最近読んだ論文

 

229. ウィルスの変異は言語モデルで取り扱えるか?

"Learning the language of viral evolution and escape"
B. Hie, E. D. Zhong, B. Berger and B. Bryson, Science, 371, 284-288 (2021).

ウィルスは非常に変異を起こしやすい存在である.その理由は(RNAウィルスの場合)RNAポリメラーゼのエラー訂正機構が貧弱であることや,(1本鎖ウィルスの場合)単鎖ゆえのエラー訂正の効かなさであったりといろいろあるのだが,とにかくウィルスは変異が速く,それゆえ免疫系が一度覚えてもその網をすり抜ける変異種が現れがちなことはよく知られた事実であろう.
今回紹介するのは,そんな「ウィルスの変異による免疫系からの逃れやすさ」が,機械学習による自然言語モデルを用いて推測できる,という報告である.

さて,21世紀に入ってから進歩の著しいものの一つとして機械学習が挙げられることに異論はないだろう.膨大なデータが収集・利用できるようになるとともに,層数を非常に増やした深層学習の導入などが組み合わさり,(すべての分野ではないにせよ)機械学習は格段の進歩を遂げている.特に応用や研究が数多く行われているのが,自然言語処理の分野だ.膨大な文例をもとに,教師なし学習(正解の判定ルールも含めすべてをデータの山から自律的に構築する学習)により言語をモデル化し,以前とは比べ物にならないほど自然な文章を作成したり,高精度な翻訳が可能となってきている(もちろん,まだ完璧とは言えないが).
そんな背景のもと,今回の著者たちは以下のような突飛なアイディアを思いついた.そもそもウィルスの「本体」は,4つの塩基(RNAなのかDNAなのかで1文字違うが)の組み合わせで書かれたアミノ酸配列の長大な羅列である.そしてその「変異」とは,あるアミノ酸が別のアミノ酸に置換されることに等しい(時には削除などもあるが).これは別の観点からみれば,「ウィルス=未知の言語で書かれた長大な文章」で,「変異(アミノ酸の置換)=ある単語の,別な単語への置換」とみなすこともできるのではないだろうか?もしそうだとすれば,自然言語を機械学習するモデルは,数多くのウィルスのゲノム=文例をもとに,変異の影響=単語の置換による文章の変化,を定量的に分析するツールとして利用できるのではないだろうか?
これだけ聞くと非常に突飛でどうかしてるんじゃないかとも思えるが,著者らの考察は続く.ウィルスの変異は,どんな時でもウィルスにとって望ましい,わけではない.多くの場合,ランダムな変異はその「ウィルスらしさ」を壊してしまう.別の言い方をすると,ウィルスがその機能を保って生存していくためには,何らかのルールの範囲内で変異している必要がある.これは言語でいえば「文法」に相当するだろう.生化学的に言えば,ウィルスの各遺伝子が生み出すタンパク質がその機能を失わないような変異,ということになる.既に存在している(特定の病原となる)ウィルスの多数の変異株を学習データとして使用すれば,それらすべて「ウィルスをそのウィルスたらしめている」構造は満たしている.つまり,「文法としてはそんなに間違っていない」データとなるだろう.一方で,アミノ酸には,免疫系がウィルスを認識するために重要となっている部分もある.ウィルスの構造(=文法)を保ちつつ,こういった部分が異なってくると,免疫系から逃れる可能性が高くなる.もちろんただ異なるだけではなく,ウィルスの外郭構造がガラッと変わるような変異ほど免疫系をすり抜ける可能性は高くなる.

著者らのこの観点をまとめると,以下のようになるだろう.
・ウィルスをそのウィルスたらしめているものは,「文法」として見えてくるはずである.
・ウィルスの変異は,単語の置換に相当するだろう.
・単語の置換により「文法」的におかしな文になるほど,ウィルスとしては存在しにくいはずである.
・単語の置換により「意味」が大きく外れるほど,免疫系から別物とみなされるはずである.

最後の「単語の置換により,意味が大きく変わる場合」の例を,著者らは英文で示している.

例1:Austratian Dead in Bali(オーストラリア人,バリで死去)
(1)意味の近い置換:Aussie Dead in Bali(オーストラリア人,バリで死去)
(2)意味が全く変わる置換:Australian Ballet in Bali(バリのオーストラリアのバレエ団)
原文や1では最初の語が名詞なのだが,2では原文と同じ「Australian」が今度は形容詞として作用している.

例2:Blast off of Apollo 8(アポロ8号の打ち上げ)
(1):Blast off of Apollo 13(アポロ13号の打ち上げ)
(2):Blast victims of Apollo 8(アポロ8号の爆発の犠牲者たち)
熟語であるBlast offのうちの一語を変えてしまうと,意味は激変する.

タンパク質の構造はアミノ酸の並びに依存するが,多少変えても形の変わらないものもあれば,キーとなる部分を少し置き換えるだけで形が激変したりもする.著者らは,それを言語モデルにおける単語の影響力の差として表現できるのではないか,と考えたわけだ.

といってもここまでであれば単なる妄想と変わりはない.実際にそんなことができるのかどうか,著者らは実在のウィルスのゲノム配列をもとに評価を行っている.
対象としては,インフルエンザウィルス(の,感染に関与する主要部位であるヘマグルチニン),エイズウィルスのエンベロープ,コロナウィルスのスパイクの3つを選択した.これらはメジャーな感染病でありデータも多い.これらそれぞれの多様な配列を言語モデル化のプログラムに放り込んで分析させ(※当然,3つの病気それぞれ別のデータセットとして扱う),それぞれ勝手に学習させ言語構造を推測させる.その結果,プログラムは与えられたデータセットから「インフルエンザウィルス(のヘマグルチニン)の文法」とか「コロナウィルス(のスパイク構造)の文法」とか,「インフルエンザウィルスのどの単語(=アミノ酸)を何に置換すると,意味(=構造?)がどのぐらい変わるのか」を評価するモデルが得られる.

では,得られたモデルはどの程度正当性があるのだろうか?
まずは,得られた評価基準に基づきウィルスのそれぞれの株を位置付けたときに,(遺伝的に)類似するウィルスがある程度クラスター化しているのかどうかを評価している.これは,得られたモデルが正しいことの必要条件である(※十分条件ではない).言語とみなして処理した結果得られたモデルが,実際の正しくウィルスの構造の類似性を再現できなければ,著者らの発想は単なる思い付きに過ぎなかった,となるわけだ.
論文では,各種のウィルスの変異株を言語モデルで位置づけ,その結果をUMAPにより2次元化して表示している.機械学習により作成された評価関数は非常に様々な点を組み合わせて評価しているため,各データは「非常に次元の大きい空間中での位置」で表示される.しかしそのままでは人間が見にくいので,適当な射影を選び出すことにより2次元上の分布に直して図示するのだが,UMAPは最近よく用いられる方法である(詳しくは知らないが).
ということで得られた結果を見てみると,インフルエンザでは人インフルエンザ,鳥インフルエンザ,豚インフルエンザが互いにそこそこすみ分けたような図が得られている.さらにはっきり差が出たのがHIVで,いくつかの株ごとに比較的わかれたクラスターを作っていることが一目で見て取れる.劇的に分かれているのはコロナウィルスだ.コロナウィルスはさまざまな動物種にそれぞれのコロナウィルスが存在するのだが,かなりきれいに分離した図が得られている.また,いわゆる新型コロナ(を文章として見たとき)の位置は蝙蝠やセンザンコウのコロナウィルス株(の一部)と非常に接近しており,その起源(といわれている)これら両種と近いことが再現できている.またMERSはラクダのコロナウィルスと非常に接近した位置にあることも再現されている.その一方で,SARS-CoV1と新型コロナウィルスは意外に離れているなど(現時点では両者はかなり近縁と言われている),ちょっと変わったところもある.

そんなわけで,ウィルスの塩基配列を言語として無理やり読ませて生み出された言語モデルは,まずは必要条件である「近いウィルスを,ちゃんと近いと判断できる」という点はクリアできている.とはいうものの「近いウィルスは,近い配列を持っている」わけだから,それが再現できるのはある意味当たり前である.
そこで著者らはさらに研究を進めた.ウィルスの感染にかかわるパーツ,つまりインフルエンザだとヘマグルチニン,HIVであればエンベロープ,コロナウィルスであればスパイク,のパーツの塩基配列の様々な場所にさまざまな1塩基変異を導入した遺伝子を膨大な数作成し,それらの変異パーツを酵母(だかなんだか)に生産させ,宿主細胞の受容体にどの程度親和性があるのか,などを調べたのだ.
※こういった「網羅的に1塩基変異などを作り,全部調べる」というような手法はDeep Mutational Scanというらしい.

これにより,言語モデルが「文法である」と判断した基礎構造に変異が入った場合と,「単語の違いである」と判断した部分とが,宿主細胞への適合性にどの程度影響があるのかが調べられた.その結果,予想通りではあるものの
・「文法的正しさが高い」ほど,感染性は高い
・「意味がかなり変わってくる」という置換ほど,感染性は落ちる
ということが判明した.
面白いのはここからだ.インフルエンザやHIV,コロナウィルスに対し抗体として働く分子を加え,これら無数の変異体(と言ってもウィルスそのものではなく,その表面に生じるパーツ=抗原)が抗体に捕まるかどうかを調べたところ,いくつかの変異株は抗体をすり抜けることが判明した.そしてそれら「抗体をすり抜ける(≒免疫系の既存の学習が効かない)」変異株は,ほぼすべてが「文法的にはかなり正しくて,しかしその一方で意味的には大きく異なる」という領域に位置していた.
単純化して言うと,ウィルスには,そいつをそのウィルスたらしめている重要な構造があり,そこが維持されていないと感染性が低い.言語モデルとしての機械学習は,その「ウィルスらしさ」というものを「文法的な正しさ」として認識することができる.その一方で,ある程度の表面構造の変異が無ければ,一度感染すれば既存の免疫系が学習し,抗原により対応されてしまう.そのため,(抗体に認識されないほど)ガラッと表面が変わらないと次回の感染がおこらない.そのような変化は,言語モデル化の上では「文章としての意味がガラッと変わっている」として認識される.

これが何を意味しているのかというと,ウィルスの塩基配列を文章として機械学習させ作成された言語モデルは,あるウィルスが「既存の抗体をすり抜けるかどうか」に対しかなりよい評価をしうる,ということになる.これまでは,実際にウィルスと抗体を用いなければ予測できなかったことが,ある程度とはいえゲノム配列だけから予測できるというのはかなり画期的(*)である.

*ウィルス表面のタンパク質の立体構造と,細胞側の受容体の構造がわかっていればある程度推測はできるのだが,立体構造を決めること自体が非常に困難である.
そちらはそちらで,「深層学習を使ってアミノ酸配列からタンパク質の立体構造を効率的に決めることができるプログラムの開発」なんてのもあったりする.

もちろん,「文法的に正しく,意味が大きく異なる配列」すべてがウィルスとして有効なわけではない.前述したように「意味が大きく異なる」ものはたいていの場合感染性が落ちるためだ.そのため今回の研究は,「今獲得している免疫を確実にすり抜けられる変異種を見分けられる」というわけではなく,「潜在的に,今の免疫をすり抜ける可能性のある変異種をピックアップする」というスクリーニング的なものとなる.

ただまあ,深層学習全般に感じることではあるが,何がどうなっているのかがブラックボックス化しているような感じもあってやや気持ち悪い.その一方で,「ウィルスを言語とみなして解析しました」というのは非常に面白く,これがブレイクスルーになったりなんかすると結構面白いこともありそうだ.(2021.1.18)

 

228. タイヤがギンザケを殺す

"A ubiquitous tire rubber-derived chemical induces acute mortality in coho salmon"
Z. Tian et al., Science, in press.

ギンザケはアメリカ北西部で遡上し産卵する代表的な水産資源である.しかしそのギンザケ,都市部において降雨の後に原因不明の大量死を起こすことが知られていた.今回の論文は,その原因究明を続けているワシントン州(DCではなく,西海岸最北の州の方)のタコマにあるCenter for Urban Researchやワシントン大学などを中心としたグループが,ついに原因を突き止めたという論文になる.

この研究グループはギンザケの雨水流入後の大量死を研究しており,過去の研究においてタイヤから出てくる何かの化学物質が原因らしいというところまでは突き止めていた.実際,タイヤを漬け込んでおいた水をギンザケに与えると1〜3日以内という比較的早い期間で死亡することから,何らかの化学物質の急性毒性によるものだと考えられていた. 今回その正体を解明すべく,多段階にわたる分離と分析を駆使しその正体に迫った.

実験であるが,まず毒性のあることがわかっているタイヤの浸出液がスタートである.こいつをエレクトロスプレーイオン化(*1)によりイオン化し,それを高分解能質量分析計(*2)にかけ正体を知ろうとしたのだが,この段階では正イオンの側だけでも2216種もの物質が存在し,とても正体を突き止めるどころの話ではなかった.

*1:単純化して言うと,微量の試料を溶かした液滴を真空中に入れ,高電圧をかけながら蒸発させる.電圧により液滴内の水分子(等)がイオン化しつつ蒸発により小さくなると,電気的な反発力が表面張力を大きく超え,液滴が微細な粒に分裂しながら真空中に飛び出す.その後も溶液は蒸発し続け,残ったH+(等)が試料分子に吸着したイオン種を生じる.これが質量分析計に飛び込み,その質量が分析される.

*2:例えば1Hの質量はおよそ1,12Cは12,14Nは14なので,12C1H214Nはほとんど同じ重さになる.しかし質量を精密に測定すると,12C1H2の質量は14.01565,14Nの質量は14.00307であり,区別することができる.このような高い分解能をもつ質量分析計を用いると,その質量から分子式を推定することが可能である.

そこで今回,タイヤの浸出液を各種分離手法により分離,どのフラクションにギンザケを殺す能力があるのかを調べ,毒性のあった部分をまた違う分析手法で分け……を繰り返し,成分を絞り込んでいった.
まず細かなフィルターとイオン交換樹脂を通したが,それでもギンザケへの毒性は変わらなかった.このことから,毒物はイオン性ではないし,何らかの微粒子でもないことがわかる.続いてその流出液を,逆相カラムにより分離した.水 → エタノール → 酢酸エチルと徐々に極性を落としていくと,流出する成分が極性の高いものからより炭化水素に近いものへとシフトしていく.3種の流出液を調べたところ,水,および酢酸エチルにより出てきた成分にはほぼ毒性はなく,エタノールの時点で動いた成分に毒性があることが判明した.この段階で,質量分析計で検出される成分は1355種とまだかなりの種類が存在している.
続いて,逆相カラムでエタノールにより流出してきた成分を,ヘキサン:ジクロロメタンを展開溶媒に用いたシリカゲルカラムでさらに分離した.ヘキサン:ジクロロメタンの比率を3:0 → 2:1 → 1:2 → 0:3と徐々に変え極性を上げていき,4種類の流出液を得た.調べると,これらの流出液のうち.2:1での流出液が毒性を持つことが判明した.この段階で,化学種は659種存在している.
さらに細かく分離するため,逆相のHPLCを用いて15分画に細かく分割したところ,そのうちの10-11番目のフラクションが毒性を持っていた.この段階で化学種は225種にまで絞られた.
さらに同様のことをフッ素樹脂を固定相に用いたHPLCでも行い,これまた偶然にも10-11番目のフラクションに毒性があることが分かった.この段階で化学種は26種にまで絞られている.
この溶液をさらにフェニル系の樹脂を使用したHPLCで分離したところ,8-9番目のフラクションに毒性があった.この段階で,化学種は4種にまで絞ることができた.

この4種の質量分析結果を見ると,量としてはある一種の化学物質が大部分を占めていることが判明した.その化学種の質量分析での検出質量はm/z=299.1752,ここから組成はC18H22N2O2と求まる(※検出されている質量は,この組成にH+が付着したものである).また,他の3つの物質の組成はタイヤに含まれている既知の分子と一致し,それらは顕著な毒性をもたないことが知られていたことからも,このC18H22N2O2が毒性を持つ化学種であることはほぼ確実である.

では,この分子は何なのだろうか?タンデム質量分析計(*3)による分析から,この物質がC4H10というフラグメントと,C6H12という部分構造をもつことは分かったが,それ以上の情報は得られなかった.文献検索によりC18H22N2O2という組成の毒物を探したが,それも見つからなかった.したがって,この分子は未知の毒物であると考えられる.

*3:MS/MSなどとも書かれる.質量分析計で特定の質量の目的分子を分離した後,そのまま不活性ガスなどと衝突させることで分子に衝撃を与え,さらに断片化したパーツの質量分析を行う(二段の質量分析計がついているので,タンデムと言う).分子の比較的切れやすい部分で解離するので,部分構造の情報が得られる.

ブレークスルーは,検索範囲をC18H0-xN2-4O0-yへと広げた時に訪れた.自然環境中においては,水との反応によりHやOが増えたり,酸化によりOが増えたり,ある程度反応性のあるNがOなどを含む置換基に変換されたりということがある.そこから著者らは,検出された毒物は,もともとタイヤに含まれていた何かが環境中で酸化・加水分解等を受けて生じたのではないかと考え,そのもととなる化学物質を探り出そうとしたわけだ.
するとC18H24N2という分子(6PPDと呼ばれる)が,タイヤの抗酸化剤として添加されていることを発見した.この分子はタイヤがオゾン(これは,排ガスが光化学反応を起こすことで生じる.光化学スモッグの原因でもある)により劣化するのを防ぐためにタイヤに加えられている成分であり,ゴムタイヤの重量のおよそ0.4〜2%程度とそこそこの量が加えられている.なお,6PPDおよびその酸化により生じる毒物(6-PPD-quinone)の分子構造に関しては,Supplementary MaterialsのFig. S13を参照してほしい.

著者らはこの物質が本当に毒物の起源なのかを調べるために,6PPDをオゾン酸化し,生じた物質の性質を調べた.その結果,生じた物質のカラムによる分離結果はタイヤ浸出液から生成された毒物と完全に一致し,また質量分析も完全に同一の結果を与えた.また,6PPDのオゾン酸化により生じた物質の毒性を調べたところ,20 μg/Lの低濃度で,タイヤ浸出液と同様に素早く(90分程度で症状が現れ始め,5時間以内に死)かつギンザケの死をもたらすことが確認された(3回で計15匹のギンザケで実験を行い,再現性も確認された).これらの実験から,6PPDの酸化生成物の毒性は,ギンザケの半数致死量で0.79±0.16 μg/L程度ということが分かった.なお,タイヤ浸出液(に含まれる毒物成分)の毒性は0.82±0.27 μg/Lであってので,タイヤ由来の毒性はほぼ100%この6PPD酸化物である,といえる.ちなみに,酸化されていない6PPDの毒性は半数致死量で250±60 μg/Lになるそうだが,そもそも6PPD自体がほとんど水に溶けないため,その毒性が問題になることはない(そのため,「安全な物質」として多量に使用されているわけだが).
6PPDはタイヤ表面で起こるオゾン酸化を抑制するために加えられている材料であり,その目的から消費された分だけ内部から迅速に表面まで拡散することが求められる.そのことが逆にタイヤ表面が削られる際に常に6PPDが一緒に環境中に排出されることに繋がり,それが都市部での微量のオゾン等により酸化,6PPD酸化物となって毒性を示しているわけだ.
さらに著者らは,6PPDとオゾンとの反応が,これまで想像されていたものとは異なることも指摘している.これまでの定説では,オゾンと6PPDが反応すると,6PPDのアミンの部分(N)が酸化され,N+-O-というnitrone構造を2つもつ分子になると考えられていた.ところが実際に観測された6PPD酸化物はキノン構造をもつ分子であり,全く別のものである.

著者らは最後に,実際の雨の日の流出物に6PPD酸化物がギンザケを殺すほどの濃度で含まれているのか,も確認している.まず,雨の日の路面の液体中の6PPD酸化物を測定すると,1-19 μg/L程度のかなり濃い状態であった.これが川に流れ込んだ段階でも,その濃度は0.2-3.5 μg/Lと,調査を行ったシアトルやサンフランシスコなどで半数致死量を超える場合が散見された.
6PPDに関しては,全世界で用いられているタイヤに非常に多く使用されており,アメリカのみならず世界各国での水系への毒物として働いている可能性がある.著者らが指摘しているのだが,ギンザケが6PPDに特異的に弱いと(少なくとも現時点では)考えるべきではない.著者らはニジマスでも試験を行い,その半数致死量はギンザケの1/4とさらに毒性が強いことも判明している.

化学物質の毒性に関しては,そのものだけではなく環境中での代謝物,分解物等も考えなくてはいけないために非常に難しい話である.特に今回の場合,現時点で使用されている量が膨大であることから,場合によってはかなりの問題になる可能性もある.
とまあそういう話を置いておいても,さまざまな手法や証拠から原因物質を突き止めていく部分が非常に面白い論文であった.(2020.12.11)

 

227. 緑藻類において広範囲に見出された,巨大ウィルスの内在化

"Widespread endogenization of giant viruses shapes genomes of green algae"
M. Moniruzzaman, A. R. Weinheimer, C. A. Martinez-Gutierrez and F. O. Aylward, Nature, 588, 141-145 (2020).

関連する部分を調べていたら,本論より長くなるというある意味本末転倒.いや,やっぱりウィルス周りは面白いですね.

ウィルスと生物のゲノム(※遺伝情報の全体を指す)との関係は非常に複雑かつ興味深いものである.例えば,多くの生物のゲノム中にはRNAウィルス由来の遺伝子(※狭義には,ある一つのタンパク質のもととなる情報を指す)などが存在することが判明しているし(*1),そのウィルス由来の遺伝子の中には生存に不可欠なものも数多い.また生物のゲノムの中にはゲノム上を移動する配列であるトランスポゾン(*2)やレトロトランスポゾン(*3)などが存在し,これらがウィルスの起源である可能性も指摘されている.また逆にウィルスが(誤って)宿主のゲノムの一部を自身のゲノムに取り込んでしまう例もあり,さらにそれが別の生物に感染し,さらに時にはそのまま発現に失敗して感染先のゲノムにその配列が取り込まれる,などと言うことも起こっているとみられる(*4).

*1:例えばRNAウィルスは自分の情報を感染した細胞の持つDNAに逆転写・挿入し,それを細胞自身に読み込ませることで自分のパーツを合成させている.この組み込まれたDNAが何らかの弾みに一部不活化したり破損したりすると,ウィルスそのものではなく,その一部のパーツ(=タンパク質)を合成するための配列(=遺伝子)として宿主のDNAに残り続ける場合がある(と考えられている).こういった断片が,時には宿主細胞自体が読み出せる形に修正され,有用なタンパク質を作るための情報として再利用されていると考えられている.こういったウィルス由来の遺伝子は,内在性ウィルス様配列などと呼ばれる.

*2:ゲノム上には,特定の酵素によってDNAから切り出され,別な場所に挿入されることで場所を移動する遺伝子が存在する.このような配列を(狭義の)トランスポゾンと呼ぶ(※広義のトランスポゾンは,次に述べるレトロトランスポゾンも含む).トランスポゾンが移動する際には時として周囲の配列を壊したり,挿入先の配列に割り込むことによりさまざまな変異を引き起こしており,進化の原動力の一つではないかと考えることもできる.

*3:生物のゲノムの中には,読みだされRNAに翻訳されたあと,逆転写酵素により再びDNA(の別な場所)に書き込まれるような配列が存在する.このような配列をレトロトランスポゾンと呼ぶ.通常のトランスポゾンと異なり,元の配列はそのままにコピーが新たに挿入されるため,レトロトランスポゾンの配列は増加することになる.動作としてはレトロウィルス(ウィルスのRNAが逆転写酵素によりDNAに挿入され,それが読みだされると再びRNAが作成される)とほぼ変わらないため,レトロウィルス(の断片)が遺伝子に取り込まれたものの可能性がある(もしくは逆に,レトロトランスポゾンからレトロウィルスが生まれる可能性もあるのか?).

*4:この結果,ある生物の持つ遺伝子が,その生物の別の個体や,種の壁を越えて別の生物種に広まることもある.これを遺伝子の水平伝播と呼ぶが,研究が進むにしたがって非常に多くの水平伝播が起こっていることが明らかとなっている.

さて,そんな興味深いウィルスであるが,近年,非常に物理的なサイズが大きく,ゲノムサイズも大きい(=数多くの遺伝子を含んでいる)ウィルス(巨大ウィルス.*5)が海洋中などからいくつも見つかり,注目を集めている.

*5:これら巨大ウィルスは,単体での増殖こそできないものの,非常に多くの働きをするタンパク質がコードされており,ゲノムサイズ的にも一般的な細菌などと遜色がない.ゲノムの中には代謝に関わるタンパク質の遺伝子やアミノ酸合成にかかわる遺伝子などもコードされており,部分的とはいえ「生命」の定義としてよく用いられる「代謝」に自身がかかわるなど,一般的なウィルスとは異なる面が有る(これらの遺伝子が独自に発達したものなのか,宿主からたまたま拝借して取り込まれているものなのかはよくわかっていない).このため「生物とは何か?」という境界がさらにあやふやになってきている.また面白い仮説として,エンベロープ(ウィルスを覆う脂質二重膜.細胞膜や核膜と類似)をもつ巨大ウィルスが原核生物に感染したことが真核生物の始まりなのではないか,というものも提唱されている.つまり原核生物に巨大ウィルスが感染し,主要なDNAとして細胞全体の代謝を制御,原核生物側がもともと持っていたDNAもその代謝を維持するために必要な情報として一緒に組み込んでしまい,「もともとウィルスだったもの + 吸収した細胞のDNA」が一体化して細胞核になったのではないか,という仮説だ.細胞核の起源自体はよくわかっていないので,これはこれで面白い仮説である.異論も多く,広く認められた説ではないが,関連する論文が今年も出ていたりする

前置きがやたらと長くなってしまったが,今回著者らが調べたのは,海洋においてかなりの存在数だとみられているこれら巨大ウィルス,もう少し正確に言うと,核に似た構造をもちDNA二重鎖をゲノムとする「巨大核質DNAウィルス」(Nucleocytoplasmic Large DNA Viruses,NCLDVs)は,他の生物のゲノムにどの程度影響を与えているのか,というものになる. といっても著者らは実験をしたわけではなく,公開されている緑藻類のDNAの配列を調べ,その中からNCLDVs由来と考えられる配列(NCLDVsに見られる配列と同一性の高い配列)がどの程度あるのか,ということを調べている.

というわけで結果を見ていこう.
著者らが調べたのは,公開されており入手が可能な65種のゲノムであるが,そのうち24種からNCLDVs由来と考えられる配列が見つかった.これら24種には,計18種の巨大な内在性ウィルス様配列があり,その大きさは7万8千塩基対〜192万5千塩基対という非常に大きなものであった.何せもともとのNCLDVs自体が非常に大きなゲノムをもっているため,その残骸として残っている配列も非常に大きい.
これだけ大きな配列があるということは,数多くの遺伝子を一度に手に入れることができた,という言い方もできる.そう考えると,NCLDVsは緑藻類などNCLDVsが感染する海洋生物の進化において,非常に大きな役割を果たしている可能性がある.
(一気に数多くの遺伝子を別の種間などで移動させることが可能なので,影響も大きい)
さらに緑藻類のうち12種に関しては,2種以上のNCLDVsの遺伝子を引き継いでいることが見いだされた.つまり,少なくとも2回以上は「NCLDVsに感染 → うまいこと不活化して,その遺伝子ゲット」という過程を経たことになる.
獲得された遺伝子の中には,緑藻類自身のスプライセオソームによりスプライシング(*6)が起こるようイントロン(※もともとのNCLDVsには存在しない)が追加されたものも多く,緑藻類が取り込んだ遺伝子配列を活用しているさまが伺える.

*6:DNAから転写されたRNAは,イントロンと呼ばれる部分が除去(=スプライシング)されたあと,最終的なタンパク質へと翻訳される.

ある緑藻類では,持っている遺伝子(=タンパク質として発現する部分)のうちおよそ10%がNCLDVs由来であると推測され,海洋生物のゲノムの進化においてNCLDVsがかなり重要な役割を果たしているとみられる.また,NCLDVs由来の配列も複製されていたり,不要な部分(多分)が削られていたりと,もともとのNCLDVsの遺伝子そのままではなく,さまざまな変異・進化を受けていることが分かった(このため,これらの種にNCLDVsが感染・その遺伝子が定着したのはかなり以前のものも多いことがわかる).ウィルス由来のDNAも,安定にそのまま存在し続けるわけではなく,かなりダイナミックに変化してきているわけだ.

そんなわけで,緑藻類におけるNCLDVs由来の遺伝子を調べた,という研究であった.
発見から(というか,ウィルスと認識されて以来,というか)20年ほどになるNCLDVsであるが,実際の生物種のゲノム中にかなりの痕跡を残していることが明らかとなり,今後緑藻類に限らず,さまざまな生物の進化とのかかわりが研究されていくことが期待される.(2020.12.9)

 

226. CNOサイクルをニュートリノで初観測

"Experimental evidence of neutrinos produced in the CNO fusion cycle in the Sun"
Borexino共同研究グループ, Nature, 587, 577-582 (2020).

恒星の内部ではさまざまな核融合が起こっており,膨大なエネルギーを生み出している.核反応断面積などに関しては地上での実験でかなりのことがわかっており,恒星内部の推定される環境などを加味し各種の研究が行われた結果,陽子(プロトン,p)同士が融合しながら主にヘリウムを生み出すppチェイン(陽子-陽子連鎖反応)と,炭素(C),窒素(N),酸素(O)が触媒的にかかわりながら陽子からヘリウムを生み出すCNOサイクル(※途中で生じる15Oはすぐ崩壊し15Nになりこれが反応を進めるので,CNサイクルと呼ばれることもある)が中心となってエネルギーが発生していることがわかっている.
CNOサイクルは反応速度的に非常に早く多くのエネルギーを発生させることができるのだが,重い核(=正電荷の大きい核)にさらに陽子を打ち込む必要があり,これを起こすためにはより高い温度が必要とされる.このため太陽質量程度以下の軽い恒星ではppチェインがエネルギーの主原因であり(とはいえ多少はCNOサイクルも回る),太陽の1.3倍以上程度の重くて熱い恒星ではCNOサイクルが主要なエネルギー源(当然ppチェインも起こっている)であると推定されている.

※なお,宇宙創成後の第一世代の恒星内部においては,CやNなどの重元素(この手の分野では,水素とヘリウム以外の原子は全て重元素,または金属元素と呼ばれる)が存在しなかったため,大きな恒星であってもppチェインがメインだったと考えられている.

さて,うちらのご近所にある太陽の話である.
太陽の内部でどんなことが起こっているのかは遥か古代からの興味の対象であり,現在でもさまざまな検討が行われている.内部の精密な組成や構造は,今後の太陽の活動のみならず,宇宙の過去の歴史を解明するうえでも非常に重要な情報となり得る.ところが,太陽核部分を直接観測することは非常に難しい.光学的な観測では,コアの外側にある放射層がすべてのエネルギーを一度引き受けたあとで光として発しているため,内部の情報は失われてしまう.また,太陽表層部分の化学組成は分光的な手法で解明できるものの,これまた放射層のあたりを境にその上下で混合が起こりにくく,その結果コアの化学組成と表層(対流層)とで化学組成が異なることが予想されている.
またここ10〜20年の間に,理論計算の発展やそれをもとにした研究から,太陽内部での重元素の比率は従来考えられていたよりも低いのではないか?と言った説が出てきており,現在でも論争が続いている(例えば参考として,https://www2.nao.ac.jp/~takedayi/ss_phys/databank/SolarComposition_Takeda.pdf
実はこの重元素比率,結構いろんなところに影響を与えるパラメータである.上記の参考資料を見ていただくといくつか書いてあるのだが,重元素の推定量が変わってしまうと,これまでの理論ではよい一致を示していたいくつものモデルがズレてきて見直しが必要になるなど,意外に影響が大きい.

そんなわけで,太陽において重元素(と言っても,CNOFあたりまでの原子がほとんど)がどの程度含まれているのかは非常に興味を持たれている対象なのだが,上で述べた通りそれを光学的に直接観測することは不可能である.そんな中,近年急速に注目を集めているのがニュートリノによる観測だ.
ニュートリノは各種の核反応に伴って放出され,物体との相互作用確率が非常に低いことからほとんどどんなものも透過して広がっていく.核反応が大量に起こっている太陽核はまさにこのニュートリノの強烈な発生源であることから,ニュートリノを用いれば太陽核からの情報を得られる,というのは古くは1940年代には提唱されているアイディアである.しかしながらニュートリノはその反応しにくさから検出が難しく,実際に太陽からのニュートリノを検出したのはそれから20年以上経過したDavisらによるHomestake実験(1969年頃から観測開始)を待つこととなる.その後もカミオカンデ/スーパーカミオカンデを含むいくつもの大型観測装置がニュートリノの検出に用いられているのはご存じの通りだろう.

今回論文として報告されたのは,伊・米・独・仏・波・露による共同観測実験Borexinoにより,太陽内部でわずかに起こっているCNOサイクル由来のニュートリノの観測に成功した,というものである.
Borexinoはイタリアの山中に半径4.25 mの球形の検出器を建造し,それを用いて太陽ニュートリノ(等)を検出しよう,という実験である.なお,オフィシャルページでは各種の写真が公開されており,模型や建造中の様子なども見て取れる.球体内面にはカミオカンデなどと同じように光電子増倍管が埋め込まれている(2212本存在するが,経年劣化などで徐々に減っていく).この球体の内部を有機溶媒で満たし,内部でニュートリノが偶然物質と衝突した際に発せられる光のエネルギーや方向などを検出,それによりどんなエネルギーの粒子線がどの方向からどの程度の頻度でやってくるのかを測定する.

さてこの手の装置,作ればすぐ測れる,というものではないのが難しいところだ.今回の論文も,そのほとんどは「どんなノイズ源があって,その影響をどう排除したか」が書かれている.CNOサイクルで発生するニュートリノは,おもに1500 keV以下のエネルギー領域に分布している.その分布は,低エネルギー側からなだらかかつ単調に発生頻度が減る,という分布のようだ.
ではこの分布にかぶってくるものは主に何かというと,宇宙から降り注ぐミューオンが炭素に衝突して11Cを生み,その崩壊がバックグラウンドになるというもの(これは,1500keVあたりを中心としたピーク構造を作る)と,恒星内部で起こるpep反応(ppチェインの亜種としてその1/400程度,ごくまれに起こる反応で,電子1つと陽子2つが融合し重水素となる.こちらは1200 keVぐらいまでは平坦で,それ以上のエネルギーで減少し1400 keVあたりでほぼゼロになる),そして地上の不安定核から生じる210Biの崩壊によるもの(低エネルギーから単調に減少するという,CNOサイクル由来のニュートリノと似たエネルギー依存を示す)である.
まず11に関しては,通常の炭素にミューオンが当たって11Cが生じる際に,同時に中性子線や陽電子が生じる.このため,これら3事象が同時に発生しているようなデータを除くことで影響を低減できる.pep反応に関しては,反応頻度がppチェインに比例するため,太陽からの通常のニュートリノをもとにその影響を見積もることが可能である.210Biに関しては,210Biが崩壊した結果の210Poがより長い半減期でα線を出して崩壊するので,その量を調べることで210Biの影響を見積もることができる.
他にも,外部からの影響を減らすためにBorexinoの球体全体がもう一重の球体に収まり,その間が水で満たされているとか,壁付近で起きた事象は外部からの影響の可能性があるから除外するとか,細かなノイズ対策が幾重にも積み重ねられた結果,ごくわずかなCNOサイクル由来のニュートリノを自信をもって「検出した」と言えるようになったようである.
ちなみに検出できたCNOサイクル由来のイベントの数は一日あたりおよそ7.2カウント(+3.0,-1.7)/溶液100トン(なお,Borexinoの全容量はおよそ280トンである).今回の論文に用いたデータの観測期間は4年弱,観測日数で1072にも及ぶ(※途中で各種の作業が行われた期間などもあるため,4年弱でこの日数になっている).ここから見積もられるCNOサイクル由来のニュートリノは,地球において1平方cmあたりで毎秒およそ7.0(+3.0 -2.0)×108個になるらしい.

現状だと測定精度もあるためまだ太陽内部の重原子の量について制限を付けられるほどにはなっていないが,これまで見えなかった太陽の中心を見るための手段の進歩,ということで面白い報告であった.(2020.11.28)

 

225. ようやく実現した室温超伝導

"Room temperature superconductivity in a carbonaceous sulfur hydride"
E. Snider et al., Nature, 586, 373-377 (2020).

超伝導が発見されて以来,常温での超伝導を探し求める研究が続いてきた.転移温度の上昇において一つ目の大きな発見は1985年(論文は1986年)の高温超伝導体の発見である.これにより超伝導転移温度は液体窒素温度を超えるまでに至った.しかしながら高温超電導に関してはその発現機構に謎も多く,どうすれば転移温度を現状以上に引き上げられるのかという設計指針も未完成である.
二つ目の大きな進展があったのは2015年だ.この年に発表されたのは「H2Sと水素に超高圧をかけると,200 Kを超える高温で超電導を示す」という実験結果である.驚くべきことに,この超伝導は古典的なBCS理論で説明できる昔ながらの超伝導であると考えられており,その発現機構はとてもよく理解されているものであった.BCS超伝導では,電子が格子振動を介して結びつくことによりボソン化,Bose-Einstein凝縮を起こすことで超伝導が実現する.このとき転移温度に大きな影響を与えるのが格子振動と電子の運動との結合であり,軽い原子ほど結合が強い,つまり転移温度が高いことがわかっている.2015年に報告された実験では,この「軽い原子ほど,格子振動と電子との結びつきが強い」というものを最大限に活かすためか上の水素を含む物質を超高圧下で発生させ,それが(理論の予想通りに)高い転移温度を示すことを知らしめたわけだ.
行き詰っていた超伝導界隈はこの発見に色めき立ち,高圧下で過剰の水素を含む物質の合成とそこでの超伝導の探索が広く行われることとなる.2019年にはLaH10で250〜260 Kと,冷凍庫程度の温度で超伝導を示す物質が報告されている.

さて,今回の研究である.今回の研究もこの「水素を過剰に含む物質を高圧下で作り,そこでの超伝導を狙う」という方向での研究であるが,炭素原子(系中では,後述するように水素と結合しメタンになっていると考えられる)を入れた点がこれまでの研究と異なっている.一応著者らは,「メタンはH2Sと同じぐらいのサイズだから置換したような形で入るのでは」というようなことを書いてもいるが,個人的には後付けの理由のような気もしないではない.なんとなくもっと単純に「硫黄より軽い炭素も混ぜてみようぜ!」ぐらいのノリでいろいろ試した結果のような……(個人の感想です)
何はともあれその結果,ついに最高で288 K=約15 ℃という常温での超伝導転移を確認できた,というのが今回の論文である.

サンプルの調整としては,まず,固体の硫黄と炭素をゴリゴリとボールミリングにより微細化&混合し,それを圧力セルに入れる.そこに圧力媒体兼水素化物合成のための反応物として水素ガスを高圧で導入し超高圧を印可.そこに532 nmのグリーンレーザーを照射すると硫黄が開裂しラジカルを生じ,水素と反応することで水素化物を生じる.さらに炭素にも水素が付加し,結果としてメタンと硫化水素と水素を寄せ集めて圧縮したような水素リッチな固体が生成する.
生成した物質に関してはラマン分光によりその結合に関する情報をとっており,4 GPaの低圧状態での測定ではH-S-HやH-C-Hの変角振動,C-Hの伸縮振動,H2の振動などを観測している.ここから著者らは,この低圧下では硫化水素分子とメタン分子と水素分子が分子のまま集まった,ファンデルワールス結晶的なものができているのではないかと推測している.圧力が15 GPaあたりにまで上がると,H2S分子が作るケージ中に水素が捕らえられたような,既知のホスト-ゲスト的な結晶の生成が確認された.分光の結果から,この圧力での転移はH2S分子の向きが整列する転移なのではないかと推測している.このとき同時にメタン分子の振動モードも分裂が確認されており,H2Sと協調的にケージを構築していることが示唆される(つまり,H2HとCH4が配列して籠状構造を作り,その中に多くの水素分子が取り込まれたような構造).37 GPaで再び何らかの転移が起こっているが,化学的には分子は分解していないことが示唆されている.さらに60 GPaを超えたあたりで系が金属化し,これ以上の分光測定が困難となった.

この物質の電気的な特性であるが,150 GPa以上あたりで超伝導(転移温度=150 Kぐらい)を示し,圧力の増加とともに超伝導転移温度は単調に増加する.圧力が220 GPa(このときの転移温度は194 Kぐらい)を超えたあたりから転移温度の増加が著しくなり,今回の測定で用いた最高圧力267 GPaで転移温度は287.7 K程度となった.電気抵抗の温度依存は非常にきれいな,急峻な抵抗減少を示しており,温度を少し下げただけでほぼ垂直に抵抗がゼロに向かっている.
この抵抗の減少が超伝導転移であることの証明として,磁場依存も測定している.磁場を印可すると転移温度は顕著に低温側にズレていき,例えばゼロ磁場時におよそ288 Kであった転移温度が,磁場を9 Tまで上げていくと265 K付近にまで低下している.磁場による転移温度の低下は超伝導でよく見られる現象であり,低下幅も既知の理論と矛盾はしない.
また,磁化率も測定されており,抵抗の急減に伴い磁化率が非常に大きな負の値を示すことが確認されている.これはいわゆるマイスナー効果であり,この転移が超伝導転移であることの証拠の一つとなる.

まあそんなわけで,物性科学の夢の一つが(超高圧下とは言え)ようやく実現した,というところか.今回の試料に関してはその具体的な構造や組成などもまだ明らかになっておらず,組成の最適化もされてはいない.今後,共存させる炭素(メタン)の量を最適化するなどすれば,さらなる転移温度の向上や,必要な圧力などが低減される可能性もある.
※とはいえ,常圧下にはならないだろうが……(2020.10.15)

 

224. 空気の上に浮かせた重い液体中での下向きの浮力

Floating under a levitating liquid
B. Apffel, F. Novkoski, A. Eddi and E. Fort, Nature, 585, 48-52 (2020).

流体の運動は,それを表す基礎方程式から原理的には(極端な条件下を除いて)解くことが可能ではある.ただその式は(一部の単純な条件下を除いて)解析的な解をもたず,しかも場合によっては計算量も非常に大きくなることからさまざまな計算法・近似方が研究されている.特に粘性が大きかったり圧縮が可能な流体がさまざまな境界条件のもとでどのような運動をするのかに関してはまだまだ未発見の現象が隠れており,現在でもいろいろと面白い現象が見つかっている.今回はそんな,流体での面白い現象の紹介である.

さて,水などの重い流体と,油(であるとか,空気であるとか)のような軽い流体が同じ容器の中にある場合を考えよう.この場合,もちろん最安定となるのは重い流体が下に来て,軽い流体が上にある場合である.当然ながら大きな容器に水と空気を入れると,最終的には水が下に来て上が空気で満たされる.例外としては例えば細管であれば毛管力によって水が上に来ることもあるが,まあ普通のサイズでは水が下に来る.
ところが,(私自身は寡聞にして知らなかったのだが)容器中で重い流体が上に来ている場合でも,縦方向の振動を与えることでその状態を維持できる,ということが1970年やそれ以前の段階で発見されているらしい(例えば1970年のPRLの論文).
通常,軽い流体(例えば空気)の上に重い流体(例えば水や油)が乗っていると,摂動(=小さな揺れや傾き)によりその界面の一部が下に落ち始める.そのような変形は,エネルギー的にはさらに拡大した方が(=重いものがより下に落ちていった方が)安定であり,そのため小さな摂動が大きな変形へと拡大,最終的には上に乗っていた液体が下に落下する.ところがこのような二相系が入った容器全体を上下にある振動数で軽くゆする,例えばサンプル瓶に油と空気を入れ,全体を縦方向に軽くゆすると,この振動により界面に発生した「波」の運動が摂動により生じた「液体の落ち始めの動き」を破壊することになる.要するに,上に乗った液体の一部が垂れ下がり始めたところで,液体-気体の界面に生じた波が上向きの運動を引き起こせば,そのような垂れ下がりは引っ込んでしまうわけだ.これにより,「軽いものの上に,重い液体をのせた」状態が安定化され,例えば「空気の上に油が浮いている」という面白い状況を作り出すことが可能となる.
もちろんこの際に振動はどんな振動数でも良いわけではないし(うまいこと表面波を共鳴的に励起できる振動数の必要がある),容器の広さが広くなりすぎるとこの効果よりもどこかで液体が落下する方が強くなってしまうので崩落する.大きな液面を安定化するには,それなりに大きな粘性をもった流体を使う必要がある.

今回の論文で報告されているのは,かなり大きなサイズでの液体の空中浮上と,その下部界面における「逆向きの浮力」(としてふるまう力)である.
著者らが用いた装置は,ガラス製の液体を入れられる容器全体を縦に振動させられるものである.容量的には液体を500 mlほど入れて実験を行っている.てっきりもっと小さいサイズでしか浮かせられないのかと思いきや,なかなかの大容量である.
この容器に,粘性の高い液体としてシリコンオイル(またはグリセロール.どちらでも同じ結果になる)を入れ,振動させる.そして容器の底に向け針を突っ込み,容器の底=液体の下に空気を注入していく.すると液体が見事に空気の上に浮く,というわけだ.もちろん実際には,あらかじめどのような振動数で共鳴するのかをちゃんと求めてやり,その振動数で容器を揺らしておく必要がある(今回の場合,およそ100 Hz程度).そのような条件で浮いている液体の下部界面(下の空気と接している部分)をよく見ると,レイリー・テイラー不安定性により重い流体である水が垂れ下がって落ちようとしても,界面に生じている振動により押し戻され結局浮いた状態が維持されていることが見て取れる.とまあ,グダグダ書くよりも,動画を見てもらった方が早いだろう.

下に空気を注入されても浮いているシリコンオイル
界面の拡大動画
二段の液相を浮かせることもできる

動画で上にあるのが空気,その下がシリコンオイルで,シリコンオイルのさらに下に空気を注入すると,液体のシリコンオイルが宙に浮いた状態を維持する.下部界面をよく見ると,振動により励起された表面波が界面を激しく揺さぶっており,小さな沈降が大きな落下に成長するのを阻害している.

さて,この浮遊した液体で報告された面白い現象が,逆向きの浮力である.例えばこの浮いている液体の上側(ピッタリ半分,というわけではないが)に気泡が入ると,当然ながら気泡は上向きに進む(次の動画の前半部分).ところが液体の下側の方に気泡が生じると,まるで浮力が逆向きに働くかのように,気泡は下側に向けて移動する(動画の中盤).そして容器をゆすっている振動数をうまくコントロールすると,気泡を自在に上に進めたり(=通常の浮力),逆向きに進めたり,ちょうど制止させたりできるのだ.

気泡にはたらく浮力の動画

一応計算としては,単純な気泡にはたらく浮力の式であるF=ρVg(ρは流体の密度,Vは気泡の体積,gは重力)のVとgとして,容器を振動させることでの実効的な重力(とみなせる成分)として単振動する値(g-Aω2cos(ωt))を,そして気泡の体積として圧力により圧縮される効果(ただし,その圧力を生む実効的な重力が前項のように振動する)を入れ計算すると,このような位置(および振動数や振幅)に依存した浮力が導かれ,下方では下向きの浮力,上方では通常通り上向きの浮力が働くことが算出できる(詳しくはSupporting online materialの最初のあたりを参照のこと). この結果,浮遊している液体の状面では普通に浮き,下面ではまるで重力が反転したかのように逆向きに「浮いた」状態が実現できる(次の動画の後半部分).

界面に浮くフロート

とまあ,何に使えるかは考えないとして,流体の示す面白い現象であった.(2020.9.7)

 

223. 硫黄で見つかった液-液相転移と液-液臨界点

"Liquid-liquid transition and critical point in sulfur"
L. Henry, M. Mezouar, G. Garbarino, D. Sifré, G. Weck and F. Datchi, Nature, 584, 382-386 (2020).

素朴な描像では,液体は無秩序に動き回る粒子の集合体であり,その構造は完全なランダムだと考えられる.しかしながら実際の液体,特に分子性物質の液体に関しては,分子間での相互作用が特定の方向で強い,などの特徴をもつため,液体状態においても微視的にはある程度の構造を形作っていることがある.例えば水分子は分子間に非常に強い水素結合が働くため,液体中においてもいわゆるクラスター構造などと言われるような構造をとっていることが知られている(といっても,怪しい水商売の方々の解説にあるようなかっちりした構造ではなく,動的に分離-会合を繰り返す一時的な構造である).
この「液体の構造」に関し,近年注目されている仮説が「水の二相共存モデル」である(このコーナーでも何度か取り上げている).水は通常の液体とは異なる非常に特異な性質をいくつも示しており,それがいったい何によって生じているのか,は長い歴史を持つ研究課題である.その中から浮かび上がってきた一つの仮説が「液体の水には実は2種類の構造があり,常温・常圧ではそれらが微視的には相分離した混合溶液となっている」という二相共存モデルだ.この仮説では,水には「1分子あたり4つの水素結合をもつ,氷に近い隙間の多い構造」をとっている「低密度水」と,「水素結合が一部崩れ1分子あたり平均3つ程度の水素結合しかなく,もっとぎゅっと詰まっている構造」の「高密度水」とが存在し,温度によってそれらの比率が違う,としている.
この「二相共存モデル」に関しては,低温で急冷することで作られるアモルファス氷(アモルファスなので結晶性の氷とは異なり,いわば液体の構造をそのまま凍結した,と考えられる)と,それに圧力をかけることで得られるもう一つの「高密度なアモルファス氷」が存在すること(=微視的な構造の異なる「ランダムな」構造が2種類あること)が根拠となり,さまざまな実験が世界各地で行われている.
※その一方で,近年ではその「高密度アモルファス氷」の存在を否定するような研究も出ており,混迷を深めている.

そんな水の二相モデルであるが,なぜ研究が難しいのかといえば
(1)室温では温度が高すぎて,液体の二相の臨界点(液-液臨界点)を超えている
(2)かといって液-液臨界点は凍結温度以下のため,臨界点以下に下げようとすると結晶化してしまう(=液体ではなくなる)
という2つがあるからだ.
(1)を説明するために,まずは気液臨界点を考えてみよう.気体に圧力をかけていくと,どんどん圧縮され密度が高くなる.一方,(沸騰しないように十分圧力を上げながら)液体の温度をどんどん上げていくと,その密度はどんどん小さくなる.その結果,ある温度&圧力で,気体の密度と液体の密度が一致してしまう,ということが起こる.この点を「臨界点」と呼び,これ以上の温度や圧力ではもはや気体と液体は区別できず,連続的に変化する一つの相となってしまう.
これと同様の現象が液-液相転移でも起こると推測される.低密度液体相に圧力をかけていくと密度が増える.一方高密度液体相の温度を上げると,密度が下がる.この結果,ある温度&圧力で低密度液体相と高密度液体相とが区別できない点(液-液臨界点)が現れ,これを上回る温度&圧力では,二つの相を分けることはできなくなってしまうのだ.そして水の場合,この液-液臨界点の温度が非常に低温であり(200 Kを超えたあたりと考えられている),液体のまま到達できないことが問題を難しくしている.

水は液-液相転移を起こすんじゃないか,と予想されているものの実験が非常に難しい.そこで,水以外の物質においてこの「液-液相転移を探す」という研究がおこなわれており,液状Si,二酸化炭素,液状炭素などで異なる液体構造間での相転移を示唆する結果が得られている.特にリンに関してはSpring-8で詳細な実験が行われ,低圧側での分子状リン(分子状の白リンP4)の液体から,もっとネットワーク構造の発達した黒リンに近い構造の液体への転移が観察されている.ただ,これらの物質では液-液相転移は見られたものの,存在が予測されている液-液臨界点は観測できていない.それはこれらの系での液-液臨界点が,非常に高温であったり負圧であったり,準安定の過冷却状態以下の温度であったりと,実験が困難な条件となるためだ.
そんななか今回報告されたのは,硫黄での液-液相転移の発見と,測定しやすい温度-圧力域での液-液臨界点の初の観測である.

硫黄は,すでに液-液相転移が知られているリンと同様に,分子状とポリマー状の二つの構造をとることができる物質である.低温では通常硫黄原子が8個リング状に結合したS8分子が安定で,温度を上げていくとリング状の分子を保ったまま388 Kで溶融,その後432 Kでが開裂し単鎖のポリマーへと成長するλ転移を起こす.
今回著者らは硫黄を圧力セルに入れ密閉,さまざまな温度で圧力を印可していき(等温変化),その際に密度と構造にどのような変化が起こるのかを観測した.なお,一部の圧力においては,圧力を固定したまま温度を上げる等圧変化での測定も行っている.密度に関しては,当時慶応大だった片山芳則氏(そこから原研/Spring-8へ)が開発した,X線吸収量から密度を求める手法を用いている(X線の吸収は原子種とその量で決まるので,吸収量から通過した領域に存在した原子の量=密度がわかる).また同時にX線回折もモニタし,結晶化していないかどうかや,2体相関分布関数(二つの原子が,どのぐらいの間隔で存在しているか,の分布)を求めている.

さて実験結果であるが,まずはさまざまな温度で圧力を上げていった様子を見てみよう.550 Kで圧力を上げていくと,0.4 GPa前後の圧力で急に密度が増加する点が現れる.これは明らかに転移の表れであり,しかも転移の前後でX線に明確なピークが現れないことから,液-液転移であることが示唆され,硫黄における液-液相転移の初の実験結果となる.なおこのときの密度の増加はおよそ3%程度であった.
もう少し高い650 Kではさらに顕著な密度増加が0.7 GPaを超えたあたりで起こり,密度が5%近く上昇する.加圧による転移で密度の変化が最も大きかったのは750 Kでの測定で,そこでは0.8 GPaを少し超えたあたりで密度が一気に8%近くも上昇している.さらに温度を上げていくと,加圧による転移での密度の増加は単調に減少していき,1030 Kぐらいまではギリギリ確認できた相転移が,1035 Kを超えたあたりで確認できなくなっている(=加圧しても,密度が単調に増えるだけで急激な飛びが見られない).これは,理論的に予測されていた液-液臨界点(低密度液体相と高密度液体相の密度が等しくなり,両者の間で明確な転移が無くなってしまう臨界点)が1035 K,2.15 GPaあたりに存在することを示唆している.
さらに確認された液-液相転移の観察においては,加圧により低圧相(低密度相)中に高圧相(高密度相)が生じ,2相が共存しつつ,加圧とともに次第に高圧相が成長していく様子が確認されている.この「2相共存」は1次相転移に特有の現象であり,この相転移が2次相転移ではない事の何よりの証拠となっている.
※二つの安定相がある液-液相転移は,1次相転移だと考えられている.

この液液相転移では,どのようなことが起こっているのだろうか?著者らは,2体相関分布関数から「低圧相(低密度相)ではS8的なリング状の構造が主体であり,高圧相(高密度相)ではリングが切れ,よりポリマー的になっている」と述べている.ただ著者らが重ねて強調しているのが,このような構造変化を伴うものの,この転移は以前から知られているλ転移(リング状構造から鎖状構造への転移)とは熱力学的には別のものである,という点だ.例えばλ転移は加圧とともに転移温度が単調かつわずかに減少するが,今回見つかった転移は加圧とともに転移温度が上昇していくなど違いがある.
また,今回見つかった転移の様子は,気液臨界点と大きく異なる点も興味深い点である.気液平衡では,圧力の印可とともに密度の差は単調に減少するため,転移に伴う密度の変化は圧力の増加とともに単調に減少する.これに対し今回見つかった転移は,圧力を上げると最初はむしろ密度の変化幅が大きくなり,その後減少する,というものであった.このような挙動は分子動力学シミュレーションでも予測されていたらしいが,低温側で分子鎖の運動範囲の変化によるエントロピー項の寄与の大きさが効くらしい.

ともあれ,液液相転移にまた一つ,比較的実験しやすい対称が加わったのは喜ばしい.(2020.8.24)

 

222. 自由に動くアームをもつロボットとベイズ探索を用いた物質探索

"A mobile robotic chemist"
B. Burger et al., Nature, 583, 237-241 (2020).

触媒化学などでは,さまざまな助触媒等の添加物を加えることでその活性が大きく変化することが知られている.しかも複数の物質を加える場合,それらの添加物間にも相関が生じることもあり,Aを入れると活性が上がる,Bを入れても活性が上がる,しかしAとBを同時に加えると活性が下がる,など非常に複雑な応答を示すことも多い.このため高活性の反応条件を見つけ出すためには片っ端から組み合わせを試す,というのが有効なのではあるが,何せ人間の手数には限りがあり,短時間で大量の組み合わせを試すのは至難の業である.
液体同士の反応などの場合は,マイクロ流路チップなどに複数の薬剤をポンプで繋ぎ,プログラムしたポンプでそれらを適宜駆動することでさまざまな比率での混合・反応を短時間で試すことが可能となっている.しかし固体の粉末などを用いる実験ではそういった装置が組みにくく,学生やらバイトやらを総動員してしらみつぶしに物質探索を行う,などがボトルネックとなっていることも多い. (この辺は昔に高温超伝導体の物質探索が通った道でもある)

さて,ただひたすらに似たような作業を繰り返す場合,工業的にはロボットが多用されている.しかも近年の技術の進歩により,ロボットには非常に柔軟で高機能な腕を備えたものもあり,これを化学の分野に応用できれば無人で黙々と物質探索を行うことが可能なのではないだろうか?
今回紹介する論文は,そんな目論見で実験のオートメーション化を図り,さらに制御プログラムがベイズ探索を行うことで短時間で高効率な反応条件を見つけ出せることを実証した,という論文になる.ターゲットとしたのは光触媒による水の分解で,加える物質などを条件を変えながら,光照射により発生する水素の量をガスクロで定量している.

まずは使われた働き者のロボットはこいつである.休日なしでも文句も言わず,バッテリーにより1日に21.6時間ほど稼働する(それ以外の時間は充電ステーションで休憩)ナイスガイだ.上部に備えられた腕は7自由度でさまざまな動きが可能,14 kgまでのものを持て,80 cm強の距離まで伸ばすことが可能.さらに本体には最大で200 kgのものまで載せて移動することができる.細かいことを言うと上に載っている腕と下のベースは別々に販売されている2台のロボットなのだが,まあこの実験の範囲では一体となって稼働するので合わせて1台と思ってよい.
本体には作業場所のマップを入力してあり,レーザー測量と組み合わせて理想的には1 mm以内(実際に実験室で試しても10 mm以内),角度も2.5度以内という高い精度で位置をコントロールできる(ついでに言うと何なら暗闇の中でも稼働できるので,光に弱い化合物の合成にもうってつけだ).
この精度はたいていのことには問題ないのだが,小さなサンプル瓶の取り扱いにはやや問題がある.そこで各実験場所で補正用のキューブを使用している.ロボットが所定の場所(例えばサンプル管を取り出す,などの場所)に来ると,その場所には補正用の100x100x50 mmの黒い箱が固定してある.ロボットはアームでこの箱の周囲6点に触れアームの位置を再確認(補正)することで,位置精度±0.12 mm,角度精度±0.005度という非常に高精度な動きを可能としている.

このロボットもいろいろできるのだが,それだけで実験を行うことは難しい.著者らはこのロボットに加え,メトラーが販売している粉体ディスペンサーQuantos QS30(設定された量の粉末を吐出する)や,少量の液体を正確に送り込める蠕動ポンプ&出てきた液量を重さで測るための電子天秤も用いる.これらは例えばArduinoなどで制御され,メインのAIが設定した量の原料を適切に提供する.ロボットはサンプル瓶(が16個ぐらい入るケース)をもって移動,各種の物質をさまざまな比率で混合し,それを窒素ガス下で封入(さすがにこの装置だけは市販ではなく,特注で作ったらしい),振盪機に入れよく振り交ぜながら光照射,その後ガスクロのところへ持っていきセットすると制御されたガスクロが水素の発生量を定量する.得られたデータは全体を統括するAIに送られ,どのような比率で何を混ぜるのが効果的なのかをベイズ探索により推測し,より高効率な組み合わせができると思われる分量を設定する.そしてロボは(充電時間以外は)サボりもせず黙々と実験を続けるわけだ.なお,実際の全体像各種装置のところを見てもらうとわかる通り,ロボの移動を考えかなりスペースをとった実験室を作っている.

それではまずは,ロボが黙々と働く様子を見ていただこう.

文句も言わず黙々と働くロボ
夜も暗闇の中で働く
キャリブレート後,粉を入れてもらったり液体を入れてもらったり振盪したりガスクロを使いこなすロボ(ボタンも押すよ!)
不活性ガス雰囲気で蓋をかしめる特注装置

なんというブラック職場.それでも文句も言わず黙々と働くロボ,実に良いですね!

この実験で著者らは,光による水の分解触媒としてP10(ポリマーの一種),正孔捕捉剤として事前の実験で良さそうだったシステインを用いた.触媒特性に影響を与える(可能性がある)ものとしては,過去の光分解の報告例で効果があったとされるものを中心に,(1)色素(これが強く光を吸収し,触媒にエネルギーを渡すことで効率が上がる.今回の実験では3種の色素分子を検討),(2)pH(NaOHを加える量によりpHをコントロール),(3)イオン強度(NaClを加えることでイオン強度をコントロール),(4)界面活性剤(触媒と溶液の接触が良くなり効率が良くなる可能性.イオン性と非イオン性の2種を検討),(5)水素結合しやすい分子(正孔捕捉剤や色素を触媒ポリマーに結び付ける可能性.Na2Si2O5を使用),という5つのパラメータを振っている.
これらのパラメータは全体の液量が5mlに制限されている点,および加える際の刻み幅(ポンプや粉体ディスペンサーの最小幅)を考えると,組み合わせとしては約1憶パターンがあり得るため,全体を探索するのは不可能である.そこで前述の通り,ベイズ探索を組み合わせることでできるだけ少ない試行回数で最適(に近い)条件を探させた.サロゲートモデルの構築とかの話も出ているが,さすがにそこまでは追えず.

では,どんな流れでロボ(と,裏で配合を考えているAI)がより良い比率にたどり着いたのかを追ってみよう.
まずスタートはランダムな配合比率からスタートである.つまり,光触媒の量や正孔補足剤の量自体もランダムだ(当然,活性は非常に低い).最初の22実験(1実験で,多分16サンプルぐらい作って測っている)で,AIはようやく「P10(光触媒)とシステイン(正孔捕捉剤)が一番のキーファクターらしい」と気づく.続いてAIはNaClを加えてイオン強度を上げるとやや活性が上がることを見出す.さらに100実験め(実時間で2日ごろ)までには,3種の色素や2種の界面活性剤がいずれも効果が無いことを発見.以降はこれらをほとんど加えない組み合わせ中心に探索が進む.これと並行し,30実験めあたりでAIはNa2Si2O5の使用が活性を上げることを見出す.一方でNaClはそこまで大きな効果を表さないことに気づく.こうして最後の688実験が終了した8日後には,P10とシステインにNa2Si2O5とNaOHを加えることで,単にP10とシステインだけの場合に比べ6倍も水素を発生できる組み合わせに行きついた(そしてこの触媒に対しては,色素と界面活性剤とNaClは要らないことも判明した).
なお著者らの見積もりによれば,同じぐらいの実験を人間が全部手動でやろうとすると数百日ぐらいはかかる,とのことである. (実際には人間もある程度自動化した装置を使うので,ここまではかからないとは思うが)

というわけで,ロボ(と適切な探索アルゴリズム)を組み合わせると,今以上にいろいろなもので大量探索が行えるよ,という論文であった.充電以外は休まず黙々と働いてくれて実にうらやましい限りである.(2020.7.10)

 

221. 壊れにくい超撥水表面の作成法

"Design of robust superhydrophobic surfaces"
D. Wang et al., Nature, 582, 55-59 (2020).

非常に水をよくはじく超撥水の表面は,ほんの少しの傾きがあれば濡れても水分が全て玉状となって流れ落ちるため,例えば汚れにくい表面や曇らない鏡,ドロッとした食品系のペーストがくっつかない蓋などとして実用化がされている.こういった(水系の)液体がくっつかない表面加工はこのほかにも,粘性の高い水溶液や懸濁液を低抵抗で流せるパイプ用の内面加工など,まだまだ数多くの応用が提案されている材料である.
このような超撥水の表面を作るには,どうすればよいだろうか?撥水性/親水性は,基本的には表面と水分子との相互作用によって決まる.もし表面が水分子とほとんど相互作用しない物質だった場合,水分子はそれらの表面にくっつくよりも,他の水分子に囲まれて自由に水素結合を作っていた方がエネルギー(正しく言えば,エネルギー,またはエンタルピーから,エントロピーと温度の積を引いた自由エネルギー)が低くなる.逆に言うと,水は撥水性の物質と接している接触面積に比例しただけエネルギーが上がる(界面エネルギー).
このため水はできるだけそれらの物質と接触しないように変形し,接触面積が小さくなるようになる.つまり撥水表面での水玉のような構造となる.通常取り扱える物質の中で,水との相互作用が非常に小さいのはフッ素樹脂である.これは通常のポリマー同様の炭素鎖の表面を,数多くのフッ素原子で修飾したものであるが,フッ素原子はその小ささと大きな核電荷ゆえに原子表面の電荷が動きにくく,分極率が極めて小さい.このため他の原子との相互作用が非常に弱い(テフロンが低摩擦な理由の一つでもある).
しかしながら,フッ素樹脂で表面をコートしただけでは,高い撥水性は持つものの「超撥水」(接触角が150度以上)までは行きつかない.超撥水を実現するには,物体の表面にナノレベルの凹凸を作る必要がある.物体の表面に非常に細かい凹凸があると,水と接した際の接触面積が増える(何せ表面に猛烈に細かい凹凸があるので,見た目以上に実際に接している面積が大きい).このため撥水性の物質の表面にナノレベルの凹凸を作ると,さらに格段に撥水性が上がり,超撥水の表面を作り出すことができる.

さて,この「超撥水には不可欠な,ナノレベルの凹凸」が問題である.物体の表面というのは,しばしば他の何かにぶつかったりこすれたりする部分にあたる.そこにナノレベルといういかにも壊れやすいサイズの凹凸が露出しているわけだから,超撥水の表面というのは何かとこすれるだけで容易に構造が破壊され,超撥水を示さなくなってしまうのだ.
もちろんこれまでにも様々な改善法は提案されており,例えばナノ構造を作るポリマーの化学結合をもっと強いものに置き換えるだとか,高強度の柱を立てておきそれで外部から近づいた物体を支え,本当の表面にある凹凸を守る,などが報告されている.しかしこれらは抜本的な解決になるほど強度が上がらなかったり,多少ましになっても生産性に難がある(量産しにくい,高価,等)など問題を抱えている.
今回著者らが報告しているのは,逆ピラミッド型の窪みを基板上に安価に作成し,そこにナノサイズの凹凸を作りこむことでナノ構造を保護しつつ高い量産性を確保する,というものである.

どういうものを作ったのかはこれはもう図を見たほうが早いので,Supplementary InformationのSupplementary Figure 4,5,7aと7b,10aを見ていただきたい.といってもまあ上で説明したまんまで,「ピラミッド状の型を作る → それをもとに『ピラミッド状に凹んだ表面』を作り,表面を撥水加工する」というだけの代物だ.なお,別にピラミッド型に限らなくてもよく,三角錐型やハニカム状の窪みを作っても同じようなことになる(Supplementary Figure 18).大まかなサイズとしては,ピラミッド状構造の一辺が100 μm程度となっていて,そこそこ大きいので作りやすそうである.
このようなピラミッド型の窪みをもった表面の作り方は何通りかあるが,例えばSiO2/Si基板にリソグラフィーで格子状にSiO2を残し化学的にエッチングするとピラミッド状の窪みができる.その上にポリマー原液をキャストして固め,ピラミッド状の突起のあるポリマーを作成.そいつを剥がして取り出し,今度はこのポリマーを鋳型としてセラミックの原料をキャスト,剥がしてセラミック部分を焼結すればピラミッド状の窪みがある薄膜が作れる.ポリマーを何度も再利用すれば同じ構造が何枚も作れるという寸法だ(Supplementary Figure 4と9).また別な手段として,円筒状のローラー表面にピラミッド状の突起を作りこんでおけば,こいつを基盤に押し付けながらゴロゴロ転がしていくだけでも同様なピラミッド状の窪みのある表面も作れる(Supplementary Figure 10).しかも転がして作るだけなので大面積化も余裕だし,緩やかな曲面にも転写できる.同様に,ピラミッド状の突起をもつSiやリン化ニッケルなどの硬い基板をハンコのように使い,金属表面やガラスにスタンプするだけでピラミッド状の窪みが量産可能である(Supplementary Figure 11,12).
ピラミッド状の窪みが出来たら,続いてナノ構造の作り込みだ.こちらも単純な手法で,基板表面に対しろうそくの煤を堆積させることでナノサイズの炭素粒子が積み重なる.それをテンプレートとしてシリカを堆積させ炭素を焼きだすとナノ構造のシリカで覆われた表面(ただしシリカなので親水性)となり,さらにその表面にフッ素修飾した炭素鎖を結合すると超撥水の表面の完成となる(Supplementary Figure 14).
このようにして作成した表面は,まずそのままの状態で接触角150度以上の超撥水性を示した.

続いて最も大事な耐久試験である.こちらも動画を見ていただくのが手っ取り早いだろう.
まず通常の(一般的な)超撥水表面を剃刀の刃でゴリゴリとこすると,表面構造が破壊されあっという間に超撥水性はなくなってしまう(41586_2020_2331_MOESM2_ESM.mov).
ところがこれに対し,今回著者らが作成した表面は,剃刀の刃で縦横にゴリゴリと削り,さらにドライバーでこすり,金だわしでこすり,サンドペーパーで削り,柔軟なプラスチックのへらでこすっても撥水性が維持されている.これは平面状のSi基板でも,曲面上のセラミック基板でも同様である(41586_2020_2331_MOESM3_ESM.mov).
※そこまでやらんでも,という気もするが,まあ,説得力はある.

ゴリゴリやる前と後とで,接触角的には数度程度しか劣化が見られない.これは,ゴリゴリとこすっても,少しずつ削れているのは鎧として保護に役立つ「壁面」部分であり,液体との接触の大部分を担う「窪み」の部分にはほとんどダメージが行かないことに由来する.
こする前後での落下した水滴の跳ね具合などを見ても(41586_2020_2331_MOESM5_ESM.mov),ダメージが少なそうなことは見て取れる.
さらに長時間のスクラッチにも耐えるかの試験として,プラスチック片をゴリゴリとこすり続けてみたところ,1000回ほどこすってもまだ接触角は150度程度を維持していた.
さらに,強烈な水流(10気圧ぐらいの圧力で,128 mlの水を0.8秒で放出.およそ32.6 m/sの速度らしい)を表面にぶち当てる,という実験でも(41586_2020_2331_MOESM7_ESM.mov),既存のコーティング法で作った表面は撥水性が落ちているのに対し,今回の手法で作成した表面は十分な撥水性を維持している.
前述の通り,この手法はガラスの表面にも適用できる.ガラス板にこの手法を適用し,うっすらと曇ったぐらいの透明度のガラスを作り,剃刀やプラスチック片でこすっても十分な撥水性が維持される様子が動画として公開されている(41586_2020_2331_MOESM8_ESM.mov).

超撥水表面は結構弱いのが常識だったのだが,思った以上に強いものが作れるものである.(2020.6.9)