に実現できる.また,Notch受容体の細胞膜外に飛び出ている部分も自由に設計できるので,何をトリガーとするのか,というのもさまざまに変更可能だ.このようにして設計された人工のNotch受容体を,synNotch(synthetic Notch)と呼ぶ.

一方のカドヘリンというのは,細胞間での接着剤となるタンパク質である.こいつが発現すると,同種のカドヘリンをもつ細胞どうしの間に吸着力が働きくっつくことが知られている.発現量が多ければ吸着力も強く,またカドヘリン自体も何種類も存在し,異種のカドヘリンとの間の相互作用は弱い.例えばEカドヘリンを発現している細胞(Eと呼ぼう)とNカドヘリンを発現している細胞(N)があると,E同士やN同士は強くくっついて固まる一方で,EとNとはそれほど強くくっつくことはない.

さてそれでは,著者らの結果を見ていこう.
この論文は幸いSupplementary Materialsとして数多くの図を含む文章や動画が公開されているので,必要に応じてそちらもご覧頂きたい.

まず著者らが行ったのが,単純なアイディアの実証試験である.最初に二種類の細胞を用意する.青色の蛍光色素を作るように改変した細胞AはCD19という分子を細胞膜表面に作るように設計されている(細胞膜からCD19がヒモでぶら下がったようになる).もう一方の細胞Bは,CD19に反応するsynNotchを発現するように改変されており,そのsynNotchが切断されると緑色蛍光タンパク質(GFP)およびEカドヘリンを生産する.
論文にならって書けばこういうことだ.

[Cell A: CD19] → [Cell B: αCD19 synNotch → Ecadhi + GFP]

ここでCD19はこれを発現していることを意味し,矢印はこの信号の伝達,αCD19 synNotchはCD19を受け取ると起動するsynNotchを意味,そしてそれにより発現されるのが右の矢印以降のEcadhi(Eカドヘリン・高濃度)とGFP,となる.
この細胞Aと細胞Bを多数用意し混合すると,最初はランダムに集まった塊になるのだが,細胞Aの作るCD19により細胞BではEカドヘリンとGFPが発現,カドヘリンの効果により細胞B同士が凝集し(と同時に,GFPが発現し緑の蛍光を発することで遺伝子発現が起こっていることが確認できる),押しのけられた細胞Aは細胞Bの塊を取り囲む表皮の位置となり,二重構造が自発的に生成される(Supplementary Materials Fig. S1 Aの下段).
細胞Bとして,CD19によりGFPを発現するがカドヘリンは発現しないようにすると,このような二層構造は生成しない事から,カドヘリンの接着力により二層化していることがわかる(Supplementary Fig. 1 Aの上段).

続いてはさらに高度な構造として,三層構造にトライ.使う細胞は二種類なのだが,細胞の中身が少し違う.

[Cell A: αGFP synNotch → Ecadlo + mCherry]
[Cell B: αsynNotch → Ecadhi + GFPlig]

今度は細胞Aに,GFPタンパク質を受容するとEカドヘリンを低濃度で生成しつつ赤い蛍光を発するmCherryを発現するようなsynNotchを組み込む.さらに細胞Bが作るGFPも,内部に作るのではなく,細胞膜から外にぶら下がる形でGFPが発現する.
この場合,何が起こるだろうか.
まず第一段階は先ほどと同様で,細胞A表面にあるCD19により細胞Bに高濃度のカドヘリンと細胞膜から外にぶら下がるGFPが発現,これにより細胞Bが緑に光りつつ凝集する.すると今度は「細胞Bと接している細胞A」に限り,細胞Bの表面からぶら下がるGFPがsynNotchに受容され,Eカドヘリンを低濃度で発現しつつ,mCherryを発現することで赤く発光する.この赤く光る細胞A'は低濃度とは言えカドヘリンを発現しているので細胞Bに弱くくっつき,カドヘリンを発現していない元々の細胞Aはさらに外側に押しのけられる.
この結果,緑に光る中心部の細胞B,それを覆うカドヘリンとmCherryが発現した細胞A',一番外側に押しやられた元々の青く光る細胞A,という三層構造が実現するのだ(Supplementary Fig. 2 Bの上段,およびMovie S1).
なおこのようにして作成された多層構造は,synNotchの活動を妨害する阻害剤を入れると崩れて初期化される(細胞がランダムに入り交じった状態に戻る).また,作成された多層の細胞塊を「ギロチン」で半分にたたき切っても,その後時間をかけ元通りの(ただし大きさは半分の)構造に自発的に復元する.

続いてはさらに高度な設計に移る.これまでの実験は二種類の細胞を用意しておき,それらが二層や三層の構造を作る,というものだった.著者らが次に取り組んだのは,たった一種類の細胞からスタートし,それが自発的に二種類の細胞(発現様式)に分化,それが二層構造をとる,というものだ.言ってしまえば,生物の細胞がもともと一種類だったのに機能の異なる細胞に分化し,それらが構造を作る,というものの非常に単純化した模倣となる.細胞の設計は以下の通り.

[Cell A: CD19 + mCherry + ┤CD19 synNotch, αCD19 synNotch → Ecad + GFP + ┤CD19]

この細胞は,初期状態ではCD19と赤色蛍光分子のmCherryを発現しつつ,CD19受容体であるsynNotchを抑制(┤)する,という状態となっている(抑制されてはいるが,完璧ではない.一部に受容体のαCD19 synNotchが発現していることがある).この細胞が集まると,偶然少量のαCD19 synNotchを発現していた細胞がCD19を受容,すると右側の過程が発動し,EカドヘリンとGFPを作りつつ,当初は作っていたCD19とmCherryの生産が停止するとともにCD19 synNotchへの抑制が解除される.するとCD19 synNotchが発現しまくるので,このループに入った細胞はGFPを作るいわば細胞A'へと分化するわけだ.この細胞A'はカドヘリンも作っているので凝集し,先ほど同様二層構造が実現する.違うのは,今回は一種類の赤く光る細胞Aからスタートし,それが互いのシグナル分子の影響により一部が緑色のA'に分化,それが中心に凝集した構造を作る,という点だ(Supplementary Fig. 5およびMovie 3).

他にも,二種類の細胞で発現するカドヘリンの種類を変えることで非対称な複数層構造を作成したりといった事も行っている.(Supplementary Fig. 6〜10およびMovie 4Movie 5).

まだまだ初歩的な構造を作る程度しか出来ていない段階ではあるが,論理ゲート的な感じで細胞内で起こることを次々に切り替え構造を作る,というのは非常に面白い.こういったことまで出来るようになるとは,遺伝子技術も進歩したものである.(2018.6.7)

 

194. 硫化亜鉛の隠された性質:遮光下での塑性変形

"Extraordinary plasticity of an inorganic semiconductor in darkness"
Y. Oshima, A. Nakamura and K. Matsunaga, Science, 360, 772-774 (2018).

名大のグループによる面白い研究成果である.
無機半導体は集積回路や光学素子,光電変換などさまざまな場所で利用されている.一般的な印象として,これら無機半導体材料は硬くて脆い物質であり,あまり柔軟な塑性変形は示さない.このため近年研究が進んでいるようなフレキシブルな電子回路などの用途には有機半導体などが用いられている.
今回の論文で扱われているZnSもそういった無機材料の一つであり,硬くて脆いという典型的な力学的挙動を示す……と思われていた.
今回報告された論文は,このZnSの力学的特性が,周辺の光によって大きな影響を受けている,という知られていなかった事実を明らかとした.

ほどほどのバンドギャップをもつ半導体に光を当てると,キャリアが励起され電動特性等が大きく変わることはよく知られている.例えば今回の論文で扱われているZnSをはじめ,CdSやPbSなど多くの物質で観測されている.
そのため光照射による伝導現象の変化などはよく調査されているのだが,一般的に力学的な特性,例えば硬さや塑性変形のしやすさ等は何とはなしに「光が有ろうと無かろうとそんなに変わらないだろう」と無意識に考えているのではないだろうか?
今回著者らは,角柱状のZnSの単結晶の上下方向から圧力をかけ変形させるという実験を,UVや可視光の照射下と,完全な暗状態とで比較した.
なぜそんなことを使用と思ったのかは謎ではあるが,得られた結果は驚くべきものであった.通常の条件下,つまり自然光やUVの照射下では,ZnSの結晶はせいぜい3%前後程度の変形を受けただけで砕けてしまった.ところが不思議なことに,完全に光を断った状態だとZnSは一段「柔らかい」特徴を示し,半分程度の力で変形を開始.しかも45%の変形を受けるまで柔軟に形を変え続けたのだ.つまり,ZnSは光が当たっているときは硬く砕けやすい一般的にイメージする無機塩的な挙動を示すが,光がないとプラスチックのように柔軟に形を変えられる,という事になる.
しかも変形に伴い,無色であったZnSは次第に薄黄色〜褐色に呈色していくことも確認された.これは結晶中に生じた欠陥部分が不純物準位のように働き,バンドギャップを縮めていることに由来する.
なお,光を断って変形させた結晶に改めて光を当てると,その状態で硬さが増し,それ以上の変形を起こしにくくなるという挙動も確認された.その後にまた光を断てば柔らかくなるなど,この挙動は可逆的でもある.

日頃浴びている光を断つだけで柔らかくなるというのはなんとも不思議な結果であるが,何が起きているのであろうか?
著者らはミクロなメカニズムを明らかにするため,電顕による調査を行った.通常の環境下,つまり光を受けているときの変形では,外力により結晶の一部が滑ると,その部分からはっきりとした双晶変形が見られることが確認できた.結晶に力を加えていくと,あるところで欠陥が生じ,その部分で少し結晶が滑り,面状の欠陥が生じる.生じた欠陥が動きにくいと,ズレた部分では原子の並びが斜めになっているので,向きの違う結晶が接合されたような状況となる.

変形前
○−○−○−○−○
| | | | |外力→
○−○−○−○−○
| | | | |
○−○−○−○−○
| | | | |外力←
○−○−○−○−○

変形後(1. 二つの欠陥面が生じている)
  ○−○−○−○−○
  | | | | |
  ○−○−○−○−○ ←欠陥面
/ / / / / 
○−○−○−○−○ ←欠陥面
| | | | |
○−○−○−○−○

変形後(2. さらに変形が進み,上側の欠陥面のみが上方へと移動)
    ○−○−○−○−○ ←欠陥面
  / / / / / 
  ○−○−○−○−○ この部分,結晶の向きが違う(双晶)
/ / / / / 
○−○−○−○−○ ←欠陥面
| | | | |
○−○−○−○−○

この双晶変形を示すような場合は,欠陥面が動きにくく変形があまり自由ではないので,ある程度以上の変形は困難であり硬くて脆い特性が表れる.

一方,光を断った状態で変形させた結晶を観察すると,双晶変形は確認されず,欠陥面に挟まれた無数の細い領域が確認された.これは要するに,滑り変形が進んでいるような感じである.

変形前
○−○−○−○−○
| | | | |外力→
○−○−○−○−○
| | | | |
○−○−○−○−○
| | | | |
○−○−○−○−○
| | | | |外力←
○−○−○−○−○

変形後(1. 二つの欠陥面が生じている)
  ○−○−○−○−○
  | | | | |
  ○−○−○−○−○ ←欠陥面
/ / / / / 
○−○−○−○−○ ←欠陥面
| | | | |
○−○−○−○−○
| | | | |
○−○−○−○−○

変形後(2. さらに変形が進むが,欠陥面がペアで移動している)
  ○−○−○−○−○
  | | | | |
  ○−○−○−○−○
  | | | | |
  ○−○−○−○−○ ←欠陥面
/ / / / /
○−○−○−○−○ ←欠陥面
| | | | |
○−○−○−○−○

この場合,外力に対応して欠陥面のペアがスルスルと移動するだけで変形が伝播するため,結晶は柔軟に変形することが可能となる(変形による原子位置の移動が,どんどん連鎖して大きく移動することが出来る).

著者らは,このような欠陥面の移動のしやすさの違いの原因をキャリアと欠陥との間の相互作用に求めている.欠陥部分は半導体におけるある種の不純物準位のように働く.このため,電子やホールといったキャリアと欠陥の間には引力が働く.ZnSなどの光導電性のある物質に光が当たっているとある程度のキャリアが定常的に発生しており,このキャリアが外力によって生じた欠陥部分にトラップ,それにより結晶の欠陥が移動しにくくなり,結果として外力による自由な変形を妨げている,というわけだ.
光を断った状態ではキャリアがほとんど存在しないので,外力によって生じた欠陥は自由に結晶中を動き回ることが可能となり,柔軟な塑性変形を引き起こす.

何というか,環境光レベルの光の有無でこれほどまでに物質の柔軟性が変わってくる,というのは予想外で面白い結果であった.(2018.5.19)

 

193. 合成生物学:遺伝子編集を用いた細胞のアナログメモリ化

"Rewritable multi-event analog recording in bacterial and mammalian cells"
W. Tang and D. Liu, Science, 360, eaap8992(1-10) (2018).

遺伝子改変技術の進歩に伴い,さまざまな刺激に応じて何かのタンパク質を発現させたりする技術が急速に発展している.これを用いれば,例えば特定の環境下で発光して知らせる細胞であるとか,ある化学物質の濃度が高くなるとそれに応じた何らかの物質を生産する細胞などの作製が可能になることから,生きたセンサーや生きた化学工場,生きた医療デバイスなどとしての利用が可能になると期待されている.
さて,これらの研究の多くは「入力(化学的環境)に応じて(化学的な)出力を行う」という,ある種の計算機的なものと見なすことが出来るわけだが,計算機とするには重要な素子が欠けていた.それは「書き換え可能なメモリ」である.今回の著者らの報告は,細胞内/DNA内に外部環境に応じて情報を書き込んだり初期化したりする,というものになる.
これにより,例えば累積的な環境の以上をあとから読み出したり,各種のイベントがどういった順序で起こったのかを記録したりと,まさに細胞を生きて増殖する記録媒体(そして将来的には,それに応じて応答する生きる生命化学機械)として利用する事が可能になるわけだ.

今回著者らが用いたのは,生きた細胞としては大腸菌,情報の記録としては主にプラスミド,情報の書き込み手段としてはCRISPR-Cas9または一塩基エディタを用いている.

プラスミドというのは大腸菌などがもつ環状のDNAであり,大腸菌本体のDNAとは別個に存在しつつも大腸菌の生存にとって必要だったり有利になったりするタンパク質がエンコードされたDNAである.このプラスミド,細菌の接合などにより個体間で頻繁にやり取りをされており,これにより例えば特定の抗生物質に対抗できる能力が広く伝播したりする.工業的/生物学的には大腸菌等に発現させたい遺伝子をプラスミドに組み込み大腸菌に導入することで,さまざまなタンパク質を量産させたり,大腸菌に特定の機能を組み込んだりと活用されている.

CRISPR-Cas9系は,要するに「特定の配列を認識し,その場所でDNAを切断する」というタンパク質である.これを利用する事で,狙った配列だけを切断(そして,その部分に特定の配列を組み込んだり,削ったり)できる.標的を特定するガイドRNAを作る部分の配列を変えることで,任意の配列を標的とすることが可能だ.

最後の一塩基エディタは,CRISPR-Casによる「特定箇所の編集」を改善したもので,最近ホットな研究テーマだ.CRISPR-Casは特定の部分を切断できるという素晴らしい能力を持っているのだが,DNAの2本鎖を2本とも同時に切断してしまうため,組替え部分に意図しない変異などが入ることがあった.それに対し近年開発されている一塩基エディタなどでは,例えば2本鎖の片側だけを切ったり改編したりして,それを鋳型とすることで文字通り特定の一塩基のみを書き換えることを可能とした手法だ.今回の著者の一人,D. Liuはこの一塩基エディタの開発で素晴らしい結果を残している.

でまあ,そういったものを組み合わせてどうやって記録を実現したのかというと,以下のようになる.
まず,2種類のプラスミド,R1とR2とを用意する.この2つのプラスミドはほとんど同じ配列を持っているが,1箇所(3塩基分)だけ異なる配列となっている.大部分を同じ配列にしているのは,このプラスミドを保持することによるコストをほぼ同一にするためだ.例えばR1の方がコストがかかるとなると,R2のみを持っている大腸菌の方が増殖しやすくなるので,そういった差を無くしたわけだ.
そして大腸菌本体のDNAの方に,Cas9のシステムを組み込む.このときガイドRNAが標的とするのは,R1の配列である.ただもちろん,そのまま発現させてしまうと単純にR1がどんどん切断されて排除され全てR2になってしまうだけなので,このCas9のプロモーター(その先のDNAの発現を決めている部分.この部分に特定のタンパク質が結合すると,続く配列部分が翻訳され発現する)としてTetO配列を組み込んでいる.これはよく使われる「テトラサイクリン遺伝子発現調節システム」で,通常時は別の箇所に組み込んだR配列が作るTetリプレッサーと呼ばれるタンパク質がTetO配列に結合,これによりTetO下流の発現を抑制する.この状態で系中にテトラサイクリン(もしくはその前駆体のアンヒドロテトラサイクリン)が導入されると,こいつがTetRと結合してTetRを無効化,結果として自由になったTetOがプロモーターとして働くようになり,その結果下流の配列が発現する.要するに,テトラサイクリンを加えたときだけ特定の配列が発現し,それ以外のときには発現しないようなシステムを作れるわけだ.で,今回の系ではテトラサイクリンが存在するとCas9が発現,こいつがR1プラスミドを認識して切断する,という流れになる.

まず著者らは,大腸菌に組み込んだR1とR2の比率が世代交代で変化してしまわないかをチェックしている.その結果,もとの状態から1015ぐらいにまで増殖(実際にこれだけの膨大な数になったわけではなく,1000倍に増やし,その一部をとってきて1000倍に増やし……で実効的にこの希釈率という感じ)しても,当初のR1/R2比が維持されていることを確認している.R1/R2が60/40からスタートすれば1015倍状態でもR1/R2はほぼ60/40(1〜2%以内の差),違う比率である29/71からスタートすれば最終的にも29/71(同様にわずかな誤差)が維持されていた.

では情報の書き込みである.R1/R2が58/42である大腸菌の培養系中にテトラサイクリン(のもとになるアンヒドロテトラサイクリン)を加えて培養する.すると当然ながらCas9が発現しR1プラスミドのみを切断するので,培養されている大腸菌群中ではR1の量が減っていく.3時間後ではR1/R2は21/79,6時間後には4/96にまでR1の比率が低下していた.要するに,テトラサイクリンという化学種の刺激の積算量を,R1プラスミドとR2プラスミドの比の変化という形でDNAに記録できている,というわけだ.しかも特定化学種がある/無いの二値化ではなく,どのぐらいの濃度・時間あったのか,という事をアナログ的に記録できている.

著者らはさらに記録の高度化として,先ほどの「下流側の発現を抑制するTetO」に加えて,「上流側の発現を抑制するLacO(IPTGがあると解除され,転写が可能になる)」をCas9配列の下流に導入した.要するに,カギを2つ付けたわけだ.先ほどまではテトラサイクリンがあればCas9が発現してR1を分解していたが,今度はテトラサイクリンとIPTGの「両方が同時に存在する」ときのみCas9が働きR1を減少させる,つまりANDゲートとして働く.この場合も先ほどと同様に,二つの刺激があるとR1の比率が顕著に減少する,という,目的通りの情報記録に成功している.

これだけだと「情報の記録」といってもWrite Onceであるので,著者らはもう一歩進めて情報の初期化も可能にした.1つ目の方法は,R1,R2に薬剤耐性遺伝子を同時に組み込む,という方法だ.例えばR1にのみ抗生物質に対する耐性遺伝子を組み込んでおく.すると,抗生物質による処理を行うと,R1をもつ大腸菌ほどより高い確率で生き残る,つまり大腸菌群におけるR1の比率を増やすことが出来る.Cas9は刺激でR1を減らし,情報を初期化したいときには適切な時間だけ抗生物質の存在下で培養を続ければR1を持たない大腸菌がどんどん死んでR1の比率がまた高くなる,というわけだ.
2つめの手法としては,Cas9の標的を選択性にする,というものも試みている.Cas9がどんな配列を切るのかはガイドRNAの配列に依存するわけだが,このガイドRNAのもとになる配列を2種類用意し,それぞれ違う刺激で発現するための異なるプロモーターを用意する.これにより,Aという刺激が加わるとガイドRNA-1が作られR1が切断され,Bという刺激が加わるとガイドRNA-2が作られR2が切断される.これにより,R1/R2比を自由に初期化できる.

プラスミドを使う手法では,プラスミドをもつ大腸菌などでしか利用できない.そこで著者らは別な情報記録手法として,著者の得意技である一塩基エディタを用いた系も開発した.まあこちらも基本的な考え方は一緒で,「特定の刺激があると一塩基エディタが翻訳され,特定の箇所の配列を書き換える」というものになる.
さらに発展系としては,「標的とする配列が異なる3箇所であるような一塩基エディタ×3を,それぞれ違う刺激で発現するようにしておいて,3種類の刺激をそれぞれ別個に記録する」などを開発している.
面白いのは,「二つの一塩基エディタだが,認識する配列が部分的に被っていて,最初にAという刺激を受けるとエディタ1によって配列の一部が書き換えられ,書き換えられた結果がエディタ2の標的となる」という系だ.単にエディタ2が起動されただけだと,標的配列が無いため書き換えが行われないのだが,「エディタ1が起動された後」だと「書き換えの結果,標的となる配列が生み出される」ためにエディタ2が活動,書き換えが起こる.つまり,二つの事象が,特定の順序で起こった場合にのみある部位の書き換えが起こる,というような複雑な情報処理が可能になっている.

発想は単純なのだが,実験は結構面倒くさそうである.あとはこれに様々なタンパク質の発現,発現したタンパク質による効果や抑制やなんだかんだと組み合わせると,非常に高度な化学的演算による生化学的処理が可能になりそうで面白くはある.(2018.4.14)

 

192. 熱衝撃を用いた多成分合金ナノ粒子の合成法

"Carbothermal shock synthesis of high-entropy-alloy nanoparticles"
Y. Yao et al., Science, 359, 1489-1494 (2018).

金属ナノ粒子は特に触媒としての利用が広く行われており,その特性の向上は化学工業における生産性や排ガス処理など非常に幅広い分野に大きな影響を与える.触媒用途という面から見ると,さまざまな金属元素を含んだナノ粒子,つまりナノ合金をどのようにして作製するかは特に重要なポイントとなる.触媒特性は粒子表面での原子の並びとその電子状態に依存しているのだが,複数の金属元素を合金化することでその電子状態を変化させたり,複数種類の金属元素が接している部分で特異的な反応が起こったりするためだ.
ところが,多数の金属元素を含むナノ粒子を作成する事には大きな困難が伴う.例えば製造が容易なウェットプロセス,つまり溶液中での金属イオンの還元を考えると,還元剤により最初に還元されるのは最もイオン化傾向の小さい金属(典型的には金,白金など)であり,溶液中に共存するもっと卑な金属(例えば鉄であるとかスズであるとか)を同時に還元することは出来ない.そのため複数種類の金属イオンが共存する溶液に還元剤を放り込んだからといって,合金が出来ることはそうそう無いわけだ.
一応,そういった難しさを解決する手法も色々と研究されてはいるのだが,複数回に分けたリソグラフィーを伴うな複雑なプロセスが必要であったり,生成する粒子の組成やサイズのばらつきが非常に大きい手法であったりと,なかなか決定打は存在しない.

今回報告されたのは,そんな作成が難しい「ナノ合金」を,いとも簡単に,しかも8種類以上もの金属を混合して作製できる簡便な手法である.しかもこの手法,急冷によるクエンチを伴うので,通常では合金化できないような組み合わせ(例えば,バルクでは金と鉄は混ざらない)であっても構わず固溶体の合金にしてしまえる,という特徴を持つ.

ではまず,著者らの行った手法を見ていこう.ナノ粒子の担体となるのは,高分子ナノワイヤーを焼きだして炭素化したカーボンナノファイバーである.このカーボンナノファイバーからなるぺらぺらのシートを金属イオンの塩化物を溶かしたエタノール溶液に浸し,十分染みこませる.合金を作りたい場合は,この段階で複数の金属イオンを含む溶液を用いる(例えば塩化鉄と塩化コバルトと塩化白金酸を含むエタノールに浸す,など).カーボンファイバーシートを引き上げたら乾燥させ,アルゴン雰囲気中で通電加熱を行う.要するに,導電性のカーボンファイバーシートの両端に電極をつけ,そこに電流を流すことで一気に加熱するわけだ.このとき,加熱を十分短時間で行うことがポイントである.著者らは合金ナノ粒子が作りやすい条件として,55ミリ秒程度のパルス加熱がいい感じだったと書いている.
金属イオンが染みこんだカーボンファイバーシートはジュール熱により105 K/sという猛烈な昇温速度で加熱され,およそ2000 Kに達するとそのまま50ミリ秒ほど電流が流し続けられ温度をキープする.その後電流が切られると,これまた105 K/s程度の猛烈な速度で冷却される.なお,加熱時間や冷却時間は,流す電流値やその減衰の仕方などによりコントロール可能である.

こうして加熱されたカーボンファイバーシートを電顕で確認すると,数百 nm程度の太さのカーボンファイバーの表面に,5 nm程度のかなり均一性の高いナノ粒子が無数に付着していることが確認された.電顕付属のEDXで元素分析を行ったところ,個々の粒子内に原料として入れた金属イオンが満遍なく取り込まれていることも確認できる.著者らは色々な組み合わせでデモンストレーションを行っているが,例えば単一成分のナノ粒子に始まり,PtNiやAuCuといった二元系ナノ粒子,PtPdNiやAuCuSnといった三元系,PtPdCoNiFeといった五元系やとりあえず手元にあったやつ全部入れました状態のPtPdCoNiFeCuAuSnの8元系ナノ粒子など,もうとにかく色々作っている.どの粒子も内部では各金属原子がランダムに入り交じった固溶体となっており,しかも結晶質のナノ粒子となっていることが確認された.
これはなかなか凄いことで,例えばこれら8元素は原子半径で1.24〜1.44 Åの幅があり,酸化還元電位( vs SHE)で言えば酸化されやすいCoやNiの-0.25あたりから酸化されにくい金の1.5 Vぐらいまでとこちらもものすごい幅がある.しかもバルクだと体心立方格子になる金属や面心立方格子になる金属や六方最密になる金属等々と,結晶構造の違う金属まで入り交じって一つの結晶となっている.
また,粒子ごとの組成のばらつきや,粒径のばらつきもかなり小さい.例えば5種混合のPtPdCoNiFeに関しては,組成のばらつきは10%程度しかない.過去の報告例にあるリソグラフィー法などでは50%など非常に大きなばらつきがあるのとは対照的である.

では,なぜこれだけ簡便な手法で,これだけ綺麗なナノ粒子が得られるのだろうか?著者らは検証のためにいろいろと条件を変えて実験を行いそれを考察しているのだが,ここでは結論のみ記すことにする.
まず,急激な加熱により金属塩は分解し,高温のため塩素が気化して中性の液化した金属が残る.この中性の金属ナノ液滴は,担体であるカーボンファイバー表面に残存している無数の酸素欠陥(ポリマーを焼きだした際に形成された酸素を含む置換基)を「食べる」.これは要するに,金属が触媒となって酸素欠陥部分がCOやCO2として脱離する反応なわけだが,周囲に無数の酸素欠陥がある状況のため,最初に形成された金属ナノ液滴は多方向へ一気に広がろうとし,無数の小さい液滴に分裂しながらカーボンファイバー表面を疾走する.
走り回るナノ液滴は途中で別種の金属原子からなるナノ液滴と幾度も衝突し,そのたびに融合&多方向に広がって分裂,を繰り返すことである種の平衡状態となり,均質な組成をもつ無数の金属ナノ液滴を形成する.著者らの概算では液滴の会合・分裂は106回以上は起こるという事なので,この間に十分な混合が起こると期待される.
その後パルス状の電流印加が終了すると,今度は温度が一気に下がる.すると金属ナノ液滴はもはや移動することは出来なくなり,そのまま急冷され結晶化,合金ナノ粒子が生成する,というわけだ.当然ながら,この最終段階であえてゆっくり冷却するようにすると,ナノ粒子内で異種金属が分離析出したり,という事も起こる(いわゆる,バルクで合金化しない組み合わせの場合).
要するにまあ,
・酸素欠陥のおかげで金属液滴が動き回り,良く混合され均一な合金になる
・急冷により,混ざったままクエンチしてそのまま結晶性合金ナノ粒子化
というわけだ.著者らは今後のサジェスチョンとして,「もっと急冷できれば,アモルファスナノ合金も出来るんじゃないかな」と書いているが,おそらく可能だろう.

というわけで著者らの開発した新手法だが,この論文はそれだけにとどまらず,新たな触媒作成法としてのデモンストレーションも行っている.この手法でPtPdRhRuCe五元系触媒(均一な合金)と,相分離してしまっているPtPdRhRuCe五元系触媒で,アンモニアの酸化を行っている.この反応はいわゆるオストワルト法による硝酸の合成の最初のステップなのだが,NH3からNOやNO2といったNOxを作りたいのに,しばしばN2やN2Oが生成してしまうことが知られており,純度を上げるためにはかなり高温に上げる必要がある反応である(現在工業的に使われているPt触媒で800 ℃程度,コスト押さえるためにPtの量を減らすと900 ℃以上などになりがち).
実験の結果,今回の手法で作製した固溶体五元系触媒だと,温度を700 ℃に上げるだけでほぼ100%の選択性でNOとNO2を合成することに成功している.これは現在工業的に用いられている触媒が800 ℃以上を要求するのに対し,かなりの低温で済むことになる.これに対し,同じ組成の相分離してしまっているナノ粒子だと,わずか20%以下しかNOやNO2が生成しなかった.本手法の「多種金属が完全に均一に混合している」という利点が旨く発揮されている.なお耐久性としては,とりあえず30時間反応させても反応性,選択性ともに変化は見られておらず,そこそこの耐久性はあるようだ.

さらに著者らは量産性のことも視野に入れており,ポリマーナノファイバーではなく,木材を焼きだして作った活性炭を用いても同様の事が可能で,この場合体積が非常に大きくなるから一度に多量に作れる,であるとか,最終的にはカーボンファイバーで出来たシートをロール状にして,roll-to-roll方式でいけるんじゃないか,という事でそれを模擬した実験を行ったりもしている.詳しくはSupplementary Materialsの図S75あたりをご覧いただきたい.

というわけでナノ合金の作成法であった.
これ,こんだけ色々な金属を自由自在に合金化できるとなると,かなり応用範囲は広い感じである.しかもナノ材料にありがちな「特性は良いんだけどコストがね……」という点も,Supplementary Materialsで試しているバルク木材で大量作成だとかroll-to-roll方式がいけるとなると相当なインパクトがありそうだ.(2018.3.30)

 

191. 水の液液相転移を再現できる(?)新たな水溶液

"A liquid-liquid transition in supercooled aqueous solution related to the HDA-LDA transition"
S. Woutersen et al., Science, 359, 1127-1131 (2018).

水は非常に身近な溶液でありながら,その挙動には他の液体と比べかなり奇妙な点が多い.例えば通常の液体が温度の低下とともに単調にその密度を上げていくのに対し,水は4 ℃で密度最大をとったあと温度の低下とともに密度が逆に低下していく.これは一般には,「低温にいくと水素結合のせいで密度が低い氷の構造に近づいていくため」だと考えられているが,実際にはもっと複雑な事情が隠れている(と信じられている).現在の科学の認識では,常温付近の水というのは「異なる構造をもつ2種類の液体のミクロな混合物」であると推定されているのだ.

話は1980年代に遡る.当時,さまざまな金属であったりといった各種の液体を急冷することでのアモルファス固体の作製が研究されていたのだが,その中でMayerらは微小水滴を超急冷することでアモルファス氷を作成する手法を開発する.このアモルファス氷を加熱していくと,136〜160 K付近(研究によりばらつきあり)でガラス転移を示し,液体となると報告された(*).

*ただし,液化した直後に結晶化して通常の固体となってしまうため,液体状態の研究は出来ていない.また,2004年には類似のガラス転移を示す無機固体の研究からの類推で,このとき熱測定で見出された「ガラス転移(ガラス状態 → 液体への転移)」と思われていたものは,実はガラス転移よりも低い温度で起きるガラス転移の「影」のような前駆現象である事が指摘されている.

一方,三島らは「氷の融点は高圧下で低下する.ならば,低温で氷に十分に高い圧力をかければ,極低温で液化させられるのではないか?」との発想から実験を行い,液体窒素温度の氷に高圧を印加するとあるところで体積が一気に縮み,高密度の別種の構造をもつ固体に転移することを発見する.この「高密度の固体」は圧力を除いたあとも(低温を維持していれば)そのままの形で取り出すことが可能で,X線などの結果からアモルファスの氷(ただし,過去に液滴の急冷で得られたものよりかなり密度が高い)である事が判明した.
また,のちに行われた実験により,液滴に急冷で得られる低密度のアモルファス氷(Low Density Amorphous Ice,LDAと称される)に圧力をかけていくと,この高密度のアモルファス氷(High Density Amorphous Ice,HDA)に転移することがわかった.アモルファスな物体というのは通常「構造が完全にランダムな固体」と考えられていたため,「2つの構造の異なるアモルファスな状態」が存在する(しかも,それらは熱力学的に異なる相で,間に相転移がある)という事実は驚きをもって迎えられた.

さて,アモルファスな固体というのは,一般には「液体を急冷することにより,その構造を保ったまま凍り付いた固体」と認識される(絶対そうだというわけではないが……).アモルファスな氷の構造が2種類あるということは,液体の水も2種類の構造があるのではないだろうか?(**)

(**)この観点からも多くの研究が行われており,現在の「液体の水」の理解としては
・一分子当たり4つぐらいの水素結合を作っている「氷に似た構造の低密度の水」と,3つぐらいの水素結合を作っている「高密度の水」がミクロに入り乱れたモザイク構造.
・230 K付近に第二臨界点があり,これより高い温度では低密度水と高密度水は連続的に変化できる.
・高温になるほど,高密度水の領域が増大する.
・塩類を溶かすと,その周囲は「高密度の水」に寄っており,均一な溶液に見えて実は「塩を溶かした高密度の水」と「塩があまり溶けていない低密度の水」のミクロな混合物となる.
・塩類の溶液を冷却すると,「塩があまり溶けていない低密度の水」の部分で結晶核が生成し,それが成長し氷となる.
と考えられている.ただし後述の通り実験的検証は難しく,異論もある.

アモルファス物質の特徴として,温度を上げていくとどこかでガラス転移を示し,液体になるはずである.であるならば,LDAを加熱していくとどこかで低密度な液体の水になり,HDAを加熱していくとどこかで高密度な液体の水になるのではないだろうか?
そう考え多くの実験が行われたのだが,残念ながらそれらは失敗に終わってしまっている.低温のLDAやHDAを加熱していくと,ガラス転移(液化)が起こるよりも前(=より低温)に結晶化転移が起こり,結晶質の単なる氷へと転移してしまうため「LDAやHDAが融解した過冷却液体状態」にアクセスできない.一方高温側から過冷却液体を慎重に冷却していっても,自然核発生温度(自発的に液体中に結晶核が生じ,急激に結晶化してしまう温度)で急速に結晶化してしまい,より低温(=LDAやHDAになる前の液体状態)にたどり着くことは基本的に不可能である.この「高温側からも低温側からも接近できない,(過冷却)液体の水の温度領域」はNo man's land(未踏領域)と呼ばれ,水の構造研究を難しくする最大の要因となっている.

そんなわけで「水は実は2種類の液体の混合物で,それらの間の相転移が(第二臨界点以下の低温では)存在する」というのは非常に面白い仮説なのだが,実験的な検証が困難である.これをなんとか乗り越えるため,実験家は
・ナノ細孔に閉じ込め結晶化を阻害(ただし,そもそもの液体の状態が変わるため微妙)
・常温の液体中の分子の状態を分光学的に調べ,2種類ある事を示す(ただし,それらが相分離しているかは謎)
・臨界点そのものには辿り着けなくても,そこに近づく過程の振る舞いの変化を理論と照合(決定打に欠ける)
・シミュレーションにより解決(計算量は多いが,最近だと結構頼りになる)
など,さまざまな工夫を行っている.今回紹介する論文の手法は,「いっそ,単なる水以外の系で同種の振る舞いを探す」というものになる.近年では,そういう研究も数多く行われている.
そもそもの液液相転移や水のもつ2液ある事に由来する異常な物性も,水の専売特許というわけではないはずだ.適切な物質を持ってくれば,同種の現象は起こるはずである.そういった系の中で,(水では結晶化してしまうため到達しにくい)第二臨界点近傍が測定できる系もあるのではないだろうか?
そのような観点から今回著者らがたどり着いたのが,「水に14.4 mol%ほどトリフルオロ酢酸ヒドラジニウムを加えた水溶液」である.トリフルオロ酢酸イオンは酢酸イオンの水素原子を全てフッ素で置換したような系で,CF3-C(=O)Oという構造をもつ.二つの酸素原子上の5つの非共有電子対を使って,水との水素結合を多数作る事が出来るし,フッ素原子もまあある程度は水素結合を作る事が可能である.対イオンのヒドラジニウムはH2N-N+H3という構造を持ち,5つの水素原子を使って周囲の水分子と水素結合を作る事が出来る,構造的には水分子が二つ結合したものに非常に近い構造を持っている.要するに,カチオン,アニオンともに水素結合を作りやすく,水の水素結合ネットワークをあまり破壊しない(=水の構造を良く保つ)という特徴を持ちつつ,余計なものを溶かすことで結晶化を阻害して低温まで過冷却液体状態を保とう,という戦略だ.

では著者らの実験結果を見ていこう.まず載っているのが,比熱のデータだ.通常の過冷却水を冷却していくと,-50 ℃付近(=第二臨界点と目されている温度)に向け比熱が発散していくような傾向が見られる(そして臨界点に到達する前に結晶化してしまう).それに対し14.4 mol%の溶質を溶かした今回の件では,20 K/minという比較的速い速度で冷却していくと,もう少し低温の-80 ℃(約190 K)付近に向け発散するような鋭いピーク=転移を示したあと,より低温まで液体状態を保っている.これは今回作製した溶液が明確な液液相転移を示している一つの証拠である.不純物を入れつつも出来るだけ水素結合のネットワークを壊さない,という設計により,(推定上の)水の液液転移を測定可能なところに引きずり出したと見なすことが出来る.一方,同程度の濃度の単なる塩であるLiClを入れて水の水素結合を壊してしまうと,今回見られたような液液相転移は確認されず,単にもっと低温で結晶化するだけであった.

続いて,分光学的手段による調査として,赤外吸収によりO-H(とN-H)伸縮振動を調べ,水素結合の情報を得ている.室温付近では3420 cm-1付近のそこそこ強くて非常にブロードなピークと,それよりかなり弱くこちらもブロードな3300 cm-1付近のピークが確認できている.前者はO-H伸縮によるものであり,後者はN-H伸縮によるものなのだが,前者の値や線幅は純粋な水の場合とほとんど変わらず,溶質としてそこそこの量のトリフルオロ酢酸ヒドラジニウムを入れているにもかかわらず,水分子の水素結合の状態がほとんど変わっていない事を示唆している.
7 K/minの速度で温度を下げていくと,3420 cm-1付近のO-H伸縮は低波数側に徐々にシフトしていくのだが,190 Kあたり(=比熱で液液転移が見られた温度)を境に急激な変化を見せ,3420 cm-1付近のピークは消え代わりに3300 cm-1付近にピークが現れ,温度の低下とともに成長していく.これは190 Kの液液転移により水素結合の様式ががらりと変わったことを意味している.続いて7 K/minで加熱していくと,やや上の温度である204 Kあたりでもとの波数へとまた急激に変化する.冷却時と加熱時で転移温度に差がある(=ヒステリシスを示す)ことから,この液液相転移は一次転移である事が示唆される.ちなみに,もう少し温度を上げていくと210〜220 Kあたりで結晶化して氷となる.
190 Kで見られた液液転移が,ガラス転移(見た目液体だが,実際には運動が凍結してガラス状態になっている)ではないことがこのO-Hの振動数からわかる.ガラス転移は単なる凍結なので,振動数が劇的に変化することはないためだ.また,高温側で3420 cm-1のブロードな吸収,低温側で3300 cm-1のややシャープな吸収という今回観測されたO-H伸縮の振動数は,純水における高密度アモルファス相におけるO-H伸縮が3340 cm-1でブロード(ただし,測定温度が11 Kなのでそこそこ低波数シフトしている可能性あり),純水における低密度アモルファス相におけるO-H伸縮が3300 cm-1でややシャープ(同80 K),という事と良い一致を示しており,今回作製された溶液での転移が,純水において推定されていた液液相転移と起源を同じにしていることを示唆している.

なぜ今回の系では,これだけ水に似た特性を再現できたのだろうか?著者らは分子動力学計算からその理由も探っている.計算が示すところによれば,水の第一配位圏(水分子と,それに隣接する分子の位置関係)の構造は,純粋な水と今回の溶液とでほとんど変化がなかった.そればかりか第二配位圏まで広げて考えても,常圧の水とはやや異なるものの,約6000気圧というほどほどの圧力を印加した際の水の第二配位圏と非常に酷似しており,「溶質が溶けて結晶化を阻害してはいるけど,ヒドラジニウムイオンもトリフルオロ酢酸イオンも周囲の水分子とよく水素結合を作って,周りの構造を阻害していない(=元々の水に近い構造を保っている)」事を示唆している.結晶化を阻害することにより低温での液体状態を実現しつつも,元々の水の示す(と推測される)特異な液液相転移の特性は良く維持しているわけだ.

というわけで,観測不可能であると考えられている水の液液相転移を,(ちょっと系が変わるとはいえ)実測できるところまで引きずり出して見せた面白い研究であった.(2018.3.14)

 

190. 化学的論理ゲートによるゲル分解を利用した特定条件下での薬剤放出

"Engineered modular biomaterial logic gates for environmentally triggered therapeutic delivery"
B. A. Badeau et al., Nature Chem., 10, 251-258 (2018).

薬剤を特定の組織のみに届けるドラッグデリバリーは,副作用が少なく効率的な治療を実現できることから,近年盛んに研究がなされている分野だ.そういったドラッグデリバリーを実現する手法の一つに,薬剤等をカプセルに入れ,そのカプセルが特定の条件下で分解されるようにする,というものがある.
さまざまな疾患において,患部の組織では通常とは異なる条件が実現している事が知られている.例えば癌細胞では細胞外マトリクスを分解するタンパク質であるマトリックスメタロプロテアーゼ(MMP)が多く発現し他の組織に浸潤しやすくなっていたり,pHが正常な組織に比べてやや低かったり,還元性の条件になっていたりする.こういった条件下で分解されやすいカプセルを作って中に抗癌剤を入れておけば,癌細胞にたどり着いたカプセルがそこで分解,中の薬剤がピンポイントに放出され効果を発揮する,というわけだ.
ところが,これらの「通常とは異なる条件」は癌細胞だけで実現しているわけではない.例えばMMPは骨の形成や血管の新生(これらはいずれも,既存の構造を部分的に分解する必要がある)などでも発現しているため,単純にMMPだけをターゲットとすると思わぬ副作用を引き起こす可能性がある.より正確なドラッグデリバリーを実現するには,もっと複雑な条件判定を行うことが必要となるわけだ.

今回著者らが報告しているのは,分子を使った論理ゲート的な構造により,複数の条件が満たされたときのみ分解するようなゲルの開発だ.
著者らが利用したのは以下の3つの反応である.1つ目はジスルフィド結合(R-S-S-R')であり,TCEPなどの還元剤により二つのチオールとして切断される(R-S-S-R' → R-SH + HS-R').還元(Reduction)で切れるので,これをRで表す.2つ目はアミノ酸配列による結合(R-G-P-Q-G-I-W-G-Q-R')で,酵素であるMMPにより切断される(R-G-P-Q-G-I-W-G-Q-R' → R-G-P-Q-G + I-W-G-Q-R').酵素(Enzyme)で切れるので,これをEで表そう.3つめはo-ニトロベンジルエステルのエステル結合が光開裂することを用いたものになる.光(Photon)で切れるので,これをPで表す.これら3つの構造を組み合わせることにより,3つの異なる刺激で,3つの異なる部位を切断できるわけだ.
例えば環状の接合部で上側にR,下側にEという異なる刺激で切断できる部位を入れたとしよう.
 ┌R┑
A┥ ├B
 └E┘
Rだけの刺激やEだけの刺激ではリングの片側しか切断できないため,薬剤B(を含む部分)を放出するためにはRとEの2つの刺激がともに必要となるANDゲート(R∧E)を実現できる.同様に,
 ┌R┑
A┿ P ┿B
 └E┘
という分子にすれば,3入力ANDゲート(R∧P∧E)と見なせる.また当然であるが,
A-R-E-B
という構成にすれば,ORゲート(R∨E)も実現可能である.

というわけで著者らは色々なゲート構造をもつ分子からなるヒドロゲルを作り,末端部分のリリースを設計通りの外部刺激できちんと行えるかをチェックした.その結果,E∨R,E∧R,(E∧P)∨R,R∧(E∨P),E∨R∨P,E∧R∧Pなどのゲートでほぼ予想通りの振る舞い(設定した必要な刺激が全て満たされると放出,一つでも欠けているとあまり出てこない)が確認された.ただまあ程度の問題もあり,あまり複雑なゲートだと足りない刺激でも少し漏れ出てきていたりするのはご愛敬.
続いて著者らは将来的なドラッグデリバリーのモデル実験として,R∧Eゲート末端に抗癌剤であるドキソルビシンを結合し,還元剤と酵素が働いた時だけ抗癌剤が放出されるようなゲルを作製,その上でヒーラー細胞を培養した.還元剤だけや酵素だけを加えた場合は細胞の成長にはあまり影響はなかったが,還元剤と酵素を両方とも加えた場合だけ,ヒーラー細胞が急激に破壊される様子が確認された.
また本手法は,薬剤を届けるだけではなく,生きた細胞をゲルで包み,特定の条件下でだけ内部の細胞が開放される,というような使い方も可能であり.ドラッグデリバリーならぬセルデリバリーといったところか.こちらもモデル実験を行っている.

面白い結果ではあるが,残念ながらまだ「癌細胞の特徴を認識して薬剤を放出」というところまでは行っておらず,そこそこ極端な条件(還元剤を加える,近紫外光を照射,酵素MMP-8を添加)を人為的に行うことで論理ゲートの条件を満たしているわけで,実用化なんてのは相当先ではあろう.ただまあ,複合的な外部刺激を認識し特定の応答を返すスマートマテリアル,という意味では既に実現できているわけで,このまま進歩していけば結構面白そうではある.(2018.3.5)

 

189. 微粒子の光トラップを利用した"リアル3D"ディスプレイ

"A photophoretic-trap volumetric display"
D. E. Smalley et al., Nature, 553, 486-490 (2018).

立体映像を表示できるディスプレイはいくつか開発されており,その中でもホログラムや,レンチキュラーまたはパララックスバリアを使ったものはお馴染みだろう.しかしこれらの3Dディスプレイは,「ディスプレイの枠内に映る範囲でしか3Dにできない」という欠点がある.要するに,「自分の目とディスプレイを結んだ範囲内でのみ,映像が見える」という事だ.
例えば,自分の前方1 mのところにディスプレイが置いてあり,そこから50 cm手前に映像を浮かばせることはできる.ところがこの「飛び出た物体」を斜め横方向から見ようとすると,視点と物体を結ぶ直線がディスプレイの枠外に出た部分は消失してしまう.これはまあ,ディスプレイから出た光で無理矢理三次元的な物体を再現しているので仕方のないことではある.

さて近年,こういった3D映像の限界を突破しようと,「立体ディスプレイ」(volumetric display)というものが研究されている.これはどういったものかというと要するに,「2Dのディスプレイで3Dを表示しようとするから無理があるのであって,ディスプレイも3Dにしてしまえば全部解決!」という,まあ,何というか,そういうものだ.例えば,平面状に並んだLEDの二次元平面があったとしよう.こいつを中心軸周りにぐるぐる回転させれば,円筒形の三次元空間内の任意の位置を光らせる事が可能であり,リアルに3Dの映像を再生できる.
こういった手法による3D映像も(ある意味驚くべきことに)実際にあるにはあるのだが,やはりでかい板を毎秒何十回転で回転させるのは危なくて仕方がない.そこで,より効率的に三次元空間の任意の位置を発光させられるディスプレイが色々開発されている.
今回報告されたのは,発光体として「光トラップに捕捉されたミクロンサイズの微粒子を使う」というものとなる.

では装置の概要を見ていこう.
発想は非常に単純である.10 μm程度の不透明な(濁った?)樹脂製のビーズを用意し,こいつをギリギリ見えない程度の波長(405 nm)のレーザーにより空間中にトラップする.こういった光トラップの技術は最近だいぶ進んでおり,粒子の屈折の反動(光を曲げると言うことは,その反動が粒子にかかる)を使ったり,熱効果(周囲の気体が光で加熱され,その熱勾配により分子運動から特定方向に力を受ける)を利用する事で,微粒子を空間中にトラップすることが可能となっている.特に最近はLCOS-SLM(Liquid Crystal On Silicon-spatial light modulator,光の位相などを自在に変形させる空間光位相変調器として使える素子)を使って光の形状を非常によくコントロールできるので,こういった光トラップはだいぶ容易になっている.
閑話休題.とにかく,微粒子を光で空間中にトラップできるわけだ.で,微粒子のトラップ位置はLCOS-SLMやレンズをちょっと動かすだけで任意に動かす事が出来る.つまり,(ある程度の範囲内の)三次元空間内で自在に動くミクロンサイズの微粒子が作れる,と思っていただければ良い.
で,今回の著者らがやったのは,「この微粒子を光の散乱体として使い,RGB各色の光源からの光を適宜照射すると,三次元中の任意の位置で,任意の色の光を散乱させられる」というもの.要するに,昔ながらのブラウン管テレビの三次元版と似たようなものだ.

実際に立体映像を映すスキームは以下のようになる.3D映像としたい物体の外形などをデータ化し,その外形をなぞるように微粒子を動かす.そして微粒子の位置に合わせ,再生したい3D映像のその点での色に合った光を照射すると,その光が散乱され,空間中のその位置がその色で光っているように見える.これを映像の外形に合わせ高速でスキャンすればリアル3Dの映像のできあがり,である.この映像は当然ながらあらゆる方向(ただし,トラップに使っているレーザーが抜けていく1方向を除く)から自由に眺めることができる.

でまあこんなもんが実用的な速度でスキャンできるのか?という点であるが,とりあえず著者らが試作したデバイスでは以下のようなスペックらしい.

微粒子の空間中での走査速度:現状で最大1.8 m/sぐらい
フレームレート:12.8 fpsぐらい(1307点からなる立体映像で)
微粒子の加速度:現状で最大5.67Gぐらい
最長表示時間(粒子がトラップから抜けてしまうまでの時間):最長で17.2時間
解像度:最大で1600 dpiぐらい
最大描画サイズ:100 cm3以上

うん,まあ,発想は面白いが,どうかなあ……(2018.1.26)

 

188. 霞を食って生きる南極の微生物

"Atmospheric trace gases support primary production in Antarctic desert surface soil"
M. Ji et al., Nature, 552, 400-403 (2017).

南極大陸は生物が生きるうえで非常に過酷な環境である.極端な低温,乾燥してほとんど降水の無い気候,枯れ果てた土壌,長期間の日の差さぬ夜と昼でも弱い日光,にもかかわらず夏の間は強い紫外線(雪による反射や上空オゾンが少ないことに由来)などにより,かつては南極の陸上の生物相は非常に貧弱なものだと考えられていた.
ところが近年になり南極での実地調査が進むと,南極大陸上にも非常に豊かな細菌叢などが発見されたのだ.ただ問題は,それらの細菌が何をエネルギー源として生きているのか,である.南極では地衣類なども発見されており,こちらは少ない栄養素と乏しい太陽光を使って光合成をしていると言うことで問題無いのだが,南極の,特に乾燥地で見つかった細菌叢の多くにはシアノバクテリアなどの光合成細菌がほとんど含まれておらず,彼らが「何を食べて」生きているのか,不明であった.もちろん厳しい気候条件のもと,大部分の時間は休眠状態で存在しているとは考えられているのだが,計算上,休眠状態(これは,必ずしもエネルギー消費ゼロではない)を支えるのに十分なエネルギーをどこから生み出しているのかが謎となっていたのだ.

今回の論文の著者らは,そういった細菌叢がどうやって生きているのかを調べるために南極大陸の「砂漠」(氷などが無く,礫が散らばっている乾燥地)のうちの二箇所(Robinson RidgeおよびAdams Flat,いずれも南極大陸の東岸付近で互いに千数百 km程度離れる)でサンプルを採取,調査を行った.
得られた試料(土壌サンプル)からDNAを抽出,個々の細菌類を分別せず,全てをまとめて解析している(メタゲノム解析.ヘタに培養してしまうと培養しやすい極一部の生物種のみを調べることになるため,こういった研究では有効な手法として知られる).読み取りは典型的なショットガンシーケンス(DNAをさまざまな断片にして複製,片っ端から読んで計算機で力任せにつなぎ合わせる)である.
また,土壌の化学分析も行い,どういった化学種がどの程度含まれているのかも調査している.

まず確認できたのは,予想通り土壌が非常に枯れている,という事である.例えば有機炭素は,我々の身近な土壌のように多量の植物が育つ地域では数〜数十%含まれているわけだが,南極で採取された土壌ではこれがわずか0.2%前後しかなく,窒素も0.02%前後,水分も5%前後しか含まれていない.また過去に知られていた通り,これらの場所ではシアノバクテリアなどの光合成可能な細菌が非常に少なく,その存在比はわずか0.28%程度であった.また通常の環境中に住んでいることからもわかるとおり,検出された23のシーケンスの全てが末端酸化酵素(酸素を取り込み水にする,要するに好気呼吸に関連する酵素)を持っていた.
面白いのはここからだ.調べたところ,光合成などでの二酸化炭素の固定に関与するカルビン回路に関連した遺伝子が広く見つかったのだ.これらの遺伝子から生成される酵素は,通常は光によって作られた高エネルギー化学種を燃料とし,大気中の二酸化炭素から炭素を取りだし固定する反応を触媒している.つまり今回のサンプル中の微生物も,何らかのエネルギー源を利用して大気中から二酸化炭素を取りだし,それを栄養源にしていると考えられる.しかしながら,光合成の初期段階,つまり光を吸収する葉緑素部分に相当する遺伝子は見つからなかったため,そのエネルギー源は光以外であると考えられる.
では,何をエネルギー源としているのだろうか?ゲノム解析からは,水素および一酸化炭素の取り込みや酸化に関連する酵素の遺伝子が検出された.これらの化学種は大気中には非常に微量しか含まれてはいないが,ゼロではない.南極で発見された細菌類は,大気中のごく微量の水素ガスや一酸化炭素をかき集めて酸化し,その際に生まれる微量のエネルギーを使って二酸化炭素の固定を行い,生きていくための有機物を生成しているのではないだろうか?

著者らはこの仮説を補強するために,実験を行った.まず,本当に水素を取り込めるのか確かめるために採取した土壌を密閉容器に入れ,水素100ppm(vol)を含む大気に晒し,10 ℃に保った状態での水素濃度の時間変化を追った.すると,Robinson RidgeおよびAdams Flatのいずれの土壌を用いた場合でも,数日かけて水素濃度が減少していくこと,一方それらの土壌を加熱して細菌類を殺したものや,土壌を全く加えなかった場合には水素濃度は変化せず一定であったこと(つまり,装置からの漏れや土壌中の無機成分への吸着ではないこと)が確認された.(同様の実験は一酸化炭素でも行われ,細菌が一酸化炭素を吸収していることも示されている)
また,同様の実験を微量の二酸化炭素を含む大気で行い,どの程度の二酸化炭素が固定されるのかも検証した.その結果,通常の大気中での二酸化炭素固定量を1とすると,さらに水素を添加した場合に固定量は2倍程度に増えることが観測された.つまり,この土壌に棲む細菌は水素があるとより一層二酸化炭素を取り込んで固定することができる,という事を示唆している.一方,光合成的な経路があるのかどうかを確かめるために光の有無での違いを見ても,特に顕著な差は存在しなかった.このことから,光合成を行っているわけではないと示唆される.
しかし,大気中の微量な水素や一酸化炭素程度で生きていくだけのエネルギーは作れるのだろうか?著者らは一応このあたりも概算を行い,10 ℃の温度での既知データに基づくと,土壌1 gあたり5×107個以上の細菌が休眠状態で生きていくだけのエネルギーが産出可能だ,と結論づけている.もちろん実際の南極はもっと温度が低いために生み出せるエネルギーは下がるのだろうが,それでもそこそこの数の細菌が生きていける可能性はある.

という事で著者らの結論は,「南極の礫地帯に住む細菌は,大気中のごく微量の水素や一酸化炭素をエネルギー源とし,それを使って大気中の二酸化炭素の還元を行うことで有機物を生成して生きている」という事になる.
(もちろん,炭素以外の微量元素や水などは周囲から取り込む必要がある)
毎度の事ながら,極限状態であってもギリギリ生きていく細菌類の能力はなかなか大したものである.(2017.12.26)

 

187. 人工塩基を組み込んだDNAからの異種タンパク質の翻訳

"A semi-synthetic ortanism that stores and retrieves increased genetic information"
Y. Zhang et al., Nature, 551, 644-647 (2017).

※今回のこの話はかなり分野外なので,正直しっかりと読み切れていない部分がある.そのため概要のみを記すが,それでも間違いが混入している可能性を否定できない.

DNAは4種類の文字(=塩基.A,G,C,T)で書かれた長大な情報ストレージである.ここからタンパク質がデコードされる際には,DNAの情報の一部がmRNAに転写され,mRNAの3文字を一区切り(コドン)とし,それに対応するアミノ酸が選択され繋げられていくことで一意なアミノ酸の配列=特定のタンパク質が合成される.
このタンパク質合成においては,tRNAと呼ばれる分子が重要な働きをしている.このtRNAは,片側には特定のコドン(=mRNAの3文字)と結合する相補的な塩基配列を持ち,反対側にはそのコドンに対応するアミノ酸が結合している.タンパク質を合成するリボソームにおいては,鋳型のmRNAのコドンにぴったり合うtRNAがやってきて,そいつが連れてきた対応するアミノ酸を繋げていくことで決められたアミノ酸配列からなるタンパク質が合成されているわけだ.
4文字の塩基(※RNAの場合には,DNAにおけるT(チミン)の代わりにU(ウラシル)が用いられる)が3つ並んで1つのアミノ酸に対応すると言うことは,どう頑張っても43=64種類のアミノ酸しか指し示すことができないのは自明だろう.しかも自然界では,冗長性を持たせることで一塩基変異に対抗するため,複数のコドンが同一のアミノ酸を指し示すように進化してきており,さらに転写の開始位置や終了位置を指し示すコドンも必要であるため,実際に利用する事の出来るアミノ酸は原則として20種類ほどとなる.

さて,タンパク質というのは非常に高性能な分子機械として働くものであり,現在の化学工業を大きく超えるような触媒活性やセンサー機能,高度な複合機能などを実現することができている.既存のタンパク質中の一部のアミノ酸を任意のアミノ酸に変更したりすれば,最終的に生成するタンパク質の構造や機能を自在に操れるわけで,その将来的な応用性はとんでもなく大きいと言える.
ところが,DNAからの翻訳で20種類のアミノ酸しか使えないと言うことは,タンパク質中に組み込めるアミノ酸の種類がこの20種類に限定される,という事を意味している(*).もっと自由に,さまざまなアミノ酸を組み込んだタンパク質の合成に生物を利用する事は出来ないのだろうか?

(*)実際には,本来なら複数のコドンが重複して指し示しているアミノ酸を別々のものを意味するように手を加えるなどでもう少し種類は増やせるのだが,それはここでは置いておく.

そんな夢を叶える一つの方法が,DNAの拡張である.もしDNA(とRNA)が4種類の塩基ではなく6種類の塩基,つまりA,G,C,Tに加え人工塩基対のX,Yを合わせて作られていれば,そこから作られるコドンの種類は一気に63=216種類に激増する.増えた「自然界に存在しないコドン」(例えばAGXだのTTYだの,さまざまな組み合わせがある)を既存の20種以外の異種アミノ酸に対応させれば,どんなアミノ酸でも組み込み放題で全く新しいタンパク質を容易に生産できるようになるはずだ.

今回の論文の著者であるRomesbergらのグループは,そんな「人工塩基対」の研究を長く続けている代表的なグループである.彼らはこれまでに,自然界の塩基対が使っている水素結合ではなく,疎水的な相互作用により結合する人工塩基対を開発,それを生物中に組み込んだり,その状態での複製を行わせたり(※人工塩基対を複製する際に必要となる異種塩基を培地中に加えることで取り込ませ,それを利用して複製させている),といった事を実現してきている.そんな彼らが今回実現したのは,「大腸菌中に人工塩基対を含むプラスミド(大腸菌本体のDNAとは別個に,少量の情報を保存できる環状DNA)を組み込み,そこに記された非天然型コドンに対応するアミノ酸が組み込まれた異種タンパク質を翻訳により生産させることに成功した」というものである.

彼らがプラスミドに組み込んだのは,緑色蛍光タンパク質をエンコードしているDNAの一部を人工塩基対に置き換えた配列となる(151番目をAXCやGXCに変更).さらに,これら非自然型のコドンを特定のアミノ酸に対応させるための非自然型tRNAもコードし,これら非自然型のtRNAに特定のアミノ酸を結合させるためのaaRS(アミノアシルtRNA合成酵素)も組み込む(多分).
この大腸菌を,非自然型のDNA(XとY)のもととなる塩基を含む培地中で培養すると,培地中の成分を使って非自然型のDNAを複製,XとYを含んだプラスミドをもつ大腸菌が増殖する.これはまあ,以前の研究でも実現されていたことだが,組み込んだ非自然型DNAが成長に害を及ぼしていないことが確認できたわけだ.
そこでいよいよ組み込んだ部分の発現である.組み込んだプラスミドは,anhydrotetracyclineの存在により発現する(というか,そうなるようなプロモーターが上流に仕込んである).そこでanhydrotetracyclineを加えてやると,プラスミドの該当部分がmRNAに複写され,人工塩基対を含んだ非自然型のmRNAが生み出される.このmRNA中の非自然型のコドン(AXCとかGXCとか)は対応するtRNAが自然界に存在しないため,一緒に組み込んである非自然型のtRNAのみが特異的に結合し,そいつが運んでいる特定のアミノ酸を特定部位に組み込むこととなる.要するに,設計図(DNA)の一部の文字を本来なら対応するものの無い文字に書き換えてしまい,その「変な文字」に対応する「変なパーツ」が同時に作られるようにしておけば,一部がその「変なパーツ」で置き換えられたタンパク質が合成される,というわけだ.
で,やってみたところ,実際に特定部位(緑色蛍光タンパク質の151番目のアミノ酸)がセリンに置き換わったタンパク質が合成されていることが確認できた.

とは言え,セリンはもともとの20種類の通常のアミノ酸の一種である.そこで著者らはさらに,このコドンに対応するtRNA(というか,それにアミノ酸を結合させるタンパク質)を変えることで,普通の20種類のアミノ酸ではないピロリシンがこの部位に組み込まれるよう仕組んだ(原料となるピロリシンは培地に組み込み?).その結果,出来上がった緑色蛍光タンパク質はその151番目のアミノ酸として通常の20種類とは異なるピロリシンを含んだかたちで生産されていることが確認できた.ただし,ピロリシンに関してはこれを用いている生物が古細菌などに存在するため,人工的なアミノ酸というわけではない(ピロリシンを含むタンパク質は,自然界にも存在している).
もちろん,これらの結果が培地に変なものを組み込んだせいでない事を確認するために,tRNAにピロリシンを組み込むタンパク質(PylRS)がいない状態で同じ事を行い,この場合は緑色蛍光タンパク質がまともに合成されない(何せ,151番目のコドンのところでくっつくアミノ酸が存在しないので,まともにタンパク質の合成が行われない),などを確認している.
さらに著者らはデモンストレーションとして,非天然型の人工のアミノ酸であるp-azido-phenylalanineを用いて同じ事を行っている.このアミノ酸は完全に人工的なアミノ酸であり,通常ではタンパク質に組み込まれることは無い.培地にp-azido-phenylalanineを加え,さらにプラスミド中には人工塩基対を含むコドン(AXC)を組み込み,これに対応するtRNAにp-azido-phenylalanineを結合させるようなtRNA合成酵素を組み込む.すると予想通り,自然界には存在しないp-azido-phenylalanineが,人工塩基対により指示された151番アミノ酸にだけ組み込まれた緑色蛍光タンパク質が合成されたことが確認できた.

というわけで著者らの結果をまとめると,
・人工塩基対を組み込んだプラスミドをもつ大腸菌を作り,
・それを使うことで,人工塩基対を含む非自然型のコドンの場所にだけ特定のアミノ酸を組み込んだタンパク質を発現させることに成功した
という事になる.
これは,タンパク質の任意の箇所にさまざまなアミノ酸を自由に組み込めるようになる,という事を意味しており,将来的にさまざまなタンパク質ベースの物質やら触媒やら分子機械やらの開発の幅が大きく広がることを意味するだろう.
なお,今回含め作成された大腸菌などは人工塩基を合成する能力は持っていないので,これら人工塩基対を複製する際には培地に原料が含まれている必要がある.逆に言えば,万一これら人工塩基対をもつ細胞が漏洩したとしても,自然環境中では人工塩基対部分は複製できないわけで,ある種の安全装置としても働くと言える.(2017.12.6)

 

186. 液体合金を用いた酸化物超薄膜の簡易合成法

"A liquid metal reaction environment for the room-temperature synthesis of atomically thin metal oxide"
A. Zavabeti et al., Science, 358, 332-335 (2017).

原子1〜数層という極薄の超薄膜は,ナノデバイス,分子篩,触媒担体,スピントロニクス素子,化学ゲートなど,非常に多くの応用が期待される物質である.これら超薄膜は,グラファイトの劈開によりグラフェンが作れることが示されて以降数々の研究のターゲットとされてきたが,劈開できない物質,つまり二次元的な構造を持たない物質で超薄膜を作成する事は非常に難易度が高かった.例えば粘土の主成分はケイ酸などの層状化合物であり,層間に物質を挿入するなどして容易に単層が剥離するため,超薄膜を得やすい.これに対しアルミナなどは三次元的な強固な構造を持っているため,なかなか層状にすることが難しいわけだ(できなくは無いが,手間がかかる).
今回報告されたのは,室温で液状の合金を用いる事で,一部の金属酸化物の超薄膜が容易かつ多量に作成できる,というものである.

著者らの発想の原点はほぼ室温(約30 ℃)で液化するGa,というか,その合金であり氷点下まで液状を保つガリンスタン(Ga-In-Snの合金)にある.液体Gaは空気中の酸素と迅速に反応して酸化物を作るのだが,これが液体の表面を覆ってしまい酸素を遮断するため,液体Ga表面にだけ極薄の酸化物薄膜が生じる.さてここでGaの重要な特性は,さまざまな金属と容易に合金化し,特にGaの含量が多い時には室温で液体状態を保ったまま合金化する,という点だ.
ここに著者らは注目した.もし,Gaよりも酸化物の標準生成自由エネルギー(*)が小さい金属との合金としておけば,酸素に曝すだけで液滴表面でその酸化物を作りやすい金属が優先的に酸化し超薄膜が得られるに違いない,というわけだ.

*要するに,単体元素からその物質ができた時にどのぐらいエネルギーが変化するか.この値が小さい=負に大きければ大きいほど,その物質が生成するとエネルギーが下がる,つまり生成しやすい事を意味する.

というわけで著者らは,酸化物の標準生成自由エネルギーがGa(Ga2O3)よりも小さいHf(HfO2),Al(Al2O3),Gd(Gd2O3)を用いて実験を行った.なお,一応Gaよりも酸化物が生成しにくい金属であるAg(Ag2O),Cu(Cu2O),そしてガリンスタン中に含まれるSn,Inの影響も調べている.

超薄膜の製法は二つを試している.1つ目は液体合金の液滴を基盤上に一滴置き,酸化した表面の薄膜を別な板に移しとる,という手法.もう一つは試験管の底に穴を開けそこに繋いだ管から空気を吹き込めるようにしておき,試験管下部を液体合金に,その上に水をのせ,下の穴から空気を吹き込む,というもの.こちらは液体合金内に送り込まれた気泡の表面部分で酸化が起こり「酸化物の被膜で覆われた空気の泡」を形成,これが上の水相を出て割れ,酸化物超薄膜が水中にどんどん蓄積していく,という手法だ.前者の方がちまちまとしていて量産は面倒くさい.後者は量産が効く簡便な手法だが,水と反応してしまうAlやGdの超薄膜は作れない,という制限がある.なお,どちらの方法でも,合金化する時の添加量は1 wt%となっている.

そんなわけで実験結果だ.

まず「液体合金の液滴表面で酸化させる」という手法を見ていこう.単にガリンスタン単体で本手法を行うと,ほぼ純粋なGa2O3の超薄膜が得られ,合金中に存在していたInやSnはほとんど検出されなかった.薄膜の厚みは2.78 nm程度と,原子数層分程度の薄さであった.薄膜の広さはあまり記述は無いようだが,図から判断すると数 μm以上,大きければミリメートル単位までいくかも,といったところか.
ガリンスタン中に1 wt%のHfやAl,Gdを混ぜた場合は,著者らの予想通り今度はそれらの金属の酸化物超薄膜が得られ,Ga2O3はほとんど生成していなかった.またこちらも予想通り,酸化Gaよりも生成しにくいCuやAgの酸化物薄膜は得られず,そしてガリンスタン中のInやSnの酸化物薄膜は混在していない.
HfO2の厚みは0.64 nm程度,Al2O3の厚みは1.1 nm程度,Gd2O3の厚みは0.51 nm程度と,酸化物の種類により差はあるもののいずれも原子数層以下程度の超薄膜が得られている.しかもこの超薄膜,ピンホールなどの欠陥が存在していない.それもまあそのはず,超薄膜の成長中にもしどこかに穴があればそこから酸素が侵入し酸化物を生成,すぐに穴が塞がるわけだ.
薄膜の結晶性に関しては,ガリンスタンのみで作成したGa2O3はアモルファスであったが,他のHfO2,Al2O3,Gd2O3は結晶質であった.

続いて液体合金に気泡を吹き込む手法である.前述の通り,水と反応するAlやGdは使用できないので,ガリンスタン単体およびHfの場合のみとなる.なお,著者らは「水の代わりに金属と反応しないような液体を使えば,多分他の金属でもできるんじゃないかな」と述べている.
こちらの手法でも,液滴法と同様にガリンスタン単体ならGa2O3の超薄膜(厚さ5.2 nm)のみが,そしてHfを混ぜるとHfO2の超薄膜(厚さ0.46 nm)が得られている.
では全てが同じかというと,液滴法とは異なる部分も見出された.HfO2は液滴法で作るときれいな結晶化した超薄膜だったが,気泡を吹き込む手法だとアモルファスの超薄膜となっていた.また,ガリンスタン単体で得られる超薄膜は,液滴法だときれいな薄膜だった一方,気泡を吹き込む手法だと内部に無数の金属質のナノ粒子(未反応のGa?)を取り込んでいる様子も見受けられた.これは,気泡を吹き込む手法だと急速に酸化が進み,十分にゆっくりとした結晶成長が起こらないためだと考えられている.

というわけで,
・ちょっと手間だが比較的簡単にμm〜mmオーダーの酸化物超薄膜が作れる液滴法
・ものすごく簡便に(アモルファスの)酸化物超薄膜が作れるガス吹き込み法
の報告であった.
こういう,「あまりお金かけずにアイディア一本ですぱっと結果を出す」研究,なかなか示唆に富んでいて好きである.適用できる金属がかなり限定されるとは言え,手法もなかなかに面白い.(2017.10.30)

 

185. 電気熱量効果と静電アクチュエーターを組み合わせた小型冷却素子

"Highly efficient electrocaloric cooling with electrostatic actuation"
R. Ma et al., Science, 357, 1130-1134 (2017).

小型電子機器の一般化や,今後のさまざまな利用が期待されるナノ・マイクロデバイスにおいて,放熱をどうするかというのは非常に重要な課題である.大型の装置であれば強制空冷や冷蔵庫同様の熱交換器を利用すれば良いのだが,小型化を考えるとこれら大規模な駆動部がある冷却法の利用は難しい.可動部分の内冷却手段としてはペルチェ素子なども存在するが,こちらはある量の熱を移動するためにかなりの量の電力を消費するため,トータルで放熱しなくてはならない熱量が劇的に増えてしまい,さらに消費電力も大きいという弱点をもつ.
そんな小規模冷却システムの原理として最近注目されているのが,電気熱量効果(electrocaloric effect)を利用した冷却である.これは,以下のような原理で冷却する手法だ.

まず,利用する温度域で自発分極を持たない誘電体,つまり外部からの電場をかければ電気的な分極方向が揃うが,外場を取り除くと分極の向きがランダムになるような誘電体を用意する.
この誘電体を熱浴(常温の放熱板)に接触させ,外場により分極の向きをそろえる.「バラバラだった分極の向きが揃う」ためこの誘電体のエントロピーは低下し,その分だけ熱が外部に放出される(熱力学の基本,エントロピー変化=加えた熱量 / 温度.エントロピーが下がるなら,それだけ熱が放出されることになる).
分極の向きが揃ったら誘電体を熱浴から離し,今度は熱源に接触させる.この状態で外場を取り除くと,誘電の向きは再度ランダム=エントロピーの高い状態へと変化するが,これに伴い熱を吸収する.結果として,誘電体は熱源から熱を奪い,冷却に寄与する.
引き続きこの誘電体を熱浴(放熱板)に接触させ,そこで外場により分極の向きを揃えれば熱源から吸収した熱が放出される.これを繰り返せば,熱源を冷却することができる,というわけだ.
この冷却法は,極低温で使われる断熱消磁(磁性体に磁場をかけスピンの向きをそろえると熱を放出.熱を熱浴に放出後,磁場を無くすと周囲から熱を吸収しサンプルを冷やせる)の電気版と考えれば良い.

この電気熱量効果,利点は素子の単純さと,消費電力の少なさにある.絶縁体である誘電体を電極で挟んで電圧をかければ分極が揃うので,断熱消磁のように馬鹿でかい磁石を用意する必要はないうえに,電場で誘電が反転する際に流れる電流はほとんどないため,冷却に要する電力はペルチェ素子などに比べると非常に小さい.
ところが,誘電体を熱源と放熱板との間で何度も往復させねばならないことから素子の可動部が生じ,そこをどう小型化するか&駆動部の機械的劣化はどうするのか,という点が問題となっていた.
今回の論文は,「誘電体そのものを電気駆動できる静電アクチュエーターにしてしまう」という方法によりこの問題点をクリアし冷却素子とすることができた,というものになる.

まずは素子の構造を見てみよう.
誘電体としては,有機強誘電体などとしてよく使われているポリフッ化ビニリデン系のポリマーのナノコンポジットが使用されている.ナノサイズの強誘電領域がごちゃ混ぜになったポリマーで,外場があれば誘電の向きが揃い,外場を除けば分極はランダム化する.
ここにさらに,カーボンナノチューブの分散液をスプレーし,表面に導電性で柔軟性の高い膜を作る.これを貼り合わせることで,

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ナノチューブ導電層(上)
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誘電体
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ナノチューブ導電層(中)
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誘電体
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ナノチューブ導電層(下)
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という多層構造を作成している.ここに例えば,導電層(中)に正電位,導電層(上)と(下)に負電位を印加すれば,誘電体にはそれぞれ強い電場が印加され,誘電分極の向きが揃うこととなる(揃う向きは上下の誘電体で逆向きになるが,冷却には特に関係しない).そして導電層(中)と(上)(下)の電位を全て揃えれば,誘電体にかかる電場が無くなり分極はランダムになる.
ここまでは良くある電気熱量効果の素子なのだか,今回のポイントはこの薄膜の左端を固定しつつ,熱源(下側)と放熱板(上側)にも電極を取り付けた点だ.ちょっと煩雑だが,以下のような構造となる.なお,実際にはこれらの膜は紙面左右方向に非常に長いことを覚えておいていただきたい.

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放熱板
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電極(銀薄膜)
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絶縁用ポリイミド膜
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(空隙)
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ナノチューブ導電層(上)
----------------------
誘電体
----------------------
ナノチューブ導電層(中)
----------------------
誘電体
----------------------
ナノチューブ導電層(下)
----------------------
(空隙)
----------------------
絶縁用ポリイミド膜
----------------------
電極(銀薄膜)
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熱源
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この状態で,例えば放熱板側の電極を正電位に,ナノチューブ導電層の電位を負にしたらどうなるだろうか?電気熱量素子は長くてフレキシブルなので,自由に形を変えることが出来ることを思い出していただきたい.すると,放熱板側の電極の正電位に引っ張られ,負電位の電気熱量素子は上側に張り付くこととなる.つまりこういう感じだ.

放熱板
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_/‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾
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熱源

逆に,放熱板側の電極電位をゼロに,熱源側の電極電位を正電位にし,電気熱量素子側の電位を負にすれば,今度は電気熱量素子は熱源に張り付くこととなる.

放熱板
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____________
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熱源

つまり,放熱板・熱源・電気熱量素子の電位を振るだけで,電気熱量素子自体がアクチュエータとして稼働し,自由に熱源と放熱板の間を行ったり来たりできるわけだ.あとはこれに電気熱量素子中央の導電層の電位変化を組み合わせれば,放熱板に張り付いた状態で誘電分極を揃えて放熱し,熱源側に移動させたあとに分極をランダムにし吸熱,これを繰り返すことで熱源からの廃熱を行うことができるというわけだ.

というわけで実験である.著者らが作成した素子は7 cm×3 cm×0.6 cm(厚み方向),最速で0.03秒で電気熱量素子の上下動が可能であり,その場合での素子の移動に要する電力はわずか0.02 Wであった.ただ,ここまで速く素子を移動させてしまうと,十分な吸熱や放熱が行えないため,実際には0.8 Hzぐらいでペタペタと移動させるのが一番高効率であったそうだ.
で,この高効率条件下では,2 mW/cm2ちょいの消費電力で,29.7 mW/cm2の熱源から放熱板への熱移動を達成している(熱源と放熱板との温度差1.4 Kでの値).これはCOP値(消費した熱量に対し,何倍の熱を捨てられたか)で言うと13にも達し,これまでの電気熱量素子の研究における値を2-3桁上回る.
実際の素子としての利用が可能である事を示すべく,Liイオン電池にこの素子を貼り付けての測定も行っている.この素子を貼り付けない場合,バッテリーの温度が52.5 ℃に達してから,空冷50秒で3 ℃しか温度は放熱できていないのに対し,この素子を貼り付けて稼働させた場合,最初の5秒で8 ℃の急冷効果を実証できた(その後の放熱速度は,素子が無い場合とほぼ同程度).

というわけで,なかなかアイディア的には面白い研究であった.比較的耐久性の高い静電アクチュエーターとは言え駆動部分があるのはやや心配でもあり,これが本当に実用的なのかどうかはなんとも言えないが,なかなか面白い.(2017.9.22)

 

184. 分子機械で細胞膜に穴を開ける

"Molecular machines open cell membranes"
V. García-López et al., Nature, 548, 567-572 (2017).

光や熱,化学物質の添加といった外部刺激により分子に機械的な運動(例えばある部位の左右への移動だとか,特定部位の開閉,分子全体の伸縮等)をさせる「分子機械」は,近年ナノテクノロジーの先にあるものとして非常に盛んに研究されている分野であり,昨年度のノーベル化学賞の受賞対象ともなっている.
現状,我々人類の作っている分子機械はどちらかというと機械と言うよりは「特定の動作をするパーツ」にとどまっており,一般の人がイメージする「機械」にはまだ遠いのだが,これを進歩させていった先には非常に強力なツールが出来上がることは実証されており(*),今後の進展が期待される分野だ.

(*)世界にはいわば「究極の分子機械」とでも言うべきものが既に存在している.それが各種生体分子である.これらタンパク質でできた「機械」は,例えば「複数種類の特定の分子を掴む(分子認識)」→「それらの特定部位同士が近い位置に来るように変形(特定位置に配置)」→「外部燃料(ATP)の化学燃料を消費して,これらの分子を強く押さえつけることで分子を結合(圧着)」→「製造が終わった分子を排出(出荷)」といった複雑な工程を,毎秒数十だの数百だのといったとんでもない速度で実行している.

今回報告された論文は,そんな分子の一種である「分子モーター」を用い,光照射により細胞膜に穴を開けるドリルとして利用できた,というものになる.
分子モーターというのは,光や電気などの外部刺激により,一方向に回転する分子のことだ.ミクロなサイズでものを一方向に回転させようとすると,これがなかなか難しい(逆にも回りやすい).自然界では例えばATP合成酵素や鞭毛モーターといった非常に複雑で高度な構造により分子モーターを実現しているが,さすがに今の人類にそこまで複雑なものは作成できない.
意外に作成が難しかった分子モーターの分野で革新が起こったのが,1999年のことである.Feringaらは二重結合の光異性化,置換基間の立体障害による自由な回転の抑制,そして特定方向への回転時のみこの立体障害のポテンシャルが低い事を利用した熱アシストによる立体障害を越えての微回転,を組み合わせることで,熱+光照射で一方向にのみ回転する分子モーターを作り上げた.さらに,この最初の研究では途中のステップで60 ℃加熱が必要であったところを,五員環を導入して形を歪め立体障害を減らすことで,室温でも光照射のみで高速回転回転(1/100秒以下で回転)する分子モーターにまで発展させている.

※Feringaはこれら分子モーターの研究により昨年度のノーベル化学賞を受賞.現在でも,分子モーターを用いた研究では彼らの開発した分子骨格がよく使われている.

今回の論文で用いられている分子もFeringaの開発した分子をベースとしているが,違うのは下側の部分に長めの有機物をぶら下げている点だ.これにより,分子モーターが細胞膜などの脂質二重膜に良く取り込まれるようになり,膜にモーターを取り込まれると期待される.この状態でモーターを動かせば,細胞膜に何らかの影響を与えられるのではないだろうか?
まずは模擬実験として,人工的に作成した脂質二重膜の球(=模擬細胞.内部に作成した分子モーターと蛍光分子を含む)を用意し,ここに紫外光を照射して分子モーターを回転させた.すると,時間の経過と共に内部の蛍光分子(と,分子モーター)が外部へ流出していく様子が観測された.一方,分子モーターを含まない模擬細胞に紫外光を照射した場合にはこのような顕著な流出は観測されなかったことから,この流出が紫外光によるダメージに由来するものとは考えにくい.つまり,模擬細胞膜のあたりに存在する分子モーターが紫外光で回転し,それによって模擬細胞膜に穴が発生,そこを通して模擬細胞内液が流出した可能性が高い.要するに,「細胞膜に取り込まれやすい分子モーターを作って細胞膜中に取り込ませそこでモーターを回転させると,細胞膜に穴があく」ということが推測される.

というわけで実際の細胞で実験である.さまざまな置換基を付けた各種分子モーターを作成,それを3系統の細胞(マウス胎児皮膚に由来するNIH/3T3,人前立腺癌由来のPC-3,チャイニーズハムスターの卵巣由来のCHO.いずれも細胞を使う実験でよく使われる細胞株の一種)に入れ,紫外線照射時の影響などを見ている.
紫外線照射は正常な細胞も破壊してしまうので,長時間照射すると次第に細胞は壊死して死滅していくのだが,分子モーターを導入すると明らかにこの壊死の速度が加速することがわかった.例えばPC-3に紫外線を当てると,300秒あたりから死に始め600秒あたりで全滅するのだが,分子モーターを導入するとこれが半分程度の時間で壊死するようになる.これは単なる紫外線のダメージに加え,紫外線で誘起された分子モーターの回転が細胞膜を破壊,これにより死に至っていると考えられる.一方,分子モーターとよく似た形だが,回転するローター部だけ無い分子を同じように導入しても,細胞の死亡時間には全く影響が見られなかった.このことからも,回転が細胞死に大きな影響を与えていることが確認できる.
なお,分子モーターを導入しても,紫外線を当てなければ通常通り細胞は成長・増殖しているので,分子モーター自体の毒性が問題となっているわけではないと考えられる.

さらに別の実験として,分子モーターに置換基としてオリゴペプチド(短めのアミノ酸配列)を入れたものでも実験をしている.ペプチド鎖の種類によって,周囲のタンパク質等との相互作用が変わってくる.細胞は種類(種の違いや,どういった働きをしている細胞なのか)によって細胞膜中に存在する膜タンパク等の種類が変わってくるため,分子モーターに導入したオリゴペプチドの違いによって,特定種類の細胞膜には良く取り込まれたり,細胞内での存在箇所に差が出てくることが期待できるわけだ(※核などの細胞内小器官も膜で囲まれているため,それらの場所に集積すれば,その組織を壊すことが期待される).
その結果,あるペプチド鎖を導入した分子モーターでは,PC-3細胞に対しては壊死時間を半減させる一方,CHOやNIH/3T3に対しては特に影響を与えないという事が発見された.このことは,「特定種類の細胞(例えば体内の病原体であるとか,癌細胞であるとか,特定組織の細胞)をターゲットとした分子ドリル」の開発に期待を持たせる結果だ.うまくいけば,特定の細胞のみを破壊したり,特定の細胞のみに穴を開け薬剤が導入されやすくなる,などの実現に繋がるかも知れない.

今回の研究では分子モーターを使ったわけだが,「一方向への回転」は重要なのだろうか?著者らは比較実験として,モーターではなく,光で単にランダムに左右向きを変えるだけの分子での実験も行っている.Feringaらの分子モーターの基本骨格では「立体障害のポテンシャルを,熱で乗り越える」ところにポイントがあるわけだが,わざとこの障壁を高くして,室温では超えられないようにしたわけだ(Feringaの初期のモーター構造に戻ったとも言える).こうすると,光が当たってもほぼ半回転までしかいけず,それ以上回れないために次は元の向きに戻るしかない.
この「バタバタと向きを変えるだけの部位」を組み込んだ分子で同じ事をやると,紫外線による細胞死に対する分子の影響は確認できなかった.やはり「光により特定方向に勢いよく回り続ける」というモーター運動こそが,細胞膜を破壊する原動力のようである.

話はシンプルだが非常に興味深く,また今後の発展も期待できる面白い論文であった.(2017.9.1)

 

183. スピントロニクス素子を利用した神経模倣型デバイスの音声認識への応用

"Neuromorphic computing with nanoscale spintronic oscillators"
J. Torrejon et al., Nature, 547, 428-431 (2017).

フランスのCNRS,日本のAIST,アメリカのNISTによる共同研究.
生物は長年の進化の過程で非常に巧妙な構造(まあ,ときには場当たり的な進化による珍妙な構造もあるが……)をいくつも生み出しており,近年ではそれらを模倣して工業製品の性能を上げるバイオミメティクスが流行している.生物が産みだした構造の中でも,脳に代表される神経系は非常に優れた組織であり,比較的低エネルギーで複雑な処理をこなすことが可能である.
かつてあったような「単純な素子の小型化&高密度化で処理能力を上げていけば,人間のような能力は獲得できるに違いない」という脳天気な見通しが行き詰まるなか,「神経系を模倣した素子を作れば,(複雑すぎて細かなプロセスは追えなくなるかも知れないが)高度な能力を持つ素子ができるんではないか?」という,いわば第二の脳天気プランにより開発が進んでいるのがニューロンを模倣した素子だ.
神経細胞の素子としての特徴は,主に二つだと考えられている.一つは記憶であり,単純化して言えば「以前の入力が,次の出力に影響する」という履歴現象にある.もう一つはニューロン間の相互作用による非線形性&入力に対する出力の非線形性で,この神経系のもつ非線形性がカオス的な非常に複雑な振る舞いを導くことが知られている.

というわけで,「履歴現象&非線形性をもつ素子を使って神経系を模倣する」という研究は山ほど行われているのだが(例えば,最近ではmemristorを用いたものなど),「神経細胞一つ」に相当する「履歴現象と非線形性をもつ素子」の小型化が難しかったり,集積性に難があった.さらに,高度に集積しようとすると素子の動作が不安定になったりS/N比が悪くなったりと言うことも良く起こるため,「履歴性と非線形性を併せ持ちながらも,低ノイズで集積性も高い」という素子が求められている.

(*)例えば,複数個の素子(トランジスタ,ダイオード,キャパシタ等)を組み合わせればこういった素子はいくらでも作れるが,それだけ回路が複雑化し,集積度が下がってしまう.また,超伝導リングを用いた素子なども使われているが,やはり小型化は難しい.

今回の論文では,「スピントルク発振素子」をこのニューロンを模倣した素子として用いる事が可能である事を,音声認識に利用する事で実証した,という論文になる. (とは言え,この実験が本当にニューロンの模倣と言うことなのか?という部分はなんとも微妙な感じではあるが)

著者らが用いたのは,「スピントルク発振素子」というものであるが,これはMRAMの研究から生まれてきた素子(というか,構造はMRAMのビットそのもの)である.
まずはこの素子がどんな構造なのかを説明しておこう.基本構造は,二つの強磁性金属の間に薄い非磁性の金属を挟んだものとなる.上側の強磁性体の磁化方向は外部磁場等により容易に回転するが,下側の強磁性体は非常に磁化の向きが変わりにくく,最初に設定した右向きの磁化のままである.この素子全体には外部磁場がかけられており,上側の強磁性体の磁化の向きを↑に揃えようとする力が働いている.

---------------------
強磁性体(磁化方向↑)
---------------------
非磁性金属
---------------------
強磁性体(磁化方向→)
---------------------

この素子に,下から上側に向けて電子を流すことを考えよう.下の強磁性金属内に入った伝導電子は,この材料のもつ磁化の影響により,電子のもつ磁化(※電子は一つ一つが微弱な磁力を持つ)が特定方向に強制的に揃えられる.ここでは,強磁性体と同じ方向に伝導電子の磁化が向く(=伝導電子と磁性を担う電子の間は強磁性相互作用)であるとしよう.この「磁力の向きがそろえられた電子による伝導」は非磁性金属を通過し,上の強磁性体内に突入する.すると「上向きの磁化をもつ強磁性体」に対し,電流により流れ込んだ電子のもつ「右向きの磁化」が流し込まれる.この結果,上側の強磁性体の磁化に対しちょっとだけ右に傾ける力(スピントルク)がかかることとなる.

上側の強磁性体 (↑)に伝導電子(→)が流れ込む

上側の強磁性体 (↗)

ところが,この素子全体に対し磁化を上に向けようとする磁場が印加されているので,この傾いた磁化は上向きに戻ろうとする.結果,何が起こるのかというと,上側の磁性体の磁化の歳差運動である.
つまり,斜めに傾いた磁化が,上下垂直方向を軸としてぐるぐると回り出す.
すると,以下の二つの状態が歳差運動の周期に合わせ振動することとなる.

---------------------
強磁性体(磁化方向↗)
---------------------
非磁性金属
---------------------
強磁性体(磁化方向→)
---------------------

↕これら二つの間で振動

---------------------
強磁性体(磁化方向↖)
---------------------
非磁性金属
---------------------
強磁性体(磁化方向→)
---------------------

このとき,上下の強磁性金属の磁化の向きが近ければ,つまり上側の状態であれば,電流が流れやすい(トンネル磁気抵抗効果的なもの).そして下の状態のときは,逆に電流が流れにくい.
このため,この素子に電流を流すと,電流の流れやすさが振動する事になる(同一電流を流し続けようとすると,電圧が振動する).振動の振幅は,上側の磁性体の磁化をどの程度傾けることができたか=どれだけ大量の電流が下側から流し込めたかに依存するのだが,その依存性は非線形であり,そこ結果素子自体が非線形の特徴を持つ.また,電流を流し始めてから定常状態に到達するまではいくらかのタイムラグがある(ある程度の電子が流れないと,定常状態に到達しない)ため,(短時間ではあるが)ある種の履歴現象を示す.
要するに著者らは,
・MRAMの基本素子が,電流の印加で発振する素子(スピントルク発振素子)として使える事を過去に発見
・この発振素子は,非線形性と履歴特性を持つ
・という事は,単一のMRAM素子が,ニューロン模倣の素子としてそのまま使えるのでは?
という流れで今回の研究を行ったわけだ.

この素子の最大の特徴は,構造が非常に単純であり,しかもMRAM用素子として研究されてきたことから通常の半導体素子への集積が容易である点である.今回著者らは直径375 nmの素子を用いているが,100 nm以下,うまくやれば10 nmオーダーぐらいまでは普通にいけるらしい.とすると,(将来的には)数億だの数十億だのといった擬ニューロンをワンチップに集積できると言うことを意味する.

というわけでこのMRAM素子を使ったニューロン模倣素子であるが,著者らは音声認識に応用して見せた.どうやったのかというと,音声認識処理の間にこの素子を挟むか挟まないかで,認識率に非常の大きな差が出る,という事をやって見せたわけだ.
実験はこうである.まず音声サンプルとしては,5人の人間がそれぞれ0〜9までの数字を複数回読み上げたものをデータとして使う.(これを多分混ぜて,)「0〜9までの数字の各1回の発声」というデータセットを10個作る.このうちのN個を学習用として使い,残りの10-N個のデータセットをどれだけ正しく解釈できたか,を見た. でまあその情報処理法であるが,データの前処理としてフィルター処理やマスク処理を行い,その後

パターン1:得られた前処理済みデータをニューロン模倣素子に入力し,それが非線形振動子により変調された結果を得る.その変調されたものをプログラムに学習させる
パターン2:得られた前処理済みデータそのものをプログラムに学習させる

の2つを試したところ,ニューロン模倣素子による変調結果を学習させた方が,圧倒的に認識率が高かった,というわけだ.
詳しくはAISTのプレスリリースの図を見ていただきたい.

いやまあ,MRAM素子の非線形&履歴的発振特性をニューロン模倣素子に使える,というのはなかなか面白い発想ではあるのだが,実例としてやられている音声認識部分はどうかなあ…….
「今回の素子」というある種のフィルターを通すと音声認識にプラスである,というのは結果から言えるとは思うのだが,それをニューロン模倣の効果,とまで言うと拡大解釈のような……
私自身の理解としては,現段階では頑張っても
・今回用いた素子は,人間の音声認識がしやすくなるようなフィルターとして使える
・今回の素子を多数集積することで,脳などの神経系を模倣した回路が作れる可能性がある
というぐらいまでに思える.(2017.8.1)

 

182. 環動高分子の利用によるLiイオン電池用Si負極の高寿命化

"Highly elastic binders integrating polyrotaxanes for silicon microparticle anodes in lithium ion batteries"
S. Choi, T.-w. Kwon, A. Coskun and J. W. Choi, Science, 357, 279-283 (2017).

近年の携帯機器の普及と高機能化,今後の自動車等への搭載の増加を見据え,リチウムイオン電池に対する要求はどんどん高くなっている.特に容量の増大は喫緊の課題であり,その切り札の一つとして利用が始まっているのが単体のケイ素(Si)を利用した負極である.
Siが注目されているのは,その膨大な理論容量のためだ.これまで多く用いられてきた黒鉛系負極の理論容量は372 mAh/g(840 mAh/ml)であるのに対し,Siの理論容量は4200 mAh/g(9800 mAh/ml)と文字通り桁違いであり,これを用いる事で電池容量の飛躍的な増大が期待できるわけだ.
ただそんなSi系負極にも弱点がある.この理論容量が実現される際の反応式は Si + 4.4Li → Li4.4Si なのだが,見てわかるとおりSiは自身の原子数の4倍以上ものLi原子を合金として抱え込むこととなる.このため充放電を行うとSi負極の体積は数倍に膨張・収縮を繰り返し,力学的な歪みによる変形や破断を引き起こすことで容量が急速に減少しやすい.
従って,どのようにしてこの変形に由来する電極の劣化を抑えるのか?はSiをLiイオン電池電極として利用する際の重要な研究課題となっている.
これまでに様々な研究が行われており,例えばナノ構造化することで歪みによる破断を減らす(ナノサイズだと,場所による膨張度合いの差が少なく歪みを生じにくい.また,材料も比較的柔軟になる)であるとか,Siナノ粒子を少し大きく丈夫なカプセルで包み込む(膨張-収縮が殻の中で行われるため,崩落しない)などが効果的であると報告されているが,いずれも高コストで量産に向かなかったり,余分な構造のせいで体積密度が下がりSiの大容量性を損なってしまうという欠点がある.
そんななか,今回の著者らが報告したのは電極材料の活物質ではなく,それを繋いで固めるために使われているバインダーを工夫することでSi負極の寿命を大きく改善できる,という論文だ.

もともとLiイオン電池では,充放電速度を上げるために活物質をマイクロメートルオーダーの微細な粒子とし,表面積を増やしている.そのままでは堅固な電極を構築できないため,これら微小粒子を柔軟で粘りのある高分子材料であるバインダー(および,粒子間での伝導を維持するための導電性フィラー)と混合し,全体を一つの電極として固めている.著者らは,Si負極の劣化は,Siマイクロ粒子の膨張-収縮過程でこのバインダーの高分子鎖が引きちぎられる事で粒子がバラバラに剥がれ落ちることが一つの原因なのではないか,と考え,「伸ばしてもなかなか切れない高分子鎖」を用いる事を思いついた.その,「引っ張ってもなかなか切れない高分子鎖」であるが,用いられたのは最近流行の「環動高分子」である.
環動高分子とはどんなものであろうか.通常の高分子は,長い炭素鎖同士が架橋によって化学的に結合することで互いを結びつけ,材料を形作っている.この場合,架橋点は化学結合により固定されているので,一方の高分子鎖だけを自由に動かすことは不可能である.
これに対し環動高分子がどんなものかというと,例えば両末端にリングがくっついている紐を思い浮かべてもらいたい.互いの高分子鎖部分(紐の部分)が他の高分子鎖末端のリング内を通り抜けている構造が実現できれば,「互いはどこも化学的には結合していないのに,決して離れることができない」という高分子構造が実現できる.このような構造だと,紐を通した五円玉が自由に移動できるのと同じように,高分子の巨大なネットワークを維持したまま,リングの位置を自由に変えることが可能となる.このようなポリマーは,「環」が自由に「動く」事の出来る高分子なので,環動高分子と呼ばれる(広義には,「トポロジカルな構造によりできている高分子(超分子)」という事でトポロジカル高分子(超分子)と呼ばれることもある).
とまあ,文字だけで説明してもわかりにくいので,環動高分子を(多分)最初に生み出した東大の伊藤先生らのグループの説明をご覧いただきたい.環動高分子の最大の特徴は,内部的に自由に移動することにより,負荷を効率的に分散できる点にある.通常の高分子を引っ張った場合,高分子鎖の一番短いネットワークに荷重がかかり破断,次に短い部分に負荷がかかり破断,という事を繰り返し,理想的な強度(全ての高分子で負荷が分散された場合)よりかなり弱い力で切れてしまう.また,ネットワークが化学結合により固定されているため,引っ張った際の伸びも小さい.これに対し環動高分子の場合,リングで繋がっている部分が自由に移動することにより,高分子のネットワーク構造が外力に応じて動的に変形,材料全体で負荷を分散すると共に,引っ張りに対し非常に長く伸びることが可能となる.
要するに,環動高分子を使うことで
・これまで以上に破断しにくく
・より大きな伸びを示す材料
を作れるわけで,今回の論文の著者らはこれをSi負極のバインダーに利用しようと考えたわけだ.環動高分子なら,Si負極が充放電の間に非常に大きく伸び縮みしてもそれに追随できるだけの伸びが実現でき,それによりSiマイクロ粒子を保持し続け,電極形状が保てる,という狙いになる.

では実験結果を見ていこう.
著者らがバインダーとして用いたのは,通常のポリアクリル酸に,ほんのわずか(5wt%)な環動高分子部分を混ぜ込んだものとなる.まずは通常の環動高分子同様ポリロタキサン(ポリエチレングリコールの長鎖に,環状分子であるシクロデキストリンが多数はまった構造.紐に多数の五円玉を通したような構造である)を用意し,そのシクロデキストリン部分を通常のバインダーとして用いられるポリアクリル酸に化学的に結合する.これにより「多数のポリアクリル酸鎖の所々がシクロデキストリンのリングに繋がり,そのリングがエチレングリコールの紐にはまっている」という環動高分子構造が実現できる.Siマイクロ粒子(粒径数 μm)と作成したバインダー剤,そして導電性フィラーを8:1:1で混合し電極を作成,これを金属Liと組み合わせることで半電池を形成し,充放電特性を調べた(*).

(*)反対側の電極の特性による影響を受けないように,作成した電極と金属Liとをペアにしてその状態での電池特性を測ることが良く行われる.

まず電池容量であるが,初期容量で2971 mAh/gと,かなり高い値を示した.これは環動高分子を用いずポリアクリル酸のみをバインダーとした際の2579 mA/gよりも高い値であった.0.2Cの電流(=約5時間で容量いっぱいになるのに相当する電流)で繰り返し充放電を行った際には,単なるポリアクリル酸バインダーではたった50回の充放電で初期容量の48%にまで電池容量が低下したのに対し,環動高分子を組み込んだものでは150回の充放電後においても初期容量の91%の容量が維持されていた.途中で0.4Cに電流値を上げ(通常,充放電電流値を上げると容量の低下と劣化が促進される)さらに測定を継続すると,370回の充放電後でも初期容量の85%が維持されていた(なお,対極として使っている金属Liが劣化してきたため,途中で一回Liを入れ替えている).
劣化しにくい理由を調べるため,充放電後の電極を取りだし電顕での形状観察も行っている.その結果,ポリアクリル酸のみをバインダーとした際には非常に微細な粒子が多数存在し,それらが分解してできたSEI層(電解液や電極,添加剤等が分解してできた電極表面の不活性層.適度な厚みのSEI層が形成されると電極の劣化が抑制されるが,無駄な分解が進む場合には非常に分厚いSEI層ができる.SEI層に関してはその形成過程や役割の詳細などでわかっていない事も多く,重要な研究対象でもある)が非常に分厚く成長していた.つまり,Siマイクロ粒子がぼろぼろに崩壊し,それが電気化学的に反応して分厚いSEI層となっていたわけだ.これに対し環動高分子を混ぜ込んだ場合には比較的Siの粒子は大きく保たれ,SEI層もそれほど分厚くは成長していなかった.

環動高分子を入れることでSiの膨張-収縮にバインダーを追随させよう,というのは面白い発想だ.Siナノ構造やコアシェル構造などを作るのに比べるとコスト的にもかなり安くできそうなので,比較的早期に利用されるかもしれない.(2017.7.24)

 

181. 薄膜(=擬2次元系)における強磁性

"Layer-dependent ferromagnetism in a van der Waals crystal down to the monolayer limit"
B. Huang et al., Nature, 546, 270-273 (2017).

および

"Discovery of intrinsic ferromagnetism in two-dimensional van der Waals crystals"
C. Gong et al., Nature, 546, 265-269 (2017).

本日は2つの論文.どちらも擬2次元系での強磁性を扱っているが,片方は異方性のある2次元系単層薄膜で強磁性が出たというもの,もう一つは擬二次元薄膜に磁場により異方性を入れてやると強磁性になり,磁場を切ると異方性が弱すぎて強磁性が出ないというものである.

磁性体はスピン(*)をもつ構成要素(原子や分子)が無数に集まったものであるが,物質の次元性により磁性は大きな影響を受けることが知られている.

(*)電子等のもつ自転に似た性質.これにより,電子一つ一つが弱い磁石のような性質を持つ.

我々の住んでいる世界は大まかには3次元であるが,物質の厚みを減らしていった極限である単層薄膜,例えばグラフェンなどは擬似的な2次元系(擬2次元系)と見なすことができる.こういった低次元系では,磁気的なドメインを崩すために必要なエネルギーなどが低下するという特徴がある.例えば3次元に並んだスピン(=小さな磁石)をもつ物質で,全部のスピンが同じ方向を向いている場合,つまり強磁性体の場合を考えよう.強磁性体であるのだから,隣接するスピン間には同じ方向を向けようとする相互作用が働いている場合に相当する.
この強磁性状態の中に,半径rの欠陥としてスピンが逆向きを向いた領域が存在すると,その界面ではスピンの向きが↑↓と反転しているため,「スピンを同じ方向に向けようとする相互作用」に逆らうこととなり,エネルギーが高くなる.どのぐらいエネルギーが高くなるかは界面の面積に比例するので,大まかにr2に比例する.従って,このような逆を向いたドメイン(=秩序を崩すドメイン)が大きくなると,エネルギーの損は急激に増大する.
一方,これが二次元の強磁性だったと仮定しよう.同じように逆を向く領域が混じっていると,その界面は領域の外周に相当するので,高くなるエネルギーはr1に比例する.そのため,このような秩序を崩すドメインは,3次元よりも大きくなりやすい.
擬1次元の系ではもっと極端である.強磁性体である
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
の一部が反転した状態は
↑↑↑↓↓↓↓↑↑↑↑↑↑↑
であるが,エネルギー的に損をする箇所は領域のサイズによらず2箇所のみであり,しかもこの欠陥が動いてもエネルギーの損は変わらない.境界が動き回るとエントロピー的に得をする一方で,エネルギーの損は非常に小さいため,1次元系ではこのような欠陥が次々に生まれやすい.
こういった効果により,低次元物質では磁気的な秩序状態(*)が起こりにくくなることが知られており,例えば1次元系では絶対零度まで強磁性状態が発生しないこと,2次元では異方性が無ければ強磁性が発生しないこと(ただし,異方性が無い場合には渦状のスピン配置が実現するKosterlitz-Thouless転移が起こる)が知られている.

(*)磁気秩序に限らず,低次元系では揺らぎの効果が強くなり,各種の相転移が起こりにくくなる.もっとも,逆に低次元系でのみ起こるPeierls転移のようなものもあるが.

このように秩序化しにくい低次元磁性体であるが,分子などスピンの向きやすい方向に異方性のある系では,2次元系であっても強磁性転移が起こり得ることが理論的に示されている.しかしながら,それが現実の単層物質で示されたことは無い.
今回報告されたのは,そのような擬2次元系の単分子層の厚みを持つ薄膜において強磁性状態が確認された,というものになる.

まずは1本目の論文を見ていこう.Huangらは,CrI3という層状化合物を劈開し,その磁性を磁気光学カー効果(磁気カー効果とも呼ばれる)を用いて観測した.磁気光学カー効果というのは,強磁性体などの磁場を発生している物質に直線偏光を入射すると,反射光の偏光面が回転したり楕円偏光になったりする,というものだ.これを利用する事で,偏光面の回転からその物質中での磁場を見てやることができる.光学的な測定,特に偏光面の回転のような現象は検出が容易なため,薄膜のような微弱な磁化しか持たない物質の磁化を調べる際にもよく利用される手法である.
この物質は大気中では不安定なので,不活性ガスを充填したグルーブボックス中で作成・劈開し,そいつをそのまま測定に持って行っている.
測定結果であるが,試料は45 K以下で強磁性に由来する磁気光学カー効果を示し,単層物質ながらこの温度で強磁性へと転移していることが明らかとなった.外部磁場を変化させていった際にもきれいにヒステリシスループが見えており,強磁性の発現は間違いないであろう.
なおこの転移温度はバルクの転移温度である61 Kよりわずかに低いだけであるが,これはもともとこの物質において層間の相互作用が弱く,単層になっても影響が小さいためだと考えられる.
また面白い現象として,2層のときだけ強磁性がサプレスされ,反強磁性となっていることが発見された.単層および3層のサンプルではきれいな強磁性(に由来する磁気光学カー効果)が見えるのだが,2層の場合にはそれが見られなかったのだ.ただし少し強めに磁場をかけると(およそ±0.65 T以上),単層より強く,3層よりは弱い程度の磁気光学カー効果が見られた.これは2層の場合のみ層間の相互作用が反強磁性となっており,スピン配置が
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
と,2層の間で打ち消し合っていると考えれば辻褄があう.ただし,なぜ層間の相互作用が2層の場合のみ反強磁性的となるかについては謎に包まれている(※なお,3層やバルクでは,全ての層間が強磁性的に結び付き全スピンが同じ方向を向く).

続いては2本目の論文である.
こちらの論文で用いられている物質は同じく層状化合物のCr2Ge2Te6だ.ただしこちらは異方性が低く,層数が少ない状況では外場が無い状態では強磁性は示さない.
この物質の層数を減らしていくと,外場として0.075 Tの弱い磁場をかけた状態での磁気転移温度が70 K弱(バルク)→ 50 K強(5層)→ 45 K強(4層)→ 40 K強(3層)→ 30 K(2層)と低下していく.単層だと不安定で迅速に分解するらしく測定できてはいないが,スピン波近似を用いたフィッティングからは20 K前後が予想されている.
以上の結果は弱いとは言え外場ありでの条件だった.では外場ゼロではどうなのかというと,3層および2層のサンプルではゼロ磁場での残留磁化は測定温度の最低点である4.7 Kまで見られず,著者らは転移温度は低次元揺らぎの効果によりもっと低温に下がっているのではないかと考えているようだ.
※ただし,「非常に保磁力の低い強磁性体」(軟磁性体)という可能性もあるとは思う.

この系の面白いところは,非常に弱い磁場で強磁性をスイッチングできる点にある.2層や3層といった薄い系では,磁場をかけなければ強磁性が表れないため,磁気光学カー効果も表れない.そして弱い磁場を印加するだけで強磁性が表れ,急激に大きな磁気光学カー効果を示すようになるわけだ.これは,低次元由来の揺らぎを利用してやることで,弱い外場で大きなスイッチングを実現できることを意味している.つまり,容易にスイッチング可能な磁気光学素子を作れることとなる(現時点では低温限定だが).

というわけで,同じ号に掲載されていた低次元強磁性体二題を紹介してみた. 低次元の揺らぎやそれの絡む磁性というのはなかなか面白いものなので,このあたりの研究成果がどんどん出てくると良いなあと思う今日この頃.(2017.6.16)