9S3錯体第三弾.アセトニトリルに溶かした[M(9S3)2]2+ (M=Co,Ni)と Ni(bdt)2- (bdt=1,2-benzenedithiolate)を混合し,冷蔵庫に しばらく放置しておくと下図のような溶解度の低い結晶 [M(9S3)2][Ni(bdt)2]2が板状晶として析出してきます.[1]
ちょっとわかりにくい構造なのですが,まずc軸投影図にあるような二次元平面がa-b面内にあって, M(9S3)22+分子は4つ(結晶学的に独立なのは2つ)のNi(bdt)2- 分子に取り囲まれています.この平面が,a軸方向に半分ずれたような形(M(9S3)22+ 分子の上に,上の平面のNi(bdt)2-分子が位置するような配置)で積み重 なっているのが結晶構造です.磁気相互作用を考えると,まずS-Sの近い接触が二次元平面内で M(9S3)22+とNi(bdt)2-の間に存在し,この2分子が 交互に並んだa軸方向に延びる1次元チェーンを形成しています.普通に考えれば相互作用は反強磁性 ですから,M=Niならば1/2-1のスピンが交互に並んだフェリ鎖,Coなら1/2-1/2の反強磁性鎖と なります.またこの1次元鎖を作らない方のNi(bdt)2-分子はc軸方向に side-by-sideで並んでおり,こちらもS-Sの接触があることから強めの反強磁性相互作用で, S=1/2の均一な反強磁性鎖となるはずです. これら二種類の1次元鎖を結ぶように弱い相互作用をもたらす接触があり,二次元平面内,および 平面間でこれらを結んでいます. では,この物質の磁性がどうなっているかと見てみると,このようになっています.
M=Niの磁化率の温度依存性 M=Niの2 Kにおける磁化過程 M=Coの磁化率の温度依存性 M=Coの2 Kにおける磁化過程 転移温度等に違いはありますが,基本的にy軸方向に自発磁化が生じています.しかしこの自発 磁化は,単位格子あたり0.2および0.03 μB程度と小さいため,フェリ磁性体では なく弱強磁性体です. 余談ですが,特にNi塩の場合この弱強磁性の自発磁化の磁場によるスピン反転は(図でもわかる 通り)非常に急峻で,きれいに結晶を磁場に対して配向させておくと,数Oe磁場を上昇させた瞬間 磁化の向きが反転しており,その途中の段階というものがほとんど見えません. また,z軸方向でスピンフリップが見えていますので,基本は容易軸がz軸となる反強磁性である ことがわかります. 転移温度や自発磁化がCo塩の方が小さいのはまあスピンがS=1(Ni)から1/2(Co)になったため でしょうから良いとして,この弱強磁性の起源は何なのでしょうか? 結晶構造から推定される磁気構造を考えると,その理由が見えてきます. まず,もっとも強い相互作用と思われるS-Sを通した相互作用のみを考えてみます. すると当然上で述べたようにフェリ鎖と反強磁性鎖ですから,この図のようになります.
なお,図中の直線は相互作用のパスを示し,結晶構造中で示したものと同じ色を用いています. ここに,鎖間にある弱い相互作用を加えます.二次元平面ももう一層分加えておきましょう. するとこのようになります.
水色と黄色の線が点線であらわされているのは,これらが弱いということを表現しています. さて,この図を見てみますと,水色の相互作用を反強磁性として満足させようとすると 黄色の部分で強磁性的な配列になってしまいます. 逆に黄色の部分を反強磁性的に配列すれば,当然水色の部分が強磁性的な配列になってしまいます. これを緩和するにはどうすればよいか? それは少しスピンを傾ければよいのです.
例えばこの図ですと,水色の相互作用の部分ではある角度θに相当する分だけエネルギーが 上がってしまいますが,かわりに黄色の部分では2θに相当する分だけエネルギーが下がります. これにより,トータルではエネルギーを得することが可能になるのです. 結晶中では,ピンク,緑,黄色,青の相互作用の本数はそれぞれ1:1:1:2の関係になっていますので, きちんと考えるにはこの本数の比と,それぞれの相互作用の強さを考慮に入れる必要があります. このように全体を傾けると,トータルでは磁化が打ち消されず,画面右向きのモーメントが残って くる事がお分かりいただけるかと思います.これが自発磁化として観測され,弱強磁性を 示すわけです.
[1] J. Nishijo et al.,
Bull. Chem. Soc. Jpn., 77 (2004) 715-727 |