分子性磁性体とは,文字通り分子を構成要素とした磁性体です.通常の無機磁性体が金属元素やその酸化物などからなり全体が連続的に一体となっているのに対し,分子性磁性体ではまず「個々の分子」というきっちりとした単位が存在し,その分子の特徴を反映したスピンのキャラクターと,スピン間=分子間での相互作用が磁気的なスピン配置を決定します. これはある意味解析としては非常に楽であり,まず孤立した状態でのスピンがどのような特徴なのか,ということがある程度決定でき,次にそれがどのように相互作用しあっているのかを構造解析のデータと突き合わせながら調べていく,という段階的な解析が可能となります. さて,このような分子性磁性体としては,
磁性錯体[Cr(NCS)4Phen]-と有機ラジカルアニオンTCNQ- さて,これらの分子性磁性体には,古典的な無機磁性体と大きく異なる性質がいくつか存在します.以下に主な特徴を列記していきます. 1. 分子の修飾が可能錯体にせよラジカルにせよ,その分子中に有機分子を含むものが多いため,そこを化学修飾することで様々な置換基を導入することが出来ます.例えば光異性化を示す部位を組み込むことで光による磁性のスイッチングを狙ったり[1-2],ホスト-ゲスト系を組む事である化学種が共存した場合に磁性を変化させられる[3-4],などといった設計が可能となります.また,配位子に置換基をつけることで分子間接触を制御して,結晶構造の制御=磁気構造の制御へ繋げた例も知られています[5]. ただし,その設計が実際に結晶中でうまく働くかどうかに関しては,後述のように大きな問題が存在します.
他にも,鉄錯体など配位子場の強さが強くなると低スピンに,逆に弱くなると高スピンになる系が知られています.こういった系では,例えば配位する部分を酸素にするのか硫黄にするのかを変えたり,配位子を少し修飾して微妙な圧力を加えたりすることで,スピンクロスオーバーを制御できる場合があります[6]. 2. 低次元磁性体が容易に構築できる分子性磁性体では,他の分子と相互作用可能なポイントが限られてきます.これは分子軌道が等方的ではないために,スピン密度が高いところ(=相互作用が強いところ)や低いところ(=同弱いところ)が生じたり,分子の形状が異方的であるために隣接分子と接触できるところ(=相互作用をもてる部分)や,逆に立体障害などで他の分子から離れてしまうところ(=相互作用しにくい部分)が生じてくるためです.このようにごく限られた部位でしか隣接分子と相互作用出来ないため,その磁気的なネットワークは非常に異方的なものとなりがちです.例えば平板状の分子で,面の上下でしか相互作用が強くない分子が存在したとしましょう.こういった分子同士が面を合わせて積み重なれば,できあがるのは1次元の柱状構造です.磁気的にはこの1次元方向でしか相互作用が起こらず,隣接する他の柱との間での相互作用はかなり弱くなるはずです. この場合,得られた結晶自体は三次元的なのに,磁気的に見るとほぼ1次元,という物質が得られます.このような物質を低次元磁性体と呼び,分子性磁性体では擬1次元や擬2次元の磁性体が非常に頻繁に得られます[7-8].そういった系は,理論物理における低次元磁性体のモデル物質として,理論の検証に使われるなど非常に興味深い系となります. もちろん,結晶が3次元であることから,実際には非常に弱いながらも低次元磁性ネットワーク間の相互作用が存在し,極低温では3次元磁性体として振る舞います. 分子性磁性体は,その多彩な物質の広がりも含め,低次元磁性体の研究の場としてはやはり一つ抜け出ている点があるわけです. 3. 圧力による物性制御が可能いわゆる古典的な無機磁石に比べ,分子性磁性体は分子同士のパッキングが緩いため,圧力をかけることで分子間距離を大きく変えることが可能です.これはつまり分子間での相互作用の強さを大きく変化させられることを意味します.これにより,無機磁性体ではなかなか出来なかった「相互作用の強さを連続的に変化させながら磁気測定」といったことが可能になります[9-10]. さて,ここまではどちらかと言えば長所の部分に関して述べてきましたが,分子性磁性体には残念ながらこういった長所を打ち消しかねないほどの弱点も存在しています. 4. 結晶構造の制御が困難
特徴の1のところで「構造を制御して云々」と書きましたが,そのような制御がきちんと出来ることは希です.例えば層状化合物で層間に挟む物を変える,といった程度なら何とかなることも多い(とは言えそれすらうまくいかないこともある)のですが,分子の形状を少し変えて分子間接触をちょっと弄ろうとしただけで結晶構造がまるっきり別のものになってしまう,なんてのはよくある事です.これは分子性磁性体の結晶も分子性結晶の一種であり,分子間の相互作用がかなり弱い=ちょっとしたことで別のパッキングが安定になってしまうためです.そのため,結晶構造を一から設計して「こんな磁性を持たせよう」というようなことは通常不可能となってしまいます.分子のレベルで「こういった特性を出しやすい分子」を設計(これは比較的可能),その後の集積のしかたは運に任せる,というのが実情に近いところ. 5. 相互作用が弱い
基礎研究ならまだしも,分子性磁性体を何かに使おうと思った際に致命的な欠点となるのがこれです.古典的な無機の磁性体では,例えば酸化物ではスピン源同士が酸素原子1つ程度で架橋されています.鉄単体などでは隣接原子がもう隣のスピン源です.この「スピン同士の距離が近い」という特徴のため,古典的な磁性体では転移温度が室温の遥か上,というものが珍しくありません. 6. 置換が難しいまあ,これは必ずしも短所というわけではないのですが……. 無機磁性体では,金属原子を他の原子で置き換えて物性をコントロールする,ということが頻繁に行われます.合金化したり,フェライトで金属を変えて物性を変えるようなものですね.しかしながら分子性磁性体では,そもそも結晶構造を規定している相互作用が弱いため,錯体の中心金属であるとか,分子の置換基であるとかを少し弄ったものとの混晶を作ろうとしてもうまくいかないことが多々あります(うまくいく系もありますが).これは逆に,多少の不純物が混じっていてもきれいな結晶が得られる,という面ではプラスなのですが,物性制御という観点からはマイナス要因となります. このように,分子性磁性体には古典的な磁性体とは異なる長所・短所が存在します.分子性磁性体の研究者は,適材適所で長所を使った研究をしたり,何とか分子設計で短所を乗り越えようと日々試みているわけです.
[1] S. Nakatsuji, Chem. Soc. Rev., 33 (2004) 348-353. |